春場所優勝の稀勢の里。怪我をこらえて本割りと優勝決定戦で照ノ富士に勝つ。本当に良かった!テレビ中継はヒーローインタビューを待たずに終わる。それならばとラジオに切り替えて放送を聞く。インタビュアーも全国の大相撲ファンも稀勢の里の喜びの声をもらい泣きして聞いただろう。稀勢の里はインタビューで「何か見えない力を感じた15日間だった」と話す。ともあれ、稀勢の里の優勝は本人の力が相手を上回ったことに変わりはない。優勝おめでとう!
昨日は相撲のほかに午後からフルートの点検に出かける。その前に美術館へ行って「ランス美術館展 華麗なるフランス絵画」を見る。ランス美術館の所蔵作品と共に、ランスで洗礼を受けた藤田嗣治(レオナール・フジタ)がこの地に自ら作った礼拝堂に描いた壁画の素描などの作品の展示もあった。ピサロ、シスレー、ゴーギャン、ブーダンは知っていても他は聞いたことがない作家の作品が並ぶ。油絵に疎いがどの作品も抽象画でなくて見ていてわかりやすい。
フルートのクリニック、今年で20回以上は受けている。昨日は点検してもらいながら馬鹿なことを係りに尋ねる。点検中も係りはフルートの音を出して音の出る音色を確かめる。「フルートを習ったのが先か、フルートの技術が先か」を尋ねるとフルートを習ってから技術に入られたそうだ。というのも点検中に試しに吹かれる音色が素晴らしい。もちろんフルートは誰でもすぐにはいい音は出せない。技術だけでなくフルートを吹かれてもきっと上手だろう。
ともあれ、1年後の点検まで毎日フルートを吹く。点検前も点検後もその違いは素人には分からない。だが、プロの人はフルートを短時間で分解したりして点検してくださる。本当に有難い。
2017年3月27日月曜日
2017年3月26日日曜日
旅行会社etc.
昨日は甲子園の地元選出の高校野球、カープのオープン戦、大相撲の稀勢の里といろいろと残念な日となった。残念なことは他にもネット上をにぎわす某旅行会社の詐欺まがいのニュースがある。http://news.yahoo.co.jp/pickup/6234341 (参照)この社は一度も利用したことはないがこういうことが起きると大手の旅行会社が安心できる。
初めての海外旅行は何もわからずに行き先、日付、料金の安さにつられて旅をした。その旅行会社はもう今はない。2回目の旅行会社は他の会社と合併。3度目はすぐには思い出せない。それでも出かけた日付と行き先と旅行会社はメモしている。この頃は個人的な旅では大手旅行会社の利用が多い。年に一度、某会で行く旅行はそれ専門の旅行会社だが…。
せっかくの楽しい旅が旅行会社の倒産などで突然行かれなくなる。行くものにとっては悲劇という以外に何もない。こうなると少々費用が高くても大手の旅行会社を保険と思って利用するに限る!?
今朝の地元紙のKIDS「あそび」欄にスケッチの仕方がある。これは子どもと言わず大人でも十分参考になる。というのも、日本画家の先生によるスケッチの方法が書いてある。絵のモチーフは水仙。ガラスの花瓶に3本水仙を活けてスケッチしている。我が家の庭に今まさに水仙が咲いている。先日切り取って花瓶に活けた。1週間近く経過しても花はしおれていない。庭の水仙が今週末の教室の日まで咲いていればスケッチしよう。それには今朝の新聞が参考になるかも…。
初めての海外旅行は何もわからずに行き先、日付、料金の安さにつられて旅をした。その旅行会社はもう今はない。2回目の旅行会社は他の会社と合併。3度目はすぐには思い出せない。それでも出かけた日付と行き先と旅行会社はメモしている。この頃は個人的な旅では大手旅行会社の利用が多い。年に一度、某会で行く旅行はそれ専門の旅行会社だが…。
せっかくの楽しい旅が旅行会社の倒産などで突然行かれなくなる。行くものにとっては悲劇という以外に何もない。こうなると少々費用が高くても大手の旅行会社を保険と思って利用するに限る!?
