2017年11月29日水曜日

「ノクターンOp.9No.2」

 

 ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ」を仕上げて次からはショパンの「ノクターンOp.9No.2」をさらう予定。この曲は聞きなれた曲。しかし、いざ吹こうとすると結構大変。何が大変かといえば指使いはもちろんのこと、32分音符の5連符が連なる。はじめは速度を落として練習しても、これを8分の12拍子に合わせなくてはいけない。これまでの曲とは違ってかなり練習のしがいがありそうだ。これを終えると先日来から気に入っているチャイコフスキーの「感傷的なワルツ」をさらう予定。最近、他にも動画を見て気に入ったフォーレの「パヴァーヌ」について先生に尋ねると楽譜を出してくださる。しかし、楽譜はソロでなくアンサンブル用だった。ソロに手直しをお願いしてさらう予定。

 フルートのレッスンを終えると福屋で開催中の平松礼二の個展に行く。絵を見ていると販売済みの赤い印がついている。どういっても日本画の第一人者の絵だ。その価格はなんと1千万円を超える金額。販売済みは2百万から4百万円の価格帯だった。それにしても誰が高価な絵を購入するのか、いつも不思議に思って絵を見る。平松が日曜美術館に出た際の映像もある。これもゆっくりと見る。ビデオ鑑賞後に再度絵を見ていると係りに声をかけられる。東京から絵と共に来ている人だ。絵の説明でなく、素晴らしさを話される。先日の日曜日に平松ご本人が来広されての講演会があった。聞きたかったけど他の用があり聞けなかった。沢山の来場者だったそうだ。

 どういっても「モネへのオマージュ 睡蓮の池」の絵がいい。この絵の地塗りの青の色。これはどう表現していいのかわからないほどいい。いつか自分の本画にする際、この色を真似て地塗りしよう。多分、同じ色は出ないだろうけど…。

 青、といえばその後に出かけた県立美術館で見た元陽展。この中の1枚の「海鳴り」の絵。一番気に入る。この絵の上あたりに海が描いてある。その海の青がいい。

 この会の公募で作品を出品されている知り合いと話す。何と、今年初めて水彩画を習われて奨励賞を受賞されている。絵の大きさは20号。いきなり描いた絵が20号、それが公募で受賞。素晴らしいの一言。

 「海鳴り」がいいと話していると他の人も加わってその海の青がいいと話される。同じ思いだった。話した人は大作を描かれている。絵の説明を聞くと、絵の隅に一か所必ず自分を表現するそうだ。例えば、明るい葉っぱを描くとする。その葉っぱのうちのどこか隅に枯れかけた、さびれた絵を描かれるという。寂れた箇所こそがご自身だそうだ。これを聞いてなるほど、と感心する。そして絵にサインを書く時も一工夫されていた。

 この方は名前に特徴がある。どんな人かは知らずにいたが名前をお聞きして知っている人だとわかる。

 ともあれ、昨日はフルートに始まって福屋の個展、そして八丁堀で遅いランチ。その後に県立美術館へ行き、終了までそこに居座る。今朝は草臥れたのか遅い起床でゴミ出しに間に合わなかった。ましてや今朝は雨。行動も鈍くなる。今日一日はゆっくり三昧。それにしてもよく動く。昨夜の携帯万歩計は9338歩だった。

2017年11月28日火曜日

「夢と希望」を失わない!


 ヴィラロボスの🎵ブラジル風バッハ🎵、藤井香織の動画がある。聞いていると今さらっている楽譜と同じだ。藤井は第一人者のフルーティスト。他にも多くの動画アップがある。フォーレの🎵シシリエンヌ🎵以外の曲も気に入る。いつか吹いてみたい。

 九州から寺報(お寺の機関紙の呼び方を初めて知る)が送られてきた。この夏、九州のお寺関係の人たちとタイのアユタヤ、スコタイ遺跡に出かけた。その後、12月には南インドに行かれるとのことだった。ところが送られてきた寺報によるとこれは無期延期かあるいはしばらく様子見らしい。記事を読んでいると知っているもう一人のお坊さんはかなり体調を崩されている。「治療法が見つかっていないから生きている間を楽しむしかないと静かに笑っていた。ここにきて『死ぬまでになすべきこと』が解ったように思う。それは『死の直前まで生きることを楽しむこと』だ。死ぬとなくなる物は『夢と希望』、つまり生きている限り『夢と希望』を失わないことが生きている証明となる。…」と記されている。

