2022年1月10日月曜日

『国家・宗教・日本人』

 小寒が過ぎてもうすぐ大寒がやってくる。大寒とは名ばかりなのか新年になって暖かい日が続く。寒いより暖かい方がいいが、どういってもよくないものにコロナがある。昨日の広島県の新規感染者は619人とまたも過去最多を更新した。そのうち市内の感染者は400人余りとこれまた最多である。

 コロナの新規感染者を一喜一憂してもなにもいいことにはならないがそうとわかっていても気になるコロナ。世の中、科学がいくら発達しても、またノーベル賞を取るような偉い人たちがたくさんいても目に見えない生き物に皆、振り回されている。いつになったら世の中は落ち着くのだろう、と先を訝ってもいいことにはならない。目の前の一日を元気で楽しく過ごす以外に方法はなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は師走に読んだ『国家・宗教・日本人』(司馬遼太郎・井上ひさし 講談社、1999年)から初めて知ったキーワードを太字で羅列した。その意味は()で記す。

★いまはもうこの五体の内がひからびて、リビドーの支えがなくなって、カラカラ音がしている。(精神分析用語)(10p)

★室町末期から戦国時代初頭に倭寇がおこって、一時期、上海の南の舟山(しゅうざん)群島を二十年ほど……。(中国浙江省北東部、東シナ海にあるある群島)(10-11p)

俊寛僧都(そうず)のように。(平安末期の真言宗の僧)(11p)

★参謀本部の暴走を招いたということを「鬼胎」という言葉で書かれたように。(心配すること)(48p)

★天に二日ないがごとく地に二王なしという意味での絶対であって、西洋哲学やカトリックのアプソリューションではないわけです。(許し)(55p)

★たくさんの苦患(くげん)を味わう(地獄に落ちて受ける苦しみ)(61p)

練袂(れんべい)辞職(行動をともにすること)(65p)

★ああ、漢字の「谷」というのは、本来ヤトなんだと。(やと(谷))(76p)

★うちのやと(谷)にもやぐら(窟)がふたつあります。……窟というのは位の高い武士や坊さんを葬るところですが、まだ生きているうちに運ばれて、窟の中で息を引き取るんだそうですね。(77p)

マザータング (母語)(95p)

靺鞨(まっかつ)(中国、隋・唐の時代に中国東北部から朝鮮半島北部に住んでいたツングース系諸族の中国側からの呼び名)(80p)

アウフヘーベン(ヘーゲル弁証法の基本概念の一)(100p)

俚耳(りじ)(世間の人々の耳)(108p)

没義道(もぎどう)(非人情)(109)

驥尾(きび)に付す(すぐれた人に従っていけば何かは成しとげられる)(125p)

★広島の衛戍病院(えいじゅびょういん)(陸軍病院の旧称)(126p)

萎靡沈滞(いびちんたい)(活気がなく、動きが衰え、勢いがなくなること)(130p)

然諾(ぜんだく)(引き受けること)(131p)

「乃公(だいこう)出でずんば」(他のものに何ができるのか、我が輩が出なければならないの意)(133p)

★ファナティシズム (狂信)(160p)

2022年1月9日日曜日

またもまん延防止適用に

  昨日は新年初の日本画教室の日。家を出ると立ち話中の民生委員2人と出くわす。「どこへ?」と聞かれて「絵を習いに……」と話した。すると「まん延防止になるから確認して出かけては?」と諭される。先生から何も連絡なく気にも留めずに教室へ行く。

 久々に絵の人に会う。描いている絵は信州・鬼無里(きなさ)に出かけた際に写した山へと入る道の風景である。まだまだこの絵の完成はないと思っていた。ところが何度目かの彩色を樹木に施していると先生は昨日で絵を仕上げよう、と話される。ゆっくり描けばいいと思っていた。が、何とか絵は完成となる。