今朝の地元紙のKIDS「あそび」欄にスケッチの仕方がある。これは子どもと言わず大人でも十分参考になる。というのも、日本画家の先生によるスケッチの方法が書いてある。絵のモチーフは水仙。ガラスの花瓶に3本水仙を活けてスケッチしている。我が家の庭に今まさに水仙が咲いている。先日切り取って花瓶に活けた。1週間近く経過しても花はしおれていない。庭の水仙が今週末の教室の日まで咲いていればスケッチしよう。それには今朝の新聞が参考になるかも…。
2017年3月25日土曜日
『「ひとり」の哲学』
「一人暮らしの80代女性、1億円だまし取られる 広島」の新聞の見出し記事。実際に読んだのは地元紙。これを読んで思った。80代になってこれほどの貯えがあれば何も働かなくてものんびり暮らせば…と。この記事を見て騙された云々よりも人の生き方に関心を持った。80代になって1億円以上の大金を持ち、それでもまだパートで働く。これに驚く。これも人それぞれの生き方。外野がとやかく言えない。それにしても1億円も貯えている人は皆さん、働いて得たからこそお金持ち!?
http://www.asahi.com/articles/ASK3Q5QP9K3QPITB01B.html (参照)
もしも1億円あれば、いやその半分でもいい。もしかしてお金持ちはお金を貯めるのが趣味!?年金生活者としていわせてもらえば「何もそんなにあくせくしなくても人生楽しみましょう」。元気で楽しく生きていれば何とかなる。そう思っている。
「人生楽しく」をモットーとしていても昨日は相変わらず鼻水と格闘して楽しくない。図書館へ行っても集中力ゼロ。これじゃ、人に迷惑がかかる。プールへ行くのも今一歩躊躇う。ちょっとした気の緩みが…。仕方なく家で本を読む。読んだのは『「ひとり」の哲学』(山折哲雄 新潮社、2016年)。
著者は次のように書いている。
このような文章を書きはじめるにあたって「ひとり」の主題を掲げたのは、「ひとり暮らし」の話題が政治の側や社会の側からやかましくいわれるようになったからだった。それと並んで、少子高齢化や限界集落の危機がとりざたされるようになったからでもある。その「ひとり暮らし」の風景がいかにみじめな姿で報道され、独居老人たちの、わびしい孤独な生活ぶりのイメージがいつのまにかふくれあがり定着していった。「待てよ」と思った。「ひとり」とは、そんなにみじめな人間の姿だったのかと、怒りの魂がのど元をつきあげてきたのだ。166p
終章でこう述べる。
夏目漱石の『吾輩は猫である』の「吾輩」は、けっしてたんなる「個」を指すのでも「個人」を表すものでもないだろう。やはり容易には分割したり解体したりすることのできない「ひとり」の側に立つ人間(いや、猫)のことをいっているからだ。同じように西田幾太郎のいう「絶対矛盾的自己同一」の「自己」も、それこそ、絶対に分割することのできない「ひとり」の居場所を指し示していることはいうまでもないのである。
ひとりで立つのは、決して孤立したまま群衆の中にまぎれこむことではない、無量の同胞の中で、その体熱に包まれて生きるのである。
ひとりで立つのは、太古から伝わるこの国の風土、その山河の中で、深く呼吸して生きるのである。
ひとりで立つのは、垂直に広がる天地の軸を背景に、その中心におのれの魂を刻みこんで生きるのである。
混沌の深みから秩序の世界を見渡し、ひるがえって秩序の高みから混沌の闇に突入する気概をもって生きるのである。
その終わりのない「こころ」のたたかいかいの中から、「ひとり」の哲学はおのずから蘇ってくるはずである。
そのときはじめて、われわれ人間同士の本質的な関係が回復されるに違いないと、私は思っているのである。232-233p
著者もひとり暮らしらしい。先日の旅の添乗員は以前に出かけた旅で84歳の男性が参加されてお元気に楽しく旅をされたという。この著者のいうように「ひとり」とはみじめな人間の姿ではない。結構「ひとり」も楽しく生きている。
