2018年1月31日水曜日

再び「遊びをせんとや生まれけむ」

 『遊行の門』(五木寛之 徳間書店、2008年)を読んでいて以下の言葉に目を見張る。それは後白河法皇が編んだ『梁塵秘抄』にある中世にうたわれた絶唱だった。

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声きけば
わが身さえこそゆるがるれ(18p)

 この2行を某会の会長は1年余り前の中国の旅の途中でつぶやかれた。初めて聞く言葉だ。覚えて帰ろうと思ったので翌日のホテルの朝食時にも聞いて覚えた。これをブログに載せていると思い、我ブログを検索するとある、ある。2016年11月16日の「遊びをせんとや生まれけん…」でアップしている。

 五木はこの後、「老いていく、とは、枯れてゆくことではない。それはいきいきした好奇心と、未知の世界へ向けて触手をのばす、生命の活動である。…『遊行期』とは、子供に還って遊び、戯れる時期である。気ままに、わがままに、そして無心に」と綴っている。(19p)

 この意味を知るとますますこの言葉の良さがわかる。「老いていく、とは、枯れてゆくことではない。それはいきいきした好奇心と、未知の世界へ向けて触手をのばす、生命の活動である」。まさにその通りだ。近いうちまた一つ年をとって老いてゆく。これもそうではなく「いきいきした好奇心…」と思えば、年を取るのも悪くない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月30日火曜日

至福のひととき

 2月になるとプールのメンテナンスがあり、2週間利用できない。昨日は気温は低くても日差しがあるので泳ぎに行く。朝から気合を入れ、お昼を済ませると勇んでプールへ急ぐ。プールの中は外と比べて温かく、まるで天国。はやばやと受付を済ませていざプールへ。ところがプールに入ってもどの人も水に浸かろうとしない。なぜ?と思いながら一人、プールの水に足をつける。と、ここで注意される。あと何秒か開館までに時間があるという。水着でプールにいると寒くなる。早く温水に浸かりたい。

 ここで係りが登場。開始時刻を間違えていたとのこと。ともあれ、泳ぎ始める。水中歩行の人は別にしても、泳ぐ人の顔は覚えてくる。ところがそれも徐々にメンバー交代があるようだ。それでも数人は顔馴染みになる。昨日も同じ町の人らしく泳ぐ輪に入るようにと声をかけられる。皆でつるんで泳ぐのが好きでない。後からせかされる気がしてくる。それが嫌なので、人との距離を置いて泳ぐ。あまりにも泳ぐ人が多いときは浅いプールへ移動して泳ぐ。

 冬の間は夏ほど泳ぐ人はいない。冬の方が夏より汗をかかないし運動不足になる。その意味でもこの季節はなるべく週に一度のペースは崩したくない。

 泳ぎ終えて外に出ると自転車3台ほど横倒しになっている。風が強く吹いたのだろう。プールに行くときは日差しがあって暖かかった。ところが、泳ぎ終えて帰るころは日差しがなく冷たい。身体は温かくても空気が冷たい。いそいで自転車で帰宅。冬はいつお天気が変わるかわからない。ましてや自転車に乗っての移動で転んでしまったら人生ここでアウト!?

 帰宅後に飲む温かい珈琲とおやつ。これもささやかな我が至福のひととき。泳いだ日はお蔭でよく眠る。今朝の起床の遅いこと。ゴミ出しがないと目覚ましをせずに寝るので余計に遅い。

 画像は年末に買ったクリスマスローズ。今まさに満開!もう一鉢も満開だ。
我が家のクリスマスローズ

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 またもブログ投稿後に気付く。先ほど105歳のスウェーデン人ダグニーさんの昨日のブログを見るとイケアの社長の死を綴っている。これは日本語訳の解釈があっているかどうか、日本のネット記事で確かめる。朝日新聞の記事があった。日本に居ながらにしてスウェーデンの記事がダグニーさんのブログでわかるとは…。ともあれスウェーデン語はわからなくてもパソコンの翻訳機能のすばらしさを改めて実感する。

2018年1月29日月曜日

NHK日曜美術館《クリスティーナの世界》から

 今朝は昨日と打って変わって日差しがある。この様子だとプールで泳げるかもしれない。昨日は社会人大学生の頃、共に学んだ院生だった人と久しぶりに会う。どういっても親子、いやそれ以上の年齢差がある若い人。前回会ったときはまだ子供さんは誕生していない。その子供さんも今年4歳になるとか。4,5年ぶりに会って話をする。

 まずは街中でのランチ。初めてのお店は感じが良くて食事も美味。まるで同い年、と錯覚するほど話していて違和感がない。食事後は八丁堀の院展を見る。その後は場所を替えてカフェタイム。外は寒くても感じがいいカフェでまたもや話が盛り上がる。というか一方的にしゃべった感じで申し訳ない。年齢差はあっても某先生の同じ講座を受けたことで違和感なくお話しできるのは本当に幸せ。時に固有名詞が出なくて即座にその人のスマホで検索。名前がわかればまた話が弾む。