 旅先で知り合ったお坊様たち。旅先で知り合う、といえば何人の人たちと旅で知り合っただろうか。以前はメールもネットもない時代。もっぱら電話や手紙でのやり取りだった。旅で知り合った人たちとは今でも年賀状でやり取りが続く。それでも数人はもうこの世での連絡は不可能となった。

 先月出かけたインドネシアの旅で団長は「あと5年すればこの中の何人かはいないだろう」とつぶやかれた。しかし、ご本人は今年10年のパスポートを更新されている。これもお守りがわりというか身分証明書がわりになるらしい。個人的にはあと3,4年ほどパスポートの期限がある。しかし、これを更新する際の年齢を想うと団長がパスポートを取得された意味がよく解る。

 寺報に書かれているように「死の直前まで生きることを楽しむ」ためにも「夢と希望」をもって旅を続ける。これに尽きそうだ。また、いつかお坊さんたちと一緒に旅ができるといいけど…。そして前月出かけた某会の団長さんを始め皆さんと一緒に旅を続けられるといい!

 某会といえば旅の記録用の集合写真がメールで送付された。他にも昨夜は県立美術館で開催中の展覧会出品をメールで知らせてもらう。お二人以外にも皆さんと来月の旅の反省会でお会いする。楽しみだ!そういえば、インドネシアの旅で心配していたアグン山。ついに噴火した!近くの空港も閉鎖されているようだ。

2017年11月27日月曜日

堀米ゆず子ヴァイオリン演奏会に出かける

 堀米ゆず子のヴァイオリン演奏会に出かけた。場所は三原市芸術文化センターポポロ。ポポロへは初めて行く。在来線で行くか新幹線の「おとなび」利用か迷った挙句、在来線に乗る。三原駅まで約1時間の乗車。新幹線はその半分で行ける。だが、新幹線は広島駅まで出て新幹線に乗る。とはいっても、利用料金は「おとなび」を利用すれば在来線と大差ない。ともあれ、在来線でちょっとした旅気分で見知らぬ場所に出かける。これはこれで楽しい。出かける前に、まずは飲み物とおやつとみかんを持参。三原駅に降りるのは久しぶり。三原駅前というのに人が歩いていない。どういっても昨日は日曜日。それなのになんと長閑なことだろう。バス停を探すと数人立っている。ここに間違いないと思い並んでバスを待つ。隣の人に聞くと西条から来たとか。バス待ちの人は地元民でなく他所の人だろう。

 バス料金140円でホール前に到着。今月から広島市内はバス料金が180円になった。それに比べて三原はバス料金が安い。何と帰りのバスはホールが無料シャトルバスを出してくれる。

 堀米ゆず子の演奏テーマは「音楽との出会いⅢ ポポロでバッハを弾く」。使用楽器はグァルネリ・デル・ジェス。これは先日読んで知った前橋汀子の使用楽器と同じだ。

 この楽器についてウイキペディアで調べると「名演奏家の手を経てきた1741年製デル・ジェズ『ヴュータン』は『ヴァイオリンにおけるモナ・リザ』と称され、2012年の取引で約1600万ドルの値が付き、1721年製ストラディバリ『レディ・ブラント』を超える史上最も高額で取引された楽器となった」とある。ヴュータンかどうかは知らない。しかし、もらったチラシによると堀米ゆず子の使用楽器は1741年製で貴重なものだ。どういっても演奏テーマのサブタイトルは「グァルネリ・デル・ジェスを弾く」。

 演奏曲は以下のようであった。

🎵J.Sバッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティ―タ第3番ホ短調BWV1006
🎵J.Sバッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティ―タ第1番ロ短調BWV1002
🎵J.Sバッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005

 無伴奏とあるようにヴァイオリンのソロの演奏会。休憩を挟んで3曲の演奏後、アンコール曲が演奏された。しかし、帰りのバスに乗り遅れまいと急いだために何の曲かわからない。

