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狭い庭に咲くナデシコ |
テレビはほとんど見ないが新聞テレビ欄を見ると「83歳 妻亡きあとに 近藤正臣 郡上ひとりぐらし」が目に入る。以前にもNHKのBSで放送されたがその際は見過ごしていた。BSはNHKプラスの放送がない。(見たかった!)と思っていたら昨日の午後4時に再放送された。
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狭い庭に咲くナデシコ |
「おいでませ山口へ!」の旅その2から続く。
2日目 2025年4月25日(金)
ホテルで朝食後に時間がある。その間、またも宿からバスで山口市内にへの移動を思いつく。湯田温泉通りバス停に行くとバスが止まった。山口県庁に行くかどうかを尋ねると山口駅経由になるという。県庁に着けばいいのでそのバスに乗る。が、相変わらず乗客は少ない。
山口県庁前で下車するも周りに誰もいない。やっと見つけた掃除の人に山口藩庁門を問うと先に見える門がそうだという。県庁一帯は藩庁門、県政資料館など公の施設がある。どこに入るにも勇気を出してまずは県政資料館に入る。長い廊下が続き、部屋数も多い。いずれも歴史を感じさせる。資料などの展示品もあった。
藩庁門
パンフによると「藩庁門は文久3年、攘夷の声の中、萩より山口へ移された。幕府との対決の時を迎え、多くの志士たちはこの門より風雲急を告げる京へと旅立っていた」、とある。藩庁門から奥に入ると県警本部、山口県庁、県議会議事堂、県政資料館などの公の施設が並んでいる。緑豊かなこの一帯で仕事をする人は幸せだ。
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藩庁門 |
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県政資料館 |
瑠璃光寺一帯は香山公園になっている。ツアーでは瑠璃光寺だけの観光が多い。広い公園一帯を歩く。
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香山公園入口に咲く花 |
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枕流亭そばにある立派な木 |
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サルスベリの木、途中から松が生えている |
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瑠璃光寺 |
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瑠璃光寺の五重塔の遠景 |
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覆いが取れて顔を出した瑠璃光寺の五重塔 完成はまだ先のようだ |
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井上馨の生家を再建 |
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井上公園内の足湯 狐の所と足を浸すところでは湯の温度が違っていた |
2025年4月24日(木)と25日(金)の2日間、山口県の湯田温泉と山口市へ一人旅をした。好天に恵まれた2日間だった。これまでの旅もよく歩いたが、さらに今回はよく歩いた。初日は14366歩、2日目は18821歩。出かけた場所はツアーで瑠璃光寺に2度でかけている。が、それ以外は初めての場所だ。
新山口駅で新幹線を降りて山口駅まで行き、そこから湯田温泉までバスで行く予定にしていた。が、出かける前夜、頭をよぎる。それは新山口駅から湯田温泉まで乗り換えなしでのバス便があるのでは、と。あった!が、ここで紛らわしさが出る。それはJR湯田温泉駅とバス通りにある湯田温泉である。どちらも似た名前なので気を付けて調べるとバスの停留所は湯田温泉通り、だった。これに30分くらい乘ると530円で着いた。乗る人も数人くらいでこれからの旅を暗示させる。
広島から新山口駅までは新幹線こだまで1時間弱の乗車だ。のぞみだと30分で着く。下りの新幹線、それもこだまに乗るとほぼ貸し切り状態だ。これが上りの新幹線指定席だと満席になる。特に今年の秋までは万博の開催で上り方面は人が多いだけだ。これでは旅気分が味わえない。今年のこれからの旅は下り方面を考えよう。
