2025年2月17日月曜日

『妖怪』(上)

 朝から日差しが出ている。が、この2,3日は寒さが戻るようだ。『妖怪』(上)(司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷)を読んだ。読み始めはただ目で字面を追っていたが本の半ばころから面白さがわかりだす。妖怪とあるように呪術などいろいろと出てくる。以下はその中から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★豪胆のようにみえてこの公卿もやはり公卿らしいところがあるのは、人を殺すことがいいらしい。怨霊のたたりをおそれるのである。公卿はすべてそうで、公家が政治をとっていた王朝の全盛期には死刑もなかった。人がやたら殺されるようになったのは保元・平治の乱や源平争乱以降のことである。人間が人間を虐殺するようになったのは武家が権力をにぎってからである。(「花ノ御所」)(81p)

★将軍の館は、それが京の室町にあったがために、「室町御所」とよばれ、また単に、「公方の御所」とよばれたりしている。……いまの将軍御所は、五代前の将軍義満がつくったものである。都の者はそのあまりな華麗さに「花ノ御所」とよんだ。義満はこの正式の住居のほかに北山の山麓に別荘をたて、広大な庭園をつくり、そこに仏舎利をおさめる三階建ての装飾用の建物を作り、建物ぜんたいに金箔を張った。高名な金閣である。(「兵法」)(199p-200p)

★宇賀ノ図子は、洛南である。ところが源四郎の足は、北へむかっていた。そこは酔っていたための錯覚だが、ひとつはまわりの空気が雀色に染まりはじめた黄昏どきだったからでもあろう。この黄昏のときを、源四郎の時代のひとびとは、「逢魔(おうま)の時」という。魔は夜よりもむしろ昼と夜のあいだの時刻に出てくるというのである。……ひとびとはこの時刻をおそれ、「夕ぐれ」というよりも――誰そ彼(たそがれ)といったのは、擦れちがうひとに対する恐怖がこもっているのであろう。たそがれとも言い、かわたれ、ともいった。――彼は誰(かれはたれ)ということである。(「唐天子」)(231p-232p)

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