 話していると気分はもう完全に社会人大学生時代に戻る。当時は今ほど悠長な日々でなく、時間に追われる毎日だった。しかし、それも今となっては懐かしい。時間に追われていたからこそ頑張れることもあった。話の中に出てきたあの人、この人。話せば話すほど共通の話題に結び付く。

 社会人大学生を卒業して今春で丸11年になる。院生修了後は丸9年。ということは同時代に学んだ若者は今年33歳になる。もう立派な大人になってそれぞれ家庭もあるだろう。

 昨日会った若い人も女児の母であり、妻であり、さらに一社会人として頑張っている。今は時間に追われる日々に違いない。そんな忙しい中、長い時間付き合ってもらって申し訳ない。そう思いながらも本当に楽しい時間は過ぎていった。〇〇小姐、非常感謝!そして〇〇〇ちゃんの写真、本当に可愛かった!

 忙しい毎日にも関わらず、中国語を学び続けているとのこと。これも素晴らしい。若さは追いつけないけどせめて気力だけでも若者に追いついて…。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 またもブログ投稿後に気付く。昨夜のNHKの日曜美術館を忘れている。何気なく見ていると日曜美術館「ワイエスの描きたかったアメリカ」に《クリスティーナの世界》が映し出される。
  
 番組HPによると「2017年に生誕百年を迎え、注目を集めるアメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス。力強く生きる移民の姿を描き続けた。今ワイエスの絵が問いかけるものとは。建国以来およそ240年、世界中から多くの移民が渡ってきて活力を生み出してきた国、アメリカ。そうした移民の姿を描いたある画家に今注目が集まっている。アンドリュー・ワイエス。2017年に生誕100年を迎え、記念切手が発売され、記念展覧会では多くの人を集めている。かつて彼は『アメリカ人にアメリカとは何かを示したかった』と語った。言葉の裏に込められた意味とは?作品から読み解く」とある。

 この「クリスティーナの世界」の絵、足が悪くて少女は歩けない。しかし、這ってでも歩こうとする。これを見ていてドキッとする。ワイエスはこの番組で初めて知る。辞書で調べると『広辞苑』にも掲載がある。途中から番組を見たので再度見たい!そして本物の絵も見てみたい!
お昼のランチ

2018年1月28日日曜日

蓮の花を描く

 仮住まいの絵の教室もあと2回を残して元の教室に戻る。部屋の狭さは机の小ささにも比例する。本画にするには狭すぎて、毎回のようにデッサンする。ところがこれもいいこともある。それは人のデッサンをまじかに見られる。昨日はパイナップル一個を机に置いてデッサンする人がいる。ナニゴトも融通が利かないのでそれを見てびっくり。何でも絵のモチーフになる、と感心する。その人は絵を長く習われ(教室の人はどの人も長く習われているが…)、毎回持参される絵のモチーフを見ると参考になる。いくら参考になっても人の真似はまだできない。ボツボツ描いていくしかない。

 昨日はデッサンした蓮の花を本画用にトレースする。しかし、これもそのままトレースするのでなく、絵にする配置を先生が考えてくださる。その配置のままに蓮の花の絵をトレースしていく。今年の秋の作品展も昨年同様に全員がM8の木製パネルに描く。先生はこのパネルに和紙をはり、その上にさらに他の和紙もはる。このはり方でそれぞれ特徴あるパネルになっていく。その一枚を先生に選んでもらって地塗りする。この色も先生に決めていただく。

 地塗りをするにもけっこう上手下手が出る。刷毛の使い方も日本画では大事。何もかも教えてもらって地塗りは完成。次回からこのパネルに蓮の花をトレースしていく。本画に仕上がるまではまだまだ時間がかかる。ボツボツ描こう。

 それにしても寒い。いくら寒くても今年の冬は珍しく鼻水が出ない。例年ならば秋分の日から春分の日まで鼻水と格闘する。これがないだけ今年の冬は元気!?プールはさすがに気温5度以下では泳ぐ気が失せる。プールは明日行こう。

 元気といえば遊ぶ話。昨日の教室で来月の食事会がまとまる。何と来月の某1週間にグランヴィアでの食事会が3回予定される。それも和食、中華、西洋料理とジャンルが異なるのが幸い。日本画の人とは自分の誕生日の前日。「翌日は何の日?」、「とても有名な日よ」と問うと友だちの誕生日という人がいる。同じ日が誕生日の人がいると思った。誕生日が嬉しいわけではない。年齢もここまで生きてくると気にならなくなる。それよりも元気で楽しく過ごせればそれで大満足。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月27日土曜日

