2017年4月7日金曜日

「桜は花ばかり見るものではありませんよ」

 まるで梅雨のように雨が降り続く。雨が止めばプールへ、と思うのだが、雨はやみそうにない。天気予報によると月曜日までお天気は良くないようだ。今夜からカープは地元で戦う。だが、雨が心配。

 2月に姉妹の家族に会った際、妹夫婦に「子供たちは阪神ファン?」と聞いた。すると妹夫婦の東京に住む長男夫婦とその家族は阪神ファンでなくヤクルトのファンだそうだ。これを聞いて驚く。甥や姪が小さい頃はよく大阪に出かけた。その当時は阪神ファンを自称していた甥も今やヤクルトを応援。甥の2人の男児は東京育ちでお嫁さんも東京の人。その影響かもしれない。こういう変化は広島ではありえない!?

 ともあれ、カープは連夜の延長戦を戦っている。今日の雨は夕方に上がればいいけど…。野球は中止でなくても泳ぎは中止となりそうだ。

 まだ咲き誇っていない今年の桜はこの雨でどうなるのやら。後で学校の桜を見てみよう。桜と言えば今朝の地元紙に笹部新太郎という桜男の記事がある。自分だけが知らない人であって、世間的には有名な人に違いない。記事を読んで感動して早速、図書館で本を探すとご本人の著作は蔵書になさそうだった。それでもこの人について書いている白洲正子の本を探すと蔵書にある。是非とも読みたい。

 新聞記事は「出久根達郎の人に言葉あり」。大見出しには「『桜男』笹部新太郎」とあり、「自腹で名木 後世に継承」とある。白洲によると「大学在学中から桜に興味を持ち、一生を捧げた奇特な人物」らしい。大学卒業後、大地主である笹部家の持ち山に桜の演習林を造園し、桜の名木を後代に伝えるための自弁事業をしている。もちろん商売のためではない。

 桜と言えば大阪造幣局の桜が有名。笹部の手による桜は造幣局のほかにいろんなところにあるという。白洲は笹部に創作した桜の若木を見せてもらう。桜の花の季節に改めて伺って花が見たいと笹部に言った。すると笹部は「白洲さん、桜は花ばかり見るものではありませんよ」と返答する。

 雨が降り続き、桜の花も雨で散るかもしれない。笹部は春に咲く桜の花だけでなく、その後に続く新緑の葉桜、秋の紅葉…といつ見ても美しいというのだろう。もしかして桜自身も雨で桜の花を気にする私たち人間に「桜は花ばかり見るものではありませんよ」と言っているかもしれない。

2017年4月6日木曜日

BSシネマ"愛と哀しみの果て"を見る

 新聞のテレビ欄のタイトルに惹かれてBSシネマ「愛と哀しみの果て」(Out of Africa)を見る。どういっても映像がきれい。先日読んだマサイ族の本と同じマサイの人も出てくる。映し出される景色の美しさはさすがアフリカ。1年前のモロッコの旅も蘇る。ロマンあふれる映画ではない。それでも惹きつけられる映画だった。映画の場面はどれも絵になる。広い大地はやはりいい!アフリカ、何度でも行きたい!

 ブログ投稿後の余談。昨日は父が生きていれば101歳の誕生日。偉い人たちだったら生誕101年、となるところ。庶民にとってはただ身内が思うのみでいなくなって先月で丸27年になる。月日が経つのは本当に早い。当時のことはまだリアルに覚えている。さてさていつまで親を想い続けられるのか。これも認知症予防!?

2017年4月5日水曜日

Lili Boulanger:♬Nocturne ♪

 
 
  さらっていた♬春よ、来い♬。♩=80の速度でなんとか追いついて吹く。次にさらう曲はLili Boulanger作曲の♬Nocturne ♪。先日来からこの曲のフルートバージョンを動画で探す。ヴァイオリン演奏はあってもフルートはない。ところが再度探すとあった。曲の中で16分音符や32分音符の連符が数か所ある。32分音符は11連符もある。こりゃ、大変じゃ、と思った。練習の仕方を先生に教わる。ともあれ、この曲は簡単にはさらえそうにない。気合を入れて練習、練習。
 
 気合と言えば昨日のレッスンで先生に教わったやり方にハッとさせられる。思わず先生に「習ったなかでNO.2くらいに感動」と偉そうに言ってしまった。これを文にするには大変。ともあれ、教わったやり方で練習しよう。
 
 レッスン後、広島駅まで川沿いの桜を見ながら歩く。途中、ベンチに腰掛けて桜を愛でながら軽いランチ。お昼もだいぶ過ぎていた。川の対岸の岸辺を見ると桜の下でお花見をするグループがいる。夜になるとこの辺りも夜桜で賑わいそうだ。市内に流れる川の両岸は桜並木。今週中には桜も満開!?

