2019年5月31日金曜日

「初夏の八幡湿原ウオーキング 20万本のカキツバタと1ヘクタールのカモミール畑」を行く

 昨日は図書館へ行く。もうすぐ司馬遼太郎の『花神』(上)を読み終えるので、その「中」を借りる。機械に通そうとすると見知らぬ人から声をかけられる。まだ現役の男性だ。「この本、いいですよね」、と言われる。「僕はいま、上を読んでいます」とさらに話してくる。悪い人ではないようなのでつい、司馬作品にハマってしまった経緯を話す。多分、隣接する区役所に勤める人だろう。休み時間を利用して図書館に来たのかもしれない。
 
 今朝はハーブガーデンで摘んできたカモミール・ティーをいただく。以下はその時の日帰りバスツアーから。

摘み取ったカモミール
ポットにに5,6枚カモミールを入れて熱湯を注ぐ
3分待って飲むといい香りがして美味!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 2019年5月29日(水)、雲ひとつない爽やかな風が吹く八幡湿原に向かう。日帰りバスは「初夏の八幡湿原ウオーキング  20万本のカキツバタと1ヘクタールのカモミール畑」と銘打ってある。旅の参加人員は31名、うち1人参加は12名。行き先は八幡湿原。この付近には臥龍山がある。ハイキングクラブに所属していた頃、臥龍山に登ったことを思い出す。
 
天意(あい)の里ハーブガーデン
 
 まずは一面カモミールが広がる天意(あい)の里ハーブガーデンを訪問する。1人ずつ掌が入るくらいのナイロン袋を受け取り、カモミールを摘み取る。時間は40分。花を摘みとるのだが、一つずつ摘まんでいてはちょっとしか摘み取れない。勝手がわかると5本の指で数本ずつを一掴みで取った。
 
 広いハーブガーデンに聞こえてくるのはただ鳥の鳴き声ばかり。摘み取ることに気を取られる。動画にすればよかったと思ったときは後の祭りだった。
 
 摘み取ったカモミールは1週間くらいしか保存が効かないらしい。だが、冷凍だと日持ちがするそうだ。摘み取ったのを少しずつサランラップに入れて、それを冷凍保存した。5,6枚の花びらをポットに入れて、熱湯を注ぎ数分置く。そして飲むといい香りがして美味だ。匂いのあるものは苦手だが、カモミールは大丈夫。それにしても摘み取る時、匂いがわからないと嘆く人がいた。結構、香りがあるのに……。 

エヒメアヤメ

カモミール畑

 それにしても最高のお天気で素晴らしい景色だ。いずれの写真もすべて絵になりそうだ。大自然、とはまさにこれをいうのだろう。カモミールはここの主が種を撒いて育てたという。
一面に咲くカモミール

カモミール畑

カモミールの花を摘む
かりお茶屋

 西中国山地国定公園内の臥龍山。この山は標高1223.4mの北広島町の最高峰にある。八幡湿原は一帯は臥龍山のふもとに位置する。この町は平成の大合併でできた。以前の町名がわからず、途中の道の駅で聞くと4町(豊平、千代田、大朝、芸北)の合併だった。臥龍山は地元では苅尾(カリオ)と呼ばれるらしく、お昼のレストランは「かりお茶屋」と名がついていた。

 このかりお茶屋で赤そばのランチをいただく。この地で収穫した赤いそば。天ぷら類もすべて地元産だ。黒豆むすびは黒豆とご飯を別々に炊いてむすんであった。朝が早かったのでお昼を全部平らげると、夜ご飯が食べられなくなった。お店の人にラップをもらっておむすびを持ち帰る人もいた。
 かりお茶屋でお昼をいただく
 食事後、ツアーのうち2人から次のツアーを一緒に行こうと誘われる。来月は同じ旅行社のツアーを申し込んでいる。プレミアムツアーで県内に1台しかない革張りの座席でトイレも洗面も着いた豪華バスだ。当然、参加人員は少なく、料金も割高。そう話すとプレミアムがわからない様子だった。

 それにしてもいつも思うのはバスツアーも国内ツアーも海外もそうだけど、以前の参加者と出会ったことがない。これは不思議。まさに一期一会。その日を楽しく過ごせばそれでいい。次を期待するのはよくない。その気持ちがあるのでつかず離れずがちょうどいい。
黒豆むすび盛り赤そば定食
右横に赤そばがつく
ここで収穫の赤そば
赤いそば
山麓庵