 (次は何の絵を描こうか)と思いながら旅先で写した写真10数枚を先生に見てもらう。その中から3枚の写真を絵にするようにと先生。いずれも樹木の写真だ。

 完成した絵を教室の人にも見てもらう。先生の口から出るのは相変わらず点描写のことばかり。全く何も描けなかったモノを(点描写で……)、と描くように教えてもらって以降、少しずつ絵が描けるようになった。どういっても走るのは遅いが点描写で描く手の動きは誰よりも早いらしい。

 完成した絵は教室に置いたままだ。教室を出ると受付で次回からの教室は休みになると知らされる。(またも教室が休みになる)、と思いながら皆で近くのカフェに入る。今年はもうコロナに振り回されずに済むと思った矢先のまん延防止適用。何度も何度も同じことの繰り返しが続く。いつになったら落ち着いた世の中になるのだろう。今日からすべての市内の施設が使えなくなった。以前の緊急事態よりも厳しい。

 今日の最高気温は13度と暖かくなる予想だがまん延防止適用で外は静かだ。みな家でおとなしく過ごすのだろうか。なお、昨日の広島県のコロナ新規感染者は過去最多の547人。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月8日土曜日

『新装版 播磨灘物語(四)』

  広島県内の新型コロナ新規感染者は過去最多となる439人だった。倍々とまでには至らないがそれに近い感染者が出ている。これから先どうなっていくのだろう、との不安が増してゆく。先々を気にしていても仕方ない。自分が感染しないことを心掛けて生活するしかなさそうだ。

 司馬作品を読み始めて丸3年が過ぎた。新たな年も相変わらず司馬作品で明け暮れそうだ。以下は師走に読んだ『新装版 播磨灘物語(四)』(司馬遼太郎 講談社、2014年第36刷)から気になる箇所を抜粋。今は徳川家康を題材にした『覇王の家(上)』を読んでいる。この先も生きている限りは司馬遼太郎の全作品読破を目指そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★官兵衛の好奇心は、キリスト教の宇宙論に感動して洗礼をうけたり、またキリスト教の神符がもたらす世界像への好奇心に駆られて、堺や京の教会へ出入りしたりした。そのとき、織田氏という組織といい運動律といい統一へのつよい目的性といい、何もかも播州の旧勢力と異なった新しい勢力の擡頭につよい好奇心をむけ、ついには主の小寺氏を当時、地理的にまで遠い存在だった織田氏にひき入れようとした。誰から頼まれたわけでもなかった。それがために旧主には裏切られ、かれは伊丹の牢に入れられて生きているのがふしぎなほどの目に遭ったが、それでもその運命の出発点である自分の好奇心の強さにすこしも後悔していない。(60-61p)

★信長はつねづね秀吉の気象を大気者などとよんで賞でていたが、あるいは秀吉を大気者に仕立てたのも信長であるかもしれなかった。秀吉は、信長が、その家来に期待する特性が何であるかをよく知っていた。信長は家来の欲深をもっともきらったが、秀吉はそれを心得てふるまっていた。秀吉がいままでやってきたことは、かれが働いて獲た果実はすべて信長に捧げてきたということである。……その後の秀吉も、墨股でのやりかたで働き、信長にのみ儲けさせ、みずから私有するところはきわめて薄かった。信長が秀吉を大気者とよんだのは、多分に信長がつくりあげたものであるといっていい。(166-167p)

★(そのときは、そのときのことだ)人間はそれ以上のことを考えても甲斐はない。官兵衛は、そう思った。(184p)

★秀吉には、信長同様、宗教心というものがほとんどなく、どの宗旨にも、宗義に対する関心などはなかった。ただ法華の徒は、賑やかでよかった。かれらが南無妙法蓮華経と大声で唱えまわる景色というのは、例えば南無阿弥陀仏をとなえることで内向的に滅入りこんでゆく感じに対し、自分の内部を忘れるほどに外交的で、それが集団になれば、鼓を打ち鉦を討ち、声を張り上げて動き回り、なんともいえず陽気になる。(あれをやらせよう)と、秀吉は考えている。むろん、信長への供養は、いわば名目のようなものであった。(232p)