 演奏されたパルティ―タやソナタ。ソナタはわかってもパルティ―タの意味が今一歩分からない。ポータル クラシック音楽で調べると「パルティータ(partita)は、17世紀から18世紀の器楽曲のジャンルの一つである。17世紀の間は、この語は変奏曲の意味で用いられた(フレスコバルディの作品など演奏会)」とある。

 ともあれ、すべての演奏は暗譜で、小さなヴァイオリンの音色が大きな会場に響き渡る。なんと素晴らしい!新年には古澤巌が同じくバッハの演奏をする。古澤の使用楽器はサン・ロレンツオだそうだ。これも高い楽器だろう。いずれにしてもヴァイオリン奏者は高価な楽器を弾きこなす。じゃ、一般の人たちが使用する楽器はいくらくらいするのだろう。貧乏人はヴァイオリンは習えない!?そういえば以前聞いた天満敦子の楽器はストラディバリウスと話していた。

2017年11月26日日曜日

「俺達は、俺達にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」

 『エリーザベト・ニーチェ』(ベン・マッキンタイヤー著 藤川芳朗訳 白水社、1994年)、サブタイトルは「ニーチェをナチに売り渡した女」を読む。細かい文字で分厚い本、気になる個所を付箋紙で印をしながら読む。ところがあまりにも付箋の数が増えて、昨夜すべて取り払う。結果は訳者あとがきを参考にする。それを記そう。

 ★「あなた方は虫けらから人間への道を歩んできた。という言葉が見受けられる『ツァラトゥストラ』第一部の「序説三」は、ダーウイニズムがすでに≪実質的に≫下していた宣告を、あらためて自分の言葉で語ったものと見ることができる。≪神は死んだ≫と。そして同時に、≪人間とは超克されるべき何者かである≫と言って、その未来へとつづく道を指し示そうとするのである。このようなニーチェに対して、その妹のエリーザベトは最初から最後まで反理性・反啓蒙に身を置いていた。そして必要があればいつでも、兄を否定し、裏切り、売った。こうしてニーチェの思想は、ダーウイニズムと同様に、人間の豪を啓くものであったにもかかわらず、いわばともに身内の人間によって、不幸な歴史を背負わされることになったのである。314p

 この本を読むきっかけはポーランドに出かけて以来、アウシュビッツ、ユダヤ、ヒトラー、ナチスと関心が湧いてこの本に行きつく。ニーチェの妹のエリーザベトについてウイキペディアに以下のように書いてある。「1930年、エリーザベトはナチ党の支援者となった。1933年にヒトラーとナチ党が権力を掌握すると、ニーチェ文庫は資金と広報の面で政府から援助を受けるようになった。その見返りとしてエリーザベトは兄の名声をナチ党に利用させた。1935年の彼女の葬儀には、ヒトラーや複数のナチ高官が出席していた」とある。このことからサブタイトルにあるようにエリーザベトは「ニーチェをナチに売り渡した女」と言われるのだろう。

 以下は22日の古澤巌のブログから。

(映画を)観に行く暇が無いためV。
いつぞやのゴッホ&ゴーギャン展コメントの影響?
タヒチ来た。
絵画は残る。歴史に残る。
貧乏。家族に捨てられ。女に捨てられ。
最悪の人生。でも歴史に残ってる。
俺達は、俺達にしか出来ない、人生。
何も残らない…。それでいい。

 何と詩的な文だろう。名のある古澤巌でさえも「俺達は、俺達にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」とは…。これを捩って「凡人は凡人にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」。新年早々に古澤巌のヴァイオリン演奏を聴きに行く!ほんと、楽しみだ!

2017年11月25日土曜日

ブラックフライデー

 毎日見ている105歳のダグニーさんのブログ。昨日のブログを見ると「ブラックフライデー」の話題だった。さてブラックフライデーとはなんぞや?ネットで調べると「米国などで、感謝祭(11月第4木曜日)の翌日の金曜日のこと。休日とする職場が多く、商店にとってはクリスマス商戦の初日に当たる。『ブラック』は、買い物客による混雑、または黒字を連想させることから」とある。日本はプレミアムフライデーというわけもわからぬことがあるが…。それにしても、105歳で毎日ブログにアップ、それも必ず画像付き。これも素晴らしい。さらに驚くことはメディアの取材などもあり、たびたび食事会の話題がある。そして外出されて人にも毎日会われている。今朝見たのは日付が11月24日を誤って4月24日とたまに日付の間違いがある。これはご愛嬌!?愛嬌はいい!先日の講演会でもそう話された。