湯田温泉と山口市は隣接している。湯田温泉通り停留所で下車後、観光案内所へ行く。ここで係から湯田温泉と山口市内の観光地図を受け取って出かけたい箇所を地図上に蛍光ペンで印をつけてもらった。その通りに歩きはじめる。係は湯田温泉は狭い町なのでゆっくり観光できるとのこと。夕方までに本日のホテル、セントコア山口に着いた。ここで一休み後、ホテル近くの2か所の観光に出かける。
翌日もJRでの移動をバスに変えて湯田温泉通り停留所から山口県庁まで乗車する。バスの運転手さんに聞くと山口県庁に行くが、山口駅経由だとのこと。それで意味が分かった。それはNAVITIMEで調べると乗車時間が6分や16分、他にも30分などかかるバス便がある。なぜ同じところに行くのに乗車時間が異なるのか疑問だった。直に行く便と経由していく便で乗車時間に違いがあると知る。
いずれにしても「おいでませ山口へ!」というように山口県の人は皆、優しい。それは今回の旅でそう感じた。特に泊まったホテルの感じがいい事には驚く。ホテルのアンケートにもその旨を書いた。夕飯はホテルで1時間20分もかけてゆっくりいただく。が、その時、(このホテルの親切は何じゃ)、と感心しながらもまた泊まりたいと思ったほどよかった。もちろん1人で乾杯!宿の部屋も広い部屋に変更してくださった、とフロントで聞いて知る。
この続きはまた後日!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
昨日と今日の2日間、さっぱりしないお天気だ。が、明日からは好天に恵まれそうだ。今朝、郵便受けの朝刊をとろうとすると司馬遼太郎記念館会誌春季号が届いている。菜の花忌の記事が大半だが後でゆっくり読もう。我が家の狭い庭には記念館から送られた菜の花の種が芽を出して今が盛りとばかりに花を咲かせている。地植えの菜の花は大きくなりすぎて抜いてしまった。一方、植木鉢に植えた菜の花は大きくならず、これも鉢から抜いて地にほったらかしにした。その菜の花が今盛りと咲いている。
以下は『戦雲の夢』(司馬遼太郎 講談社、2019年第3刷)から気になる箇所を記した。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★盛親は酒をふくみ、不意にそれを吐きだして、「田鶴」といった。田鶴は、太守の沈思に遠慮して息をひそめていたのだが、盛親の声にはっと目がさめたように眸を見ひらいた。「おれのわるいくせだな。いざとなって、とつおいつ考えるのは」「なんのことか存じませんけれども、田鶴は小さいときから、父から、ものには裏と表がある。表のみ見、裏のみ見るのは愚者の目だが、愚者には愚者の仕合せがある。賢者はその二つを見ることができるが、表裏見えるためにかえってなにもできない。しかし、人傑は、その表裏がみえ、しかもその一方をとって断じて行う者のことだ、とききました。殿様は、おつむりがよすぎるのでございましょう」「人傑ではないと申すのだな」「まだわかりませぬ。まだお若いのでございますもの」(174p-175p)
★「食いかねているのに太るとは、よほどいまの生活が気に入っているのだろう」「髀肉の嘆(ひにくのたん)、とおおせなされ」蜀の劉備が荊州の劉表の陣営に身を寄せて失意の日を送っていたとき、ひさしく馬に乗って戦場に出ないために脚部に脂肪がたまった。そういう故事から出た言葉だが、弥治兵衛がことさらにその言葉を使ったのは、盛親に劉備のごとく捲土重来(けんどちょうらい)の志があるか、という意味を暗に示してみせたつもりなのだ。(261p)
★(おろかなことだ)と盛親はおもった。そのような安住よりも身を焼くような苦悩のほうをおれはえらぶ、とおもった。(が、身を焼く苦悩とはどういうものだろうか。考えてみれば、それさえ自分にはないではないか)それは妙な実感だった。盛親は、崖の松さえつかんでいない自分にはじめて気がづいたのである。自分を救うために足掻(あが)いたことはなかった。かつて一度もなかった。ただ自然の流れに任せて長曾我部家の世子になり、土佐の太守になり、さらにその位置から消えた。一度といえども太守になるために努力をしたことはなく、太守の位置から落ちまいとあがいたこともなかった。林豪はひとはたれでも断崖の松をにぎっているといったが、うまれつきそういうものをにぎったことのない自分に、盛親はいま愕然と気づいたのだ。(なんということだ)長曾我部盛親といえば、かつては諸侯の世子のなかで、出色の者であるといわれた。その武勇と才質において卓越した天秤をもってうまれた。それがただ、なすところもなく三十余年を生きてきたにすぎないではないか。(おどろいた男だ。おれは)自分をふりかえれば、見たこともない動物がそこにいるように思われた。(おれはいったい何者だ。おれの人生はどうつくりあげねばならないのか)が、すでに遅かった。いまになって気づいても、すべてが失われている自分に、なにをするすべがあるのだろう。(331p-332p)
