2025年1月8日水曜日

「転がる石に苔むさず」

 今朝の地元紙に南美希子は「転がる石に苔むさず」を引用して書いている。この諺は初めて知った。ウイキペディアで調べると〈”A rolling stone gathers no moss”とはプブリリウス・シュルスの『格言集(Sententiae)』で記した「一つの場所にも他の場所にも定着せず、常に動き回る人々は、責任や苦労から逃げている」から発生したとされイギリスの古い諺である〉とある。

 この中にある”moss”はモスグリーンのモス?と思ってさらに調べるとそうだった。このモスグリーンの詳しい意味も知らずに使っていた。苔から来ていたとは……。せいぜいこの諺をモットーにしてくすぶらず「常に動き回る人」でありたい!そうすれば元気でいられる!?

 今朝も日差しはあるが問題は明日の寒さ!?明日の最高気温が3度とか。最高気温が3度だと最低気温はさらに冷たい。今日は外に出て明日はおとなしくする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月7日火曜日

再興109回院展は平山美術館で開催!

 今朝の地元紙に文化勲章受章の日本美術院理事長田淵俊夫のインタヴューがある。日本美術院は春の院展や再興院展を開催している。しかし、この2件の院展は広島では開催されない、と聞いた。日本画を習っているので年2回の院展の開催は楽しみだった。ところが今朝の記事で田淵俊夫の師匠でもある瀬戸田の平山郁夫美術館で再興109回院展が3月1日から4月7日まで開催されるとある。

 平山郁夫美術館へは日帰りバスツアーで出かけた。が、個人では出かけていない。先ほど自宅から美術館までのアクセスをネットで調べると三原港から瀬戸田港までの船が出ている。瀬戸田港から平山郁夫美術館へは徒歩で行ける。スマホのスケジュールに見に行く日をメモした。

 広島はスポーツ関係では中四国地方で幅を利かせている。が、文化面では岡山県に劣ると言われる。全国を巡回する日本画の院展が広島市内でなくなったことを見てもその感は否めない。その代わり、瀬戸田に出かけて見られるのであればこれもレジャーを兼ねて出かけよう。

 雨も上がって日差しがまぶしい。奈良の旅の計画など遊ぶことばかりを考えている。こういう時が一番楽しい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月6日月曜日

ひらめきを最優先!?

 昨年は家の改装で明け暮れた感がある。それでも夏くらいまではツアーや個人でいろんなところへ出かけた。中でも7月の猛暑日に出かけた長谷寺と室生寺は暑さに負けて海外で味わった高山病にも匹敵するほど過酷な旅となった。新たな年の始まりは頭にひらめくことを最優先して物事をすすめよう。その初めはやはり旅。先日日帰りツアーで2月下旬の旅を申し込んだ。昨日は夕方から夜の11時までかけて奈良の宿を申し込む。行先は奈良の壷阪寺。このお寺は眼病封じのお寺だとか。眼は自分にとっては一番の難点。今何がどう悪いというわけではないが視力がよくないのがいけない。今更視力を云々とは思わないが、これにかこつけて観光するのもいいじゃない!?と思った。

 奈良橿原周辺の宿をネットで探す。昨年秋から個人で旅をしていなかったが候補に挙がった宿の公式HPから予約する。が、しばらく経って予約したホテルの口コミが気になる。どれもこれも評判がよくなくて、夜になって再度他のホテルを探す。

 先に予約したホテルと比べると倍以上の金額だがここに変更する。その時刻は夜10時半だ。すぐに先に申し込んだホテルをキャンセルする。

 ホテルは決まった。その時いいアイデアが浮かぶ。それは予約したホテルから先には吉野がある。2年前、人について吉野へ行った。しかし、2年前の吉野は桜が葉桜だった。今回予約したのは4月初旬。桜の季節だ。ついでに吉野の桜も見に行こうとなった。

 まだまだ奈良には多くの行きたい場所がある。もしも今度泊まるホテルが気に入ればここを定宿に、と思ったり。というか予約した宿は最寄り駅に近いのがいい。

 これから4月までは旅のスケジュールが楽しみになる。計画していると頭の中はそれだけになる。これがいい!

