2021年12月29日水曜日

これからランチへGO~

 瓦の屋根が1枚外れたことから始まった屋根の工事は無事終わった。昨夕、工事を依頼した電気屋さんから請求書を受け取る。見積もり代金と同じとのこと。長く生きていても自分で工事を発注して完了までの過程はほぼ皆無だった。この工事の前にシルバーにお願いしてレモンの木を伐採した。が、シルバーへは行政が違うシルバーにお願いしたことがあったので要領を得ていた。ところが、今回のような工事はどこへ頼むのか、から考えてのことで結構、草臥れた。

 年内に工事代金を払い終えたい希望があり、すぐに請求書を受け取った。明日までには支払う予定。瓦1枚が大変な工事になった。が、これも自分の健康の身代わりになってくれたと思えばありがたい。年明けには瓦に続いてベランダの屋根の取り換え工事も予定している。

 話は変わって昨日、年内最後の図書館へ出向く。久しぶりに椅子に座って月刊誌を読むとエッセイストの小笠原洋子の記事がある。初めて知った人だが同世代を生きている。記事によると年金は国民年金らしく5万円余りあり、家賃が年金と同額で一日千円で暮らしている。この生活費は預貯金を取り崩すようだ。エッセイストなので節約家の本を書いている。

 1人暮らしで国民年金、ましてや家も借りるとなると節約家でなければ生活は苦しいかもしれない。その点、我が家は古い家でしょっちゅうリフォームに悩まされても家賃が要らないだけでも(まあ、いいか)と気楽なものだ。年金は厚生年金と企業年金がある。満足する額ではないが今はコロナ禍で海外旅行は無理でも、そうなる前はささやかながらもいろんな国へ旅行もできた。上を見ればキリがない。人と比べても仕方ない。今の自分の置かれた状況に満足している。

 今日はこれから友だちとのランチで街中に出かける。今年も残り少なくなった。11月前後のレモンの木伐採と屋根の工事でどうなることかと落ち込んだことも年内に無事終わった。今思うとこの2件のことはかなり気にしていた。(心配性は抜けた)、と思っていたがまだまだ気にする癖がある。今になっては(何を気にする?)と思えることを気にしていた。それも久々に……。何もかもクリアして気分良く新年を迎えられそうだ。今日はこれからANAクラウンプラザホテル広島の中華で友だちと楽しくランチ。

 年末年始、しばらくブログをお休みします。この1年、ありがとうございました。どうぞ、よいお年をお迎えください。

 そして新たな年も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年12月28日火曜日

プチヴェール

 昨日は友だちに誘われて豪華なランチとなった。「やっぱ広島じゃ割」を利用してのランチだ。いくら高いランチといってもこれまではせいぜい5000円前後。ところがこれをはるかに超えてのランチである。場所は半兵衛庭園内のレストラン。金額的にも個室では、と思いながらお店に到着する。何十年ぶりかで出かけた半兵衛。入り口でお客を迎えてくれる。やはり個室に通された。2階個室の南と西方向の窓からは庭園が見渡せる。お天気も良く素晴らしい景観だ。

 手もとにある「お献立」を見ると先附、お向、煮物椀、八寸、焼肴、進肴、強肴、食事椀止、水菓子、とある。このうちの焼肴に出てきたのは「広島ハーブ鶏レモン麹焼とサラダ」に見たこともないプチヴェールがついている。ネットで早速、プチヴェールを調べると芽キャベツとケールを交配したものらしく静岡県で開発されて誕生していた。そしてこれは世界初の非結球芽キャベツで栄養価も高く甘みがあるそうだ。

 年の瀬に2時間以上かけていただくランチは何とも贅沢な気持ちになる。友だちと別れた後は県民割についてくる2000円分のチケットを持って福屋に向かう。お菓子処高木で来年の干支である寅の2種類の「干支菓」を購入する。新年を迎える準備は何もしない。が、先日、煮た黒豆とこの干支の菓子で迎える!?

 今日はこれから本年最後の図書館へGO~。お正月休みに読む本を探そう。それにしても予約した本がなかなか手もとに回ってこない。皆、年末年始に本を読むのだろうか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年12月27日月曜日

『新装版 播磨灘物語』(三)

 今朝は薄っすらと雪が降っている。雪が積もるほど降ることはあまりないので雪を見るだけで寒くなる。こんな日は家でおとなしく本を読む、と思いたい。が、今日はこれから友だちとランチを楽しむ。