★そのころになると、盛親はようやく自分の心理が理解できるようになっていた。実をいえば、加東田平次の顔をみて不快を思うたびに、盛親の心は、かつて味わわなかったほどの急速な変化をとげつつあったのだ。(林豪坊主の教えはまやかしにすぎぬわ)盛親は、むしろ林豪の人生訓の逆を悟った。断崖の松をつかむ以外に自分の生きる道はない、――と盛親は思う。むかし、会稽山で呉軍にやぶれた越王勾践(えつおうこうせん)が敗戦の屈辱の中に自分を置くことができたのは、ひとすじに宿敵である呉王夫差(ふさ)への復讐を念じつづけていたからだろう。復讐という明確な目的があったればこそ、屈辱の生活に耐えることができた。盛親の場合、関ヶ原の復讐というよりも自分の青春に復讐をすべきであった。長曾我部家をほろぼし、家臣を路頭に迷わせた自分の恥多き青春に対して、残る余生はその復讐に費やすべきであった。復讐とはほかでもなかった。ふたたび戦野に長曾我部家の旗をたてることではないか。(335p-336p)
★自分の運を愛さないものに運は微笑しない。女運ばかりではない。男としての人生の運さえも同じことだ。盛親は、自分の運のわるさについて、そう考えるようになっていた。(おれは、かつて、おれ自身に惚れこんだことがなかった。自分に惚れこみ、自分の才を信じて事を行えば、人の世に不運などはあるまい。運は天から与えられるものではない。おれが不運だったとすれば、自分自身に対してさえおれは煮えきったことがなかったせいだろう)盛親は、いつほどか考えぶかい男になっていた。右衛門太郎のころから思えば、盛親はそのころの快活さはなくなりはしたが、そのぶんだけ、年よりも老熟した知恵がそだちはじめているようだった。(341p-342p)
★盛親は、ようやく自分の人生を発見した。盛親は、天にむかって血の最後の一滴まで賭けようと思った。(いままでのおれは、事の成否を考えすぎていた)と思った。(お里のいうように、自分を賭けるだけでよい。賭ける、というそれだけのなかに、男の人生がある。賭けの結果は、二のつぎにすぎない)盛親の唇がしだいにほころび、やがて低い含み笑いが、精悍なその歯から漏れた。――お里は、ふとおびえた。そこに、鷹がいた。嘴を上げ、しずかに笑いはじめたような気が、お里にはした。(391p)
近いうち、山口に出かける予定で新幹線と宿は決めている。が、出かける観光地は湯田温泉と決めているだけで他の観光地を詳しく決めていない。山口の観光ガイドは図書館で借りるが今一歩の感じだ。最近、観光ガイドで気に入っているのはブルーガイドの「てくてく歩き 奈良」といった「てくてく歩き……」がついている本だ。これは「歩いて見つける日本の旅ガイド」「気ままにゆっくりていねいに」「車より電車と徒歩で」といったサブタイトルがついているように自分のような一人旅にあてはまる。しかし、この山口版がまだ発行されてないのか見当たらない。
そう思いながらも旅の供には何かしらのガイドが必要だ。ひらめいたのがスマホ。湯田温泉界隈の観光コース、山口市内の観光ルートなどのキーワードで検索するといいコースがあった。この2件をスマホ画面に追加する。
3年前、コロナ禍がまだ収まっていなかったころ、思いついたのが一人旅だった。その時、家のパソコンだけでは無理があると思ってガラケーからスマホに機種変更した。買い替え時の旅ではスマホを駆使できず戸惑いながらの旅となった。ところが年月が経つとスマホにも慣れてくる。宿の予約、目的地までの新幹線の予約、NAVITIMEによる行程確認、そして観光地の情報など全てとも言えるほどスマホ頼みになっている。
ずっと前までは個人的に旅をしようとすればJTBなどに出かけてこれからの情報を得ていた。が、今はそれもなく、自分で家に居ながらにして予約など全てできるいい時代になった。これはいまの時代を一人で生きる者にとって、さらに一人旅をするものにとっては大きな恩恵になっている。
