天満敦子の自伝『わが心の歌 望郷のバラード』(文藝春秋、2000年)を読んだ。
天満敦子のコンサートはこれまで2回聴きに行ったことがある。1度目はシンフォニア岩国、2度目は市内のフェニックスホールでのコンサートである。
どの曲にも『望郷のバラード』が演奏曲目として入っている。
『望郷のバラード』をどうして知ったかは覚えていない。たぶんTVの情報で知ったのだろう。そのときからとても奇麗なその曲に魅かれてしまった。来月14日にはまたまたその曲を聴きにアステールプラザに出かける予定だ。
この本は多分以前に一度読んだように思う。再度読んでみてこれほど回りの人に恵まれた人はいないのではないかと思われるほど著名な人々の名が次々と出てくる。登場人物は天満が「望郷のバラード」をヴァイオリンで弾くに至った経緯に関わる人々である。すなわち天満自身が世の中の脚光を浴びるに至った経緯といっていいのかもしれない。
それらの人々を列挙すると、音響メーカーのケンウッド会長中野雄(音楽プロデューサーでもある)、ストラディヴァリウス(別名サンライズ)を貸与した龍角散の藤井康男社長、ヴァイオリニストの佐藤陽子、作曲家の間宮芳生、音楽評論家の宇野功芳、作家の大野芳、ルーマニア全権特命大使古川清、ピアニストの深沢亮子、作曲家の佐藤真、ピアニストの本多昌子、外交官の岡田真樹(日経新聞1993・12・8に「望郷のバラード」が世に出るきっかけを書いた人)、CD発売元の藤井泰三社長、「徹子の部屋」の黒柳徹子、東京女子大出身で瀬戸内晴美と同級生の母、京都大学出身の父、兄の直美、父の妹で津田塾大学元学長の天満美智子、NHK教育TVの「ヴァイオリンのおけいこ」出演時のヴァイオリニストの江藤俊哉、芸大教授でヴァイオリニストの井上武雄(天満が15歳のときから酒を呑むことを薦めた先生)、芸大の海野義雄、芸大の兎束先生、ヴァイオリン製作者の本間立夫、芸大の岩崎洋三(特別銀賞受賞時のロン・ティボー国際コンクール審査員)、コーガン、1979年のデビユーリサイタル時のピアノ伴奏者岩崎淑、作家の井上光晴、井上の作家仲間の埴谷雄高・島尾敏雄・野間宏・橋川文三、文芸評論家の秋山駿、丸山真男(なくなったときバッハの『ジャコンヌ』を演奏)、「コンサートエージェンシームジカ」主宰の高澤弘道、芸大教授でピアノ伴奏者田村宏、ドイツの名室内演奏家ライナー・ホフマン、元アムステルダム(現ロイヤル)コンサート・マスターのヘルマン・クッレバース(天満自身、生涯の師と仰ぎ「一生モノ」の付き合いというヴァイオリンの指導者)、作曲家の小林亜星、作家高木のぶ子(天満をモデルとした『百年の予言』を書いた)、音楽評論家の中河原理、ピアニスト吉武雅子、などである。
そうそうたる人々に囲まれても舞い上がることなく生きている人はすばらしい!この一言に尽きる。
天満はこの本の「お酒のこと」で酒にまつわるエピソードを披露している。武勇伝である。特に「母は私がお腹の中にいる頃から、父への腹いせにお酒ばっかり飲んだというし、父は大酒のみ。やっぱり血は争えないわ。…」(200P)と述べている。
「”あとがき”に代えて」として天満は「この人生、ゆかいな両親に恵まれ、何度も言えることは師にも恵まれ、そして人に恵まれました。人との出会いという点では、私はすごく幸せもんです。人だけでなく、ストラディヴァリウス、私の生涯の曲《望郷のバラード》にも出会っちゃいました」(229P)と自分の生涯を振り返る。
そして将来の希望を聞かれると「今日が明日でありますように」(230P)と答えている。
ともあれ来月には天満の曲を聴きに行く。今から楽しみだ!
