2023年2月7日火曜日

「噛む」から

 先日、送られてきた『抜粋のつゞり その八十二』を読んだ。このなかに興味を惹かれる記事がある。それは「……”噛む”という字の如く、米を口の中で留めて噛むときに動くことから、眼の横の側頭部のことを”コメカミ”と呼び、主食の米をよく噛んで食べることを昔から教えていました。コメカミを動かしながら一口六十回噛むと、脳細胞が刺激されて唾液が溢れ、健康に導いてくれます。そして、頭の働きも緻密になり記憶力や判断力が強くなります。コメカミには毛細血管が集中しているため、病人は噛むことで早く病気を治すことができます。……」である。(「私たちの歯が食べるものを教えている」若杉典加、102p)

 これを読んで「歯」について電子辞書で調べると「は」「よわい。年齢。とし」とあり、「歯(し)を没す」との論語の言葉が添えてある。「歯を没す」とは「命が尽きる。死ぬ」の意とか。それくらい歯は大事であり、人は食べられなくなったら終わりといわれる所以も分かる。母の最期の頃はまず水分が取れなくなった。そして食べられなくなり命が尽きた。

 「歯」も「噛」も口の中に米が入っている。米が食べものを代表し、これが食べられなくなると命まで尽きる。なんとうまく漢字を表していることか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月6日月曜日

「不活性化」

 この1か月余りICレコーダを使っていなかった。3日前にこれを使用しようとすると電池の残が最低になっている。すぐにパソコンにつないで充電する。しかし、長く充電したはずなのに電池の残のメモリが同じだ。翌日もパソコンにUSBを接続して充電しても同じままだ。昨日も接続して充電。少しは充電できたようだがそれでも充電した時間の割には残量が少なすぎる。 

 これまでは充電すればすぐに満杯まで充電できた。しかし、今回はそれができない。(なぜ?)(ICレコーダが壊れた?)と思いながらネットで検索する。これにはいろいろな原因があるようだ。その中に思い当たるふしがある。それは「内蔵充電式電池の不活性化」だ。長期間使わないと「不活性化」という現象になるという。この解消には何度か充電と放電を繰り返しながら使用しているとこれが改善するらしい。

 検索後、使っている愛用品がまるで生き物のように思えた。物自体に命が宿っている!?使う物は自分にとっての愛用品。それを使用するには愛情をもって使わないと今回のようなことになる。そういえば最近、自転車に乗っていない。自転車は大丈夫!?それよりも身体の不活性化に気をつけよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月5日日曜日

箔を貼る

 2月の日本画教室は箔を貼って遊ぶ。「この作業は何?」と先生に問うと「箔遊び」とか。土曜日は午前と午後の教室がある。午前の生徒さんたちが貼った箔を見せてもらうと全員がまるで申し合わせたような貼り方だ。各自、30㎝くらいの正方形の木製パネルに鳥の子紙を貼る。その上に特殊な糊を刷毛でまんべんなく塗り、箔を貼ってゆく。箔は金など含めて10種類近く用意されている。とても薄い箔はわずかな息でもかかると吹き飛んでしまう。箔ばさみをもって貼りたい箔を丁寧にとり、それを適当にちぎったりして鳥の子紙を貼ったパネルに貼ってゆく。

 日本画を習い始めたころ、箔を貼ったパネルに絵を描いた。その箔はアルミ箔と銀箔で、それ以降、使っていない。家にあるその2種類の箔を持参するとこれを使用してもOKとのこと。先生の用意された金箔やその他の色の箔を用いて共に貼っていく。教室の箔はアルミや銀箔などの白っぽい色がない。そのこともあって我が作品は人とは違った作品になった。先生は午前の生徒さんにはあれこれとアドバイスされたそうだ。そのためか皆さん同じ作品になっている。午後はそれをやめて各自が自分なりに貼るようにと話された。

 出来上がった5人の作品を見ると似た作品がない。ある人は寅が描かれていないのにあたかも襖絵や屏風絵から虎が出てくるように思える作品だし、またある人の絵からはこれまた描かれてもいないのにきらびやかな金の仏像が浮き上がってきそうだ。人から見た自分の絵は平家物語の世界だと言われた。平家物語の世界が今一歩想像できないが、紅葉の時季、赤や黄色に染まった紅葉を見てまるで源氏物語の世界を彷彿することがある。絵を見てそれぞれ自分なりの想像を膨らませるのは楽しい。