 以前に読んだ『新装版 播磨灘物語』(三)(司馬遼太郎 講談社、2014年第36刷)。以下は気になる箇所を抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★官兵衛は少年のころから藤兵衛に仕え、骨を砕いて尽くしてきた。日常、主家のために良かれとのみ思い、強引に説いて織田家に属したのも毛利についていれば亡びを待つのみだと思ったからである。人の主たるものが、人間の情としてそういう家来を殺すということがありうるだろうか。官兵衛はふとそういうことを想いつつも、まさかと打ち消した。官兵衛を殺す者があるとすれば、それは荒木村重である。村重は自分の意志でやる。まさか藤兵衛が村重に、官兵衛があなたの許に行ったらどうか殺してくれ、と要請するとは思えない。官兵衛はこのあたり、小寺藤兵衛という男を見誤っていたであろう。(32-33p)

★「これは摂津守の言葉でござるが」と、加藤が告げたことは、悪く思ってくれるな、御着の小寺藤兵衛どのから、官兵衛を伊丹で殺してくれ、という使者が来た、村重としては殺すに忍びず、このように入牢(じゅろう)してもらった、精一杯の行為と思ってもらいたい、ということであった。……(藤兵衛というお人はそこまでに。……)という思いである。(46p)

★官兵衛は、さとりはじめていた。自然死を村重が待っているとすれば、官兵衛は自分のいのちを励まし励まして、生きつづけてゆかねばならない。堪えがたい環境であったが、(しらみでさえ、生きているのだ)と、官兵衛は思うようになった。……三木城のことも、小寺氏のことも、秀吉のことも、信長のことも考えまい、と思った。生きることのみを思え、と官兵衛は自分に言いきかせた。(108^109p)

★後年、官兵衛はこの時期、藤の花に花占いをしたという話を、家の者に語った。このことはやがて黒田家の草創の神話になり、家臣団の共通の知識になって語り継がれた。けものの檻のようなこの独房にあって、天から降ってきたような藤の蔓に花占いをしている男、という光景は、人間の光景としていかにも凄愴の気がただよう。やがてその藤に鈴のように花房のむれがさがったとき、官兵衛は天が自分を捨てていないことを心から知った。(おれは、生きるるだろう)と、静かにそう思うことができたし、ふたたび娑婆に出て人交わりができることに確信をもった。(135-146p)

★栗山善助にふと洩らして、「自分に似た者が、この世に一人はいる。わしの場合はそれがささえだった」と、いった。竹中半兵衛の才能は、栄達への野心を捨てたところに息づいていた。錯綜した敵味方の物理的状勢や心理状況を考えつづけて、ついに一点の結論を見出すには、水のように澄明(ちょうめい)な心事をつねに持っていなければならない、と官兵衛はつねに考えている。囚われることは物の判断にとって最悪のことであり、さらに囚われることの最大のものは私念といっていい。それを捨ててかかることは、領土慾や栄達欲が活動のばねになっている小領主あがりの武士にはなしがたいことなのである。しかし半兵衛は奇跡のように、その心事をつねに、平然と保っていた。……(こういう変物は、この世で自分だけではない)ということで、ときに淋しさからまぬがれ、また安堵のような気持も持ち、あるいは支えのようなものにもなってきた。半兵衛とは、そういう存在だった。その男が死んだ。(188-189p)

★(天下は、信長を慕うか)慕わないであろう。信長は徳をもって化せねばならない段階にきているのに、逆に満天下の反感を買うようなことをやった。(信長の世は、長くはない)と、官兵衛はおもった。(207p)

★晩年の秀吉は、そのおいの関白秀次の妻子を公開虐殺するというふうに、信長に似た所行をする。もっとも信長の虐殺はかれの思想的もしくは倫理感覚の表現という強烈な側面があったが、秀吉がやった秀次の家族への虐殺は、単に精神の衰弱による物狂いのようなところがあるにすぎない。秀吉においては、そういう晩年の変化があるにせよ、かれは若いころから無用に人を殺すことがきらいで、人間に対して思いやりが深いという定評が、かれを知るひとびとのあいだにあった。(260p)

★播州人としての官兵衛は、秀吉の播州政治をよろこばざるをえない。(さほどの男ではないとも思うが、しかし地下(じげ)の者からよろこばれるという人間は織田家には他にいないのではないか)官兵衛はそう思ったりした。さらにはふと、信長において専制的な苛烈さが前面に出て生きている。そうなれば信長の世はながくつづくはずがないと官兵衛は思い、(あとは、ひょっとするとこの陽気な小男に思わぬ運がめぐってくるのではないか)とも思ったりした。(276-277p)

★平素大声を出さない官兵衛の言動が、黒田家にながく言いつたえられた逸話になり、さらには黒田家の政治哲学になった。官兵衛は盗人に言いわたしたのは罪の量刑だけであり、執行するとはいっていない。また奉行に対して怒ったおは、奉行たる者は赦してやってほしいと頼みにくるのが本筋であるべきなのに、逆に刑の執行をせまるとは何事か、ということであった。戦国期の高名な大名というのは一般に人を殺すことがすくなかったが、人命は尊い、と積極的に、思想として言ったのは官兵衛ぐらいのものかと思える。(304-305p)

