2025年4月30日水曜日

「83歳 妻亡きあとに 近藤正臣郡上ひとりぐらし」を見る

狭い庭に咲くナデシコ

 テレビはほとんど見ないが新聞テレビ欄を見ると「83歳 妻亡きあとに 近藤正臣 郡上ひとりぐらし」が目に入る。以前にもNHKのBSで放送されたがその際は見過ごしていた。BSはNHKプラスの放送がない。(見たかった!)と思っていたら昨日の午後4時に再放送された。

 この人が特別にどうこうというほどではない。が、第一線で芸能界を生きてきた人がなぜ東京を離れて郡上へ、とか、83歳の一人暮らしの生活はどんなものなのかを見てみたかった。またドキュメンタリーが好きなので興味もあった。その中で2点、惹かれるものがある。

 ★(奥さんを亡くして食欲がなかった)この頃、何の欲もないが食べられるようになった。もうちょっと生きてみようか……と思った。
 ★(年を取ると)できなくなるんじゃなくて、新しい発見になる。

 特に感動したことは脳梗塞で認知症になった奥さんとの生活で最期まで家で看る、と約束したそうだ。しかし、やむを得ず施設に入れることになった。が、毎日、奥さんを見舞っていた。奥さんとの馴れ初めは小学校の同級生。庭に咲く花々を遺影に添える姿を見ているとなんと優しい人だろう、と感動してしまう。食事も掃除も何もかも一人でしている。これも立派だ。時に奥さんとしていた庭での食事場面もあった。

 都会から郡上での生活では釣り仲間、奥さんの介護のケアマネジャーなどが近藤宅へ訪問して皆で食事をする、地元でない若い人たちのグループが郡上踊りなどを継承することに近藤が関わる。このように近藤はすっかり地元に溶け込んで生活していた。

 昨日は他にも99歳の画家の生活をYOU TUBEで見た。この続きはまた明日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月29日火曜日

香山公園内の「うぐいす張りの石畳」

 大手旅行社と地元旅行社から旅のカタログが届く。先日、山口に出かけて香山公園内を散策中に「うぐいす張りの石畳」を通った。通る前に静けさの中、手をたたく音がする。その方向を見ると外国人が手をたたいている。なぜ外国人が……、と思いながらその場所に行くとそこは「うぐいす張りの石畳」があり、手をたたいて音を試したようだ。まねして両手をパン!と叩くと何やら弱い金属音がした。
 
 昨日届いたパンフを見るとこの鴬張りの石畳が香山公園の観光スポットになっている。そしていずれの旅行社もそれをあつかっている。今、瑠璃光寺の五重塔は工事中。しかし、五重塔に被せた覆いは最近、取り払われて新たな檜皮葺の塔が顔を見せている。しかし、完成はまだ先のようで塔のまわりには重機があり、工事をしていた。

 瑠璃光寺に個人で出かけてはじめて香山公園一帯を歩いて回った。が、これまで出かけたツアーでは五重塔付近だけの観光で香山公園をめぐったのは今回が初めてだ。

 昨日の旅のカタログには国東半島の旅がある。いつか国東半島に行きたいと思っている。ツアーで行こうかとも思った。が、国東半島の観光をガイドブックで調べるとツアーで回るのは少しだけだ。といいながらも個人で行くとなると不便な場所である。しばし考えるのを中断して次に出かける佐賀の行程を調べる。いろいろと考えた挙句、佐賀市内と吉野ケ里歴史公園に行こうと決めた。

 一人旅に慣れてくると行先を決めるとその行程をたてるのが楽しみになる。自分の足で歩けるか、ただそれを基準にして決めていく。各地の観光案内所のHPを見ると徒歩での観光コースの掲載がある。これはとても便利だ。さらにその地で観光地図をゲットすればそれだけで楽しい旅が出きる。

 GWはいつもの生活と変わらず、ただプールで泳ぎ、近くのスーパーで買い物するくらい。その間、頭をめぐる観光地の行程を考える!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
うぐいす張りの石畳

2025年4月28日月曜日

「おいでませ山口へ!」の旅その3

 「おいでませ山口へ!」の旅その2から続く。 

2日目 2025年4月25日(金)

 ホテルで朝食後に時間がある。その間、またも宿からバスで山口市内にへの移動を思いつく。湯田温泉通りバス停に行くとバスが止まった。山口県庁に行くかどうかを尋ねると山口駅経由になるという。県庁に着けばいいのでそのバスに乗る。が、相変わらず乗客は少ない。

 山口県庁前で下車するも周りに誰もいない。やっと見つけた掃除の人に山口藩庁門を問うと先に見える門がそうだという。県庁一帯は藩庁門、県政資料館など公の施設がある。どこに入るにも勇気を出してまずは県政資料館に入る。長い廊下が続き、部屋数も多い。いずれも歴史を感じさせる。資料などの展示品もあった。

藩庁門

 パンフによると「藩庁門は文久3年、攘夷の声の中、萩より山口へ移された。幕府との対決の時を迎え、多くの志士たちはこの門より風雲急を告げる京へと旅立っていた」、とある。藩庁門から奥に入ると県警本部、山口県庁、県議会議事堂、県政資料館などの公の施設が並んでいる。緑豊かなこの一帯で仕事をする人は幸せだ。

藩庁門
県政資料館
 山口の観光といえば瑠璃光寺の五重塔が有名だ。が、ツアーで何度か来ているので今回は行くまいと思った。ところが、出かける数日前、工事中の瑠璃光寺の五重塔はカバーが外されて顔を出した、との報道がある。歩きながら歩道を見ると他の道とは違って色を変えて整備されている。(これは何処へ続く道?)と思いながら歩を進めると瑠璃光寺への道だった。どのくらい歩けば瑠璃光寺に着くのかわからず、気にしながら歩いていると向こうから人がやってきた。その人に聞くと歩いて行けるとのことで上り道だが歩いて行く。やっとたどり着くと真新しい檜皮葺きの五重塔が現れた。瑠璃光寺の五重塔だ。

 瑠璃光寺一帯は香山公園になっている。ツアーでは瑠璃光寺だけの観光が多い。広い公園一帯を歩く。

香山公園 

 園内には明治維新の史跡、薩摩連合の密儀を行った枕流亭、倒幕の策を練った茶室の露山堂、などがあり、歴史に登場する志士たちの多くが訪れていた。さらには毛利敬親の偉業をたたえた勅撰銅像、参道の石畳を歩くと足音が石畳に反響して妙な音を出す鴬張り石畳もある。ここで手をたたいて試したが……。他にも中国残留婦人の碑もあった。
香山公園入口に咲く花

枕流亭そばにある立派な木

サルスベリの木、途中から松が生えている

瑠璃光寺と五重塔(国宝)


瑠璃光寺
瑠璃光寺の五重塔の遠景
 瑠璃光寺を後にしてきた道を下る際、洞春寺の門を見る。中には入らなかったが毛利元就の菩提寺らしい。

 香山公園を後にして一の坂川沿いにある築山跡史跡公園をめぐる。史跡とあるように管理する人がいないのかひっそりしている。八坂神社と築山神社があった。地図を見ると今八幡宮が先にある。ここを目指して歩くがなかなか目的地にたどり着けない。やっと着いたら目の前に石段がそびえる。一歩ずつ歩を進めると神社に火が灯り巫女さんもいる。さらには神社独特のメロディも聞こえる。参拝後、根付のお守りを購入すると巫女さんは三宝に載せて渡してくれた。大きな神社ではないが何か威厳を感じる神社だった。
今八幡宮

