2025年5月16日金曜日

佐賀の旅その2

  2025年5月13日(火)と14日(水)の2日間、佐賀に出かけた。広島駅を9時半発のさくら545号に乗車し新鳥栖駅に10時50分に到着。ここから在来線のJR長崎本線10時57分発に乗り換えて11時8分、吉野ケ里歴史公園駅で下車する。

 1日目 2025年5月13日(火)吉野ケ里遺跡歴史公園

 吉野ケ里歴史公園駅はしゃれた駅で車両もしゃれていた。広島では見られない円形の手すりがついていた。

しゃれた吉野ケ里歴史公園駅

初めて見た円形の手すり
 吉野ケ里歴史公園駅から徒歩で15分くらい行くと吉野ケ里遺跡歴史公園に着く。道中、辺りを見渡すと一面麦畑が広がる。麦の種類によって麦畑の色も違うとか。また公園までの道に見える家はどの家も立派だ。これらの大きな家は吉野ケ里御殿というそうだ。遺跡発掘で元の住民は土地を離れる。その際の莫大な収入が御殿を生んだのかもしれない。これは公園内の係から聞いて知った。

吉野ケ里歴史公園駅から吉野ヶ里公園に続く道

途中、辺り一面麦畑が広がる

 吉野ケ里遺跡公園東口ゲートに着いた。が、道中、観光客らしき人は2,3人くらいしか出会わなかった。まずはリュックをロッカーに入れて歩き出す。入場券はシニア200円でその確認はない。決して若くは見えない顔を見て判断された!?広い公園に入るとどこをどう歩けばよいかさっぱりわからない。東京ドーム25個分の広さがあるらしく園内のマップを手にして歩を進める。園内は無料バスが通っている。係からそのバスで3番地点まで行き、そこから観光しながら歩いて下るとよいと教えてもらう。

 3番地点で下車するも北墳丘墓はさてどこ?と迷う。ふと見ると標識板がある。これを頼りに歩くと建物が見えた。この中に北墳丘墓がある。中に入ると西安で見た兵馬俑に似た作りになっている。といっても兵馬俑はこの何倍も大きい。北墳丘墓の展示物はすべて実物と館内の映像で知った。

 北墳丘墓には約2100年前の歴代の王などが埋葬された特別な墓のようだ。墳丘の中からは14基の甕棺が出土し青銅の剣などが副葬されていた。
北墳丘墓入り口
 
北墳丘墓 展示物はすべて実物
 北墳丘墓から中のムラをぬけて北内郭に向かう。向かうといってもとにかく広すぎる。北内郭に着くと昔の服装と麦わら帽子をかぶった係がおられた。その人曰く「北内郭」と「南内郭」は是非とも行くように、と。そして北内郭の3階に上がると祭事の様子が人形で模してあった。
中のムラ

緑豊かな公園内を地図を片手に歩いて移動する

北内郭 吉野ケ里遺跡の中でもっとも神聖な場所
祭事の様子を模している

ヒメアザミ
 広い緑豊かな園内を歩くといろんな花が咲いていた。スマホで植物名を調べるとヒメアザミやヒメスイバなども咲いている。遺跡もいいがこういった広々としたところが好きだ。係の人曰く、秋もまたいいですよ、と。
南内郭
 以前、遺跡発掘が承認されたのち、今の上皇后夫妻は南内郭を訪れた。当時は南内郭だけが整備されていたそうだ。今、南内郭の一部は工事真っ最中。
南内郭の広場 一番奥の建物は工事真っ最中

南内郭の物見櫓と王たちの家 
物見櫓に上がると吉野ケ里が見渡せた
 南内郭を観光後、展示室に入る。ここで一休も兼ねる。さらに進んで歴史公園センターの出口をぬけてレストランに入る。この日のお昼は係の許可をとって持参したツナサンドを北内郭のベンチに座って食べた。が、午後3時過ぎともなるとお腹もすいてくる。レストランのカフェで「吉野ケ里はちみつで食べるパンケーキ(コーヒー付き)」をいただいて一休みする。これは950円。カフェからは公園に入る一帯が目に入る。
吉野ケ里遺跡公園東口出口のゲート 
白い屋根の下はレストランやお土産店などがある

車窓から見えるのは一面麦畑
 この日の気温は27度と暑かった。吉野ケ里歴公園駅まで戻りJR長崎本線に乗って佐賀駅まで乗車。今夜の宿はグランデ葉隠。佐賀駅に着くと翌日の観光案内のパンフをもらいに観光案内所に入る。親切な人で広島のエディオンスタジアムまでサッカーを見に行ったという。

 宿のグランデ葉隠の由来は佐嘉の鍋島藩と関係があるようだ。今回のホテルも感じがよかった。夕飯はホテルでいただく。いつものごとく生ビールで一人乾杯!今回もコース料理でどれも美味しくいただく。この日の万歩計は11769歩。

 この続きはまた後日!
道中の道案内
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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