2020年7月16日木曜日

パソコンが届いた!

 メーカーダイレクトで購入した新たなパソコンが宅急便で届いた。今回はプリンタを購入しなかった。パソコンもスリムになり軽い。メーカーに電話注文したパソコン。届けばゆっくり設定をすればいい、との思いとは裏腹に気が焦る。それでも慌てず、慌てず、と自分に言い聞かせて段ボールからパソコンを取り出す。今回のはマウスが無線だ。この設定から始まる。何とかマウスが使えるようになった。次はネット接続。ここで思い込みの激しさが露呈する。

 光回線のケーブルをパソコンにつなごうとすると接続できない。マウス設定の際、取説を読んでいるとコネクトUSB3は使えずUSB2を使用、とある。ケーブルも接続コードの大きさが変わったんだ、と勝手に思い込んで大型電気店に自転車で出かける。最初の係は意味がつかめないようでスマホで調べている。2人目のレジにいた係に話すとケーブルはどれも同じで、USB2はコネクタだから関係ないという。そして親切にも取説を見て展示品にケーブルをはせてくれた。OKだ。ケーブルのさし方も慌てていたので抑えずにさしていてはいらなかった、と気づく始末。

 このまま帰るわけにはいかない。ましてやパソコンをこのお店で買っていない。光ケーブルもお店に出かける前に抜いているとプラスチックの一部が取れた。新たに光ケーブルだけ購入してわが家へ戻る。新たなパソコンとケーブルが接続できた。次はメール設定。パソコンへは購入後にofficeを入れる。それをせずしてNTTコミュに電話する。Outlookのメールが利用できない、と話すと今あるOutlookはアプリのでofficeのではないと教えてくれる。そしてOCNメールがメールの玄関口、と諭される。この人も親切だった。メールはOutlook、と思い込んだのが悪い。

 何事もせっかちすぎる。かなり慌てるな、と言い聞かせていたつもりがどうもそうではなかったようだ。とりあえず新たなパソコンは使えるようになった。

 後はofficeを取り込み、プリンタの設定が待っている。これはゆっくりしよう。ほかにもセキュリティの問題がある。今まではマカフィーだった。まだ2年も利用期限が残っている。だが、ウインドウズ10ではマイクロトレンドになっていた。マカフィーは2台目もOKのようだが、ウインドウズ10は互換性がないらしい。いろいろとあわただしい一日が過ぎた。今日から何とか落ち着いた日々となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月15日水曜日

深呼吸、深呼吸!

 今、新たに購入したパソコンが届いた。3台目のパソコンの不具合から4台目となる今回のパソコン。新たなパソコンを見ると20年前に初めて買ったパソコンと比べてかなりスリムになっている。段ボールに入ったパソコンは大きなお皿1枚程度の大きさだ。何とか3台目のパソコンも使えそうなので4台目となるパソコンの設定は焦らずに、と思っている。だが、ナニゴトもない頭を使うので少々緊張気味。これまでのパソコンもどうにか使えるように設定して来た。新たなパソコンもどうにかなる、と思って……。

 そういえば、最近深呼吸をしていない。気分を落ち着かせるには深呼吸が一番手っ取り早い方法だ。深呼吸、深呼吸!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2020年7月14日火曜日

「これを大事に生きてきた」

 明け方午前4時過ぎと4時半の2回、緊急エリアメールが入る。昨夜から降り続く大雨。緊急を要する警報だ。場所は同じ区内でも山側にある町。2年前の豪雨災害の時と比べると感覚的には雨の降り方も違う。2年前の災害時は家がつぶれるのでは?と思えるほどの雨の降り方だった。今朝は空も明るくなり日中は曇り空となりそうだ。

 図書館で借りた本を読んでいる。もっぱら司馬遼太郎の作品を読むことが多い。その合間に図書館の書架からエッセイを借りて読む。みつはしちかこの本に「年をとって心豊かになるというのは、『これを大事に生きてきた』というものがあること。私はやっぱり『初恋のときめき』でしょうか」(72p)とある。(『ひとりぼっちの幸せ』イーストプレス、2013年)

 これを見て自分の場合は、と考える。だが、とっさにその答えが浮かばない。答えが見つからなくてもいつも思うことは若い頃より、歳をとるにつれて心豊か、というか心に迷いがなくなったのは確かだ。小さい頃から大人になるにつれてくよくよしていた性格が変っていった(とはいってもちょっとばかり残っているかもしれないが……)。これは自分のなかに小さな自信が生まれてきたからかもしれない。

 弱く生まれたが成長するにつれて病気知らずになっていった。これと大いに関係ありそうだ。さらには……!?

