先日、メールを送信した中島氏の著作『ガンディーからの〈問い〉 君は欲望を捨てられるか』(NHK出版、2009年)を読むと彼は仏教徒だった。
彼は「私は仏教徒なのですが、私は仏教の厚い信仰を持った家庭や共同体で育ったから、自然と仏教徒になったのではなくて、二十代の前半に仏教書を読み、意思的な選択をして仏教徒になりました。仏教徒といってもどこの教団にも属していませんし、日常的に特定の『行』を行っているわけでもありませんが、やはり人生の節目節目では、仏教の考え方から重要な指針を得て生きています。それに対して、私の祖母も熱心な仏教徒でしたが、その性質はかなり大きく異なるものです。祖母の場合、生まれた家庭や社会が当たり前のこととして、毎朝仏壇の前でお経を読み、祈りをささげていたために、生活習慣のひとつとして祖母は仏教徒になっていました」(21P)と述べている。
中島と祖母との間の信仰の形態の違いを「自らが思想的な問いをもって、人生のある一点から仏教徒になることを選択したというのではなく、特定の社会環境の中でごく自然に仏教徒になっていったわけで、これは私の信仰のあり方と大きく異なるということができます」(21P)と書いており、それはまたどちらの信仰の優劣でもない。
更に今読んでいる最中の『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社、2005年)の中で、あとがきに「最後に、激動の昭和を生き抜き、脱稿直後に浄土へと旅立っていった祖母・田面里子(一九二二-二〇〇五)に本書を捧げたい」と書いている。著者の祖母はアサちゃんと同時代の人だ。
そのため先の新聞記事のような文章が書けるのだと思った。それを知らないうちは、哲学を専攻した人かなと思った。哲学には宗教も含まれるから・・・。
だから送信した返信メールに若い人の文面とは思えないほどの言葉を書いて送ってくださったのだろう。
ともあれ、著者が世にでるきっかけとなった『中村屋のボース…』を読もう…。
このブログを投稿後、中島のHPを探した。するとそのプロフィールに「1999年はじめてインドへ。ヒンドゥー・ナショナリストとの共同生活を通じて宗教とナショナリズムの問題を追及する。インド独立運動の闘士を描く『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞」とあるように大学時代から宗教に関心を抱いている。それはまた中島の仕事と関係があった。
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