『新しい道徳』(北野武 幻冬舎、2015年)を読んだ。サブタイトルは「『いいことをすると気持ちがいい』のはなぜか」。
いまさら道徳?と思わず、ここは北野の意見を聞いて見よう。だが、筆者は「はじめに」で本書を読んで鵜呑みにするものは本を閉じよ、と命令する。
道徳と聞いて思わず辞書を引く。端的には行動の善悪!?自分自身、人と話をしたりして後味が悪い時がある。これは自分の中の道徳違反と決めている。逆に人から嫌な気持ちにさせられるときはそのヒトに近づかない。すべては自分の気持ちに正直に!そうしないと体に悪い!
そう思うからなのか嫌味を言う人が嫌い!嫌味を言われたとき、その人を不幸な人とし、逆に人に好感を持たせる人は幸せな人。そう思っているので何を言われても気にしないし、近づかない。
この考えも会社などで働いているときにはそうはいかなかった。どういっても今は遊び人。誰に遠慮も要らない。これは本当に幸せ!
北野の本にはよく母親の話が出てくる。北野の母親が亡くなった時、メディアの取材にわき目もふらずに泣いていた。優しい人だなと見ていて思った。どんなに有名になっても母親の教えをありがたく本に書いている。読んでいて微笑ましい。
以前読んだ本にはどんなにおいしいお店でも並んでまで食べるようなことはするな、とお袋に教えられたとある。今回は美味い、不味いはいうなと教えられたとある。これは読んでいて反省。何を食べても美味しいと思う。しかし、匂いのきついモノは辟易して不味いと感じる。
またいつものように気になる個所を引用しよう。
★ 人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。その今を、10年後だか20年後だかの明日のために使ってどうしようというんだろう。…夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。俺は心の底からそう思っている。どんなに高いワインより、喉が乾いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。贅沢と幸福は別物だ。慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。…だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。058-059p
★ 自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則だ。151p
昨朝と今朝は涼しさを感じる。しかし、これも午後になると暑くなる。そろそろ夏休みに入る時季?これから秋までプールは子どもたちで賑わいそう。泳ぎは午前中にして…。今日も元気で!
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