2011年4月14日木曜日
2011年4月12日火曜日
中国語会話
今日はフルートを再開して2回目のレッスン日である。ところが3月末のコンタクトレンズの取り出しでトラぶり、メガネをかけてのレッスンとなった。
もの心ついたときから視力がよくない。矯正レンズでもなかなか視力を回復できない。それでも強度のレンズで少しはそれもよくなる。
思い切ってフルートのレッスン前に三越のメガネ売り場に出かけた。
安売りのメガネ店に…とも思った。ところが相当の矯正が必要。そのためには安売りの量販店では駄目。多少高くついても信頼できる店がよいと思い三越を選んだ。
係りの人に事情を話した。検査をしてもらうがやはりメガネではなかなか視力が出ない。それでもコンタクトを断念したからにはメガネに希望を見出すしかない。係りは今の度数よりも1・5倍度を上げたレンズにするという。
仮のものでみると、今持っているメガネよりも少しはよく見えた。
レンズの厚さが厚くならない高価なレンズの購入となった。その上フレームも高い。
一般の人が購入するメガネの価格よりも何倍も高くつく。
ほとんどいわれるままにメガネを購入した。といってもすぐに手に入るわけではない。1週間後にメガネは完成する。来週受け取りに行く旨告げて店を後にした。
その後フルートのレッスンをすませて文化センターの受付に行った。次回からのレッスン曲のコピーをしてもらうためである。受付の人にコピーを依頼すると、どうも日本人とは思えない話しぶりだった。
コピーを受け取るとき中国語で話しかけると先方も中国語で返答する。やっぱりと思って「どうしてここで仕事をしているのか」と中国語で話した。すると家族で日本に住んでおり、大学卒業後ここで働いていると中国語で話す。そして中国語を習っているのかとも聞かれた。
とっさの中国語での会話であった。もちろん中国人を見るのも大学卒業以来だった。
今でも毎日中国語の原書を翻訳し、何でも興味を示す性格になったのも中国語を習ったおかげと思っている。
せっかく習った中国語だから何らかの形で関わっていきたい!
また今日は5月14日にアステールプラザで開催される天満敦子のコンサートチケットも手に入れた。
これで生活リズムも本格的な様相を帯びてきた。やっぱり外にでるのが性にあっている!動け!動け!
もの心ついたときから視力がよくない。矯正レンズでもなかなか視力を回復できない。それでも強度のレンズで少しはそれもよくなる。
思い切ってフルートのレッスン前に三越のメガネ売り場に出かけた。
安売りのメガネ店に…とも思った。ところが相当の矯正が必要。そのためには安売りの量販店では駄目。多少高くついても信頼できる店がよいと思い三越を選んだ。
係りの人に事情を話した。検査をしてもらうがやはりメガネではなかなか視力が出ない。それでもコンタクトを断念したからにはメガネに希望を見出すしかない。係りは今の度数よりも1・5倍度を上げたレンズにするという。
仮のものでみると、今持っているメガネよりも少しはよく見えた。
レンズの厚さが厚くならない高価なレンズの購入となった。その上フレームも高い。
一般の人が購入するメガネの価格よりも何倍も高くつく。
ほとんどいわれるままにメガネを購入した。といってもすぐに手に入るわけではない。1週間後にメガネは完成する。来週受け取りに行く旨告げて店を後にした。
その後フルートのレッスンをすませて文化センターの受付に行った。次回からのレッスン曲のコピーをしてもらうためである。受付の人にコピーを依頼すると、どうも日本人とは思えない話しぶりだった。
コピーを受け取るとき中国語で話しかけると先方も中国語で返答する。やっぱりと思って「どうしてここで仕事をしているのか」と中国語で話した。すると家族で日本に住んでおり、大学卒業後ここで働いていると中国語で話す。そして中国語を習っているのかとも聞かれた。
とっさの中国語での会話であった。もちろん中国人を見るのも大学卒業以来だった。
今でも毎日中国語の原書を翻訳し、何でも興味を示す性格になったのも中国語を習ったおかげと思っている。
せっかく習った中国語だから何らかの形で関わっていきたい!
また今日は5月14日にアステールプラザで開催される天満敦子のコンサートチケットも手に入れた。
これで生活リズムも本格的な様相を帯びてきた。やっぱり外にでるのが性にあっている!動け!動け!
2011年4月11日月曜日
剪定
先日隣町のシルバー人材センターにお願いした庭木の剪定は無事終わった。
今朝8時過ぎにシルバーから3人が庭木の剪定にやって来た。てっきり先日見積もりにきた人だけだと思っていたら3人だった。それを知ったときは本当にびっくり!