野菜などの販売がされていた

かりお茶屋傍に咲くナナカマド
八幡湿原

 バスで移動して八幡湿原に到着する。2人のガイドとアシスタントの3人の山岳ガイドがつく。日帰りバス旅はウオーキング、とあまり意識していなかった。ガイドがつくと知ってびっくり。そう言えばツアーの参加者は山の格好のリュック姿が多かった。ただ、靴だけトレッキングシューズを履いて行ったのは正解。だが、山行きの格好ではない。2時間以上、木道を歩く。とはいっても携帯万歩計は8千歩くらいだ。高低差がない木道なので歩くのは楽だった。

 2組に分かれて山岳ガイドがつく。山の花など聞くがメモしてないので覚えられない。トリカブトと蓬の違いは覚えた。トリカブトの葉の裏は蓬のように白くないそうだ。それにしても蓬餅を誤ってトリカブトでつくったら、と想像するだけで怖い。以前、トリカブト殺人事件があった意味が解って来る。


カンボクの花
湿原の至る所に咲いていた

トリカブトと蓬
この違いは葉の裏の白いのが蓬だそうだ
山岳ガイド3人と木道を歩くこと2時間余り

マムシグサ
穴が開いているとオスらしい
とはいってもオスやメスにと勝手に変化するとか

 マムシグサ、と聞いて信州の旅を思い出す。去年、初めて信州で目にしたマムシグサだ。それにしても八幡湿原は信州ほどの規模はなくても素晴らしい大自然だ。木道を歩きながら、なぜ、今までここに来なかったのだろう、と残念な気がした。
水口谷湿原(むなくとだに)はハンノキの林

 八幡湿原は水口谷湿原や霧ヵ谷湿原などの総称らしい。

八幡湿原の木道を歩く


人の手を加えて本来の湿原にしているところ



霧ケ谷湿原
農地開発などに拠り失われた湿原を取り戻そうと
自然再生事業が行われ、移り変わる姿が観察できる
牧野富太郎句碑

 牧野富太郎は2度ほどここを訪れている。一面に自生するカキツバタを見た牧野は感動したそうだ。その時に作った句を後に記念して句碑を建設。
牧野富太郎句碑
「衣にすりし昔の里か燕子花(カキツバタ)

 
アップで


燕子花(カキツバタ)の里

 自生するカキツバタは次第に姿を消して、今ではボランティアが手入れしているそうだ。
今はボランティアによるカキツバタの里
カキツバタは白い線が入る
アヤメとの違いはこの白い線があるかないかだそうだ

20万本?のカキツバタ

カキツバタの里



 大自然いっぱいの日帰りバスツアー。行かなくてはわからない自然の良さを知る。車窓から見る水田。田植えが終わったばかりだろう。家の周りではもう水田を見ることも出来なくなった。秋の八幡湿原の自然もいいかもしれない。

2019年5月30日木曜日

八幡湿原ウオーキング&フルート

 「初夏の八幡湿原ウオーキング」と銘打った日帰りバスツアーに参加する。新緑の季節に山野を歩くのは本当に清々しい。標高800mに位置する八幡湿原の最高気温は22度。最低気温は8度だった。雲一つない青空。暑い、との予報もむしろ涼しさを感じて用意したパーカーを着て歩く。サブタイトルとして20万本のカキツバタ自生地と1ヘクタールのカモミール畑、とある。

 カキツバタ自生地は牧野富太郎氏が訪れた時代がそうだったらしく、今はボランティアによって植えられている。今朝の地元紙に来月2日に開催されるカキツバタの催しがある。昨日はそれより数日早かった分、満開までには至っていない。それでも見ごたえは十分ある。

 この地がまさか牧野富太郎と関係があるとはつゆ知らず、出かけて初めて知り、何か得をした気分になる。というのも全く関係ないことだが、牧野は高知の出身。高知と言えば竜馬がそうだ。何かご縁を感じてしまう。ここには牧野と八幡湿原、そしてカキツバタに関係ある牧野富太郎の句碑が建てられていた。
 
「衣にすりし昔の里か燕子花(カキツバタ)」(牧野富太郎)

八幡湿原に建つ牧野富太郎の句碑

 昨日のウオーキング等の画像は明日アップする予定。

 話は一昨日のフルートレッスン。さらっていた🎵ロンド🎵を中断して、急きょ発表会の曲を変更する。新たな曲はロンドとはがらりと変わってしんみりしている。曲の変更を先生に告げる。先生は考えた後、手にされた楽譜を見るとなんとレッスン日にこの曲で、と思っていた曲だ。どうして気持ちがわかる、とびっくりする。もう1曲の候補曲はあまりにも悲しすぎるのでそれはご法度にした。