 ほかにもみつはしちかこは書いている。「もう一度読んでみる。書き写して見る……。きっと想い出に力をもらって、もう一度みずみずしい気持ちを取り戻せるかもしれません」(80p)。

 この「書き写して見る」に同感する。36歳から読んだ本の気に入った個所を読書ノート風に書き写した。それも時代と共に徐々に変化してコピーになり、今ではブログにアップしている。書き写そうと思ったきっかけは今となってははっきりしない。だが、本から書き写したノートは若い頃の自分を取り戻すようで、みつはしちかこの思いがよくわかる。書き写したノートは自分のなかでは貴重な財産。生きてる限りは手放せない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記:ブログ投稿後、しばらくして気づく。「これを大事に生きてきた」は自分の気持ちに忠実に、ということかもしれない。苦手なモノゴトが多すぎた。子供のころ、やりたいのにやらずにというかやれないことが多すぎた。大人になるにつれて自分がやりたいことはできる、できないに関係なくまずはやってみる、そう考えるようになった。それは体を動かすことにもなる。次第に行動的になっていったようだ。

2020年7月13日月曜日

旅の思い出(南アフリカ、ジンバブエ)

 海外の旅の写真整理はほぼ終わりそうだ。会社リストラの前年に出かけた「南アフリカ大自然紀行8日間」。旅のサブタイトルとして〈世界三大大瀑布ビクトリアの滝・喜望峰・サファリの旅〉となっている。これまで出かけた海外旅行のうちで一番遠かった国と思える南アフリカ。関空✈香港✈ヨハネスブルグ✈ケープタウンと何度も飛行機を乗り継ぐ。関空からヨハネスブルグまではキャセイ・パシフィックに乗り、ここからケープタウンはブリティッシュ・エアウエイに乗る。南アフリカは元英国領。ブリティッシュ・エアが飛行するのもうなづける。
 
 当時はブログもやっておらず詳細な旅の記録も残していない。ただ、旅の日程表を持っていた。8日間の旅の間、飛行機で移動しない日はたったの2日間。よく飛行機に乗っている。出かけたのは2001年8月12日から19日の8日間。もう19年前のことになる。20年近く前となれば写真を見ても今よりも若くて元気な顔だ。ジンバブエから自分あてに出した絵葉書が写真と共にあった。記念としてここに記そう。そういえば帰りのドバイの空港でトランジットの時間があり、空港内のシャワー室でシャワーを浴びたことを思い出す。空港でシャワーを浴びは最初で最後のことだった。

 〈26時間かかって南アフリカにやってきた。遠い。ここジンバブエはアフリカ、アフリカ!夜は民族のショーもある。ホテルの部屋は懐かしい「蚊帳」がつってある。2001.8.15〉 

 サファリを終えてホテルに戻る途中、歩道をキリンが歩いていた。これも初めて見る光景だった。初めて尽くしはダチョウに乗ったこと、大瀑布(ビクトリア・フォールズ)の水しぶきを浴びたこと、クルージングでワニを身近に見たこと、ペンギンの群れに出会ったこと、サバンナでバオバブの大きな木を見たこと、金の地下採掘現場に入ったこと、ザンベジ川でツアーの人がバンジージャンプをしたのを見たこと、などあげるときりがない。ザンベジ川と言えば川に沈む夕日はとても美しい。旅の道中、南アフリカへは新婚旅行で訪れてはいけない、と話題になる。それは花嫁よりも夕日が美しすぎる、からだとか。

 改めて日程表をここに記そう。

 1日目 関空発18:30✈香港着21:30✈香港発23:40✈ヨハネスブルグ着日付が変わって6:50着✈ヨハネスブルグ発10:00✈ケープタウン着12:00
 
 2日目 アフリカ発祥の地ケープタウン着後、ケープタウン市内観光。テーブルマウンテン、「ビクトリア&アルフレッド」ウオーターフロント、オーストリッチ(ダチョウ牧場
などを巡る。ケープタウン泊。

