2025年6月1日日曜日

『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)

  清々しい一日が始まる。近いうち奈良へ行くので気になるのはお天気のことばかり。幸い大雨にはならないようだ。遊びに行くには何よりも天気!?

 以下は『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)(司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★万吉はこのところ、なにをするあてもなく裏縁の陽溜まりに端居して、なんのふぜいもないこの梅の木をながめている。きょうもそうだった。「おれの俄もおわったな」と思うことが、しきりだった。人の世は一場の即興芝居(にわか)のようなものだ、と思っている万吉は、思いがついそこに落ちつく。まだ二十代の若さで、終わったなどと諦めをきめこむのはどうかしているかもしれないが、どこからみてもそうとしか思われない。「人間、なにがむずかしいといっても、二つの時代に生きるほどむずかしいことはないと思うのだ。前時代には、存分に生きた。徳川時代には徳川時代なりのおもしろさがあった。諸制度が厳然と整備しているようで、そのくせ大きな隙間がある。たとえばこの人口六十万人の大坂で、行政と司法をつかさどる奉行所の役人は二百人内外である。(博奕もできたわな)と思うのだ。しかしこれらの時勢は、どうもそういうぐあには行けそうにないと万吉は想像するのである。……(博奕屋はやめよう)とも、いまは思っている。否々、やろうにもどうしようにも、賭場というものが新政府の厳命でぴたっと市中でなくなってしまったのである。……万吉はこの道をつづけて行きたい気持ちがおこらない。(312p-313p)

★「けったいなお人やな」といって、その磯野小右衛門が万吉の馬鹿浪費を忠告したことがある。相場はつねに儲かるものではなく一度暴落(がらく)がくればこの世に身を置けぬほどの借財を背負うことがある。そういう場合貯財がなければどうにもならぬ、というと、「首をくくって死んだらええやろ」と、万吉は相手にならなかった。どうせ人間の一生は一場の俄だと思っているこの男は、面白おかしく生きることしかあたまにないらしい。(460p-461p)

★五十を過ぎたこんにち、もう今日が最後やろ、と万吉はいうのである。軽口屋はその翌年に死んだ。「おまえの俄も済んだか、おれもじきに往くでえ」と万吉は軽口屋の危篤の枕頭でいったが、ところがこの男の体が頑健すぎているのか一向に衰えず、明治もおわり、大正のなかばになってやっと人並みに死を迎えた。九十に近かった。むろん、辞世も遺言もない。「ほなら、往てくるでえ」というのが、この男の最後の言葉だった。駅から汽車が出てゆくような、そんな陽気さだった。(492p)

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