 さらう曲は1年半前に仕上げた曲のヴィラ・ラボス作曲🎵ブラジル風バッハ第5番アリア♩。この曲は広響の定演でのアンコール曲として演奏された。あまりにもいい曲なので直ぐに先生に楽譜の注文をお願いしたことを思い出す。この曲を聞いたその年、発表会で、と思った。だが、その年は♪天使のミロンガ♪を吹く。それが1年半後になって、以前のブログにアップしていたこの曲を誰かが見ていた。それを見てとっさにこの曲を吹こうと思いつく。一つずつの音をとにかくきれいに出して吹く。これに気を付けて練習しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年5月28日火曜日

朝から嫌なニュースが……

 雨降りの朝に見るNEWSは暗い。川崎で起きた19人の殺傷事件。悪くもない人間をなぜ傷つける!?そう思ってパソコンに向かっていると電話がかかる。家の固定電話にかかる電話はろくなことではない。番号を見ると登録していない。ネットで番号を検索すると市内にある会社だ。大きな会社なのになぜ電話で仕事をする?と思ってしまう。

 家にかかる電話も添乗員からかかることがある。先日、添乗員の友だちは仕事で与えられた番号の携帯からかけてきた。当然電話に出ない。後で自分の電話からかけてきて説明を聞く。仕事柄、旅に出る前までに参加者に電話をかける。だが、このご時世、登録してない電話には出ない人がいるらしい。どうしても知らせたい要件があるときは緊急時連絡先にある電話にかけるそうだ。

 最近の旅では旅の最終案内に当日限定の添乗員の携帯番号が記されている。これをみて登録してない番号でも電話に出る。これはいいアイデアだ。以前は詐欺電話はフリーダイヤルが多かった。ところがこの頃は携帯電話番号も多い。携帯だからと言って電話に出るとひどい目に遭いそうだ。朝から嫌なニュースを見て嫌な気持ちになる。気持ちを切り替えよう。

 今日は雨。雨が止むと暑い日が続きそうだ。昨日、7月に予定していた3日間の国内旅をキャンセルする。旅を申し込むのは簡単だがキャンセルは申し訳ない。予定の行き先は島めぐり。ネットで気温を検索すると夏は島特有の暑さがあるとか。あまりにも暑いと体に良くない。そう思うと休み明けの昨日、思い切ってキャンセルする。
無理して暑い時季に暑いところへ行くこともあるまい。

 キャンセルすると気持ちは一気に竜馬記念館へ行きたくなる。高知県の旅は広島発のツアーがない。市内のバス会社が一日2便、高知への高速便を走らせている。片道4時間半、往復だと9時間のバス乗車。これはきつい。1泊して……、とネットで調べるが地理的なことがわからない。旅行社に行って四国のパンフを貰おう。四国は新幹線が通っていないので高知は広島からだと本当に遠い。いつか高知へ行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年5月27日月曜日

『竜馬がゆく』(8)

 5月というのに昨日は全国的に気温が上がる。北海道の佐呂間町では39度5分を観測したそうだ。広島は30度くらいだった。ただ、夕方の部屋の湿度は31%。これまでいくら低くても37,8%だった。もしかして20%台になる?と思って見ていたがそこまでには至らない。というか、電波時計の湿度表示なのでもしかすると表示に限界があるのかもしれない。ともあれ、毎日のようにあちこちで地震が起きる。いつ何が起きてもあわてないようにとは思うが、それにしても怖ろしい世の中になりつつある。

 先日読み終えた『竜馬がゆく』(8)(司馬遼太郎 文藝春秋、新装版第26刷)。8巻の終わりに「あとがき集」がある。この「あとがき集」も興味あることがらが多い。これはまたの機会にアップしよう。それにしても5月25日に竜馬学会を開催する意味がこの8巻をアップする時点でわかる。それは昭和三年五月二十七日に竜馬の銅像の除幕式が海軍の駆逐艦浜風を伴って行われた。この日に近い日を選んで竜馬学会が開催されるのかもしれない。また後で確認しよう。(数年分を確認すると27日に近い土曜日に開催されている)。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『竜馬がゆく』(8)からの抜粋。