 そろそろお昼を食べたくなる。地図を見るとふるさと伝承総合センターがある。カフェがあるかも、と思って中に入ると食べ物屋はない。係にカフェの場所を聞くとパンフをくれた。さらに龍福寺の場所も教えてもらう。カフェの前に龍福寺に参ろうとしたが目の前に、といわれた割にはなかなか見当たらない。やっと龍福寺に着いた。が、中に入ると境内は広くよく行き届いている。あまりにも広く立派なお寺なので一人で参拝する勇気がわかない。すぐにその場を去る。

一の坂川
一の坂川

 
ゲンジボタルが飛び交う一の坂川

 龍福寺を出てもらったパンフを手にして食事場所を探す。一の坂川周辺にお食事処はあるとか。ところが一の坂川がどこにあるのかわからない。しばし、龍福寺をでたところで人を探していると小学生の2人が学校帰りだった。家の近くまで一緒に行くと一の坂川を教えてくれた。一の坂川は蛍で有名だ。先に聞いたふるさと伝承センターの人は5月中旬になると蛍が飛び交うと話した。広島からも蛍を見るツアーがある。長く蛍を見ていない……。

 この坂を20分下ると山口駅に出る。しかし地図を見ても川の上り下りがわからない。立ち止まっていると人が来た。川沿いを下れば山口駅になり、食事場所は川沿いにはないという。時刻は午後3時近い。この辺りでの食事をあきらめて山口駅を目指す。駅の数分前にカフェがある。そこに入って昨日に続いてスパゲティのセットと珈琲でお昼にする。

 山口駅に着いた。今回の山口の旅は行く先々が初めてのことで人に聞いては歩を進めた。そしていつも以上によく歩いた。楽しいうちに山口の旅を終える。これからもいろんなところへ行こう!さて次は何処に!?
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
覆いが取れて顔を出した瑠璃光寺の五重塔
完成はまだ先のようだ

2025年4月27日日曜日

「おいでませ山口へ!」の旅その2

 2025年4月24日(木)から25日(金)まで「おいでませ山口!」でおなじみの山口へ出かけた。広島駅を10時10分発の新幹線こだま841号に乗車し新山口駅で11時3分下車。車内は毎度ながら上り方面行きと比べて下りはがら空き状態だ。

1日目 2025年4月24日(木)

 新山口駅に降りると駅構内から長いガラス張りの通路が続く。この光景を想像していなかった。なんとしゃれた駅舎と感激する。ここから湯田温泉までは防長バスに乗る。運転手さんに湯田温泉通りに行くかを確認して乗車。530円で着いた。バス乗車後、一番前の席に座り、辺りの景色を眺める。駅もしゃれていたが道もきれいだ。車窓から見る景色は新緑に映えて美しい。途中、緑に囲まれた一帯があった。そこは維新公園で球技場と後で知る。

 新山口駅も湯田温泉も誰一人観光客らしき人がいない。到着後、湯田観光案内所で湯田温泉と山口市内のパンフをもらって観光場所を尋ねると係がマーカーで印をしてくれた。観光前に係にお昼を食べるカフェを聞く。その場所を探すもたどり着けない。やっと人を見つけて聞いてもカフェらしい場所がわからない。だいぶ歩いて出会った人から別のカフェを教えてもらう。一人旅をしていると話すと興味をもたれたようでしばらく立ち話をする。そしてその人は1日おきにパチンコに行くのが楽しみだとか。出会ったのはパチンコに行く途中だった。その人と別れてカフェに入り、パスタのセットと珈琲でお昼にする。その後、地図が記されたパンフを手にして歩きはじめる。

井上公園

 明治の元勲、井上馨の生家跡にある公園で井上馨の銅像や7人の公卿をしのぶ7人の碑などがある。公園内に井上馨の生家が再建されていた。この建物を見ていると中からボランティアの人が出て来た。この人と意気投合して長く話し込む。するとほかの人たちもやってきた。広島からの2人連れだ。どの人も歴史好きでまるでそこがサロンのようになる。ボランティアの人から佐賀の話が出た。来月、佐賀に行くので興味をもって聞いた。それほど佐賀に魅力はなかったが話したおかげで佐賀に行く勇気が湧きだす。大隈重信の生誕地とか。
井上馨の生家を再建
井上公園内の足湯
狐の所と足を浸すところでは湯の温度が違っていた

温泉舎(ゆのや)と湯田温泉飲泉場

 地下500mの源泉からくみ上げる様子が見学でき、また飲泉もできるとパンフに書いてあるがいずれも不可能だった。
温泉舎(ゆのや)

瓦屋跡と狐の足あと
 
 幕末から明治初期にかけて維新の志士たちが利用した旅館・瓦屋。ここには山口竜馬会による龍馬像があった。この対面に狐の足あとという湯田温泉はもちろん、山口の旅の楽しみ方を紹介する湯田温泉回遊拠点施設がある。カフェや足湯も併設、とパンフにあるので中に入ると奥に足湯があった。しかしここは見ただけですぐに外に出る。

 瓦屋跡をまっすぐ行くと今夜の宿がある。しかし、途中に湯の香通りがあり、路地に入ると若い女性たちが足湯に浸かっていた。足湯は何ヵ所かあるそうだ。


湯の香通りの足湯
 
龍泉寺

 ホテルに入る前に龍泉寺に立ち寄る。この辺りはひっそりして立ち寄るには気が引けそうになる。すぐに出て宿に行く。
龍泉寺

 龍泉寺の後、迷いながら宿に着いた。リュックを宿においてしばし休憩後、熊野神社に出かける。観光目的に作られたモニュメントなどよりは神社仏閣が好みなのでいくら石段があっても出かけている。

熊野神社

 午後3時過ぎというのに神社に来ても人影が見えない。石段を上がる時、参拝後の人とすれ違う。神社に参った後も2人くらいすれ違っただけでひっそりしている。
長い石段が続く熊野神社
熊野神社
 熊野神社を参拝後、宿に隣接する中原中也詩碑と山頭火湯田温泉句碑を見てセントケア山口(宿)に入る。湯田温泉には中原中也と山頭火にちなむ句碑や記念館などある。が、あまり関心がなくて中也記念館には入らなかった。

 宿はセントコア山口。夕食は季節の会席料理をいただく。10種類くらいの料理が出てくる。前菜のあとお刺身が出た。その時、塩がつく。刺身に塩は初めてのことでスマホで調べた。お刺身を食べる前に塩を振ると美味しくなるとか。
刺身用の塩

 夕食は生ビールで一人乾杯!今宵は久々にビールを飲んで酔いが回りそうになる。さすがに次々と料理が出ると釜めしのご飯は全部を食べきれない。何もかも感じがよいホテルだった。

 この続きは後日に!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月26日土曜日

「おいでませ山口へ!」の旅その1

  2025年4月24日(木)と25日(金)の2日間、山口県の湯田温泉と山口市へ一人旅をした。好天に恵まれた2日間だった。これまでの旅もよく歩いたが、さらに今回はよく歩いた。初日は14366歩、2日目は18821歩。出かけた場所はツアーで瑠璃光寺に2度でかけている。が、それ以外は初めての場所だ。