山口の旅が終わらないうちから頭をよぎる次の旅。これは佐賀に宿を決めた。そして次は?と思いつつスマホのメモ欄にとりあえずこれから行きたい場所を順番に記す。暑くなる前までが最高の観光シーズンだ。生き急ぐつもりはないが先がそう遠くないと思うのか、できるだけ行きたいところへは早く行こうと思っている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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桔梗が芽を出した |
自宅最寄り駅でICOCAをチャージする。が、1万円札を入れてチャージするもできない。その様子を見ていた駅員が近づいてきて代わりにチャージしてくれる。が、やはりチャージできない。3名いる駅員はお札を確認しに事務室に入る。うち1人はこちらをじっと見ている。もしかして偽札?と思ったのか何やらお札を機械にあてている。しばらく経って1万円札を両替してくれ、千円札10枚でチャージしてくれた。大丈夫だった。
先日来から魔の土曜日、を意識する。まさに昨日は土曜日だ。これが昨日の魔の土曜日!?気を取り直して日本画教室に行くためにJRに乗る。横川駅で下車後、改札を出ようとすると某会の人と出くわす。囲碁を子供たちにボランティアで教えておられ、その帰りらしい。しばし立ち話をする。その人は油絵やギターなどを習っておられる。別れ際、昨年と一昨年に出品された油絵の絵ハガキをそれぞれ下さる。家に帰ってそれを見ると自身がギターを弾いている姿を絵にされている。しかもその絵は賞をいただいていた。
昨日の教室では次に描く絵のパネルに地塗りする。ひっそりとした室生寺を描きたい。先生は描く予定のカラーコピーを見て奥深い森に室生寺の五重塔が佇むのがいいとのこと。しかし寺院の屋根が横に写っている。それをなくすことにした。今日はこれからそのコピーをA3サイズにコピーしにコンビニに行く。
昨日は27度と暑かった。今朝は雨が降り出した。今日の行動は雨が止んでからになりそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
季節は一気に夏になったようだ。暖かいを通り越して暑くなる。今週はよく動いている。が、季節もいいので泳ぎに行く。500m泳いだ。うち100mをクロールで泳ぎ、400mは背泳ぎで泳ぐ。プールは25mコースが3コースあり、決して大きなプールではない。そのうち1コースは水中歩行専用で残り2コースで泳ぐ。その2コースも1コースは浅いプールで泳ぐ人もいれば歩く人もいる。昨日は泳ぐ人は誰もいなくてただ一人、泳ぐ。
泳いだ後、選手などは出口を背にして会釈してプールを後にする。それを見ていると選手のプールに対する愛着を感じる。野球選手も球場に入る際と出る際に会釈して出入りする。利用するプールも昨年から運営者が変更したみたいで係はどの人も親切だ。泳いだ後、「ありがとうございました!」のあいさつ代わりに出口で会釈しようとして出ると先に係から「ありがとうございました!」といわれる。なかなか会釈ひとつをとってもタイミングが難しい。
隣町の循環バスは土日祝日を除く平日に運行される。プールを利用しようと思えばバスの運行時間を見計らって乗らねばならない。行きの時間は12時半発で帰りは14時6分発に乗る。その間に着替えて泳ぐ。お天気がいいので昨日、泳いだ後、バスに乗らずに歩いて帰ろうかと思った。が、無理をしなくても、と思いなおしてバスを待つ。が、帰りのバスは始発でないのでいつ来るかわからない。停留所はあるがこれからは日差しが強くなる。昨日は電柱の陰に隠れて日差しをよけてバスを待った。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
司馬遼太郎の本を読むのが日課の一つになっている。読む本のすべてとも言えるほど図書館で借りている。その本だが借りて読んでも次の予約はこれまでほぼなかった。ところが今読み終えようとしている『俄』(上)は予約者がいて貸し出しの延長ができない。数年、司馬遼太郎にハマって本を借りて読んでいるが予約者が出たのは初めてだ。この本の貸出期限は本日まで。533頁ある本だがあと43頁読み終えていない。貸出期限は2週間なので借りた時点で期限内で読もうとノルマを課して読む。それも43頁なので今日中には何とか読み終えそうだ。