再び無患子

赤いのがいただいたきれいな完成品
他の3点は昨夜完成。うち一つは8個の無患子で、後、9個にやり直す

 先日、塀の裏側のドアを開けたままで自転車に乗って外へ出た。帰宅すると園芸用の小さいシャベル、花ばさみと小さい鍬が見当たらない。誰かのいたずらと思い、昨日、百円ショップに出かけてこの3点を購入する。ついでにと無患子でアクセサリーを作った際に購入したビーズ売り場を見る。以前はビーズは2種類しかなかった。ところが昨日は10種類以上のビーズが並ぶ。無患子をいただいた時、ブレスレットに完成したものももらった。これを真似てビーズを物色。同じものは無くても3種類の丸いビーズが入った袋がある。これを購入。

 百円ショップに出かける目的は近くのスーパーで現像した写真が午後5時に出来上がるとのこと。この時刻になるまで百円ショップで時間つぶしも兼ねる。絵のデッサン用にと頻繁に写真を撮っては現像している。

 夕飯後、以前のアクセサリーにした無患子をほどいてブレスレットにする。無患子を30個いただいている。もらった完成品をお手本にして9個の無患子とビーズ9個を輪にしていく。ビーズの色は3種類。薄いピンクとパープル、それにホワイト。写真ではほぼ似たような色だけど少しずつ色が異なる。まずはピンクから。一つ出来上がる度に一人で喜ぶ。なかなかいい!

 紐にするゴムテグノの結び方をネットで検索すると動画のアップがある。その通りにするときれいに仕上がる。こうして3種類のブレスレットが完成する。ところが3度目となると集中力に欠けるのか思うようにならない。ビーズが落ちたりして探してはゴムテクノに通していく。やっと3点完成すると日も暮れる。

 無患子の男性用の腕輪念珠をネットで見ると何と1万円以上もする。それくらい無患子は手に入らないということだろう。30個もいただいて、他にも完成品までもいただき本当に有難い。某会にはこれをつけて参加しよう。それはさていつ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月26日金曜日

『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』

 一年間にどのくらいコンサートや美術館に出かけるのだろう。コンサートは広響定演だけで年に10回ある。これに平和コンサートなど入れると広響だけで年に11,2回聞いている。これに他の気に入った演奏会を加えると20回くらいになるだろうか。もしかしてそれより多いかもしれない。音楽は小さい頃から好きだった。そのため聞きに行くことに対して何の違和感もない。ところが美術に関してはとっつき始めはかなりの無理があった。苦手意識が強いモノは無理してその環境に身を置かねばならない。そう思い始めてまず飛び込んだのは県立美術館友の会への入会。金銭を払っていればその元を取ろうとする貧乏根性が出る。そのこともあって美術館へ出かけるようになった。他にも友の会主催の美術講演会があると知れば好き嫌いの有無は別にして聞いている。

 運動もそうだ。子どものころから大人になるまで自転車、水泳など、人ができることができなかった。これじゃ、何を楽しみにして生きているのかわからない。そう思ってまずは自転車に挑戦。これは思い立ってから10年(?)経過してやっと36歳で乗れるようになった。こうやってできないことや知らないことがわかるようになるとさらにどん欲になる。ついには県外の博物館の友の会にも入ったりした。今は県外は脱会している。しかし、その後も旅気分で県外まで出かけて音楽や美術を楽しむ。その一つに2015年春に出かけた兵庫の美術館の堀文子展がある。

 先日『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』(堀文子)(堀文子 小学館、2017年)を読んだ。2015年春といえば日本画を習い始めて一年半後のことだ。自分で「これっ」と思うものにぶつかればかなりのぼせるタイプ。堀文子の展覧会と知って「おとなび」を利用して「行こう」と思った。昨日、楽譜を整理していて保存していた堀文子の展覧会ポスターを目にする。堀文子、やっぱり生き方が素晴らしい!

 以下は『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』からの抜粋。このなかの「死ぬと、私の生命は何かになると考えています。できれば私は木になりたいと思います。この世の生命体の中で一番厳粛で立派なのは、木と植物だと考えておりますから」。これは特にいい。これに影響されたのかそれともその思いが自分にもあるのか日本画で描くのは木や植物が多い。その他、ここに羅列したのはどれもいい。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ 老残の醜さを見せずに 
  地に帰る 
  落葉の素晴らしさは、
  年と共に私の心をゆさぶるのだ。

  秋の落葉の美しさには
  命の終わりの静けさがある。9p

★ 生涯を共にした気難しい日本画は私に雑念を抑え、考える事を教え、抑制と静謐な美を気付かせた。そして無私と集中を叩き込んでくれたのも、古風な日本画であった。38p