 新山口駅で新幹線を降りて山口駅まで行き、そこから湯田温泉までバスで行く予定にしていた。が、出かける前夜、頭をよぎる。それは新山口駅から湯田温泉まで乗り換えなしでのバス便があるのでは、と。あった!が、ここで紛らわしさが出る。それはJR湯田温泉駅とバス通りにある湯田温泉である。どちらも似た名前なので気を付けて調べるとバスの停留所は湯田温泉通り、だった。これに30分くらい乘ると530円で着いた。乗る人も数人くらいでこれからの旅を暗示させる。

 広島から新山口駅までは新幹線こだまで1時間弱の乗車だ。のぞみだと30分で着く。下りの新幹線、それもこだまに乗るとほぼ貸し切り状態だ。これが上りの新幹線指定席だと満席になる。特に今年の秋までは万博の開催で上り方面は人が多いだけだ。これでは旅気分が味わえない。今年のこれからの旅は下り方面を考えよう。

 湯田温泉と山口市は隣接している。湯田温泉通り停留所で下車後、観光案内所へ行く。ここで係から湯田温泉と山口市内の観光地図を受け取って出かけたい箇所を地図上に蛍光ペンで印をつけてもらった。その通りに歩きはじめる。係は湯田温泉は狭い町なのでゆっくり観光できるとのこと。夕方までに本日のホテル、セントコア山口に着いた。ここで一休み後、ホテル近くの2か所の観光に出かける。

 翌日もJRでの移動をバスに変えて湯田温泉通り停留所から山口県庁まで乗車する。バスの運転手さんに聞くと山口県庁に行くが、山口駅経由だとのこと。それで意味が分かった。それはNAVITIMEで調べると乗車時間が6分や16分、他にも30分などかかるバス便がある。なぜ同じところに行くのに乗車時間が異なるのか疑問だった。直に行く便と経由していく便で乗車時間に違いがあると知る。

 いずれにしても「おいでませ山口へ!」というように山口県の人は皆、優しい。それは今回の旅でそう感じた。特に泊まったホテルの感じがいい事には驚く。ホテルのアンケートにもその旨を書いた。夕飯はホテルで1時間20分もかけてゆっくりいただく。が、その時、(このホテルの親切は何じゃ)、と感心しながらもまた泊まりたいと思ったほどよかった。もちろん1人で乾杯!宿の部屋も広い部屋に変更してくださった、とフロントで聞いて知る。

 この続きはまた後日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月23日水曜日

『戦雲の夢』&菜の花

 昨日と今日の2日間、さっぱりしないお天気だ。が、明日からは好天に恵まれそうだ。今朝、郵便受けの朝刊をとろうとすると司馬遼太郎記念館会誌春季号が届いている。菜の花忌の記事が大半だが後でゆっくり読もう。我が家の狭い庭には記念館から送られた菜の花の種が芽を出して今が盛りとばかりに花を咲かせている。地植えの菜の花は大きくなりすぎて抜いてしまった。一方、植木鉢に植えた菜の花は大きくならず、これも鉢から抜いて地にほったらかしにした。その菜の花が今盛りと咲いている。

 以下は『戦雲の夢』(司馬遼太郎 講談社、2019年第3刷)から気になる箇所を記した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★盛親は酒をふくみ、不意にそれを吐きだして、「田鶴」といった。田鶴は、太守の沈思に遠慮して息をひそめていたのだが、盛親の声にはっと目がさめたように眸を見ひらいた。「おれのわるいくせだな。いざとなって、とつおいつ考えるのは」「なんのことか存じませんけれども、田鶴は小さいときから、父から、ものには裏と表がある。表のみ見、裏のみ見るのは愚者の目だが、愚者には愚者の仕合せがある。賢者はその二つを見ることができるが、表裏見えるためにかえってなにもできない。しかし、人傑は、その表裏がみえ、しかもその一方をとって断じて行う者のことだ、とききました。殿様は、おつむりがよすぎるのでございましょう」「人傑ではないと申すのだな」「まだわかりませぬ。まだお若いのでございますもの」(174p-175p)

★「食いかねているのに太るとは、よほどいまの生活が気に入っているのだろう」「髀肉の嘆(ひにくのたん)、とおおせなされ」蜀の劉備が荊州の劉表の陣営に身を寄せて失意の日を送っていたとき、ひさしく馬に乗って戦場に出ないために脚部に脂肪がたまった。そういう故事から出た言葉だが、弥治兵衛がことさらにその言葉を使ったのは、盛親に劉備のごとく捲土重来(けんどちょうらい)の志があるか、という意味を暗に示してみせたつもりなのだ。(261p)

★(おろかなことだ)と盛親はおもった。そのような安住よりも身を焼くような苦悩のほうをおれはえらぶ、とおもった。(が、身を焼く苦悩とはどういうものだろうか。考えてみれば、それさえ自分にはないではないか)それは妙な実感だった。盛親は、崖の松さえつかんでいない自分にはじめて気がづいたのである。自分を救うために足掻(あが)いたことはなかった。かつて一度もなかった。ただ自然の流れに任せて長曾我部家の世子になり、土佐の太守になり、さらにその位置から消えた。一度といえども太守になるために努力をしたことはなく、太守の位置から落ちまいとあがいたこともなかった。林豪はひとはたれでも断崖の松をにぎっているといったが、うまれつきそういうものをにぎったことのない自分に、盛親はいま愕然と気づいたのだ。(なんということだ)長曾我部盛親といえば、かつては諸侯の世子のなかで、出色の者であるといわれた。その武勇と才質において卓越した天秤をもってうまれた。それがただ、なすところもなく三十余年を生きてきたにすぎないではないか。(おどろいた男だ。おれは)自分をふりかえれば、見たこともない動物がそこにいるように思われた。(おれはいったい何者だ。おれの人生はどうつくりあげねばならないのか)が、すでに遅かった。いまになって気づいても、すべてが失われている自分に、なにをするすべがあるのだろう。(331p-332p)

★そのころになると、盛親はようやく自分の心理が理解できるようになっていた。実をいえば、加東田平次の顔をみて不快を思うたびに、盛親の心は、かつて味わわなかったほどの急速な変化をとげつつあったのだ。(林豪坊主の教えはまやかしにすぎぬわ)盛親は、むしろ林豪の人生訓の逆を悟った。断崖の松をつかむ以外に自分の生きる道はない、――と盛親は思う。むかし、会稽山で呉軍にやぶれた越王勾践(えつおうこうせん)が敗戦の屈辱の中に自分を置くことができたのは、ひとすじに宿敵である呉王夫差(ふさ)への復讐を念じつづけていたからだろう。復讐という明確な目的があったればこそ、屈辱の生活に耐えることができた。盛親の場合、関ヶ原の復讐というよりも自分の青春に復讐をすべきであった。長曾我部家をほろぼし、家臣を路頭に迷わせた自分の恥多き青春に対して、残る余生はその復讐に費やすべきであった。復讐とはほかでもなかった。ふたたび戦野に長曾我部家の旗をたてることではないか。(335p-336p)