 今朝の地元紙をみるとまたも徳之島の旅がある。1人参加はキャンセル待ちであきらめたが募集するなら参加させてくれても、と思う。期待する方が無理!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月5日日曜日

「〆切が あれば書きます 遺言書」

 今朝の地元紙を見ると今日は1・5の語呂合わせで遺言の日だとか。記事を読むと川柳がある。「〆切が あれば書きます 遺言書」。これは遺言川柳の受賞作だそうだ。跡継ぎがいないので時に姉妹から遺言を書くようにと言われることがある。書くほどのモノはないし、ましてやこの受賞作のように自分の消える〆切が決まっているわけでもない。自分自身がこの世からいなくなることさえ、今は想像できない。長く生きて来て必要以上に石橋をたたいて渡ってきた。が、先のことはなるようにしかならないのであらかじめ用意して置くことはない。その思いが強いので遺言がどうじゃこうじゃは次元が違う。

 昨夜、推し芸人の新年初めてのYOU TUBEを見て早速、コメントを書いた。久しくコメントを書いていなかったが、昨夜のYOU TUBEは思わず吹き出すほどおかしかった。その後、すぐにご本人から「ありがとうございます」と返信がある。YOU TUBEは他の人のも見る。テレビが面白くないので推し芸人のYOU TUBEを見るのは本当に楽しみだ。

 今朝は今季一番とも言えるほど気温が低く、最低気温はマイナス1度だった。今は日差しも出ている。今日から図書館が開館する。これから早速、予約の本を受け取りに図書館へ行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月4日土曜日

フィナンシェ

 年末に姉の孫たちが我が家にやってくる旨、電話があった。ポチ袋を折り紙で作って2人分のお年玉を用意する。しかし、予定時刻になっても孫たちはやってこない。姉に電話するとまだ家にいるという。そう聞いてお正月早々、ムッとする。よく話を聞くとまだ寝ているみたいなことを言う。そしてさらにムッとする。その時、孫2人ではなく、大阪から帰省中の大学生の孫も来るとのことで慌てて1人分のお年玉を追加する。2人分までは新しいお札があったが追加の1人分は新札がない。ましてや使いかけの旧札だ。やってきた3人に1人分だけ旧札が入っている旨告げてくじ引きにして渡した。旧札は1番下の高校生の男の子が受け取る。

 3人のうち、高校生の男の子の変化に驚く。以前に会ったのは小学生の頃だ。それから数年後の昨日は高校2年生になっている。子供から青年への変化は見るものを驚かせる。そして2人の女の子は声も姿も話しぶりもその母親にそっくりだ。姉曰く、みんなが話していると誰がどの声かわからないと。そう聞いてたまに会うので納得する。

 3人は自宅最寄り駅から広島駅で乗り換えて我が家にやってきた。乗り換えの際、2番目の大学生がホームを出てわざわざ新幹線口の名店街でフィナンシェを買ってお土産にくれた。3人は我が家で早速、それを食べ始める。1個、冷蔵庫に残してくれていた。飲みものや年末に買っていた一六タルトなどを用意すると飲んでいる。しかし、一番上の姉の孫は、突然、お味噌汁が飲みたいと言いだす。作るのも大変なので前夜作って残っていたのをチンして出すと美味しいと言って飲んだ。

 いつもは一人でゆっくり生活している。それが突然の3人の来客で慌ててしまった。そして今風の若者と話すが、こちらはついて行けない。

 次は3月に来ると言ってわが家を去った。その時、お土産は何がいいかを問われて「月化粧」と答える。その理由は推し芸人が新年にそれをXに載せていたから。広島では買えない和菓子のようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)姉の孫たちの到着が遅れたので昨日の予定が崩れた。例年のように参る広島駅から無料送迎バスが出ている神社に行かずじまいとなる。どこかへ行きたい気持ちが昂じてネットで旅行会社の日帰り旅を探す。その前に、徳之島の旅はどうなったかをネットで調べると1人参加はやはりキャンセル待ちだ。とはいっても申し込んではいないが。今朝、メールをチェックすると徳之島の旅の案内が届いている。2人参加だとOKという意味!?日帰り旅は来月下旬の河津桜の旅をネットで申し込み、クレジット決済した。これからは泊を伴う旅は一人旅で出かけよう。今年も元気を出してせっせと旅をする!?

