今日は朝からカンカン照りに日が射している。最高気温の予想は30度。日中は暑くなりそうだ。
昨日は蒸し暑い一日だった。それでも午後からフルートのレッスンに出かける。その前に先日そごうデパートで個展を開催すると葉書を貰った友だちの陶芸を見に行く。生憎葉書を持参せず、デパートの人に聞いてその場所を探す。
本館の8階だった。陶芸家の友だちとは1年ぶりに再会する。大きな壷などの芸術品に加えて、実用的なものも展示してある。かなりの展示品は売約済みの赤いしるしが貼ってある。
話をしていて、作品の前に立った時、ふとスペイン語の友だちと陶芸家は同級生?と頭を掠める。それを尋ねると、やはりそうだった。もうこれを聞いて吃驚仰天。何故その時、頭にそれを掠めたのか、我ながら驚く。
会場にいた別の人も陶芸家の友だちらしく、名前を出したことで盛り上がる。それにしても世の中は狭い。
家に帰ってスペイン語の友だちに電話をする。だが、なかなか通じない。その日のうちに話さないとその感動は薄れる。やっと通じた。
電話の相手も陶芸家を当然知っていた。
陶芸家とは今から十数年前に下関で開催されたNHK教育テレビの立花隆の講演会の帰りに新幹線で知り合う。スペイン語の友だちは立花隆がまだ飛ぶ鳥を落とす勢いでない時代に会っているという。
その話が可笑しい。大学職員だった友だちは上司から言われて2人分お茶を出す。その際、「何処でお目にかかりましたかね」と立花に向かって話す。そして続けて「テレビでお会いした方ですね。失礼しました!」と言って席を離れたという。
これを聞いて互いに電話で笑い転げる。友だちはこれまでの人生で有名人に会ったのは立花隆だけだとか。
それにしても、陶芸家、スペイン語の友だち、そして私との共通項に立花隆がいたとは・・・。驚くばかり。
だが、このことを陶芸家はご存じない。
さて昨日のフルート。先生から秋に行われる発表会の曲について話を聞く。先生は候補曲2曲をあげてくださる。どちらもショパンの曲。そのうちの後から先生が吹かれた曲を発表会で吹く曲に決める。
その曲は毎年のように誰かが発表会で吹いている。それを聞いていい曲、と思っていた。頑張って練習しよう。その前に、先週から吹いているモーツアルトの曲を練習しなくては・・・。
話は変わって、昨日作家のなだいなだ氏の訃報を新聞で知る。この名前は、何とスペイン語の「何もなくて、何もない」からついたらしい。多分、“Nada Y nada”だろう。これは“何もない そして 何もない”の意味だから。
ほかに、一昨日お昼を済ませてテレビをつけると偶然にも徹子の部屋に酒井和歌子が出演していた。そのままテレビを見ていると、女優なのに何と庶民的と思う。
同世代を生きている。その人も独身で親と暮らしている。それに加えてテレビを見て益々親近感が沸く。仕事をやめたいと親に話すと親はもう少し続けたら・・。そして親から仕事をやめたらと言われるともっと続ける・・・。この繰り返しで今まで来ているという。これも似たような経験をしている。
さらに、ジムに行く話では、何と朝一番のバス、時刻は午前6時9分。それに乗ってジムに出かけ、3時間ほど運動をしたり泳いだりするという。朝早いと人も少なく目立たないらしい。
また外国旅行の話では、最近は母親と海外は行かず国内に行くとか。だが、海外に行く時もツアーに一人で参加するという。参加者から女優さんという目で見られないかと聞かれるとそうでもないらしい。
1日のスケジュールを聞かれて、ジムに行かない日は朝7時半には朝食を済ませ、夕飯は6時に食べて11時前後には就寝。そして夜、人に会わないのかと聞かれても夜は出かけないという。
この生活リズムは似ている。だが、夜、習いモノで出かけるのでこの辺りは少し異なる。
酒井も年金をもらっている。サラリーマンの年金生活とは違うかもしれない。だが、有名人であってももしかしたら生活のスタイルは一般人とそれほど変わらないのかもしれない。そう思ってテレビを見た。
ブログを投稿していても時間とともに暑くなってくる。暑さに負けないよう今日も元気を出そう。
2013年6月12日水曜日
2013年6月11日火曜日
北欧3ヶ国の旅
2013年5月23日(木)から2013年5月30日(木)までの8日間、北欧の3ヶ国ツアーに参加する。旅の模様をまたいつものようにブログにアップしよう。
外に出て話したヒトは偶然にもマドリッドからの観光客だった。その人と写真に収まる。スペイン語で少し話をすると通じた。嬉しかった。すぐにアドレスを書いてもらう。さらに王宮など見学。
午前11時半 旧市街、ストックホルムを一望できるフイヤールガータン展望台へ行く。その後ノーベル博物館へ行き、ノーベル賞を模したノーベルチョコレートを購入。10枚で100クローネ(2000円)。ここでノーベル賞の授賞式が行われる。コンサートホールもあった。
昼食はスウェーデンの家庭料理のミートボール。苔桃のジャムをつけて食べる。これも塩辛い。食べられず残す。いろいろと旅をしてもしかして北欧は一番食文化がお粗末な国!?だが北欧の風景は世界一美しい!
通りは1週間前からマロニエの木も青々とし始め、白と紫のライラックも今を盛りと咲き誇る。
午後3時半 コペンハーゲンに向かうストックホルムの駅で日本人と結婚し、日本に40年以上住んでいたストックホルム在住のスウェーデン人が夕食のお弁当を配りにくる。このお弁当屋の店名は「ブルーライト・ヨコハマ」。一見美味しそうなお弁当に見える。だが国際列車内で食べる味はこれまたお粗末。お茶がでない食事は侘しい。水でお茶代わり。
列車内からは一面黄色のじゅうたんと緑色の樹木の間を列車は走る。夢の世界のように美しい。
コペンハーゲンに到着する頃には大きな湾にかかる長い、長い橋を渡る。関門海峡よりももちろん長い。
午後8時20分 デンマークのコペンハーゲン駅到着。空は明るい。目の前には本場のチボリ公園がある。倉敷のチボリ公園はとっくに閉鎖されている。
2013年5月25日(土)雨 デンマーク・コペンハーゲン
午前7時 朝食のヴァイキングでは中国語が飛びかう。「開水」(お湯)と聞いて中国語だと知る。話をすると台湾のヒトだった。その人は親切にも洋ナシの皮をむいてくれ、皿に置いてくれた。朝食のパンはさすがにデンマーク。デニッシュ・ロールが並ぶ。広島から全国展開した“アンデルセン”のベーカリーはデンマークがお手本。デンマークでは食べなかったけれどノルウェーで食べたデニッシュ・ロールは日本のほうが一枚上手。
この頃から、北欧の町には何処にも目立つ看板や広告物がないと気付く。コペンハーゲンは商人たちの港の意味だとか。
午前9時35分 クリスチャンボー宮殿到着。通りに面して建っているビルはどれも半地下構造。寒さ対策としての工夫らしい。
午前9時50分 アンデルセンの住んでいた家を外から見学。
アマリエンボー宮殿到着。ここは王室の居城。気温14度。宮殿前にはクマの毛皮の帽子を被った近衛兵が立っている。毎朝11時半、王女の近衛兵がローゼン城からアマリエンボー宮殿まで行進する。その場面をバスの中から運よく見ることができた。正午に衛兵の交代式が行われる。
勤務中の近衛兵の横に立って写真に収まる。また衛兵のいない頃を見計らって勝手に赤いボックスに立って写真に収まった。旅の恥は掻き捨て、なんでも経験!?
午前11時10分バスは出発して人魚姫の像を見学。この像は1913年デンマークの彫刻家エリクセンにより造られる。北京オリンピックでは貸し出されたと聞く。
1時間足らず、コペンハーゲン市内で自由時間あり。ロイヤル・コペンハーゲンにも入る。だがどれも高価なものばかりで何も買わず。自由時間にスーパーの地下に入り品物を物色。現地通貨を使うため添乗員に教えてもらったデンマークらしい模様の入った白い帆布のエコバッグ購入。通りはヴィトンなどのブランドショップ街。
午後2時半、昼食後再度フリータイム。昼食は大きなサンドイッチ、スープ、ケーキで美味。朝食を食べなかった人がフリータイムで買った小さいリンゴ1個はなんと姫リンゴ位の大きさなのに25クローネ(500円)。これを聞いて吃驚する。物価が高い。
午後3時15分 バスは港に到着。クルーズ船DFDSシーウエイズでオスロまで1泊2日のクルーズの旅。生まれてはじめて大型クルーズ船に乗る。
午後5時45分 クルーズ船内でヴァイキングの夕食。ヴァイキングといえば北欧が発祥の地。この食事の仕方を日本流にアレンジしたものが現在日本でいわれるところのヴァイキングだとか。ホテルよりもどこよりも船の食事が美味しい。何でも揃っている。売店、クラブ、プール、カジノと何でもあり。クルーズ船の客室は9階の海側。一人参加の客室を訪問すると広さは我々の部屋より倍くらいあり、カウンターバー、テレビ、冷蔵庫、ドライヤーもある。おまけにウエルカム・サービスもあった。
船内の売店でまたもやチョコレートを購入してデンマーク通貨を使い切る。
ツアーの人の部屋は全て海側にあり、日が沈む様子を眺めながら写真に収める。午後9時半ごろ日は落ちる。だが明るい。一人でいたならば海に沈む夕陽を見つめて涙がでたかもしれない。それくらい太陽は神秘的。タブレット端末にも写真で収める。
2013年5月26日(日) ノルウエー・オスロ
船はノルウェーの首都オスロ到着。
午前5時半起床。客室から海を眺めていると突然クレーンのような機械が目の前をゆっくり通り過ぎる。ビルなどの窓を掃除する機械のように窓に水を吹き付けてきれいにしてゆく。外は海だから水を流しても丁度いい!?これには吃驚。
ほとんど白夜のためか一晩中明るい。午前6時過ぎには島も見えてくる。船から見る外の光景は生まれてはじめて目にする。
午前7時 船内で朝食。相変わらず小さいリンゴやバナナなどの果物を食べる。
午前10時 オスロに下船。快晴。オスロ市内を観光。市庁舎で献霊式(この字はもしかして間違っているかもしれない)で若者が大人になるセレモニーに参加する人たちと出くわす。キリスト教の信者の人は大人になると教会から多くの捧げモノをいただく。だが信者でない人々はそのおこぼれをもらえない。そこを市が代わって行う儀式らしい。
民族衣装で着飾った親子。日本で親子が成人式に着物で出席するようなコト!?ともあれ、いい場面に出くわせてもらって幸せな気分になる。家族で参加していていた人たちと一緒に記念写真に収まる。
ヴィーゲラン公園には怒りん坊の像がある。公園の何処を歩いても見渡す限り菩提樹の木々と白い雲と青空で素晴らしい眺め!