 箔を貼った作品は秋の日本画作品展にそのまま出品のようだ。次週はこれに手を加えてもいいようだが個人的には昨日ででき上りにしよう。次週は元の日本画に戻って新たな絵を描く予定でいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月4日土曜日

またも『燃えよ剣』を読む

 1週間くらい前まで図書館で借りた『燃えよ剣』を期限内に返却しようと必死で読んだ。読んだのはいいのだが、読んだ後で司馬遼太郎読書一覧表で確認すると2年前の3月にブログにアップしている。今回、読みながら土方歳三は読んだ気がすると思いながら読んだ。司馬作品を読んでいるといろんな本に登場人物が重なる場面がある。同じ本を何度読んでも罪にはならないのでこれはこれで由としよう。

 以下は今回読んだ『燃えよ剣』(司馬遼太郎 文藝春秋、二〇二〇年第1刷)から気になる箇所をメモした。前回と重なる部分があるがこれもまた由としよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ 歳三は、にべもなくいった。あるのは男一匹だけさ、と心中でおもっている。なるほど新選組は尊王攘夷の団体だが、尊王攘夷にもいろいろある。長州藩は、どさくさにまぎれて政権を奪ったうえで尊王攘夷をやろうとしている。これとはちがい、親藩の会津藩の尊王攘夷は、幕権を強化した上での尊王攘夷である。歳三は、新選組が会津藩の支配を受けている以上その信頼に応えるというだけが思想だった。しかし男としてそれで十分だろう、とおもっている。(もともとおれは喧嘩師だからね)歳三は、ひとり微笑った。(326p)

★(剣に生きる者は、ついには剣で死ぬ)歳三はふと、そう思った。軒端を出たときには、月は落ちていた。歳三は真暗な七条通を、ひとり歩きはじめた。星が出ている。(390p)

★「おれが、――総司」歳三はさらに語りつづけた。「いま、近藤のようにふらついてみろ。こんにちにいたるまで、新選組の組織を守るためと称して幾多の同志を斬ってきた。芹沢鴨、山南敬助、伊藤甲子太郎……それらをなんのために斬ったかということになる。かれらはまたおれの誅に伏するとき、男子としてりっぱに死んだ。そのおれがここでぐらついては、地下でやつらに合せる顔があるか」「男の一生というものは」と、歳三はさらにいう。「美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている」「私も」と、沖田はあかるくいった。「命のあるかぎり、土方さんに、ついてゆきます」(395p)

★余談だが、慶喜はこの後、場所を転々しつつ逃避専一の生活をつづけ、その逃避恭順ぶりがいかに極端であったかは、かれが、ふたたび天皇にごあいさつとして拝謁したのは、なんと三十年後の明治三十一年五月二日であった。かれは自分の居城であった旧江戸城に「伺候」し、天皇、皇后に拝謁した。明治天皇はかれに銀の花瓶一対と紅白のチリメン、銀盃一個を下賜された。政権を返上して三十年ぶりでもらった返礼というのは、たったこれだけであった。推して、慶喜の悲劇的半生を知るべきであろう。(397p)

★沖田は、じっと天井を見つめていた。(青春はおわった。――)そんなおもいであった。京は、新選組隊士のそれぞれにとって、永遠の青春の墓地になろう。この都にすべての情熱の思い出を、いま埋めようとしている。歳三の歔欷(きょき)はやまない。(400p)

★京に錦旗が翻った時、慶喜はこれ以上戦をつづければ自分の名が後世にどう残るかを考えた。「第二の尊氏」である。その意識が、慶喜に「自軍から脱走」という類のない態度をとらせた。こういう意識で政治的進退や軍事問題を考えざるをえないところに、幕末の奇妙さがある。「歳、いまは戦国時代じゃねえ。元亀天正の世にうまれておれば、おまえやおれのようなやつは一国一城のあるじになれたろう。しかし今はどうも違う、上様が、暮夜ひそかにお城を落ちなすったのもそれだ」それだ、といいながら、近藤の頭にはそれは緻密には入っていない。なんとなくわかるような気がするのである。(461P)

★慶喜の落涙を察するに、譜代の幕臣の出でもないこの二人(注:近藤と土方)が最後まで自分のために働いてくれたことに、人間としての愛憐の思いがわき、思いに耐えかねたのであろう。同時に、かれらを恭順外交の必要上、甲州へ追いやったことも思いあわされたのかもしれない。揮毫をことわったのは、慶喜の維新後の生活信条による。このひとは、生涯、世間との交渉を絶って暮らした。なお篆額の記号はやむなく京都守護職会津藩主松平容保がひきうけ、碑は明治二十一年七月完成、不動堂境内老松の下に南面して立っている。(518p)

