2019年7月22日月曜日

梅雨の終わり!?

 今年の梅雨も今日で終わりそうだ。昨日から続く警戒レベル。雨は降っていなくても土砂災害の警戒を呼び掛ける。昨日は参議院選挙の日。一度も棄権したことがなかったが、今回は選挙に行かず仕舞い。警戒レベル4と選挙。選挙に行くようにと呼びかける広報車の何とも小さい音。警戒レベル4を重視して選挙は棄権する。今朝のネットによるとまさか、と思える人が落選している。一票、入れてあげればよかったかも……。というか時代は変わって議員も変化する!?

 昨年の豪雨災害で7月のイメージが変わった。台風は9月に集中していた気がする。ところが今や年間を通して災害が発生する。災害がなければ人による殺傷事件やメディアを賑わすお笑い芸人、といったように穏かな日々は何処へ行った!?爽やかな写真のアップで気を紛らわせよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

小清水原生花園 ハマナス

小清水原生花園

。

2019年7月21日日曜日

ブラタモリを見る

 昨日の日本画教室。緑の木立をA5 大のスケッチブックにデッサンする。色付けは水筆ペンを使用。木立に入る道。この道は初めて描く。何とか色を付けて一応完成。とはいってもこれは水彩画。先日、水彩画展の案内が届く。ふと思った。油絵や日本画はプロの画家がいる。水彩画のプロもいるのだろうか。

 先日、絵の展覧会のチケットが送られてきた。これを受け取った返事は?と先生に聞くと見てほしいから送るので、返事はしなくていいとか。いずれにしても今年の作品展でチケットを送ってくれたグループと展覧会場が同じフロアになる。送ってくれた人と、昨年展覧会場で話した人は共に来月開催される全国展の会場に出品されている。まずはこれを見に行こう。

 明日から秋にかけて講演会や絵の展覧会、そしてコンサートと予定が入る。その合間にフルートの発表会、日本画作品展がある。これからが本格的な夏。だが気持ちは秋に向かっている。

 話は変わって昨夜のブラタモリは釧路湿原。ここは先日の旅で出かけたと思ったら何かが違う。それもそのはず、旅行者は釧路湿原遊歩道を歩いていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
摩周湖は晴れていた!
 


釧路湿原 展望台から眺める



湿原の遊歩道にかかる長い吊り橋
歩くと揺れる

2019年7月20日土曜日

『花神』(下)

 今年の梅雨もあと少しで終わりそうだ。来週半ばからは晴れマークが続く。雨が降れば自転車に乗れない。運動を兼ねて歩いてスーパーへ行くが、買い物帰りは荷物が重い。改めて自転車のありがたみがわかる。

 3年前の旅で知り合った人のブログを見ると自動車免許証を自主返納されている。免許は持っていないので返納後の気持ちが実感としてわからない。ブログの最後に以下のように記されている。

★本当に残念です 今日から車と断絶した生活が始まります 
今日も小牧駅で巡回バスを乗り継いで往復してきました
これからは市内近郷の移動は巡回バスを活用し、タクシーや電車・バスも有効に利用して閉じ籠りにならないよう積極的に社会に出ていくようにして生活していきたいと思います

 
 自転車に乗らない雨の日の徒歩での買い物も重くて困る。ましてや車無しの生活は慣れるまでが大変かもしれない。

 旅の疲れもやっとなくなり、元通りの元気さを取り戻す。今夜のブラタモリは釧路湿原。今回の旅で釧路へも行った。夜はこれを見よう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は以前に読んだ『花神』(下)(司馬遼太郎 新潮社、平成二十五年九十九刷の気になる個所の抜粋から。

★蔵六は石州路を歩き、諸戦場をいちいち点検しつつ、ゆるやかな旅をつづけた。結論としては、
(武士の世は終わった)
と、おもわざるをえない。長州人は士民をあげていわば国民戦争として祖国を守ったために強かったが、諸藩は武士だけが戦った。……防長二州の百姓軍は、父祖の地を守るために四境で戦い、しかも戦うべき原理をもっていた。
(日本国は、人民皆兵から誕生する)
と、かれがその歴史的信念を確立したのは、この四境戦争によってである。9p

★……村田蔵六という、この当時日本唯一の軍事的天才を作戦の最高立案者にしたことで、これが、長州の勝利を決定的にした。大村益次郎という名は、この時期、京や江戸にまで聞こえた。43p

