2023年11月7日火曜日

ラジカセの出番!?

 今朝はこれぞ秋晴れ!というようないいお天気だ。雨も上がった。長年愛用しているトランジスタラジオ。一か所壊れかけている。それはアンテナを兼ねた一本の細い線。ラジオは聞けるが買い替えを、と思ったり。と同時にラジオはラジカセで聞けば、とも思った。ラジカセは母がいたころはずっとつけていた。ところがその必要もなくなり使わなくなった。それでも以前はCDなど聞いたりしたが今ではそれもない。音楽を聴くのは手っ取り早くパソコンやスマホのYOU TUBEで聞く。

 昨日、何を思ったか眠らせているCDラジカセをパソコンのそばに移動した。移動するというたったそれだけのことなのに長い月日がかかった。ラジカセでFMを聞くと小さいトランジスタと違って音もまろやかに聞こえる。なぜ早くラジカセを手もとに、としきりに悔やむ。といってもちょっとしたことをやらないことはよくある。それもすべてはそのこと自体をそれほど必要としないことにあるのかもしれない。

 昨日 、某会の忘年会の知らせがハガキで届く。某会での忘年会はもしかしたら4年ぶり!?コロナ禍で忘年会など皆での食事会はほぼなかった。

 ネットによると忘年会も年々廃れているとか。職場を離れて20余年も経つと忘年会の出席も少なくなる。視力がよくないので夜は外へ出ない、と決めていた。しかし忘年会は夜にある。この時ばかりは夜であっても出席しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追伸)12月初めに行われる忘年会。この日はもともと、ツアーに参加を決めていた。が、そのツアーは何かを感じて先月末に変更して出かけた。今思うと旅を変更したのは幸いだった。

2023年11月6日月曜日

「したくないことははっきりと断る」

 今朝、ブログを投稿しようと思った。と、その前にパソコンを立ち上げてネット記事を見ると今の心境に当てはまる記事があった。それは「一度きりの人生、思うままに生きていい。鎌田實さんがすすめる『ちょうどいいわがまま』な生き方とは?」である。それは「したくないことははっきりと断る」。しかし、NO,というのは難しい。それでも意を決してNOといったことで最終的に好結果に結びつくこともあるとか。人生長いようで短い。かぎられた時間を年長者こそわがままに生きてもいいらしい。

 自分の意に適わない生き方をしているとそれがストレスとなり病気になる元になるかもしれない。それよりも思うように生きたい。今のところ元気。これを維持するためにも意のままに生きたい。今朝は電子辞書で「意」に関する項目を調べた。自分が使っている意味とは違うと知った言葉もあった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月5日日曜日

『街道をゆく』(34)「中津・宇佐のみち」

 昨日は日本画教室の日。睡蓮を描いている。今朝は寝すぎて文が思いつかない。ずっと前に読んだ『街道をゆく』(34)「中津・宇佐のみち」(司馬遼太郎 文藝春秋、1997年第3刷)から気になる箇所を記そう。宇佐や中津はこの秋、行こうと思っていた。が、12月のツアーを10月末に変えたので宇佐へは行きそびれた。いつか必ず行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★もともと八幡神は、古代、豊の国(豊前と豊後。今の大分県)から興った。豊の国のなかでも、豊前にあり、いまの中津市とそのとなりの宇佐市がこの神の故郷である。(198p)

★中津のとなりの宇佐市に大いなる神域を占める宇佐神宮(宇佐八幡宮)の最大の宗教行事は、神職たちが薦神社の池にやってきて真薦を刈ることである。刈られた薦は宗教上の手順をへて、これで枕がつくられるのである。その枕が宇佐神宮のご神体(御験・みしるしとも神座・かみくらともいう)とされ、八つの神社を巡幸するのである。行事は六年に一度だという。真薦生(お)うる池といい、薦枕(薦枕)と言い、ことごとく古代の風が吹きわたっている。音楽までがきこえてきそうである。(207p)

★目の前に大きく池がひろがっている。神格のようにも、人格にもうけとれる。もしこの家のような人格の人にめぐりあえれば、生涯の幸いにちがいない。……この池は、三角池(みすみいけ)、三角ヶ池、御澄(みすみ)池などと表記されるが、さほどにいい漢字ではなく、どうして漢字以前の古代人のように、「みすみが池」と、表音式に書かないのだろう。平安朝以後の神社は、社僧とよばれる僧侶たちの影響なのか、ひらがな蔑視で漢字をやたらと用いすぎる。伊勢神宮の行事の名称にもその弊があって、”おはらい”を”修祓”(しゅうばつ)などと書く。「こも神社」と、表音文字で書けば、古代以来のにおいがいっそうするとおもうのだが。(215p)

