2024年5月25日土曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(3)

  小学校の運動会だろうか。朝から通りがにぎやかである。好天に恵まれてまさに運動会日和!?自分にとっての運動会は魔の季節であったが……。以下は『司馬遼太郎が考えたこと』(3)(司馬遼太郎 新潮社、平成17年)から気になる箇所を抜粋した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★坂本竜馬は維新史の奇蹟的存在である、といったのは平尾道雄氏だが、このことばにはかぎりない魅力がある。私はこのことばに魅(ひ)き入れられてこの人物を調べたくなり、つい深間に入り、数年前からこの人物を主人公にした長い小説を書きはじめ、いまなお書きつづけているという始末になった。(「幕末を生きた新しい女」93p)

★乙女はこの富子に、「女は煮たき針仕事だけで人間として成り立っているのではないと思いますが、いかがです。あなたも家事以外のことで夢中になってみてはいかがですか。たとえば薙刀や馬術などに」と、いわば女仕事からの謀反をすすめている。……この乙女の物の考え方や生活は、その社会で別段の反発は受けていない、ということである。とすれば、この種のあたらしい女性というのは明治の青鞜社活動以後、にわかに誕生したがごとくみるのは、歴史を型によって見ようとする歴史教師的な偏見ともいえそうである。もっともこの乙女をもって幕末女性の一典型とみることはむろんできない。しかしこの闊達な個性が、ごくさりげなくこの時代に存在しえたということは、なにかを考えさせる契機になる。すくなくとも女性の自由と個性の尊重は明治の輸入使嗾(しそう)によってはじまったとのみは言えないようである。(「幕末を生きた新しい女」97p)

★維新後もなお、新政府の檀正台の手で下手人捜査がつづけられた。明治以前の刃傷沙汰を、新政府がその全力をあげて捜査したのは竜馬の場合しかない。(「竜馬の死」200p)

★竜馬は「自分は役人になるために幕府を倒したのではない」と、このとき言い、陪席していた陸奥宗光が竜馬のあざやかなほどの無私さに手をうってよろこび、「西郷が一枚も二枚も小さくみえた」と、のちにいった。……竜馬の一言は維新風雲史上の白眉といえるであろう。単にその心境のさわやかさをいうのではない。筆者は、この一言をつねに念頭におきつつこの長い小説を書きすすめた。このあたりの消息が、竜馬が仕事をなしえた秘訣であったようにおもわれる。その点、西郷もかわらない。私心を去ってじぶんをむなしくしておかなければ人は集まらない。人が集まることによって智恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。(「竜馬の死」216-217p)

★年をとるということの悲しさは、ものを多く知りすぎてゆくということだろう。見たり聞いたり食べたりすることをふんだんにしてしまえば、人の世はもう、なんのこともなくなる。無知こそ幸せではあるまいか。(「新鮮さ」430p)

★竜馬は天が日本史上最大の混乱をまとめるために、さしくだした若者のように思われる。その役割がおわったとき、天はただちにかれを召しあげた。この点がいっそう竜馬という青年の存在に奇跡的なにおいを放たしめる。(「坂本竜馬のこと」471p)

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