★自分の運を愛さないものに運は微笑しない。女運ばかりではない。男としての人生の運さえも同じことだ。盛親は、自分の運のわるさについて、そう考えるようになっていた。(おれは、かつて、おれ自身に惚れこんだことがなかった。自分に惚れこみ、自分の才を信じて事を行えば、人の世に不運などはあるまい。運は天から与えられるものではない。おれが不運だったとすれば、自分自身に対してさえおれは煮えきったことがなかったせいだろう)盛親は、いつほどか考えぶかい男になっていた。右衛門太郎のころから思えば、盛親はそのころの快活さはなくなりはしたが、そのぶんだけ、年よりも老熟した知恵がそだちはじめているようだった。(341p-342p)

★盛親は、ようやく自分の人生を発見した。盛親は、天にむかって血の最後の一滴まで賭けようと思った。(いままでのおれは、事の成否を考えすぎていた)と思った。(お里のいうように、自分を賭けるだけでよい。賭ける、というそれだけのなかに、男の人生がある。賭けの結果は、二のつぎにすぎない)盛親の唇がしだいにほころび、やがて低い含み笑いが、精悍なその歯から漏れた。――お里は、ふとおびえた。そこに、鷹がいた。嘴を上げ、しずかに笑いはじめたような気が、お里にはした。(391p)

2025年4月22日火曜日

「てくてく歩き……」の旅の本

 近いうち、山口に出かける予定で新幹線と宿は決めている。が、出かける観光地は湯田温泉と決めているだけで他の観光地を詳しく決めていない。山口の観光ガイドは図書館で借りるが今一歩の感じだ。最近、観光ガイドで気に入っているのはブルーガイドの「てくてく歩き 奈良」といった「てくてく歩き……」がついている本だ。これは「歩いて見つける日本の旅ガイド」「気ままにゆっくりていねいに」「車より電車と徒歩で」といったサブタイトルがついているように自分のような一人旅にあてはまる。しかし、この山口版がまだ発行されてないのか見当たらない。

 そう思いながらも旅の供には何かしらのガイドが必要だ。ひらめいたのがスマホ。湯田温泉界隈の観光コース、山口市内の観光ルートなどのキーワードで検索するといいコースがあった。この2件をスマホ画面に追加する。

 3年前、コロナ禍がまだ収まっていなかったころ、思いついたのが一人旅だった。その時、家のパソコンだけでは無理があると思ってガラケーからスマホに機種変更した。買い替え時の旅ではスマホを駆使できず戸惑いながらの旅となった。ところが年月が経つとスマホにも慣れてくる。宿の予約、目的地までの新幹線の予約、NAVITIMEによる行程確認、そして観光地の情報など全てとも言えるほどスマホ頼みになっている。

 ずっと前までは個人的に旅をしようとすればJTBなどに出かけてこれからの情報を得ていた。が、今はそれもなく、自分で家に居ながらにして予約など全てできるいい時代になった。これはいまの時代を一人で生きる者にとって、さらに一人旅をするものにとっては大きな恩恵になっている。

 山口の旅が終わらないうちから頭をよぎる次の旅。これは佐賀に宿を決めた。そして次は?と思いつつスマホのメモ欄にとりあえずこれから行きたい場所を順番に記す。暑くなる前までが最高の観光シーズンだ。生き急ぐつもりはないが先がそう遠くないと思うのか、できるだけ行きたいところへは早く行こうと思っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月21日月曜日

桔梗が芽を出した!

桔梗が芽を出した

 昨年、桔梗の鉢植えを買ってすぐに大きな鉢に植え替えた。鉢植えのためか背丈は低いが何輪か花を咲かせた。花の時季が過ぎてそのままにしていたら最近、その鉢を見ると芽を出している。新芽は3株あり、うち1株は別の鉢に植え替えた。

 以前から桔梗やリンドウといった紫の花に惹かれる。桔梗はこれまで何度か鉢植えなど買ったが今回初めて年を越して芽を出した。多年草の桔梗なので毎年、花が咲くといい。多年草といえばほかにもポットに入ったナデシコを2株購入した。それは購入後、土に植え替えた。が、ナデシコはずっと咲き続けるのかどんどん新たな葉っぱを出して大きくなっている。

 我が家の狭い庭だが、だいぶ前にネットで多年草を植えると毎年花が咲く旨の記事を読んだ。まさにナデシコも桔梗も多年草だ。秋になって桔梗の花が咲くのは楽しみだ!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月20日日曜日

魔の土曜日!?

 自宅最寄り駅でICOCAをチャージする。が、1万円札を入れてチャージするもできない。その様子を見ていた駅員が近づいてきて代わりにチャージしてくれる。が、やはりチャージできない。3名いる駅員はお札を確認しに事務室に入る。うち1人はこちらをじっと見ている。もしかして偽札?と思ったのか何やらお札を機械にあてている。しばらく経って1万円札を両替してくれ、千円札10枚でチャージしてくれた。大丈夫だった。

 先日来から魔の土曜日、を意識する。まさに昨日は土曜日だ。これが昨日の魔の土曜日!?気を取り直して日本画教室に行くためにJRに乗る。横川駅で下車後、改札を出ようとすると某会の人と出くわす。囲碁を子供たちにボランティアで教えておられ、その帰りらしい。しばし立ち話をする。その人は油絵やギターなどを習っておられる。別れ際、昨年と一昨年に出品された油絵の絵ハガキをそれぞれ下さる。家に帰ってそれを見ると自身がギターを弾いている姿を絵にされている。しかもその絵は賞をいただいていた

 昨日の教室では次に描く絵のパネルに地塗りする。ひっそりとした室生寺を描きたい。先生は描く予定のカラーコピーを見て奥深い森に室生寺の五重塔が佇むのがいいとのこと。しかし寺院の屋根が横に写っている。それをなくすことにした。今日はこれからそのコピーをA3サイズにコピーしにコンビニに行く。

 昨日は27度と暑かった。今朝は雨が降り出した。今日の行動は雨が止んでからになりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月19日土曜日

独りプールで泳ぐ

 季節は一気に夏になったようだ。暖かいを通り越して暑くなる。今週はよく動いている。が、季節もいいので泳ぎに行く。500m泳いだ。うち100mをクロールで泳ぎ、400mは背泳ぎで泳ぐ。プールは25mコースが3コースあり、決して大きなプールではない。そのうち1コースは水中歩行専用で残り2コースで泳ぐ。その2コースも1コースは浅いプールで泳ぐ人もいれば歩く人もいる。昨日は泳ぐ人は誰もいなくてただ一人、泳ぐ。

 泳いだ後、選手などは出口を背にして会釈してプールを後にする。それを見ていると選手のプールに対する愛着を感じる。野球選手も球場に入る際と出る際に会釈して出入りする。利用するプールも昨年から運営者が変更したみたいで係はどの人も親切だ。泳いだ後、「ありがとうございました!」のあいさつ代わりに出口で会釈しようとして出ると先に係から「ありがとうございました!」といわれる。なかなか会釈ひとつをとってもタイミングが難しい。

 隣町の循環バスは土日祝日を除く平日に運行される。プールを利用しようと思えばバスの運行時間を見計らって乗らねばならない。行きの時間は12時半発で帰りは14時6分発に乗る。その間に着替えて泳ぐ。お天気がいいので昨日、泳いだ後、バスに乗らずに歩いて帰ろうかと思った。が、無理をしなくても、と思いなおしてバスを待つ。が、帰りのバスは始発でないのでいつ来るかわからない。停留所はあるがこれからは日差しが強くなる。昨日は電柱の陰に隠れて日差しをよけてバスを待った。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月18日金曜日

