初めてパソコンを購入したのは2000年。当時NHKのパソコン講座で使われていたのと同じNEC製の小さいデスクトップ型だった。同じ機種なのでテレビ講座を見てもわかりやすかった。初めてのパソコンは大型電気店で購入し、電話機も同時に買った。タクシーで持ち帰ったことを思い出す。訳も分からず、自分ですべてを設定した。
それから7年後、2台目のWindowsXPのノートパソコンをメーカーダイレクトでプリンタと共に購入。これらが宅配されるとこれも自分で設定できた。それから7年後、同じくメーカーダイレクトで3台目となるWindows8.1をプリンタと共に購入。これは今から6年前の7月4日に購入していた。それから丸6年後の今月5日にパソコンが起動しなくなる。連日、頭を冷やしながらパソコンと格闘しているとなんとか起動するようになった。だが怪しい限り。来週になればメーカー直で注文した4台目となる新たなパソコンが届く予定。これも宅配で送られてくる。届けば新たなパソコンの設定が待っている。
いつの間にか使わなくなったパソコンが増えてきた。購入するメーカーに頼んで古いパソコンを引き取ってもらうことにした。とりあえず今回は2台を処分する。処分する方法は取扱説明書を読んでいて気づく。「取説」を読みながらこれまで如何に読まずにいたかを思い知る。メーカー直での購入品は無料で引き取ってくれる。だが、電気店での購入は同じメーカー製でも3300円経費が掛かる。それでもメーカーに返すのは安心だ。
今回のパソコン不具合でパソコン関係のパソコン、ネット接続のための光電話、プリンタなどの説明書など一つにまとめた。いざ、パソコンを設定するにしても迷わないようにした。
連日の雨の中、パソコンが壊れるなどなぜか落ち着かない生活をしている。何かあるとすぐに慌てふためく。これから先、自分で解決できないことがあるかもしれない。その時はどうする?と自分に問いかける。もっと気を大きく持って生活しないといけない。何かの本に書いてあった。「要するに大したことじゃない」。改めて思い出した。
別にパソコンがなくてもいいじゃない?世の中、元気でいれば何とかなる!と思って……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
追記 「要するに大したことじゃない」を改めて確認すると林語堂の言葉だった。多分、持本哲郎が林語堂の言葉として本で書いていた気がする。
2020年7月9日木曜日
2020年7月8日水曜日
『峠』(中)
パソコンの調子がよくない。恐る恐るパソコンに触るという感じで、起動もままならない。ブログもいつまでアップできるかそれさえ怪しい。あまりにもパソコンに振り回される生活は体に良くない。時に、パソコンから目をそらすが、なぜか気になる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は先日読んだ『峠』(中)(司馬遼太郎 新潮社、平成十九年第十二刷)からの抜粋。
★江戸時代というのは、金銀ふたつながらの本位で、いずれもを尊ぶ。……江戸では「千両役者」という。年俸で金千両をとっているスターのことをそういうのだが、これは銀本位の大坂では通用しない。……また角力(すもう)の世界でもそうである。角力の階級で「十両」という番付がある。年俸を小判で十両とっている者をいうのだが、金小判が本意でない大坂ではこれはいわない。113p
★この幕府のもっとも重要な大名統御の政策を、数年前、幕府自らが捨ててしまったのである。捨てたのは、井伊直弼のあと幕政を担当した改革好きの松平春嶽であった。理由は、「外国の侵略にそなえねばならぬときに、大名を疲弊させるこの法はよくない」というものであり、このため諸大名の家族は江戸を引きあげ、国もとへ帰り、参勤交代も事実上廃止されたのである。119-120p
★攘夷、外国をうちはらうこと。この理念は嘉永六年のペリー来航以来、天下在野の最高の正義であった。幕府当局は列強の威圧で日本の一部の港をひらき、その港を中心に外国貿易をはじめたが、この幕府の態度に対し天下の志士はこぞって反対し、攘夷の気勢をあげた。幕府の屋台骨をゆさぶるような日本史上最大のエネルギーであったといっていい。234p
★「天子は、神である」というのが、日本人の土俗信仰である。日本語でいう「神」というのは「清浄なるもの極致」という意味であり、切支丹の神や、讃岐の金毘羅さんのような仏教神や、天神さんのような、菅原道真の怨霊を祀ったような神とは、成立がちがっている。それらの神は、なんらかの力をもっている。