★サトウは、裁判のために長崎滞在中、領事フラワーズの官舎にとまっていた。この歴史の取材者は驚くべき人物に遭った。
桂小五郎である。
この長州藩の大立者は、むろん公然と長崎にあらわれたのではない。風雲の動きを長崎で探知するため、薩摩人と称し、伊藤俊輔をつれてあらわれた。その主な目的は竜馬に会い、大政奉還案が武力討幕の思想をふくむのかふくまぬのかを聞きただすためであった。231p

★「アメリカでは大統領が下女の給料の心配をするという。三百年、徳川幕府はそういうことをしたか。この一事だけでも幕府は倒さねばならない」といった。この言葉が土佐に伝わって勤王派の人々をふるい立たせた。土佐系の勤王運動が、薩長両藩のそれよりも人民救済のにおいがつよく、やがてその伝統が明治後の自由民権運動になってゆくのだが、その基礎的な思想は竜馬のこの言葉に要約されるであろう。236p

★のち、この浜に竜馬の像が立つ。「スエズ以来の最大の銅像」といわれるこの像の建設は、大正十五年、数人の青年によって運動がおこされた。当時早稲田大学の学生だった入交好保氏、京都大学在学中の信清浩男、土居清美、朝田盛の諸氏である。彼らは全国の青年組織からわずかずつの寄付をあつめ、途中、岩崎弥太郎がおこした岩崎男爵家から五千円の寄付申し出があったが、零細な寄付をあつめてつくるという建前から、かれらはこれをことわり、ついに資金を作り、彫刻家本山白雲氏に制作を依頼した。
銅像は昭和三年の春にできた。その台座の背面に建設者の名を刻むのが普通だが、かれらはいっさい名を出さず、
「高知県青年建立」 
とのみ刻んだ。五月二十七日の除幕式の日、当時の日本海軍は駆逐艦浜風を桂浜に派遣し、その礼砲とともに幕を切りおとした。
が、このときの竜馬は、まさか自分がこの浜で銅像になって残るとはゆめにも思わなかったであろう。250p

★日本は慶喜の自己犠牲によって救われた、と竜馬は思ったのであろう。この自己犠牲をやってのけた慶喜に、竜馬はほとんど奇蹟を感じた。その慶喜の心中の激痛は、この案の企画者である竜馬以外に理解者はいない。
 いまや、慶喜と竜馬は、日本史のこの時点でただ二人の同志であった。慶喜はこのとき、坂本竜馬という草莽の士の名も知らなかったであろう。竜馬も慶喜の顔を知らない。323p

★竜馬は薩長連合を遂げ、大政奉還を演じ、いま新官制案をつくった。当然、革命政府の主流の座にすわるべき存在である。
であるのに竜馬はこれをかぎりに身をひく、という。すべてを岩倉・西郷・大久保の流れに譲りつくしてしまうというのである。
……
竜馬はこの間の自分の心境を、
「おれは日本を生まれかわらせたかっただけで、生まれかわった日本で栄達するつもりはない」といった。331p

★竜馬はやおら身を起こした。この先が、陸奥が終生わすれえぬせりふになった。
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
陸奥がのちのちまで人に語ったところによると、このときの竜馬こそ、西郷より二枚も三枚も大人物のように思われた、という。
さすがの西郷もこれには二の句もなかった。横の小松帯刀は、竜馬の顔を食い入るように見つめている。
古来、革命の功労者で新国家の元勲にならなかった者はいないであろう。それが常例であるのに竜馬はみずから避けた。342-343p

★「第一義」と竜馬は書き、その下に「天下有名の人材を招致し顧問に供なう」ともしるした。……
「なるほど、これは煌くような文字じゃ」
岩倉は感に耐えたように言い、この二通の書類を手文庫に入れた。のち、この竜馬の案がほとんどそのままの形で新政府樹立の基礎方針になっている。351-352p

★「われ死する時は命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」、と竜馬はその語録を手帳に書きとめ、自戒の言葉ににしている。
「世に生を得るは、事をなすにあり」
と、竜馬は人生の意義をそのように截断しきっていた。361-362p

★風は去った。
去ってみると、うそのような静けさ月が天心にある。
しかし三岡の体にえたいの知れぬ戦慄だけが残った。そのつぎの瞬間、三岡は叫んだ。……すべてが、なかった。紙入れも、あれほど大切にしていた竜馬の写真もない
。……それから二日後、竜馬が中岡慎太郎とともに京の宿で死んだ旨の報が、三岡のもとに入った。あの夜、ほぼ同時刻に、竜馬の霊は天に駆け上ったのである。379-380p

★人は死ぬ。竜馬も死ななければならない。……筆者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎生まれの、地位も学問もなく、ただ一片の志をのみをもっていた若者にもとめた。……竜馬は暗殺された。383p

★「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」
それが、竜馬の最後のことばになった。……
天に意思がある。
としか、この若者の場合、おもえない。
天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき、惜しげもなく天へ召しかえした。……時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。391p-392p

2019年5月26日日曜日

「現代龍馬学会」記事etc.