このきれいな青空の下、ノルウエーの人々は家の内外にお金を費やし、旅をすることが楽しみらしい。どこのお家も木材の外壁に色とりどりのペンキが塗ってあり、これもお見事というほかない。
王宮公園では太陽を浴びる半身欲の人々を見かける。
中華料理の昼食を食べた後はソグネフィヨルド地区へ向けてバスは出発。この距離310キロ、所要時間5時間半。
午後2時35分 バスはクローテレ湖で休憩。湖のほとりではタンポポが咲き乱れている。その中に入ってツアーの人が言うままに互いにポーズをとって写真に収まる。まるでメルヘンの世界にいるよう。楽しかった!
バスが出発する頃は気温は25度あった。それも高度があがるにつれて山々の木々もなくなり肌寒くなる。800メートルあたりでは雪山になる。
途中、ゴルで休憩。スーパーでお水を購入。13クローネ(260円)と物価は高い。この日は日曜日なのでプロテスタントの国ノルウエーではアルコール類の販売はない。
午後4時 バスの中では賛美歌が流れる。
午後5時45分 雪山下車。高度1132メートル。流れる川の水は凍っていた。
午後6時 ソグネフイヨルドへ行く途中、木造のスターブ教会(ヒルケ)下車。スターブとはまっすぐに立つ支柱の意味。28箇所ほどこういう教会が残っているらしい。この教会はオリジナルなもの(ボルグンのもの)でヴァイキングの影響を受けている。この十字架はラテン十字で縦が長く横が短い。ちなみにギリシャ十字は縦・横の長さが同じらしい。
午後6時10分 バスは出発。ヴァイキングはVIKでノルマンの意味。フランス人は侵入してきたVIKをノルマンと呼んだ。
午後6時40分 ホテル到着。ホテルの売店でヴァイキング博物館で買い損なったヴァイキングの船をあしらったペンダント購入。夕食はビールを注文。73クローネ(1460円)。またもや物価が高いと実感する。夕食後、ピアノのある部屋へ移動する。日本で以前ヒットした歌を演奏している。小倉の人とマイクの前に立って歌う。他の人も楽しく歌って過ごす。
さすがにノルウエー。真夜中もかなり明るい。だがよく眠った!
2013年5月27日(月) ノルウエー・ソグネフイヨルド地区
午前6時35分日の出。朝食前、ホテル付近を5人で散策。どの家もかわいすぎて、いろんな色のペンキが塗ってある。それと木々の緑と空の青さがマッチしてまるで童話の世界。
午前7時半 朝食。
午前9時10分 バスはホテルを出発し、世界最長のトンネルを抜ける途中、運転手さんはバスを止めてくれて撮影タイム。夢の世界というか雪国にいるようなトンネルだった。
トンネルを通ってソグネフイヨルド観光のためクルーズ船に乗る。このフイヨルドは世界最長、最深級で約2時間のクルーズ。だが1時間過ぎた辺りから雨になる。全長は205キロメートル。最前列に座って写真撮影。だが船のけむりが鼻につき、皆で場所を移動する。
また途中から雨も降り出し、船内に入る。中には日本からのピース・ボートの人たちや中国人で一杯。ピース・ボートの一人は我々がものめずらしいのか、くっついてきて話し始める。話を聞いていて次第にうんざりし、その場から逃げる。その中にはまだ幼い子供を連れた人もいた。
船はソグネフイヨルドの支流のネーロイフイヨルドも観光する。だが次第に大雨になる。雨ばかりだと折角のフイヨルドの景観も見られない。晴れたり雨が降ったりして両方のフイヨルドがを見ることができた。だが雨に降られて少し肌寒い。
午後1時 船はフロム駅到着。この駅横にある列車を利用したレストランで昼食。昼食後、駅のお店を見渡すが何も買わず。お店を出て駅の椅子に座っていた世界を一人で旅しているYuryさんに出会う。女性が一人で世界を旅する、その姿に感動する。2人で記念写真をとる。また名刺をもらう。その名刺を頼りに先日写真をメールに添付して送付する。その返事からお元気で旅をされてる様子が伝わる。また、その人と話をしてそのようにできないことへの羨ましさが募る。応援したい。人の一生は、そう、旅のようなものかもしれない。
4年前から世界を放浪中で、時々日本に帰っている。今回の旅では、ノルウエーの後、ロシアからウラジオストックまで列車に乗り、最後は中国のツアーに入って北朝鮮へ行くとも聞いている。
午後2時50分 フロム駅から山岳鉄道に乗る。ここは北欧を代表する絶景列車らしく、ノルウエー鉄道の最高傑作といわれる。
午後3時45分 ミュールダール駅到着。
午後3時50分 ここでベルゲン鉄道に乗り換える。ところが、我々の席を中国人の団体が先に乗り、我々は他へ移動する。
午後4時35分 ベルゲン鉄道で206のトンネルを潜り抜けてヴォス駅到着。
この列車内ではツアーの数人の女子組みと大笑いする。お腹を抱えて笑った。何が笑いの発端!?まるで修学旅行のように楽しかった。
午後4時50分 バスはハダンゲルフイヨルド地区に向けて出発。その途中ハダンゲルフイヨルドに面してトンネルを造成中だった。そのため道はでこぼこ。
午後5時 ホテル着。
午後7時 夕食。夕食に行く前、4階に宿泊するツアーの人からロケーション抜群とのことでその部屋を見に行く。部屋の目の前からフイヨルドが見える。そこで、小倉の2人組からフイヨルドをバックにした写真を数枚撮ってもらう。そこで今回の旅でもその人たちから「手助けをしてあげたくなる」と言われてしまった。
ヴァイキングの夕食の後は、ホテルのフイヨルドに面したガーデンに出てティータイム。桜が満開だった。だが屋外は肌寒く、しばらくして各自部屋に戻る。この頃、午後9時半。ところが部屋のトイレの水の出が悪い。部屋の相方は添乗員に部屋の交換を要求する。だが、部屋はお客で満杯らしい。どうにかシングルでダブルベッドの部屋を確保。
旅の間中、睡眠不足だった。相方はその部屋にするという、だが、ここは譲れず、シングル2部屋をどうにか用意してもらう。そしてシャワーのみの部屋でOKと言い残して鍵を受取り素早く部屋を替わる。お蔭でその日は熟睡できた。神様は睡眠不足を見届けて下さった!?
変更した部屋はフイヨルドに面していない。だが快適な部屋だった。添乗員はただフイヨルドに面していないことを気にする。とはいっても先ほどまでフイヨルドに面した部屋にいた。後は寝るだけだ。そんなことはまったく気にせず、ただ眠たい方が勝つ。
午後10時15分 シャワーを浴びて就寝。
2013年5月28日(火) ノルウエー・ハダンゲンフイヨルド地区
午前5時半起床 晴れ。カーテンをして寝ても白夜で明るい。だが寝不足も重なって熟睡する。
午前7時 朝食。ウエーターはやたらと日本語で話す。誰かが腕には日本語の刺青があると教えてくれる。それを写真に収める。
今回の旅では行く先々で「ありがとう」などの日本語を聞く。かなり日本ブームが起きているのだろう。ウエイターは刺青のように極真道の空手を習っており、日本へも2度来たと話していた。
ここで北欧談義。北欧のホテルでは空調設備がいいのか、まったく部屋の内・外の音がしない。そして何処も広告などの看板がない。そのためか町全体がスッキリして見える。
ホテルでの朝食中、目の前にドイツのフイヨルド観光の船が現れる。いつ入ってきたのだろうと吃驚する。かなり海の水深は深いらしい。またドイツ人は旅行好きらしく、週2回、このホテル前に停泊して陸に上がり観光すると聞く。この船の停泊するシーンはまるで絵画のよう。狭い入り江(フイヨルド)に大型客船が停泊する。それは不思議な気がした。
またホテル前には石楠花(白と赤)が今を盛りと咲いている。バスのガイドは北欧に来る1週間くらい前から木々の緑も青々とし、桜や石楠花、その他の花々が咲き始めたという。どこへ行ってもメルヘンの世界。自分が出かけた国の中では一番とも言えるほど美しい国、そう思った。だがそれとは反対に食事は塩辛いだけで不味い!
