2011年8月9日火曜日

『二十一世紀の大国 中国を読む「新語」』

莫邦富の『二十一世紀の大国 中国を読む「新語」』(日本放送出版協会、2007年)を読んだ。

本書は『NHKテレビ中国語会話』の2002年から2006年までの5年間の内容をまとめたものである。中国語会話から遠ざかっているモノにとって中国語の「新語」は疎くなる。そういう意味ではこの本を通じて現代の中国も理解できる。

この本のタイトルの前半部分は気に入らない。だがそれも仕方ない。著者はそこら辺りを「日本の方々に、この現実を正視し、アジアの二強時代を受け入れる心構えをするよう呼びかけている」(11P)のだから。その反面「一人当たりGDPでは、中国は依然として日本の二〇分の一弱に過ぎない。…特に教育や福利厚生、文学、芸術、音楽、環境保護、省エネルギーなど国のソフトパワーにおいては、日本はこれからも中国の模範となる分野が数え切れないほどにある。」(11P)と述べる。

そのうえでこれからの日中関係を「日本は台頭する中国を素直に受け入れ、中国は近代化の道を先行する日本に対して依然として謙虚に学ぶ姿勢を崩さないこと。」(11P)が新たな課題であるとする。

以下、この本の中の中国語の「新語」の気になる部分を記したい。

軟実力 (ソフトパワー)

今世紀半ばに中国はアジアのナンバーワンになるかについて著者は否定的である。すなわち高層ビルなど  の眼で確認できるハードパワー2020年くらいまでにアジア屈指の国力を擁するかもしれない。だが「世界の人々から心から敬意をもたれるようにするには、ハードパワーだけでなく、ソフトパワーも必要だ。」(41P)という。その例として「中国にいる間は、メールの送受信以外には余りインターネットを利用しなくなった。外国のサイトのアクセスを遮断されている場合が多い」(42P)というのである。そしてソフトパワーについて「中国が自信をもつ国になるまでには、まだまだ長くて遠い道のりがある。」(44P)と認めている。

これについては最近の高速鉄道の事故を見てもよくわかる。情報開示はされずどこまで国の政策を信じて良 いのかわからないのが庶民の本音だろう。また庶民はそれさえも自由に発言できない国だから…。

同志 (同性愛者)

これには驚くばかりである。同志は中国に何度も行っていたときは「何々さん」の呼称であった。それが時 代の変化とともに…。(48p)

家庭教会 (非公認のキリスト教地下教会)

中国政府が認定したキリスト教の宗教団体“三自愛国運動委員会”に参加せず、政府に届け出も出していな いキリスト教組織のこと。(58P)著者は毛沢東思想が威力を失った中国で、人々が求めた新たな心の支えと か。「宗教問題は中国の人権、信仰の自由などの問題と絡み、これからの中国にとって大きな課題となるであろう。」(59P)と著者はいう。

共産主義中国でキリスト教が存在し、信者も増えていると知ったのは社会人大学生の院生時代、哲学のゼミ であった。20名足らずのその講座の大半は中国からの留学生でトルコ人1名と日本人が数名であったように 思う。中国人の口から宗教、ましてやキリスト教の信者が増えていると知ったときは驚いた。自由がない国 だからこそヤミ組織の教会という意味なのだろう。

網管 (インターネット管理)

中国政府は個人がブログ(博客Bo ke)を開設する際に実名での登録を義務づける措置を…と新聞で報じられたとか。これらのことは、中国当局によるメディアなど言論に対する締め付け、そしてブログを経由した市民の匿名情報発信への規制と見る、と著者はいう。どう見ても言論の自由は保障されてる社会とは思えない。

弱勢群体 (低所得者層)

2003年の「全人代」で当時の朱鎔基首相が行った政府工作報告の中に引用された言葉であるという。この言葉の使用が広がる一方の所得格差の問題を正視し、その解決へ向けて中国政府がその新たな一歩を踏み出したと著者はいう。(97-99P)

首問制 (たらい回し厳禁)

召回  (リコール)

出境遊 (海外旅行)

海外旅行を認めないと密航者が合法的な観光客を装って日本やヨーロッパなどの国々に入って来る心配があ ると著者はいう。(235P)だから中国人が日本へ観光に来るようになったというのだろうか。

9年前まで中国へ何度も旅行した。何といっても日本の25倍も大きい国。何回行っても全部回りきれる国でない。中国の東北方面やアモイ、クチャ方面のシルクロードなどまだまだ行きたい場所は多い。それなのに年々嫌になる面が出てくる。それは中国の風土とは関係ないことだが…。

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