それにしてもこの本の最後の文が微笑ましい。
噛んで飲んで食べながら、チビリチビリ飲む。
夜九時を過ぎるころになれば、ひとり酒も終焉を迎える。
深沈とした夜の闇が、からだの中に溶け込んでくる。
さあ、これから死ぬか、
と掛け声をかけ、そのままベッドにころがりこむ。(あとがきにかえて)
http://www.asahi.com/articles/ASK3Q5QP9K3QPITB01B.html (参照)
もしも1億円あれば、いやその半分でもいい。もしかしてお金持ちはお金を貯めるのが趣味!?年金生活者としていわせてもらえば「何もそんなにあくせくしなくても人生楽しみましょう」。元気で楽しく生きていれば何とかなる。そう思っている。
「人生楽しく」をモットーとしていても昨日は相変わらず鼻水と格闘して楽しくない。図書館へ行っても集中力ゼロ。これじゃ、人に迷惑がかかる。プールへ行くのも今一歩躊躇う。ちょっとした気の緩みが…。仕方なく家で本を読む。読んだのは『「ひとり」の哲学』(山折哲雄 新潮社、2016年)。
著者は次のように書いている。
このような文章を書きはじめるにあたって「ひとり」の主題を掲げたのは、「ひとり暮らし」の話題が政治の側や社会の側からやかましくいわれるようになったからだった。それと並んで、少子高齢化や限界集落の危機がとりざたされるようになったからでもある。その「ひとり暮らし」の風景がいかにみじめな姿で報道され、独居老人たちの、わびしい孤独な生活ぶりのイメージがいつのまにかふくれあがり定着していった。「待てよ」と思った。「ひとり」とは、そんなにみじめな人間の姿だったのかと、怒りの魂がのど元をつきあげてきたのだ。166p
終章でこう述べる。
夏目漱石の『吾輩は猫である』の「吾輩」は、けっしてたんなる「個」を指すのでも「個人」を表すものでもないだろう。やはり容易には分割したり解体したりすることのできない「ひとり」の側に立つ人間(いや、猫)のことをいっているからだ。同じように西田幾太郎のいう「絶対矛盾的自己同一」の「自己」も、それこそ、絶対に分割することのできない「ひとり」の居場所を指し示していることはいうまでもないのである。
ひとりで立つのは、決して孤立したまま群衆の中にまぎれこむことではない、無量の同胞の中で、その体熱に包まれて生きるのである。
ひとりで立つのは、太古から伝わるこの国の風土、その山河の中で、深く呼吸して生きるのである。
ひとりで立つのは、垂直に広がる天地の軸を背景に、その中心におのれの魂を刻みこんで生きるのである。
混沌の深みから秩序の世界を見渡し、ひるがえって秩序の高みから混沌の闇に突入する気概をもって生きるのである。
その終わりのない「こころ」のたたかいかいの中から、「ひとり」の哲学はおのずから蘇ってくるはずである。
そのときはじめて、われわれ人間同士の本質的な関係が回復されるに違いないと、私は思っているのである。232-233p
著者もひとり暮らしらしい。先日の旅の添乗員は以前に出かけた旅で84歳の男性が参加されてお元気に楽しく旅をされたという。この著者のいうように「ひとり」とはみじめな人間の姿ではない。結構「ひとり」も楽しく生きている。
それにしてもこの本の最後の文が微笑ましい。
噛んで飲んで食べながら、チビリチビリ飲む。
夜九時を過ぎるころになれば、ひとり酒も終焉を迎える。
深沈とした夜の闇が、からだの中に溶け込んでくる。
さあ、これから死ぬか、
と掛け声をかけ、そのままベッドにころがりこむ。(あとがきにかえて)
2017年3月24日金曜日
『私の夫はマサイ戦士』
今回の旅の添乗員に聞いた本を早速図書館で借りて読む。それはケニアのマサイ族の第二婦人になった日本人女性のお話。添乗員仲間の先輩であるこの本の著者は永松真紀。添乗員と屋久島の旅の間、宿の食事場所が隣の席ということもあっていろんなお話をした。そのうちの一つがこの本。詳しくは聞いていなかったので家に帰ってネットで検索して著者の名前を知る。
