2,3日、ブログのフォロワーの表示が「502. That's an error」となった。これを検索すると何秒か後に再度試みるようにとの回答がある。この間、ブログの閲覧者が急に増えた。これと関係あるのか気にしながら日々を過ごす。今朝、ブログを表示すると元通りの画面になった。当然フォロワーの表示もある。これでホッとする。
半分遊び感覚でのブログ更新。しかし年が明けると丸9年になる。ここまで続くと、遊びを通り越して半ば義務感が付きまとう。とはいってもこれも人からの強制でなく自分で始めたこと。生活する上でのルーティンであり、楽しみとなった。
ブログを始めたきっかけは勝間和代の本を読んだことによる。その中に情報を得たければ自ら情報を発信せよ、みたいなことが書いてあった。ブログ開設当時は6年間の社会人大学生活を修了して暇人になった。しかし、暇人となっても母の介護を中心とした生活であり、その合間のブログ投稿だった。これは以前のブログのお話。
このブログになってからは暇人そのもの。昨日も女子会打ち合わせのメールが来る度に即、返信する。そのため先方は暇人2人を暇人1号、2号の誕生と命名する。巧い表現で可笑しい。
今朝はこの秋一番の冷え込み。昨夜からエアコンが欠かせない。そして電気ストーブも欠かせない。
2017年10月31日火曜日
2017年10月30日月曜日
1枚の写真
部屋の窓の下あたりにシダが繁っている。防犯のために窓の外側に柵がある。なかから手を伸ばしてシダを抜く。だが、離れたところは手を伸ばしても届かない。雨の中、家の外に出てシダを眺める。家の周りはコンクリを張り巡らせても根性シダは湿気を好むのだろう。根を生やす。ゴミ用の大きなナイロン袋と樋廻をもって抜いたシダを袋に入れる。ついでに先日、ちょっとだけ切ったレモンの木も入れてゴミに出す。ナイロン袋一杯になった。家の裏側に行くのは年に何回もない。恐る恐るシダの生えている場所に行く。それほど奥まった家でもないのにシダが生えるとは…。
10月はよく雨が降った。今朝は久々に太陽を眺める。天気予報によるとこれから当分は晴れらしい。やっぱり雨よりも晴れがいい。気持ちまで晴れ晴れとする。
雨の日曜日、近いうち会う予定の人に写真を渡そうと思った。以前、出掛けた海外旅行の写真の焼き増し分を探す。数年前のことなのに渡せずにいた。それを眺めながら他のバラバラになった写真を整理する。渡そうとする写真の時期までは個人の写真も写していた。ところがそれも次第に気が失せてくる。この頃は旅に出てもせいぜい1枚か2枚、個人の写真を写すだけとなった。
たった5年前の写真でも顔が若い!30年くらい前から気に入った写真をまとめてファイルしている。それを見るといくらブスであっても当時の写真はかわいい!今、そう思うということはそれだけ年を取ったということだろう。
写真といえば今回の旅をご一緒した人のURLに1枚の写真が載っている。出かける前に記事を読んで微笑ましいというか羨ましくなった。時は1966年のお話。1966年といえば我が人生で一番ともいえるほど暗い時期を過ごしていた。ところが、正反対の人もいらっしゃる。ある研究の観察のためツェルトで野宿しているところへ後に奥様となる人がおやつを持って来られる。その時に写された写真をアップされている。あまりにもいいエピソードなので旅の初日にその件について伺う。本当に仲睦まじいご夫妻だ。
このように一枚の写真を見て気分が和むこともある。昨日も久々に昔の写真を眺めてひとり悦に入る。
ブログアップ後に思う。デジカメの普及で印画紙の写真にしなくなった。紙に置き換えるのは今はもっぱら日本画用に参考とするモノばかり。先日も、以前、デッサンした花や葉っぱを印画紙の写真にする。写真でなくても以前の旅で編集されたビデオテープ。これも今やDVDの時代。最早ビデオテープを見ようにも器具がない。そう思えば、紙の写真は破れたり変色したりしなければかなりの年数、保存がきく。デジタルもいいがアナログも時に軍配が上がりそうだ。
10月はよく雨が降った。今朝は久々に太陽を眺める。天気予報によるとこれから当分は晴れらしい。やっぱり雨よりも晴れがいい。気持ちまで晴れ晴れとする。
雨の日曜日、近いうち会う予定の人に写真を渡そうと思った。以前、出掛けた海外旅行の写真の焼き増し分を探す。数年前のことなのに渡せずにいた。それを眺めながら他のバラバラになった写真を整理する。渡そうとする写真の時期までは個人の写真も写していた。ところがそれも次第に気が失せてくる。この頃は旅に出てもせいぜい1枚か2枚、個人の写真を写すだけとなった。