★慶長五年九月におこる関ヶ原の戦いは、内実からいえば豊臣家両派の諸将のあらそいであり、家康はその一方に乗ることによって自然の勝利を得たともいえる。なおその意味では、家康の側――というより徳川政権の樹立――という側からいえば黒田長政の功績ははかり知れぬほど大きい。もし関ヶ原前夜に黒田長政という、鉄色の顔色と一見農夫のような朴訥さをもった策士が存在しなかったら、反石田三成党があれほど強く政党として結束することもなかったであろうし、その反石田三成党があれほどあざやかに家康党として転化されてゆくということもなかったであろう。長政という、およそ非策士的な男にこれをさせたのは、如水である。(345p)

★如水は、その天才的な才幹を秀吉という他人の運命を画布にして描いてきた。一種の芸術的欲求をそれで充足しえたということで如水は官兵衛の昔から吹っ切れてはいたが、しかしそれを、かれの晩年に、自分自身を賭けることで使ってみようした。だが、無駄働きに了った。(そういうものだ)というあきらめのよさは、如水においては、うそのようにみごとであった。(354-355p)

★家康は、如水の弧の長政に酬いた。長政を、豊前中津十数万石から筑前五十二万三千石に引きあげた。藩都を博多のそばに設け、如水の指示で、黒田家発祥の地である備前福岡の地名を記念し、福岡と名づけた。(356p)

2022年1月7日金曜日

「ヶ・セラ・セラ」

 科学が発達して民間人が宇宙旅行のできる時代になった。いくら科学が発達したとはいえ、目に見えぬウイルスという化け物に人々は振り回されている。広島県の昨日の新型コロナ感染者は273人と猛スピードで増えている。県知事によるとこのままいけばあと10数日で1日の感染者が8000人になるとか。

 じっと我慢の限界を越えそうになるころ新規感染者が減少し、そのたびに気持ちが緩んで再度感染者が増大する。この繰り返しで第6波が予想される。緊急事態宣言中やまん延防止の期間中は家でおとなしくしていると話す機会が減少する。これではいけないと思いついたのが「ケ・セラ・セラ」を英語歌詞で覚えて暗唱することだった。この歌を覚えると次にひらめいた「その名はフジヤマ」をスペイン語歌詞で暗唱する。それも覚えるとさらにひらめいた「夜来香」を中国語簡体字歌詞で暗唱する。この3曲を毎日飽きもせず歌っている。これは声を出す習慣になるし頭の体操にもなる。

 今朝のネット情報によると〈毎日40分の散歩で脳の海馬の体積が増え記憶力が向上する【科学で証明!本当に信用できるストレス解消法】〉の記事がある。毎日40分の散歩、とまではっきりと「散歩」に限定していないがスーパーへの買い物に歩いて出かけている。40分もかからないがコロナ禍前の自転車での移動を思うと歩いての移動はいい気分転換になる。

 第6波到来となればまたも自粛生活を強いられそうだ。せっかく収まりかけたコロナもこの様子だといつ収束するか予想できない。自分で工夫して家の中での楽しみを見つけて体を動かし、頭を働かすしかなさそうだ。さあ。今日もまずは「ヶ・セラ・セラ」を歌って……。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月6日木曜日

年末年始の暇つぶしに

 広島県のコロナ新規感染者は急激に増えて昨日は138人になった。今朝の地元紙を見ると沖縄、山口、広島県はまん延防止措置要請とある。4日、岩国在住の友だちと電話で話した際、昨年、岩国に新たなカフェができたとのこと。そこにたむろするのは岩国基地の米兵だそうだ。カフェの外にもテーブルなどがあり、どの人もマスクなしでいるという。