 
駅まで続く京橋川緑地帯の桜並木

2017年4月4日火曜日

「文書館」

 「文書館」を「ぶんしょかん」と読んでいた。ところが昨夜姪に「もんじょかん」と指摘される。「文書」でも「ぶんしょ」は公文書、「もんじょ」は古文書で言い方に違いがあるのは知っていた。今朝、改めてネットで調べるとどちらも正しかった。

 「文書館(ぶんしょかん)という名称は、県によっては文書館を(もんじょかん)と読んでいたり、公文書館と名付けているところもあります。また、同じ役割を資料館が担っているところもあります」とある。http://www.pref.kagawa.jp/bunshokan/intro/ (参照)

 それにしても日本語は難しい。

 桜だよりがチラホラ聞かれる。だが、家の近くの小学校の桜はまだ咲きそうにない。平和公園の桜もテレビでは咲き誇ったと一部の開花した桜を映し出す。お天気も今日までで明日からは下り坂。桜はその後のお天気次第?

2017年4月3日月曜日

2017年度始まる

 今日は2017年4月3日の月曜日で今年度の「春」が始まる。目の前に小学校がある。それなのに新学期がいつ始まるのかわからない。学校は新学期を迎えていなくても新社会人は新たな人生がスタートする。新しく何かを始める、これは素晴らしいことだ。少々マンネリ気味に生きている。新たなことに挑戦するのもいいかもしれない。

 新たなコト、といえばこれまで”6”のつく年に何かを始めている。次の”6”がつく年齢は…と考えると人生が恐ろしくなる。ナニゴトも成り行き任せでやってきた。それが振り向けば16歳、26歳、36歳、46歳、56歳…と6歳の節目に新たなことにチャレンジしている。これ、我ながら不思議だ。そう思うと次の6歳の節目に何が起こるか楽しみでもある。

 ちなみに6歳の節目にやり始めたのは、琴、エレクトーン、中国語、フルート、社会人大学生…と続く。このなかでも36歳はチャレンジ精神が一番大きい。中国語のほかに自転車に乗ることと、水泳の習い始めがある。この3つのうち、自転車に挑戦が最初と思う。とにかく自転車に乗りたかった。運動音痴が人に後ろを持ってもらって手を離されたときに自転車が前に進んだ。もう、嬉しかった。それからというもの毎日、自転車に乗っている。まるでよちよち歩きをし始めた子供のように嬉しくて広島駅やその先の三滝の観音まで自転車で行ったこともある。

 自転車に乗り始めて人生開眼。これ本当のお話。半端なく嬉しかった。「できないと思っていたことがやれば何でもできる」、と確信した瞬間だった。誰もが乗れる自転車。普通に人が聞けば笑い話であっても本人にとってはもう大変なことだった。それくらい鈍かった(というかやらなかった、が当てはまる)。このおめでたさは水泳の時もそうだった。とはいっても自転車よりも水泳はその何十倍もの挑戦だった。だから、泳ぎもやめられない。どういっても楽しんで泳いでいる。6歳の節目以外には国内外の旅と日本画がある。余談として車の免許は視力の悪さで教習所に行ってお金を支払う時点であきらめた経緯がある。その余波は海外の旅へと向かう。もしも免許があれば車で日本全国へ行けるのに…と思うととても残念!

 かなり前に読んだ『年を取るのが楽しくなる教養力』(斎藤孝 朝日新聞出版、2016年)。以下はその抜粋。最後にあげた「表現したいものや学びたいものがあり、自分自身を更新していこうという意欲があれば、人は力強く生きていけるということです」。そうであれば嬉しい!!

★長生きすれば、楽しみ多く益多し。
日々にいまだ知らざることをしり、月々にいまだいまだ能(よく)せざる事をよくす。この故に学問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生きせざれば得がたし。(『養生訓』巻第一の十九)はじめに

★吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。(『論語』為政第二)16-17p

★未だ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、毀り笑はるゝにも恥じず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。(『徒然草』第百五十段)73p

★社会に何かを残していきたいと思うとき、自分を残すという手ももちろんあります。いまの時代でいうなら、ブログを毎日書き続けることも一つの方法でしょう。けれど、「こんなものを食べて、こう思った」などと自分の日々の感想を書いたところで、なかなか価値があるものとは認めtられないでしょう。ならばブログという形は借りても、古典の翻訳をのせたら文化貢献になる可能性が高いかもしれません。114p

★表現したいものや学びたいものがあり、自分自身を更新していこうという意欲があれば、人は力強く生きていけるということです。179p

2017年4月2日日曜日

「桐谷健太 ギアナ高地の絶景を体感!巨大洞窟に潜入」を見る

 昨夜はBSプレミアム「桐谷健太 ギアナ高地の絶景を体感!巨大洞窟に潜入」を見る。 番組HPを見ると「最後の秘境といわれる南米『ギアナ高地』。他に類のない台地“テーブルマウンテン”に俳優・桐谷健太さんが挑む。世界最大の滝や謎の洞窟に迫り、その壮大さを体感する旅」とある。        