 以下は11月22日、市内の某ホテルで開催された人類学者で京大総長の山際壽一氏の講演会から。講演のテーマは「野生の思考と未来の人材育成―ゴリラに学ぶ」。新聞記事で講演を知った。主催者側に電話で予約すると不要とのこと。どういっても人類学の第一人者の講演会。入場できるようにと早めに家を出る。講演は広島在住の京大出身者たちが主催する?全く門外漢のモノが某ホテル会場まで話を聞きに行く。案の定、寒い雨の日にも関わらず会場は満員だった。

 もらったチラシによると「人間はゴリラから引き継いだ社会性を、危険な環境で食と子育てを共同することによって家族と共同体からなる共感社会へと高めた。来るべくICT社会を幸福に過ごすために、その能力の向上と新しい人材育成について考えてみたいと思います」とある。

 講演の第一声が「大学はジャングルだ」。この日は曇りのち雨の日でゴリラ日和らしい。多様性、総合性、先端性の中での人材育成はまるでジャングル!?また、「大学は窓である」とも。研究分野のゴリラは、コミュニケーションを求めて自分の方から顔を人間に近づけてくる。ところが人間は音声で会話するため顔を向き合わせずに距離を置いてもよい。これには人間とサルとの白目の違いにもよるらしい。

 7万年前に猿と分かれた人間。その脳はゴリラの3倍あるという。この脳が大きくなって人間は言葉をしゃべるようになる。じゃ、脳を大きくしたものは何か?集団の規模を大きくすると脳の新皮質が増えるらしい。人間の集団を人数で表すと以下のようになる。

 10~15人 ゴリラの集団の平均値であり、スポーツの集団のサッカー、野球、バレーなどもある。これには言葉は不要だ。ゴリラも同じで言葉はなくてもよい。

 30~50人 ホモサピエンスで学校のクラスがまさにそうだ。宗教や軍隊、会社の部長以下の人数など。

 150人 この人数は年賀状を書くときに顔を見なくても書けるそうだ。過去の経験から思い浮かべられ、困ったときに頼られる。村の規模にあたる。

 では家族文化は?言葉はいらなくて、身体のコミュニケーションを共有してつながり合う。

 150人を超えた時、言語が登場し、共食と共同が共感能力を高めるそうだ。食事は平和主義であり大人は子どもに食物の分配をする。人間だけが文化を超えて食物を分け合うという。食物は社会的な道具であり、共感を育む大きな装置であるらしい。

 ここでゴリラと人間の比較。

 ゴリラは1.6㎏’で誕生し200㎏にもなるという。成長が速いらしい。ゴリラの赤ちゃんは1年間親の中にいるので泣かない。しかし人間は3㎏で誕生してもゴリラのように大きくならない。成長が遅い。赤ちゃんは泣く。

 知識は人や本から学ぶ。食事は人と共に食べる。しかしこれも減っている。ITは一人になる時がなく自己決定ができなくなる。これからの大学は未知の知識を一緒に学ぶフィールドワークが大切だ。赤ちゃんに語り掛けていた音声が大人の間に普及して音楽になったそうだ。また赤ちゃんは声のトーンを聞き分ける。共感や共同体は食事と子育てが結びつける。音楽は育児から出て来たのではないかともいう。

 最後に松下幸之助の直観力を養うから3点あげる。直観力を養えば変化の激しい世の中に立ち向かってゆけるという。

 それは①愛嬌 ②運がよさそうに見える ③背中で語る(言葉は不要)
これはまさにゴリラにあてはまるそうだ。

 ヒトはゴリラに学ぶ!?とてもためになる面白い講演会だった。来年も京大のためだけでなく市民に開かれた講演会にされるとのこと。楽しみだ!講師のリクエストもしたけど…さてさて。以上のことは個人が講演を聞いて理解したことであり、解釈違いがあるかもしれない。