たった5年前の写真でも顔が若い!30年くらい前から気に入った写真をまとめてファイルしている。それを見るといくらブスであっても当時の写真はかわいい!今、そう思うということはそれだけ年を取ったということだろう。
写真といえば今回の旅をご一緒した人のURLに1枚の写真が載っている。出かける前に記事を読んで微笑ましいというか羨ましくなった。時は1966年のお話。1966年といえば我が人生で一番ともいえるほど暗い時期を過ごしていた。ところが、正反対の人もいらっしゃる。ある研究の観察のためツェルトで野宿しているところへ後に奥様となる人がおやつを持って来られる。その時に写された写真をアップされている。あまりにもいいエピソードなので旅の初日にその件について伺う。本当に仲睦まじいご夫妻だ。
このように一枚の写真を見て気分が和むこともある。昨日も久々に昔の写真を眺めてひとり悦に入る。
ブログアップ後に思う。デジカメの普及で印画紙の写真にしなくなった。紙に置き換えるのは今はもっぱら日本画用に参考とするモノばかり。先日も、以前、デッサンした花や葉っぱを印画紙の写真にする。写真でなくても以前の旅で編集されたビデオテープ。これも今やDVDの時代。最早ビデオテープを見ようにも器具がない。そう思えば、紙の写真は破れたり変色したりしなければかなりの年数、保存がきく。デジタルもいいがアナログも時に軍配が上がりそうだ。
2017年10月29日日曜日
「秘境中国 謎の民 天頂に生きる~長江文明を築いた悲劇の民族」
スーパープレミアム「秘境中国 謎の民 天頂に生きる~長江文明を築いた悲劇の民族」を見る。番組紹介によると「中国四川省の大涼山。山頂の秘境で、伝統の暮らしを続けてきた人々がいる。なぜ社会と隔絶された場所を選んだのか。謎をたどると、見えてきたのは中国の壮大な歴史だった」とある。さらに番組詳細を見ると「中国四川省、険しい山が連なる大涼山。その山頂の秘境で、涼山イ族の人々がシャーマンを中心とした不思議な暮らしを営んでいる。なぜこんな場所で暮らしているのか。最近の研究によって、人々は5千年前に、黄河文明と並ぶ長江文明を築いたある王国の末えいであることが分かってきた。その後、さまざまな苦難の歴史を経てここにたどり着いたのだという。イ族の伝統的な暮らしを見つめ、知られざる歴史の謎をひもとくミステリー紀行」とある。
1986年、4000年前の三星堆が発見された。発見したのは大涼山に住むイ族の人たち。発見されたものは2.6mの実人像、1.3mの黄金仮面、高さ4mの神樹などである。三星堆からは高度な古代文明をもった人々が暮らしていたと判明する。これは世界の文明である黄河文明に次ぐ第5の文明の長江文明であった。
三星堆の王国の名は古蜀国。この国の広さは3.5㎢で神殿の発掘によって100以上の黄金仮面も発見された。国王はシャーマン。だが、突然姿を消す。これがイ族!?この謎を解いていく。古蜀国の符号とイ族の経文から推理する。経文には3万文字が記されている。イ族に経文を読んでもらうと50点だけ符号と文字が一致した。これだけでは謎は解けない。
なぜ大涼山「四季吉村」に住むイ族は肥沃な土地から奥地へと移り住んのか。『華陽国志』によると秦が古蜀国を討伐し南へと逃れたとある。その後も時の権力によって悉く追い打ちをかけられて南へと逃れる。その一部の民が大涼山にたどり着く。こうしてイ族は言語や文化を守った。
1970年まではイ族の固い監視で村に入れなかった。そのイ族は蕎麦と羊で暮らしている。しかし、7,8年前からインターネットも通じるようになり、さらには天まで届くといわれる「天梯」という鉄の階段も作られた。イ族は助け合って暮らしている。弔いの儀式では死者の魂は「天にかえる」、「村を守る」、「戻るべき場所へかえる」とされる。戻るべき場所とは祖先のところ。それは古蜀国の馬牧河(ムンパク)。イ族は古蜀国の末裔とわかった。
羊毛節が行われる。イ族の住む大涼山は楽山に近い。楽山は中国有数の観光地。イ族の子供たちも楽山に出て仕事をする。中国政府はイ族の住む大涼山を観光資源にしようとする。3万人が集う羊毛節。今では国を挙げてのお祭りとなった。
まだまだ未開の地域が残る中国。ぜひとも行ってみたい。しかし3000mの高地に住むイ族。高山病になってダウンしそうで行かれない。それにしても興味ある番組だった。