日本古来の原始神は、ほとんど力をもたない。人に金もうけの運をもたらしてくれないし、人の病気をなおしてくれず、長寿をもたらしてくれるわけでもない。ただ浄げに存在し、ただ人の尊崇をうけるだけである。(そういうものだ)と継之助は理解している。281-282p
★もし戦国の世ならば慶喜とその徳川方は必ずしも負けはしなかったであろう。しかしこの時代は思想の時代であった。つまり尊王である。……であるのに慶喜は朝敵にさせられた。しかも慶喜は尊王思想の総本山ともいうべき水戸家の出身なのである。(逃げよう)と慶喜が思ったのはこのときであろう。慶喜は後世をおそれた。キリスト教ではユダが最大の悪人であるごとく、尊王思想では足利尊氏が最大の悪人であった。慶喜は後世尊氏と並べられることをもっともおそれた。331-332p
★「まあ、おすわり」と、福地は、自分の机のそばに継之助をすわらせた。たれも見たこともない顔つきの男を見とがめる者すらいないのである。
(亡国のおそろしさだ)とおもった。人間関係の秩序などじつにむなしいもので、大政奉還と鳥羽伏見におけるたった一度の敗戦が三百年の城内の秩序を一朝にしてくずしてしまったのである。敵がくずしたのではなく、幕臣みずからがくずしてしまった。383-383p
★自由と権利というものが西洋の先進文明を成り立たせている基礎であり、政治、法律、社会をはじめ、人間の暮らしのうえでの小さなことがらにいたるまでの基礎思想であり、さらには人間を人間たらしめている大本であるkとにm日本人のたれよりも早く気づいたのは福沢諭吉であろう。416-417p
★福沢がひそかに理想としているのは、たとえば項目風にいえば、身分制の撤廃、言論の自由、信仰の自由、職業選択の自由、商工業を営む場合の自由といったものであろう。自由は権利に裏打ちされている。その権利は国家によって保護されている。それを保障し保護するような国家をつくるkとがこの幕府外交方翻訳掛福沢諭吉の理想なのである。(だから討幕も佐幕もない。福沢の眼中、徳川家も薩長もない。そういう国家をつくる政権であればよいのだ)420p
★「私は世迷いごとのほうですよ」と、継之助も福沢にいった。継之助にとってもっとも大事なのはその世迷いごとであった。福沢は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人としてもっとも大事なものとしている。426-427p
★福沢は経済主義こそ人間を幸福にさせる道であると信じ、その経済主義を正義とするたてまえから封建制を否定し、徳川家や諸大名の存在をmう意味であるとし、資本主義こそ文明を開く原動力であるとし、資本主義の前提として自由と権利を強調している。
継之助は、そこまでゆかない。かれは藩という荷物を背負っているがために、福沢のようにひろがりのある思想の広野に出ようとはせず、出たいともおもわなかった。継之助いとって藩という封建の遺物そのものの大荷物は、けっしてにがにがしいもnがしいものではない。
――藩、すべてが藩。
というのが、継之助の思想であった。433p
★「射利」というkとばで、この時代の人々は投機のことをいった。継之助にすれば、西洋の会社のごとく藩そのものが投機事業を営もうとするのdえある。434p
★隊ということばを日本語に加えたのは幕末の長州人である。戦士の組織のことをあらわすふるい日本語である「組」という語をつかわず、未使用の漢語のなかから隊という語をさがしだしてきた。騎兵隊、力士隊、報国隊、なんとか隊というようなものをかというようなものを数多く作った。475p
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は先日読んだ『峠』(中)(司馬遼太郎 新潮社、平成十九年第十二刷)からの抜粋。
★江戸時代というのは、金銀ふたつながらの本位で、いずれもを尊ぶ。……江戸では「千両役者」という。年俸で金千両をとっているスターのことをそういうのだが、これは銀本位の大坂では通用しない。……また角力(すもう)の世界でもそうである。角力の階級で「十両」という番付がある。年俸を小判で十両とっている者をいうのだが、金小判が本意でない大坂ではこれはいわない。113p
★この幕府のもっとも重要な大名統御の政策を、数年前、幕府自らが捨ててしまったのである。捨てたのは、井伊直弼のあと幕政を担当した改革好きの松平春嶽であった。理由は、「外国の侵略にそなえねばならぬときに、大名を疲弊させるこの法はよくない」というものであり、このため諸大名の家族は江戸を引きあげ、国もとへ帰り、参勤交代も事実上廃止されたのである。119-120p