★私どもは、宇佐神宮の杜にいたった。まことに雄大な神聖森林で、まわりは堀にかこまれている。表参道をとおり、堀を見、かつ朱塗りの橋をわたると、大いなる朱塗りの鳥居の前に出た。くぐると、池がある。この神は、池を好むのである。薦神社のご神体が池であることを思いあわせたい。池は、いうまでもなく、農業用の用水池を象徴するもので、築堤能力をもつ秦氏の氏族的象徴でもあったろう。(243p)

★春宮同(とうぐうどう)という摂社のそばから林のなかに入った。林のなかは印象派絵画の世界だった。あのころの画家たちは、光を印象づけるために影を淡く紫色でえがいたのだが、この細長い林のなかは、それを証明するように落葉の一枚ずつが無数の紫の影をつくっていて、上からの木漏れ日のなかで輝いたり、ゆらめいたりしている。(253p)

★「登るか」自分に言いきかせて、のぼった。頂上は、朱と黄であふれていた。屋根は黒っぽい茶の檜皮でふかれている。建物のほうは朱塗りで、黄金の金具が打たれ、樋までが、黄金であることにおどろかされる。「宇佐の黄金樋(きんとい)」というのは、神社建築のなかでも、聞こえたものであるらしい。(253p)

★本宮を辞し。こんどは若宮坂の石段をくだることにした。坂は、イチイガシやクスの原生林のなかにあって、じつに気分がいい。柱の標柱をみると、この神宮はこの森のことを、「社叢」とよび、国指定の天然記念物の標柱を立てている。(258p)

★城下町には、寺町がある。中津にもある。もともと寺町は織豊時代の城下町づくりの一特徴で、いざ籠城というときの防衛線にするために、寺々を一ケ所にあつめておいたらしい。合元寺(ごうがんじ)がある。建物の塗もあわない。、塗塀も赤い。「赤壁(あかべい)」というのは一般的に印象的なもので、中国の宋・元のころの寺に多く、江戸期の長崎でたてられた中国ふうの寺も、赤壁である。日本人の好みでいうと、赤壁はかならずしもあわない。(277p)

★長政は、城にやってきた鎮房に酒食を供し、そのさなかににわかに殺した。また合元寺で待たせてあった鎮房の手勢については軍政をさしむけ、みなごろしにした。その血しぶきのあとが壁のあちこちにのこり、事件後、幾度塗りなおしてもなおあらわれるので、寺ではついに赤壁にした、というのが、合元寺伝説である。(285p)

★私どもは、福沢旧居にいる。……中津の家中は千五百人で、厳格に格づけされ、ペットの店で鳥獣が種類ごとに棚檻に入れられているように同身分のなかで跼蹐(きょくせき)し、婚姻縁組なども身分をこえることはなかった。(331p)

★私はこれを見てもそばから一人立腹して泣いたことがある。後年、かれが『学問のすゝめ』の冒頭に、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と書いたのは、万感がこめられているといっていい。右(ここでは上)の場合も、家老の不条理をみて、憤るだけでなく泣いたというのは、かれが、天成、独立自尊の性格だったことを思わせる。(333p)

2023年11月4日土曜日

グラナドスのアンダルーサ

 「陸海空 絶景全部見せます!世界自然遺産白神山地」がNHKのBSで放送された。白神山地と聞いても名前を聞いたくらいではっきりとは知らない。興味をもって番組を見た。見ているうちに「絶景」の意味がわかる。ブナの林が映し出される。見ながら是非とも一度は行きたい気持ちにかられる。場所は青森県と秋田県の境に位置するとか。青森県は一度出かけたことがあるが秋田県はさてさて。

 番組HPによると「秋田・青秋田・青森にまたがる白神山地。原生的なブナの森が広大な規模で残され、貴重な生きものの生態系が維持されている。 1993年に、国内でいち早く世界自然遺産に登録された。森が持つ水を蓄えるチカラや生物多様性も注目されている。しかし、この森はずっと手つかずだったわけではない。マタギの狩猟や木の切り出しなど、伝統的に人々が利用してきた。なのになぜ豊かなブナ林が守られてきたのか。紅葉が鮮やかな季節、森と水辺を中継で結び、ブナの森の生命の豊かさや人と森の交流の物語を伝える」とある。

 戦後、ブナ林は一部伐採されて杉が植えられたそうだ。杉は成長が早いがブナほど水を貯えないとか。そのため杉の栽培はやめて再びブナを植えた。ブナの落ち葉はたい肥となって土にかえる。こうしてブナ林は守られた。クマはブナの実を好む。しかしクマがブナの実を食い尽くすとブナが育たない。この辺もクマとの共生で折り合いがついているようだ。
 