★「歳、自由にさせてくれ。お前は新選組の組織を作った。その組織の長であるおれをも作った。京にいた近藤勇は、いま思えばあれはおれじゃなさそうな気がする。もう解きはなって、自由にさせてくれ」「……」歳三は、近藤の顔をみた。茫然とした。……近藤は、ふたたび門を出た。歳三は追わなかった。(534p)

★歳三は死んだ。それから六日後に五稜郭は降伏、開城した。総裁、副総裁、陸海軍奉行など八人の閣僚の中で戦死したのは、歳三ただひとりであった。八人の閣僚もうち、四人まではのち赦免されて新政府に仕えている。榎本武揚、荒井郁之助、大鳥圭介、永井尚志(玄蕃頭)。……お雪。横浜で死んだ。それ以外はわからない。明治十五年の青葉のころ、函館の称名寺に歳三の供養料をおさめて立ち去った小柄な婦人がある。寺僧が故人との関係をたずねると、婦人は滲みとおるような微笑をうかべた。が、なにもいわなかった。お雪であろう。(662-663p)

2023年2月3日金曜日

旅好きの友だちと

 昨年の9月、一人旅を思いつく。そのきっかけの一つにワクチン未接種がある。ツアーに参加するにはワクチン3回の接種が必要だ。そこで思いついたのが一人旅。宿を探して新幹線の切符を入手するといざ目的地へ。まず出かけたのが下関の長府である。次に出かけたのが京都の旅。いずれも10月から再開の全国旅行支援の前に宿を予約した。宿泊日が近づくと先方からワクチン云々の電話がかかる。接種済みでなければ3日前のPCR検査が必要と知らされた。PCRを受けなければ泊まらせてもらえないのか、と問うと宿泊可能とのこと。しかし旅行支援は受けられないという。電話を切った後、親切に知らせてくれたのだからPCRを受けようと思った。

 下関の宿は旅行支援の前でも市の政策でPCRを受けなくても支援があった。京都はPCRを受けて出かけた。こちらもその結果を見せると旅行支援があった。この1度目のPCR検査は唾液が出なくて大変だったが2度目からは慣れもあって受けること自体、気にならなくなった。こうなれば本来の旅好きが再燃してくる。外国はまだしも国内であればワクチン云々の問題なく行きたいところへ行こうとなってくる。

 またPCR検査さえ受ければ一人旅でなくてもツアーに参加できると思えるようになった。そこで先月新聞の折り込みチラシに入っていたツアーを2件申し込む。うち1件は泊が伴う。行先は鳥取。春になれば吉野山に出かけようと思った。その矢先に鳥取へ行く。鳥取の米子にはパキスタンの旅で知り合った友だちがいる。この人は文楽や能が大好きな人だ。奈良も好きと話していた。吉野に行く旨、その友だちに電話すると関西で合流しようとなった。

 先日、鳥取へ行く旨、再度電話で話すと宿まで来てくれるという。宿に到着したその後は夕飯までフリータイム。その間に春の予定を話し合うことになった。米子の友だちとは海外の旅で出会って以来、すでに30余年が過ぎた。この間、海外旅行で知り合いになった人は多くいる。しかし、すでに亡くなられた人も多い。

 先の友だちは海外旅行を60回したと聞いている。今は国内の旅にシフトなのか先日の電話では近いうち4日間かけて大阪へ能を見に行くと話していた。また春よりも前に奈良へも行くと聞いている。旅好きの人と話をすると元気が湧いてくる。やっぱり旅は最高、と思えてくる。こうして自分自身の気持ちがさらに旅へと誘われていく。そしてPCR検査を受けてよかった、旅に出かけられるようにもなった、と喜んでいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月2日木曜日

『定年後にもう一度大学生になる』

  図書館で書架にある司馬遼太郎の本を探していた。低い位置にある本なのですわって探した。その時、隣で本を探していた人の足があたった。その人は必死で本を探していたに違いない。「すみません!足があたって……」と言って謝られた。この声を聴いて顔をあげてその人を見ると知ってる人だ。「〇〇〇さん」というと向こうも覚えておられた。図書館は静まっている。その中で2人の声が響き渡りそうで話すのも気が引ける。

