2021年7月31日土曜日
東京の地下
2021年7月30日金曜日
ラフマニノフ作曲ヴォカリーズ
2021年7月29日木曜日
WEB上の記事&動画
暇つぶしに興味をもってみる動画やネットニュースなどがある。その大半は無料だ。動画のYOU TUBEにいたっては有名人がこぞって参戦する。見る側としては無料で動画を見られるし、テレビなどもTverやNHKプラスで見逃し配信を無料で視聴できる。これらを提供する側はNHKは別としても見る頻度で収益があるそうだ。
今朝の地元紙に文春の偉い人が地元で講演した記事がある。それによるとネットニュースや記事にも動画と同じように収益確保ができるという。文春オンラインの記事をパソコンで読んでいる。これらはすべてWEB上で展開する側に収益をもたらす、とは驚き。というか収益のために無料でWEB上に記事を載せている。
出版のビジネスモデルは劇的に変化しているらしく「無料提供の後に、費用を回収するというのが一般的なモデルになってきている」。動画やネット記事を発信する側も「サイトの閲覧数だけでなく、質でスポンサーの評価を得て、ビジネスモデルを構築するというのも一つの方法だ。どうやってこれからの収益構造を見つけていくか、挑戦を続けている」という。
今の子供は将来の夢としてYOU TUBERになりたいという子供もいる。職業としてこういった仕事が出たことに驚くが、今の子供にとっては生まれてからずっとこういう状況下で育っているので何ら不思議なことでないのかもしれない。
収益云々でブログを投稿し続けてるわけではない。何でもかんでも金銭目当ての世の中。これから先は世の中どんな風に変化してゆくのだろう。末恐ろしい!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年7月28日水曜日
『近現代史からの警告』
司馬作品を読む合間にと借りてきた『近現代史からの警告』(保坂正康 講談社、2020年)を読む。暑いと言ってダラダラした生活はよくない。自分を戒めるためにも規則正しい生活をしているつもり。そして本を読む。以下は気になる箇所を抜粋したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★明治新政府は、日本の軍事は「海主陸従」であるという方針を立てます。日本は海洋国家なので、海軍を充実させて諸外国からの侵略に備えるという国防方針でした。ところがこれが、明治十年の西南戦争で一新されるのです。「陸主海従」になるのです。……西南戦争という内乱を通じて、日本の軍事は専守防衛の形から、地上戦主体の軍隊へと変わっていきました。(136p)
★中国には古来から「好鉄不打釘、好人不当兵」(良い鉄は釘にはならない、立派な人間は兵士にはならない)という諺があります。これは武より文を重んじる国の認識であるとともに、中国においては兵がならず者や乱暴者、そうでなければ無気力者に担われてきたという歴史をも意味しています。清の兵隊は傭兵みたいな存在で、戦闘意欲はありませんでした。……そういう意味で、日本のほうが戦闘意欲が強かったということになるともいえます。……日清戦争においては兵士たちの恐怖感が戦闘意欲に転換されていった心理的メカニズムは、昭和に入っても続いていきます。(146-147p)
★私が歴史を奥行きをもって見るための方法である「因果史観」を紹介したいと思います。私たちは通常、歴史というものをアカデミズムの側の概念、また学問分野として理解しています。現実という水面の上の事象として起こったことを史実とし、それをある見方に従って解析、分析、検証することを批判する筋合いはありません。しかし、ジャーナリズムとアカデミズムの間には当然ながらアプローチの違いがあります。アカデミズムの研究者が史料主義のもとで、史料の中に入り込んで、史料によって歴史を描く。また、ある史観によって史料を捉え直す。こういった研究から私たちが学び得ることは確かに様々にあるのですが、ジャーナリスティックな歴史研究においては、日常の生活者として歴史を見るということも大事だと思うのです。
