2021年6月7日月曜日
弩弓
2021年6月6日日曜日
「美輪明宏の”金色の時間”」を聞く
NHKの第一放送(R1というらしい)を聞いているとラジオセレクションとして「美輪明宏の”金色の時間”」の放送がある。テレビは「選」として以前の番組が放送されている。(ラジオもある)と思って聞いた。4月のみどりの日の再放送だ。美輪明宏のナビゲーターで放送が始まる。冒頭、「人間の精神は文化、肉体はビタミン」みたいなことを話した。ビタミン剤としてB、C、Eは毎日摂取している。お陰で肉体は健康。心というか精神のビタミンは文化、この表現に驚いてしまった。言われてみれば精神文化というね。確かに。
生活に潤いをもたらす文化。絵を習ったり、フルートを吹いたり、泳いだり、旅に出たり、人と会ったり、飲んだり、食べたり、しゃべったり……といった楽しいことは今やコロナ禍でできないことが多くなった。外で楽しむ心のビタミン補給はほぼ皆無状態だ。ただ、そんな中でも本はよく読む。これはささやかな精神面のビタミン補給となっているかもしれない。
放送の中で「夜来香」が流れる。これは曲名としての意識しかもっていなかった。ところが夜来香、は蔓植物だそうだ。すぐに電子辞書で調べた。夜来香は中国原産でガガイモ科のつる性低木。芳香をもつ植物として知られる、とある。それで花の名に「香」がつく!?
曲の持つ歌詞の意味も知らずに歌っていた。というか、昔、流行った中国の歌くらいの意識しかもっていなかった。
美輪明宏の言葉を改めてネットで探す。ラジオで聞いたと同じようなことが美輪のHPにあった。以下にその一部を記そう。
<人間は肉体と精神で出来ています。肉体の成長と疲労を補うビタミン剤は過剰なほど補給し過ぎているのに、現代人は精神の方のビタミン剤補給は欠乏している人が非常に多いようです。心の栄養剤は文化です。文学・音楽・美術・スポーツなどに親しみ、美意識を持ち心を明るく穏やかにする、それが心への栄養剤となります……>。2021年6月5日土曜日
『いいかげん、馬鹿』
図書館の予約確保された『いいかげん、馬鹿』(中野翠 毎日新聞出版、2020年12月)を読んだ。2019年10月から2020年10月まで「サンデー毎日」に連載されたエッセイをまとめた本である。著者と同時代を生きている。本の「あとがき」に次のような件がある。
<「老い」は認めているつもり。受け入れているつもり。それなのに……時どき、ハッとする。「あれっ、私、何歳だったっけ!?」と。「あら、レッキとしたバアサンじゃないの。ウソみたい。私、十七歳の頃から全然、成長も成熟もしていないみたい。ちょっと頭おかしいのか?馬鹿なのか?」と。……もう一度、生まれ変わっても、結局のところ、同じ人生を歩みそうな気もする。というわけで、タイトルは『いかげん、馬鹿』ということに――>、とあり、その最後に「コロナ禍による人生初の引きこもり生活の中で――」と締めくくっている。
「あとがき」にあるバアサンの件、非常によくわかる。世にいう高齢者の域に十分間に合っている。カープの負け試合を見るのはやめてこの本を読む。エッセイは読みやすくすぐに読める。が、読みながら「そう、そう」と感心してしまう。
<「仙人というのは山の人と書く(谷の人と書いて俗人ね)」(094p)>の件も読んでいて気づかされる。
<しきりに母のことを思う。母が今の私と同じ歳だった頃、どんなふうだったのかなあ、と。……今や私、その時の母の歳を超えている。……歳を重ねるたび「この歳の時、母はどうだったっけ?」と思うのだが、……忘れっぽくなっているのが……コワイ」(201p)>、もよくわかる。自分自身が何も不安なく楽な生活をしていると思う時、こんな気持ちになる。そして母が怪我をしてすぐに家をリフォームした。それはまるで母のためでなく今となっては自分自身のためであったような気がしてくる。母は何も心配しないようにやってくれたんだ、と思えて仕方ない。
さらに共感する箇所がある。<自分でもトシヨリらしくなってきたなあと感心する(?)のは、墓参りを欠かさないようになってきたこと。……私も墓に向かって心のうちでだが、話しかけている(223p)>、とあるのもうなづける。母が健在だったころは年に1,2度くらいしかお墓参りをしたことがなかった。ところが、母がなくなると49日の間は週に1度、それも明けると月命日にお墓に参っている。その時の天候などでずれは出てもほぼ毎月、お墓に参る。
これから先も中野翠の本を読もう。そういえば、この人、パソコンで本を著さず手書きだそうだ。機械音痴らしい。ブログはWEB上の日記だから手書きでアップは不可能。おのずとパソコン頼みになる。もしも手書きで文を書くとなるとすぐには文になりそうにない。その点、パソコンは思いつくままキーボードの上を手が動く。
話は変わる。昨夜、松本人志のお笑い番組を見た。そのなかで「旅人のうた」の話題になる。この歌を初めて知った。先ほどから中島みゆきの歌を検索するがいい動画が見当たらない。この歌、「旅人のうた」とあるように旅好きとしては暇つぶしもかねて覚える!?いいかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年6月4日金曜日
『城をとる話』
コロナ禍の緊急事態宣言が20日まで延長された。この間、図書館の整理月間も重なって昨日までの数日間、予約の貸し出しはなかった。今日からそれも終わり貸し出しが始まる。1冊ほど予約確保のメールが入る。ほぼ司馬作品ばかり読んでいる。時に、他の人が書いた本を読むのはいい気晴らしになる。降り続く雨も止みそうだ。これからスーパーと図書館へ行こう。