 迷惑がかかると思って先に図書館を出た。出るとき入り口辺りを見るとカートが置いてある。さっきの人のに違いない。そう思いながら隣接する生協へ買い物に行く。買い物から帰ろうとすると先の人に出入り口で出会った。出会うときは出会うものだと思いながら立ち話をする。さっきは図書館内で話せなかった旨、話す。

 その人とはもう30年余り前の広島アジア大会の時に一緒にブータンの言語であるゾンカ語を習った。それから何度か道でバッタリ出会ったりしたこともあるが近年は会うことがなかった。それが図書館で偶然会った。「あの頃は楽しかったね」、と話される。今年90歳になるとか。新聞やラジオ、テレビで新たな本を知るとリクエストされるという。歳を取ってもシルバーカーでなくカートを利用し、さらには図書館などの本を読む。そして買い物はもちろん家の食事もご自分で作られている。家では娘さんと同居されており、お元気そうだ。

 それにしても顔を見るよりも先に声でその人が判るとはどういうこと!?眼よりも耳が効くとは我ながら驚きだ。別れ際、「大学で学んだよね」とほめてくださる。この時たまたま『定年後にもう一度大学生になる』サブタイトルとして「一日中学んで暮らしたい人のための『第二の人生』最高の楽しみ方」(瀧本哲哉 ダイヤモンド社、2022年第1刷)を借りたばかりだったのでそのタイミングの良さにも驚く。

 当時はまだブログをやってなかった時期であり、借りた本から共感する部分をメモした。本を書いた瀧本氏は若い頃大学で学ばれたが、二度目の入試は一般入試で入学されている。4年の大学を卒業した人は大学院に入る人が多いがもう一度学部生で入学されていた。この辺のことも興味をもって読んだ。自分自身は一般入試でなく帰国子女たちと一緒に受けたAO入試だった。午前の筆記試験の後はお昼休憩があり、午後からは面接試験があった。これは面接官がずらっと並んだ中の個別の面接試験であり、かなり厳しい質問が飛び交った。またきつい嫌味も言われた。(これほどの屈辱を味わってまで大学生にならなくてはいけないのか)、と何度自問自答したことか。そのすべては面接官がどのくらい勉強に打ち込む気力あるのかを試していたに違いない。が、合格したときの嬉しさは今でも忘れられない。

 今朝、姪から届いたメールを見ると「勉強が面白いって言うのは、知らないことを知ることなんかね。新しいことがいいんかね」と書いている。どうも文化史の講座が面白いようだ。姪は働きながら大学で学んでいる。

 以下はその本から共感する箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★卒業証書を手にする、いい会社に就職する、資格試験に合格する、といった何らかの目的のために勉強するのではありません。この齢になって学歴をもらっても、ほとんど意味はないのです。将来を考えずに、ただただ今知りたいことを勉強することの楽しさは、一度味わったら止まらなくなります。「学び」そのものが大学に通う目的になると、勉強はこのうえなく楽しいものになります。(5-6p はじめに)

★4年間を過ごしてみて確信したことがあります。それは、「二度目の大学生」という生き方は、知的好奇心を存分に満たしてくれるものであり、若者との交わりを通じて、「第二の人生」を心豊かにしてくれるものであるということです。(19p)

★私が京都大学に入学した2015年の春に、萩本欽一さんが駒澤大学仏教学部の社会人入試を突破して入学されたことを知りました(『日本経済新聞』2015年2月27日朝刊)。……私は自分の合格発表後にこのニュースに接して、何だか同級生みたいでうれしくなりました。(42-43p)

★……私が京都大学に入学したことについて批判的な意見も少なくありませんでした。ひとつは、その歳になって大学に入って税金を使って勉強しても、社会に還元する時間は残されていないのだから、税金の無駄遣いだというものです。もうひとつは、私が京都大学に入学したことによって、1人の将来ある若者が不合格になり、その若者の進路の妨げになったという意見です。(49p)

★これまでの社会貢献のご褒美として、中高年が20歳前後の若者と一緒に大学に通って、「学ぶ」喜びを味わってもいいのではないかと考えています。(50p)

★大学は学問をする場です。そして学問をするのに年齢は関係ないはずです。誰にでも門戸は開かれています。真剣に学問をしようと決意して入学するかぎりは、「若者に席を譲れ」という批判に遠慮することはないと思います。(51p)

★大学での学びは、中高年のその後の人生観を変える力を秘めています。(65p)

