2025年4月27日日曜日

「おいでませ山口へ!」の旅その2

 2025年4月24日(木)から25日(金)まで「おいでませ山口!」でおなじみの山口へ出かけた。広島駅を10時10分発の新幹線こだま841号に乗車し新山口駅で11時3分下車。車内は毎度ながら上り方面行きと比べて下りはがら空き状態だ。

1日目 2025年4月24日(木)

 新山口駅に降りると駅構内から長いガラス張りの通路が続く。この光景を想像していなかった。なんとしゃれた駅舎と感激する。ここから湯田温泉までは防長バスに乗る。運転手さんに湯田温泉通りに行くかを確認して乗車。530円で着いた。バス乗車後、一番前の席に座り、辺りの景色を眺める。駅もしゃれていたが道もきれいだ。車窓から見る景色は新緑に映えて美しい。途中、緑に囲まれた一帯があった。そこは維新公園で球技場と後で知る。

 新山口駅も湯田温泉も誰一人観光客らしき人がいない。到着後、湯田観光案内所で湯田温泉と山口市内のパンフをもらって観光場所を尋ねると係がマーカーで印をしてくれた。観光前に係にお昼を食べるカフェを聞く。その場所を探すもたどり着けない。やっと人を見つけて聞いてもカフェらしい場所がわからない。だいぶ歩いて出会った人から別のカフェを教えてもらう。一人旅をしていると話すと興味をもたれたようでしばらく立ち話をする。そしてその人は1日おきにパチンコに行くのが楽しみだとか。出会ったのはパチンコに行く途中だった。その人と別れてカフェに入り、パスタのセットと珈琲でお昼にする。その後、地図が記されたパンフを手にして歩きはじめる。

井上公園

 明治の元勲、井上馨の生家跡にある公園で井上馨の銅像や7人の公卿をしのぶ7人の碑などがある。公園内に井上馨の生家が再建されていた。この建物を見ていると中からボランティアの人が出て来た。この人と意気投合して長く話し込む。するとほかの人たちもやってきた。広島からの2人連れだ。どの人も歴史好きでまるでそこがサロンのようになる。ボランティアの人から佐賀の話が出た。来月、佐賀に行くので興味をもって聞いた。それほど佐賀に魅力はなかったが話したおかげで佐賀に行く勇気が湧きだす。大隈重信の生誕地とか。
井上馨の生家を再建
井上公園内の足湯
狐の所と足を浸すところでは湯の温度が違っていた

温泉舎(ゆのや)と湯田温泉飲泉場

 地下500mの源泉からくみ上げる様子が見学でき、また飲泉もできるとパンフに書いてあるがいずれも不可能だった。
温泉舎(ゆのや)

瓦屋跡と狐の足あと
 
 幕末から明治初期にかけて維新の志士たちが利用した旅館・瓦屋。ここには山口竜馬会による龍馬像があった。この対面に狐の足あとという湯田温泉はもちろん、山口の旅の楽しみ方を紹介する湯田温泉回遊拠点施設がある。カフェや足湯も併設、とパンフにあるので中に入ると奥に足湯があった。しかしここは見ただけですぐに外に出る。

 瓦屋跡をまっすぐ行くと今夜の宿がある。しかし、途中に湯の香通りがあり、路地に入ると若い女性たちが足湯に浸かっていた。足湯は何ヵ所かあるそうだ。


湯の香通りの足湯
 
龍泉寺

 ホテルに入る前に龍泉寺に立ち寄る。この辺りはひっそりして立ち寄るには気が引けそうになる。すぐに出て宿に行く。
龍泉寺

 龍泉寺の後、迷いながら宿に着いた。リュックを宿においてしばし休憩後、熊野神社に出かける。観光目的に作られたモニュメントなどよりは神社仏閣が好みなのでいくら石段があっても出かけている。

熊野神社

 午後3時過ぎというのに神社に来ても人影が見えない。石段を上がる時、参拝後の人とすれ違う。神社に参った後も2人くらいすれ違っただけでひっそりしている。
長い石段が続く熊野神社
熊野神社
 熊野神社を参拝後、宿に隣接する中原中也詩碑と山頭火湯田温泉句碑を見てセントケア山口(宿)に入る。湯田温泉には中原中也と山頭火にちなむ句碑や記念館などある。が、あまり関心がなくて中也記念館には入らなかった。

 宿はセントコア山口。夕食は季節の会席料理をいただく。10種類くらいの料理が出てくる。前菜のあとお刺身が出た。その時、塩がつく。刺身に塩は初めてのことでスマホで調べた。お刺身を食べる前に塩を振ると美味しくなるとか。
刺身用の塩

 夕食は生ビールで一人乾杯!今宵は久々にビールを飲んで酔いが回りそうになる。さすがに次々と料理が出ると釜めしのご飯は全部を食べきれない。何もかも感じがよいホテルだった。

 この続きは後日に!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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