1986年、4000年前の三星堆が発見された。発見したのは大涼山に住むイ族の人たち。発見されたものは2.6mの実人像、1.3mの黄金仮面、高さ4mの神樹などである。三星堆からは高度な古代文明をもった人々が暮らしていたと判明する。これは世界の文明である黄河文明に次ぐ第5の文明の長江文明であった。
三星堆の王国の名は古蜀国。この国の広さは3.5㎢で神殿の発掘によって100以上の黄金仮面も発見された。国王はシャーマン。だが、突然姿を消す。これがイ族!?この謎を解いていく。古蜀国の符号とイ族の経文から推理する。経文には3万文字が記されている。イ族に経文を読んでもらうと50点だけ符号と文字が一致した。これだけでは謎は解けない。
なぜ大涼山「四季吉村」に住むイ族は肥沃な土地から奥地へと移り住んのか。『華陽国志』によると秦が古蜀国を討伐し南へと逃れたとある。その後も時の権力によって悉く追い打ちをかけられて南へと逃れる。その一部の民が大涼山にたどり着く。こうしてイ族は言語や文化を守った。
1970年まではイ族の固い監視で村に入れなかった。そのイ族は蕎麦と羊で暮らしている。しかし、7,8年前からインターネットも通じるようになり、さらには天まで届くといわれる「天梯」という鉄の階段も作られた。イ族は助け合って暮らしている。弔いの儀式では死者の魂は「天にかえる」、「村を守る」、「戻るべき場所へかえる」とされる。戻るべき場所とは祖先のところ。それは古蜀国の馬牧河(ムンパク)。イ族は古蜀国の末裔とわかった。
羊毛節が行われる。イ族の住む大涼山は楽山に近い。楽山は中国有数の観光地。イ族の子供たちも楽山に出て仕事をする。中国政府はイ族の住む大涼山を観光資源にしようとする。3万人が集う羊毛節。今では国を挙げてのお祭りとなった。
まだまだ未開の地域が残る中国。ぜひとも行ってみたい。しかし3000mの高地に住むイ族。高山病になってダウンしそうで行かれない。それにしても興味ある番組だった。
2017年10月28日土曜日
第374回広響定期演奏会に出かける
第374回広響定期演奏会に出かける。昨夜の演奏会のタイトルは「下野竜也音楽総監督就任記念シリーズ三人の会・シューマンに寄すⅡ」。演奏曲目は下記のようであった。
団伊玖磨 管弦楽幻想曲「飛天繚乱」
ベルク ヴァイオリン協奏曲~ある天使の思い出に
シューマン 交響曲第3番変ホ長調Op.97「ライン」
指揮者は下野竜也、ヴァイオリンにセルゲ・ツインマーマンを迎える。もらったプログラムによると「飛天繚乱」は作曲した団がアジアで出会った様々な天女の思い出をつづった作品とある。さらに「タクラマカン砂漠の壁画、洛陽の龍門石窟、敦煌の莫高窟などに記された天女の像の中でも、とりわけ団が注目したのは東大寺の八角灯篭だった」という。はじめの3か所は出かけていても日本の東大寺の八角灯篭が何かを知らずにいる。後で調べよう。
演奏中に弦楽器がすべてある個所で弓を使わず、指で弦をつま弾いていたのに驚く。そしてフルートも単に吹くのでなく、ここでは表現できないようなブルブルと口元を震わせるような吹き方の箇所があった。
これはいわゆるクラッシック音楽でなく、クラッシックのジャンルを超えた感がある。こういった曲は耳に馴染まず、その良さがわからない。2曲目も初めて聞く作曲家であり、せっかくのヴァイオリン協奏曲であっても耳に馴染まない。3曲目のシューマンを聞いてやっと耳に馴染んでホッとする。尚、2曲目が終わった後のセルゲ・ツインマーマンのアンコール曲がソロで2曲演奏された。それは以下のようである。
バッハ 無伴奏ソナタ第3番~ラルコ
無伴奏パルティ―タ第2番~サラバンド
昨夜の座席は前から2列目の真正面。ゲストの演奏がまじかに聞けるのは嬉しい。しかし指揮者の後ろ姿と弦楽器の手前の人しか姿が見えず、舞台を仰ぐ形で聞く始末。ましてや、となりはけばい2人で香水の匂いがプンプンする。聞く環境ではなく、こういう人が一番の苦手。前半終了後、空いている席を探して後半は後ろでゆったりと聞く。
来年の平和の夕べコンサートのチケットは前から3列目を購入している。これも席が前過ぎて聞き苦しいかもしれない。ともあれ、定期演奏会と名がつき、指揮者も新たになった。演奏曲目もこれまでと一新して馴染めない曲ばかり。だれが曲を選ぶのだろうか。もっと馴染みのある曲を聞きたい。
アンケートではいいことばかりが書いてある。みんな本当にわかって書くのだろうか。疑問が残る。書評は決して悪くは書くな!と教えられた。じゃ、絵は?絵の良し悪しは好き嫌いで決めていいらしい。音楽はどうなんだろう。これも好き嫌い!?というか馴染まないから嫌と言わず、馴染むように聞くのがベター!?