庭師から今日は家にいる?と聞かれた。するとその中の1人が2時間で終わるという。その間は家にいる旨告げると作業に入る。
作業は1人とばかり思っていたのでおやつに出す菓子類も3人分用意していない。姉に相談するとお茶だけでも、という。しばらくすると作業は終わった。
お茶を出しますから、と告げ、すぐにコーヒーを3人分沸かした。それと共に先日冷凍にしていた草もちをレンジで温めて差し出す。すると3人の人たちは外で飲むといって立って飲む。
外の植木を見るとさすがにプロの人たちの仕事だ。見違えるようにすっきりとなっている。我が家の同じ庭と思えないほどだ。
彼岸花と八手は根こそぎとってもらった。狭い庭はその2つがなくなると広くなった。
一人は元々庭師を仕事にしていたらしい。それで、庭の周りに置くレンガのおき方、葉っぱだけの水仙の手入れの仕方、ブロック塀の近くの草花の植え方、レモンの木に施す肥料、もみじの名が「伊呂波もみじ」である、などいろいろ教えてもらう。
後日、奇麗になった庭に土をいれ草花を植えよう。そして花が咲いたら母に活けてあげよう。
花といえば昨日は近くの友人と桜を見に町内の山に登った。今が桜も満開の山には多くの人が花見の宴で真っ最中である。シートを広げてささやかな花見をした。帰路はべつの道をとおり、母の眠る墓の下の道を通って我が家に帰る。
今年に入ってから一連の行事は大半終わりを告げた。あとは墓碑名を入れるのみ。
カレンダーのスケジュールは4月になってから本格的な行動開始でうずまっていく。
来月にはヴァイオリニストの天満敦子のコンサートもある。明日フルートのレッスンで街中に出かける。早速チケットを購入しよう。
これからはフルートのレッスン、中国語の原書翻訳、シャンソンのレッスン、庭の手入れ、コンサートに行く、大学での講座受講と忙しくなりそう。これに水泳が加わると我が本来の姿になる。母は元気な様子をみてきっと喜んでくれているだろう。きっと…。
今朝8時過ぎにシルバーから3人が庭木の剪定にやって来た。てっきり先日見積もりにきた人だけだと思っていたら3人だった。それを知ったときは本当にびっくり!
庭師から今日は家にいる?と聞かれた。するとその中の1人が2時間で終わるという。その間は家にいる旨告げると作業に入る。
作業は1人とばかり思っていたのでおやつに出す菓子類も3人分用意していない。姉に相談するとお茶だけでも、という。しばらくすると作業は終わった。
お茶を出しますから、と告げ、すぐにコーヒーを3人分沸かした。それと共に先日冷凍にしていた草もちをレンジで温めて差し出す。すると3人の人たちは外で飲むといって立って飲む。
外の植木を見るとさすがにプロの人たちの仕事だ。見違えるようにすっきりとなっている。我が家の同じ庭と思えないほどだ。
彼岸花と八手は根こそぎとってもらった。狭い庭はその2つがなくなると広くなった。
一人は元々庭師を仕事にしていたらしい。それで、庭の周りに置くレンガのおき方、葉っぱだけの水仙の手入れの仕方、ブロック塀の近くの草花の植え方、レモンの木に施す肥料、もみじの名が「伊呂波もみじ」である、などいろいろ教えてもらう。
後日、奇麗になった庭に土をいれ草花を植えよう。そして花が咲いたら母に活けてあげよう。
花といえば昨日は近くの友人と桜を見に町内の山に登った。今が桜も満開の山には多くの人が花見の宴で真っ最中である。シートを広げてささやかな花見をした。帰路はべつの道をとおり、母の眠る墓の下の道を通って我が家に帰る。
今年に入ってから一連の行事は大半終わりを告げた。あとは墓碑名を入れるのみ。
カレンダーのスケジュールは4月になってから本格的な行動開始でうずまっていく。
来月にはヴァイオリニストの天満敦子のコンサートもある。明日フルートのレッスンで街中に出かける。早速チケットを購入しよう。
これからはフルートのレッスン、中国語の原書翻訳、シャンソンのレッスン、庭の手入れ、コンサートに行く、大学での講座受講と忙しくなりそう。これに水泳が加わると我が本来の姿になる。母は元気な様子をみてきっと喜んでくれているだろう。きっと…。
2011年4月8日金曜日
TEL
電話機をナンバーディスプレイにしているので何時、誰からかかってきたかすぐわかる。地方選挙を前にしたこの時期は表示される見覚えのない電話番号は選挙のお願い電話か、セールス電話。
見覚えのある電話番号は知り合いからが多い。とりわけアサちゃんを亡くしてからはそういった関連のものが多い。
今朝も学生時代の人から懐かしい声でTELがかかってきた。知り合いのピアノの演奏会の招待電話である。誘われた夜は先に決めていた用事のため行けない旨連絡した。だがなにしろひさしぶりのTEL。学生時代の他の人も誘って3人で後日会う約束をする。
しばらくするとフルートの知人からTELが入る。今夕開催されるフルートの先生のコンサートを聞きに行くかどうかの確認のTELであった。出席する旨伝える。
今月5日から本格的にフルートのレッスンを再開した。フルートのレッスンで多くの人と知り合った。途中、大学、介護などで中断していた時期もあった。それでもどうにか長く続けてきたフルートである。今回の不幸ではそういった人たちの言葉で本当に勇気付けられた。