つまり歴史の中でさりげなく起こった小さなこと、あるいは史料には記録されていない出来事、また、いまでは見えなくなってしまった不可視の事実、さらにはかつて人びとの脳裏にこびりついたある観念が、実はその後の歴史のうねりを生じさせるような因果関係を有していることがあると私は考えています。因果関係を結び付けることで、私たちの歴史の本質が可視化されるのと同時に、不可視の領域で歴史がつながり合って流れているということを摑むことが大事なのだと思います。(204-205p)
★「君らには理解できないかもしれないが、昭和五、六、七年頃に、我々青年将校たちの間で『大善』『小善」という言葉がよく使われた」と彼らは言うのです。「小善」というのは、軍人勅論に従って、陛下の軍隊として命を捧げる。その枠の中で将校として、兵士として、一生懸命に尽くす。それが小善なのだと言います。一方、「大善」というのは、自分たちが陛下のお気持ちのほうへ一歩、踏み出して、陛下のお気持ちに沿って変革を起こす。それが陛下のためになるというのが「大善」なのだ、と。(206p)
★私たちはいま、コロナとの戦いの中で市民たりうるかどうかが試されています。もっとはっきり断言すれば、ファシズム体制がいかに人間性を損なうかを「歴史からの警告」として学んでいるのです。そう考えれば、今回のコロナとの戦いに意義を見出すことすらできるように思います。感染連鎖を断ち切り、私たちの生命と生活と民主主義社会を守るために、市民としての自覚と自己管理が求められているのです。(242p)
2021年7月27日火曜日
農家飯&キャンプ飯
2021年7月26日月曜日
投稿欄
地元紙の投稿欄「広場」を見ると36歳、会社員とあり投稿者の名がある。社会人大学生で共に学んだ人だ。一般的には18,9歳で大学に入る。(もう36歳になったんだ)と年月の経過を感じながら読む。3児の母になった人は1年前から会社勤めを始めたようだ。独身のあの自由だった時代を懐かしむ。今や時間に追われる日々を何とか工夫して一人の時間を作っている。そして資格をとるべく勉強を始めるようだ。
今、思い出した。この世代は「世界の中心で愛をさけぶ」が流行したころだ。投稿者もその当時、そう話していた。
妻、母そして一人の女性として生きてゆくことは並大抵のことではないはず。自分自身、妻でもなく母でもない人生を歩んできた。ただ会社勤めの毎日。それだけでも大変だった。幸いというか不運というか50代半ばで会社をリストラ。その翌年、大学で学ぶ。リストラのおかげで学ぶ決心がついた。何が幸いするか、人生はわからない。
どんな状況にあってもとどまることなく一生懸命に生きている人は潔い。これから先のどんなことにもきっと大丈夫!朝から暑い。ゴミ出しに外に出て見上げた空は一年で一番とも思えるほど真っ青だ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年7月25日日曜日
『国盗り物語』(一)
『国盗り物語』(二)を読み終えて『国盗り物語』(三)を読み始めた。この本は恐れ嫌われる人のたとえにある「蝮」、と言われた斎藤道三の物語である。この(二)を読み終えてその(三)も斎藤道三の話かと思ったら織田信長の国盗りの話だ。斎藤道三の娘婿が織田信長。その(四)はまだ手にしていないのでどんな話で終わるのか楽しみである。
世の中、オリンピックが始まった。だが、全く興味がない。いつもと変わらぬ日々を過ごしている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は『国盗り物語』(一)(司馬遼太郎 新潮文庫、平成二十七年第百一刷)から気になる箇所をメモした。
ここで余談。昨日ブログに投稿した石原慎太郎は脳梗塞を患い、左手が不自由らしい。それでもパソコンのおかげで文を書けるそうだ。その、左手。カタカナの「ナ」も書けないとぼやく。自分自身、どこも悪くないといっても視力がよくない。パソコンに本などの引用を入力する際、人の何倍も時間がかかる。入力そのものは早い。が、目が悪いために本をそばに置いてそれを見ながらの入力ができない。その都度、本を見ての入力となる。その代わり自分が思いつくままの文の入力は早い。