2021年12月26日日曜日

「医者が取るか坊主が取るか」

 3日間の屋根の修理は終わった。ところが肝心のベランダの鎖樋はまだついていない。一昨日、仕事を請け負った人はベランダの屋根もやり替えるようにと話した。近いうち見積書を持ってくるという。昨日のベランダの床の取り外し・取り付けの業者に鎖樋の話をするとベランダの屋根をやり替える際にそ樋をつけるという。その屋根も今のようなものではなく、もっといいものらしい。

 工事を終えて業者が帰った後、義兄に相談するとベランダ全部をやり替えると思ったようだ。屋根だけ替えると告げると費用は掛からないらしく工事をするようにと言ってくれる。

 3日間の工事であっても結構、疲れる。今年も残り少なくなった。ベランダの屋根の工事をするにしても今年中でなく来年になる。すべては見積書を見てのことになる。

 親がいなくなってからもうすぐ11年になる。この間、屋根の工事を入れて3件の工事をした。ブロックとサッシの塀、水道管の取り換え、そして今回の工事である。一番費用が掛かったのはブロックとサッシの塀。次が今回になる。家に長く住んでいるとあちこちにガタがくる。人間も長く生きているとあちこちが壊れてくる。だが、今のところそれもなく元気だ。家の修理に金銭をつぎ込むので病気と代わってくれるのだろう。母はよく言っていた。お金が貯まるとよくないらしく「医者が取るか坊主が取るか」と。

 病気や葬儀でお医者やお坊さんにお金を取られるよりもそれに関わらずにいつまでも元気でいるほうがいい。それには工事にかかる費用も気にしない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年12月25日土曜日

『96歳のピアニスト 室生摩耶子』その2

 屋根の修理が連日、続いている。昨日も屋根瓦の漆喰を塗り替える作業のようだった。職人さんによると屋根の瓦は色によって滑りやすい瓦があるという。赤い色の瓦は露がつくと黒いのよりも滑りやすいそうだ。我が家は黒い色の瓦だ。屋根瓦は午後には終わり、その後はベランダの床を外す業者が来られる。親子で仕事をしていて県北から毎日のように市内に通われるという。昨日の市内は気温が高く暑いと話される。

 昨日は工事仲介の電気屋さん、それに工事のおおもとの業者2名、瓦屋根の職人さん、ベランダの工事の業者2名と次々に来られる。今朝はベランダの下の瓦棒の工事の人が1人来られている。これが終わればベランダの床の取り外し部分を取り付けに来られる予定。今日中に工事は終わりそうだが、それにしても家に人が出入りされると草臥れ果てる。 

 景気づけにリベルタンゴを練習するが曲の最初からいい音が出ない。1オクターブ高いミの音から低いミを出し、つづけてレドシラシー、と吹くがシの音の8拍の息が続かない。人が家を出入りすると笛を吹くどころではなく、ただ本を読んでばかりいる。じっとしていると体に良くないと思うがこれも今日までの辛抱。読むのに時間がかかる司馬遼太郎の本も気合が入るのか楽に読める。

            

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『96歳のピアニスト 室生摩耶子』(室生摩耶子 小学館、2017年)から気になる箇所を抜粋。とくに「ずだ袋」のキーワードを拾い集めた。

★私はよく「人生の悲喜こもごも、喜怒哀楽、体験したことは全部、ずだ袋のなかに入れる」という話をします。「ずだ袋」といってもお若い方はわからないかもしれませんね。この前、リュックサックみたいに背負う袋ですか?」と聞かれましたから。「ずだ袋」とは僧侶が首から堤げ、行脚をしながらお布施でいただいたお米やら食べ物を入れておく袋です。その中身は、僧侶の血となり肉ととなっていきます。私も、人生からいただいた経験を「ずだ袋」に入れています。すると、それがときに塾生、発酵して、私を豊かにし、育て、いろいろなことを教えてくれるのですよ。……そんないろんな思想の深さというものを、「ずだ袋」が授けてくれる。10年前と今とでは「ずだ袋」の中身の濃さも変わり、だからピアノの表現も変わって当然なのです。私が「若返りたいなんて思わない」というのは、若いころの「ずだ袋」は今に比べてすかすかだったから。天才ピアニストなら「ずだ袋」なんて不要でしょうが、凡人の私には90年以上生きてこなければわからないことがいっぱいあります。(42-43p)