★攘夷、外国をうちはらうこと。この理念は嘉永六年のペリー来航以来、天下在野の最高の正義であった。幕府当局は列強の威圧で日本の一部の港をひらき、その港を中心に外国貿易をはじめたが、この幕府の態度に対し天下の志士はこぞって反対し、攘夷の気勢をあげた。幕府の屋台骨をゆさぶるような日本史上最大のエネルギーであったといっていい。234p
★「天子は、神である」というのが、日本人の土俗信仰である。日本語でいう「神」というのは「清浄なるもの極致」という意味であり、切支丹の神や、讃岐の金毘羅さんのような仏教神や、天神さんのような、菅原道真の怨霊を祀ったような神とは、成立がちがっている。それらの神は、なんらかの力をもっている。
日本古来の原始神は、ほとんど力をもたない。人に金もうけの運をもたらしてくれないし、人の病気をなおしてくれず、長寿をもたらしてくれるわけでもない。ただ浄げに存在し、ただ人の尊崇をうけるだけである。(そういうものだ)と継之助は理解している。281-282p
★もし戦国の世ならば慶喜とその徳川方は必ずしも負けはしなかったであろう。しかしこの時代は思想の時代であった。つまり尊王である。……であるのに慶喜は朝敵にさせられた。しかも慶喜は尊王思想の総本山ともいうべき水戸家の出身なのである。(逃げよう)と慶喜が思ったのはこのときであろう。慶喜は後世をおそれた。キリスト教ではユダが最大の悪人であるごとく、尊王思想では足利尊氏が最大の悪人であった。慶喜は後世尊氏と並べられることをもっともおそれた。331-332p
★「まあ、おすわり」と、福地は、自分の机のそばに継之助をすわらせた。たれも見たこともない顔つきの男を見とがめる者すらいないのである。
(亡国のおそろしさだ)とおもった。人間関係の秩序などじつにむなしいもので、大政奉還と鳥羽伏見におけるたった一度の敗戦が三百年の城内の秩序を一朝にしてくずしてしまったのである。敵がくずしたのではなく、幕臣みずからがくずしてしまった。383-383p
★自由と権利というものが西洋の先進文明を成り立たせている基礎であり、政治、法律、社会をはじめ、人間の暮らしのうえでの小さなことがらにいたるまでの基礎思想であり、さらには人間を人間たらしめている大本であるkとにm日本人のたれよりも早く気づいたのは福沢諭吉であろう。416-417p
★福沢がひそかに理想としているのは、たとえば項目風にいえば、身分制の撤廃、言論の自由、信仰の自由、職業選択の自由、商工業を営む場合の自由といったものであろう。自由は権利に裏打ちされている。その権利は国家によって保護されている。それを保障し保護するような国家をつくるkとがこの幕府外交方翻訳掛福沢諭吉の理想なのである。(だから討幕も佐幕もない。福沢の眼中、徳川家も薩長もない。そういう国家をつくる政権であればよいのだ)420p
★「私は世迷いごとのほうですよ」と、継之助も福沢にいった。継之助にとってもっとも大事なのはその世迷いごとであった。福沢は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人としてもっとも大事なものとしている。426-427p
★福沢は経済主義こそ人間を幸福にさせる道であると信じ、その経済主義を正義とするたてまえから封建制を否定し、徳川家や諸大名の存在をmう意味であるとし、資本主義こそ文明を開く原動力であるとし、資本主義の前提として自由と権利を強調している。
継之助は、そこまでゆかない。かれは藩という荷物を背負っているがために、福沢のようにひろがりのある思想の広野に出ようとはせず、出たいともおもわなかった。継之助いとって藩という封建の遺物そのものの大荷物は、けっしてにがにがしいもnがしいものではない。
――藩、すべてが藩。
というのが、継之助の思想であった。433p
★「射利」というkとばで、この時代の人々は投機のことをいった。継之助にすれば、西洋の会社のごとく藩そのものが投機事業を営もうとするのdえある。434p
★隊ということばを日本語に加えたのは幕末の長州人である。戦士の組織のことをあらわすふるい日本語である「組」という語をつかわず、未使用の漢語のなかから隊という語をさがしだしてきた。騎兵隊、力士隊、報国隊、なんとか隊というようなものをかというようなものを数多く作った。475p
2020年7月7日火曜日
ご無沙汰気味のブログ
3日前にパソコンの電源が入らなくなった。すぐにメーカー直で新たなパソコンを注文する。だが、自宅に届くまでに10日くらいかかるらしい。結構、パソコンに依存した生活だった。ブログも毎日アップしていた。それもこれもパソコンの不具合でダメになる。毎日、何度かパソコンを起動してみるが全くダメだ。いま、ダメもとで起動を試みるとなんとか動いた。もしかしたらパソコンに頼るな、とのシグナル!?