団伊玖磨 管弦楽幻想曲「飛天繚乱」
ベルク ヴァイオリン協奏曲~ある天使の思い出に
シューマン 交響曲第3番変ホ長調Op.97「ライン」
指揮者は下野竜也、ヴァイオリンにセルゲ・ツインマーマンを迎える。もらったプログラムによると「飛天繚乱」は作曲した団がアジアで出会った様々な天女の思い出をつづった作品とある。さらに「タクラマカン砂漠の壁画、洛陽の龍門石窟、敦煌の莫高窟などに記された天女の像の中でも、とりわけ団が注目したのは東大寺の八角灯篭だった」という。はじめの3か所は出かけていても日本の東大寺の八角灯篭が何かを知らずにいる。後で調べよう。
演奏中に弦楽器がすべてある個所で弓を使わず、指で弦をつま弾いていたのに驚く。そしてフルートも単に吹くのでなく、ここでは表現できないようなブルブルと口元を震わせるような吹き方の箇所があった。
これはいわゆるクラッシック音楽でなく、クラッシックのジャンルを超えた感がある。こういった曲は耳に馴染まず、その良さがわからない。2曲目も初めて聞く作曲家であり、せっかくのヴァイオリン協奏曲であっても耳に馴染まない。3曲目のシューマンを聞いてやっと耳に馴染んでホッとする。尚、2曲目が終わった後のセルゲ・ツインマーマンのアンコール曲がソロで2曲演奏された。それは以下のようである。
バッハ 無伴奏ソナタ第3番~ラルコ
無伴奏パルティ―タ第2番~サラバンド
昨夜の座席は前から2列目の真正面。ゲストの演奏がまじかに聞けるのは嬉しい。しかし指揮者の後ろ姿と弦楽器の手前の人しか姿が見えず、舞台を仰ぐ形で聞く始末。ましてや、となりはけばい2人で香水の匂いがプンプンする。聞く環境ではなく、こういう人が一番の苦手。前半終了後、空いている席を探して後半は後ろでゆったりと聞く。
来年の平和の夕べコンサートのチケットは前から3列目を購入している。これも席が前過ぎて聞き苦しいかもしれない。ともあれ、定期演奏会と名がつき、指揮者も新たになった。演奏曲目もこれまでと一新して馴染めない曲ばかり。だれが曲を選ぶのだろうか。もっと馴染みのある曲を聞きたい。
アンケートではいいことばかりが書いてある。みんな本当にわかって書くのだろうか。疑問が残る。書評は決して悪くは書くな!と教えられた。じゃ、絵は?絵の良し悪しは好き嫌いで決めていいらしい。音楽はどうなんだろう。これも好き嫌い!?というか馴染まないから嫌と言わず、馴染むように聞くのがベター!?
