2025年7月21日月曜日

『老後とピアノ』

 『老後とピアノ』(稲垣えみ子 ポプラ社、2022年第1刷)を読んで大いに刺戟を受ける。著者は「老人」といっても60歳とまだ若い。ピアノは正式に習っていない。が、ピアノをフルートに置き換えて本を読んだ。たまたま自分自身のこの1曲としてショパンのノクターン遺作21番を吹いている。そのこともあって興味をもって読んだ。以下は気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ショパンは好きです、と先生。……ちなみに先生がショパンを好きなのは、「故郷を思う哀しみがあるところ」だという。確かにショパンの本質は哀しみかもしれない。だから多くの人に「私のショパン」ってものが存在するのだ。誰の心にも哀しみがあるからね。(56p)

★楽器を弾くということは、やってみればわかるけれど、それは人生の永遠のトモダチを得たということである、たとえいまの暮らしがどんなにイマイチだったとしても、世の中のあらゆることが敵に見えたとしても、生きていて大丈夫なんだ。だって世の中はこんなにも美しいのだからと思わせてくれる魔法である。ピアノを弾く人が一人でも増えたなら、世の中はもっと平和に、楽しく、イキイキとするような気がするのである。(238p)

★それより何より、今日、たとえほんのわずかでも「美しく」弾けたなら「良かった」と思えばそれでいいではないか。そうだよ「先」がないのが人生後半戦なのである。ならば「先」などないと思って行動すれば良いのではないだろうか。先ではなくて、「今ここ」に集中するのだ。これは画期的な発想の転換であった。(254p)

★若者は目標を高く持ち、そこに向かって進んでいけばよし。でも老人は違う。遠くに目標は持たず、今目の前にあるミクロのことに全力をかける。野望を持たず、今を楽しむ。自分を信じて。今を遊ぶ。そこの思いもよらない美しいものが現れるのである。それをただただ楽しめば良いのではないだろうか。老人は今にすべてをかけるのだ。(256p-257p)

★「で、このカフェのピアノで40年ぶりのレッスンを受けて、その様子を連載するってのはどうでしょう?」「原稿料は先生へのレッスン代とピアノ使用料に充てて頂くということで」「なので会長コネで先生を紹介してもらえたら……」……ところが会長は間髪入れず「そりゃいい、ぜひやりましょう!」とおっしゃるではないか。「実は、このピアノは私が持ち込んだんです」。……かくして私はピアノも持っていないのに、ちゃっかり「タダ」でピアノを習うことになった。それだけではない。先生として紹介していただいたのはまさかのプロのピアニスト!(261p エピローグ)

 追記:著者と雑誌「ショパン」のハンナ会長はブックカフェで顔を合わせるうち、話をするようになる。会長は著者に「ショパン」に記事を書くようにと要請。そしてこの本の執筆へと至る。ピアノの先生である米津真浩は日本や外国のピアノコンクールで入賞している。

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