 昨日の午後は日本画教室へ出かける。サムホールの大きさの木製パネルに鳥の子紙を貼り、その上に麻紙をもみ紙にして貼る。もみ紙に塗った色が抜けるのをカバーするため、貼る前に先生にドーサ液を塗ってもらう。スケッチした絵の上からトレーシングペーパーでトレース。これをもみ紙を貼ったパネルに転写する。ところが転写した色ともみ紙の色が似すぎて何を転写したのかはっきり見えない。仕方なく、その上を2Bの鉛筆でえどる。次週はこれを本画に仕上げていく。

 その前に、小さいパネルを先生にもらっている。これにも同じく、もみ紙を貼って絵に仕上げようとアドバイスされる。昨日は持参していないので、これも次週に持ち越しとなる。ところがこれに描く絵は?と考える。小さいパネルなので持参したスケッチ帳から探す。適当なのがない。先生はその様子を見てスケッチ帳から垂れ下がった花をすすめられる。この花の名はよく知らない。スケッチした年月を見ると2014年11月、とある。お墓参りで知り合った人と帰る途中、その人の家に立ち寄る。その時、可愛い花の付いた小枝を貰った。それを家でスケッチした。これはわが家で勝手にスケッチしたので、まさかこれを本画にするとは驚き。今から4年半前のスケッチということは絵を習い始めて1年後のことになる。

 話は変わって昨夜見たネット記事は何と坂本竜馬の学会記事。「現代龍馬学会」が昨日開催され、新たに寺田屋事件の研究発表が報告されたとの記事。竜馬に関心があるので、必死でHPと記事を読む。学会員に成るには年会費がたったの3000円でいいらしい。ところがどういっても高知県の坂本龍馬記念館までは遠すぎる。広島から高速バスで4時間余りかかる。会員になるのは諦めてHPで記事の閲覧をしよう。これもすべては司馬作品を読んだお蔭でこの記事まで関心がゆく。学会はこの日(5月25日)に毎年開催されているのだろうか。もしも開催されていれば、これまでも記事になっていたはず。それが竜馬を読んだお蔭で目に入って来た。これも何かのご縁だろう。いつか、高知県の竜馬記念館へ行こう!

 檀ふみはやることが増えて時間が足りないそうだ。このまま関心事が増え続ければ自分自身も時間が足りなくなりそうだ。とはいってもまだそこまでにはなっていない。

 「寺田屋事件は龍馬の思惑通り? 学会で『悪巧み』説を披露」記事から。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190525-00000135-kyodonews-cul(参照)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年5月25日土曜日

広響第390回定演&徹子の部屋

 昨夜は第390回広響定演を聞きに行く。家を出ると近所の人によく出会う。しばらく立ち話の後、自宅最寄りのJR駅まで急ぐ。演奏会場までは広島駅からバスで行く。JR利用者にとってはバスのノロノロ運転がよくない。演奏後、またもバスで広島駅まで帰る。横に座った人に「ホールが広島駅周辺ならば……」と話す。

 広島駅周辺は2022年、郵便局も建て替わって高層のオフィスビルになる。また駅そのものも建て替わる。駅裏周辺も医療ビルやテレビ局までが移転した。その一角でいいから音楽専用ホールを作って欲しい。それでなくても広島は文化面で岡山におくれを取っている、といわれる。

 さきのバスの中での続き。話しかけた人の返事が「長生きしてこの目で新たになる駅前を見たいものです」。こちらは音楽ホールを駅周辺に、と言ったつもりだったが……。何もかも歳を取ったせいにしたくない。だが、演奏会は昼間がいい。この頃はなるべく夜にでかけないようにしている。それでなくても視力が良くない。ましてや昼間の自由時間はたっぷりとある。

 今朝地元の新聞記事を見るといい演奏会の割には聴衆が少ない。これも多分に超高齢化社会の中、夜の演奏会や会場に問題があるのでは、と勝手に想像する。ぶつぶつ言っても始まらない、がもっと文化面で広島を勢いづかせてもいいのでは!?