今年の1月、著者はケニアを離れてパラオで仕事をする。その隙をねらって添乗員仲間数人でパラオの先輩を訪ねている。その時の写真をスマホで見せてもらったので著者の顔はわかる。本のタイトルは『私の夫はマサイ戦士』で読んだのは文庫本版。21歳で添乗員派遣の会社に登録し、著者の添乗員人生が始まる。すべての添乗員がこの人のような生き方だったとしたらこの本は誰からも読まれないだろう。それくらい人並み外れた添乗員人生。海外添乗で仕事に関わる男性に親切にされるとすぐにのぼせてしまう人のようだ。
マサイ族の第二婦人になる前に何人かと意気投合し、結婚して離婚、共に生活して離れたり…が繰り返される。その結果が第二婦人。これは「はじめに」に書いている。
著者の両親は目立ちたがり屋。娘である著者も目立ちたがり屋だったそうだ。地方のテレビに出てスイス旅行をゲットしたことが著者の旅の始まりだった。
マサイの夫との間には子供はいない。やはり日本とは全くかけ離れた未開の地で子供を産むのをためらったのか。生んだとしても自身が生きていくためには添乗の仕事は止められない。現金を得る術をマサイは持っていない。すべては夫に頼らず自分の力で生きていくしかない。
マサイを知ってもらうためにも…の思いからか夫を日本に連れて来て講演活動もしている。それにしても読んでいて不思議な世界に誘われる。いくら辺境の地が好きでも到底真似はできそうにない。誰もができないからこそ本になる。
読み終えてふと思う。歳を重ねたときはどうするのだろうか。そんな先のことを考えてはマサイでは生きてはいけない!?著者のこれからの人生が知りたくなる。著者のブログをネットで見つけた。時々アップがある。
旅に出ると直接の知り合いでなくてもいろんな人との出会いがある。これも旅の良さだろう。それにしてもマサイの第二婦人の生き方と比べるとなんと我が人生、平々凡々としていることだろう。逆に一人で生きてることのほうが非凡!?今回の旅は添乗員をはじめとしてほとんどがおひとり様だった。
今年の1月、著者はケニアを離れてパラオで仕事をする。その隙をねらって添乗員仲間数人でパラオの先輩を訪ねている。その時の写真をスマホで見せてもらったので著者の顔はわかる。本のタイトルは『私の夫はマサイ戦士』で読んだのは文庫本版。21歳で添乗員派遣の会社に登録し、著者の添乗員人生が始まる。すべての添乗員がこの人のような生き方だったとしたらこの本は誰からも読まれないだろう。それくらい人並み外れた添乗員人生。海外添乗で仕事に関わる男性に親切にされるとすぐにのぼせてしまう人のようだ。
マサイ族の第二婦人になる前に何人かと意気投合し、結婚して離婚、共に生活して離れたり…が繰り返される。その結果が第二婦人。これは「はじめに」に書いている。
著者の両親は目立ちたがり屋。娘である著者も目立ちたがり屋だったそうだ。地方のテレビに出てスイス旅行をゲットしたことが著者の旅の始まりだった。
マサイの夫との間には子供はいない。やはり日本とは全くかけ離れた未開の地で子供を産むのをためらったのか。生んだとしても自身が生きていくためには添乗の仕事は止められない。現金を得る術をマサイは持っていない。すべては夫に頼らず自分の力で生きていくしかない。
マサイを知ってもらうためにも…の思いからか夫を日本に連れて来て講演活動もしている。それにしても読んでいて不思議な世界に誘われる。いくら辺境の地が好きでも到底真似はできそうにない。誰もができないからこそ本になる。
読み終えてふと思う。歳を重ねたときはどうするのだろうか。そんな先のことを考えてはマサイでは生きてはいけない!?著者のこれからの人生が知りたくなる。著者のブログをネットで見つけた。時々アップがある。
