2025年7月2日水曜日

『北斗の人』(上)

 6月末から厳しい暑さが続く。来週は連日35度超えで38度の日もある。せめて夜だけでも涼しくとの願いもむなしく一日中暑い。こう暑くては狭い庭であってもジョロでの水やりは大変。3,4年前に暑さで紫陽花を枯らした。その後に挿して生やした紫陽花はせいぜい水やりをしよう。桔梗やシクラメンの鉢は紫陽花を日陰にして育っている。

 『北斗の人』(上)(司馬遼太郎 講談社、2006年第1刷)を読んだ。『北斗の人』(下)を先に投稿し、順序が逆になった。気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★妙見とは、北斗七星(北辰)のことである。古代中国にはこの北天にかがやく星を神としてまつる土俗信仰があり、それが仏教に入りまじって日本に渡来し、ふるくから「妙見さま」として諸国にひろまっている。吉之丞老人は、この星の教信者といっていい。この星神が夢まくらに立ってついに一流儀を自得した、と信じ、流儀の名を「北辰夢想流」とした。(10p)

★周作は、父の幸右衛門がかれを買っているよりも、漠然とはしていたがそれ以上に自分自身を買っていた。剣の道に志した以上はみずから独創の道をひらき、それをもって天下に覇をとなえたいということである。それがたとえ中道で失敗するかもしれぬとはいえ、男たるものはそれに目標(めあて)を定めて志をたてるべきではないか。「どうだ、不服か」幸右衛門は、噛みつくようにいった。……「願をかけてあるのです」「どういう?」剣の道で家名をあげたい、ということである。家名、ということででかけた早々に千葉姓から浅利姓に変わるのは北斗七星をあざむくことになろう、だからせめて一年は待ちたい、と周作はいった。(111p~112p)

★ぼやぼやしているとこの江戸では何をされるかわかったものではない、とそう思いながら歩いた。(階級から独立した人間になってやろう)と、周作は思った。そういう生き方ができるか出来ぬかわからないが、とにかくこの江戸の武家社会で身を置く場合、そうとでもしなければ、男子としての精神が圧殺されてしまう、とおもった。……(その手には屈せぬぞ)という不逞の性根が、そろそろ周作の心のなかでもたげはじめている。(174p―175p)

★「奥州の山からはるばる人の世に出てきたひとつの目的は、お前さんにそれを言ってやりたかったのさ」周作がだまっていると、「反逆しろ」と、孤雲は大声で言った。「何に反逆するのでございます」「そんなこと、お前でないおれにわかるものか」「……」「自分の体で考えることさ」と言って、孤雲はしばらくだまった。周作が目をあげたときは、孤雲の足音が山門のほうへ遠ざかっている。それっきり、孤雲は周作の生涯のなかで姿をあらわすことはなかった。(252p-253p)

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