駅ネットで予約

 司馬遼太郎の本を読むのが日課の一つになっている。読む本のすべてとも言えるほど図書館で借りている。その本だが借りて読んでも次の予約はこれまでほぼなかった。ところが今読み終えようとしている『俄』(上)は予約者がいて貸し出しの延長ができない。数年、司馬遼太郎にハマって本を借りて読んでいるが予約者が出たのは初めてだ。この本の貸出期限は本日まで。533頁ある本だがあと43頁読み終えていない。貸出期限は2週間なので借りた時点で期限内で読もうとノルマを課して読む。それも43頁なので今日中には何とか読み終えそうだ。

 次の予約者がなぜ出たのか?を自分なりに調べると司馬作品の大半はどの本も1冊だけの蔵書ではなく、一つの作品が数冊かそれ以上の蔵書になっている。しかし、『俄』は1冊だけの蔵書で誰かが借りて読んでいると予約して借りて読むしかない。

 遊びに行きたいし本も読み終えないといけないと、あわただしく過ごしている。その合間には次の山口の旅の行程も考えねばならない。そして山口の旅の次は?と頭をかすめる。『俄』を読むのを中断して昨日は佐賀行きの宿を物色する。宿が見つかれば次は新幹線の予約になる。いつもなら「おとなび」を利用する。ところが佐賀行きをNAVITIMEで調べるとおとなびの利用も通常の運賃も大差がない。それならば新幹線の変更が可能な通常運賃での予約となった。

 駅ネットで通常の新幹線などの予約をしたことがなかった。が、行きと帰りの列車を駅ネットで予約した。次は佐賀行きの行程を考えねばならない。しかし、頭にひらめく佐賀の地理が思いつかない。すぐに図書館で「佐賀」の観光ガイド本を借りた。佐賀の行程は改めてゆっくりと考えよう。

 先日、地元駅のみどりの券売機で山口行きの発券をしようとしたら先客がマイク越しで予約している。あらかじめネットで予約して発券だけならば時間はかからない。が、券売機の前で予約する人がいるとかなりの時間がかかる。窓口で乗車券などを購入できなくなったのでネットで予約せずに券売機に行くと列ができるはずだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月17日木曜日

日本画展を見に行く

 好天に恵まれた昨日、予約していた歯科へ行く。歯科は1時間近くの治療がある。それが終わると急遽、街中へ行こうと思いつく。JRに乗って広島駅につくと新たな広島駅ビルであるミナモアからバス乗り場を目指す。ところが何もわからずミナモアに入ったため、外の出方がわからない。気付けばいつものJRの改札口だ。ミナモアは帰りに立ち寄るとしてバス乗り場に向かう。

 先月末でパスピーの利用ができなくなった。そのためJR、バス共に利用できるICOCAでバスに乗る。しかし、ICOCAは広電バスでは割引が利かない。それはいいとしても以前のようにただタッチすればいいだけと違って乗る前に整理券をとって降りる際タッチする。そのタッチも初めてだとわかりづらい。運転手さんは利用者にその都度、タッチする箇所を説明している。

 八丁堀で下車後、某金融機関が開催する春の日本画展を見に行く。この金融機関は奇特な会社で展覧会の案内は寄こすは、展示の絵ハガキをセットでくれるは、はたまたソファで休んでいるとお茶まで接待してくれる。ましてや出てくるお茶は高級な湯飲み茶わんに入り、最高に美味しいお茶が入れてある。ここに来るといつもこのことに感激する。

 次に向かうは基町クレド11階にあるカルチャーセンター内の画廊で予約していたF6のパネルを取りに行く。ところが4日前に本店に電話で注文したにもかかわらず届いていなかった。たびたび街中に出ないので注文をキャンセル。他の画廊に電話するも前日前の予約でないと無理だという。どこもここもF6のパネルを入手できなくて仕方なく以前に描いた絵をつぶして描くことにした。

 気分を入れ替えて紙屋町から広電に乗り、八丁堀で白島線に乗り換えて県立美術館で下車する。ここで先生たちの広島県日本画協会展をみる。絵を見た後は季節もいいので隣接する縮景園に入る。入園料が4月から値上がりしたがシニアは無料だった。園内の桜は見納めだったが色とりどりの花が咲いて美しい。さらに外国人や結婚式を挙げた花嫁の姿もあった。 

縮景園内

 縮景園で春を感じた後は歩いて福屋駅前店に行き、ここでティータイム。広島駅ビルが新たになったためか福屋もいまだに改装中だ。またここのジュンク堂で「街道をゆく」の11巻と24巻を購入。そして新たになった広島駅ミナモアに行くと人込みに紛れ込む。駅改札口を基点にして歩くがただ人が多いだけだ。駅ビルのガイド本が積まれていたので1冊ゲット。

 駅ホームに出ると列車が動いておらず人であふれかえっている。ましてや昨日はカープの試合がある。人の多さも半端ではない。大幅に遅れた列車を駅ホームで待って何とか我が家へ帰る。ネットを見ると置き去り荷物のせいでJRが不通になったとか。爆発物を警戒しての措置のようだ。

 昨日は駅ビルミナモアの2階までしか歩いていない。次回は上の階に出かけよう!なお万歩計は12201歩だった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月16日水曜日

「街道をゆく」から

 昨日、雨はやんだと思った。ところが一瞬晴れたと思ったらすぐに雨が降る。結果、プールに行くのはあきらめた。その代わりではないが予定していた郵便局に出かけて定期を解約する。そしてコンビニでコピー後、町内会費をあつめる。町内の当番は5軒。うち1軒は先日、旦那さんが亡くなられて奥さんは施設に入られるようだ。20年以上前は20軒以上あったが、大半はコンビニができて立ち退きになり、戸数も少なくなった。これからますます少なくなりそうだ。

 今月下旬に山口の旅を予定している。その行程表を考えながら図書館で借りた『俄』を読んでいる。読みながら頭をよぎる。それは山口の次の旅である。ふと浮かんだのが佐賀の旅。以前、バスツアーで九年庵に出かけた。佐賀の地理も詳しくなく……と思ったとき「街道をゆく」に佐賀(肥前)はある?と調べるとあった!近いうち街中に出るのでジュンク堂によって『街道をゆく』の「肥前の諸街道」を購入しよう。ついでに「奈良散歩」も買おう。

 家の本棚を見ると「街道をゆく」は9冊ある。その大半は街道は街道でも外国だ。このシリーズは43巻ある。「街道をゆく」を読んでその道のどこでもいいから自分の足で歩いてみたいと思った。それが3年前。それから一人旅に行くようになり、それにも慣れて次は何処に?と思ったとき「街道をゆく」が参考になる。そのためにも「街道をゆく」は図書館で借りずに買って手もとに置こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月15日火曜日

Chopinの夜想曲第21番「遺作」(ノクターン ハ短調)

 長く習ったフルートだが、自分にとってのこの1曲がない。そう気づいてChopinの夜想曲第21番「遺作」(ノクターン ハ短調)をこの1曲にしようと決めた。練習しながらふと頭をかすめる。さらっていた楽譜には先生の書き込みがある。これを頼りに練習する。が、それよりもさらった当時のブログ(2018年2月7日水曜日)に何か書いているはずと、ひらめく。それを読み返すと、この曲を吹く際の注意として自分の思う速度よりも幾分遅く吹くようにとアドバイスがある。これからはそのように練習しよう。

 降り続いた雨も上がったようだ。先日来の気温とは違って下がっているが、晴れればプールへ行こう。今週はちょっとした予定が続く。その中でも久々に街中に出て某金庫の春の日本画展、先生たちの日本画展、そして新たな絵を描くF6のパネルを買いに画材屋へ行く予定。街中といえば新たになった広島駅ビルにも行ってみたい。が、これは日を改めて出かけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2025年4月14日月曜日

気持ちをスリムに!

