『義経(上)』(司馬遼太郎 文藝春秋、2005年第5刷)を読んだ。以下はいつものごとく気になる箇所をメモする。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★平家はいよいよ栄華をきわめ、平家一門の平(へい)大納言時忠などは、「平家にあらざる者は人ではない」とまで傲語(ごうご)した。この一門の栄耀驕奢(きょうしゃ)は日本人がかつてその歴史のなかで経験したことのないものであったろう。なぜならば、平家ほどの強力なかたちで日本が統一されたことはそれ以前にはなかったであろう。彼等は日本人として最初に経験した権勢の陶酔者だった。それだけにその酔いざまのみごとさはそれ以後にも例がない。平家以後、源氏、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏といったような統一者があらわれたが、彼等はすでに平家の例をみている。勢い、自制心がはたらいた。(46p-47p)
★(おなじ腹を切って死ぬなら、このような僧の姿で死ぬのはやり切れぬ。戦場で華々しく死にたい)正近の体のなかを流れている坂東武者の血のうめきというようなものだろう。よき死場所を得るには勝敗はべつとして挙兵をせねばならぬ。挙兵をするには源氏の御曹司牛若丸にその素性を教え、自覚させ、旗を野にすすめさせねばならぬ。(百に一つ……源氏が勝ち。源氏の世がくれば、生き場所も死に場所もうしなったおれも、この世の大路小路を安堵して歩ける)正近は身をかがめて、麻畑のなかを疾(はし)った。(78p)
★「御父の仇を討ち参らせよ」正近がくりかえすこの言は、錐のごとくするどく少年の心に揉みこんでゆく。「復讐心の資質は」と正近はいうのである。―-この濁世の栄達をのぞむな。栄華にあこがれるな。正近の言葉は、少年の心につぎつぎと滲みこんでゆく。正近は唐土の臥薪嘗胆の故事をもあげた。復讐者の一生は復讐のほかの快楽を求めてはならぬ。復讐のみが、唯一最大の目標であるべきである。つねに利剣のごとく鋭い心を砥がれよ。この世における主題はそれのみであるべきであり、そのためにのみうまれてきたと思召されよ――と正近派はその洛中洛外の群衆を魅了した口説をもって説き去り説き来たり、少年の心をほとんど掌にのせ、自在にしきった。奇妙な男というほかない。(198p)
★(なんと名乗るべきか)冠者は、義朝の九男である。……名は一字は父の名からとるのが慣例になっている。義をとり、その下に何を付けるべきかに迷った。……源氏は清和天皇からはじまっている。その子が貞純親王であり、さらにその子が経基であった。この経基から臣籍に降下し、はじめて源の姓を賜った。その経をもらい、義経というのはどうであろう。(源九郎義経か)と口ずさんでみると、調べもなだらかであるし、文字面もわるくはない。(136p)
★新興の土地で、田畑は「開発」によってたえずひろがっている。それにともなって人口が増加するため、同時に細分化も進んでいた。それに土地を長男が相続するのか、父の指名する子供が相続するのか、相続の慣習が確立していないため、兄弟間で紛争がおこりやすい。「一所懸命」という、これはやがて国語になってゆく言葉が坂東にある。自分の一所をまもるために命を懸けるという意味である。(198p)
★(まさか、その堪増の子が)と、さすが九郎も信じかねた。熊野別当職といった名門の子が、諸国のあぶれ者が身をよせる叡山の僧兵に身を落としていようとはおもわれない。しかし、その名乗りが事実であるとすれば、よほど世をすねた変わり者なのであろう。げんに法師は、「久しく山にあって、乱を恋い、都に出ては狼藉をはたらいていたが、いまついに恋を遂げ、その兆しの舞い歩くのを見た。すなわち、足下である」と言い、「御名を、きかせ候え」と声をひくめ、しかし身を揉むようにいった。日が、暮れおちている。「この黄昏の刻限を、逢魔の刻(とき)、という。法師の様子はいかにも風狂であったが、感じようによっては、この刻限の邂逅を不可思議ともとれるであろう。感じやすい若者はついそう感じ、名を名乗った。それが、この若者と法師の生涯を、伝奇的な運命に変えた。(263p-264p)
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