パソコンがどうにか作動してもいつどうなるか怪しい限り。2,3日、ブログをご無沙汰した。これはパソコンの不具合のためで、人間はいたって元気。
とりあえず、パソコンの不具合を報告。だが、明日のパソコンの調子はどうなっているかわからない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
パソコンがどうにか作動してもいつどうなるか怪しい限り。2,3日、ブログをご無沙汰した。これはパソコンの不具合のためで、人間はいたって元気。
とりあえず、パソコンの不具合を報告。だが、明日のパソコンの調子はどうなっているかわからない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2020年7月4日土曜日
髪が伸びた!
朝、目を覚まして飛び込んだのは大雨特別警報のニュース。七夕の時季、2年前に広島県も大雨の被害にさらされた。幸い我が家は何もなかったけれども雨の恐ろしさは十分理解できる。身を守ることを第一に、と避難を促す報道が続く。ひどいことにならなければいいけど……。
コロナで始まった今年の前半が過ぎ、コロナ騒動のままで後半に突入する。コロナ感染者の勢いは収まるどころか日に日に勢いを増している。コロナで変わった日常生活の中に髪の長さがある。2月に髪を切って以降、5か月間、美容院とご無沙汰だ。写真を整理していて気づいたことがある。それは年々、髪の長さが短くなっている。これ以上、髪を短くするのはやめようと思った。2月に美容院へ行ったとき、髪をそろえる程度に切った。歳をとっても髪は伸びて肩まで届くようになった。ただ、髪が長くなるとプールで泳ぐときは結ぶので困らないが、泳いだ後が大変。ドライヤー持参でプールに行くが髪を乾かすのに一苦労する。夏は自然乾燥もありだが冬は乾かさないと風邪をひきそうだ。まあ、今は余計なことは考えず……。雨が上がりますように!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
コロナで始まった今年の前半が過ぎ、コロナ騒動のままで後半に突入する。コロナ感染者の勢いは収まるどころか日に日に勢いを増している。コロナで変わった日常生活の中に髪の長さがある。2月に髪を切って以降、5か月間、美容院とご無沙汰だ。写真を整理していて気づいたことがある。それは年々、髪の長さが短くなっている。これ以上、髪を短くするのはやめようと思った。2月に美容院へ行ったとき、髪をそろえる程度に切った。歳をとっても髪は伸びて肩まで届くようになった。ただ、髪が長くなるとプールで泳ぐときは結ぶので困らないが、泳いだ後が大変。ドライヤー持参でプールに行くが髪を乾かすのに一苦労する。夏は自然乾燥もありだが冬は乾かさないと風邪をひきそうだ。まあ、今は余計なことは考えず……。雨が上がりますように!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2020年7月3日金曜日
世の中、変!
同じ区内に住む人が10万円給付金がらみの詐欺で騙された事件は今朝の地元紙によると犯人逮捕とある。他の区に住む人が同じ手口で騙されようとしたところを警察が張り込んで逮捕となった。しかし、騙される事件はほかにもある。それは葉書を送り付ける詐欺だ。これは騙された金額も大きく報道される。
電話はナンバーディスプレイ対応で被害を防げる。だが、葉書は受け取った瞬間、いやな気持になる。2年前に2度ほど我が家にも届いた。昨年も1度葉書がきた。その葉書が手元にあるだけで嫌な気持ちになる。消費生活センターに電話したり警察に電話して気を紛らわせた。一番は葉書を破棄するに限る!?