旅に出ると直接の知り合いでなくてもいろんな人との出会いがある。これも旅の良さだろう。それにしてもマサイの第二婦人の生き方と比べるとなんと我が人生、平々凡々としていることだろう。逆に一人で生きてることのほうが非凡!?今回の旅は添乗員をはじめとしてほとんどがおひとり様だった。
2017年3月23日木曜日
お彼岸前後
一昨日、お寺へ春のお彼岸法要の塔婆を一日遅れで取りに行く。昨日はそれをもってお墓へ参る。お墓に参るのは嫌ではない。ところが我が家と関係あるお寺へ参るのは抵抗がある。それでもお墓の後ろに立てかけている古い塔婆2本をもって再度、お寺へ出向く。古い塔婆はお寺で処分される。
今朝、ふと思った。親を介護している時は我が人生で一番頑張った時期。まだ数年前のことなのに塔婆を受け取りに年3度(春・秋のお彼岸とお盆)もお寺へ行っていたのだろうか。塔婆は長すぎて自転車に持って乗れない。時間に追われた7年の日々。今ではお寺に関するこういったことを全く覚えていない。ただ、親を介護していた時、毎月参ってくださる父の月参りは介護優先でお寺に断りをお願いした。まずは生きているものが優先。そう思った。この判断は正しかった。もしも今でも月参りにお寺さんが来られるとしたらその方が優先して遊ぶことさえできなくなる。
お彼岸がくるたび、こういったことで罪作りなことよ、と思ってしまう。それでもやっぱり生きている本人が優先となる。これこそが罪作り?まあ、これも神様、仏様に大目に見てもらうことにしよう。
話は変わって昨夜のNHKの八丈島への旅番組。先日出かけた屋久島の旅の添乗員は八丈島の良さを教えてくれた。福岡空港から羽田、羽田から八丈島へは1時間のフライトだそうだ。のんびりしていいですよと話していた。何度か添乗したらしい。話を聞いていてまだまだ日本で行っていないところがたくさんあると気づく。もちろん八丈島も行ったことがない。
八丈島も屋久島同様、トビウオが有名らしい。このトビウオ、屋久島の旬はこれからで、刺身では食べず、焼いたり、揚げ物だったり、さつま揚げにしたりしていただいた。ところが八丈島では今が旬で、トビウオ一匹そのままをお刺身にして食べていた。魚はやっぱり生がいい。テレビを見ていてさぞかしトビウオのお刺身は美味しいだろうと思えてくる。
それにしても屋久島で食べたトビウオ。3度の食事に出てくる。それも大きな鯵くらいの大きさのトビウオが丸ごと一匹出る。他にもトビウオ尽くしで食卓に並ぶ。美味しい。それも4日も続くと、飽きてくる。我ながらなんと贅沢なことだろうとあきれる。
今朝は隣接する小学校の樹木から鶯の鳴き声を今春初めて聞く。某会の人のHPに鳥の鳴き声を「ぐぜり」と表現されている。この言葉もHPで初めて知る。お彼岸の時季も過ぎると本格的な春になり、鳥の鳴き声も頻繁に聞くことができるだろう。このお彼岸、「暑さ寒さも彼岸まで」、と季節の変わり目にも使われる。そしてあの世とこの世の境目にも使われる。誰がつくった言葉なのかお彼岸とはよく言ったものだ。
今朝、ふと思った。親を介護している時は我が人生で一番頑張った時期。まだ数年前のことなのに塔婆を受け取りに年3度(春・秋のお彼岸とお盆)もお寺へ行っていたのだろうか。塔婆は長すぎて自転車に持って乗れない。時間に追われた7年の日々。今ではお寺に関するこういったことを全く覚えていない。ただ、親を介護していた時、毎月参ってくださる父の月参りは介護優先でお寺に断りをお願いした。まずは生きているものが優先。そう思った。この判断は正しかった。もしも今でも月参りにお寺さんが来られるとしたらその方が優先して遊ぶことさえできなくなる。
お彼岸がくるたび、こういったことで罪作りなことよ、と思ってしまう。それでもやっぱり生きている本人が優先となる。これこそが罪作り?まあ、これも神様、仏様に大目に見てもらうことにしよう。