 日本は小さな国と言ってもいいところがいっぱいある。特にこの季節、ブナ林からの中継は見ているだけではなく行きたい気持ちに誘われる。テレビ越しに写真を、と何度か試みるもゲストの姿が映ってしまい、思うように撮れなかった。残念!これは見に行くしかない!?
 気持ちを変えて久しぶりに以前さらった曲の楽譜を出してフルートを吹く。今まで吹いていたアルビノーニのアダージョは綺麗な曲だが暗すぎる。しばらくはグラナドスのアンダルーサを練習しよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月3日金曜日

『街道をゆく』(34)「大徳寺散歩」

 『街道をゆく』(34)「大徳寺散歩」(司馬遼太郎 文藝春秋、1997年第3刷)から気になる箇所を記そう。最後に記した出石の宗鏡寺はいつか行きたいと思っている。早速、行きたいリストにメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★真珠庵は、いかにもその名が美しい。大徳寺を行政的に束ねる本坊の北にある。有名な枯山水の庭を持つ大仙院と接し、さらにその北に、関ヶ原のあと、加賀の前田利家の未亡人マツ(芳春院)が寄進した、芳春院がある。芳春院には、小堀遠州(一五七九~一六四七)が設計したとされる美しい二重楼閣があって、このあたりには、桃山文化や日本史が、ぎっしり詰まっている。真珠庵は、建物も庭も美しい。(51p)

★真珠庵にいる。本堂に、一休書の一行ものの墨跡が、二幅になって、聯のように掛けられている。すみずみまで力があふれているだけでなく、えもいえず優美なのである。さらにいえば、信じがたいほどに清らかな魂魄が、たかだかと天に架かっている。

 諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)

 いっていることは、それだけである。”わるいことをするな、いいことをせよ”というだけの意味である。(91p)

★黒地に白く”金毛閣”と大書された扁額がたかだかかかげられている。金毛とは、金毛の獅子のことで、すぐれた禅僧のことをいう(『雲門録』上)。精神の王者と解してもいい。……中国の宮殿の正門のようなものを、豊臣時代に建ててしまったのである。当時もその後も、御所十二門の第一門ともいうべき建礼門でさえ、この門にくらべれば、古雅で、ささやかで、じつに小さい。……このように、おそるべき楼門を建てた人が、わび茶の完成者である千利休(一五二二~九一)であったことにおどろかされる。(108p)

★かつて、私は沢庵にゆかりのある出石の宗鏡寺(すきょうじ)をたずねたことがあり、周りのたたずまいもよくて、このあたりを故郷にすれば生涯わすれがたいだろうとおもった。沢庵も、この故郷が好きで、一生のうちで何度も帰っている。(123p)                                                 

2023年11月2日木曜日

メール添付の旅の最終日程表

バッタは椿の葉っぱにいた
 マリーゴールドが咲き終わってバッタを見かけなくなった、と思ったら今度は椿の葉っぱにいた。それも2組もいる。

  先日、11月中旬の日帰り旅をネットで申し込んだ。この旅はいつも利用する会社とは異なるが以前はよく利用していた。先日、この旅の最終日程表がメールで送信されてきた。旅の日程表はこれまでどこの会社も紙の日程表だ。パソコンにとどいたメールを見ると添付がある。この添付資料を開くとQRコード作成の文が表示される。そのQRコードをスマホで読み取ってスマホのギャラクシーnoteに日程表を保存した。

 ここまではいいのだが、どういっても日程を見るだけならば紙が便利だ。元添乗員をしていた友だちに話すと自分だったら旅行社にお願いして紙の日程表を旅行当日添乗員に持って来てもらう、という。そう聞いて旅行社に電話でお願いすると係は2人変わったが何とかOKになった。

 旅といえば今のような旅の通販とかネットのない時代、旅行社の窓口に出かけて旅を組んでもらっていた。時代が変わるにつれてツアーも増え、旅の通販の時代になる。ところが今回のように申し込みから最終日程までネットの時代になっている。これは便利、といえるのだろうか。と言いつつもナニゴトも時代について行かないと遊びにも行けなくなりそうだ。

 広島から昨年3月に大手旅行社の大半は撤退した。そのため地元のバス会社が運営する旅に参加している。しかしこれだと国内の遠方や海外は到底行かれそうにない。コロナ禍前のように大手旅行社が地元で営業を再開し、広島発着の旅に出かけたい。それはいつ!?もしかしたらそれはもう不可能!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月1日水曜日