★「清朝(中国)は悲惨である。日本はこの害からまぬがれねばならない」
ということを津々浦々の有志は思い、じつのところ明治維新のエネルギーはこの危機意識に源泉をもつといっていい。「清朝の悲惨」というのは、ヨーロッパの帝国主義勢力に中国が蚕食されつつあるということであり、その「蚕食」のなかでも最大衝撃を日本人にあたえたのは、いわゆるアヘン戦争であった。繰り返していうが、明治維新の思想的な合言葉は「尊王攘夷」であるにしても、それはいわば多分に表札のようなものであり、実質上の源泉は、アヘン戦争の情報であった。44p

★——なぜ東アジアの三国のなかで、日本のみ明治維新がかのうであったか。ということである。
日本は鎌倉以来、「武」によって体制ができた。諸大名が六十余州の分国をおさめつつ、その上に武家の棟梁(盟主・将軍家)をいただくという特殊な体制である。
これが完成するのは徳川期になってからだが三百ちかい大名にわかれ、日本列島という小天地中で一種の国際社会を結成した。……「武」というのは、軍事国家というようには翻訳すべきでないであろう。武、というのは本来、機能主義と技術主義が原理である。51-52p

★日本はその点、西洋でのフランス革命やロシア革命の型ではないにせよ、薩摩や長州といった強い合法的勢力が、その武力を研ぎかつ革命勢力化することによって、幕府を倒すことができたのである。55p

★「京都挙兵」
については、慎重家の桂小五郎もすぐに肚をくくり、覚悟のほぞを固めていた。……桂が、政治家として生涯ただ一回だけ大賭博をやったのはこのときだけであった。もしこのとき、桂が賭博にむかって決断しなかったならば、木戸孝允という名は歴史に記録されなかったかもしれない。153-154p

★「京都挙兵はからなずかなう」というふしぎな(ふしぎなというほかいいようのない)結論を出していた。……が、西郷・大久保という、およそ主観や願望の要素をきりすてて情勢判断できるという稀有の計算家は、「勢いに乗れば。――」という、その時の勢いというものを重視した。156-157p

★「日本の国王は将軍でなく天朝である」というこの革命思想が、結局は階級社会が崩壊して四民平等の社会へ転換する強烈な論理を含んでいるのだが、三百諸侯のなかで最大の武力をもち、革命の主動力になった薩摩藩の島津久光は、皮肉にもそれに気づいていなかった。160p

★外征用の軍隊として日本陸軍が作りかえられるのは、明治十年の終わりごろ、ドイツ陸軍の参謀将校ヤコブ・メッケル少佐をよんでドイツ風に軍隊をたてなおしてからである。鎮台にかわって師団の制度ができた。さらに、メッケルが、かれの作った陸軍大学校での教授内容は、すべて侵略戦であった。223p

★幕末の長州の軍事思想には、侵略の構想はなかった。あくまでも革命戦だけであり、この点、ふしぎなほどである。維新成立後、西郷を中心に征韓論がおこるのだが、その集団のなかには長州人は参加していない。224p

★大坂行幸は、三月二十一日京都を出発、二十三日大坂着。その行幸は平安のむかし以来のもので、天皇は葱華輦(そうかれん)に乗り、地下官人が錦旗をささげ、山伏が道をきよめるために、ホラ貝を吹き、百官が衣冠ををただし前後にしたがうといったものだが、ただ護衛部隊だけは筒袖ダンブクロといった一種の洋装であった。その護衛部隊のお膳だてを蔵六がやった。236-237p

★この時期、蔵六は木戸の口をとおしてしか薩摩人の政治的志向法を知らない。このため、薩摩人観については蔵六は木戸とそっくりであり、西郷をすこしも理解せず、「あれは大悪人なのだろう」としか思っていなかった。この蔵六の西郷観が、結局は蔵六の非業の死の最大の原因になるのである。250p

★薩長は軋む、という観測は、多分に希望的モなものが入っていたであろう。……軋しみつつも仲良くするふしぎな機能が両者のあいだにうまれるのは、かれらが元来畳の上の仲ではなく、戊辰戦争における砲煙をくぐりぬけてきた戦友愛のなかからうまれたものであり、そのことを最初にあまく誤解したのは旧幕臣であり、ついでつねに薩長分裂と藩閥崩壊の期待をもちつづけたのは、自由民権運動であった。308p

