2025年7月5日土曜日

『胡桃に酒』

 最低気温28度、最高気温35度と今日も暑い一日になりそうだ。というかすでに朝から暑い。以下は『胡桃に酒』(『戦国の女たち』(司馬遼太郎・傑作短編選に収録)(司馬遼太郎 PHP文庫、2006年第1刷)から気になる箇所をメモした。細川ガラシャの話である。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「そなたは蛇か。――」たまは.わずかに目をあげた。「鬼の女房に蛇がにあいでございましょう」といった。それだけであった。これだけの衝撃に堪えるだけの気根を持ったこの婦人が、その亭主に対し、誹謗がましいことをいったのは、このひとことぐらいしかない。忠興を見つめる両眼からつとめて忿(いか)りの色を消すために彼女はその並外れた意志力をもってことさら無表情をつくりつづけている。のちに彼女が信仰した天帝(でうす)が、彼女を生むにあたってこれほどの意志力をあたえたことは、彼女にとって幸福であったかどうかはわからない。(202p)

★忠興のつくったいわば牢獄にいるたまは、かつて、――悲しむ者は幸福なり。とキリストの言葉を知ったとき、儒教よりも禅学よりも、この一語だけが自分を救いうるとおもった。傾倒の最初はこのことばからであった。父母とその一族をうしなってみずからも配所に移されたとき、たまはこの世で自分ほど不幸な者はいないとおもったが、この言葉を吐いた人はおそらく生きている者の悲しみの底までなめつくしたひとであろうと思った。たまのキリストへの傾斜は忠興がそうおもっているような思想的関心ではなく、キリストの肉声を最初から恋うた。キリストの生身への恋情であり、あがくようにしてキリストの肉声をより多く知ろうとした。これは忠興にはかくさねばならなかった。「天主は謙(へりくだ)る者に恩寵をあたえ給(たま)ひ、傲慢なる者には敵対し給(たま)ふ」ということばをきいたとき、傲慢なる者として、父を殺した秀吉のいまを時めく姿をおもった。彼女が復讐すべき秀吉はたれの手を待つまでもなく、キリストの敵対を受ける。この断言は儒教にも禅にもなかった。光秀の遺児である彼女としてはこの世のいかなる者――忠興をふくめて――よりもキリストを恋い奉るのは当然であろう。(224p-225p)

★たまはつねに、「罪は私にある」といった。自分がもし他の容貌をもった自分であったとすれば忠興はああも物狂いにならず、忠興によって殺された多くの男女もその悲運を見ずに済み、彼女自身もこのような苛酷な運命のなかに身を置かずとも済んだにちがいない。罪は、この容姿にある。戦陣の忠興から、彼女をよろこばせるための品がしばしばとどけられた。そのなかに、忠興が博多から送らせたらしい南蛮製の胡桃割りと珍陀酒(葡萄酒)一瓶があった。……たまの体質は、つねに多少の酒を欲した。……ある夕、その珍陀酒の少量を、ぎやまんにそそいだ。かたわらにお霜という近江生まれの侍女がいる。お霜が胡桃を割る、たまはそれを掌でうけては、童女のような夢中さで食べた。……この夜、たまは激しく腹痛し、夜半になると忍ぶ力も失せ、わずかにうめいた。……医師は、病因は、――食い合わせでござりまする。と、診断した。医師にいわせると、胡桃に酒は食いあわせであるという。……たまは仰臥している。「ちがう」といった。食いあわせは胡桃と酒ではない、といった。そのあとなにもいわず、ながい沈黙のあと、やがて激しく落涙した。――なにをおっしゃろうとしているのか。と、小侍従は推測しかね、衾(しとね)のはしをおさえてうろたえるばかりであったが、その後、数日経って小侍従は覚った。細川越中守忠興と明智伽羅奢の縁がそもそも食いあわせであった、ということをこの女あるじは、声をかぎりに叫びたかったのではあるまいか。……たまが地獄からのがれるには忠興の妻であることから昇華して天主(でうす)を唯一のあるじとして仕えまつる以外に救いはなく、その道をたまのためにひらくことができた自分を、神に感謝した。(233p-237p)

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