以下は先日読んだ『城をとる話』(司馬遼太郎 光文社、2002年第2刷)から気になる箇所を記したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★大人とは、現実の限界を知った者の称だ。子どもとは、それを無視して華麗で壮大な夢を追うことのできる者の称である。人類がはじまって以来、人類を押しすすめてきたいわゆる選ばれたるものは、釈迦にしろ、玄奘三蔵にしろ、織田信長にしろ、上杉謙信にしろ、また数多くの天才的建築家や画家にしろ、すべて大人ではない。あれは子どもの精神を大量にもっていた連中だ、と車藤左はおもっている。(ここで崩れてはいかん)と思うのは、大人の心に侵されてはならぬという自戒であった。(128-129p)
★「あれが男だと思うのよ」つまり、男という生きものの原型のようなものが車藤左だというのである。男の情熱というのは、第三者からみればつねにむなしくばかげている。物ぐるいとしかみえない。その目的のむなしさ、行動がばかばかしくあればあるほど、その、糸口としてひきだし男は、もっとも「男」にちかい男なのだ、とおううは思うのである。(156p)
★(城をとるということは、もともと悪人の仕事なのさ)ひとをどうだますか、ということにかかっている。(181p)
★藤左には藤左なりの理論がある。方途もつかぬときには、考えているよりもむしろ動きまわって敵を攪乱することだ、ということだった。敵は混乱のなかで、ふと隙を見せる。それをこちらが機敏にとらえ、糸口として引き出し、その糸口をたくみに戦術化すればいい。そのために敵を斬る。(203-204p)
★(人生とはなんだろう)という、この楽天的な男にしては、ばかばかしいほどに陰鬱な想念にとりつかれた。(なんのために生きている)前面は崖である。……(おれは疲れているのかな。だからこんなことを思うのか)「疲れているときに物を思うべきではない」というのが、車藤左の少年のころからの信条だった。……ものは白昼陽の照る下で思うべきである。……城をとる、という夢のような計画は、最初樹てたときは藤左なりに理路整然としていた。……藤左は自分に言いきかせた。方法をうしなったとき、人間はその目的にまで疑問を抱きはじめ、つぎには自暴自棄になるものらしい。(逆に、だ)これとは逆に、藤左の最初がそうであったように方法が明快な場合、目的の意味無意味などにはさほど心を用いぬものだ。ときには、――勝てる。と思えば、命をさえ人間は賭けてしまう。人間は、目的に情熱を抱くよりも、方法に情熱をもつものらしい。だから方法を失ったときに、絶望的になるのだろう。……(が、思案をしても思案などは沸かぬ)行動することだ。めったやたらと行動して、行動のなかでなにか思案の火をともす火だねを見つけることだ、と藤左は思った。(222-224p)
★(甲州の武田信玄がそうであった。信玄は若いころ実父を国外に追って政権をうばった男だ。単に実父を殺しただけなら悪人だが、政権をうばい、武田家を相続し、甲州の守護大名となり、士民を撫育し、武威を天下に張ったればこそ信玄は英雄の名をほしいままにした。大悪は大善に通ずるものらしい)と、赤座刑部は考えた。(さればおれがこの城を奪る)……よほどの策をもちいなければ城はとれない。(車藤左を使うことだ)論理は自然、そこへゆく。(288p)
★藤左は、本丸を見あげた。(おれはこの城をとった)そのまき添えを食って何百人の人間が虫のように死んだか、いまの藤左には、それについての感懐はない。おそらく藤左の生がつづくかぎり、それについては、藤左はほんのわずかしか思わないであろう。……かれにひきこまれ、かれの野望のために死んだ亡魂どもが、かれのそういう点を責めることはできない。責められるべきものは藤左ではない。神であろう。なぜならば、神はときどき気まぐれにこういう型の男を地上に生む。人々はその種の男を見ると理性も打算も忘れて礼賛し、熱狂し、ついには乱をおこし、ともどもに破滅してゆく。……藤左は山上にいる。この城のぬしである。が、城のぬしである時間が永久つづくとは藤左はおもっていない。いずれ終わるときがくる。(399-401p)
2021年6月3日木曜日
電話
コロナ禍で思うような行動ができない。それは何も自分だけではなくどの人もそうかもしれない。昨日は夜11時前に友だちから電話がかかる。よく寝る者にとってこの時刻はすでに寝ている。それなのに電話で起こされる。電話も急を要する話でなくコロナのワクチン接種や家族の話にまで及ぶ。寝ているのを起こされ、話も長い。(じゃ、返事は適当に)、と思うがそれもできない。結果、話を途中で切り上げて寝た。
今朝は別の友だちから電話がある。遊びに来るようにと言ってくれる。が、このご時世、遊びに行きたくても今一歩気が乗らない。ましてや相手は体の調子が万全ではない。まずは元気になってもらわないと遊びどころではなくなる。聞くところによると一昨日、ワクチン接種を済ませたとか。2回目の接種が終わったら遊びに来るようにと言ってくれるが、それもさてさて……。自分としてはワクチンを打つ気が全くない。インフルエンザのワクチンもこれまで一度も打ったことがない。
どの人もコロナ禍で鬱憤がたまっている!?それが電話になるのかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年6月2日水曜日
人生曲線
番組HPによると「母方の曽祖父は明治末、鹿児島下甑島でサンゴ漁で成功。しかし祖父の代で不漁になり、朝鮮半島清津に渡って食品店を始めた。その3軒先が父方の営む米屋で、山梨出身の一家だった。戦争を経て結ばれた両親だが、森さんが小学生の時に別れる。母を助けるため中学を出て働き始めた森さんは、職を転々とするうち思わぬことからデビューする。現在、歌手として活躍する息子たちも父のことを語った。激動の時代を生き抜いた家族の歳月」とある。