2017年11月24日金曜日

大歩危峡遊覧&祖谷のかずら橋を渡る


車窓から見る吉野川

 徳島県にある大歩危・小歩危と祖谷(いや)のかずら橋。前々から一度は行きたいと思っていた。やっと念願かなって日帰りバスツアーに参加する。幸い昨日は好天に恵まれて無事楽しい旅は終わる。しかし、かなり風が強く吹く。この日は風速14m。だが、風速25mになると瀬戸大橋は通行止めになるとか。風が強いにもかかわらず速度を出して走るバス。揺れを感じる。

阿波池田駅
  初めて徳島の空気を吸った。住んでいる辺りではすっかり姿を消した田園風景。ところが四国に入ると一面黄色く染まった田圃を見る。そこには何が植えてあるのか知りたくなるがわからない。阿波池田駅からJR土讃線に乗車して大歩危駅までのローカル列車の旅を体験する。乗車時間は30分で5つ先の駅まで乗車する。乗客数が減れば土讃線も廃線の憂き目にあうかもしれない。どういっても広島の三次と島根の江津を結ぶ三江線は廃止が決まった。ローカル列車の存続は観光客にも責任がある!?座席は一両編成の58席。座れないかもしれないとの添乗員の言葉も全く関係なくむしろツアー客だけが乗車した感じだった。

 池田、といえば以前甲子園を沸かせた池田高校があるところ。池田と聞いてそれを思い出す。

JR土讃線に乗車

 大歩危駅を降りるとすぐ下には川が流れている。大歩危・小歩危は切り立ったV字谷を流れる激流で吉野川沿いに広がる約8キロの大渓谷。大股や小股で歩いても危険という意味からその名がついたそうだ。このうちの大歩危峡を観光遊覧船に乗って川から美しい渓谷美を見上げる。乗船が先かお昼が先か。これは乗船状況によるらしい。お昼のレストランも船の会社も同じ経営なのか、相談しながらになる。結果はお昼を食べた後での乗船となった。


大歩危駅で下車

JR大歩危駅
  お昼は乗船口の 上にあるレストランでいただく。祖谷蕎麦ランチで鱒のちらし寿司もあった。朝早く家を出たのでお昼の美味しいコト。全部いただく!
お昼は鱒のちらし寿司と祖谷蕎麦
  レストラン下にある船着き場に行くと大勢の人が待っている。昨日はお天気はよくても、四国の山の中、寒さは半端ではない。ましてや小舟に乗っての渓谷美を楽しむ。かなり厚着をして船に乗る。いくら寒くても船上からの景観は迫力満点。30分の小舟での船旅。行きはゆっくりで帰りはエンジン音を響かせて素早いご帰還。これもまだ乗船できない多くの観光客が待っているためかもしれない。
大歩危峡を遊覧船に乗って

大歩危峡

遊覧船から見る光景

遊覧船で見る大歩危峡
  大歩危峡を船で堪能した後は、今回の旅のハイライトである祖谷のかずら橋を渡る。日本の原風景と言われる秘境の地、祖谷。日本3奇橋と言われる祖谷のかずら橋。長さ45m、高さ14mのかずらでできた橋を渡る。渡る前に橋を見ると何と短い橋と思った。ところが橋の目の前に行くと木の橋は橋全部を覆ってなく、隙間がある。一歩橋の上に足を置くと揺れが激しい。どういっても多数の観光客がスリル満点の橋を渡る。はじめは蟹歩きのように横になって橋の欄干のかずらを両手で持って渡っていた。途中、このかずらの欄干が揺れてもしも横に外れたらと思うと半端でなく怖い。歩くのが遅いので後を歩く人に迷惑をかける。橋の途中で男の人は大きな声で「お金を払ってまで何で怖い目に合わんといけんのん!」と言い出す。ほんまにそうじゃ。思わず賛同する。とはいっても歩くのに必死で声さえ出ない。片側を歩く人はさっさと歩く。途中から横向きでの歩きでも足を交互に出すようにすれば…と思いつく。そうやって歩くとかなり楽になる。これも橋の途中から気づいたこと。無事45mを渡り終えた時の安堵感。思わず目の前に立っている添乗員にカメラを渡して再度、少しだけ橋に戻って写真をお願いする。

 自分で橋の上から写そうとカメラを首にかけていた。ところがそんな心のゆとりは全くない。改めて運動神経の鈍さを感じる。小さいころ、わが家の近くの川にかかる廃線の線路があった。この上を歩くというか這って渡ったことがある。みんなスイスイ渡れるのに、必死で渡った。その橋は線路であったため枕木と枕木の間を覗くとその下は川だった。
車窓から見る祖谷のかずら橋