詐欺まがいの葉書は母が亡くなった2011年に初めて届いた。法務局で家に関する名義変更を終えたばかりのころだ。不動産の裁判、というような葉書だった。法務局で名義変更をした物件を閲覧できるのかもしれない。その際、自分がとった行動は忘れてしまった。というか、その頃から特殊詐欺の葉書が出回っており、対処方法を知っていたのかもしれない。
どうであれ、母が元気だったころは電話や葉書による詐欺はそれほど世間に広まっていなかったように思う。
その頃から10年足らずでオレオレ詐欺や変な詐欺事件が頻繁に発生し、今や詐欺に加えてコロナ禍まで恐怖となる。報道によると次は豚インフルが発生したとか。空中を見ればわけのわからない物体が飛んでいる。世の中、どうなっているのだろう。自分をしっかり持って変なことに惑わされないようにするしかなさそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
電話はナンバーディスプレイ対応で被害を防げる。だが、葉書は受け取った瞬間、いやな気持になる。2年前に2度ほど我が家にも届いた。昨年も1度葉書がきた。その葉書が手元にあるだけで嫌な気持ちになる。消費生活センターに電話したり警察に電話して気を紛らわせた。一番は葉書を破棄するに限る!?
詐欺まがいの葉書は母が亡くなった2011年に初めて届いた。法務局で家に関する名義変更を終えたばかりのころだ。不動産の裁判、というような葉書だった。法務局で名義変更をした物件を閲覧できるのかもしれない。その際、自分がとった行動は忘れてしまった。というか、その頃から特殊詐欺の葉書が出回っており、対処方法を知っていたのかもしれない。
どうであれ、母が元気だったころは電話や葉書による詐欺はそれほど世間に広まっていなかったように思う。
その頃から10年足らずでオレオレ詐欺や変な詐欺事件が頻繁に発生し、今や詐欺に加えてコロナ禍まで恐怖となる。報道によると次は豚インフルが発生したとか。空中を見ればわけのわからない物体が飛んでいる。世の中、どうなっているのだろう。自分をしっかり持って変なことに惑わされないようにするしかなさそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2020年7月2日木曜日
『アンチ整理術』
雨もあがって梅雨とは思えない清々しい朝を迎える。コロナ禍のなか、元の日常に戻りつつあると思った矢先に広島市内でコロナ感染者が出ている。昨日はまた地元紙に同じ区内に住む人が特殊詐欺にあっている。なぜ被害にあうのだろうか。これは電話機に問題があると思う。電話機をナンバーディスプレイ対応にして登録していない電話番号に出なければ変なことに合わなくて済むはず。ところが人と話をしているとナンバーディスプレイ対応でない電話機の家も多い。留守電にするだけでなく、ナンバーディスプレイ対応の電話機を推奨すれば、と思うけど、どうなんだだろう。
『アンチ整理術』(森博嗣 日本実業出版社、2019年第3刷)を読んだ。以下はいつものごとく気になる箇所の抜粋から。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★人間関係も、まずは自身の思考、自身の価値観を、きちんと整理・整頓したうえで、常に更新し、修正し、再認識していく必要が、これからはあるだろう。人間は長生きするが、時代の変化は速くなっている。個人が何度もリセットしなければ追いつけない時代になった、といえるかもしれない(134p)。
★自分自身を整理・整頓するとは、簡単にいえば、自分が生きるうえで、「一番大事なことは何か?」、あるいは、「目指しているものの本質は何か?」を考えることだろう。それを考え尽くせば、余分なものが自然に排除され、頭はすっきりするし、行動も洗練されるように思う(154p)
★思いつくことが、創作の起点である(214p)。
★ものを整理するとかではなく、結局は、自分の生き方を整理することの方がずっと大事なのではないだろうか。生き方は、なにも死に際でなくて、若いときからでも良いから、整理・整頓をし、綺麗にしておくと、とても生きやすくなるだろう。無駄なことに迷うことなく、自由で楽しく生きられるのではないか、と想像する(232p)。