 なお、演奏曲目は下記のとおり。

♩ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調

 1曲は4楽章からなり、75分間と長い演奏だった。壮大なスケールの曲で聞きごたえは十分ある。席は12列の右端。いい席だった。ただ、管楽器を誰が吹いているか顔が見えず、少々残念。休憩を挟む演奏ならば演奏後半、空いた席に移動するのに……。それにしてもわがまま放題に書いている。

 気分を変えて昨日の徹子の部屋。ゲストは市毛良枝。優しい人だ。母親の介護を13年間したという。黒柳徹子が、亡くなった直後のバタバタした話を、と市毛に迫ると葬儀社とのことだった。それは兎も角として市毛は亡くなった母親の人生は幸せだったのだろうか、と話す場面がある。これには同じような気持ちを母に抱いたことがある。市毛の親は100歳近くになって車いすに乗って海外旅行をしたそうだ。我が家は父が亡くなって以降、母の青春が始まった。海外は嫌だというので国内旅行は何度となく出かけた。この面では市毛と同じく、母にとって良かったと思っている。ほぼ最期までわが家で過ごした母は、ある面、幸せだったかもしれない。介護していた時から最期まで見てあげる、と覚悟していた。ある時、妹は私だけの親でなく自分の親でもある、と訴えたことがある。そうか、大阪の豊中市に暮らす妹も親を介護したいんだ、と家に来てもらうときは料理など家事一切、妹に頼んだことを思い出す。また妹に頼むとき、旅費を多めに渡すとお金儲けに来ていない、と言って妹は多くを受け取らなかった。

 世間では介護でもめる家もあるとか。我が家はそれとは無縁だった。どういっても自分の親。老いていくのは愛おしすぎる。自分もこうやって老いるんだと学ばせてもらった。これも自分の親だからこそ、かもしれない。

 後で幸せな人生だったと言えるように毎日を悔いなく楽しく生きたい。市毛もそんな風に話していた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年5月24日金曜日

とりとめもなく……

 檀ふみに影響されて朝食にチーズトーストを食べている。今朝はこれをアレンジしてピザトースト風にする。これは美味!しばらくはピザトーストになりそうだ。檀ふみ曰く「トーストも焦げ方にこだわりがある」とか。そうかもしれない。今朝はピザ風にしたので食パンにはチーズ以外にいろいろな具材をのせた。これが焼けないと美味しくない。焼き加減にこだわるとはこういうことかもしれない。

 昨日の午後はプールで泳ぐ。一年で一番気持ちがいい季節。自転車に乗って15分か20分くらいのところにプールがある。暑くもなくかといって寒くもない。自転車に乗ると気持ちがいい。ただ、途中、瀬野川の左岸を通る国道2号線を渡る交差点がある。ここは注意が必要だ。どういっても事故が起きれば歩道を渡るほうが分が悪い。大型トレーラーなどの車両がひっきりなしに通りすぎる。

 事故といえば高齢者のドライバーによる事故が問題となっている。これを受けてか、旅で知り合った人のブログを見ると今月12日付で免許証を返納されるとある。車は買ったばかりの新車らしい。ブログには「明日は我が身と思われ、永年日頃の生活を支えてくれた車と免許証を思い切って手放す決心をしたのです。……人生の最後に車でこんな事故をもし起こすとその瞬間から罪人になるのです。……」とある。

 姉も免許の返納をしたと我が家に来たとき話していた。車の免許を持っていないので手放す辛さは想像できない。何はともあれ、事故を起こしてからでは遅すぎる。気づいた時が返納の時かもしれない。

 相変わらず司馬作品を読んでいる。今は『花神』。大村益次郎をテーマにしている。すでに読んだ『坂の上の雲』は秋山兄弟と子規。次が『竜馬がゆく』の坂本龍馬。司馬作品を読んで気持ちがいいのは司馬が好みの人物を描いており、どの人たちも生き方が素晴らしいことにありそうだ。

 あれこれと話は変わって、今朝の新聞に市内在住の100歳のアマチュアピア二スト、高橋和さんの記事がある。戦争によって夫を亡くし、85歳まで働く。その後、小さい頃に習ったピアノを再度、88歳になって習ってアマチュアによるピアノコンサートに出演されるそうだ。100歳であっても介護認定は受けられないという。お元気だから、だそうだ。一般的には80代くらいで習いモノを辞める人が多いはず。それが逆に、習い始めるのが素晴らしい。こういう人を見るとまだまだ人生捨てたもんじゃない、と思い知らされる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!