ノルウエー観光中の運転手さんは日本人と結婚し、7歳の女児がいるという。一年の半分はスペインで暮らし、後の半分をノルウエーで過ごす。バス会社を経営しているらしく、運転手兼社長さんでもある。
午前8時15分 ホテルをバスは出発してベルゲン観光へ。約150キロメートル、2時間半かけてベルゲンの町まで向かう。
途中ハダンゲルフイヨルドを散策。バスから見るフイヨルドには橋もかかっている。ベルゲンへ向かうバスの車内ではベルゲン出身の作曲家でハダンゲルフイヨルドを愛したグリーグの曲も流れる。
午前9時20分 バスは途中下車して撮影タイム。サクランボの木が風になびき、心地よい。
午前9時50分 スタインダールの滝を見学。この辺りでデジカメの2ヶ目の電池が消耗する。滝の上までお花畑を通って行く。近づくにつれて滝の水飛沫を浴びる。虹も出ていた。
午前10時15分 バスは出発し、ベルゲン市内に入る。バスの通りは桜が満開だった。ベルゲンは石楠花の町でもある。ここで湖とフイヨルド(入り江)の違いについてガイドの話を聞く。湖は草が水際まで生えている。だがフイヨルドは絶壁であり、草も生えていない。そして水は塩辛い。
午後2時25分 グリーグの家を観光後バスは出発。その後、フィッシュマーケット見学。鯖、たらなどの魚が所狭しと並べてある。そういえば、日本のスーパーで売られているサーモンや塩鯖はノルウエー産が多い。
午前6時15分 朝食。
2013年5月22日(水)
お昼を済ませると新幹線「のぞみ」に乗車し、1時間余りで博多駅に到着。博多駅筑紫口近くのホテルでチェック・インを済ませ、部屋の鍵を受取る。その際、ネットでの申し込み先からジュースの差し入れがある。また部屋もレディース・フロアの禁煙ルームとなる。おかげで2月に宿泊した時よりも静かな部屋で熟睡する。
チェック・インを済ませると、まずは翌日の集合場所の福岡国際空港行きのバスの乗り場を確認する。あらかじめ添乗員から博多から国際線ロビーまでのバスが3月から運行されたと知らされる。これまでは地下鉄に乗り換え、空港からシャトルバスで国際線に移動していた。
バス乗り場を確認後、博多駅構内の阪急デパートで夕飯と朝食の食料を調達する。しばらく博多駅構内をうろついた後、ホテルの部屋に戻る。その後は購入したばかりのタブレット端末で遊び、早めに就寝。
2013年5月23日(木) 福岡国際空港ーオランダースウエーデン・ストックホルム
午前7時半、ホテルを出て博多駅のバスセンターから福岡空港国際線出発ロビーまでバスに乗る。だが平日とあって予定の所要時間の20分よりも15分遅れて到着。すでに出国の手続きは始まっていた。この間の運賃250円。
手続きを済ませると添乗員の言うままに外国通貨の両替をする。スウェーデン、デンマークはそれぞれ2000円(それぞれ現地通貨100クローネ)、ノルウエーの通貨は10000円(現地通貨500クローネ)両替する。
後で知ったことだが北欧の国では硬貨を鋳造する経費がかかり、小額であってもクレジットカードでの決済が可能だった。北欧は社会福祉の充実している国。そのため、いわゆる付加価値税が25%と高い。食事の際のビール代金が何と73クローネ。ということは日本円で1500円。お水は220円。これだけで残りの両替はほとんどなくなる。枕銭も置かなくてよいとのことで一切せずじまい。
ただノルウエーのみ10000円両替したのでビール代を支払っても通貨が残る。かといってお土産品は民芸品ばかり。そういうものは買わずに、残った通貨はほとんどチョコレート類を購入。だがこのチョコレートも物価が高い国。スウェーデンでは両替の現地通貨全てをノーベル賞を模したチョコレートのメダル10ヶ(2000円)を買って使い果たす。
午前10時25分、KLMオランダ航空は定刻に出発。ここからオランダ・アムステルダムまで11時間45分の飛行機の旅が始まる。福岡国際空港からオランダ・スキポール空港までの直行便は何と4月4日に就航したばかり。機内は新しく、陽気な男性客室乗務員の旅は快適そのもの。機内のトイレは広く車椅子も可能のようだ。また飛行機の最後尾は四面が総鏡張り。これにはびっくり。広くて綺麗なトイレだった。
離陸後しばらくすると「エコノミーコンフォート」座席に空席があるとのアナウンスが流れる。一つあけた席の人はその席に移動する。それはゆったり座席と呼ばれ「エキストラ・レッグルーム」で150ユーロほどプラスで移動可能。はじめてそれを知る。
機内は日本と同じ気温でブラウス一枚でOK。.快適な空の旅だった。
正午(飛行機がオランダ到着までは日本時間表示)ビールとおつまみが出る。朝食を早めに済ませていたのでお腹がすいている。美味しい!。
午後1時 機内食が出る。日本で作られた機内食のためか美味しい。帰りの機内食もきっと美味しいと思っていたら不味いこと、不味いこと。食べられたものではない。ただ塩辛いだけ。だが帰りもデザート類は美味。
機内食を配る男性客室乗務員はひょうきん者。“Well come”と言いながらおどけた仕草を何度もする。その問いがわかったので“ようこそ”だと教えると何度もそれを繰り返す。
今回の旅では機内の客室乗務員も観光先で出会うヒトたちもかなり日本語に関心を抱いている様子が伺えた。また、どこに行っても日本の女性が現地の人と結婚している。これには驚く。
午後4時 アイスクリームが出る。美味。
午後8時25分 機内食が出る。またもやビールを注文。出てくるビールはハイネケン250ml。
現地時間午後3時5分 アムステルダム・スキポール空港着。気温9度。
午後5時 アムステルダム発ストックホルムへ向け飛行。機内で陽(アキラ)さんと知り合う。スウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれたハーフで22歳。スキーのインストラクターをしているらしく、九州在住ながら長野県にも家を借りている。そして両親から好きにさせてもらっているらしい。一見外国人風だが、話していると日本人の感覚。手にするモノは日本語の文庫本。興味を持って話すと名刺をくれた。
スウェーデンで更なるスキーの上達を目指すという。当面のスウェーデン滞在は2年間を予定とか。
アキラの後辺りにはにぎやかな集団が座っている。アキラの話ではコロンビアの集団でスウェーデンに移住する人たちらしい。とはいってもアキラはスペイン語は話せない。
午後7時 ストックホルム着。空港内にはスウェーデン国王夫妻の写真が飾ってある。
空港からホテルに行くまで添乗員は話す。その中で「お金をこまねる」がでる。大体の意味はわかる。細かいお金にするという意味。日本語も地方によってわからないこともあると知る。
2013年5月24日(金)曇り スウエーデン・ストックホルム
昨夜は午後10時就寝。ホテル内の部屋の床はさすがに木材使用。
午前5時 起床。ホテルの部屋にはスウェーデン国王夫妻の写真が飾ってある。
午前6時半 朝食。この日から塩っ辛い食事が始まる。何を食べても塩辛い。食べるものは姫リンゴ、バナナ、小さいジャガイモ、スイカ、トマト、ミルク、珈琲など。かなり不味い。パンも固くて食べられない。サーモンは栄養源として食べる。だが辛い、辛い。
午前9時半 バスは出発。ここからイヤホン・ガイドをバッグに入れて観光する。イヤホンガイドは今回の旅ではじめて知る。観光地でガイドの声をこれを使用して聞き取る。だが、聞いているとガイドがいかにも近くにいるように感じられる。ところが実際は離れていたりして慌てたりする
北欧滞在日数は少ない。スウェーデン市内観光も3時間足らず。ノーベル賞受賞者の晩餐会が開催される市庁舎を訪問。胸には丸いCity Hallと印刷されたワッペンをつけて中に入る。「赤い青の間」といわれるところでノーベ賞受賞晩餐会が行われる。建物内は想像していたよりも狭い。入り口にはパイプオルガンもあった。
奥に入ると市議会議場。「黄金の間」は元は晩餐会の場であったが、今はノーベル賞受賞者のための舞踏会会場となっている。
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| 毎年ノーベル賞の晩餐会が開かれる市庁舎の赤い青の間 |
午前11時半 旧市街、ストックホルムを一望できるフイヤールガータン展望台へ行く。その後ノーベル博物館へ行き、ノーベル賞を模したノーベルチョコレートを購入。10枚で100クローネ(2000円)。ここでノーベル賞の授賞式が行われる。コンサートホールもあった。
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| ノーベル・ミュージアム |
通りは1週間前からマロニエの木も青々とし始め、白と紫のライラックも今を盛りと咲き誇る。
午後3時半 コペンハーゲンに向かうストックホルムの駅で日本人と結婚し、日本に40年以上住んでいたストックホルム在住のスウェーデン人が夕食のお弁当を配りにくる。このお弁当屋の店名は「ブルーライト・ヨコハマ」。一見美味しそうなお弁当に見える。だが国際列車内で食べる味はこれまたお粗末。お茶がでない食事は侘しい。水でお茶代わり。
列車内からは一面黄色のじゅうたんと緑色の樹木の間を列車は走る。夢の世界のように美しい。
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| 国際列車からみる草原風景 |
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| スウェーデンとデンマーク間の国際列車のある停車駅 |
午後8時20分 デンマークのコペンハーゲン駅到着。空は明るい。目の前には本場のチボリ公園がある。倉敷のチボリ公園はとっくに閉鎖されている。
2013年5月25日(土)雨 デンマーク・コペンハーゲン
午前7時 朝食のヴァイキングでは中国語が飛びかう。「開水」(お湯)と聞いて中国語だと知る。話をすると台湾のヒトだった。その人は親切にも洋ナシの皮をむいてくれ、皿に置いてくれた。朝食のパンはさすがにデンマーク。デニッシュ・ロールが並ぶ。広島から全国展開した“アンデルセン”のベーカリーはデンマークがお手本。デンマークでは食べなかったけれどノルウェーで食べたデニッシュ・ロールは日本のほうが一枚上手。
この頃から、北欧の町には何処にも目立つ看板や広告物がないと気付く。コペンハーゲンは商人たちの港の意味だとか。
午前9時35分 クリスチャンボー宮殿到着。通りに面して建っているビルはどれも半地下構造。寒さ対策としての工夫らしい。
午前9時50分 アンデルセンの住んでいた家を外から見学。
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| アンデルセンの住んでいた家 |
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| 港には観光船が停泊。まるで絵本の世界。 |
勤務中の近衛兵の横に立って写真に収まる。また衛兵のいない頃を見計らって勝手に赤いボックスに立って写真に収まった。旅の恥は掻き捨て、なんでも経験!?