 土曜日の日本画教室で薦(こも)神社の大木の絵を完成させる。次は室生寺の塔を描く予定。絵のモチーフとしてあらかじめ写真を拡大コピーしている。これを先生に見てもらうと森の中にひっそりとたたずむ室生寺がいい、とアドバイスされる。それに似た写真を写していたので早速、昨日、セブンイレブンでスマホ写真をプリントアウトする。ところがこれまで簡単ネットプリントのアプリでプリントアウトしていた。が、今回はセブンイレブンマルチコピー機のアプリでプリントアウトとなった。スマホを駆使してもわかりずらいので若い店員にやってもらってプリントアウトできた。これを400倍に拡大カラーコピーしたが拡大しすぎとなった。改めて380倍くらいに拡大コピーしよう。コンビニのコピー機はますます進化している。

 先日の日本画教室から絵の教室の自販機が変わって暖かいコーヒーがなくなった。先週、その対策として先生はケトルを、そして個人的には珈琲のスティックと紙コップなどを持参した。先生はケトルだけでなく珈琲が飲める一式も持参されていた。3時間の教室半ばで珈琲タイムとなった。が、絵を完成させようとしてケトルでお湯を沸かし忘れる。急いで沸かして珈琲タイムとなった。暖かいコーヒーはインスタントであっても美味しい。そして奈良行の旅の帰りに新大阪駅で買った「月化粧」の饅頭や、皆さんの持ち寄り品で珈琲タイムとなった。

 絵の完成と珈琲タイムのことで頭がいっぱいだったのか、その夜に開催された町内会の当番の集いをすっかり忘れていた。何と気づいたのは昨日のお昼に郵便受けに当日配られた書類が入っている。これを見てなんと間抜けな事、と慌てて町内会長宅にお詫びの電話を入れる。今年度は町内会の当番なのでこれから気をつけよう。

 今朝は通帳の書き換えに地元の金融機関に行く。これまでは利息の少ない時代にもかかわらず定期にしていた。が、これからは普通預金にした。この一部を出金しようとしたらこの金融機関では通帳でおろせなかった。預金を下ろす時はいつも通帳でおろしていたのでキャッシュカードでないとおろせない金融機関があると知って驚く。

 気持ちに負担になるモノ・コト・ヒトはなくすように心掛けている。今回の金融機関の件もそれがある。明日は郵便局に出かけてこれも普通に切り替えるつもりでいる。

 何もかもスリムにしている。が、買い替えたはずの冷蔵庫の調子が悪い。昨日はこれに挑戦。何とか大丈夫のようだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月13日日曜日

大神神社・安倍文殊院・壷阪寺そして橿原神宮の旅その3

 大神神社(おおみわじんじゃ)・安倍文殊院・壷阪寺そして橿原神宮(かしはらじんぐう)の旅その2から続く。


2日目 ルートインホテル桜井→桜井駅→大和八木駅→橿原神宮前駅→壺阪山駅→シャトルバス→壷阪寺前→壷阪寺参拝。壷阪寺前→シャトルバス→壺阪山駅→橿原神宮前駅→橿原神宮参拝と遅い昼食。橿原神宮前駅→大和八木駅→鶴橋駅→大阪駅→新大阪駅→広島駅。

壷阪寺

 壷阪山駅に着くと列車を降りた人たちがシャトルバスに急ぐ。乗る人が大人数のため乗れそうにない。が、急遽、2台目のバスが出るとのことで座って乗った。壷阪寺は高取城址の途中にあり、バスはクネクネ道をゆっくり進む。7分くらいで到着した。壷阪寺前バス停までの道のりはあちこちに桜が咲いている。壷阪寺も全山が桜に覆われて美しさは半端でない。

 今回の旅の目的に壷阪寺がある。このお寺は「壷坂霊験記」にあるように盲目の沢一と妻のお里の夫婦愛を描き浄瑠璃にもなっている。眼がよくないのでお参りしようとなった。壷阪寺はインドとの関係が深く、インドからの石彫文化の天竺渡来大涅槃石像などを招来している。そのためかインド系と思われる外国人の団体が多く見られた。休憩していると隣に人が座った。どこの国から?と問うとシンガポールの人だった。次に問うた人は全く言葉が理解できない。後で思ったのはスリランカの人では?と。
壷阪寺

舞い降りた桜の径
三重塔

大観音石像

大涅槃石像

天竺渡来十一面観音石像

壷阪大仏

 壷阪寺で石像と桜を堪能してシャトルバスで壺阪山駅まで行き、ここから橿原神宮前駅まで近鉄で行く。

橿原神宮

 橿原神宮前駅で下車後、橿原神宮を目指して歩く。大きな神社なのに観光客がほとんどいない。とりあえずどんどん進むと閑静な場所に着いた。この辺りが神社の入口のようだ。あまりにも立派な建物に惹かれて入るとそこはカフェやトイレなどがあった。お参り後、このカフェで遅いお昼をいただいた。

 境内に入るとこれまでの観光客の多さと比べてひっそりしている。あまりにも静かすぎて整った環境にいると疲れそうになる。どこか座りたくなるがいくら進んでも休める場所がない。が、神社本殿前に休憩所があった。そこにたどり着く間にもただ座りたい。参道脇にある古そうな石灯籠の台に座ってしまった。歩き草臥れると観光もどうでもよくなる。ましてや境内でこんなこと思っていいのかと自問自答してしまう。が、座りたい気持ちはどうにも我慢できなかった。
橿原神宮
深田池
今年の大きな絵馬が掲げてあった
 本殿を参拝後、パンフを見ると休憩所がある。しばし休憩後、深田池を見ていないと気づいて出かけると池の周辺に桜並木がある。写真に写すも逆光でうまく取れていない。このころが足の疲れのピークになる。池のそばの石段に座ってパンフを眺めるとカフェがある。来るときに見たカフェだ。時刻は2時過ぎでまだフードタイムだ。カフェで一休みしたい気持ちだけで歩いて行く。到着したときはホッとする。ランチと珈琲で休憩も兼ねる。広々としたガラス張りの空間は贅を尽くしている。日本で最古ともいわれるほどの神社だからなのかカフェまで立派としか言いようがない。
橿乃杜で一休み
 立派な建物内にあるわりにはカフェはセルフ方式だった。これにはびっくり。また、珈琲カップなども紙カップだった。これにも驚く。団体客が押し寄せるとそうせざるを得ないのかもしれない。