★人生の整理・整頓ができている人に共通するのは、自己評価が絶対的である点だ。自分の人生の計画も、またその評価も、すべて自分一人で行っている。誰かのためにしている行為を伴った場合でも、あくまでも自分で結果の評価をしている。
頼まれたわけでもない、褒められたいわけでもない、自分がやりたいからやっている。この自発性というか、自己完結的な部分が、人間としてとても魅力的に見える理由だが、これは僕だけの感覚だろうか(233p)。
★人間は本当に自由なのだ。……その一日の自由を毎日積み重ねるだけで、とんでもなく大きな自由と楽しさが、あなた自身のために実現するはずである(244p)。
『アンチ整理術』(森博嗣 日本実業出版社、2019年第3刷)を読んだ。以下はいつものごとく気になる箇所の抜粋から。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★人間関係も、まずは自身の思考、自身の価値観を、きちんと整理・整頓したうえで、常に更新し、修正し、再認識していく必要が、これからはあるだろう。人間は長生きするが、時代の変化は速くなっている。個人が何度もリセットしなければ追いつけない時代になった、といえるかもしれない(134p)。
★自分自身を整理・整頓するとは、簡単にいえば、自分が生きるうえで、「一番大事なことは何か?」、あるいは、「目指しているものの本質は何か?」を考えることだろう。それを考え尽くせば、余分なものが自然に排除され、頭はすっきりするし、行動も洗練されるように思う(154p)
★思いつくことが、創作の起点である(214p)。
★ものを整理するとかではなく、結局は、自分の生き方を整理することの方がずっと大事なのではないだろうか。生き方は、なにも死に際でなくて、若いときからでも良いから、整理・整頓をし、綺麗にしておくと、とても生きやすくなるだろう。無駄なことに迷うことなく、自由で楽しく生きられるのではないか、と想像する(232p)。
★人生の整理・整頓ができている人に共通するのは、自己評価が絶対的である点だ。自分の人生の計画も、またその評価も、すべて自分一人で行っている。誰かのためにしている行為を伴った場合でも、あくまでも自分で結果の評価をしている。
頼まれたわけでもない、褒められたいわけでもない、自分がやりたいからやっている。この自発性というか、自己完結的な部分が、人間としてとても魅力的に見える理由だが、これは僕だけの感覚だろうか(233p)。
★人間は本当に自由なのだ。……その一日の自由を毎日積み重ねるだけで、とんでもなく大きな自由と楽しさが、あなた自身のために実現するはずである(244p)。
2020年7月1日水曜日
18年前のこと(旅の思い出 北海道)
一日中降り続く雨と風、こんな日は外に出ず家でおとなしく過ごす。まだ残っているアルバムを整理する。アルバムといっても現像する際にもらう冊子のような写真帳である。昨日は6月30日。なんと18年前のこの日と前日、北海道の札幌と小樽に出かけている。前年、北海道大学に赴任された先生を訪ねての旅だった。
先生といってもその当時はまだ20代後半と若い。その頃はアジアを学ぶ塾に長年通っていた。塾生になって7年目に北海道に行った人たちと同じゼミ生になった。年齢も職業も全く違うゼミ生。若いゼミ担当の先生に1年間、楽しく学んだ。時に打ち上げと称して皆で食べて飲んで楽しく過ごす。その時の先生はすでに京都大学で博士号を取得して広島大学の助手をされていた。
ゼミ担当後まもなくして先生は北海道大学へ助教授として赴任される。ゼミ生のうち4人は先生を訪ねて北海道大学に出かけた。新婚間もない若い先生夫妻はワゴン車を借りて札幌と小樽を2日間、案内してくださった。北海道大学の研究室へは守衛の許可が下りず、校内を案内してもらった。校内は日本で一番ともいえるほど広さを持っている。ポプラ並木など歩いて観光した。夜はサッポロビールとジンギスカン鍋で先生との再会を祝し、翌日は小樽に出かける。
1泊2日の短い日程でも楽しく過ごした。だが、その日から数日後にリストラの運命にあうと誰が予測しただろう。リストラ、と聞くといい意味には取れないかもしれない。だが、世の中、いいようになっている。と、当時を振り返ってつくづくそう感じる。リストラ後、2週間目のアジア塾に行く途中で目にした大学の募集案内。募集要項の冊子を家に持ち帰った。大学へ行こう、と決心。だが受験するにも何をどうして良いかわからない。その時、頼りになる人がいた。北海道大学に赴任された先生だ。すぐにメールで先生に問い合わせると、長い長い返信メールが届いた。