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| 宮殿に立つ衛兵
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| 人魚姫の像 |
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| 観光船は狭い橋げた上手くすり抜ける |
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| アンデルセンの像 |
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| コペンハーゲン市街を走るバス |
午後2時半、昼食後再度フリータイム。昼食は大きなサンドイッチ、スープ、ケーキで美味。朝食を食べなかった人がフリータイムで買った小さいリンゴ1個はなんと姫リンゴ位の大きさなのに25クローネ(500円)。これを聞いて吃驚する。物価が高い。
午後3時15分 バスは港に到着。クルーズ船DFDSシーウエイズでオスロまで1泊2日のクルーズの旅。生まれてはじめて大型クルーズ船に乗る。
午後5時45分 クルーズ船内でヴァイキングの夕食。ヴァイキングといえば北欧が発祥の地。この食事の仕方を日本流にアレンジしたものが現在日本でいわれるところのヴァイキングだとか。ホテルよりもどこよりも船の食事が美味しい。何でも揃っている。売店、クラブ、プール、カジノと何でもあり。クルーズ船の客室は9階の海側。一人参加の客室を訪問すると広さは我々の部屋より倍くらいあり、カウンターバー、テレビ、冷蔵庫、ドライヤーもある。おまけにウエルカム・サービスもあった。
船内の売店でまたもやチョコレートを購入してデンマーク通貨を使い切る。
ツアーの人の部屋は全て海側にあり、日が沈む様子を眺めながら写真に収める。午後9時半ごろ日は落ちる。だが明るい。一人でいたならば海に沈む夕陽を見つめて涙がでたかもしれない。それくらい太陽は神秘的。タブレット端末にも写真で収める。
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| 夕陽が海に落ちる。一面海。 時に海の餌を求めて鳥が飛び、客船が通り過ぎる。 |
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| クルーズ船が到着するあたりから見えるフィヨルド。 |
船はノルウェーの首都オスロ到着。
午前5時半起床。客室から海を眺めていると突然クレーンのような機械が目の前をゆっくり通り過ぎる。ビルなどの窓を掃除する機械のように窓に水を吹き付けてきれいにしてゆく。外は海だから水を流しても丁度いい!?これには吃驚。
ほとんど白夜のためか一晩中明るい。午前6時過ぎには島も見えてくる。船から見る外の光景は生まれてはじめて目にする。
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| DFDSシーウエズに乗船して1泊2日のクルージング。 デッキに出て写真に収める。風が強くて吹き飛ばされそう。 |
午前10時 オスロに下船。快晴。オスロ市内を観光。市庁舎で献霊式(この字はもしかして間違っているかもしれない)で若者が大人になるセレモニーに参加する人たちと出くわす。キリスト教の信者の人は大人になると教会から多くの捧げモノをいただく。だが信者でない人々はそのおこぼれをもらえない。そこを市が代わって行う儀式らしい。
民族衣装で着飾った親子。日本で親子が成人式に着物で出席するようなコト!?ともあれ、いい場面に出くわせてもらって幸せな気分になる。家族で参加していていた人たちと一緒に記念写真に収まる。
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| 着飾って献霊式に出席する母と娘 |
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| 式を前にして市庁舎に入る人々 |
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| ヴァイキング博物館内の船 |
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| ヴァイキング博物館。アーチの先端はアメリカを向いている。 1003年、ノルウエーの先祖はアメリカへ渡る。 |
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| 人間とその一生をモチーフに約200もの彫刻を配しているフログネル公園。 ノルウエーで一番大きい公園。 |
このきれいな青空の下、ノルウエーの人々は家の内外にお金を費やし、旅をすることが楽しみらしい。どこのお家も木材の外壁に色とりどりのペンキが塗ってあり、これもお見事というほかない。
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| 怒りん坊 |
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| 日照時間が短い。束の間の太陽を公園で浴びる半身欲の人々。 |
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| 菩提樹の木々を歩くフログネル公園。 見事な空の青さと真っ白い雲と菩提樹の緑。 |
午後2時35分 バスはクローテレ湖で休憩。湖のほとりではタンポポが咲き乱れている。その中に入ってツアーの人が言うままに互いにポーズをとって写真に収まる。まるでメルヘンの世界にいるよう。楽しかった!
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| 途中下車のクローテレ湖。 |
バスが出発する頃は気温は25度あった。それも高度があがるにつれて山々の木々もなくなり肌寒くなる。800メートルあたりでは雪山になる。
途中、ゴルで休憩。スーパーでお水を購入。13クローネ(260円)と物価は高い。この日は日曜日なのでプロテスタントの国ノルウエーではアルコール類の販売はない。
午後4時 バスの中では賛美歌が流れる。
午後5時45分 雪山下車。高度1132メートル。流れる川の水は凍っていた。
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| 高度が高くなるにつれ、見渡す山々には残雪がある。 途中下車して写真タイム。 |
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| 木造のスターブ(ヒルケ)教会 |
午後6時40分 ホテル到着。ホテルの売店でヴァイキング博物館で買い損なったヴァイキングの船をあしらったペンダント購入。夕食はビールを注文。73クローネ(1460円)。またもや物価が高いと実感する。夕食後、ピアノのある部屋へ移動する。日本で以前ヒットした歌を演奏している。小倉の人とマイクの前に立って歌う。他の人も楽しく歌って過ごす。
さすがにノルウエー。真夜中もかなり明るい。だがよく眠った!
2013年5月27日(月) ノルウエー・ソグネフイヨルド地区
午前6時35分日の出。朝食前、ホテル付近を5人で散策。どの家もかわいすぎて、いろんな色のペンキが塗ってある。それと木々の緑と空の青さがマッチしてまるで童話の世界。
午前7時半 朝食。
午前9時10分 バスはホテルを出発し、世界最長のトンネルを抜ける途中、運転手さんはバスを止めてくれて撮影タイム。夢の世界というか雪国にいるようなトンネルだった。
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| トンネル内の写真。日本のトンネルとは違ってまるで夢の世界!? 日本人の奥さんを持つ運転手さんは、わざわざトンネル内でバスを止めてくれた |
また途中から雨も降り出し、船内に入る。中には日本からのピース・ボートの人たちや中国人で一杯。ピース・ボートの一人は我々がものめずらしいのか、くっついてきて話し始める。話を聞いていて次第にうんざりし、その場から逃げる。その中にはまだ幼い子供を連れた人もいた。
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| 船でソグネフィヨルルド観光。 |
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| 雪山を頂くフイヨルド、ツアー客の投げる餌を求めて鳥が飛ぶ。 |
4年前から世界を放浪中で、時々日本に帰っている。今回の旅では、ノルウエーの後、ロシアからウラジオストックまで列車に乗り、最後は中国のツアーに入って北朝鮮へ行くとも聞いている。
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| この駅で世界一周一人旅のYuryさんと出会う |
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| 途中列車を止めてショースの滝の絶景を写真撮影。 かなりの水飛沫を浴びての写す。 横から妖精が出てきたと聞いたけどこれ本当!? |
午後3時50分 ここでベルゲン鉄道に乗り換える。ところが、我々の席を中国人の団体が先に乗り、我々は他へ移動する。
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| ミュールダール駅 |
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| 列車から見る風景は雪景色。 |
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| ベルゲン鉄道のヴォス駅 |
午後4時50分 バスはハダンゲルフイヨルド地区に向けて出発。その途中ハダンゲルフイヨルドに面してトンネルを造成中だった。そのため道はでこぼこ。
午後5時 ホテル着。
午後7時 夕食。夕食に行く前、4階に宿泊するツアーの人からロケーション抜群とのことでその部屋を見に行く。部屋の目の前からフイヨルドが見える。そこで、小倉の2人組からフイヨルドをバックにした写真を数枚撮ってもらう。そこで今回の旅でもその人たちから「手助けをしてあげたくなる」と言われてしまった。
ヴァイキングの夕食の後は、ホテルのフイヨルドに面したガーデンに出てティータイム。桜が満開だった。だが屋外は肌寒く、しばらくして各自部屋に戻る。この頃、午後9時半。ところが部屋のトイレの水の出が悪い。部屋の相方は添乗員に部屋の交換を要求する。だが、部屋はお客で満杯らしい。どうにかシングルでダブルベッドの部屋を確保。
旅の間中、睡眠不足だった。相方はその部屋にするという、だが、ここは譲れず、シングル2部屋をどうにか用意してもらう。そしてシャワーのみの部屋でOKと言い残して鍵を受取り素早く部屋を替わる。お蔭でその日は熟睡できた。神様は睡眠不足を見届けて下さった!?
変更した部屋はフイヨルドに面していない。だが快適な部屋だった。添乗員はただフイヨルドに面していないことを気にする。とはいっても先ほどまでフイヨルドに面した部屋にいた。後は寝るだけだ。そんなことはまったく気にせず、ただ眠たい方が勝つ。
午後10時15分 シャワーを浴びて就寝。
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| ホテルの部屋から目の前に広がるハダンゲルフイヨルド。 |
2013年5月28日(火) ノルウエー・ハダンゲンフイヨルド地区
午前5時半起床 晴れ。カーテンをして寝ても白夜で明るい。だが寝不足も重なって熟睡する。
午前7時 朝食。ウエーターはやたらと日本語で話す。誰かが腕には日本語の刺青があると教えてくれる。それを写真に収める。
今回の旅では行く先々で「ありがとう」などの日本語を聞く。かなり日本ブームが起きているのだろう。ウエイターは刺青のように極真道の空手を習っており、日本へも2度来たと話していた。
ここで北欧談義。北欧のホテルでは空調設備がいいのか、まったく部屋の内・外の音がしない。そして何処も広告などの看板がない。そのためか町全体がスッキリして見える。
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| 刺青のしてあるウエイターの腕 |
またホテル前には石楠花(白と赤)が今を盛りと咲いている。バスのガイドは北欧に来る1週間くらい前から木々の緑も青々とし、桜や石楠花、その他の花々が咲き始めたという。どこへ行ってもメルヘンの世界。自分が出かけた国の中では一番とも言えるほど美しい国、そう思った。だがそれとは反対に食事は塩辛いだけで不味い!