★ 死ぬと、私の生命は何かになると考えています。できれば私は木になりたいと思います。この世の生命体の中で一番厳粛で立派なのは、木と植物だと考えておりますから。78p

★ 行く先の決まった立派な道を剃れて、草木の茂るひなびた道を私はいつも好んで歩いていた。人里離れた道で出会った花や鳥や雪や霧がどれほど美しく私の心に残ったことか。淋しさや孤独は絵描きの目を美しいものに向けてくれる。80p

★ 私に必要なのは、ますます深まる生命の不思議を見つめる感性を研ぎ、日々の衰えを食い止めることなのだ。残り少なくなった私の日々は驚くこと、感動すること、只それだけが必要で、知識はいらない。89p

★ 息の絶えるまで感動していたい。96p

★ 体内に生命力が溢れる若いうちは自己主張に明け暮れ、自然に目を向ける余裕はない。年を重ね、若さにかげりの出始めた時、人は初めて周囲の自然に気付き、草木の生命が見えてくる。そして自然に寄りすがり、その力を借りなければ立ち行かなくなる日がやって来る。海へ、山へ、異国へと居を移したのは、そんな本能の促しもあったようだ。107p

★ 旅での感動は私の眠っていた脳細胞に新しい回路を復活させてくれるのです。112p

★ 私は、私の好きなように生きている。誰でもない私でありたかった。だって一回しか生きられないんだから。117p

★ 慣れない、
  群れない、
  頼らない。122p

★ 人間は結局一人なのです。友人は素晴らしいものですが、自分の人生は自分で決めるという孤独と向き合わなくてはいけないものだと思います。124p

★ 好きな事を追い、嫌いな事を寄せつけない毎日をやっと手に入れた今の自分が面白くてならない。好きと嫌いを堂々と人前にさらす勇気を手に入れるまで、なんと長い年月がかかったか。それを見詰めるまで長らえた吾が命も捨てたものではないと思っている。125p

★ ひとりがいいです。歳をとっても不便でも、親を背負って飛んでいるスズメなんて見たことありますか。生物はその時が来れば黙って去っていく。私もいずれ、その時を、初体験するのだと覚悟しております。137p

★ 年を経るごとにわからないことが増えていきます。それだけに生きているのが楽しい。知る喜びがたくさん残されているということですから。140p

★ ひとり身の自由を背負い、風狂の旅人となり老年を歩き続けている。142p

★ 美しいと思ったのに、自分が一度も描いていないのは虹です。最後に虹を描いて、「虹の橋を渡ってあの世に行きます」と言っております。165p

2018年1月25日木曜日

♪哀愁列車♪から

 今朝はうっすらと雪景色。ゴミ出しから1時間後に外を見ると雪は解けている。しかし、粉雪が宙を舞う。FMから流れる曲は「哀愁列車」。「なぜこの曲が?」と思わずにおれない。母を看ていた時、いきなり大きな声でこの曲を歌いだしたことがある。「何で歌うん?」と聞くと少しは認知があったのだろうか、歌をやめようとしない。歌うといっても口ずさむのではなく力いっぱい大声で歌い続ける。ある時は「炭坑節」だった。

 夜になっても歌い続ける時があった。一緒に寝ようとしても大きな声なので寝られない。幸いその時は夏だったので身軽に2階に上がって寝たこともあった。今思えば、歌が歌えたということは声が出ていたことになる。これも2,3日くらいで歌わなくなり静かな毎日となった。静かな毎日は母が声を発しない毎日になるとは…。亡くなる一年前に話ができなくなった。「どうして話をせんのん?」と聞くと「声が出んのんよ」と言っていた。95歳の母。今思うと軽い脳梗塞を発症していたのかもしれない。ガンで亡くなる人は最期まで話ができるようだ。その点、母との最期の会話は思い出せない。

 朝から暗い話になった。亡くなる前の2年間ほど、母のことを以前のブログでアップしていた。しかし、母が衰弱して亡くなるまでの様子を今は記憶のなかだけに留め、ブログを再度読み返す気力はない。ということで以前のブログは非公開。それを見れば母とのことも今の記憶よりはっきりするかもしれないが…。

 日差しが出てきた。気分をかえよう。昨日に続いて再度ショパンの「nocturne」。ショパンのノクターンといえば以前にさらった「遺作20番」がある。ということは全部で20曲?、そう思ってネットで検索すると21曲とある。今さらっている曲を含めて手元に3曲の楽譜がある。以前のと手元にある楽譜をさらうと4曲になる。ショパンの曲は元はピアノ曲。それをフルート用にアレンジした楽譜もいろいろある。そのためか、この曲をフルートで演奏する動画はそれぞれ楽譜が異なる。
http://www10.plala.or.jp/frederic3/work/nocturne.html (参照)


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!