そういう人たちと今夜コンサート会場で再会する。今から楽しみにしている。
それ以外でも一人になってからすべての家の内外のことをしなければならない。ブログを投稿している今も、TELがかかってくる。
先日庭の植木の剪定をお願いしたシルバー人材センターからである。4月11日の朝から剪定にとりかかってくれるとのTEL であった。
自分だけではさまざまなことは何もできない。これからはシルバー人材センターなどの公の機関や知り合いの協力を得て過ごしていくことになる。
いずれにしても人の力を必要とする。人は大事にしたいものである。
見覚えのある電話番号は知り合いからが多い。とりわけアサちゃんを亡くしてからはそういった関連のものが多い。
今朝も学生時代の人から懐かしい声でTELがかかってきた。知り合いのピアノの演奏会の招待電話である。誘われた夜は先に決めていた用事のため行けない旨連絡した。だがなにしろひさしぶりのTEL。学生時代の他の人も誘って3人で後日会う約束をする。
しばらくするとフルートの知人からTELが入る。今夕開催されるフルートの先生のコンサートを聞きに行くかどうかの確認のTELであった。出席する旨伝える。
今月5日から本格的にフルートのレッスンを再開した。フルートのレッスンで多くの人と知り合った。途中、大学、介護などで中断していた時期もあった。それでもどうにか長く続けてきたフルートである。今回の不幸ではそういった人たちの言葉で本当に勇気付けられた。
そういう人たちと今夜コンサート会場で再会する。今から楽しみにしている。
それ以外でも一人になってからすべての家の内外のことをしなければならない。ブログを投稿している今も、TELがかかってくる。
先日庭の植木の剪定をお願いしたシルバー人材センターからである。4月11日の朝から剪定にとりかかってくれるとのTEL であった。
自分だけではさまざまなことは何もできない。これからはシルバー人材センターなどの公の機関や知り合いの協力を得て過ごしていくことになる。
いずれにしても人の力を必要とする。人は大事にしたいものである。
2011年4月7日木曜日
『人はなぜ学ばなければならないのか』
齋藤孝の『人はなぜ学ばなければならないのか』(実業之日本社、2011年)を読んだ。この本を書くにあたって(著者は「開講にあたって」と表現している)「学ぶ」ことは「文学や哲学、芸術、科学など、日常生活や仕事を離れた分野の本を読むこと」だと述べる。
「学ぶ」ことは「生きる呼吸を深く」し、それにより新しい知識など吸収して「自分が生まれ変わる」ともいう。
齋藤はいまの時代を生きるモノにとって「身近な他者」の存在がストレスの原因になることが多い、という。そのために「身近な他者」よりも「遠くの偉大な他者」を味方にする書を読んで充実した人生をもたらすきっかけになれば、との思いから本書を薦めている。
齋藤は「遠くの偉大な他者」としてニーチェ、ソクラテス、プラトンなどをあげ、その言葉を引用して本を書いた。
ニーチェでいえばその強烈な人間観、世界観を「学ぶ」と、彼らが「自分に内なる他者」として自分に中に住みつく。(038P)これこそが大きな意味をもたらすというのである。すなわち「多様で生命力にあふれた他者が住む『森』のようなものをつくる」ことこそが「学ぶ」という大きな意味を指すという(038P)。
齋藤はさらに「学び続けていると、その学びの対象とした人たちと自分がつながっているという『つながりマップ』のようなものができます。自分以外の者がすばらしいことによって、それとつながっている自分を肯定できるようになります。そんな回路が学びにはあります」と述べている(064P)。
この「学ぶ」ことがまだあると思っている人は輝いており、一流の人ほど「まだまだ学ぶことがある」という。そういう人は最後まで学び続けることでその人の一生は気分のよいものになるらしい。
齋藤は「学んだことで何をなすかは問題ではない」という。(078P)
このフレーズは社会人大学生として6年間学んでいるとき、よく人から「学んで何をするのか」と質問されたことを思い出す。お金に換算できないものは学ぶ必要なしという考えをもつ人から聞かれたように思う。
それに対する齋藤の考えは「前に向かって自分の可能性を切り開く生き方をして、学んで新しい意味を獲得した喜びを祝福する。学んだらそれ自体を祝えばいいのです」である。(078P)
全く同感である。何かをすれば自分自身「やったー!」という達成感が生まれる。その時の気持ちは本当に充実した瞬間であった。
会社をリストラされて以後、大学に通いながらアサちゃんの介護をした。それもすべて終わった今、すべての時間は自分の人生の残された時間だ。
齋藤はこのような「人生の残された時間を『学び』中心に変えていけば、自分がいま存在していることの充実感を得ることができるのです」という。
これに対して「ものの『消費』によって充実感を得る人」は「最終的な満足感を『消費』によって満たすこと」はできないと著者はいう。(082P)
4月からNHKの教育TVでニーチェの『ツァラトゥストラ』が始まる。齋藤もこのニーチェを学ぶことを例を挙げてすすめている。
昨夜は早速このNHKのテキストとニーチェの『ツァラトゥストラ』文庫本をネットで注文した。