ということで以下の入力も時間がかかった。
★現在(いま)も、山崎八幡宮(離宮八幡宮)は、東海道線京都・大阪間の山崎駅」の西浦にある。……神官は、庄九郎のころとおなじ津田氏の世襲で、当主津田定房氏は四十六代目である。むろん、ここが荏胡麻油の専売権をもっていたのは戦国時代までで、こんにち往年の盛大さをしのぶよすがもないが、ただおもしろいことに、東京油問屋市場、吉原製油、味の素、昭和産業といった全国の食用油の会社、組合が、いまなお氏子になっている。(52p)
★(日蓮上人がもっていたという数珠丸恒次はむかし身延山久遠寺が、その後転々とし、今は兵庫県尼崎市の本興寺におさまり旧国宝である。庄九郎の持っていた刀はおなじ作者の青江常次には違いないが、数珠丸であったかどうかは疑わしい)(55p)
★余談だが、庄九郎よりやや後年に出た黒田官兵衛如水の先祖は、一時、この備前福岡の市に居ついていた。黒田家が筑前一国に封ぜられ、博多の西方に築城したとき、先祖にゆかりの備前福岡の地名をとって、城下の地を福岡と名づけた。いまの福岡市がそれである。(87p)
★上古、温泉の多くは僧侶によってひらかれた。僧侶は、シナの医書を読んで、温泉の薬効あることを知っている。かれらは温泉に寺を建て、宿坊をつくり、大いに宣伝して俗人をあつめた。仏法を言葉で説くよりも、温泉の薬効で人をおどろかせ、しかるのちに「それこそ霊験である」と説いた。有馬の湯も、奈良町の僧行基がひらいたもので、温泉寺もこの行基菩薩の建立であった。(105p)
★奈良の興福寺大乗院などは、一つの寺院で、塩、漆、こうじ、すだれ、菰(こも)など、十五品種にわたる商工の権を握って、そこから得る収入はばく大なものであった。こういうばかばかしい制度をぶちこわして、楽市・楽座(自由経済)を現出させたのは、のちに庄九郎(斎藤道三)のむすめ婿になった織田信長であった。信長は単に武将というよりも、革命児だったといっていい。そういう経済制度の革命の必要を信長におしえたのは、道三である。(189p)
★庄九郎は、策略の多い人間だが、そのつどそのつど、心に濃烈な真実をこめていた。ただ濃烈な真実というものは、次の瞬間には色が変ずる、というむなしさも知っている。庄九郎の真実は、霜月に照りかがやく紅葉の美しさに似ていた。紅葉とは、翌月の師走にはもう色が褪せる。そういうはかなさがあればこそ、霜月のもみじは、より一層の美しさでひとの心を打つのであろう。(233p)
★戦国の英雄というのは奇妙な信仰を心のどこかにもっていて、自分を地上に下したのは天であると思っていた。一種の誇大妄想狂である。この「天命」があればこそ、行為はすべて正義であり、そういう強烈な正義観がなければ、誇大さがなければとうてい統一の大業は果せないものだ。……、事、成就すれば「天にもっとも近い者」であることを人にし知らしめるために天空を劃するような城をつくる。(261-262p)
★庄九郎のこの時代、茶道が社交の場として流行したのは、室町幕府がつくったうるさい小笠原礼法の反動のようなものだ。(270p)
★庄九郎は、生涯のうちで十三回姓名を変えている。変えるごとに身分があがった。後世もっとも有名になった斎藤道三という名は、その晩年のものである(筆者―-この物語ではまぎらわしため、庄九郎で通したい)。(313p)
★庄九郎はおもった。生のあるかぎり激しく生きる者のみが、この世を生きた、といえる者であろう。(生悟りの諦観主義者どもは、いつも薄暮に生きているようなものだ。わしは陽の照る下でのみ、思うさまに生きてやる)(331p)
★このため美濃平野のひとびとはこの東方の山嶺を怖れ、この一帯を、恵那郡とも明智ともいわず、ばくぜんと「遠山」と通称しているほどであった。ちなみに徳川時代の名町奉行といわれて講談などで「遠山の金さん」と親しまれている遠山左衛門慰景元(さえもんのじょうかげもと)の先祖はこの地から出ている。(493p)