2011年11月30日水曜日

小瀬川ダム湖畔へ

昨日は岩国在住の人と半年振りで会った。合流場所は岩国駅の一つ手前のJR和木駅。初めてその駅に降り立つ。

友人はブログを読んでもらってるようで、米子に続いて出かけるが疲れないか、とメールで心配してもらう。大丈夫、と電話で告げて予定通り昨日会った。

たった4ヶ月、県庁でバイトしただけなのにいつも親切にしていただく。その人の車で小瀬川ダム湖畔に行った。

その人は旦那さんがいない日を見計らってこの日に会うことを予定された。そのため時間を気にせず山道をどこまでも進んでいく。ここ3,4日、絶好の行楽日和。車窓から見る小瀬川渓流の景色は紅葉真っ盛り。山に入って行くと目的地に着いた。ところがそこは定休日。

しばらくその辺りをうろついていると、店主がやってきた。店内を見せてもらう。街中では決して見られない光景だ。友人はよく旦那さんと来ていたと嬉しそうに話す。

仕方なく次の場所へ車で移動。山道を車はさらに走る。しばらく行くと小瀬川渓流温泉についた。山小屋風のレストランが数件建っている。めぼしをつけたところも定休日。その近くにあるレストランに入る。

入ったお店は思いがけず、なかなか感じがいい。そこでランチをする。

友人は旦那さんとの馴れ初めなど嬉しそうに話してくれる。旦那さんとは先日、自宅に伺ったとき会っている。だが優しそうな人だったことは覚えているが、顔は覚えていない。申し訳ない。

友人の話は聴いていて説得力がある。またびしびしと我が身にこたえる。その辺りが多分ここまで長く続いている所以かもしれない。なんとなく波長が合っている。

先日の海外旅行でも、喪が明けるまで待ってから出かけるようにといった人もいた。ところがその人は待ってる暇はないといって背中を押してくれた。有難かった。昨日も石橋をたたいて渡るモノを「石橋をたたく暇はない!」と諭す。この言葉、昨日の話の中で一番のハイライト。思わず噴出してしまった!「よく言ってくれました」。有難い!

「ひらめき」で行動していると思っていた。ところが友人にはそうは見えないようだ。改めて気づかされた日となった。月日はあっという間に過ぎていく、と友人はいう。やりたいコト、したいコトをせずにいては後悔ばかりが残るというのだろう。

今日の友人の言葉を忘れないように…。

〇〇さん、昨日もまたご馳走になりました。ありがとうございました。次に会うときはさてさてどんな話がでるのでしょう。楽しみしています!

2011年11月28日月曜日

米子へ

3日間、米子へ行ってきた。宿泊場所は21年前旅行で知りあった友人女性宅。彼女は妹さんと2人で生活している。すべての日程は友人に任せた。

土曜日、広島バスセンター10時5分発、米子行きの高速バスに乗る。乗客は10数人くらい。バスは途中、庄原の七塚原のサービスエリアで10分間の休憩。13時35分定刻どおり米子駅着。そこまでの道のりは見渡す限り山、山、山。田舎に来た感じがする。

米子駅到着寸前、バスの車窓からは雪をいただいた伯耆富士大山(ほうきふじだいせん)が見えた。



米子駅で友人と合流。その際、大山が見えたと話すと2度目の冠雪だという。空は真っ青。はっきりと大山が見えた。ちょっと感激!