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| ホテル前のフイヨルドに入るドイツの観光船。 |
午前8時15分 ホテルをバスは出発してベルゲン観光へ。約150キロメートル、2時間半かけてベルゲンの町まで向かう。
途中ハダンゲルフイヨルドを散策。バスから見るフイヨルドには橋もかかっている。ベルゲンへ向かうバスの車内ではベルゲン出身の作曲家でハダンゲルフイヨルドを愛したグリーグの曲も流れる。
午前9時20分 バスは途中下車して撮影タイム。サクランボの木が風になびき、心地よい。
午前9時50分 スタインダールの滝を見学。この辺りでデジカメの2ヶ目の電池が消耗する。滝の上までお花畑を通って行く。近づくにつれて滝の水飛沫を浴びる。虹も出ていた。
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| ハダンゲルフイヨルドにかかる橋 |
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| ベルゲン市内から山を見る |
午後2時25分 グリーグの家を観光後バスは出発。その後、フィッシュマーケット見学。鯖、たらなどの魚が所狭しと並べてある。そういえば、日本のスーパーで売られているサーモンや塩鯖はノルウエー産が多い。
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| 作曲家グリーグ・ミュージアム |
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| 世界遺産の町ベルゲン。 向こうに見える11件の建物が世界遺産。 通りの奥の建物とあわせると72軒が世界遺産。 |
ベルゲンで中世ハンザ同盟時代の雰囲気が漂う世界遺産の建物を見たり、お店を物色。その後、ふと目をやるとまるでサンタクロースのような男性がベンチに腰掛けている。話をするとノルウエーの人だった。5人で写真に収まる。
夕食前、再度、世界遺産の建物付近やホテル前の公園やデパートを1時間半ほど散策。ノルウエーの現地通貨が残っている、デパートの地下でチョコレートなど購入して使い果たす。
ホテル近くの公園は花などの植えられ整備されている。花々の植え方の配色も素晴らしく見習う点が多い。またグリーグの出身地らしく像もある。芝生に美人2人が座ってアイホンを触っている。ヨルダンの女性とノルウエーの女性だった。その人たちとも皆で写真に収まる。
午後7時 ホテルでの夕食はヴァイキングでなくコース料理。コースといっても大雑把な感じの料理。いつもの如く余り食べられない。ただデザート類と果物はここでも美味だった。
午後9時半就寝。これで家に帰ってゆっくり眠られると思うと嬉しくなる。なんといっても今回の旅は寝不足が付きまとう。
また今回の旅では、滞在日数が短いにもかかわらず3ヶ国の現地通貨を両替した。その大半は夕飯のホテルでのビール代に消える。だが残りの通貨を使い果たしたい。チョコレートなど購入して使い果たす。クレジットカードの国らしく、現地通貨に替えなくても用は足りると現地へ行って初めて知る。
2013年5月29日(水) ノルウエー・ベルゲンーオランダ・スキポール空港
午前4時 起床。何故これほど早く起きねばならないのか、と思うと余計寝不足も限界に達する。
午前6時15分 朝食。
午前8時15分 バスは空港へ向けて出発。
その時ガイドからノルウエーはロシアに次ぐ油田の産出国であると聞く。空港で荷物検査の後、その日80歳になる人がいなくなる。しばらく探した後、きっと入国審査をしているとの判断で先に行くとちゃっかりと椅子に座っておられた。
ベルゲンからトランジットしたオランダの空港の気温13度。大雨になる。機内の横は唐津の女性。旅の最後になってその人自身についての話を聞く。5年前までパーチワークをしていたとか。その作品をデジカメで見る。またその人の先生は日本よりも先にアメリカで認められ、日本でもパッチワークでは有名な人らしい。全国から弟子が唐津に習いに来ているという。
2013年5月30日(木)福岡国際空港
オランダのスキポール空港から無事福岡空港に到着。空港で解散後、4人で空港内の“うどん”を食べる。やっぱり日本は醤油文化の国。外国から帰ってくると一番先に食べたいものは“うどん”やお寿司。日本食はどれも美味しい。その後は小倉の人たちと3人で空港内のカフェに入る。かなり長い間話をする。それにしても参加者は同年齢の人たちがほとんどだった。皆それぞれ人生を楽しんでいる。
北欧の旅ではツアーの人以外にも多くの人たちとの出会いがあった。その意味でも楽しい旅だった。特に世界を一人旅しているYuryさんとの出会いは印象深い。本当にいい旅だった。これからもいろんな国へ出かけよう!
2013年6月10日月曜日
プールで
今日は昨日と打って変わって太陽が燦燦と輝いている。これだと日中はカンカン照りになりそうだ。
昨日は雨の中、勇気を出して泳ぎに行く。勇気を出すといってもその時刻は午後3時前。やっぱり泳ぎに行こうと思い出かける。
中に入ると子供たちの歓声が聞こえる。大人はほとんどいない。いつもの如くクロールと背泳ぎを交互にして泳ぐ。ところが6回目辺りで他のコースの小学校3,4年生位の男児がぶつかってくる。どうもコースを外れて泳いでいたらしい。その時はクロールで泳いでいたので前が見える。だが、泳いでいる人が大人のプールにいなかった。まさかのハプニングに気付かず、すぐに足をつけて立つ。
右手の親指が男児にあたったようだ。幸い子供だったのでこちらの被害はない。だが大人だったらと思うと怖い。
横で歩いていたいつも見かける女性が声をかけてくる。そして何も声を発していないのに、その女性は係りに大きな声で叫ぶように話し始める。怪我をしたらどうするのか、救急車を呼ぶようになるよと言っている。そして一人で先に泳いでいた、とかばってくれる。もちろん悪いのは男児のほう。コースを外れて泳ぐ方が悪い。それがわかっていても声を荒げるほどのことでもない。
何も言わないから余計気になるのか、その女性は代わって係りに何度も言っている。係りから大丈夫か聞かれる。男児のほうが気になると話すと子供にも聞いていた。
子供は走り出す時と咄嗟にはブレーキが利かない。それと同じことで泳いでいても歯止めが利かないのだろう。多分、男児2人は「よーいドン」で泳ぎ始め、最初からうち1人は方向が逆のコースだったと思われる。ロープは一コースごと張られていない。スタートの位置が記されているだけだから迷ったのだろう。
訴えていた女性は以前人とぶつかって首が痛くなり病院に通ったと係りに話していた。
日曜日のプールは人が多い。だから他の曜日に行こうと思っていた。だが、思い立ったらすぐ行動したいので昨日出かけた。次からは平日に行くようにしよう。
今週は先週までと違って毎日外に出歩かなくてもいい。今日は余り練習していないフルートを吹いたり、旅の模様をブログにまとめたりしてのんびり過ごそう。今日も元気で!
昨日は雨の中、勇気を出して泳ぎに行く。勇気を出すといってもその時刻は午後3時前。やっぱり泳ぎに行こうと思い出かける。
中に入ると子供たちの歓声が聞こえる。大人はほとんどいない。いつもの如くクロールと背泳ぎを交互にして泳ぐ。ところが6回目辺りで他のコースの小学校3,4年生位の男児がぶつかってくる。どうもコースを外れて泳いでいたらしい。その時はクロールで泳いでいたので前が見える。だが、泳いでいる人が大人のプールにいなかった。まさかのハプニングに気付かず、すぐに足をつけて立つ。
右手の親指が男児にあたったようだ。幸い子供だったのでこちらの被害はない。だが大人だったらと思うと怖い。
横で歩いていたいつも見かける女性が声をかけてくる。そして何も声を発していないのに、その女性は係りに大きな声で叫ぶように話し始める。怪我をしたらどうするのか、救急車を呼ぶようになるよと言っている。そして一人で先に泳いでいた、とかばってくれる。もちろん悪いのは男児のほう。コースを外れて泳ぐ方が悪い。それがわかっていても声を荒げるほどのことでもない。
何も言わないから余計気になるのか、その女性は代わって係りに何度も言っている。係りから大丈夫か聞かれる。男児のほうが気になると話すと子供にも聞いていた。
子供は走り出す時と咄嗟にはブレーキが利かない。それと同じことで泳いでいても歯止めが利かないのだろう。多分、男児2人は「よーいドン」で泳ぎ始め、最初からうち1人は方向が逆のコースだったと思われる。ロープは一コースごと張られていない。スタートの位置が記されているだけだから迷ったのだろう。
訴えていた女性は以前人とぶつかって首が痛くなり病院に通ったと係りに話していた。
日曜日のプールは人が多い。だから他の曜日に行こうと思っていた。だが、思い立ったらすぐ行動したいので昨日出かけた。次からは平日に行くようにしよう。
今週は先週までと違って毎日外に出歩かなくてもいい。今日は余り練習していないフルートを吹いたり、旅の模様をブログにまとめたりしてのんびり過ごそう。今日も元気で!
2013年6月9日日曜日
浴衣etc.
今にも雨が降りそうな朝を迎える。
今日までの3日間、市内中心部では「とうかさん」の浴衣祭りが開催される。せっかくの浴衣を着始めるお祭り。雨にならないといいのだが・・・。
昨日午後、市内へ出かけるため呉からのJRに乗る。車両の中ほどが空いている。中に入るとその意味がわかった。
5,6名くらいの若い女性が浴衣で座っている。だがその恰好はまるで西洋花魁。この表現があるかどうか知らない。だがそう思えた。浴衣の帯は胸元で結ぶ。一般的に着物姿は帯は後。それが前で結ぶ大きな帯。浴衣の両肩は花魁のように両肩をさらけ出し、胸も丸見え。また髪型はアップにして大きなリボンをつける。顔は目の下に光物を並べ、指先はマニキュアをした爪にいろいろなものをくっつける。浴衣の柄は黒地に真っ赤な大きな花が施してある。
これじゃ、男性はその前に立つことはできない。
それにしてもこの恰好は浴衣メーカーではなく美容院のアイデアだろう。これこそ親の顔が見てみたい!