あの時、北海道大学に先生を訪ねていなければメールでの問い合わせもできなかったかもしれない。過去問を取り寄せること、とメールにあった。
これまでの人生を振り返ってみると何か不都合があると必ず誰かに助けられている。リストラの時もそうだったし、母がいなくなった時もそうだった。若いころに話を戻してもよくないことがあればいつも誰かに助けられている。そのためか、これから先のこともあまり深く考えなくなった。何とかなる!そう思っている。
その年の8月のお盆は黄山の旅を予定していた。会社リストラ以前に申し込んだ黄山の旅は姪と出かけた。この旅は人生前半最後の海外旅行となる。それ以降9年間、旅は御法度となり、人生で一番忙しい9年間を過ごす。リストラ後、この夏で丸18年になる。北海道大学の先生は10年くらい前に大阪の大学に赴任された。数年前には早くも教授になっておられる。今年の年賀状には3人の子供さんたちとの写真に添えて、相変わらず海外でのフィールドワークをしています、とある。若い研究者の姿がそこにあった。
写真の整理をしていると時に昨日のような思い出に浸ることもある。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
先生といってもその当時はまだ20代後半と若い。その頃はアジアを学ぶ塾に長年通っていた。塾生になって7年目に北海道に行った人たちと同じゼミ生になった。年齢も職業も全く違うゼミ生。若いゼミ担当の先生に1年間、楽しく学んだ。時に打ち上げと称して皆で食べて飲んで楽しく過ごす。その時の先生はすでに京都大学で博士号を取得して広島大学の助手をされていた。
ゼミ担当後まもなくして先生は北海道大学へ助教授として赴任される。ゼミ生のうち4人は先生を訪ねて北海道大学に出かけた。新婚間もない若い先生夫妻はワゴン車を借りて札幌と小樽を2日間、案内してくださった。北海道大学の研究室へは守衛の許可が下りず、校内を案内してもらった。校内は日本で一番ともいえるほど広さを持っている。ポプラ並木など歩いて観光した。夜はサッポロビールとジンギスカン鍋で先生との再会を祝し、翌日は小樽に出かける。
1泊2日の短い日程でも楽しく過ごした。だが、その日から数日後にリストラの運命にあうと誰が予測しただろう。リストラ、と聞くといい意味には取れないかもしれない。だが、世の中、いいようになっている。と、当時を振り返ってつくづくそう感じる。リストラ後、2週間目のアジア塾に行く途中で目にした大学の募集案内。募集要項の冊子を家に持ち帰った。大学へ行こう、と決心。だが受験するにも何をどうして良いかわからない。その時、頼りになる人がいた。北海道大学に赴任された先生だ。すぐにメールで先生に問い合わせると、長い長い返信メールが届いた。
あの時、北海道大学に先生を訪ねていなければメールでの問い合わせもできなかったかもしれない。過去問を取り寄せること、とメールにあった。
これまでの人生を振り返ってみると何か不都合があると必ず誰かに助けられている。リストラの時もそうだったし、母がいなくなった時もそうだった。若いころに話を戻してもよくないことがあればいつも誰かに助けられている。そのためか、これから先のこともあまり深く考えなくなった。何とかなる!そう思っている。
その年の8月のお盆は黄山の旅を予定していた。会社リストラ以前に申し込んだ黄山の旅は姪と出かけた。この旅は人生前半最後の海外旅行となる。それ以降9年間、旅は御法度となり、人生で一番忙しい9年間を過ごす。リストラ後、この夏で丸18年になる。北海道大学の先生は10年くらい前に大阪の大学に赴任された。数年前には早くも教授になっておられる。今年の年賀状には3人の子供さんたちとの写真に添えて、相変わらず海外でのフィールドワークをしています、とある。若い研究者の姿がそこにあった。
写真の整理をしていると時に昨日のような思い出に浸ることもある。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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