昼食は「蕎麦」。蕎麦は広島ではほとんど食べない。ところが米子は出雲に近いためか蕎麦どころだという。温かい蕎麦と、ミニ・アナゴどんぶりを食べた。友人は冷たい蕎麦で。このメニューもすべて友人任せ。

昼食を終えると、車で「米子水鳥公園」へ移動。そこで珍しい鳥を見た。鳥の名は「クロツラヘラサギ」。案内板によると「極東に生息し、世界で2000羽しかいないといわれている。米子水鳥公園には毎年数羽が飛来する」と書いてあった。

米子水鳥公園
公園内には水鳥を観察する建物があった。そこに入るとずらっと望遠鏡が並べてある。その真ん中に陣取って鳥を観察する。そこには大きな倍率の望遠鏡が置かれている。遠くにいる鳥もはっきり見えた。久しぶり童心に返って、鳥を見る。

わいわい言いながら見ていると、職員らしき人が2人、そばに来る。そして先ほどの「クロツラヘラサギ」がいると教えてくれた。望遠鏡もその位置に設定してくれて…。

だが、名前どおりの「黒いヘラ」が見えない。見えるのは真っ白い鳥の姿のみ。じっと観察していると瞬時に向きを変える。そのとき真っ黒い「ヘラ」状のくちばしがみえた。よくもこういう名前をつけたものである。

係りの1人は大きな望遠レンズのついたカメラを持っていた。そして仕事用に写真を撮っているという。話をしていると持参したデジカメでも設置してある望遠レンズにデジカメを据付けると「アップ」の写真が撮れるという。「じゃあ、やってみて!」というとすぐにデジカメを望遠鏡のレンズ付近に据付け、その鳥の「アップ」の写真を撮ってくれた。
黒いヘラは隠れて見えないけどクロツラヘラサギ
職員に話しかける人は余りいないようで、係りの2人はいろいろ鳥について教えてくれる。季節的にも今の時期がいいらしい。望遠鏡で見ている前には、雪山をいただいた大山が真正面に見える。冠雪した大山もいつも見えるとは限らないとか。観察した日はクロツラヘラサギも冠雪した大山も見ることができラッキーだった。
 水鳥公園から見る冠雪した大山
その後は荒島神社、八百姫宮、米子城跡を歩く。すっかり太陽も沈み、友人宅へ車で帰宅。

友人宅に帰ると、すぐに夕食かと思った。ところが、ところが…。所変われば…。郷に入っては郷に従えのことわざがある。そのとおりにした。

なんと友人は夕飯前にお茶をするという。抹茶茶碗を用意し、抹茶を立てる。そばには饅頭も。これでは夕飯が…と思いながらも友人の立ててくれたお茶を飲み、お菓子を食べる。

その後、帰宅した妹さんも合流して夕飯に出かける。ところが時間はもう午後9時前。予定していた2箇所は貸切と閉店で入れず。3件目の「バロンジャヤ」は「おいしさはバリの風に乗せて。」とパンフに書いてあるとおり無国籍風ながらちょっと贅沢な感じのレストランだった。

従業員はコック風のスタイルで、すべて男性。パンフには「リラクゼーション&エスニックテイスト」とあり、食事も美味。レジの人を見るとコック風スタイルだが、年齢は高かった。

我が家ならば食事後のこの時間にはもう寝ている。ところが夕飯を食べて帰宅してもまだ寝る態勢ではない。しばし話をする。お風呂に入る頃は午後11時すぎ。姉妹の就寝時刻はなんと友人の姉は2,3時頃。妹さんは1時頃とか。もう到底真似のできる時間ではない。皆寝るのが遅いんだ…。

翌日も11月末なのに天気はよくて暖かい。この日は終日3人で車で出かける。妹さんは1ヶ月前、足を骨折したとか。やっと松葉杖がとれたといっていた。だが歩く姿は痛々しい。

翌朝、友人宅で「皇帝ダリア」を見る。はじめて知った名前の花だった。友人宅の屋根まで延びたその木のてっぺんに見事な花をつけていた。気品ある花だ。
知人宅の皇帝ダリア

今日は100キロ離れた鳥取市まで行くという。運転は友人。

朝食は「大山恵の里」で「卵かけご飯」を食べる。何十年ぶりかで食べる味であった。小さい頃、父親がよく作ってくれていた。いつもはアサちゃんのことしか思い出さない。その日は父親のことを思った。子供の頃、朝起きたとき枕元に「めざまし」を置いてくれていた父のことを…。グリコのおまけつきのキャラメルが多かった。人の好すぎる父親だった。その父に性格は似ていると思う。