次の予約者がなぜ出たのか?を自分なりに調べると司馬作品の大半はどの本も1冊だけの蔵書ではなく、一つの作品が数冊かそれ以上の蔵書になっている。しかし、『俄』は1冊だけの蔵書で誰かが借りて読んでいると予約して借りて読むしかない。
遊びに行きたいし本も読み終えないといけないと、あわただしく過ごしている。その合間には次の山口の旅の行程も考えねばならない。そして山口の旅の次は?と頭をかすめる。『俄』を読むのを中断して昨日は佐賀行きの宿を物色する。宿が見つかれば次は新幹線の予約になる。いつもなら「おとなび」を利用する。ところが佐賀行きをNAVITIMEで調べるとおとなびの利用も通常の運賃も大差がない。それならば新幹線の変更が可能な通常運賃での予約となった。
駅ネットで通常の新幹線などの予約をしたことがなかった。が、行きと帰りの列車を駅ネットで予約した。次は佐賀行きの行程を考えねばならない。しかし、頭にひらめく佐賀の地理が思いつかない。すぐに図書館で「佐賀」の観光ガイド本を借りた。佐賀の行程は改めてゆっくりと考えよう。
先日、地元駅のみどりの券売機で山口行きの発券をしようとしたら先客がマイク越しで予約している。あらかじめネットで予約して発券だけならば時間はかからない。が、券売機の前で予約する人がいるとかなりの時間がかかる。窓口で乗車券などを購入できなくなったのでネットで予約せずに券売機に行くと列ができるはずだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
好天に恵まれた昨日、予約していた歯科へ行く。歯科は1時間近くの治療がある。それが終わると急遽、街中へ行こうと思いつく。JRに乗って広島駅につくと新たな広島駅ビルであるミナモアからバス乗り場を目指す。ところが何もわからずミナモアに入ったため、外の出方がわからない。気付けばいつものJRの改札口だ。ミナモアは帰りに立ち寄るとしてバス乗り場に向かう。
先月末でパスピーの利用ができなくなった。そのためJR、バス共に利用できるICOCAでバスに乗る。しかし、ICOCAは広電バスでは割引が利かない。それはいいとしても以前のようにただタッチすればいいだけと違って乗る前に整理券をとって降りる際タッチする。そのタッチも初めてだとわかりづらい。運転手さんは利用者にその都度、タッチする箇所を説明している。
八丁堀で下車後、某金融機関が開催する春の日本画展を見に行く。この金融機関は奇特な会社で展覧会の案内は寄こすは、展示の絵ハガキをセットでくれるは、はたまたソファで休んでいるとお茶まで接待してくれる。ましてや出てくるお茶は高級な湯飲み茶わんに入り、最高に美味しいお茶が入れてある。ここに来るといつもこのことに感激する。
次に向かうは基町クレド11階にあるカルチャーセンター内の画廊で予約していたF6のパネルを取りに行く。ところが4日前に本店に電話で注文したにもかかわらず届いていなかった。たびたび街中に出ないので注文をキャンセル。他の画廊に電話するも前日前の予約でないと無理だという。どこもここもF6のパネルを入手できなくて仕方なく以前に描いた絵をつぶして描くことにした。
気分を入れ替えて紙屋町から広電に乗り、八丁堀で白島線に乗り換えて県立美術館で下車する。ここで先生たちの広島県日本画協会展をみる。絵を見た後は季節もいいので隣接する縮景園に入る。入園料が4月から値上がりしたがシニアは無料だった。園内の桜は見納めだったが色とりどりの花が咲いて美しい。さらに外国人や結婚式を挙げた花嫁の姿もあった。
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縮景園内 |
縮景園で春を感じた後は歩いて福屋駅前店に行き、ここでティータイム。広島駅ビルが新たになったためか福屋もいまだに改装中だ。またここのジュンク堂で「街道をゆく」の11巻と24巻を購入。そして新たになった広島駅ミナモアに行くと人込みに紛れ込む。駅改札口を基点にして歩くがただ人が多いだけだ。駅ビルのガイド本が積まれていたので1冊ゲット。
駅ホームに出ると列車が動いておらず人であふれかえっている。ましてや昨日はカープの試合がある。人の多さも半端ではない。大幅に遅れた列車を駅ホームで待って何とか我が家へ帰る。ネットを見ると置き去り荷物のせいでJRが不通になったとか。爆発物を警戒しての措置のようだ。
昨日は駅ビルミナモアの2階までしか歩いていない。次回は上の階に出かけよう!なお万歩計は12201歩だった。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
