2024年5月16日木曜日

『司馬遼太郎の街道Ⅱ 京都・奈良編』

 真夜中に目が覚める。(地震?)と思ったが揺れてはいない。強風が吹く音だ。今日も一日、強い風が吹くようだ。

 以下、『司馬遼太郎の街道Ⅱ 京都・奈良編』(週刊朝日編集部 朝日新聞出版、2020年第1刷)から気になる箇所を記そう。「京都・奈良編」なのに大分県の薦神社が一緒に収めてある。この本を読んで是非とも薦神社へ行こうとなった。出かける時期は今月末。この薦神社は「池」が御神体となっている。「池」を見逃さないように観光しよう。

 御神体が「池」とは珍しいが、出羽三山の御神体は巨大な岩から湧出する温泉だった。雨模様の時季に訪れた際、ご神体が「岩」から湧き出た温泉と知って、その中に足をつけたことを思いだす。神様の居場所は何も神社の中だけとは限らない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★薦神社に社殿が造られた時期は承和年中(八三四~八四ハ)で、神社史では最古に属する。その一世紀ほど前に日向(現・宮崎県)・大隅(現・鹿児島県)で反乱を起こした隼人に対し、朝廷は八幡神を奉じて鎮圧した。その際に、神輿にのせられた「御神体(御験 みしるし)」が水草の真薦(マコモ)で作った薦枕(こもまくら)だった。枕が剽悍な隼人を撃退したとすれば、のどかな感じでもある。その功績をたたえて宇佐神宮ができたというから、マコモは重要である。そのマコモは薦神社の三角池(みすみいけ)に自生する。司馬さんは西野さんに問うた。「薦神社の御神体は、池だそうですね」「三角池ですね」薦神社に社殿が造られたころ、社殿を「外宮」、三角池を「内宮」としたようだ。司馬さんはその池を見に行きたかったのである。池を代々守り継いできたのが宮司の池永家。いまの宮司、池永孝生さん(六七)は、学生時代から司馬ファンだった。……池永さんはいった。「宮司だった親父も兄貴も観光化は嫌ったし、私も好きではないので宣伝はしていません。自然にできた池が御神体ですから、人間が自然に壊すときには壊れるだろうという思いもあります。しかし、できる限りは、守り抜きたいですね」静かに「池守」の言葉が響いた。(「官兵衛の成功と失敗『中津・宇佐のみち』の世界」224pー228p)

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