 ギアナ高地、聞いたことがある。だが、場所はさてどこ?から始まる。テーブルマウンテンとはうまく言い表している。山がまるでテーブルのような形。まずはエンジェルホールの滝が流れる。大きな滝と言えばビクトリアホールズ。滝の周りを水しぶきを浴びながら歩いた南アを思い出す。滝の横の長さではビクトリアホールズが長そう。でも、縦の長さではエンジェルホール?詳しくは分からないがそれにしても滝の裏側から回ってまるで水のカーテンのような滝を映し出す。

 滝を見た後はテーブルマウンテンに潜む洞窟探検。生物学者長沼毅の研究チームと合同でそこに住む生き物を探る。探るといっても誰も入ったことのない洞窟に入る。入る間際まではヘリも降りられない。70ⅿの足場のない岩をロープ一本で下の岩場まで降りていく。この場面は見ていて怖い。長沼は研究のために辺境へ出かけていて少しくらいは慣れているらしい。だが、桐谷は日本でその訓練を受けていてもいざ本番では30ⅿ下ったところで宙吊り5分間を経験。右腕が痛んだようだった。それでも5分後には下って行く。テレビクルーの一人も谷間を渡っていて足が滑って落ちる。それを皆が体をもちあげる場面もあった。
 
 どういっても岩場に下りていくとテレビ初めての取材クルーが洞窟に入る。長沼、桐谷を含めて19名のチーム。洞窟の中は真っ暗。ヘッドライトを頼りに歩く。見ていて自分まで歩いている気になる。中には目に見えぬ生物がいる、と後の研究でわかる。この生き物が酸を発生して洞窟の岩を壊し、それがやがて落下。

 それにしても壮大なスケールの撮影だった。いつの日か、というよりも洞窟とまではいかなくてもギアナ高地の旅はもう始まっているのだろう。行って見たい。だが標高も高い。マウンテンの平らになった頂上(?)にヘリも止まっていた。山の頂上というよりもまるで高原の感じだ。

 何年か前、広島で長沼氏の講演を2度聞いたことがある。南極大陸に出かけた際の話だった。しばらくはツイッターを見ていたが昨夜、それを見ようとすると削除してある。久々にテレビでお顔拝見となった。

 話は変わって、昨日は久しぶりに日本画教室へ出かける。絵のモチーフはわが家に咲いた4輪のラッパ水仙。いろんな角度から描いていく。

 デッサンをしながら先日、新聞に掲載された水仙の描き方について習っている先生に話す。フルートを習う際も感じたことだが、日本画でも同じように気付き始める。それは基礎が大事ということ。何もわからず、言われるままに、疑問も持たずに習うことがある。これではダメだ、と気づく。自分の言葉の端々にその思いが出るのか、先生は絵に完成させることを急がずデッサンをしよう、と言ってくださる。来週は我が家の庭で芽を吹きだした紫陽花を描くつもり。描こうと思えば何でもモチーフになる!?頑張ってデッサンしよう!
桐谷が岩場をロープで下る場面 このあたりで宙吊りとなる(テレビ画面)


2017年4月1日土曜日

さて大人は「くう・ねる・〇〇?」

 今夜のNHK Eテレ「くう・ねる・あそぶ!こども応援宣言」の番組タイトルを見て、これをおとなに当てはめると「食う・寝る・〇〇」となり、〇〇はさて何?

 昨日のネットによると野村・前カープ監督は今春から大学院で学ぶとある。今朝の地元紙によると以前にも陸上の尾形剛が同じく学び、現在は地元の大学で教えている。以下は昨日のネット記事から。

「広島大は31日、プロ野球広島前監督の野村謙二郎氏(50)が4月から大学院へ入学すると発表した。2月に教育学研究科(博士課程前期)の社会人特別選抜に合格し、健康スポーツ教育学を学ぶ。」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170331-00000118-jij-spo (参照)

 こういう記事を読むと大学はいいものだ!とあらためて思う。もしかしておとなは「食う・寝る・学ぶ」?その前に「働く」が必須条件になるかもしれない。それよりも再度学んでセカンドキャリアとする人もいるだろう。ともあれ、欽ちゃん、野村前監督…と学びなおす人を見るとそれぞれの学ぶ思いがあるに違いない。これは自分自身にもあてはまる。

 これに刺激されて昨日は送られてきた研究会の機関誌を読む。毎日を「あそぶ」ことに集中して足が地についていない。難しい記事を読むと見たこともない漢字を目にする。電子辞書の出番で手書き入力で字を探す。これ、結構大変。頭を冷やすにはいいかもしれない。続けよう!