 カフェでゆっくりしすぎて急いで橿原神宮前駅まで歩く。そこから大和八木駅→鶴橋駅→大阪駅→新大阪駅と乗り継いで広島まで帰る。が、途中の鶴橋駅でいつも迷ってしまう。JRと近鉄が乗り入れる駅だ。次に奈良へ行くときはなるべくJR線を利用しよう!それにしても乗り換えに時間をとられる旅となった。

 ホテルの朝食時に相席となった人は北海道から2泊3日の旅だそうだが、暑い時季と寒い時季は旅はしないと話していた。確かにそう思う。これからまだしばらくはいい季節が続く。次の予定は今月下旬の山口行きが待っている。まだまだいろんなところへ行きたい。せいぜい旅の計画を立てよう。

 新大阪駅でSNSで知った念願の「月化粧」を2箱購入。なおこの日の万歩計は11720歩とよく歩いた。そして楽しい旅は終わった!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月12日土曜日

大神神社・安倍文殊院・壷阪寺そして橿原神宮の旅その2

  2025年4月9日(水)から10日(木)までの2日間、奈良へ出かけた。1日目は大神神社と安倍文殊院、2日目は壷阪寺と橿原神宮の観光を予定した。ところがいずれの観光も乗り換えが多い。特に新大阪駅から大阪駅までは1駅だが次に乗り換えの鶴橋駅はいつ出かけてもスムーズに乗り換えられない。JRと近鉄が乗り入れているため、ホームを探すだけで時間を要する。広島駅を8時43分発のぞみ8号に乗車して大神神社の三輪駅に着いた時刻は11時54分。鶴橋での乗り換えが4分あるが予定のホームに着いた時点ですでに発車していた。係に次の列車を教えてもらうと20分先がある。


1日目 広島駅→新大阪駅→大阪駅→鶴橋駅→桜井駅→三輪駅→大神神社参拝と昼食→タクシー→安倍文殊院参拝→コミュニティバス→ルートインホテル桜井(泊)

大神神社(おおみわじんじゃ)

 大神神社に着くと馬が10頭くらい駆けまわっている。これは何?としばし立ち止まる。数分後、さらに進むと大きな神社なのにひっそりとしている。参道入り口で掲示板を見ると4月9日には午前10時と午後1時に神事がある。ちょうどついた時点が午後1時ごろだったので若宮神奉祭がたけなわだった。境内に着くと人垣ができ、皆、同じ格好でこうべを垂れている。こんな光景は見たことがなくて驚く。しばらくその様を見ていると合図がされて頭をあげた。めずらしさと興味もあってしばらくその様子を眺める。ここでの観光は食事を入れて2時間を予定していた。が、神事は終わりそうにない。かといって神事中なので自由に参拝もできない。途中で参拝はあきらめて三輪駅にもどろうとするも神事は終わりそうにない。

 着飾った稚児たちもたくさんいた。何とかお祭りから抜けて三輪駅まで歩く途中で三輪素麺と柿の葉寿司などの食事処がある。メニューを見ると三輪素麺のにゅうめんと柿の葉寿司2個のセットがある。これをいただいていると列車に間にあわない。が、食に負けてタクシーで安倍文殊院へ移動する。他の人がお店の人にタクシーをお願いしているのを見てこちらもお願いした。が、機嫌が悪い。しかし、三輪素麺のにゅうめんは今まで食べたにゅめんの中で一番おいしかった。
大神神社鳥居
10頭余り馬がいた
大神神社参道
大神神社境内での神奉祭
大神神社神奉祭

 安倍文殊院

 大神神社から安倍文殊院へはタクシーに乗ったので鳥居から入る参道を通っていない。帰りは参道の先にあるコミュニティバスに乗る。チケットを買う際、バス乗り場を教えてもらう。が、まったく親切心がない。これでこのお寺に興ざめする。お寺に参る前に先にバス乗り場を確認するが遠くなので引き返す。観光しているとバスで来た人と出くわす。その人から乗り場を詳しく教えてもらった後、参拝する。

 参拝する前に印象を悪くしたので今一歩、楽しく観光できない。気を取り直して笑い飯哲夫のパンフに掲載の個所を見て歩く。それには亀パンの掲載があった。亀パンは本堂で売っていたが冷凍パンだったので購入をあきらめる。この冷凍パンをレンジでチンする係が本堂前の休憩所で説明していた。しばし観光客同士で亀パンが話題になる。

 帰りのコミュニティバスの時間が迫ってくる。早めにバス停に向かうと徐々に人がやって来る。ここでもしばし観光客同士が前日や翌日の旅が話題になる。東京、大阪、福岡などの人たちが10人くらいいた。

 宿はホテルルートイン桜井駅前店。夕食はホテル内のレストランでいただく。生ビールで一人乾杯後、注文した品がなかなか来ない。席前方を見ると同じく一人旅の人が食事を待っている。コース料理がないのでネギトロ丼(みそ汁と香の物付き)とシューシーミンチカツをいただく。この日の万歩計は9486歩。
安倍文殊院参道

 この続きはまた後日に!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 
  

2025年4月11日金曜日

大神神社・安倍文殊院・壷阪寺そして橿原神宮の旅その1

 2025年4月9日(水)と10日(木)の2日間、奈良へ行った。旅のスケジュールは移動手段を主にしている。が、時により思わぬアクシデントに遭遇することもある。とはいえ2日間、楽しい旅をした。

 「旅は道連れ世は情け」という諺通り、連れはなく一人旅であっても旅に出ると触れ合う人たちはすべて道連れであり、世は情けを実感する。特に今回は行く先々でリュック姿の一人旅が多く、そう感じた。

 旅の日程は以下の通りで無事、スケジュール通りの旅となった。2025年4月9日(水)は大神神社と安倍文殊院。10日(木)は壷阪寺と橿原神宮。今回はデジカメを持参せず、スマホで写真を撮った。大神神社は出かけた当日のその時間がまさに大祭の行事真っただ中だった。それを知らずに出かけたが運よく大祭を見られた。が、その影響で神社境内は自由に参拝できない。とはいえ、行事を見ることはできた。ただ、信心深くないので皆が一斉に祭礼に参加する姿を見て得も言われぬ気持ちになる。

 祭祀を見ていると時間はあっという間に経つ。途中、おなかが空いてきて三輪素麺と柿の葉寿司のお店に入ると三輪駅から乗るJRに間に合わなくなった。お店の人にタクシーを呼んでもらって安倍文殊院まで乗っていく。タクシーの予約もお祭りの影響で大変だったらしくお店の人の機嫌が悪い。それでも三輪素麺と柿の葉寿司は絶品だった。

 ちなみに大神神社から安倍文殊院までのタクシー代は2500円。運転手さんからいろんな話を聞いた。中でも秋の紅葉の談山神社はいいらしい。ここへも行かねば。また大神神社の鳥居は昭和天皇が昭和61年に建立されたとか。それには地元の人の土地の提供や金銭の協力があり1300年は持ちこたえる鳥居だそうだ。運転手さんはこのことを協力したお客から聞いたと自慢げに話される。