話は変わって昨夜のNHKの八丈島への旅番組。先日出かけた屋久島の旅の添乗員は八丈島の良さを教えてくれた。福岡空港から羽田、羽田から八丈島へは1時間のフライトだそうだ。のんびりしていいですよと話していた。何度か添乗したらしい。話を聞いていてまだまだ日本で行っていないところがたくさんあると気づく。もちろん八丈島も行ったことがない。
八丈島も屋久島同様、トビウオが有名らしい。このトビウオ、屋久島の旬はこれからで、刺身では食べず、焼いたり、揚げ物だったり、さつま揚げにしたりしていただいた。ところが八丈島では今が旬で、トビウオ一匹そのままをお刺身にして食べていた。魚はやっぱり生がいい。テレビを見ていてさぞかしトビウオのお刺身は美味しいだろうと思えてくる。
それにしても屋久島で食べたトビウオ。3度の食事に出てくる。それも大きな鯵くらいの大きさのトビウオが丸ごと一匹出る。他にもトビウオ尽くしで食卓に並ぶ。美味しい。それも4日も続くと、飽きてくる。我ながらなんと贅沢なことだろうとあきれる。
今朝は隣接する小学校の樹木から鶯の鳴き声を今春初めて聞く。某会の人のHPに鳥の鳴き声を「ぐぜり」と表現されている。この言葉もHPで初めて知る。お彼岸の時季も過ぎると本格的な春になり、鳥の鳴き声も頻繁に聞くことができるだろう。このお彼岸、「暑さ寒さも彼岸まで」、と季節の変わり目にも使われる。そしてあの世とこの世の境目にも使われる。誰がつくった言葉なのかお彼岸とはよく言ったものだ。
2017年3月22日水曜日
「42~世界を変えた男~」
映画館で映画を見ることは年に一回もない。映画嫌いが昨夜は番組タイトルに惹かれてBSシネマの「42~世界を変えた男~」を見る。何を変えたのかと思ったらアメリカのプロ野球の世界を変えた男の伝記映画だった。映画の主人公のジャック・ロビンソンは聞いたことがある。黒人初のメジャーリーガーとなり「ニガー、ニガー」と相手チームの監督から侮辱的なヤジを飛ばされる。さらには相手投手からは何度も頭にデッドボールを投げられる。そしてチーム仲間からは肌の色の違う人種とはともに戦えないと嘆願書を集めて球団に出す。
様々な悔しさを押し殺し、ロビンソンはリーグ優勝へと貢献。嘆願書を出した人はトレードに出され、相手監督はその後に監督の職を辞す。メジャーリーグ・ロジャースに誘ってくれたスカウトになぜ自分のような黒人を誘ったかを尋ねる。スカウトは以前に黒人選手を救えなかった事実を公表。その償いからスカウトしたことを告げる。
ロビンソンの背番号42は今もアメリカ野球界では永久欠番だという。それくらい野球の世界を変えた男だった。今朝は今まさに日本はアメリカとWBC世界一をかけて戦っている。アメリカの野球界で映画のような話があったと知っただけでも映画を見てよかった。
話は変わって昨日のフルートのレッスン。♪春よ、来い!♪をさらう。テンポが♫で80と早い。69で練習している。もっと早く吹けるように練習しよう。それと装飾音も練習、練習。
様々な悔しさを押し殺し、ロビンソンはリーグ優勝へと貢献。嘆願書を出した人はトレードに出され、相手監督はその後に監督の職を辞す。メジャーリーグ・ロジャースに誘ってくれたスカウトになぜ自分のような黒人を誘ったかを尋ねる。スカウトは以前に黒人選手を救えなかった事実を公表。その償いからスカウトしたことを告げる。
ロビンソンの背番号42は今もアメリカ野球界では永久欠番だという。それくらい野球の世界を変えた男だった。今朝は今まさに日本はアメリカとWBC世界一をかけて戦っている。アメリカの野球界で映画のような話があったと知っただけでも映画を見てよかった。
話は変わって昨日のフルートのレッスン。♪春よ、来い!♪をさらう。テンポが♫で80と早い。69で練習している。もっと早く吹けるように練習しよう。それと装飾音も練習、練習。
2017年3月21日火曜日
時は待ってくれる!?