鳥取に行く途中、倉吉に寄る。昔風の白壁群の町並みを散策。旅行者は多い。その後、倉吉未来中心、鳥取二十世紀梨記念館に行く。未来中心では催し物の絵画を見る。同じ建物内にある梨記念館で鳥取の梨がなぜこのように全国展開していったのかを映像と劇で見る。昭和11年、黒斑病を克服した鳥取が梨娘を動員して日本一を目指して全国展開を成功させたという。その日は「王秋」という一コ300円の大きな梨を買った。

足を怪我している妹さんは友人に車椅子を押してもらって見学。梨館で果物の被り物があった。それを被って写真を撮りたいと思った。だが躊躇する。やはりあきらめきれず、またそこに戻る。それを被って写真に写った。妹さんはその写真を見て大笑いする。

梨はほとんど口にしない。今年はその梨を食べた。美味しかった!

昼食は「ねばりっ娘」でとろろ汁ご飯を食べた。鳥取砂丘でできる長いもを使用した料理である。店の名がねばりっ娘の意味がそれからも分かる。これも美味。

午後は年5日間この日だけに公開される「樗谿(おおちだに)の名庭『啐啄園(そったくえん)』」を見学。その後、隣接する鳥取市歴史博物館(やまびこ館)に入る。ここはこの2日間「関西文化の日」のイベントのため入館料は無料。国宝や重要文化財の梵鐘を見た。

啐啄園
怪我をしている妹さんは車椅子での見学となった。次に国指定重要文化財の「仁風閣」見学。その後ティータイム。その喫茶店で友人の妹さんは人の椅子の横においてある松葉杖に気づく。後で聞くと同じような人がいるんだと思って笑みがでたといっていた。

その日の夕食は「かに汁」を予定していたようだった。ところがお目当てのところは今はしていないという。友人はどうしても私に食べさせてあげるといって、自宅で作ってくれた。これも美味しい。

ところがその日も夕飯の前にお茶タイム。またまた夕飯が遅く10時頃になる。当然寝るのも遅い。

3日目になった。この日も暖かい。朝食は姉妹宅で食べる。その後、足を痛めている妹さんは車を運転して仕事に…。2人でお昼近くまで友人宅で談笑。

旅の話になった。なんとこれまで70回海外に出かけたという。ところが4年前に母親を亡くされてからは海外へ出かけてないとか。友人はブータンへ先に行っている。そのブータンのタクツアン僧院へは歩いて登ったという。そのことがその後の海外トレッキングに行く自信になったといっていた。

友人より遅れてブータンへ行った。そのときタクツアン僧院へはラバで登った。ラバは誰でもすぐに乗ることができる。徒歩とラバでは相当の開きがある。それでなくても軽い高山病になるブータン。徒歩でのそれは大変だったと想像してしまった。

その日の昼食は「蕎麦がき」を食べに連れて行ってもらった。この名の蕎麦料理は、はじめて聞いた。蕎麦を粉にして粘り気を出してもちのようにしたものだった。それを雑煮にいれる餅の代わりに蕎麦で作ったそれを入れる。これも美味。はじめて食べるものなのでデジカメで写真を…と思っているうち、いつの間にかそれは口の中に…。

どこへ行くにも遠くまで車を走らせる。3日間、かなりの距離を車で移動。移動するたび客を気遣ってくれる。逆にこちらは友人の方がくたびれたのではないかと思った。

3日間、お天気に恵まれた。あっという間に3日間は過ぎた。楽しかった!午後3時、広島行きのバスは広島へ向け出発。乗客は10人足らず。行きと同じところで10分休憩。帰りは3時間50分かかった。我が家に着いたときはもうすっかり夜。

留守の間、短大時代の2人の同級生から何度か電話がかかっていた。TELすると「どこかへ飛んで行っていない!」と2人で笑って話したという。「米子へ…」と話した。3人で新春に会おうといって電話をして…。

3日間も米子でお世話になってしまった。感謝しています!次は広島で会いましょう!