 岩国は山口県であっても広島県に隣接している。米兵やその家族たちの生活圏は広島市内になるはずと思われる。というのも新聞によると基地内にとどまるのが原則であっても生活物資の買い物などは基地内から広島市内に出てもいいらしい。これでは広島市内の感染者が急激に増えるのもうなづける。

 我が家は広島市内だが、ほぼ隣町に住んでいるのと同じくらい隣接している。その町には新規感染者が13人出ている。今日は隣町にあるプールへ、と思ったがこれほど1つの町で感染者が出ると怖くて泳ぎに行けない。

 ぶつぶつ朝から言うのは体に良くない。気を取り直して年末年始の暇つぶしに頭を過ったことを記そう。

・旅行社から大晦日に届いた旅のパンフを見て4月の旅を申し込もうとした。が、今の状況では厳しいものがある。しばらく様子を見ることにしよう。

・かなり前に「黒い瞳のナタリー」を動画で見てスペイン語の歌詞で覚えようとしたが達成できずにいる。今年は昨年秋に覚えた英語歌詞の「ケ・セラ・セラ」、スペイン語歌詞の「その名はフジヤマ」、中国語簡体字歌詞の「夜来香」に続いて、何が何でもスペイン語歌詞の「黒い瞳のナタリー」を覚えよう。 朝からこの3曲を歌い、気合を入れて1日が始まる。「黒い瞳のナタリー」は曲自体をあまり知らないのでパソコンからICレコーダに録音し、それをくり返し聞いて暗唱できるまで歌うしかない。まずはノートにスペイン語の歌詞を書いて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月5日水曜日

NHK特集「永平寺」を見る

 昨夕のBSでNHK特集「永平寺」を放送していた。永平寺は何度か放送されている。が、午後6時台の番組であり、しかもBSでの放送だ。もしかして再放送?と思って見ているとテレビ画面の両横にNHK特集、永平寺、1977年放送とある。一目見た限りでは45年前の再放送とは思えないほどのきれいな映像だった。

 永平寺、と言って思い出す。今から9年前(2013年)の2月、親を亡くした3年目にスリランカの旅に1人で参加した。福岡空港からスリランカまでは2度のトランジットを経て16時間かかってやっとコロンボに到着する。1度目のトランジット後から現地到着までの長時間、機内の近い席に永平寺で修業された宮崎、長崎、小倉のお坊さんたちが座られた。すぐ横に座られたのは宮崎のお坊さん。すぐにはお坊さんとは気づかずにお話していた。

 親を亡くして3回忌を終えてすぐの旅だった。が、機内でお話しするうち、涙がとめどもなく流れ出す。途中からご自身の話からお坊さんと分かった。それも永平寺で修業されたお坊さんだ。永平寺へは若い頃、1度出かけたことがあった。厳しい修行で知られた曹洞宗の本山である。そこで修業されている、と知って関心を抱いてお話した。

 飛行機を降りるとき、めそめそするのを危惧されたのかご自分がされていた竜が珠をくわえた水晶の腕輪念珠を下さった。「元気で頑張れよ」、と励ましてくださったのだろう。旅の最初に知り合った3人のお坊さんたちとはスリランカの旅の間中もそれからもよくしていただいた。この旅から帰っても何度か海外や国内の旅に誘われた。そのうち、インドネシアとタイの旅に同行した。どれも楽しかった。トルコ、ミャンマーなども誘われたが1度行ったことがあったので同行せずじまいになる。国内の旅では永平寺に誘われた.が、これは旅の日程など合わず、行かずじまいになった。旅から帰って以降もお寺の情報紙やご自分の著書などを送ってくださった。が、2年前から3人のお坊さんたちは体を壊されている。