愛媛の旅その2

 愛媛の旅その1から続く。

 1日目 2023年10月29日(日)

 16時に宿に着いた。18時の夕飯まで仮眠しようとした。スマホをアラームにして寝ていたら、途中でスマホの音がして触ってしまった。それがいけなかったのだろう。そのままにして仮眠した。起きるとスマホの画面がカラー表示でなくモノクロだ。(困った!)と思ってカラーに戻そうとするもできない。そのままにして夕飯に出かけた。ビュッフェで席も各自自由だ。宿は奥道後壱湯の守で広い食事会場に中国語やハングル語が飛び交う。ましてや各自お膳ではなくビュッフェなので賑やかなことこの上ない。さらに疲れが増してくる。

 ツアーの人と座っていると添乗員も加わった。ビュッフェなのでその場で料理をしてくれるシェフがいる。そしてそれを狙って料理を取りに行く。時に人のお皿を見て「その料理は何処に?」と聞いたりして料理を探してお皿に入れる。

 食事をしながら旅の話題で盛り上がる。と、その時、ツアーの人が突然切れた!これにはびっくり仰天。歳を取ると切れる人がいるとは聞いてはいたがその光景を目の当たりにするとは……。茫然と見ていた。その人はバツが悪くなったのか途中でだまって席を立った。その後は添乗員と和気藹々といただく。

 食事前にその人とお風呂へ行こうと約束していた。が、部屋に戻ると隣の部屋にノックしてすぐにお風呂へ行くと言って一緒には行かなかった。切れる人と一緒にいてはたまったものではない。翌日も「触らぬ神に祟りなし」の諺通りその人に近づかないようにした。

 お風呂から戻るとスマホのモノクロが気になる。何度かスマホに問いかけて試行錯誤するうちにカラーにもどった。これで安眠できる。早めに就寝!

 2日目 2023年10月30日(月)

 ホテルを9時に出発。この日の観光は石手寺と松山城だ。石手寺は母たちと来た気がするがあまり覚えていない。11名のツアーのうち4名が旅仲間だそうだ。話すうちに旅仲間に入れられるような雰囲気になる。この話に乗ってはいけない、と戒めて適当に話をする。それでも名前などを聞いてくる。

 どこに行ってもすぐに人と馴染むところがある。志が同じ人であればつるんでもいいがそうでないヒトとはどうでもいい。それでなくても前夜の夕飯で突如切れる人を見た。近づいてくる人は一緒に出かける旅仲間を求めている。おっとどっこい、そんな話には決して乗りませぬ。見るからに自分とは合わない人たちだ。

 松山城に着いた。初めていくお城だが前日の今治城と違って現存する数少ないお城だとか。見るからにお城の威厳を感じる。城は標高132mのところにある。各自、お城までロープウエイかリフトに乗って行く。行きも帰りもリフトに乗った。久々のリフトだったが好天に恵まれて乗っていても気持ちがいい。松山城でもガイドが付いた。

リフトに乗って松山城へ
反った石垣が特徴らしい
元旦だけ汲まれた井戸水が参拝客に振る舞われるとか
松山城
お城から見下ろす松山市内
お城から見下ろす
桜の大木
 松山城内をガイドについて観光中、姫路城を思いだす。姫路城も松山城も狭い急な階段を上り下りする。先に上った人が下りるまで上る人は待たねばならない。それくらい狭い階段だ。また城内は暗く、スリッパで歩く。スリッパをはかずに歩けばよかった、と思ったのも後の祭り。どうにか怪我もせずに上った。

 松山城は松山市内のどこから見てもわかる位置にあるそうだ。そのため上に登ると松山城下がよく見渡せた。

 松山城を観光後、来島海峡SAで各自お昼をいただく。前日に下見していた鯛めしなどを来島海峡大橋などを眺めながらいただく。ここのSAは広くてお土産も充実している。少しだけお土産を買った。

 それにしても今年は愛媛の旅もそうだが本州と四国への連絡ルートである瀬戸内しまなみ海道を何度通ったことか。今月下旬にも通る予定。

 話は戻って、ブログを投稿中ネット記事に目が行く。それは「心地よい人間関係を長く続けていくにはどうすればよいのか。エッセイストの松浦弥太郎さんは『一人でいられる自分をつくる。人と群れないことで、さまざまなストレスは減っていくし、自分を見失わず、心がおだやかな状態を保って築く人間関係のほうが、長く続いていく』という――」とある。自分自身もそう思っている。ストレスは人との関係にある。ヒト、モノ、コトとの関係は適当に適当に!今回の旅もそう感じた。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!