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2017年12月1日金曜日

「ラジャ」

 見知らぬ若者のツイッターに早くもボーナスの話題。遊び人は当然、ボーナスは無い。ただ、気休めにささやかな年金が振り込まれる。それでも遊んでいただけるとあって多いじゃ少ないじゃと言わずに有難くいただく。そうはいっても先月の出費の多いコト。毎月決まった額を月初めにATMで下す。11月はなぜか異常な出費となった。仕方なく、3日前に、再度、ATMで引き出す。今日は12月1日。ATMに行く!

 昨日は広響と関西のJTBの2か所から郵便物が届く。JTBは早くも新年号。来年の海外旅行を物色していると3か所、行きたい国がある。考えた挙句、まだ出かけていない国を申し込む。時期は来年の3月。しかし、その日はすでに予約で満杯。昨日受け取ったばかりの旅のカタログなのにすでに予約不可能とは…。じゃ、と係りに聞くと2月末をすすめられる。言われるままに申し込む。ところがその日はバス旅を申し込み済み。バスの予約を変更することにする。今年も元気に動き回った。この勢いを来年にも持ち込んで早速行動開始となった。

 勢いついでに広響の郵便物を見ると会員向けのファン感謝デーコンサートがある。メールで申し込む。だが送信する際、info@と続くアドレス。このinfoはどこのinfoかと画面に出る。そしてメールアドレス帳まで表示が出る。その時、一瞬にしてアドレス帳のどこかに触れたのかメールが送信される。後で確認すると全く違う宛先だった。すぐに間違いのお詫びメールをして、プールへ急ぐ。

 泳いで帰宅後にメールを見ると返信メールに「ラジャ」とある。これは何のこと?とネットで検索すると「了解」の意だそうだ。見知らぬ若者のツイッターでよく新語(?)を目にする。その度にネットで意味を検索する。人並みに世の中について行くには日本語がわからなくてはこりゃ大変。まあ、これもボケ防止、と思って…。間違って送信した人に再度メールする。その返信メールが可笑しい。「 ところでプールにいつもいたあのうるさいおじさん、まだいるの?迷惑な話で、いつも見ながら怒ってました。。笑」とある。この言葉、先日、5年ぶりくらいに会った友だちから同じことを聞かれたばかりだった。夜、その友に電話でこの話をする。友は「プールのおっさんのことは水泳のブログを見る度、気になったので質問したよ」と大笑いして話す。

 何気なくブログに書いていることでも気にかけてもらって有難い。再度、電話で笑ってしまった!嫌なおっさんは地元の校長だったらしく、プールで泳がずにいてああせい、こうせいと采配する。ほっといてくれ、と言いたくなるほどああじゃ、こうじゃと言ってくる。この頃は見かけなくなってプールの空気も良くなった!?

 それにしても「おっさん」の件でお二人にご迷惑をおかけしました。

  昨日の夜は「BS1スペシャルワルシャワ蜂起 葬られた真実カラーでよみがえる自由への闘い」を見る。番組情報によると「2014年、ポーランドで第二次世界大戦中に撮影されたモノクロ映像が、カラーでよみがえった。映るのは、ナチス占領下で祖国を取り戻そうと立ち上がったワルシャワの人たち。20万人が犠牲になったとされる『ワルシャワ蜂起』の様子が克明に記録されている。戦後、蜂起を無謀な作戦と非難するソ連の影響下で、長らく封印されてきたこの記憶。自由を求める長く厳しい闘いの軌跡を、カラー映像と生き残った人たちの証言でたどる」とある。

 さらに「1944年8月1日午後5時、ナチスドイツに占領されていたワルシャワの街で、ポーランド国内軍と市民全員によるワルシャワ蜂起が起った。不意を突かれたナチス軍は初め、至る所で敗北し、蜂起軍は快進撃を続けた。このころの実写がモノクロで残っているのを、10年前に作られたワルシャワ蜂起博物館がCPでカラーに蘇らせたのである。写真に出てくる人の中で、170人の身元がわかった。8月1日の午後5時を記念して今でもワルシャワ市民は黙祷をささげる。時刻午後5時はWと呼ばれ、これはワルシャワの頭文字。70年たっても守られているのだ。日本の敗戦記念日8月15日に日本の若者は何にもしない。広島・長崎だって風化の一途である。写真に写っていたヴィトルト・キエジュンさんは当時中尉で、戦後は統計学を勉強し大学教授になり、今も92歳で健在である。妻を亡くし1人暮らしだが、矍鑠として当時を語る。ナチスは1人殺されるとポーランド人を10人選別して大した理由もないのに公開処刑した。32人いた大学の同期生は、5年間で16人に減った。ナチスは人種差別でユダヤ人を迫害したが、ポーランド人も同じように扱った。70年前、彼は身長190センチ、体重102キロの偉丈夫だったので生き残ったのか。今年のWの記念式典にも参加している。ソ連とナチスに2分割される密約のあった悲劇のポーランドの、70年後の強い意志を見せつけたドキュメントに頭を垂れるのみ」ともある。
 