2017年10月27日金曜日
紳助の幸せな老後&胡楊の樹
朝刊掲載の週刊文春の宣伝記事。興味ある記事がある。それは島田紳助氏。週刊誌でなく文春オンラインで記事を読む。「『今の僕は日本一忙しいニート』島田紳助氏が4時間語り尽くした!」との見出しで「僕は常々、老後に必要なのは『お金と仲間と筋肉』と言うてるんです。この三つがあれば幸せに生きられると思ってます」とある。
この3点、大いに共感する。「お金と仲間と筋肉」。お金は「お金」。しかし、上野千鶴子に言わせると「金持ち」でなく「友持ち」が大事と何かに書いている、筋肉は「健康」と置き換えられる。「お金」は紳助の何万分の一も持ち合わせていない。しかし、生きてさえいれば何とか年金で生活できる。ということでこれは必要最小限でクリア。2つ目「仲間」。これは旅仲間、習っている稽古ごとの仲間など人との交流をいうのだろう。人の誘いに乗りやすいタイプで人の良し悪しを自分なりの基準で嗅ぎ分けている。ということで2つ目もクリア。3つ目の「筋肉」。これは「健康」と置き換えよう。週に一度一キロ泳いでいる。水泳は年齢を経て開始しても長く続けて泳いでいる。いたって健康なので3つ目もクリア。じゃ、幸せに生きている!?
先日の旅で初めて会った人がいる。その人とは機内の座席が隣になり、いろいろと話をした。百名山を踏破しているとのことだった。運動は水泳をしていると話すとその人は平泳ぎを顔を出して泳ぐという。顔を水につけられないらしい。お風呂で顔をつけて「プワー」と息を出して練習すると顔はつけられると教えてあげる。得意になって水泳の話をしていたのだろう。その人にかなりの刺激を与えたらしい。水泳教室に入るとまで話される。どういっても体育は「1」。そう話すとその人は運動神経抜群のように思える体格であっても子どもの頃は「3」だったそうだ。小学校時代に運動が「1」であってもその後にやる気があれば何だってできる。その思いがあるので水泳も自分自身にとっては自信となっている。
ということで紳助のいう老後に必要なモノ・ヒト・コトである「お金と仲間と筋肉」は幸せな老後と言えるかもしれない。
話は変わって昨日のBS「シルクロード謎の民」を見る。以前に見たことがあると思いながら再度見る。自分のブログで検索すると別のタイトルの「聖域のモナリザ」でアップしていた。番組によると「秘境タクラマカン砂漠の中央に森があり『謎の民』が羊を追い暮らす。墓や埋葬方法からシルクロード、楼蘭とつながる?俳優・満島真之介が砂漠を歩き大胆な推理に挑む」とある。さらに詳細を見ると「中国の秘境タクラマカン砂漠、別名『死の砂漠』の過酷な地の奥に『謎の民』のオアシスがある。世界初のテレビ取材、黄金に色づく胡楊(こよう)の森に守られ羊を追う人々、シルクロード、楼蘭とつながる文化を守る。楼蘭の地で発掘された美女ミイラの墓と似た墓、埋葬方法。俳優・満島真之介が砂漠を歩き、ミイラと対面、4千年の歴史に大胆な推理で挑む。北京テレビとNHKの国際共同制作で砂漠とオアシスの絶景となぞに迫る」ともある。
この3点、大いに共感する。「お金と仲間と筋肉」。お金は「お金」。しかし、上野千鶴子に言わせると「金持ち」でなく「友持ち」が大事と何かに書いている、筋肉は「健康」と置き換えられる。「お金」は紳助の何万分の一も持ち合わせていない。しかし、生きてさえいれば何とか年金で生活できる。ということでこれは必要最小限でクリア。2つ目「仲間」。これは旅仲間、習っている稽古ごとの仲間など人との交流をいうのだろう。人の誘いに乗りやすいタイプで人の良し悪しを自分なりの基準で嗅ぎ分けている。ということで2つ目もクリア。3つ目の「筋肉」。これは「健康」と置き換えよう。週に一度一キロ泳いでいる。水泳は年齢を経て開始しても長く続けて泳いでいる。いたって健康なので3つ目もクリア。じゃ、幸せに生きている!?