2011年11月25日金曜日

再び喪中ハガキについて

今朝図書館に行った。いつもは予約確保のメールが届いたときだけ図書館に本を借りに行く。ところが3,4日図書館に行けないので出かけることにした。久しぶり書架を見る。目に入ったのは『死なない病気』(渡辺淳一 新潮社、2011年)。

中をめくると「喪中ハガキを考える」があった。昨日思ったばかりのこと。まさか手に取った本に同じようなことが書いてあるとは…。驚くばかり。

その中に書いてあることを引用する。

「年齢をとると、喪中ハガキが増えてくるのは仕方がないが、それにしてもいささか気が滅入る」(64p)。

筆者はいろいろとこの件に触れた後、「ここまで書いてきて、改めて気がつくことは、喪中ハガキが形式的になりすぎていることである。…とにかく、年内に身内の誰かが死んだら喪中ハガキを出すというのは、あまりに形式にとらわれすぎているのではないか。…ただ、みんながやってるから、自分もやる、というだけのこと。そんな形式的なものより、たまには変わった年賀状を出してみたら、どうだろう。『あけまして、おめでとうございます。昨年二月、母が亡くなりましたが、それにもめげず、本年も明るく頑張りますので、よろしくお願いします。』お年玉付きのそんなハガキがきたら、もらったほうも明るくなり、やる気が出てくるだろう。」(66-67p)。こう書いた後、筆者は年賀状と喪中ハガキを分ける手間が省けるだろうと述べている(67p)。

ここまでしようという気持ちはもっていない。だが、筆者のいうように喪中ハガキをもらっていい気持ちになるだろうか。誰も嫌な気持ちになるはず、と思う。

この件に関してはもうこれで終わり。自分流を通すことにしよう。

今日は夕方から広島交響楽団の第314回定期演奏会に出かける。今日の演奏曲目は「巨匠の熱情と俊英 ~オーストリア音楽の神髄」と銘打ち、
モーツアルト;歌劇「魔笛」序曲K.620
ベートーベン;ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.073「皇帝」
シューベルト;交響曲第5番変ロ長調D.485

の3曲。

指揮者はロッセン・ゲルゴフ、ピアノにイエルク・デームスを迎えるという。

演奏会後は帰りも遅くなる。また明日からは米子へ…。しばらくブログ投稿はお休み。10年ぶり(?)米子の空気を吸ってきます…。

2011年11月24日木曜日

年賀状の欠礼葉書きに思う

年賀状の欠礼の葉書が届く季節になった。先日も1通届いた。

今月30日、108歳になる母親をもつ知人がいる。その母親は市内某区の最高齢者である。

その知人とはいつもメールなどで連絡を取り合っている。ところがお盆過ぎからメールを出しても返事が来なくなった。「何か変?」と思い、意識して連絡をせずにいた。

2日前、年賀状の欠礼の挨拶状が届いた。108歳の母親と彼女他の連名の葉書だった。裏をみると彼女のお姉さんの訃報だった。108歳の74歳の娘さんである。

長いこと話していなかったのですぐにTELした。メールを送ったことも話した。彼女はメールどころではなかったようで、TELしたときやっと気づいたようだった。

108歳は長寿の祝いの「茶寿」だと検索で知った。

祝いと不幸の折り合いをどうすればよいかわからず、彼女に電話でざっくばらんにたずねた。それに対して直接お姉さんを知ってはいないから…という。お祝いを優先する旨伝えて、一昨日彼女のお母さんのお祝いを送った。

108歳といえばアサちゃんの一回り上になる。

本来ならば我が家も年賀状の欠礼の葉書を出すことになる。だが、毎年この季節に届くその葉書きをみて決していい気持ちにならなかった。数年前、それにかえて正月明けに寒中見舞いをもらったことがあった。

それを受け取ったとき、こういうやり方もあるんだと知った。受け取ったとき嫌な気持ちにならなかった。

それ以来、それを見習って我が家も何かあれば寒中見舞いにしようと決めていた。

やはりお正月は年賀状が嬉しい!年賀状の来ないお正月は淋しさも増すような気がする。いけないこと…!?