 3日目 終日、風光明媚なケープ半島観光。喜望峰ケープポイント、ボルダーズビーチ、カーステンボッシュなど巡る。夜、シグナル・ヒルより美しいケープタウンの夜景を鑑賞。ケープタウン泊。

 4日目 ケープタウン発✈ヨハネスブルグ乗り継ぎ✈ビクトリアフォールズ着。着後ホテルへ。夕刻、ザンベジ川のサンセット・クルーズを楽しむ。夜はアフリカ民族舞踊ショーを鑑賞。ビクトリア・フォールズ泊。

 5日目 午前、ビクトリア大瀑布観光。世界3大瀑布の一つとして有名な最大幅1700m、落差118mのビクトリアの滝を観光。水しぶきを浴びる。夕刻、サファリドライブに出かける。ビクトリア・フォールズ泊。

 6日目 早朝よりサファリドライブに出かける。ビクトリア・フォールズ発✈ヨハネスブルグ着。到着後、ゴールドリーフシティー観光。ゴールドラッシュ時代を再現したテーマパークを楽しみ、また金の地下採掘現場であるアンダーグラウンドツアーに出かける。その後、ゴールドリーフシティー発✈ヨハネスブルグ着。ヨハネスブルグ泊。

 7日目~8日目 午前、首都のプレトリア市内観光。フォートレッカー記念碑、行政庁舎を巡る。観光後ヨハネスブルグに戻り、空路、香港乗り継ぎで帰国の途につく。関空 14:45着。

 やっぱり旅はいい。写真を見ても20年前は当然若いし、はつらつとしている。そして何より旅を楽しんでいる。ああ、旅を楽しめなくなると誰が予測しただろう。すべてはコロナ。海外の旅もしばらくというかかなり先まで行かれそうにない。旅だけでなくナニゴトもやれるうちにやらないと時間はあっという間に過ぎていく。今は連日の大雨で本を静かに読むしかなさそうだ。頑張れ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
ザンベジ川の夕日

2020年7月12日日曜日

昨日の日本画教室

 2年前の豪雨、そして今回の九州各地を襲った豪雨と自然の脅威にまだまだ油断できない。それに今年はコロナが加わる。広島のコロナ感染者情報も毎日報告される。その大半は東京移動と関係がある。今週末、4か月ぶりに広響定演が再開される。聞きに行く予定だが、今一歩気持ちがついて行かない。

 昨日は日本画教室の日。出かける前に20年前に初めて購入したパソコンを引き取ってもらう手続きをする。2,3台目のパソコンはメーカー直で購入のため廃棄の費用が掛からない。ところが同じメーカーでもメーカー直でなく大型電気店などで買った機種は3300円経費が掛かる。この費用をコンビニ決済で済ませるとメーカーから着払いの荷札が送付される。そして業者が古いパソコンを引き取ってくれる。昨日、初めてコンビニ決裁を利用した。コンビニは1,2年前に我が家から4軒先に新規開店。コピーや特に必要なものだけを買いに行く程度で殆どコンビニを利用しない。それでもコンビニ決済は郵便局まで行かずに済むので便利だ。

 さて昨日の日本画教室。前回作った下絵をパネルにトレースする。55番と7番の水干絵具を混ぜて膠で溶く。竹の節目の個所だけ色づけせずに色を施す。これだけで竹らしくなる。まだまだ本画完成までには時間がかかる。絵具が残ったので勝手に下部に笹の葉を描いた。これはやり方が違うらしい。次回からは気を付けよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月11日土曜日

先週の日本画教室

 なんとかパソコンは起動するようになった。あと数日すると新たなパソコンが届く。パソコンの寿命は我が家では1,2台目はともに丸7年使い、3台目は丸6年使っている。新たに買う4台目は3台目と併用して使う!?パソコンに依存していた生活にかなりブレーキをかけている。といいながら、108歳のダグニーさんのブログを見るとパソコンの不具合などあってもなんとか続けてアップされている。パソコンがなんじゃ、ブログがどうじゃ、と思いを巡らせつつもダグニーさんのことを思えば大した問題ではない。

