2018年12月、大連に出かけ、そのときの参加者の話で目覚めた司馬遼太郎の本。あれから早いもので丸6年半が過ぎ去ろうとしている。『坂の上の雲』を読み始めてから自分のライフワークとして司馬遼太郎の全作品を読もうと思った。そう決心して以来、ほぼ毎日のように司馬作品を読んでいる。それまではエッセイ本を読んでいた。が、司馬遼太郎の作品を読み始めるとエッセイ本を図書館で借りて読むも以前ほどの感動がない。小説とエッセイを比べるのは野暮かもしれない。が、それにしても……と思えてくる。
司馬作品をすべて読み終えるまで自分の命が続きますようにと願って(?)、というかその思いが強いのでまだまだ元気でいなくてはいけない。いくら年齢を重ねても新たなことにハマるもの、との思いを巡らす。
以下は『俄ー浪華遊侠伝ー』(上)(司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷)から気になる箇所を記した。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★年の瀬や 水の流れと人の身は という江戸の俳人其角の句が、そのころ大阪で大いにもてはやされ、「俄(にわか)」などの芸人がよくサワリについた。左様、この俄。ニワカとよむ。二輪加(にわか)と書いたりする。路上などでやる即興喜劇のことだ。この小説にそういう奇妙な題名をつけたのは、この小説の主人公が晩年、小林佐左兵衛と名乗って日本一の侠客、といわれるようになったころ、自分の一生をふりかえって、「わが一生は、一場の俄のようなものだ」といった言葉からとっている。読者はこの男のやることなすことに、一場一席の「俄」を感じてもらえれば。筆者の主題は大いにつらぬき通せることになる。(9p-10p)
★庵寺とは尼の寺である。比丘尼(びくに)(尼)というものはふつう、比丘(男僧)とちがって寺領や檀家のある寺に住みにくい。たいていは庵を建てて信徒で食ってゆく。この家はそういう町尼が、建てたのであろう。(118p)
★万吉はいう。「知己の恩というものがある」むずかしい漢語をつかった。なにしろ遊侠の徒ながらへたな漢語もつくれるという能力はある。一柳藩も、万吉の市井の勢力にあわせてそういう教養を勘考したければこそ、こうして頼みにきたのであろう。「士はおのれを知る者のために死す、ということがごわります。この言葉一つでわたいは生きてきたし、この先も生きてゆく。お請けしたい」「ご承知くださるか」「四日、待ってくだはりまするか。四日目にお蔵屋敷に出むいて確(しか)としたご返事をつかまつります。お受けする以上、明石屋万吉の命は一柳様の御自由におなしくだはれ」そう返事して、その日の夕方の船で。天満八軒家の川港から、京へのぼった。新選組を訪ねるためである。(331p)
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