先日の旅で初めて会った人がいる。その人とは機内の座席が隣になり、いろいろと話をした。百名山を踏破しているとのことだった。運動は水泳をしていると話すとその人は平泳ぎを顔を出して泳ぐという。顔を水につけられないらしい。お風呂で顔をつけて「プワー」と息を出して練習すると顔はつけられると教えてあげる。得意になって水泳の話をしていたのだろう。その人にかなりの刺激を与えたらしい。水泳教室に入るとまで話される。どういっても体育は「1」。そう話すとその人は運動神経抜群のように思える体格であっても子どもの頃は「3」だったそうだ。小学校時代に運動が「1」であってもその後にやる気があれば何だってできる。その思いがあるので水泳も自分自身にとっては自信となっている。
ということで紳助のいう老後に必要なモノ・ヒト・コトである「お金と仲間と筋肉」は幸せな老後と言えるかもしれない。
話は変わって昨日のBS「シルクロード謎の民」を見る。以前に見たことがあると思いながら再度見る。自分のブログで検索すると別のタイトルの「聖域のモナリザ」でアップしていた。番組によると「秘境タクラマカン砂漠の中央に森があり『謎の民』が羊を追い暮らす。墓や埋葬方法からシルクロード、楼蘭とつながる?俳優・満島真之介が砂漠を歩き大胆な推理に挑む」とある。さらに詳細を見ると「中国の秘境タクラマカン砂漠、別名『死の砂漠』の過酷な地の奥に『謎の民』のオアシスがある。世界初のテレビ取材、黄金に色づく胡楊(こよう)の森に守られ羊を追う人々、シルクロード、楼蘭とつながる文化を守る。楼蘭の地で発掘された美女ミイラの墓と似た墓、埋葬方法。俳優・満島真之介が砂漠を歩き、ミイラと対面、4千年の歴史に大胆な推理で挑む。北京テレビとNHKの国際共同制作で砂漠とオアシスの絶景となぞに迫る」ともある。
この中の胡楊の樹。ダリアブイに住む人々が亡くなると墓地に胡楊の樹を立てるという。この胡楊は亡くなった人の罪を減らして安らかな眠りにつくそうだ。これを見てわが家の地方では竹でできた盆灯籠をお墓の周りに立てる。また日蓮宗では木でできた長い塔婆を立てる。これは「謎の民」の立てる胡楊と同じ役目かもしれない。この胡楊の樹は森を守り、死者がミイラ化する作用もあるという。4千年前のミイラ発掘はこの胡楊に守られて眠っていた!?
秘境タクラマカン砂漠、シルクロード、羊…、30年前に出かけた。楼蘭、この響きがいい。井上靖の小説を再度読みたくなった!それにしてもシルクロード、ロマンがある!?
2017年10月26日木曜日
パンフルートコンサートに出かける
![]() |
| 今年のレモンから 重さ1個155gと大きい |
今年のわが家のレモンは大豊作。今朝、1個測ってみると何と155gある。昨日、急きょ女子会NO.4さんに誘われてパンフルートの演奏会に出かける。出かける前にまずはレモンを、と今年初めて3個、枝から切り取る。多分40個くらいは実っているはず。レモンが実ると自慢気に話をしている。少しずつでも会う人にあげよう。
インドネシアの旅でレモンが実った人やすだちが500個実った人から話を聞く。どうやって保存を、と尋ねると果汁をペットボトルに入れて冷凍保存するといいらしい。それを必要に応じて冷蔵に切り替えるという。いいことを聞いたと思って先日早速100円ショップでレモン搾り器を購入。以前のものはガラス製だった。ところがこの頃のはプラスチックであっても100円なのに果汁がこぼれないようにふたまでついている。後でうまくできるか試してみよう。
さてパンフルートの演奏会。いただいたチケットで演奏を聞く。聞いていてパンフルートの音色に魅せられる。演奏曲目はフルートで吹く曲に似ている。フルートとパンフルート。名前は似ていても全く別の楽器。フルートを習い始めた20数年前、日本のパンンフルート奏者である岩田英憲の演奏を聞いたことがある。ルーマニアで学ばれたと聞いた。昨夜の演奏者はそのルーマニアの本場のパンフルート奏者だった。以前聞いた奏者は高音部でなく中音部以下が主な演奏だったように思う。ところが昨夜の奏者は鳥がさえずるというか鳴くというか高音部がとても綺麗。究極はプログラムの最後になってヴァイオリンと鳥とが鳴き声を競うかのような演奏をされる。これも他では見たことがなく、微笑ましい光景だった。
また、日本の唱歌の演奏もあった。会場と一体となって歌声も弾む。ルーマニアはジプシー音楽の国。あの古澤巌もルーマニアのジプシーについて演奏法を学んでいる。その中の♪ひばり♩も演奏された。他にもピアソラ作曲の♩リベルタンゴ♪もあった。演奏曲数はかなりある。
演奏タイトルはパンフルートトリオコンサート。ヴァイオリンはクリスチャン・チュカ、ピアノにルトゥルミー谷口玲理、そしてパンンフルートはコーネル・パナ。
演奏中も素晴らしい音色に聞き入ってしまった。もう興奮して感動しまくる。演奏後、友だちがチケットをもらった人と話をする。以前、通っていた大学でお昼になるとどこからともなくパンフルートの音色が聞こえてきた。そばに近づくと大学の先生がデモで吹かれていた。恐る恐るお話しすると練習場所のチラシをくださった。なかを見ると火曜日。火曜日はフルートを習っていてどうにも動きが取れない。何とかほかの手段でパンフルートを習いたいと思った。結果は曜日が合わず諦めた経緯がある。
その時の先生のことを覚えていたのでチケットをくださった人に話すと、その人もご存じの人だった。今はウラジオストックの大学で物理を教えておられるという。チケットの人は市内の某学院で練習している、と仲間に入ることをすすめられる。やりたい気持ちもある。しかし、楽器は毎日練習しないと効果がない。ただ、坐って話を聞くだけならば習ってもいいけどそれは無理なお話。
誘ってくれた人と興奮冷めやらぬうちにと会場近くのお店でビールで乾杯。久しぶりにお好み焼きを食べる。やっぱり広島はお好み焼きじゃ、と思う。美味!