★京の天子の祖神は天照大神になっているが、家康の神号はこれと張りあって東照大権現となっている。339p

★大隈という人物は西郷隆盛がまるで空気のようにしか見えなかったというそういう種類の目をもっている。大隈は西郷をはじめてみたときからその最期にいたるまで一個の無能人としてしかみていなかった。大隈の目は、具体的事物としての人間存在しか見えないらしい。そういう点になると、西郷のすべての欠点を手もなくおぎなってしまうこの「大村益次郎」という人物のほうが、「当時の英雄豪傑のなかでの最高」としてかれの目には映ったのである。406-407p

★蔵六の軍事的独裁権を成立させたいまひとつの要素は、西郷であった。西郷というこの革命の象徴的人物でありかつ薩摩閥の巨魁が、「大村サンの節度に遵うべし」と、薩摩の豪傑連中につねづね申しきかせていたため、薩人たちは蔵六の威命を山のごとくに感じ、服従した。469-470p

★この稿のくだりは、歴史の主流のなかでにわかに開花した蔵六というひとりの蘭学者が、花の凋むことも散ることもなく、樹そのものが伐りたおされたことを書く。472p

★長州山田顕義は、蔵六の兵学の門人である。
「市之充」という通称で当時よばれていた。安政五年十五歳で吉田松陰の松下村塾に入門し、ほどなく松陰が萩の野山獄に投獄されたため、ほんの数カ月のあいだの接触だったが、松陰はこの聡明な少年を愛し、とくにかれのために、
「百年ハ一瞬ノミ、君子粗餐スルナカレ」
――年少だからといって人生に時間が多いわけではない。むだにめしを食うな、という句の入った詩を書いて与えている。……「足元を慰労する」と、蔵六は山田を夕食に招いた。……やがて下男が、食事を運んできた。
(女っ気でもあればいいのに)
と、山田は蔵六がついには書生にしかすぎなにのかと厭わしくなる思いがした。
その山田が生涯蔵六を不愉快におもったのは、招待するといっていながら、蔵六がこの凱旋の官軍幹部に対して出した料理というのは豆腐二丁きりであることだった。483-485p

★蔵六は西郷が経た幕末とはほとんど無縁で、維新期に突如出現した。蔵六がなすべきことは、幕末に貯蔵された革命のエネルギーを、軍事的手段でもっと全日本に普及するしごとであり、もし維新というものが正義であるとすれば、(蔵六はそうおもっていた)津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわる役目であった。
 中国では花咲爺のことを花神(かしん)という。蔵六は花神のしごとを背負った。花神の立場からいえば、花神の力をもってさえなお花を咲かせたがらない山のあることが、直感としてわかる。それが薩摩である、とこの男はおもったのである。「薩長」と、ひとくちにいわれるこの革命の主導勢力も、巨細にみればおなじ日本の藩とはおもえないほどに個性がちがっている。490p

★イネの蔵六に対する心の傾けかたは、この一事でも尋常なものでなかったことがわかる。彼女はその後、蔵六の死まで五十余日間、寝食を忘れて看病した。
一方、蔵六の妻の琴は急報に接していながらついに来なかった。危篤ときいて海路やってきたがすでに蔵六はこの世にいなかった。琴にはそういう奇妙なところがあり、そのことも蔵六の生涯が何であったかを象徴している。534p

2019年7月19日金曜日

ジャガイモ効果

 今朝見たダグニーさんのブログのタイトルはポリシー。次のようにアップしている。

★年を取ると、人生は「レールの上に行く」必要があり、不必要に心配したくありません。今日、私は完全に不必要な心配を持っていました。携帯電話を充電しているコードが跡形もなく、携帯電話を買ってから座っていたコンセントから消えたからです。ホームサービスから来た唯一の訪問者だ コードなしで盗難が疑われる私はそれが戻るまで静かな瞬間を持っていません。(日本語翻訳機能による)

 107歳のダグニーさんを悩ませるな、と言ってあげたい。ブログにある「年を取ると、人生は『レールの上に行く』必要があり、不必要に心配したくありません」、これは自分自身に言いたい。

 それにしても世の中、狂っている。昨日の京都の事件、死者33名とは……。敷かれたレールを行く人生は嫌だ、と思って自暴自棄になるのだろうか。所詮自分の人生、自分が思うように歩めばいい。とはいっても思うようにならないからといって人のせいにする。それもままならなくなると殺傷沙汰をおこして世間を騒がせる。これじゃ、何もいいことがない。