昨日、雨はやんだと思った。ところが一瞬晴れたと思ったらすぐに雨が降る。結果、プールに行くのはあきらめた。その代わりではないが予定していた郵便局に出かけて定期を解約する。そしてコンビニでコピー後、町内会費をあつめる。町内の当番は5軒。うち1軒は先日、旦那さんが亡くなられて奥さんは施設に入られるようだ。20年以上前は20軒以上あったが、大半はコンビニができて立ち退きになり、戸数も少なくなった。これからますます少なくなりそうだ。
今月下旬に山口の旅を予定している。その行程表を考えながら図書館で借りた『俄』を読んでいる。読みながら頭をよぎる。それは山口の次の旅である。ふと浮かんだのが佐賀の旅。以前、バスツアーで九年庵に出かけた。佐賀の地理も詳しくなく……と思ったとき「街道をゆく」に佐賀(肥前)はある?と調べるとあった!近いうち街中に出るのでジュンク堂によって『街道をゆく』の「肥前の諸街道」を購入しよう。ついでに「奈良散歩」も買おう。
家の本棚を見ると「街道をゆく」は9冊ある。その大半は街道は街道でも外国だ。このシリーズは43巻ある。「街道をゆく」を読んでその道のどこでもいいから自分の足で歩いてみたいと思った。それが3年前。それから一人旅に行くようになり、それにも慣れて次は何処に?と思ったとき「街道をゆく」が参考になる。そのためにも「街道をゆく」は図書館で借りずに買って手もとに置こう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
長く習ったフルートだが、自分にとってのこの1曲がない。そう気づいてChopinの夜想曲第21番「遺作」(ノクターン ハ短調)をこの1曲にしようと決めた。練習しながらふと頭をかすめる。さらっていた楽譜には先生の書き込みがある。これを頼りに練習する。が、それよりもさらった当時のブログ(2018年2月7日水曜日)に何か書いているはずと、ひらめく。それを読み返すと、この曲を吹く際の注意として自分の思う速度よりも幾分遅く吹くようにとアドバイスがある。これからはそのように練習しよう。
降り続いた雨も上がったようだ。先日来の気温とは違って下がっているが、晴れればプールへ行こう。今週はちょっとした予定が続く。その中でも久々に街中に出て某金庫の春の日本画展、先生たちの日本画展、そして新たな絵を描くF6のパネルを買いに画材屋へ行く予定。街中といえば新たになった広島駅ビルにも行ってみたい。が、これは日を改めて出かけよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
土曜日の日本画教室で薦(こも)神社の大木の絵を完成させる。次は室生寺の塔を描く予定。絵のモチーフとしてあらかじめ写真を拡大コピーしている。これを先生に見てもらうと森の中にひっそりとたたずむ室生寺がいい、とアドバイスされる。それに似た写真を写していたので早速、昨日、セブンイレブンでスマホ写真をプリントアウトする。ところがこれまで簡単ネットプリントのアプリでプリントアウトしていた。が、今回はセブンイレブンマルチコピー機のアプリでプリントアウトとなった。スマホを駆使してもわかりずらいので若い店員にやってもらってプリントアウトできた。これを400倍に拡大カラーコピーしたが拡大しすぎとなった。改めて380倍くらいに拡大コピーしよう。コンビニのコピー機はますます進化している。
先日の日本画教室から絵の教室の自販機が変わって暖かいコーヒーがなくなった。先週、その対策として先生はケトルを、そして個人的には珈琲のスティックと紙コップなどを持参した。先生はケトルだけでなく珈琲が飲める一式も持参されていた。3時間の教室半ばで珈琲タイムとなった。が、絵を完成させようとしてケトルでお湯を沸かし忘れる。急いで沸かして珈琲タイムとなった。暖かいコーヒーはインスタントであっても美味しい。そして奈良行の旅の帰りに新大阪駅で買った「月化粧」の饅頭や、皆さんの持ち寄り品で珈琲タイムとなった。
絵の完成と珈琲タイムのことで頭がいっぱいだったのか、その夜に開催された町内会の当番の集いをすっかり忘れていた。何と気づいたのは昨日のお昼に郵便受けに当日配られた書類が入っている。これを見てなんと間抜けな事、と慌てて町内会長宅にお詫びの電話を入れる。今年度は町内会の当番なのでこれから気をつけよう。
今朝は通帳の書き換えに地元の金融機関に行く。これまでは利息の少ない時代にもかかわらず定期にしていた。が、これからは普通預金にした。この一部を出金しようとしたらこの金融機関では通帳でおろせなかった。預金を下ろす時はいつも通帳でおろしていたのでキャッシュカードでないとおろせない金融機関があると知って驚く。