人は生まれると必ず老いていき、やがて死に至る。まだ元気なためか死に対する不安感は全くない。齋藤はその不安感を解消していく方法として宗教ではなく、「学び続ける」ことをあげている。(222P)
すなわち「学ぶ」ことの本質の一つとして「希望」があるという。(222P)それは「学べばもっと知りたいという意欲がわきますし、『そうだったのか』『すごいな』『これとこれは、ここが違うんだ』などと自分にとって新しい意味が生まれることで、何かが点灯するような感じになるはずです。その明るさの中で最期の一日まで生きていこうと思えば、この世は結構何とかなるのではないでしょうか」という。(222P)
自分の人生も齋藤のいうように「最期の一日まで学び続ける」ことができたらそれはそれはすばらしい人生となるだろう。
齋藤はそのように最期まで学び続けていけば「学んでも尽きない世界がある」ことを知るという。そのような世界を味わうことができれば、「私たちは虚無感と無縁になることができる」のだとか。(268P)
すなわち「学び続ける」ことで「心の免疫力を高める」ことになり、ストレスにも対処できるとか。(269P)
この年齢まで生きているとどこかからだの不調を訴える人がいる。特に年齢のせいで「あれができないこれができない」という人には「何で?」という疑問が残る。そういう面では「シクラメンのかほり」ではないが「♪疲れを知らない子供のように~♪」である。
すべては齋藤のいうように「学び続ける」からこそアサちゃんを喪ってもそれがストレスとならず元気でいられるのだろう。それともアサちゃんが見守ってくれているからだろうか。
いずれにしても「最期まで学び続ける人生」を過ごしたい!
「学ぶ」ことは「生きる呼吸を深く」し、それにより新しい知識など吸収して「自分が生まれ変わる」ともいう。
齋藤はいまの時代を生きるモノにとって「身近な他者」の存在がストレスの原因になることが多い、という。そのために「身近な他者」よりも「遠くの偉大な他者」を味方にする書を読んで充実した人生をもたらすきっかけになれば、との思いから本書を薦めている。
齋藤は「遠くの偉大な他者」としてニーチェ、ソクラテス、プラトンなどをあげ、その言葉を引用して本を書いた。
ニーチェでいえばその強烈な人間観、世界観を「学ぶ」と、彼らが「自分に内なる他者」として自分に中に住みつく。(038P)これこそが大きな意味をもたらすというのである。すなわち「多様で生命力にあふれた他者が住む『森』のようなものをつくる」ことこそが「学ぶ」という大きな意味を指すという(038P)。
齋藤はさらに「学び続けていると、その学びの対象とした人たちと自分がつながっているという『つながりマップ』のようなものができます。自分以外の者がすばらしいことによって、それとつながっている自分を肯定できるようになります。そんな回路が学びにはあります」と述べている(064P)。
この「学ぶ」ことがまだあると思っている人は輝いており、一流の人ほど「まだまだ学ぶことがある」という。そういう人は最後まで学び続けることでその人の一生は気分のよいものになるらしい。
齋藤は「学んだことで何をなすかは問題ではない」という。(078P)
このフレーズは社会人大学生として6年間学んでいるとき、よく人から「学んで何をするのか」と質問されたことを思い出す。お金に換算できないものは学ぶ必要なしという考えをもつ人から聞かれたように思う。
それに対する齋藤の考えは「前に向かって自分の可能性を切り開く生き方をして、学んで新しい意味を獲得した喜びを祝福する。学んだらそれ自体を祝えばいいのです」である。(078P)
全く同感である。何かをすれば自分自身「やったー!」という達成感が生まれる。その時の気持ちは本当に充実した瞬間であった。
会社をリストラされて以後、大学に通いながらアサちゃんの介護をした。それもすべて終わった今、すべての時間は自分の人生の残された時間だ。
齋藤はこのような「人生の残された時間を『学び』中心に変えていけば、自分がいま存在していることの充実感を得ることができるのです」という。
これに対して「ものの『消費』によって充実感を得る人」は「最終的な満足感を『消費』によって満たすこと」はできないと著者はいう。(082P)
4月からNHKの教育TVでニーチェの『ツァラトゥストラ』が始まる。齋藤もこのニーチェを学ぶことを例を挙げてすすめている。
昨夜は早速このNHKのテキストとニーチェの『ツァラトゥストラ』文庫本をネットで注文した。
人は生まれると必ず老いていき、やがて死に至る。まだ元気なためか死に対する不安感は全くない。齋藤はその不安感を解消していく方法として宗教ではなく、「学び続ける」ことをあげている。(222P)
すなわち「学ぶ」ことの本質の一つとして「希望」があるという。(222P)それは「学べばもっと知りたいという意欲がわきますし、『そうだったのか』『すごいな』『これとこれは、ここが違うんだ』などと自分にとって新しい意味が生まれることで、何かが点灯するような感じになるはずです。その明るさの中で最期の一日まで生きていこうと思えば、この世は結構何とかなるのではないでしょうか」という。(222P)