他には浴衣地で作った甚兵衛さんの恰好もいる。長いこと「とうかさん」のお祭りも出かけていない。かなりのカルチゃーショックを受ける。
JRを下車後は中心部の画廊に出かけて友人の作品を見る。展覧会のタイトルは「弧群展」。名前がいい。人に聞きながらやっと見つけて画廊に入る。ビルの1,2階を画廊にしている。入るとすぐに友だちの作品が展示してある。友人は7作品出品。いずれも素晴らしい!
2階に上がると男性2名からいろいろと説明してもらう。いつもながら絵画には疎い。ある人は何色かを斜めにした筆使いで描いている。これが絵画?と不思議そうにしていると係りは見るものの感性だという。そうはいってもそれが絵画とは思えない。まだまだ見る目がない!?
話を聞いていると絵画を習うようすすめられる。あり難いお話だけど、その場では返事をしなかった。
その後は、三越でメガネを受け取り、すぐにスペイン語の講座に出かける。以前10ヶ国語を話すと偉そうに言ってた人がいる。その人はもう講座に来ないのだろう。今月から姿が見えない。
今日は泳ぎに行く予定にしていた。だが、空模様があやしい。泳ぎは明日にして、今日は図書館へ行こう!今日も元気で!
今日までの3日間、市内中心部では「とうかさん」の浴衣祭りが開催される。せっかくの浴衣を着始めるお祭り。雨にならないといいのだが・・・。
昨日午後、市内へ出かけるため呉からのJRに乗る。車両の中ほどが空いている。中に入るとその意味がわかった。
5,6名くらいの若い女性が浴衣で座っている。だがその恰好はまるで西洋花魁。この表現があるかどうか知らない。だがそう思えた。浴衣の帯は胸元で結ぶ。一般的に着物姿は帯は後。それが前で結ぶ大きな帯。浴衣の両肩は花魁のように両肩をさらけ出し、胸も丸見え。また髪型はアップにして大きなリボンをつける。顔は目の下に光物を並べ、指先はマニキュアをした爪にいろいろなものをくっつける。浴衣の柄は黒地に真っ赤な大きな花が施してある。
これじゃ、男性はその前に立つことはできない。
それにしてもこの恰好は浴衣メーカーではなく美容院のアイデアだろう。これこそ親の顔が見てみたい!
他には浴衣地で作った甚兵衛さんの恰好もいる。長いこと「とうかさん」のお祭りも出かけていない。かなりのカルチゃーショックを受ける。
JRを下車後は中心部の画廊に出かけて友人の作品を見る。展覧会のタイトルは「弧群展」。名前がいい。人に聞きながらやっと見つけて画廊に入る。ビルの1,2階を画廊にしている。入るとすぐに友だちの作品が展示してある。友人は7作品出品。いずれも素晴らしい!
2階に上がると男性2名からいろいろと説明してもらう。いつもながら絵画には疎い。ある人は何色かを斜めにした筆使いで描いている。これが絵画?と不思議そうにしていると係りは見るものの感性だという。そうはいってもそれが絵画とは思えない。まだまだ見る目がない!?
話を聞いていると絵画を習うようすすめられる。あり難いお話だけど、その場では返事をしなかった。
その後は、三越でメガネを受け取り、すぐにスペイン語の講座に出かける。以前10ヶ国語を話すと偉そうに言ってた人がいる。その人はもう講座に来ないのだろう。今月から姿が見えない。
今日は泳ぎに行く予定にしていた。だが、空模様があやしい。泳ぎは明日にして、今日は図書館へ行こう!今日も元気で!
2013年6月8日土曜日
広響演奏会etc.
梅雨に入ったというのに雨が降らない。今朝の地元紙を見るとその影響を嘆く記事がある。農家にとっては雨が降る降らないは死活問題かもしれない。個人的には今日も気持いい朝を迎える。
今週は旅の疲れを吹き飛ばして毎日よく出歩く。昨日は日中、家にいて夕方から広島交響楽団の定演を聞きに行く。今年度の広響は夏から秋にかけて大物アーティストを迎えての演奏会がある。そのためか、観客は以前よりも少し若返っている感じ。
昨夜の第330回の定演では“ブラームス&ラフマニノフ”と銘打ち、ブラームスのヴァイオリン協奏曲二長調OP.77とラフマニノフの交響的舞曲OP.45が演奏された。どちらも曲としては長い。
前者は広響コンサートマスター田野倉雅秋がヴァイオリンを奏でる。前列2番目の座席だった。だが、目の位置が舞台と同じ高さになる。演奏が始まる前、すぐに空席を見つけ移動する。この曲のソロを大好きな天満敦子や古澤巌が演奏したならばどんなだろう、と想像して聞く。田野倉は難しそうな曲を汗かきながらも見事に演奏する。
後者のラフマニノフの曲も美しく、いい演奏会だった。
演奏といえば、思い出す。一昨日のスペイン語でやっとジャズ・ボーカリストのヒトがわかった。聞いていたとおり、派手な人だった。何が派手といって服装や髪型が普通ではない。
着ている服はあでやかなピンクで髪は明るい茶髪。先生が名指しで質問される時、「〇〇〇先生」とその人の下の名を呼ばれたので誰だかわかった。
人前でジャズを歌うのだからいつも目立つ恰好でいいのかもしれない。いつかその人の歌を聞いてみたい。いろんなところで習うと様々なヒトに出くわす。
様々な人といえば昨日午前中、小倉の2人組の1人から写真が送られて来た。かなり枚数がある。すぐにお礼の電話をする。その中で、「会う」話になる。先日ネットで小倉や福岡までの高速バスを調べると1週間前に予約すれば一便10人ほど半額になる設定があった。
それを利用すると小倉までは広島から3時間で行かれる。これを利用しようとした。3人の日程とバス会社の空席を探してどうにかゲット。だがそれも夕方無理との連絡が小倉から入る。再度設定しなおしてまた空席をゲット。だがそれもまた後から日程が合わないと言われる。
バス会社との電話予約のやり取りや小倉の人たちの電話で夕方には疲労困憊気味。小倉の人たちには申し訳ないけど、今回のことは白紙に戻す。
ナニゴトも面倒なことが好きでない。モノゴトはナニゴトもすーっと決まる、いつもその気持で動いている。だからああだこうだと迷いだしたら振り出しに戻している。
人のお世話をコマメにする人がいる。その意味ではあり難い人たちだ。
お世話といえば一昨日の地元紙にひどい記事がある。今回はじめて利用した旅行社の記事だ。これを読んでもう利用したくない。ツアーで英国に出かけた人が空港で「頑張って帰ってきて」とヒースロー空港で置き去りにされた事件。手荷物検査の再検査で無作為に選ばれ、飛行機に乗る時間に間に合わず、後日一人で帰国する羽目になる。
我々の今回の添乗員はこれまで利用した添乗員よりもいい人だった。だから旅行社を変と決め付けたくない。だが、この事件はやはりおかしい。一人で旅行できないから添乗員付きのツアーに参加する。それが、一人取り残されてしまうとは・・・。だからか、今回の添乗員は「一人でも欠けたら帰国できません」と言っていた・・・。
これまで何度か海外に出かけている。トラブったことは一度だけある。23年半前のお正月、トルコ方面へ出かけた。その2ヵ月後父が亡くなる。これを最後にお正月は海外に出ないようにする。だから覚えている。
旅行日程が会社の休日と重なる時は内緒で海外に出かけていた。ところが、大雪のためトルコからの飛行機がオランダに到着しない。トルコ旅行といっても利用する会社は英国航空でオランダ発着だった。大手旅行社に参加した。飛行機を待つ間の1泊2日旅が延びた。その旅費の全てを観光宿泊つきで旅行社は出してくれた。そして日本の家族とのやり取りも全て旅行社が持ってくれた。
このことがあるので、旅行する際は旅行社を選ぶ。安いだけでは決して利用しない。今回の新聞記事を見て特にそう感じた。だが何度も書くけど添乗員はこれまでの中でも一番といえるほどいい人。だからそう思ってはいけないかもしれない。
ともあれ、無事に楽しく旅が出来ればそれでいい。
今日は午後から画廊に出かけて友だちの絵を見た後、三越でメガネを受取る。そして夜はスペイン語講座に出かける。それまで、スペイン語の課題の「小学校時代」についてスペイン語で書こう。
今日も元気で!