2011年11月23日水曜日

旅行女朋友

先週、米子の友人から京都のウオーキングに誘われる。だが行かれない。昨夜、折角誘ってもらったので、こちらから今週末2日間、米子に行くとTEL。

すると今朝、1日のばして土曜、日曜、月曜日の3日間に…とTELが入る。宿を予約して欲しいというと友人は自宅に、という。

友人とは海外旅行で知りあう。4年位前、母親を亡くされ、姉妹で米子に住んでいる。妹さんももちろん何度か会ってよく知っている。それでも宿まで借りるのはどうかと思った。遠慮要らないと…。お願いすることにする。

宿を借りる上に、スケジュールもすべて先方で調整するという。ここまでしてもらっていいのかと思いながら、今日バスセンターに行って米子行きの往復チケットを購入。

午後は、中国語で知りあった人とそごうデパート内にある「Madam XENLON」という中華料理店で食事をする。上海ガニはピークを過ぎている。他の中華にした。

本格的な中華といえば以前はグランビア・ホテル内の東天紅が多かった。それも広島から撤退してしまった。

長くデパート内の中華レストランへ行っていない。久しぶりに入ると店は様変わりしている。中華は香港系の飲茶が多い。

今日会った彼女は、三原の大学に勤務している。昨夜の忘年会の後、職場近くでは泊まらず広島まで出て来て宿に泊まったという。車通勤のため飲み会のあとは運転できず、必ず広島まで来て宿を取るとか。

そういえば、4,5年前、もう遠くへ旅行にいけなくなったアサちゃんに旅行気分を味あわせてあげようと思ったことがある。車椅子のアサちゃんを介護タクシーに乗せてリーガロイヤル・ホテルとANAクラウンプラザに泊まりに行った。ANAに泊まったときは今日の友も同じホテルに泊まり、夕食後アサちゃんを寝かせると彼女と最上階のラウンジに行って飲んだこともあった。

彼女とは若い頃、中国語で知り合う。中国、ブータン、イタリアなど海外に何度か一緒に旅行した。それ以外にもスペイン大好きとのこと、今年からはスペインでも共通項ができた。

ブータンといえば一昨日、ブータン国王夫妻は日本を発った。一昨日、今日会う話で電話してきた彼女は開口一番「レセプションはどうだった?」と冗談をいう。「よかった!」と勝手に答えて…。

彼女は男性の民族衣装「ゴ」をブータンで買った。当時留学生として学んでいた「タシさん」を大学近くにある自宅に呼んでその衣服を着たこともあったという。そのため彼女のご両親は、ブータンという報道に素早く反応され、家でブータンが話題になったと話していた。

ゾンカ語を教えてくれた「タシさん」はきっとブータンで偉い人になっているだろうと2人で話して…。

それからもう20年近くが過ぎようとしている。きっと来年はブータンに旅行する人も多いだろう。

今日は5ヶ月ぶり、いろんなことを話した。以前中国語を習った後、遅い時間にもかかわらずよく飲み、よく食べていた頃と同じような気持ちになって…。楽しかった!

「Xiao Chi小姐」、今日は楽しかったね。また、シンガポールのお土産ありがとう!

明日スペインのお土産、郵送します。「Yu Tian」より。

2011年11月22日火曜日

スペイン旅行の余波

塀の作業は今日で終わった。とはいっても、取り付けたフェンスは間違いだったといって今日はすべて取り外し再度作業をしていた。幸いアサちゃんの長女の夫が来てくれていたので話を聞いてもらう。

夕方、フルートのレッスンに出かけなくてはいけない。あとはアサちゃんの長女夫妻に家を任せて外出した。帰ってから長女夫妻にお礼のTELをすると6時半までかかったという。本当にありがとう!