 昨夕、いろんな気持ちを込めて45年前の再放送を見た。番組HPによると「福井県にある吉祥山永平寺は、道元禅師(1200-1253)により開かれた曹洞宗の大本山で、参禅道場である。道元は修行を『只管打坐』(しかんたざ=ただひたすらに座ること)と説き、日々の生活一つ一つが修行だと教えた。番組では山内にカメラを持ち込み、厳しい寒さの中で修行を続ける雲水の姿を中心に、永平寺の冬を紹介。1977年(昭和52年)第29回イタリア賞(ドキュメンタリー部門)を受賞」とある。

 さらに別のHPには「吉祥山永平寺は、1244年に道元禅師によって開創された雲水の修行道場であり、150人の若い修行僧たちが黙々と修行に励む。禅の修行はただ坐禅だけではない。食事の作法や廊下の歩き方、風呂や便所の使い方、蒲団の敷き方など朝起きてから寝るまでのすべてが修行である。そして、月に2回の禅問答。雪にかこまれ氷点下10度を下回る寒さの永平寺の冬、午前4時半から午後9時まで修行に明け暮れる若き雲水たちを追う」ともある。

 マイナス10度の厳寒の中、はだしで修業に励むお坊さんたち。テレビを見ていてスリランカで知り合ったお坊さんたちもこうやって修行されたのかと思うと頭が下がる。知り合ったお坊さんたち3人はほぼ同世代を生きている。コロナ禍のこの時代、もう一緒に旅をすることは不可能かもしれない。が、楽しかった旅の思い出だけはいつまでも心に残るに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月4日火曜日

「まいにち養老先生、ときどき… 『2021 秋』」を見る

 年の瀬も押し迫った29日、NHKのBS 「まいにち養老先生、ときどき… 『2021 秋』」を見た。番組HPによると〈日常が大きく変わった今、解剖学者・養老孟司に日々を生き抜くヒントをいただこう。コロナがもたらした変化を受けとめ、災害と疫病の時代でもあった鎌倉時代と現在とを重ねながら地元・鎌倉の街を思索する。80年前、4歳で見送った亡き父に思いを馳せ、京都の寺で手を合わせる。そして、新たな「モノの見方」を見いだした老作家は、新たな本を完成させる。紅葉が落ち葉になり、冬の風が吹いてくる〉とある。

 テレビを見ていて「どれだけ夢中になれるかでその人の価値がわかってくる」みたいなことを話された。養老先生は5歳の誕生日直前に父を亡くす。その際、母親が亡くなった父親に向かって「さようならと言いなさい」と話したそうだ。しかし、この言葉が言えなくて人に対する挨拶も苦手になったという。が、その挨拶が40年くらい経ってできるようになり、その時になってやっと父親が亡くなったと思えたそうだ。

 小さいころから今も夢中になって虫を探す。その姿は全国の虫好きの子供たちにも伝わっていく。そして愛媛に集まった虫好きの子供たちと過ごす養老先生の様子をテレビで見ると皆、生き生きとして楽しそうだ。まさに夢中になっているのだろう。夢中になれるものは人によってそれぞれ違う。というか、その良しあしも夢中になっている本人がよければそれでいい。そして夢中になれるモノ・コト・ヒトがあるのは幸せなことだ。

 執筆中の『ヒトの壁』の編集者と著者とのやり取りを見ると1冊の本が出来上がる大変さが伝わってくる。『バカの壁』は読んだことがある。『ヒトの壁』も読みたい。ご自宅には「馬」と「鹿」を描いた大きな壁が描かれていた。

 さて私の夢中になれるモノ・コト・ヒトとは何だろう。それはこれまで継続中の好きなことをそれこそ夢中になってやり続けることかもしれない。それにはフルートのピアソラ曲集の練習、プールで泳ぐ、日本画を描く、司馬作品を読むetc.がある。これに旅を加えれば言うことはない。が、この状況下では以前のようには動けそうにない。昨日の県内のコロナ感染者は40人、その前の日は58人と勢いが増しつつある。

 ともあれ、この一年も元気で楽しく過ごしましょう!