帰りのバスを待っていると遅い時刻に人だかり。何があった、とバスに乗る見知らぬ人に声をかける。松山千春のコンサートだった。皆さん満足そうなお顔をされている。JRに乗っても同じものを持つ人が多い。最寄り駅で声をかけるとやはりコンサートに出かけたとのこと。御年はかなりのご高齢。3時間のコンサートだったとか。松山千春のコンサート、いつかぜひとも聴いてみたい!それにしても女子会NO.4さん、いい演奏会をありがとう!楽しかった!次は女子会、楽しみ!よろしく!
ブログ投稿後、パンフルートの動画を検索すると昨夜の演奏者の動画がある。ここにアップしよう。
2017年10月25日水曜日
BS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」
昨夜のBS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」を見る。番組の内容はネットによると「45年前、実現した日中国交回復。実はその1年前、佐藤栄作総理が密使を送り極秘交渉を進めていた。香港、中国、アメリカ、日本で徹底取材。知られざる密使外交に迫る」とある。この詳細は「45年前、田中角栄政権の下、実現した日中国交回復。実はその1年前、佐藤栄作総理によって密使が香港に送り込まれ、極秘交渉が進んでいた。今回、当時の総理秘書官が、密使との連絡役を佐藤から命じられていたことを初めて証言、報告をメモに残していた。佐藤は、密使を介して周恩来に親書を送り、国交正常化へ向け北京を訪問したいと伝えていた。香港、中国、アメリカ、日本で徹底取材。知られざる“密使外交”の舞台裏に迫る」とある。
当時の佐藤総理の秘書官とは西垣昭。この人のメモがナレーション代わりとなって番組が進められる。ニュースを挟んで2時間の番組。見ごたえ十分の番組だった。それにしてもよくここまで調べ上げていると感心する。これを書物にするとどれくらいの長さになるだろう。
密使とは江口真彦。別名は真比古。取材班はこの人が何者かが理解できない。江口という姓を調べ上げると福島県にその人の親族がいた。戸籍などを持ち合わせていた親族から聞いた言葉は「江口章」が江口の本名とわかる。秘書の西垣は佐藤総理からこの密約は口外しないようにといわれていたとか。それではあまりにも佐藤総理が浮かばれない。そう思った西垣はもう口外してもいいだろうとの思いから公にする。
密使である江口と秘書の西垣。この2人は秘密裏に事を進めるため佐藤の総理公邸の応接室に出入りする。ここは官邸であってもそのうちの一部が私的応接室に入れる仕組みになっていた。そのため、誰とあっても外に漏れることはなかった。
当時の中国の首相は周。周と江口の接点は?といろんな角度から江口の行動を明らかにしていく。舞台は香港。萬𤋮という人がいた。この人と日本人との間に藤野という息子がいる。今でも健在でこの藤野にも話を聞く。他にも中国のトップに近い人物と江口がどうやって接触したのかの推理を解いていく。
江口が様々な手段で構想した江口構想は9か月で幕を閉じる。1972年6月17日、佐藤総理は退陣。その3か月後の1972年9月29日、日中国交が正式に回復した。退陣から国交回復までの日本の政権のやり取りは見苦しいモノがある。いつの時代もそうかもしれない。これまで田中総理だけが日中国交回復をしたかのようにもてはやされた。しかし、その裏には知られざる事実が隠されていたとは…。そう思うと佐藤総理はかなりの人格者!?影の苦労を抱えながらも日を見ることがなかったとは…。その意味でも西垣氏がこのことを公にされたことは正しかった!