自分の人生も齋藤のいうように「最期の一日まで学び続ける」ことができたらそれはそれはすばらしい人生となるだろう。
齋藤はそのように最期まで学び続けていけば「学んでも尽きない世界がある」ことを知るという。そのような世界を味わうことができれば、「私たちは虚無感と無縁になることができる」のだとか。(268P)
すなわち「学び続ける」ことで「心の免疫力を高める」ことになり、ストレスにも対処できるとか。(269P)
この年齢まで生きているとどこかからだの不調を訴える人がいる。特に年齢のせいで「あれができないこれができない」という人には「何で?」という疑問が残る。そういう面では「シクラメンのかほり」ではないが「♪疲れを知らない子供のように~♪」である。
すべては齋藤のいうように「学び続ける」からこそアサちゃんを喪ってもそれがストレスとならず元気でいられるのだろう。それともアサちゃんが見守ってくれているからだろうか。
いずれにしても「最期まで学び続ける人生」を過ごしたい!
2011年4月5日火曜日
本格的な行動開始
今日4月5日はアサちゃんの夫が生まれた日である。亡くなった人の誕生日を思い出すのはおかしいことだろうか。いやいやそうではない。偉い人が亡くなると生誕何年というではないか。
そんな日である今日は新たな希望に向かって行動を開始する日ともなった。
午後1時、大学勤務の女朋友は大学の入学式の仕事を終えるとシェラトンホテル広島にやってきた。久しぶりに会うその人とオープン間もないホテルでの食事となった。見るもの聞くもの初めてのこと。まず6階にあるロビーへと向かった。
和洋中とあるかと思いきやそこには中華料理はなかった。さらに上の階に上がり和食となった。3段の丸い容器に入った料理は帽子をかぶったような恰好で運ばれてきた。奇をてらったその料理はどの段の器にも趣向を凝らしていた。「さすがにシェラトン!」という雰囲気であった。食事代金は飲み物をつけて@¥4300也。
食事を終えるとコーヒーを飲みに下の階へと向かった。喫茶部はさきほどのところと違った雰囲気であった。当然といえば当然だが…。@¥700也。
ホテルの6、7階から見下ろすロケーションはあまりよくない。というのも広島駅の屋上駐車場ばかりがやけに目に付き過ぎる。むしろホテルグランヴィア広島のほうがロケーション的には優れていると感じたほどだった。
朋友とそのホテルで別れ、タクシーに乗ってフルートのレッスン会場に向かう。フルートのレッスン開始時刻は3時50分。ほとんど時間がなかったため、車での移動となった。レッスン時刻に間に合ったのはよかったのだが一つよくないことがあった。楽譜をもってくるのを忘れたのである。
楽器を習うのに楽譜がないとは情けない。
それでも先生の暗譜でどうにかレッスンとなった。レッスン曲は1年のブランクが有ったが…。まずまずのレッスンは終わった。
今日はそれ以外にも市内の大学のエクステンションセンターの講座の受講手続きをメールで行う。2年前まで通っていた大学のHPからシティカレッジの案内メールも配信してもらっている。
パソコンを活用している身にとってこのような情報獲得は願ってもないこと。さまざまな情報を得て自分にあったモノ、コトをどんどんやっていこう!
そんな日である今日は新たな希望に向かって行動を開始する日ともなった。
午後1時、大学勤務の女朋友は大学の入学式の仕事を終えるとシェラトンホテル広島にやってきた。久しぶりに会うその人とオープン間もないホテルでの食事となった。見るもの聞くもの初めてのこと。まず6階にあるロビーへと向かった。
和洋中とあるかと思いきやそこには中華料理はなかった。さらに上の階に上がり和食となった。3段の丸い容器に入った料理は帽子をかぶったような恰好で運ばれてきた。奇をてらったその料理はどの段の器にも趣向を凝らしていた。「さすがにシェラトン!」という雰囲気であった。食事代金は飲み物をつけて@¥4300也。
食事を終えるとコーヒーを飲みに下の階へと向かった。喫茶部はさきほどのところと違った雰囲気であった。当然といえば当然だが…。@¥700也。
ホテルの6、7階から見下ろすロケーションはあまりよくない。というのも広島駅の屋上駐車場ばかりがやけに目に付き過ぎる。むしろホテルグランヴィア広島のほうがロケーション的には優れていると感じたほどだった。
朋友とそのホテルで別れ、タクシーに乗ってフルートのレッスン会場に向かう。フルートのレッスン開始時刻は3時50分。ほとんど時間がなかったため、車での移動となった。レッスン時刻に間に合ったのはよかったのだが一つよくないことがあった。楽譜をもってくるのを忘れたのである。
楽器を習うのに楽譜がないとは情けない。
それでも先生の暗譜でどうにかレッスンとなった。レッスン曲は1年のブランクが有ったが…。まずまずのレッスンは終わった。
今日はそれ以外にも市内の大学のエクステンションセンターの講座の受講手続きをメールで行う。2年前まで通っていた大学のHPからシティカレッジの案内メールも配信してもらっている。
パソコンを活用している身にとってこのような情報獲得は願ってもないこと。さまざまな情報を得て自分にあったモノ、コトをどんどんやっていこう!