気持ちに負担になるモノ・コト・ヒトはなくすように心掛けている。今回の金融機関の件もそれがある。明日は郵便局に出かけてこれも普通に切り替えるつもりでいる。
何もかもスリムにしている。が、買い替えたはずの冷蔵庫の調子が悪い。昨日はこれに挑戦。何とか大丈夫のようだ!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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壷阪寺 |
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舞い降りた桜の径 |
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三重塔 |
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大観音石像 |
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大涅槃石像 |
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天竺渡来十一面観音石像 |
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壷阪大仏 |
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橿原神宮 |
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深田池 |
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今年の大きな絵馬が掲げてあった |
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橿乃杜で一休み |
2025年4月9日(水)から10日(木)までの2日間、奈良へ出かけた。1日目は大神神社と安倍文殊院、2日目は壷阪寺と橿原神宮の観光を予定した。ところがいずれの観光も乗り換えが多い。特に新大阪駅から大阪駅までは1駅だが次に乗り換えの鶴橋駅はいつ出かけてもスムーズに乗り換えられない。JRと近鉄が乗り入れているため、ホームを探すだけで時間を要する。広島駅を8時43分発のぞみ8号に乗車して大神神社の三輪駅に着いた時刻は11時54分。鶴橋での乗り換えが4分あるが予定のホームに着いた時点ですでに発車していた。係に次の列車を教えてもらうと20分先がある。
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大神神社鳥居 |
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10頭余り馬がいた |
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大神神社参道 |
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大神神社神奉祭 |
2025年4月9日(水)と10日(木)の2日間、奈良へ行った。旅のスケジュールは移動手段を主にしている。が、時により思わぬアクシデントに遭遇することもある。とはいえ2日間、楽しい旅をした。
「旅は道連れ世は情け」という諺通り、連れはなく一人旅であっても旅に出ると触れ合う人たちはすべて道連れであり、世は情けを実感する。特に今回は行く先々でリュック姿の一人旅が多く、そう感じた。
旅の日程は以下の通りで無事、スケジュール通りの旅となった。2025年4月9日(水)は大神神社と安倍文殊院。10日(木)は壷阪寺と橿原神宮。今回はデジカメを持参せず、スマホで写真を撮った。大神神社は出かけた当日のその時間がまさに大祭の行事真っただ中だった。それを知らずに出かけたが運よく大祭を見られた。が、その影響で神社境内は自由に参拝できない。とはいえ、行事を見ることはできた。ただ、信心深くないので皆が一斉に祭礼に参加する姿を見て得も言われぬ気持ちになる。