★大学の中で老け込んでいる暇はありません。どのような仕事をしてこられた方であっても、定年後に大学生になって若者と交わっていると、いきいきとした毎日を過ごすことができます。(86-89p)

★私はよく考えもせずに学部に入学しましたが、大学院生となった今となっては、学部で専門科目、教養科目、さらには他学部の専門科目まで幅広く勉強したことが、大学院生になってからの研究にとても役立っていると実感しています。(88p)

★京都大学の入学料は28万2000円、年間授業料は53万5800円です。国立大学は大学や学部によって若干の違いはあるようですが、ほとんどの大学が文系学部、理系学部共に、京都大学と同じです。……入学金や授業料などの学費、書籍代などは不可欠ですが、それ以外の支出をとにかく抑えることで乗り切れるのではないかと思います。私は生活費を徹底的に切り詰めれば何とかなると思って、無収入の学生生活に踏み切りました。(91p)

★会社勤務と根本的に異なるのは、ストレスがないことです。授業に出て講義を受ける、先生や生徒と議論する、レポート課題を作成する、定期試験を受けるなどは、心地よい疲れです。毎日若者たちに囲まれて生活するので、気持ちの上でも張りがあります。(107p)

★第一志望の大学に不合格になって、残念ながら意に沿わない大学に進学された方であれば、強い挫折感を味わったことでしょう。私自身がそうでした。しかし、人生二度目の受験はまったく違います。……普段の生活の中で時間的、気分的に余裕のあるときを見つけて細切れに勉強すればいいのです。……マイペースで好きな科目の勉強をしていると、若い頃に戻って学び直すことになって、勉強そのものが楽しくなります。(110-111p)

★定年を迎えた世代が大学の中でいきいきと活動するようになれば、社会全体の活力が増してくることも期待できます。「二度目の大学生」という生き方は、定年を迎えた方だけでなく、長く自営業をしてきた方、家事や介護などで家庭を守ってきた方などにとっても、第二の人生を豊かにしてくれるように思います。(181p おわりに)

2023年2月1日水曜日

「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」

  「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」。これは『ビジネスエリートの新論語』(司馬遼太郎 文藝春秋、2016年第1刷)に出てくる言葉だ。この言葉にひどく共感する。親が亡くなった時、人から「うつ病になる」と言われたことがある。「うつ病?」と自問自答した。ところが人の期待(?)に反してうつ病になるどころか元気に暮らしている。人が鬱々と考えるのは閑な時、と思っている。暇を持て余すから要らぬ考えが頭を過る。何かに夢中になっている時はそのことに気を取られて嫌なことが頭に浮かばない。その思いがあるので「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」は身に染みてそう感じる。

 生きているうちに司馬遼太郎の全作品読破が夢である。ところが『ビジネスエリートの新論語』は司馬遼太郎が誕生する前に福田定一の本名で書いている。そのため、『司馬遼太郎全仕事』に収められていない。その辺りのことをこの本の終わりに司馬遼太郎記念館館長の上村洋行が書いている。

 自分自身、仕事をリタイアして早くも20年が過ぎた。ということで今さら「ビジネスエリート……」の本を読んで参考にしようとは思っていない。が、目下の夢が司馬遼太郎の全作品を読むことにあるのでこの本を読んだ。

 以下は『ビジネスエリートの新論語』から気になる2箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」――ブレーク(54p)「人生観の年輪」

★昭和三十三年四月には京都の宗教紙「中外日報」に『梟のいる都城』を連載開始した。この小説は『梟の城』(新潮文庫、春陽文庫)と改題し、三十五年一月、直木賞を受賞。以後、小説家を専業とした。本名と筆名。この二つの名前が、こと執筆に関してはこの時点で分岐したことになる。同時に本名の作品については改めて本として出版しない方がいい、と考えていた。没後、私もその考えを守ることにし、『ビジネスエリートの新論語』もそのつもりでいた。それを改めたのは、この作品が司馬遼太郎の誕生直前であったこと、かねがねその文章のなかに小説家の覚悟の片鱗を感じていたこともあった。それに、約六十年という時代の流れがある。……サラリーマン社会が活力を持ちはじめたころの、福田定一(司馬遼太郎)がとらえたさまざまな事象から発するメッセージとともに、小説家の素のようなものを、この本から嗅ぎ取ってもらえないだろうか。(200p)「『司馬遼太郎』誕生のころ」上村洋行