祖谷のかずら橋の標識

ここから45mの長さのかずら橋を歩く

かずら橋の上は木道でも、隙間があって足がスポットと落ちそうで怖い

渡り切ってホッとする
 

かずら橋から14m下を流れる川

かずら橋近くにある琵琶の滝は落差50m
  かずら橋を渡り終えると近くにある琵琶の滝も見る。秘境、祖谷渓谷。寒い地域とスリルでさらに寒さも増す。広島駅に着くと改装された駅がライトアップされてまるで他所へ来たみたい。ペデストリアンデッキのクリスマスツリーも美しくライトアップ。途中、高速で事故があり30分遅れの帰着。わが家に着いたのは午後9時。遊び疲れても心地よい一日となった。

 ブログ投稿後にサービスエリアでもらったパンフによると次のように書いてある。

 「大歩危・祖谷はアクティビティ・エリア。ミシュラングリーンガイドに選ばれた祖谷街道。大歩危祖谷には世界レベルの観光でスポットやアクティビティが目白押し。切り立った深い渓谷に流れるエメラルドグリーンの祖谷川とミシュラングリーンガイドに選ばれた祖谷街道からなる『祖谷峡』、日本三希橋の『祖谷のかずら橋』、国の名勝天然記念物の『大歩危峡』をはじめ、激流吉野川を舞台にしたラフティング、カヌーなどのアクティビティスポットとして注目を浴びている」。

 道理でツアーの参加者はいつになく若い人が多かった。
広島駅ペデストリアンデッキのライトアップされたクリスマス・ツリー



2017年11月22日水曜日

『私のヴァイオリン』

 『私のヴァイオリン』、サブタイトルは「前橋汀子回想録」(前橋汀子 早川書房、2017年)を読んだ。演奏家がヴァイオリンに賭ける情熱をまざまざと見せつけられた本だった。世の中の有名な音楽家との出会いがその人の演奏する力になっている。これは何も有名人でなくても凡人であっても同じかもしれない。人との出会いが人生を決定づける!ともあれ、読んでいて元気が湧いてくる本だった。

 昨日はお天気にも恵まれて急きょプールで泳ぐ。これから一日ごとに寒くなる。泳げる日にはなるべく泳ぎを優先しよう。プールに行くにも今が一番いい季節かもしれない。水に浸かった感触がどういっても温泉のように感じる。温かいプールで昨日も1キロ泳ぐ。

 以下はまたいつものように本からの抜粋!

★運動が苦手だったので、学校の体操の時間もイヤでイヤで仕方がありませんでした。…ボールが投げられないし、キャッチもできない。跳び箱や鉄棒は、言うまでもありません。(14p)

 同じく運動音痴で育った。世の中、同じような気持ちで育った人がいると思ってこの本を読む。

★アルバン・ベルクは亡くなってから二〇年経ったぐらいの時期でしたが、彼のヴァイオリン協奏曲は前衛的で難解だと言われていました。今でもその評価に変わりはありません。(34p)

 先月の広響第374回定演でこのベルクのヴァイオリン協奏曲が演奏された。しかし、聞いていてその良さが全くわからない。前橋もこの曲は「前衛的で難解だ」と書いている。その後、テレビでN響がベルクの曲を演奏していた。指揮者を見ると広響の指揮者と同じ下野だった。「わからない曲」とのイメージが付きまとったベルクの曲。お蔭でベルクの名をしっかり覚えた。

★ある日、中国人留学生たちは忽然と姿を消してしまいました。…あとから考えてみると、おそらく政治の大きな変動により、中国に呼び戻されたようです。一九六〇年代に入って以降、ソ連と中国との関係は複雑でしたから、その影響があったのではないかと。中国人留学生たちはその後、どうなったのでしょうか。文革四人組のひとり江青女史から絶大な引き立てを受けていた殷承宗ものちに農村に下放されたと聞きました。(58p)

 殷承宗についてネットで調べるとアメリカ国籍の華僑のピアニストとなっている。前橋と同じくソ連留学時代の経歴も詳しい掲載がある。https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7%E6%89%BF%E5%AE%97 (参照)