 宿はホテルルートイン桜井駅前。ネットで宿を予約したが返信メールが届かず心配した。が、大丈夫だった。ルートインはビジネスホテルだ。しかしいろんな場所のルートインを泊まるがどこもきれいでスタッフも感じがいい。夕食はレストランで生ビールで一人乾杯して食べた。その時、離れた席で一人で食事をしていた人から朝食で座った席で夕食のことを話される。こちらは目が悪いのでただ一人の人がいるくらいしか覚えていない。話をすると北海道からの旅人で昨夜のビールの銘柄は?と聞かれる。が、銘柄は知らない旨返答する。感じがいい人でルートインをお気に入りのようだった。この日は安倍文殊院に行く予定、と話される。前日、そこに行って切符売り場の人の感じが悪かった。また桜も散りかけている旨告げると長谷寺に変更しよう?とその人は言う。この時季の長谷寺は秘仏が公開されると教えてあげると興味を示された。

 旅先では人に声をかけて聞くことが多い。まさに世は情けを実感している。そのお礼ではないが壷阪寺を観光後、コミュニティバスの壷阪寺前から壺阪山駅まで乗り、その下車後に壷阪駅で行動が同じ人と話すとまたも安倍文殊院へ行く予定だという。その人に吉野山の桜が満開と他の旅人から聞いていたのでそう話すと急遽吉野山に変更するという。スマホで壺阪山駅から吉野山駅まで検索してJRの時刻を教えてあげる。かなり感謝された。が、いつも人に情けを乞うて生きているので少しはお返しでたかもしれない。お元気で!と駅のホームで別れて橿原神宮行きの近鉄に乗る。

 そういえば安倍文殊院で桜井駅までのコミュニティバスを待つ間、各地からの旅人と話をする。福岡、東京、大阪などの人たちがいて同じホテルに泊まる人もいた。桜井駅で別れるとき、だれかれとなくお元気で!、と声をかけあう。その時、それが嬉しかったのか、別れおしそうにされる人がいた。

 この続きはまた後日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月8日火曜日

地元の山の桜

 プールに行く予定を変更して地元の山に咲く桜を見に行く。いつもはお墓から神社に向かうが昨日は急な坂道の神社側から上がる。鳥居近くまで民家がある。が、急な坂道なので一気には上がれない。何度か止まって深呼吸をしてあがる。神社に向かうふじ棚の下では何組かがお花見をしていた。小さい頃の場所取りをしてのお花見は今では廃れたのか見られない。というか、町民が一斉に決まった日にお花見をしたころと違って今は分散!?
地元の神社の桜並木

 神社から奥の院までは300段と書いてあるが、今より若かったころは必ずといいっていいほど奥の院まで行っていた。が、新たな奥の院が別の場所に移ってからは全くそこへは行っていない。


振り向けば桜、桜、桜

ずっと石段が続く

300段上ると奥の院に着く

市内が見渡せる
 すこしだけ山に上がると市内が見渡せる。桜も散り始めているが、土・日は多くの人でにぎわったに違いない。いろいろと桜を愛でる機会はあるが、地元の山の桜は他に負けず劣らず桜の名所!?このまま帰るには忍びないと思ってお墓に向かう。午後2時過ぎとあって墓地には誰もいなかった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月7日月曜日

地元紙「洗心」欄を読んで

 今朝の地元紙を見ると「洗心」欄に上野千鶴子の講演の模様を報じている。場所はなんと地元の区民文化センターとある。これは聞きに行きたかった!市内の催し物案内に掲載があったはずなのに見落としていたのだろうか。残念!それでも新聞1面に講演の内容を詳しく掲載している。これだけでもよかった!?
 
 それによると大見出しに「在宅ひとり死」前向きな選択とあり、小見出しに「地域の寺がサポート役に」とある。「寺」とあるのはこの講演会の主催が地元の浄土真宗本願寺派の23寺が関わっていることに拠るのだろう。演題は「住み慣れたこの地で最期まで」。自分自身も住み慣れたこの地で最期まで過ごしたい、と思っている。

 「かわいそう」と見られがちなおひとりさまだが上野によるとそれは偏見だとか。独居による寂しさや不安を差し引いてもおひとりさまが最高だ、という。人間は時間が経てば寂しさに慣れるからだ。そして上野は辻川医師の老後の満足のための処方箋を3つ引用している。

⓵生活環境を変えない。
⓶金持ちより「人持ち」.お金で人間関係は買えない。
③家族に気を使わない自由な暮らし。つまり独居に行きつく。

 しかし、在宅独居を阻む要因が外野の圧力だという。「在宅ひとり死」があるが上野は自宅で1人で亡くなっても介護保険サービスを使っていれば数日で見つけてもらえるのでこの程度では「孤独死」ではないそうだ。そしてお寺は昔からコミュニティカフェのような場所だったのではないかと。そこに集う関係は仏縁になる。そして住職本人は医療・介護のスキルを持っていなくても地域で人材をつなぐ要となるという。
 
 先日、お寺の護寺会費を振り込んだが、個人的にはお寺とのご縁を深めたいとは思わない。その底辺にはまだ元気、があるのかもしれない。しかし上野の講演の話を読んでいると確かに仏縁というようにお寺をないがしろにはできない。

 独居生活をしている。親が亡くなった当初はどうしようもない淋しさに襲われた。が、これも時間の経過とともに慣れてくる。そして元気のある今が人生で一番幸せ、とも思えたりする。それにはああじゃこうじゃと要らぬことを考えず、ただ元気で楽しく暮らしたい。そのためにも動ける間はどんどん旅に出かけよう。近いうち奈良へ行く。幸いお天気にも恵まれそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月6日日曜日

絵の教室の自販機

  昨日は日本画教室の日。教室は3時間ある。1時間半が経過するとティータイムになる。習い始めからこの時間になると皆の珈琲を階下にある自販機で購入する。ところが4台ある自販機が変わってペットボトルに入った珈琲しか売ってない、と先生から聞く。3時間の教室で休憩を兼ねて珈琲を買いに行くのが束の間の息抜きだった。買いに行く係(?)はいつも同じ2人。しかし、昨日からこれができなくなる。

 教室へは小さいペットボトルに白湯など入れて持参していた。次からはマグボトルに入れて珈琲を持参する!?先生は瞬間で湧くケトルを持参してくださるという。それでは、とスティックになった珈琲を持参する旨、告げる。幸い教室には流し台などがついている。

 相変わらず樹木を描いている。休憩時間に珈琲は飲めなかった。が、教室が終わって皆でいつものカフェに入る。珈琲を飲むとホッとする。そういえば先の自販機にはホットなものはなくすべてコールドのペットボトル品だ。年中、暖かいものしか飲まないのでコールドの自販機はどう考えてもよくない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月5日土曜日

仁多米

  昨日のブログで取り上げた仁多米(にたまい)はなぜ仁多米?というのか調べてみた。近年、街中で仁多米を使ったおむすびの専門店ができている。よほどお米に対して自信があるに違いない、と思って調べた。ウイキペディアによると〈「西の横綱」「東の魚沼コシヒカリ」ともよばれている島根県仁多郡奥出雲町で栽培されるコシヒカリのブランド米〉とある。言われてみれば確かにこのお米で炊いたご飯はおいしい。仁多米をネットで調べると生協よりもかなり価格は高い。

購入した出雲の仁多米
 春らしい陽気になってきた。それと共に泳いだ後の鼻水はなんとかならないのだろうか。集中力がなくなりそうだ。世の中、今が一番のお花見シーズン!?子供のころこの時季になると皆一斉に重箱につめたごちそうをもって近くの山でお花見をした。懐かしい子供のころの思い出だ。

 今日午後は日本画教室へ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!