2011年4月2日土曜日
パニック
今日は本当に大変な一日であった。それもどうにか無事終わろうとしている。
今日1時半にフルートの知人3人での食事会。その後3時15分から年1度のフルートの点検。それを終えると商品券を買って帰宅、の3点が予定として組まれていた。
街中に行くので久しぶりコンタクトレンズをして出かけた。メガネでなくコンタクトレンズをつけるとさすがに世の中がよく見える。そのせいもあって街中に着くとすぐデパートに入った。
まず頼まれていた商品券を買った。その後他のデパートに入るとアサちゃん用の花を活ける大きな花瓶を見て回った。花瓶売り場は特別にはなかった。けれども食器売り場のところどころに花瓶は置いてあった。何点か見ると「たち吉」のヒスイ色の大振りな花瓶が目についた。価格は12000円。少し高いかなと思ったけど花が好きだったアサちゃんにいつも活けてあげたいと思ってそれを買った。
同じデパートの下の階に行くと春らしいブラウスが目に入った。本当に驚くほどの速さでそれも購入。なんとブラウスなのに13800円。高いと思った。だが長いことアサちゃんの介護で明け暮れ我が身を省みなかったことを思えば「買おう!」という気になった。
花瓶とブラウスの2点をデパートのフロントに預け、知人3人での食事会となった。
アサちゃんの介護で長らくそういう場に行かれなかった。ところが3人の意見は「リッチに…」となった。すぐに1人の人が考えていたお店に入った。そこは落ち着きのある和風レストランで豪華さが伺われた。もちろん食事も美味しく楽しい食事会となった。
最近日本で起きている天災を考えるとその時々にできるコトをできる限りの範囲でやろう、というのがみなの一致した意見となった。
食事を終えるとバスに乗る時必要な「パスピー」を買いに皆で出かけた。皆がそれを買うのでなく、我一人が8年半の活動ブランクでそれさえも知らなかったので連れて行ってもらったというのが正直なところだ。
ところが購入したのはよかったのだが皆と別れて帰路に向かうバスに乗車時それをどうするのかわからない。前の席に座っていた子連れの人にどうするのか聞いた。その人は席を立って親切に教えてくれた。会社リストラ後の8年半のブランクはそういうことさえも困難を極める。
そういえば帰宅前にフルートの点検にも行った。するとそこにはなんと1千万円以上もする金、プラチナ製のフルートが2本置かれているではないか。もうそれを見てびっくり。そこにいた人々とその話で大いに盛り上がった。
家に着くと災難が待ち受けていた。なんとコンタクトレンズが外れないのである。以前もそういうことがあったがそれでもどうにかはずすことができた。ところが今回はどうやっても駄目。ついに2時間も経とうとする頃、眼科にTELするがなしのつぶて。仕方なく眼鏡屋にTELした。近所の眼鏡屋は街中ならOKだろうという。このままコンタクトレンズをつけたままで寝るわけには行かない。
仕方なく市内のど真ん中にある眼鏡屋に出かけることにした。そこに到着するとどうにか閉店時間までには30分以上あった。すぐに眼鏡屋に入るとすぐに先ほどTELしたものである旨告げた。係りの人は5階へと案内してくれた。事情を説明するとすぐにコンタクトレンズをはずしてくれた。本当にその人が神様のように思えた。ところがこのまま引き下がるにわけにはいかない。その親切に対して「双眼鏡を買います」といった。下の階に行き、そこで1万円くらいのニコンの双眼鏡を買った。
双眼鏡は先日オペラを見たとき買おうと思っていたので今回のアクシデントにとってはいいチャンスだった。
なんと家に着くともう8時半である。2度も街中に出かけたのだからそんな時間になるのも無理はない。それからの夕食となった。
今日の教訓。「もうコンタクトレンズをするのは止めよう」。
メガネだと稽古事で視力がコンタクトほど出ないので不便なことは不便。
それでも「目」が人よりも劣っているため大事にしないといけない。そうしないと後々大変なことが起きるかもしれない。そう思うとコンタクトをせずにメガネで過ごそうと思った。
以上のように今日は大変なパニックの日となった。アサちゃんは慌てふためく我が行いを見てどう思っているだろう。4月になって2日目の今日。4月から本格的に行動しようと思っていた矢先の今日のアクシデントである。さてさて明日からは…。