★私のソ連留学は広く世間に知れ渡っていたので、訪ソする人たちが「娘さんに届けるものはありますか」と、わざわざ両親のもとに連絡をくださったのです。…「市川です。お母さまから荷物を預かっています」声の主は、国会議員の市川房枝先生でした。受け取り場所として指定されたのはホテル・アストリア。ナチスドイツのヒトラーは「レニングラード包囲戦」と呼ばれるソ連との戦いに勝利したら、このホテルで祝賀会を開く予定だったそうです。(67p)

★一九六一年九月、レニングラード音楽院での勉強を始めた直後に、ムラビンスキー指揮のレニングラード・フィルによるチャイコフスキーの悲愴交響曲を聴きました。…思わず感情が昂ぶり涙が止まらなくなってしまいました。チャイコフスキーは、ロシアの風土とロシア人の心を音楽にした作曲家です。彼の音楽には、ロシア人のあらゆる感情が集約されています。(75-76p)

★オイストラフは「ヴァイオリンはお腹で弾くものだ」と言っています。ヴァイオリンの大きさは同じであっても、演奏する人の体形はさまざまです。だから、体幹を使って、それぞれが自分にとって自然体で、一番ふさわしい弾き方を見つけなくてはいけない。そう言いたかったのでしょう。

 フルートを吹くときも体幹が重要と教えられた。何事も一番は「体幹」!?

★タリーさんは私の保証人になってくださり、一度は断られたチェース・マンハッタン銀行から融資を受けることができました。こうして、ほしかったバリストリエリを手に入れたのです。…タリーさんのような慈善家に出会えたことも、私の演奏家人生のなかでたびたび感じた「不思議な導き」よるものだった気がしてなりません。(112p)

★イタリアのナポリでアルベルト・クルチ国際ヴァイオリンコンクールを受けたとき、シゲティ先生は「グッド・ラック」の意味を込めて、私が泊まっていたホテル宛に金細工のネックレスを送り届けてくださいました。…ご自身が大変なときなのに、弟子である私が予選を勝ち抜けるようにと、細やかな心配りをしてしてくださったのでした。そのおかげもあって、このコンクールでは優勝を果たすことができました。私が少しでも多くのコンサートやコンクールで優勝できるようになると、先生は方々に推薦状を書き、私のことを積極的に売り込んでくださいました。…さまざまなコンサートで演奏したり、ヨーロッパの各地で開催されるコンクールに応募したりすることができ、ギャラや入賞賞金を生活費やレッスン代に充てることができたのです。(128p)

★ヨハネスブルグは、あらゆるところに「ホワイト」と「ブラック」の差別がある世界。白人の社交場にインド系の青年が出入りすることは、許されないのです。日本では経験したことのない人種差別の現実を、初めて目の当たりにした瞬間でした。(142-143p)

★いま私が使っている楽器ガルネリウス・ジェスは、二〇〇三年にロンドンの楽器商チャールズ・ベアーさんから購入しました。…一七三六年製のガルネリウス・デル・ジェス。(151p)

★一九九九年二月、妹の由子を亡くしました。旅先での不慮の事故でした。(148p)

★山を登っていくと、登りついた先で見えてくる「景色」があります。その景色を見ることで新たな気づきがあるから、さらに登り続ける。演奏家というものの人生、少なくとも私の人生はその繰り返しです。私は今もその山を登り続けています。…ひとつだけ言えるのは、一回一回のコンサートに「これが最後」という気持ちで向き合ってきたことです。大好きなヴァイオリンを一日でも長く引き続けたい、それが私のいまの「願い」です。(158-159p)

 去年と今年の2回、前橋汀子のヴァイオリンコンサートを聴きに出かけた。華がある人だった。街を歩く人の中に何人がクラッシックのコンサートを聴きに行くだろうと思ったそうだ。それからアフタヌーンコンサートを始められたという。そういえば、2回聞いた時も午後3時頃の開演だった。皆が聞きに行き易い時間に割安のコンサートをする。そう思われたらしい。聞く側にとってはありがたい。

 一流の演奏を聴く機会があればなるべく聴きに行こう。近いうちに堀米ゆず子の演奏を聴きに行く。楽しみ!それにしても一流の人が手にして弾くヴァイオリン。何と高価なんだろう!