2025年1月3日金曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(14)

 新たな年も3日目を迎えた。昨年の能登で起きた悲惨な年と違って今年はお天気も良く穏やかな1年の始めとなった。以下は『司馬遼太郎が考えたこと』(14)(司馬遼太郎 新潮社、平成十八年)から気になる箇所をメモした。この中のホータン(和田)はシルクロードに位置する。シルクロードに出かけたがホータンのある天山南路には出かけていない。出かけたのはトルファンまでの天山北路。いつか南路にも出かけたいと思っていたがこれも年々難しくなっていく。というか、いま中国へ行く気がしない。北路に出かけたのはいまから37,8年前のこと。シルクロードブームが全盛の時代だった。いい時に中国に何度も出かけた。今となってはただ懐かしさだけが残るいい思い出だ。その頃に知り合った旅友達はほとんどこの世で会えない……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★謡曲も浄瑠璃も、早期資本主義という殺風景な社会において、精神の栄養になったと思います。栄養とは、ロマンティシズムのことであります。精神が干からびたリアリズムにおちいらぬよう、シーソーのべつの端にロマンティシズムを置き、それによって人生の悲哀や男女の恋についての高い感受性をうしなわぬようにした、という意味であります。……一八六八年の明治維新で過去のほとんどを捨てた日本社会は、三十余年後にほぼ第一期の成熟期をむかえました。そのとき出現したのが、作家夏目漱石(一八六七~一九一六)でした。(「文学から見た日本歴史」)(40p―42p)

★清朝以後、現在にいたるまで、中国では「満洲」または満洲族とよばれている。ついでながら、こういう機会に日本人おおかたの誤解をとくためにいっておかねばならないが、満洲とは本来地名ではない(地名なら満州とでも表記するところである)。満洲とは民族で、こにちでも中国においてはその使われ方は変わらない。通説では、ヌルハチ(一五五九~一六二六)以前から、このツングース系のひとびとのあいだに文殊菩薩信仰がひろまっていて、かれらはみずからの族のことをマンジュといっていたことからはじまったという。また、太祖のヌルハチ自身、別称としてマンジュを用いており、またかれの初期、自分の領域のことをマンジュの国(ゲル)とよんでいた。太宗ホンタイジにいたって、自分の民族名を正式に”満洲”と表記するようになった。決して地域名ではない。地域名としては、明代までは、このあたりは遼東(ときに遼東・遼西)とよばれていた。清朝になっても、王朝勃興の聖地を満洲などとよんだことはない。東省(とうしょう)とか、東三省(とうさんしょう)(奉天・吉林・黒竜江の三省)とよんでいて、新中国になってからは、東北地方とよぶようになっている。(女真人来たり去る―あとがきに代えて 『韃靼疾風録』)(94p―95p)

★和田(ホータン)にあった遠き世の于闐国こそ、わが「華厳経」をはじめ多くの大乗経典のふるさとであったらしい。……私はこの地にきたとき、一歩ごと、華厳を感ずるような瞬間をもった。「華厳経」がここでたしかにうまれたという、実証を超えた感動もおぼえた。大砂漠と、太陽のはげしさとブドウ棚と吹きわたってくる涼風とそれに運河の水、さらには人や生物のいとなみをみていて、つい華厳ふうに感じざるをえなかった。この地でさまざまな”因縁”(関係性)が構成され、それが”縁起”になって、オアシスの安全という”因果”をうんでいるのである。……この地で成立したらしい「華厳経」はやがて、中国にわたり。この経を中心とする華厳宗(宗とは体系のこと)がつくられた。このとき、"一即一切、一切即一”(一はすべてであり、すべては一である)という説明のしかたがうまれた。一粒の砂は宇宙そのものである。宇宙はこの一粒の砂である、という言い方は、哲学的な表現としては古今まれな絶妙さをもっている。この国は、いわゆるシルクロードの南道にあったが、いまはまぼろしの国になっている。こんにちでは新彊ウイグル自治区にあり、すでにふれたように、名も和田(ホータン)という表記にかわっている。……すぐれた音韻学者だった藤堂博士はしばらくうつむいて歩いておられたが、やがて、口蓋をこすり、「kho!」と叫ばれた。「秦漢時代は、于はホー(口蓋摩擦音)という音だったことを思いだしました。だから于闐は紀元前後の音でいいますと于闐(ホータン)とおなじ音になります。現代中国ではホータンという現地音に対し、和田というやさしい漢字をあてて表記したのでしょう」……本格的に中国領にくみ入れられた歴史は新しく、乾隆年間に清に帰服させられ、一八八四年に”新しい土地”という意味の新彊省が設けられた。(「華厳をめぐる話 井上博道写真集『東大寺』)(327p-333p)