四日間の旅の間、宿泊先は同じ宿で久しぶりの日本旅館。食事は3度の和食。旅の初日から珈琲に飢えてくる。初日の夕食は移動日のため飢えていたので全部食べた。これは良くないとわかっていても出されたものは美味しくいただく。三日目くらいからこれでは体に悪いと気づきだす。それでも残すのもどうかと考えても食べてしまう。屋久島はトビウオ(あご)で有名。そのため3度の食事に「あご」が出る。それも広島で食べるのと違って魚が大きい。
ナニゴトも飽和状態になるとけだるさを覚える。四日目ともなるといくら魚好きでも「もうええよ」状態。家に帰ってもまだ飽和状態。服を着た状態で、体重計で測ると人生初の50キロオーバー。早く元の状態に戻そう。豚になるのはやっぱり食べる量、と今更ながらそう思う。とはいっても半端なく山を歩いた。それでも食べる量が平生の2・5倍は食べている。当分、グルメは要らない。
話は変わって昨夜のBS、100年インタビューを見る。小田和正がインタビューされる人。インタビュアーはNHKのアナウンサー。小田はお爺さんが子供に語り掛けるように親しみを込めて優しく話す。「3連符、わかる?」など、音楽用語を使って話す。見ていてこの人の話し方に関心を抱く。まるで哲学を語るような話し方だ。頭がいい人なのだろう。そして自分自身を良く見つめている。
どんなことを始めるにもかける言葉は「楽しくやりましょう!」だそうだ。この底辺には共通して楽しみを分かち合うことにあるらしい。「同じ感覚を持った人とつながりたい」という。このキーワード、凄くわかる。旅で知り合う人や習い物で知り合う人ともそのことに尽きるのかもしれない。ほかにも「時は待ってくれない」のではなく「時は待ってくれる」という。それは「何かを一生懸命やると思ってスタートすることが大事」らしい。そして「やりたいことを頑張っている人」には「時は待ってくれる」という。「夢を追いかける人には時は待ってくれる」そうだ。この番組タイトルは「100年インタビュー『時は待ってくれない』ゲスト小田和正」。番組を見てコンサートを聞きに行きたくなった。だが、チケットが問題。簡単には入手できそうにない。
ナニゴトも飽和状態になるとけだるさを覚える。四日目ともなるといくら魚好きでも「もうええよ」状態。家に帰ってもまだ飽和状態。服を着た状態で、体重計で測ると人生初の50キロオーバー。早く元の状態に戻そう。豚になるのはやっぱり食べる量、と今更ながらそう思う。とはいっても半端なく山を歩いた。それでも食べる量が平生の2・5倍は食べている。当分、グルメは要らない。
話は変わって昨夜のBS、100年インタビューを見る。小田和正がインタビューされる人。インタビュアーはNHKのアナウンサー。小田はお爺さんが子供に語り掛けるように親しみを込めて優しく話す。「3連符、わかる?」など、音楽用語を使って話す。見ていてこの人の話し方に関心を抱く。まるで哲学を語るような話し方だ。頭がいい人なのだろう。そして自分自身を良く見つめている。
どんなことを始めるにもかける言葉は「楽しくやりましょう!」だそうだ。この底辺には共通して楽しみを分かち合うことにあるらしい。「同じ感覚を持った人とつながりたい」という。このキーワード、凄くわかる。旅で知り合う人や習い物で知り合う人ともそのことに尽きるのかもしれない。ほかにも「時は待ってくれない」のではなく「時は待ってくれる」という。それは「何かを一生懸命やると思ってスタートすることが大事」らしい。そして「やりたいことを頑張っている人」には「時は待ってくれる」という。「夢を追いかける人には時は待ってくれる」そうだ。この番組タイトルは「100年インタビュー『時は待ってくれない』ゲスト小田和正」。番組を見てコンサートを聞きに行きたくなった。だが、チケットが問題。簡単には入手できそうにない。
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