2020年10月30日金曜日

『旅のつばくろ』

  先ほど初めてオンラインセミナーなるものに申し込んだ。コロナ禍になる前は講演会のはずが、時代も変化してオンラインセミナーにとって代わる。興味ある講演内容だったのですぐに申し込む。セミナーを視聴するにも誰でもすぐにみられるYOU TUBEとは違って、後日、セミナー視聴ページのURLと参考資料が送付されてくるそうだ。家に居ながらにして視聴できるオンラインセミナー。これからどんどん広まれば年老いてもまだいろんなことが吸収できる。

 以下は司馬作品の合間に読んだ『旅のつばくろ』(沢木耕太郎 新潮社、2020年)。久々の沢木作品を読むと文がとてもきれいで読みやすい。ここに取り上げたモロッコのマラケッシュの描写は、出かけて4年半になるジャマ広場を思い出す。季節は3月でそぼ降る雨が降り続き、入ったカフェの窓もドアも開け放たれていた。ただ、冷たい、寒い、ことが一番に思い出される。もちろん、ここに記してある光景もしっかり目に焼き付いている。このエッセイはJR東日本の旅の情報誌に掲載されたものをまとめた1冊とか。旅心誘われる本である。また、最後に記した井上靖との飲み会でのなれそめもほほえましい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう。

★旅人はいつでもこう思う。自分はこの地に来るのが遅すぎたのではないのか。もう少し早く来ていれば、もっとすばらしい旅があったのではないだろうか、と。……私が実際にマラケッシュに行ったのは、それから二十年以上経ってからのことだった。間違いなく、マラケッシュは驚きに満ちた不思議な街だった。ジャマ・エル・フナ広場に集まる大道芸人と屋台の群れ、迷路のように錯綜している市場(スーク)の通り、そしてひそひそと話しかけてくる怪しげな男たち……。しかし、そこで久しぶりに昂揚する日々を送りながら、私はどこかで思っていた。自分はここに来るのが遅すぎた。もう少し早く来ていれば、と。……旅人は、いつでもそこに行くのが遅すぎたのではないかと思う。もう少し前に来ていたらもっと自然な佇まいが残されていただろう、これほど観光化されていなかっただろうと。しかし、と一方で思わないでもない。……今が、時だ。奥入瀬渓流沿いの遊歩道を逆に辿り返しながら、私はそう思うことにしようなどと考えていた。132-136p

★旅に出ると、予期しないことに出くわし、楽しい思いをしたり、逆にがっかりするような目に遭ったりする。それを金運や結婚運のように「旅運」と言うとすると、確かに旅運のいい人と悪い人がいるかもしれない。どちらかと言えば、私は旅運のいい方だと思うが、それも旅先で予期しないことが起きたとき、むしろ楽しむことができるからではないかという気もする。たぶん「旅の長者」になるためには、「面白がる精神」が必要なのだ。141p

★それでも、また本は増え、三度目の処分が必要になっている。しかし、この三度目がさすがに最後のものとなるだろう。――何を残すか……。わからない。だが、確かなことは、残すのは堀辰雄の書庫にならべられていたくらいの本の数で、本当のこれからの人生で必要なものだけになるだろうということだ。186p

★だが、諦めるのはまだ早い。望んでいればきっといつか機会は訪れるはずだ。再び砂漠へ、そして今度こそ駱駝で、と望んでいれば……。196p

★詩歌文学館の井上さんの記念室には詩集だけでなく、「雪」と題された詩の生原稿が鮮やかな照明を受けて展示されていた。

――雪が降って来た。

――鉛筆の字が濃くなった

こういう二行の詩を読んだことがある。

……

 私は井上(注:井上靖)さんの生原稿を見ながら、心の中で謝った。――あの夜は遅くまで付き合わせて申し訳ありませんでした。しかし、そのあとで、でも、楽しかったから、いいですよね、と付け加えるのも忘れなかったが。不思議なことに文学館(注:岩手県の北上市にある日本現代詩歌文学館)の外に出ると、庭にはこのシーズン初めてだという「雪」が舞いはじめていた。それは、まるで、井上さんは天上から返事でもしてくれたかのような美しい雪だった。204-206p

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