2020年10月26日月曜日

今朝のネット記事から

  今朝は変な夢を見ていた。1人、釧路へ行く夢だが、なぜか母が行かないで、と駄々をこねる。それは空港で搭乗手続きをしようとする直前であり、母をどうしようか、と思いあぐねる。人に助けを求めるが誰も母の面倒を見てくれない。搭乗の飛行機に間に合わず、次の飛行機に乗るべくカウンターへと急ぐ。だが、肝心の搭乗券がない夢だった。

 母を介護していた期間は7年と長かった。その間、自分は何をすればよいか優先順位を決めてやっていた。1番は母の介護。その合間に自分のやりたいことをやる。寸暇を惜しんでの7年間だった。それから解放されて年が明ければ丸10年になる。それ以降、すべては誰からも束縛されない自分の自由な時間だ。やりたいことをやっている。だが今年のはじめから今日までコロナ禍でこれまでのように思うようには動けない。その反動が夢になってあらわれれたのだろうか。それとも、先日のバスツアーでちょっとしたトラブルに見舞われた。それが頭の隅に残り、母の戒めの言葉として夢になってあらわれたのだろうか。いずれにしても気をつけよ、との暗示に間違いなさそうだ。

 今朝のネット記事に北野武が語る「コロナ時代の閉塞感」との向き合い方がある。NEWSポストセブンの 提供で<北野武氏が「生き抜くヒント」を語った>とある。以下はその1部を抜粋したもの。

★無理かもしれないことは自分が一番よくわかってるんだけど、それでもやるのが大事なんだよね。「他人からの評価」じゃなく、自分が決めたところに向かっていく。そう考えることができれば、どんな小さなことでも、それだけで「生きていく理由」になるんじゃないか。

★どんなに小さなことだって構わない。そうやって「自分の中でコツコツ積み重ねていくこと」──もしかしたら、それがこんな時代を悲観せず、生き抜くヒントになるんじゃないだろうか。

 この中の「他人からの評価」はよくわかる。若いころ、世間を気にして生きてきた。遅まきながら30代半ばにこれに気づき、自分を中心にモノゴトを考えるようにした。自分自身に自信のないモノにとってはこれがいちばん自分を生きやすくする。それからというもの、やろうと思えば何でもやれる、と少しずつ自信がつきだす。そのとっかかりは中国語の学習か自転車に乗ることのどっちかだった。人ができることができずに育った。母はそんな私を見て人がやれることは誰だってできる、と常に励ましてくれた。それからというもの、いろんなことに手を出した。新しいことを始めるのは楽しい。それがさらにできるようになればもっと楽しい。これから先もたぶん、新しいことに挑戦し続けるだろう。それは何か、自分でも今はわからない。その時、ひらめいたことをやる。これが楽しい。コロナ鬱、全く関係なさそうだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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