今週は旅の疲れを吹き飛ばして毎日よく出歩く。昨日は日中、家にいて夕方から広島交響楽団の定演を聞きに行く。今年度の広響は夏から秋にかけて大物アーティストを迎えての演奏会がある。そのためか、観客は以前よりも少し若返っている感じ。
昨夜の第330回の定演では“ブラームス&ラフマニノフ”と銘打ち、ブラームスのヴァイオリン協奏曲二長調OP.77とラフマニノフの交響的舞曲OP.45が演奏された。どちらも曲としては長い。
前者は広響コンサートマスター田野倉雅秋がヴァイオリンを奏でる。前列2番目の座席だった。だが、目の位置が舞台と同じ高さになる。演奏が始まる前、すぐに空席を見つけ移動する。この曲のソロを大好きな天満敦子や古澤巌が演奏したならばどんなだろう、と想像して聞く。田野倉は難しそうな曲を汗かきながらも見事に演奏する。
後者のラフマニノフの曲も美しく、いい演奏会だった。
演奏といえば、思い出す。一昨日のスペイン語でやっとジャズ・ボーカリストのヒトがわかった。聞いていたとおり、派手な人だった。何が派手といって服装や髪型が普通ではない。
着ている服はあでやかなピンクで髪は明るい茶髪。先生が名指しで質問される時、「〇〇〇先生」とその人の下の名を呼ばれたので誰だかわかった。
人前でジャズを歌うのだからいつも目立つ恰好でいいのかもしれない。いつかその人の歌を聞いてみたい。いろんなところで習うと様々なヒトに出くわす。
様々な人といえば昨日午前中、小倉の2人組の1人から写真が送られて来た。かなり枚数がある。すぐにお礼の電話をする。その中で、「会う」話になる。先日ネットで小倉や福岡までの高速バスを調べると1週間前に予約すれば一便10人ほど半額になる設定があった。
それを利用すると小倉までは広島から3時間で行かれる。これを利用しようとした。3人の日程とバス会社の空席を探してどうにかゲット。だがそれも夕方無理との連絡が小倉から入る。再度設定しなおしてまた空席をゲット。だがそれもまた後から日程が合わないと言われる。
バス会社との電話予約のやり取りや小倉の人たちの電話で夕方には疲労困憊気味。小倉の人たちには申し訳ないけど、今回のことは白紙に戻す。
ナニゴトも面倒なことが好きでない。モノゴトはナニゴトもすーっと決まる、いつもその気持で動いている。だからああだこうだと迷いだしたら振り出しに戻している。
人のお世話をコマメにする人がいる。その意味ではあり難い人たちだ。
お世話といえば一昨日の地元紙にひどい記事がある。今回はじめて利用した旅行社の記事だ。これを読んでもう利用したくない。ツアーで英国に出かけた人が空港で「頑張って帰ってきて」とヒースロー空港で置き去りにされた事件。手荷物検査の再検査で無作為に選ばれ、飛行機に乗る時間に間に合わず、後日一人で帰国する羽目になる。
我々の今回の添乗員はこれまで利用した添乗員よりもいい人だった。だから旅行社を変と決め付けたくない。だが、この事件はやはりおかしい。一人で旅行できないから添乗員付きのツアーに参加する。それが、一人取り残されてしまうとは・・・。だからか、今回の添乗員は「一人でも欠けたら帰国できません」と言っていた・・・。
これまで何度か海外に出かけている。トラブったことは一度だけある。23年半前のお正月、トルコ方面へ出かけた。その2ヵ月後父が亡くなる。これを最後にお正月は海外に出ないようにする。だから覚えている。
旅行日程が会社の休日と重なる時は内緒で海外に出かけていた。ところが、大雪のためトルコからの飛行機がオランダに到着しない。トルコ旅行といっても利用する会社は英国航空でオランダ発着だった。大手旅行社に参加した。飛行機を待つ間の1泊2日旅が延びた。その旅費の全てを観光宿泊つきで旅行社は出してくれた。そして日本の家族とのやり取りも全て旅行社が持ってくれた。
このことがあるので、旅行する際は旅行社を選ぶ。安いだけでは決して利用しない。今回の新聞記事を見て特にそう感じた。だが何度も書くけど添乗員はこれまでの中でも一番といえるほどいい人。だからそう思ってはいけないかもしれない。
ともあれ、無事に楽しく旅が出来ればそれでいい。
今日は午後から画廊に出かけて友だちの絵を見た後、三越でメガネを受取る。そして夜はスペイン語講座に出かける。それまで、スペイン語の課題の「小学校時代」についてスペイン語で書こう。
今日も元気で!
2013年6月7日金曜日
『ザ・タイガースでピーと呼ばれた男 ロング・グッバイのあとで』
梅雨とは思えないほど気持いい朝を迎える。これから本格的な夏に向かって、今の気候が続けば・・・と思ったりする。
昨日は3週間ぶりに木曜日のスペイン語教室に出かける。先生の服装もすっかり様変わりしてスペイン語をあしらったかわいいデザインのTシャツを着て講義をされる。
3回も続けて欠席すると、授業もかなり進んでいる。大学で1年弱習っていても、短期間ゆえどうしても習っていないところがある。昨日の序数や分数の言い方も大学では習っていない。また数字も大まかに習っただけ。昨日は万単位の数の言い表し方で躊躇する。
例えば20,000は日本語だと10,000×2で20,000と言い表すところを1,000×20の言い回しにする。何故そうするのか合点がいかず、先生に質問すると、10,000,000を例にし1,000単位でカンマで区切ってmilをつける。だが1,000,000はこれを1単位としてmillionとする。
数字の表示の難しさはこれ以外にもある。例えば5冊の本など量詞がつくとその名詞によって数字も男性、女性と区別する。アタマがこんがらがってしまう。やはり習うより慣れろ!?
他にもスペイン語では7月から10月までが英語と2ヶ月ズレている。その理由は英語の7月と8月がジュリアス・シーザーとアウグスティヌスの二人の名を7月8月に取り入れているため。これは知らなかった。
昨日はスペイン語教室へ出かける前、図書館で予約していた本を手にする。4冊のうち1冊は、先日TVで見た瞳みのるの『ザ・タイガースでピーと呼ばれた男 ロング・グッバイのあとで』(集英社、2011年)を一気に読む。
テレビを見ているので大体のことは想像がつく。人気絶頂の4年という短い期間、瞳は引退する。その間節約して当時のお金で1千万円の貯金をする。それを元手にして引退後翌日から定時制高校に戻り、慶応大学、大学院を卒業。その間北京大学へも留学している。
慶応と早稲田を受けて、慶応は補欠入学。早稲田の合否を待ってもしもダメだったら一生早稲田を負い目にすると感じ結果は見ないで慶応大学へ入学。
小さい頃はもとは金持ちの家だったらしい。ところが小学校時代家が破産。実母は2歳で病死。小学校時代から自活の道を歩み、新聞配達、牛乳配達などして過ごす。
同時代を生きてきてその時代がどんな時代であったかよくわかる。テレビなどなく、どの家も皆貧乏な時代だった。
我が家も似たり寄ったり。だが小さい頃、自分でお金を稼ぐ苦労はしていない。
またいつものように何点か記録すべきところを書いておこう。
「どのような事態になっても、一生自分から離れないものとは?そのように考えると、やはり勉強が頭に浮かんできた。これまでしっかりやってこなかった勉強をやろう。これは何時でも何処へでも持っていける。ともかく、勉強はしたい。僕に欠けていたものを補おうという思いが日に日に強くなってきた。」122p
そして瞳は定時制高校で学んだ中国語に目覚め、中国文学を志す。当時いや今でも高校で中国語を教えるところがそんなにあるとは思えない。だが京都府の府立高校ではそれを教えていた。
「『青春時代は死ぬ時に終わる』と今でも僕は考えている。本当に時間には切れ目がないのだ。地球が地面で繋がっているように、時間の連続が一生だとすると、何時までが何で、何時までが何であるかは、画然とはしていない。日本の四季が行きつ戻りつつ過ぎてゆくとしたら、人生の時間もそのようにたゆたいながら過ぎてゆく。」127p
「『活到老、学到老、学無止境。』(学問というものは死ぬまでのもので、これで終わりということはない。生きている限り学び続ける) これは単に学問だけではなく、その他のことにも当てはまるし、また当てはめたい。生活、仕事、愛情、趣味その他諸々に。」128p
「一九八一年八月に、僕は北京の空港に降り立った。・・・」131p
1982年から中国語を習った。瞳はこれよりも1年早く北京へ留学している。見る目がある!?
「解散後、徹頭徹尾ザ・タイガースのメンバーと会わなかったり、マスコミを避けたのは、柴田錬三郎さん一家との『もう芸能活動は一切しない』という約束と、我が家をマスコミにさらしたくなかったからだ。約束は四十年近く守り、子供は理解力も備わった年齢に達し、子供を励ます意味でも僕の過去を知らせ、お前の親父の『実像』はこうであったと、隠すことなく、ありのままを伝えたくなった。」183p
その後、同じく慶応大学の学生時代知り合って結婚した8歳年下の医師である奥さんと2008年に離婚。そして明治期の音楽と出会い、メンバーと再会し、再結成の時期が熟したことなどのさまざまな条件が整ってこの本を著す。
「これまでの人生で、随分無駄なことをしたり、無駄な時間を過ごしたと思ったりしたが、今思うと全てが必要であった。無駄なものは何もない。困難があったからこそ、今の幸せがある。遠回りをしたから今の道を発見できたのだ。思うに人生に近道も遠回りもないと。迷惑をかけ、迷惑をかけられ、人を傷つけ、人に傷つけられ、今がある。悲しみが深いだけ喜びも深い。時計の振り子のように絶望の揺れが大きいだけ感動の揺れも大きい。大きく深い喜びをありがとう。馬鹿馬鹿しいと思わないで、馬鹿馬鹿しいことを一杯しよう。歳甲斐もないと思わないで、歳甲斐のないことを一杯する。不可能だと思ったら何もできない。」191-192p
「同世代から元気を貰おう。そして同世代に元気を返そう。そんな元気が僕らの中にぐるぐると回り、それが上下の世代の刺激になってもっと活気、元気、楽しみ、喜びに溢れた社会になれば、こんなに素晴らしいことはない。先ず僕ら団塊の世代から始めよう、『隗寄り始めよ』(事を始めるには、先ず自分自身から着手せよ)の精神で、元気のある社会づくりをしたい。」193p
定年後、瞳は劇症A型肝炎と脳溢血で倒れる。特に後者は中国の昆明でダウン。その際、付き合っている中国人女性と実の姉夫妻の手助けがある。
瞳はこれまで「人生を二倍生きて、感謝感謝」と言い切る。随所に専門の中国に関する解釈も見受けられる。並大抵の人生ではなかったはず。さらりと書いている。
しばらく本とご無沙汰だった。やっぱり本はいい。元気が沸いてくる。私も頑張ろう!