話は変わって、昨日はプールに出かける。タイから帰った後は1か月くらい風邪気味でぐずぐずしていた。ところがインドネシアからの帰国後は元気そのものだ。さすがに1キロ泳ぐのは控える。それにしてもインドネシアの旅のお正月版の高いコト。今朝の地元紙にその募集がある。なんと398000円。他にも入国税や一人部屋追加料金50000円を加えると40数万円もかかる。
まあ、インドネシアは南半球に位置している。遠いこともあるのか今回の旅も結構アジアにしては高かった。金額のことを言っていては何処へも行かれない。働いていた時はお盆、お正月、GWと高い時ばかりに出かけていた。そう思えば金額をとやかく言えない。ともあれ、行きたい、見たい、遊びたい、聞きたい、食べたい、飲みたい、着たい、会いたい…と何でもいいけど、やりたいモノ・コト・ヒトはすべてやった方がいい!その思いは年々強くなる。
またもや話は変わって、昨日やっと作品展に出品した3点が我が家に戻って来た。自分の画を見てひとしお感慨にふける。来年はもっとうまく描けるといいけど…。
当時の佐藤総理の秘書官とは西垣昭。この人のメモがナレーション代わりとなって番組が進められる。ニュースを挟んで2時間の番組。見ごたえ十分の番組だった。それにしてもよくここまで調べ上げていると感心する。これを書物にするとどれくらいの長さになるだろう。
密使とは江口真彦。別名は真比古。取材班はこの人が何者かが理解できない。江口という姓を調べ上げると福島県にその人の親族がいた。戸籍などを持ち合わせていた親族から聞いた言葉は「江口章」が江口の本名とわかる。秘書の西垣は佐藤総理からこの密約は口外しないようにといわれていたとか。それではあまりにも佐藤総理が浮かばれない。そう思った西垣はもう口外してもいいだろうとの思いから公にする。
密使である江口と秘書の西垣。この2人は秘密裏に事を進めるため佐藤の総理公邸の応接室に出入りする。ここは官邸であってもそのうちの一部が私的応接室に入れる仕組みになっていた。そのため、誰とあっても外に漏れることはなかった。
当時の中国の首相は周。周と江口の接点は?といろんな角度から江口の行動を明らかにしていく。舞台は香港。萬𤋮という人がいた。この人と日本人との間に藤野という息子がいる。今でも健在でこの藤野にも話を聞く。他にも中国のトップに近い人物と江口がどうやって接触したのかの推理を解いていく。
江口が様々な手段で構想した江口構想は9か月で幕を閉じる。1972年6月17日、佐藤総理は退陣。その3か月後の1972年9月29日、日中国交が正式に回復した。退陣から国交回復までの日本の政権のやり取りは見苦しいモノがある。いつの時代もそうかもしれない。これまで田中総理だけが日中国交回復をしたかのようにもてはやされた。しかし、その裏には知られざる事実が隠されていたとは…。そう思うと佐藤総理はかなりの人格者!?影の苦労を抱えながらも日を見ることがなかったとは…。その意味でも西垣氏がこのことを公にされたことは正しかった!
話は変わって、昨日はプールに出かける。タイから帰った後は1か月くらい風邪気味でぐずぐずしていた。ところがインドネシアからの帰国後は元気そのものだ。さすがに1キロ泳ぐのは控える。それにしてもインドネシアの旅のお正月版の高いコト。今朝の地元紙にその募集がある。なんと398000円。他にも入国税や一人部屋追加料金50000円を加えると40数万円もかかる。
まあ、インドネシアは南半球に位置している。遠いこともあるのか今回の旅も結構アジアにしては高かった。金額のことを言っていては何処へも行かれない。働いていた時はお盆、お正月、GWと高い時ばかりに出かけていた。そう思えば金額をとやかく言えない。ともあれ、行きたい、見たい、遊びたい、聞きたい、食べたい、飲みたい、着たい、会いたい…と何でもいいけど、やりたいモノ・コト・ヒトはすべてやった方がいい!その思いは年々強くなる。
またもや話は変わって、昨日やっと作品展に出品した3点が我が家に戻って来た。自分の画を見てひとしお感慨にふける。来年はもっとうまく描けるといいけど…。
登録:
投稿 (Atom)