 他にもワルシャワ蜂起で立ち上がった元女性兵士で87歳の人も登場する。この人はナチスによる連行後も生き延びて14名の元兵士の記念碑を作る最後の仕事があった。ワルシャワ蜂起で亡くなったポーランドの人たちは側溝に死体を放り投げられた。所持品があるにもかかわらずすべて破棄されて身元不明のままにして穴を掘って埋めた。集団のお墓は十字架ではなくソ連の軍の印。これを見て元女性兵士はせめて14名の仲間だけでもと思い、身元を割り出す。そして大統領に直訴して墓碑を作る。それを披露する日、大統領を伴ってその女性は墓碑を案内する。そして墓碑に刻まれた言葉を大統領の前で声を出して読み上げる。その日はWの時刻に集まった若者たちで溢れていた。元女性兵士は若者たちと円陣を組んでこれからのポーランドの未来を若者に託した。そして自由を求めて立ち上がれと若者に話す。元女性兵士は今のウクライナの状況を慮る。

 最初の放送は2014年11月16日20時~とあるから3年前の番組だろう。先日のニュースによるとポーランドの政治は自由でなく元に戻ろうとしていると危惧する。それにしてもこういう番組を見る度にドイツもソ連もほんまに…。

2017年10月25日水曜日

BS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」

 昨夜のBS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」を見る。番組の内容はネットによると「45年前、実現した日中国交回復。実はその1年前、佐藤栄作総理が密使を送り極秘交渉を進めていた。香港、中国、アメリカ、日本で徹底取材。知られざる密使外交に迫る」とある。この詳細は「45年前、田中角栄政権の下、実現した日中国交回復。実はその1年前、佐藤栄作総理によって密使が香港に送り込まれ、極秘交渉が進んでいた。今回、当時の総理秘書官が、密使との連絡役を佐藤から命じられていたことを初めて証言、報告をメモに残していた。佐藤は、密使を介して周恩来に親書を送り、国交正常化へ向け北京を訪問したいと伝えていた。香港、中国、アメリカ、日本で徹底取材。知られざる“密使外交”の舞台裏に迫る」とある。

 当時の佐藤総理の秘書官とは西垣昭。この人のメモがナレーション代わりとなって番組が進められる。ニュースを挟んで2時間の番組。見ごたえ十分の番組だった。それにしてもよくここまで調べ上げていると感心する。これを書物にするとどれくらいの長さになるだろう。

 密使とは江口真彦。別名は真比古。取材班はこの人が何者かが理解できない。江口という姓を調べ上げると福島県にその人の親族がいた。戸籍などを持ち合わせていた親族から聞いた言葉は「江口章」が江口の本名とわかる。秘書の西垣は佐藤総理からこの密約は口外しないようにといわれていたとか。それではあまりにも佐藤総理が浮かばれない。そう思った西垣はもう口外してもいいだろうとの思いから公にする。

 密使である江口と秘書の西垣。この2人は秘密裏に事を進めるため佐藤の総理公邸の応接室に出入りする。ここは官邸であってもそのうちの一部が私的応接室に入れる仕組みになっていた。そのため、誰とあっても外に漏れることはなかった。

 当時の中国の首相は周。周と江口の接点は?といろんな角度から江口の行動を明らかにしていく。舞台は香港。萬𤋮という人がいた。この人と日本人との間に藤野という息子がいる。今でも健在でこの藤野にも話を聞く。他にも中国のトップに近い人物と江口がどうやって接触したのかの推理を解いていく。

 江口が様々な手段で構想した江口構想は9か月で幕を閉じる。1972年6月17日、佐藤総理は退陣。その3か月後の1972年9月29日、日中国交が正式に回復した。退陣から国交回復までの日本の政権のやり取りは見苦しいモノがある。いつの時代もそうかもしれない。これまで田中総理だけが日中国交回復をしたかのようにもてはやされた。しかし、その裏には知られざる事実が隠されていたとは…。そう思うと佐藤総理はかなりの人格者!?影の苦労を抱えながらも日を見ることがなかったとは…。その意味でも西垣氏がこのことを公にされたことは正しかった!

 話は変わって、昨日はプールに出かける。タイから帰った後は1か月くらい風邪気味でぐずぐずしていた。ところがインドネシアからの帰国後は元気そのものだ。さすがに1キロ泳ぐのは控える。それにしてもインドネシアの旅のお正月版の高いコト。今朝の地元紙にその募集がある。なんと398000円。他にも入国税や一人部屋追加料金50000円を加えると40数万円もかかる。

 まあ、インドネシアは南半球に位置している。遠いこともあるのか今回の旅も結構アジアにしては高かった。金額のことを言っていては何処へも行かれない。働いていた時はお盆、お正月、GWと高い時ばかりに出かけていた。そう思えば金額をとやかく言えない。ともあれ、行きたい、見たい、遊びたい、聞きたい、食べたい、飲みたい、着たい、会いたい…と何でもいいけど、やりたいモノ・コト・ヒトはすべてやった方がいい!その思いは年々強くなる。

 またもや話は変わって、昨日やっと作品展に出品した3点が我が家に戻って来た。自分の画を見てひとしお感慨にふける。来年はもっとうまく描けるといいけど…。