昨日は3週間ぶりに木曜日のスペイン語教室に出かける。先生の服装もすっかり様変わりしてスペイン語をあしらったかわいいデザインのTシャツを着て講義をされる。
3回も続けて欠席すると、授業もかなり進んでいる。大学で1年弱習っていても、短期間ゆえどうしても習っていないところがある。昨日の序数や分数の言い方も大学では習っていない。また数字も大まかに習っただけ。昨日は万単位の数の言い表し方で躊躇する。
例えば20,000は日本語だと10,000×2で20,000と言い表すところを1,000×20の言い回しにする。何故そうするのか合点がいかず、先生に質問すると、10,000,000を例にし1,000単位でカンマで区切ってmilをつける。だが1,000,000はこれを1単位としてmillionとする。
数字の表示の難しさはこれ以外にもある。例えば5冊の本など量詞がつくとその名詞によって数字も男性、女性と区別する。アタマがこんがらがってしまう。やはり習うより慣れろ!?
他にもスペイン語では7月から10月までが英語と2ヶ月ズレている。その理由は英語の7月と8月がジュリアス・シーザーとアウグスティヌスの二人の名を7月8月に取り入れているため。これは知らなかった。
昨日はスペイン語教室へ出かける前、図書館で予約していた本を手にする。4冊のうち1冊は、先日TVで見た瞳みのるの『ザ・タイガースでピーと呼ばれた男 ロング・グッバイのあとで』(集英社、2011年)を一気に読む。
テレビを見ているので大体のことは想像がつく。人気絶頂の4年という短い期間、瞳は引退する。その間節約して当時のお金で1千万円の貯金をする。それを元手にして引退後翌日から定時制高校に戻り、慶応大学、大学院を卒業。その間北京大学へも留学している。
慶応と早稲田を受けて、慶応は補欠入学。早稲田の合否を待ってもしもダメだったら一生早稲田を負い目にすると感じ結果は見ないで慶応大学へ入学。
小さい頃はもとは金持ちの家だったらしい。ところが小学校時代家が破産。実母は2歳で病死。小学校時代から自活の道を歩み、新聞配達、牛乳配達などして過ごす。
同時代を生きてきてその時代がどんな時代であったかよくわかる。テレビなどなく、どの家も皆貧乏な時代だった。
我が家も似たり寄ったり。だが小さい頃、自分でお金を稼ぐ苦労はしていない。
またいつものように何点か記録すべきところを書いておこう。
「どのような事態になっても、一生自分から離れないものとは?そのように考えると、やはり勉強が頭に浮かんできた。これまでしっかりやってこなかった勉強をやろう。これは何時でも何処へでも持っていける。ともかく、勉強はしたい。僕に欠けていたものを補おうという思いが日に日に強くなってきた。」122p
そして瞳は定時制高校で学んだ中国語に目覚め、中国文学を志す。当時いや今でも高校で中国語を教えるところがそんなにあるとは思えない。だが京都府の府立高校ではそれを教えていた。
「『青春時代は死ぬ時に終わる』と今でも僕は考えている。本当に時間には切れ目がないのだ。地球が地面で繋がっているように、時間の連続が一生だとすると、何時までが何で、何時までが何であるかは、画然とはしていない。日本の四季が行きつ戻りつつ過ぎてゆくとしたら、人生の時間もそのようにたゆたいながら過ぎてゆく。」127p
「『活到老、学到老、学無止境。』(学問というものは死ぬまでのもので、これで終わりということはない。生きている限り学び続ける) これは単に学問だけではなく、その他のことにも当てはまるし、また当てはめたい。生活、仕事、愛情、趣味その他諸々に。」128p
「一九八一年八月に、僕は北京の空港に降り立った。・・・」131p
1982年から中国語を習った。瞳はこれよりも1年早く北京へ留学している。見る目がある!?
「解散後、徹頭徹尾ザ・タイガースのメンバーと会わなかったり、マスコミを避けたのは、柴田錬三郎さん一家との『もう芸能活動は一切しない』という約束と、我が家をマスコミにさらしたくなかったからだ。約束は四十年近く守り、子供は理解力も備わった年齢に達し、子供を励ます意味でも僕の過去を知らせ、お前の親父の『実像』はこうであったと、隠すことなく、ありのままを伝えたくなった。」183p
その後、同じく慶応大学の学生時代知り合って結婚した8歳年下の医師である奥さんと2008年に離婚。そして明治期の音楽と出会い、メンバーと再会し、再結成の時期が熟したことなどのさまざまな条件が整ってこの本を著す。
「これまでの人生で、随分無駄なことをしたり、無駄な時間を過ごしたと思ったりしたが、今思うと全てが必要であった。無駄なものは何もない。困難があったからこそ、今の幸せがある。遠回りをしたから今の道を発見できたのだ。思うに人生に近道も遠回りもないと。迷惑をかけ、迷惑をかけられ、人を傷つけ、人に傷つけられ、今がある。悲しみが深いだけ喜びも深い。時計の振り子のように絶望の揺れが大きいだけ感動の揺れも大きい。大きく深い喜びをありがとう。馬鹿馬鹿しいと思わないで、馬鹿馬鹿しいことを一杯しよう。歳甲斐もないと思わないで、歳甲斐のないことを一杯する。不可能だと思ったら何もできない。」191-192p
「同世代から元気を貰おう。そして同世代に元気を返そう。そんな元気が僕らの中にぐるぐると回り、それが上下の世代の刺激になってもっと活気、元気、楽しみ、喜びに溢れた社会になれば、こんなに素晴らしいことはない。先ず僕ら団塊の世代から始めよう、『隗寄り始めよ』(事を始めるには、先ず自分自身から着手せよ)の精神で、元気のある社会づくりをしたい。」193p
定年後、瞳は劇症A型肝炎と脳溢血で倒れる。特に後者は中国の昆明でダウン。その際、付き合っている中国人女性と実の姉夫妻の手助けがある。
瞳はこれまで「人生を二倍生きて、感謝感謝」と言い切る。随所に専門の中国に関する解釈も見受けられる。並大抵の人生ではなかったはず。さらりと書いている。
しばらく本とご無沙汰だった。やっぱり本はいい。元気が沸いてくる。私も頑張ろう!
2013年6月6日木曜日
「元気を出して」
毎日のようにブログの最後に書いている言葉は「元気を出して」。先ほどNHK・FMを聞いていると竹内マリアで同タイトルの曲が流れる。どんな言葉も歌になっていると驚く。この歌詞はブログに投稿することとは少し異なる。だがその底辺は同じかもしれない。
今朝は燃えるごみの日。最近はカラスに負けてしまい、家の前にゴミを出さずに近所の人が出すところまで持って行く。家を数歩出ただけなのに、戻ると我が家の狭い庭に人が入っている。誰?と思うと電力会社のヒトだった。漏電の検査で家の中のブレーカーを声に出して点検する。それが終わると外に出てメーターチェック。
朝から一仕事をした感じになる。一仕事といえば昨日もそうだった。
姉夫妻は来週、職場のOB会で旅行に出かけるという。その前に我が家にやってきて自分の娘と落ち合うという。その際、旅のお土産を渡す。お土産にはスウェーデンのノーベル賞を模したチョコレートのメダルを10枚買っていた。買うといってもわざわざその売り場まで連れて行ってもらい、並んでやっとゲットしたもの。スウェーデン・クローネは添乗員の言うまま100クローネのみ両替する。日本円で2000円。お土産を買おうにも滞在時間が短い。旅行社から言われるままに両替したものの使い道がない。
スウェーデン通貨はそのチョコレートで使い果たす。
他にも現地通貨に両替したものを使い果たしたいため、チョコレート類を購入する。それを姉達にお土産として渡す。その後は久しぶりに姪とも会ったので4人で昼食に出かける。
昼間のお店は爺婆と姪のような子育て中の若者で一杯。こうなると曜日もわからなくなりそう。
お昼を済ませると義兄だけ我が家に戻って3人でスーパーに出かける。女性3人の買い物は長くなる。久しぶりいろんなことを話して楽しく過ごす。
今日は3週間も木曜日のスペイン語を休んでいる。何が何でも行かねばならない。これから図書館で予約の本を受け取り、夜はスペイン語へ行こう。そう、今日も元気を出して!
今朝は燃えるごみの日。最近はカラスに負けてしまい、家の前にゴミを出さずに近所の人が出すところまで持って行く。家を数歩出ただけなのに、戻ると我が家の狭い庭に人が入っている。誰?と思うと電力会社のヒトだった。漏電の検査で家の中のブレーカーを声に出して点検する。それが終わると外に出てメーターチェック。
朝から一仕事をした感じになる。一仕事といえば昨日もそうだった。
姉夫妻は来週、職場のOB会で旅行に出かけるという。その前に我が家にやってきて自分の娘と落ち合うという。その際、旅のお土産を渡す。お土産にはスウェーデンのノーベル賞を模したチョコレートのメダルを10枚買っていた。買うといってもわざわざその売り場まで連れて行ってもらい、並んでやっとゲットしたもの。スウェーデン・クローネは添乗員の言うまま100クローネのみ両替する。日本円で2000円。お土産を買おうにも滞在時間が短い。旅行社から言われるままに両替したものの使い道がない。
スウェーデン通貨はそのチョコレートで使い果たす。
他にも現地通貨に両替したものを使い果たしたいため、チョコレート類を購入する。それを姉達にお土産として渡す。その後は久しぶりに姪とも会ったので4人で昼食に出かける。
昼間のお店は爺婆と姪のような子育て中の若者で一杯。こうなると曜日もわからなくなりそう。
お昼を済ませると義兄だけ我が家に戻って3人でスーパーに出かける。女性3人の買い物は長くなる。久しぶりいろんなことを話して楽しく過ごす。
今日は3週間も木曜日のスペイン語を休んでいる。何が何でも行かねばならない。これから図書館で予約の本を受け取り、夜はスペイン語へ行こう。そう、今日も元気を出して!
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