フルートの練習曲が次回から「スペインのセレナーデ」になった。“Chaminade”の作曲とか。よく知らない人だ。後でいつものようにyou Tubeで聴くことにしよう。

スペインといえば今日知人から旅行に参加した人からの預かり物を受け取った。2人の人からの写真、教会での演奏の模様のCD、その模様が現地の新聞に掲載された新聞のコピーである。他の人から写真も言付かったが車に忘れたといっていた。

しばし、レッスンの合間を利用して教室のロビーで話をする。地元紙のスペイン語のコピーはサグラダ・ファミリアが完成する2025年までには読めるようになっているから…と笑って話す。そのときは再度スペインへ行こう、と。14年後だ。だいぶ年も重ねているはず。

だがアサちゃんが75歳から青春だったと話すと、他の意味も含めて知人は「まだ青春前だ!」と何度もいって笑わせる。この言葉、今日のブログに書くからね、と話して…。〇〇さん、ちゃんと書きましたよ!

もらったCDを見ると、「よくもここまで」というほど中の冊子もすばらしい!まだ聴いてはいないけどゆっくり後で聴こう。楽しかったスペインを思い出して…。

もらった写真もたくさんだ。特にS先生からの写真は全体写真と知人と写ったもの。それも行きの新幹線乗車時から帰りの新幹線の中での疲れた表情のアップの写真など。見ていてその表情に我ながら思わず笑いがこみ上げる。

全体写真はいくら思い出そうとしても全く記憶にない人もいたりする。それも仕方ない。途中帰国組みもいたりして…。

〇〇さん、スペインから帰ってからも、いつもお世話になっています。感謝しています!S先生はじめ合唱団の皆様によろしくお伝えください!

14年後のスペインへ行く日までお互い元気でいましょう!

2011年11月21日月曜日

作業も終わりに…

今日も朝早くから作業が始まった。雨で予定が狂ったと思ったら、基礎の工事の人とフェンスの人が同時に作業を開始する。今日も一日篭城するのかと思った。それも辛いので、10時のおやつを出すと、いつもより遠いスーパーへ逃避した。途中、本屋にも立ち寄り、スペイン語のラジオテキストを購入。しばらく本屋をぶらつく。

昼過ぎ帰宅すると、作業する人も食事に出かけていた。

ホッと一息していると午後の作業が始まる。どうにか基礎の工事は5時半ごろ終わった。フェンスは難しいところを除いてほとんど終わったようだった。明日、午後来るとか。明日でやっと解放される。

先日工事をするとアサちゃんの3女にTELした。工事は家にいるものが気分的にくたびれる。アサちゃんが元気な頃、家の手直しで何度か大変だったと思うと3女に話した。3女はアサちゃんは元気だったとしきりにいう。

3女が出産したときアサちゃんは大阪まで手伝いにいった。その年齢は3女の年齢を遥かに超えているという。3女は東京にいる孫の手伝いに行く元気がない、と。

だからアサちゃんは元気だった、と。

アサちゃんの青春はアサちゃんの夫が亡くなってはじまった。75歳から足を骨折する87歳までがそうだった。家事などもすべてアサちゃんがやってくれた。その間、皆と同じようにどこへでも出かけた。杖もつかずに…。すべては持病がなかったことにもある。

3女は到底アサちゃんのように95歳までは生きられそうにないと笑っていう。

その後、3女の夫の話になった。酸素がとれて元気だという。聞くところによると担当医もこれまでの患者で途中酸素が要らなくなった人の経験がないとか。酸素を必要とする人は死ぬまで離せないと。それが必要としなくなった。その理由がわからないとか。いいことなので理由はわからなくてもいいのだが…。

ともあれ、何とか明日で作業は終わりそう。一安心!

またいつものペースでさあ行動開始!やっぱり家の中より外がいい。