 こういうニュースは見たくない。夜に見たのはNHK・BSプレミアムの「偉人たちの健康診断」。何とペリーの話題だ。タイトルは「ペリー来航 酒と痛風の日米交渉」。
幕末から明治維新にかけての司馬作品を読んでいる。これまで読んだ4作品ともぺリーが出てくる。昨夜のテレビによるとペリーは日本から帰国後、壊血病で亡くなっている。今では痛風に当てはまる症状らしい。これにはビタミンCが欠かせない。それにはジャガイモがいいそうだ。ジャガイモに含まれるビタミンCは熱を加えても破壊されないらしい。ペリーが日本に来た時のことを記した原本が1冊アメリカにある。それには日本が西洋文化を取り入れたならばアメリカと同じくらいの強国となるだろう、と記していた。

 今、読んでいる司馬作品は吉田松陰と高杉晋作を描いた『世に棲む日日』。昨日からその2を読んでいる。今日も大雨警報が出ている。外をうろつかず本を読もう!

 話は変わって「ジャガイモ」、といえば北海道。今、まさにジャガイモの季節。ジャガイモ畑一面に花が咲いていた。本来ならば、ここでバスを止めてもらってジャガイモ畑に立って見たかった!先日の北海道の旅から。
ジャガイモ畑(左)車窓から


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月18日木曜日

屋上ビヤガーデン

 昨夜は年に一度の七夕(?)ビヤガーデン。フルート仲間3人が集まる。例年の暑さとは違って昨夜はビルの屋上が涼しい。そして数日前の雨の天気予報も外れて晴れとなる。先日、知床で久々に飲んだ生ビール。美味だった。北海道のビール消費量1位はガイドによるとサッポロビールでなくアサヒビールだそうだ。広島といえばキリンビール、と思ったら昨夜はアサヒビールだ。屋上で飲むビールは美味。旅の疲れがどうじゃ、こうじゃというよりもここはビヤガーデン。ビールで乾杯する。並ぶ料理もお皿も昨年よりもバージョンアップされていた。それもそのはず、人からのおごりは美味!?ありがたい!

 ビヤガーデンの隣の列に外国の女性が数人坐る。何を食べている?と興味を持ちながら帰り際、ドイツ語堪能な人が英語で「どこから?」と問うた。フランスだった。彼女らから、フランス語は?、と英語で聞かれたらしいが、誰もフランス語は???

 フランス人と話した人から来月開催のレクイエムの演奏会チケットをいただく。このお返しはいつもながら「私が出世をしたら……」。とはいってももはやこの年では先の出世が望めない。ヒトの親切をありがたく受け止めよう。

 ビヤガーデンの集合まで時間がある。どういっても家を早く出た。デパート内をうろついて涼しさを満喫しよう、との魂胆が良くない。これも徹子の部屋に出ていた吉行和子の影響による。医師から歩くようにと言われた吉行。年中気温が一定しているデパート内をうろつけばいい、と思いつく。毎日2時間ウロウロするとか。だが、欲しい物はない。それを聞いて真似をする。何も買わないのにデパート内をうろつくのは大変。ただ、紀伊国屋書店でファスナー付きの布製のバッグを購入。ファスナー付きを探していた。何もかもよく落とすのでファスナーがついていれば、と思いつく。

 エスカレータで階を移動中、見下ろすと知り合いと目が合う。最寄りの階でエスカレータを降りて待つ。以前所属していた合唱団の人だ。その人は他の仲間とランチを終えて帰宅するという。久しぶりに会ったので話を、というが食事後なので何も食べたくないし、飲みたくないという。仕方なく近くにある椅子に腰かけてしばらく話す。別れ際、この人から人にもらったというプチトマト2袋から1袋をいただく。

 昨日は出会った3人のどの人からも恩恵を受ける日となった。感謝、感謝!

 話は変わって今夜の「こころ旅」はオホーツク、とある。オホーツク、といえば先日の知床でのホエールウオッチングがある。船に乗って1時間半のクルージングでクジラを探す。船主から一人ずつ救命胴衣と雨合羽を借りる。はじめはこんな仰々しい雨合羽を、と思った。ところが船が沖に出ると寒いのなんの、というか経験したこともないほど手が冷えてくる。1時間半の乗船のうち半分は2階のデッキを降りて1階のデッキに移動する。少しは冷えもおさまるがそれでも寒すぎる。空も海もどこがその境かわからない程の黒ずんだ濃霧だ。外気と海の温度差で霧が発生するらしい。目の悪さとは関係なく黒い霧が辺りに立ち込める。こういうことは初めての体験。ところが船から上がると嘘のように晴れている。この続きは後日のブログで!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
オホーツク海の船上のでのホエールウオッチングの様子
群れを成す鳥はタスマニアからやって来たウミナギドリ