★インド文明と中国文明の基本的なちがいは、インドが思弁を偏愛して時間的記録をよろこばないことである。それにひきかえ、中国は思弁よりも時間ごとに記録を残すことを偏重する。簡単にいえば、中国文明は歴史をよろこび、インド文明は記録好きをあざけりはしないにしても、その価値に無感動である。大きな輪廻からみれば、何年にたれがどうした、などということは虚仮にすぎないと古代インド人は思っていたのだろう。……古代インドは日常語のほかに、学問語であるサンスクリットをもち、文法学者が活動し、言語の制度をつねに保っていた。古代インド思想は、このすぐれた言語によって表現されたのが、釈迦もまた当然、その言語で自分の考えを言いあらわした。しかし、釈迦という人は文章表現はせず、人に書きとめさせもなかった。さらにその大原則として不立文字でもあり、言語によっては仏教の窮極の境地は表現できない、としていた。このため、釈迦がどういう人でなにを考えていたか、つまり釈迦の仏教はどういうものであたかが、わからない。(「華厳をめぐる話 井上博道写真集『東大寺』)(337p―339p)

★大仏殿における毘盧遮那仏は、一大蓮華の台(うてな)に安座しておられる。その蓮華には花びらが千葉あり、一葉ごとに一釈迦が応身して線刻されている。以下は、華厳的観念の中でのはなしだが、その一葉ずつの中に百億ずつの国があるとされる。百億の一国ずつに一釈迦がある。つまりは無数の釈迦が、三千大千世界にあらわれて衆生(しゅうじょう)を済度しているという華厳世界をあらわす。東大寺は、一面、総国分寺ともいわれた。諸国の国分寺は、東大寺の大仏の蓮華の花びらに一葉ずつとして存在する。しかもその一葉の花びら(一つの国分寺)に、無数の釈迦がいて説法をしつづけている、ということである。……「華厳経」は日本人の思考法の中に雨水が地面に吸われるように影響した。ほとんどすみずみにまで行きわたり、いまも日本的哲学においてこの事情はかわらないのである。その原典は中央アジアのオアシスでうまれ、流沙の道をへて東へゆき、はるかに日本にきた。私どもが東大寺境内に入るとき、たとえば京都の龍安寺の石庭を見る日本的感情よりもはるかに雄大な世界を感ずるのはそのせいかもしれず、またひとに世界を感じさせなければ、それは華厳でもなく、また東大寺でもない。(「華厳をめぐる話 井上博道写真集『東大寺』)(357p―359p)

★文化というものは、魚が魚巣に住むように、サナギがマユにくるまれているようにそれにくるまれていると快いというものであります。ときに、慣習と同義語でもあります。慣習は人の心をおちつかせます。さらに、すぐれた芸術は人の心を快くさせます。すべて”くるまれて楽しい”とうことが、文化なのです。むろん、人によって、家族によって、民族によって、文化は異なります。他者の快さ、つまり異文化を尊重し、たがいに共存しあって暮らしているというのは、ネパール国民の偉大さでもあります。(「すばらしい時間を」)(396p)

2025年1月2日木曜日

2025年のスタート

司馬遼太郎記念館から送られた菜の花の種
芽を出して大きくなった 菜の花忌に花が咲く!?

ポットの鉢植えを土に戻したナデシコ
 大晦日の夜、姉から電話がある。電話は姪の娘に変わり、正月明けの3日に我が家を見に来るという。その際、姪の娘は弟も一緒に来るともいう。姪の娘とは家の工事が始まる前に、我が家に置いていた自転車を取りに来たとき以来だ。その際、すこしだけお小遣いを裸で渡した。それをおぼえていたのか、お年玉は裸でなくポチ袋に入れて……、という。そして電話を姉に代わるとお年玉は硬貨ではなく、と言っている声が聞こえる。前回、渡したお小遣いは紙幣。それなのに姪の子は先手を打ってそう話す。

 姪の娘から見れば大叔母になる。近くに住んでいないのであまり会う機会はない。特に姪の娘の弟とはもう何年も会っていない。電話を切った後、このごろのお年玉の相場をネットで調べる。思っていたよりも結構な金額だ。姪の2番目の娘は昨年春から大学生でその弟は高校生だ。ネットで調べた後は手もとにある折り紙で、今度はポチ袋の作り方を調べる。

 年が明けて1月1日は何が何でも近くの神社に行かねばならない。それは家のリフォームで取り壊した神棚をお焚き上げしてもらうためだ。父がずいぶん前にどこかの神社で買って帰った神棚を今回、処分した。家の行事や、また神社仏閣に対して信じ深かった父だった。神棚を処分することにためらいはあった。が、工事の人たちとも話し合って処分となった。その結果、お正月のお焚き上げを教えてもらう。そしてお墓参りを済ませると神棚を神社に持って行った。

 新たな年はお天気も良く、穏やかなスタートとなった。

 ともあれ新たな1年も元気で楽しく過ごしましょう!