祭祀を見ていると時間はあっという間に経つ。途中、おなかが空いてきて三輪素麺と柿の葉寿司のお店に入ると三輪駅から乗るJRに間に合わなくなった。お店の人にタクシーを呼んでもらって安倍文殊院まで乗っていく。タクシーの予約もお祭りの影響で大変だったらしくお店の人の機嫌が悪い。それでも三輪素麺と柿の葉寿司は絶品だった。
ちなみに大神神社から安倍文殊院までのタクシー代は2500円。運転手さんからいろんな話を聞いた。中でも秋の紅葉の談山神社はいいらしい。ここへも行かねば。また大神神社の鳥居は昭和天皇が昭和61年に建立されたとか。それには地元の人の土地の提供や金銭の協力があり1300年は持ちこたえる鳥居だそうだ。運転手さんはこのことを協力したお客から聞いたと自慢げに話される。
宿はホテルルートイン桜井駅前。ネットで宿を予約したが返信メールが届かず心配した。が、大丈夫だった。ルートインはビジネスホテルだ。しかしいろんな場所のルートインを泊まるがどこもきれいでスタッフも感じがいい。夕食はレストランで生ビールで一人乾杯して食べた。その時、離れた席で一人で食事をしていた人から朝食で座った席で夕食のことを話される。こちらは目が悪いのでただ一人の人がいるくらいしか覚えていない。話をすると北海道からの旅人で昨夜のビールの銘柄は?と聞かれる。が、銘柄は知らない旨返答する。感じがいい人でルートインをお気に入りのようだった。この日は安倍文殊院に行く予定、と話される。前日、そこに行って切符売り場の人の感じが悪かった。また桜も散りかけている旨告げると長谷寺に変更しよう?とその人は言う。この時季の長谷寺は秘仏が公開されると教えてあげると興味を示された。
旅先では人に声をかけて聞くことが多い。まさに世は情けを実感している。そのお礼ではないが壷阪寺を観光後、コミュニティバスの壷阪寺前から壺阪山駅まで乗り、その下車後に壷阪駅で行動が同じ人と話すとまたも安倍文殊院へ行く予定だという。その人に吉野山の桜が満開と他の旅人から聞いていたのでそう話すと急遽吉野山に変更するという。スマホで壺阪山駅から吉野山駅まで検索してJRの時刻を教えてあげる。かなり感謝された。が、いつも人に情けを乞うて生きているので少しはお返しでたかもしれない。お元気で!と駅のホームで別れて橿原神宮行きの近鉄に乗る。
そういえば安倍文殊院で桜井駅までのコミュニティバスを待つ間、各地からの旅人と話をする。福岡、東京、大阪などの人たちがいて同じホテルに泊まる人もいた。桜井駅で別れるとき、だれかれとなくお元気で!、と声をかけあう。その時、それが嬉しかったのか、別れおしそうにされる人がいた。
この続きはまた後日!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
昨日は日本画教室の日。教室は3時間ある。1時間半が経過するとティータイムになる。習い始めからこの時間になると皆の珈琲を階下にある自販機で購入する。ところが4台ある自販機が変わってペットボトルに入った珈琲しか売ってない、と先生から聞く。3時間の教室で休憩を兼ねて珈琲を買いに行くのが束の間の息抜きだった。買いに行く係(?)はいつも同じ2人。しかし、昨日からこれができなくなる。
教室へは小さいペットボトルに白湯など入れて持参していた。次からはマグボトルに入れて珈琲を持参する!?先生は瞬間で湧くケトルを持参してくださるという。それでは、とスティックになった珈琲を持参する旨、告げる。幸い教室には流し台などがついている。
相変わらず樹木を描いている。休憩時間に珈琲は飲めなかった。が、教室が終わって皆でいつものカフェに入る。珈琲を飲むとホッとする。そういえば先の自販機にはホットなものはなくすべてコールドのペットボトル品だ。年中、暖かいものしか飲まないのでコールドの自販機はどう考えてもよくない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
昨日のブログで取り上げた仁多米(にたまい)はなぜ仁多米?というのか調べてみた。近年、街中で仁多米を使ったおむすびの専門店ができている。よほどお米に対して自信があるに違いない、と思って調べた。ウイキペディアによると〈「西の横綱」「東の魚沼コシヒカリ」ともよばれている島根県仁多郡奥出雲町で栽培されるコシヒカリのブランド米〉とある。言われてみれば確かにこのお米で炊いたご飯はおいしい。仁多米をネットで調べると生協よりもかなり価格は高い。
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購入した出雲の仁多米 |