2019年7月17日水曜日

チケットあれこれ

 少々草臥れモードのはずなのに連日、何やかやと動き回る。昨日こそは家でおとなしく、と思ったのも束の間、先日新聞で見た講演会のチケットの手配をする。呉の某金融機関が開催する美術講演会。一昨日まで金融機関は3連休。昨朝、主催者側に電話でチケット入手方法を問う。本支店の窓口でくれるという。家の近くを教えてもらって早速自転車で駆けつける。ところが、このところ広島は連日暑さが半端でない。チケット入手場所はプールよりも遠い。本来ならば、プールの帰りに立ち寄ればいいものを旅疲れが出て水泳はしばらくご法度。それでもチケット欲しさに自転車に乗って出かける。途中3人に場所を聞く。

 やっと目的地に着いた頃は汗びっしょり。2,30分は自転車に乗っていただろう。暑いはずである。帽子も取らず、中に入ると電話をしていたためかすぐにチケットをくれた。財布にチケットをしまう時、小銭を落としたらしい。静かな銀行の支店内。誰も客はいない。自転車に乗ろつとすると行員が「お金を落とされました」という。またも落としてしまった、と自分の不注意を嘆く。200円だった。

 自転車で2,30分かけてきた道を家まで帰る。家の近くのスーパーに急ぎ、ここで買い物をして暑さをしのぐ。だが、家に着くとさらに暑さも増す。梅雨は何処へ行った?暑さも本格的になって来た。

 昨日午後は何を思いついたか2階の押し入れに置いてあるアルバムをすべて出す。生きてきた年数が長いのでアルバムも半端なくある。上の段の押し入れいっぱいにあるアルバム。畳におろして置くだけでも大変な重労働。とりあえず今は出したままの状態。さて、これをどうする!?一番気になっていたアルバム。重い腰を上げて処分に取り掛かろうとする。どういっても1冊のアルバムが重すぎる。コンパクト版のアルバムも何十冊とある。海外に出かけはじめた30代半ばのアルバムは写真1枚ごとにコメントを書いている。それもいつの間にか写真屋がくれる小さいアルバムになる。今はデジカメで写すので必要なものは全てブログにアップ。紙の写真は絵のモチーフにするだけになった。

 旅の写真をブログに、といえば昨日もそれを取り込む。何とかブログに取り込んでもあとには編集が待っている。その合間には本を読まねばならない。それも予約した本が司馬作品を読む合間に入る。旅で疲れた、と言いながら何やかやと気ぜわしい。これじゃ、怪我でもしないかと気になる。気を付けよう。というか遊んで帰って草臥れたじゃ、疲れたじゃ、というのは本末転倒。というか元気といっても年齢相応に歳を取ったということかもしれない。

 そういえば昨日は他にもチケットが送られてきた。某会の展覧会と全国組織の展覧会チケットだった。昨年、所属する日本画作品展と同じフロアで展示会をしていたグループの人から送付される。有料チケットも2枚送付されている。また送付した人の作品を葉書絵にしたのも2枚入っていた。葉書絵は風景写真でネットで検索すると送ってきた人は某会の会友、とある。道理で絵が上手い。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月16日火曜日

「永遠のニㇱパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」を見る

 北海道の旅の最終日、ガイドに教えてもらった「北海道150年記念ドラマ永遠のニㇱパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」を昨夜見た。松浦武四郎、という名もガイドから聞いて知った。150年前、といっても自分の年齢からすれば、それほど昔のことではない。自分の年齢を倍にして、ちょっとプラスすれば150になる。

 とはいっても、当時は北海道の名前すらなく、その命名者が松浦武四郎とは……。ガイドが熱を帯びて話す理由がよくわかる。北海道の松前藩、藩のおきてが厳しい時代、松浦武四郎のような人物は歓迎されない。そこを幕府のお偉方に直談判して行動する武四郎。自分の命が狙われても信念を曲げずに道を究める。素晴らしい人だ。

 ガイドは他にも高田屋嘉兵衛の話をした。この名は司馬作品で馴染みとなった。今、司馬作品の本の終わりを見ると『菜の花の沖』(全6冊)に収められている。次は『翔ぐが如く』を読む予定にしていた。『菜の花の沖』も面白そうだ。次々と読みたい本が増えてくる。今、ネットで検索すると司馬作品の『街道をゆく 北海道の諸道』に松浦武四郎を書いている。これも読もう!

 先日の北海道の旅は疲労モードが隠せない。だからといってボーっとしていたら物を落としたりする。これも怪我でなくてよかったと思うほうがいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!