★その兄は帝大に入っていくらも経たないうちに、結核で亡くなりました。……その時の母の悲しみというのはものすごく深刻で、涙を流すのを通り越したような状態だったのです。病院を出て、お茶の水橋から下を流れる神田川をじっと身じろぎもせず眺めていた母が「それでも、世の中は動いている」のひとことに、まだ14歳ぐらいだった私はその悲しみの絶望的な深さを感じました。こんな悲しみは、実際に体験しなければわからない。これが私の「ずだ袋」の原点です。以来、私は自分の経験したありとあらゆるできごと、思いを「ずだ袋」に詰め込んできました。それが私の血肉となってきたのです。 (70-71p)

★自分の経験したこと、考えていること、感情の深さ、そのすべてが奏でる曲に出てしまう。……全部さらけ出されてしまうんです。いくら表面を繕ってみても無駄なのね。ピアニストなんて哀れなものですよ。だから、「ずだ袋」が必要なのです。人生で経験して「ずだ袋」に入れておいた、喜び、怒り、悲しみ、楽しさが熟成、発酵してにじみ出ている。年を経て同じ曲を弾くたびに「なんで今まで、このことに気がつかなかったのだろう」という発見があるのも、「ずだ袋」の中身が古酒のようにこっくりと味わいを増すおかげです。(130p)

★ドイツでも長く独り暮らしをし、今も、ひとりで暮らしていて孤独を感じることはありませんが、「そうか、長生きするとこんな寂しさが待っていたのか」としみじみ思います。でも、それを嘆いてみてもどうしようもないので、こんな寂しさも「ずだ袋」の中に入れるとしましょう。(149p)

2021年12月24日金曜日

慌ただしい年の瀬

 昨日は朝から屋根の工事で気ぜわしい。屋根は1階部分だけと思ったら2階もするとのこと。昨日は3名来られた。家の工事となると外へも出られない。毎日、決まった時刻にスーパーに行く癖がついている。正午になった。工事を中断してお昼を食べられるのだろう。静かになったころを見計らって近くのスーパーに出かける。外はお天気も良くて何か解放された気がして気持ちいい。屋根瓦の漆喰の塗り替えは1日で終わらず翌日も来るとのことで3時半過ぎに帰られた。

 勝手気ままに生活している。我が家の工事とはいえなんと気を使うことだろう。母が生きていた頃はリフォーム、リフォームでよく工事の人が出入りしていた。今、そのことを想うとなんと母は大変な日々を過ごしていたことか。

 家に関することはすべて義兄に頼っていた。ところが義兄がお願いしていた業者は事業をやめられ、頼めなくなった。これからは全部自分でやらなくてはいけない。人が出入りするということはかなりのストレスになる。いかに我がまま、気ままに毎日を過ごしていることか、この期に及んで身にしみてくる。

 じっと家で我慢していると友だちがまたも電話してきて別のランチに誘われる。工事は今週で終わる。ランチは来週のことだ。どちらのランチも行くことにした。年末になっての慌ただしい工事も年内ですべて落ち着く。いい年を迎えられそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年12月23日木曜日

microSDカード

 携帯電話の写真はmicroSDカードに保存している。ところが携帯電話からSDカードを取りだそうとするが外せない。以前の携帯からは取り外してプリントアウトができた。おかしい、と思って触っていると電話機が壊れる気がする。取り外しをあきらめてデジカメ持参でまた写しに行けばいいと思った。が、あきらめきれずパソコンでSDカードの取り外し方を探す。が、要領を得ない。

 考え直してドコモに電話するとすぐにつながる。(おかしい?)、と思いながら話すと間違ってかけていた。気を取り直してドコモへTELすると以前よりも応対が早い。(なぜ?)と思ったら先に音声通話で問い合わせを録音させておいてその後に係が応対してくれる。

 係は同じ機種の携帯をそばに持ってくる、と言って3分後にかけなおしてくれた。その際、SDカードにデータを保存する方法を教えてくれる。そして、言われるとおりに携帯を操作しているとSDカードはすぐに取り外せた。操作中に前の携帯で取り外していたことを思い出す。前の晩、勝手に取り外そうとしたが壊れそうな気がして途中でやめていた。やり方は前の携帯と同じだ。

 SDカードを取り外すとその足でプリントアウトしに行く。プリントアウトの料金方法が変わったと係は話す。3枚ほどプリントアウトしようとしたら料金は10枚まで同じだという。10枚にするには年度違いの写真になる。が、その操作がわからず手こずっていると丁寧に教えてくれた。結果、いま必要のない以前に撮った写真もプリントアウトする。

 ドコモもといい、プリントアウトのお店といい、いずれも親切だ。感動してしまった。夜になると友だちから電話があり「やっぱ広島じゃ割」を利用してランチをしようと誘われる。久々のランチ、それもディナーと思えるような金額だ。が、「やっぱ広島じゃ割」の利用で半額になるという。さらに、クーポンもつくそうだ。遠くへ遊びに行かれないので近場でのランチは嬉しい限り。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!