 そう思うとやっぱりダグニーさんはすごい人だ。108歳までお元気なこともそうだが、それに加えてブログのアップをされている。弱音を吐いてる場合じゃない。

 今日は午後から日本画教室。先週は以前に描いた柑橘類の絵をざっと水で濡らした筆で膠などを拭い、その上に新たな黄土系の水干絵具で地塗りした。今日はこの黄土系のパネルに筍が竹になる様子を描いて本画に仕上げていく。

 この1週間、頭のなかはパソコン、パソコン。一つのことだけを思わず、広い視野でモノコトを考えないといけない。そう思うとまだまだ人間ができていない。いつまでも小さいことにとらわれすぎだ。もっと外に目を向けて、と思いながらも雨は降るし、コロナ感染者は増えるし、でパッとした気分になれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月10日金曜日

『寂聴 九十七歳の遺言』

 『峠』上・中・下の3巻を読み終えて、次に読むのは『菜の花の沖』全6巻。司馬作品は多すぎて何を読んだか忘れそうになる。ワードに読んだ本の一覧を記しているが、パソコンの不具合があるとそれを見るのもままならない。今のところパソコンも落ち着いてきた。その合間に読んだのが『寂聴 九十七歳の遺言』(瀬戸内寂聴 朝日新聞社、2019年)。図書館で予約した本だが寂聴人気なのかすぐには順番が回ってこない。予約確保後、すぐに読んだ。エッセイと言っても編集者が寂聴さんと会話して聞き取っている。

 エッセイの類は司馬作品と違って読みやすい。以下はいつものごとく気になる箇所を抜粋したもの。97歳の寂聴さんの言葉は素晴らしい。母は96歳になる年に亡くなった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★私たちは幸福な時、あるいは自分は幸福だと思っている時には、皮膚のように自分にくっついている孤独に気がつきません。
 私たちが自分の孤独に気づくのは、自分が不幸だと思ったときでしょう。50p

★「生ぜしもひとりなり、死するも独なり。されば人と共に住するも独なり。そひはつべき人なき故なり」(一遍上人語録)
「人間とは生まれる時もひとりなら、死ぬ時もひとりである。また、人と一緒に暮らしていてもやはりひとりなのだ。死ぬ時まで一緒に死ねる人はいないのだから」56p

★いつ何が起こるかわかりません。だからこそ自分のしたいことをした方がいいのです。103p

★「過去を追うな。未来を願うな。過去は過ぎ去ったものであり、未来はまだ至っていない。今なすべきことを努力してなせ」(中部経典)……曹洞宗の宗祖の道元禅師はそれを「切に生きる」のひと言で表しました。この一瞬一瞬を一生懸命に生ききる。私の大好きな言葉のひとつです。109p

★繰り返しになりますが、自分の好きなことが才能ですから、誰にでも必ずあるんです。119p

★自由とは、心にわだかまりのないこと。他からの束縛を受けず、自分を中心にして何物にも振り回わされないというのが自由です。124p

★インドサイの鼻先に一本だけそそり立つ角は孤独のたとえです。「孤独を怖れず、ただ独り歩め」とお釈迦さまは説いています。これは俗性を離れ、悟りを求めて修行する出家者に向けたことばですが、私たちでも同じでしょう。135p

★そのうちだれかが死んでいくでしょうが、死んだ時にお葬式に行ったりお線香をあげに行ったり、そんなことをする必要はないのね。だって死んだ時に行っても仕方がなじゃないですか。お友だちは死んでいるのだから。そんなものはお坊さんに任せておけばいいのです。152p

★年をとるほどに悩みが少なくなって、楽しいことももたくさんあります。それを私は、私の肉親なり私が愛した人たちの魂が、みんなで私を守ってくれているおかげだと信じているのです。179p

★死者を覚えていること、忘れないことが何よりの供養です。でも人間はすぐ忘れる。私たちが忘れないためにお墓はあります。今あるお墓は、そのままそっとしておきましょう。183p

★私たちはいつかどうせ死ぬために生きてきたのです。死を思いわずらうことはやめて、その与えられた生涯の一刻一刻を大切にして、実りある生き方をするようにしましょう。189p

★死んだ後のことは何も心配していません。どうでもいいと思っています。岩手の天台寺に小さな墓をもう買ってあるので、ここに骨を入れてくれたら十分です。……私は今のところ、「愛した、書いた、祈った」と彫ってもらう予定です。192p