今日1時半にフルートの知人3人での食事会。その後3時15分から年1度のフルートの点検。それを終えると商品券を買って帰宅、の3点が予定として組まれていた。
街中に行くので久しぶりコンタクトレンズをして出かけた。メガネでなくコンタクトレンズをつけるとさすがに世の中がよく見える。そのせいもあって街中に着くとすぐデパートに入った。
まず頼まれていた商品券を買った。その後他のデパートに入るとアサちゃん用の花を活ける大きな花瓶を見て回った。花瓶売り場は特別にはなかった。けれども食器売り場のところどころに花瓶は置いてあった。何点か見ると「たち吉」のヒスイ色の大振りな花瓶が目についた。価格は12000円。少し高いかなと思ったけど花が好きだったアサちゃんにいつも活けてあげたいと思ってそれを買った。
同じデパートの下の階に行くと春らしいブラウスが目に入った。本当に驚くほどの速さでそれも購入。なんとブラウスなのに13800円。高いと思った。だが長いことアサちゃんの介護で明け暮れ我が身を省みなかったことを思えば「買おう!」という気になった。
花瓶とブラウスの2点をデパートのフロントに預け、知人3人での食事会となった。
アサちゃんの介護で長らくそういう場に行かれなかった。ところが3人の意見は「リッチに…」となった。すぐに1人の人が考えていたお店に入った。そこは落ち着きのある和風レストランで豪華さが伺われた。もちろん食事も美味しく楽しい食事会となった。
最近日本で起きている天災を考えるとその時々にできるコトをできる限りの範囲でやろう、というのがみなの一致した意見となった。
食事を終えるとバスに乗る時必要な「パスピー」を買いに皆で出かけた。皆がそれを買うのでなく、我一人が8年半の活動ブランクでそれさえも知らなかったので連れて行ってもらったというのが正直なところだ。
ところが購入したのはよかったのだが皆と別れて帰路に向かうバスに乗車時それをどうするのかわからない。前の席に座っていた子連れの人にどうするのか聞いた。その人は席を立って親切に教えてくれた。会社リストラ後の8年半のブランクはそういうことさえも困難を極める。
そういえば帰宅前にフルートの点検にも行った。するとそこにはなんと1千万円以上もする金、プラチナ製のフルートが2本置かれているではないか。もうそれを見てびっくり。そこにいた人々とその話で大いに盛り上がった。
家に着くと災難が待ち受けていた。なんとコンタクトレンズが外れないのである。以前もそういうことがあったがそれでもどうにかはずすことができた。ところが今回はどうやっても駄目。ついに2時間も経とうとする頃、眼科にTELするがなしのつぶて。仕方なく眼鏡屋にTELした。近所の眼鏡屋は街中ならOKだろうという。このままコンタクトレンズをつけたままで寝るわけには行かない。
仕方なく市内のど真ん中にある眼鏡屋に出かけることにした。そこに到着するとどうにか閉店時間までには30分以上あった。すぐに眼鏡屋に入るとすぐに先ほどTELしたものである旨告げた。係りの人は5階へと案内してくれた。事情を説明するとすぐにコンタクトレンズをはずしてくれた。本当にその人が神様のように思えた。ところがこのまま引き下がるにわけにはいかない。その親切に対して「双眼鏡を買います」といった。下の階に行き、そこで1万円くらいのニコンの双眼鏡を買った。
双眼鏡は先日オペラを見たとき買おうと思っていたので今回のアクシデントにとってはいいチャンスだった。
なんと家に着くともう8時半である。2度も街中に出かけたのだからそんな時間になるのも無理はない。それからの夕食となった。
今日の教訓。「もうコンタクトレンズをするのは止めよう」。
メガネだと稽古事で視力がコンタクトほど出ないので不便なことは不便。
それでも「目」が人よりも劣っているため大事にしないといけない。そうしないと後々大変なことが起きるかもしれない。そう思うとコンタクトをせずにメガネで過ごそうと思った。
以上のように今日は大変なパニックの日となった。アサちゃんは慌てふためく我が行いを見てどう思っているだろう。4月になって2日目の今日。4月から本格的に行動しようと思っていた矢先の今日のアクシデントである。さてさて明日からは…。
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