今朝の地元紙文化欄「論考2011」に北海道大学の中島岳志准教授が「喪失から新たな出会いを」と称して執筆している。その中に「亡くなった大切な人は、ここにいない。姿かたちは存在しない。しかし、その人は、生者から死者となって存在している。あなたの心の中に。脳裏に」と生者に対する死者の存在を述べている。これは中島が阪神大震災で経験したことから今回の震災で犠牲となった多数の人々と生きているものとの関係を述べたものである。震災とは直接かかわりを持たないが、死者と生者のかかわりから言えば誰でも当てはまることなので記しておきたい。
中島は「死者の存在は透き通っている。だから自己の心の中を直視してくる。見通してくる。生きているときは不可能な透明な関係が、死者との間に突如生み出される。…生きている人間同士では不可能な関係が、生者と死者のあいだで結ばれる。これは新しい出会いだ。透明な死者の存在は、生者に対して自己と対峙することを要求する。自分の心の中を、死者のまなざしを通じて直視することを余儀なくされる。死者との出会いは、自己との出会いにつながる。…その出会いは、きっと人生を豊かなものに変革してくれるはずだ。自己と向き合わず、ごまかして生きるより、死者によって自己と対峙しながら生きる方が善き人生になるはずである。大切な人の死は、喪失であると同時に、新たな出会いでもある。死は決して絶望だけではない。死者とのコミュニケーションを通じて、人間は新しい人生を生きることができる。そんな姿を、死者は温かく見つめてくれるはずだ。死者と一緒に、僕たちは生きているのだ」と述べている。
これを読み終え、心強い考えだと感心した。母を長年介護し、それから解き放された今、寂しくないといえばウソになる。それが中島の言葉を借りるとタイトルどおり「喪失から新たな出会い」が生まれるという。長年の介護をした報いから人から「いいことがあるよ」といわれることが多い。他人様からそういわれて舞い上がるような人間ではない。だが中島の言うように母と向き合いながらこれからを生きていけば「善き人生」になるような気がしてくるのも確かなことだ。
今日は午後から注文したメガネを受け取りに行く。その後パスポートの申請に行き、フルートのレッスンがおわると美味しいものを買って帰ろうと思っている。4月の中旬なのに最高気温13度の予報。いつまでも寒い!さあ元気を出して今日の行動開始!
と、その前にひどく感激した中島岳志はどんな人なのか興味がわいてきた。早速図書館にその人の著書を予約した。まだ35歳と若いのになんとすばらしい考えを持った人なのだろう。
朝から気分よくしていたら、母を訪問看護していた看護師からTELがなった。今でもその人たちに対してこだわりを持っている。ほとんど話をせずにTELをきった。母が生きてるときにもっと親切にしてくれてもよかったのでは…と言い返したい!
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