2020年12月30日水曜日

昨日の補足

  昨日の補足として中村哲の生涯と関係ある人物がいた。それは火野葦平(本名は玉井勝則)。中村の母方の祖父は玉井姓を名乗る玉井家。その息子に火野葦平がいた。中村の母と火野は兄弟になる。中村は小さいころ、よく祖父の家に出かけていた。福岡の若松は港湾都市。当時、いろんな人たちが全国から若松に集まってきた。祖父は身を起してそれらを束ねる仕事をして成功する。だが、決して人を見下さず、どの人もみな同じように接したそうだ。

 中村の母はそんな父を見て育つ。母の兄弟である火野葦平はあるとき自ら命を絶つ。世の不条理を感じて育った中村は小説家になろうと思った。だが、それはいつでも書けると思い、医師を志す。その後は昨日のブログに続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 そして、新たな年も元気で楽しく過ごせることを願って……。

 どうぞ、よいお年をお迎えください!

2020年12月29日火曜日

「良心を束ねて河となす 〜医師・中村哲 73年の軌跡〜」 を見る

 昨夜はNHK・BS1スペシャル「良心を束ねて河となす 〜医師・中村哲 73年の軌跡〜」を見た。ニュースをはさんで2時間の番組だ。番組冒頭は中村の不幸から始まる。ちょうど1年前に凶弾に倒れた中村は自分と同時代を生きている。アフガニスタンで井戸を掘った人、とのあいまいな思いのままに見ていると思い違いも甚だしいと気づく。番組HPによると以下のようだ。

★2019年12月、アフガニスタンで銃撃により命を落とした医師・中村哲。長年、戦乱が続く地での医療活動に、飢餓を救うための用水路建設に奔走した中村の生涯に迫る。 中村は、戦乱が続くアフガニスタンで活動を続け、医療体制を整備。さらに、用水路の建設で荒れ果てた土地を恵み豊かな大地へと変え、65万人分の食料生産を可能にした。九州福岡出身。元々精神科医師だった中村が、なぜアフガニスタンに傾注していったのか。そこには、どんな思いがあったのか。番組は、生い立ちや仕事を知る20人余りにインタビュー。様々な活動を記録した貴重な映像と共に、医師・中村哲の足跡を振り返る。

 土木とは全く関係ない人が用水路建設に携わるようになると図面の設計から学び始める。最初は山好きが昂じて募集のあったヒマラヤ高山の医療従事者として応募する。医療も専門の精神科医以外に幅が広がり、ついには外科手術を学んで施し始める。さらには医療だけでは困難を極める人々の助けにならないと思いに至る。それには水が必要だった。

 20年くらい前にアフガニスタンを襲った大旱魃。そこで一念発起して大河を流れる水を用水路に引こうとする。それには用水路建設が必要だった。用水路には堰が必要と考え、直線の堰を作る。ついに用水路は完成した。が、10年後に襲った大洪水でせっかく作った用水路が破壊される。そのころ10歳になる次男の脳腫瘍発覚。人にはそのことを知らせず用水路建設にかける。大洪水になっても壊れない用水路を作ろうと故郷の筑後川を流れる山田堰の用水路を5日間かけてじっと見つめる。そのとき堰は直線ではなくカーブであると気づく。

 日本の土木技師も建設に加わるが日本の専門家であっても堰をカーブにすることは学ばなかったという。次男の病気を気にかけながらもアフガニタンに戻る。戻ってすぐに堰をカーブにすると大きな石も大河に流されなくなった。こうして堰が完成。長い用水路に水が流れ、肥沃な大地は水田地帯となる。これにより65万人の人々の命が救われている。

 用水路建設までにたどった道のりは遠い。一つ一つの困難を乗り越えていく様子は涙なくしては見られない。先日の辻井伸行の番組もそうだが、この番組は2時間の間ずっと涙があふれ出た。コロナ禍で半ば感情をなくした生活だった。が、番組を見てやっと感情を取り戻せた気がする。

 今、アフガニスタンの地に中村を称える大きな碑が建っている。脳腫瘍でなくなった次男に約束した用水路建設。中村は次男に誓った。いつか俺もそちらへ行くから待ってろ、と。それにしてもこの番組のタイトル「良心を束ねて河となす 」はなんと素晴らしいネーミングなのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月28日月曜日

年の瀬

 地元紙掲載の12月の「哲代おばあちゃん100歳今日も好日」を読んだ。お正月の準備として黒豆を煮たり、年賀状を30枚ほど書いたりと100歳とは思えない行動力だ。近年、年を取ると年賀状をやめる人がいる。哲代さんは年賀状を書いてくる人が来年はやめる、とあると寂しくなるそうだ。

 今のところ、まだそういうことはないが、話の最中に来年からは〇歳になったので出すのをやめる、という人はいた。わざわざ人からそう告げられることもないと思うとおのずからそういう人から離れてゆく。

 哲代さんは黒豆を苦労豆、と言い表す。黒豆の豆が「マメ」に通じる意味からお正月の縁起物とばかり思っていた。ネットで調べると丹波黒豆のHPに以下のようにある。

★黒豆はお正月のおせち料理の定番ですが、これは黒豆が栄養価の高い健康食品であるのと「マメに働く」という言葉に掛けた縁起物の意味があります。地元では黒豆を指して「くろう(苦労)まめ」とも呼ばれます。

 哲代さんの話のようにまさに黒豆は苦労豆とある。お正月は平日と何ら変わりない生活だが、黒豆だけは毎年のように煮ている。一昨日から昨日にかけて一袋黒豆を煮てささやかなお正月の準備となった。丹波の黒豆は高級品で北海道黒豆と比べても3,4倍の価格差がある。北海道産黒豆1袋280g購入して煮ると鍋いっぱいの量になる。お正月に食べきれないと思ってネットで調べると冷凍で1か月保存できるとある。早速、保存袋3袋に小分けして2袋を冷凍保存した。これで来年もマメに生きられそうだ。

 ほかにも地元紙を読むとこの時季として写真の整理がある。昨年から今年にかけて写真の整理をした。アルバムの写真をすべて取りはずすだけでも手間がかかる。今朝の新聞ではこれを「宝物、迷う、手放す」の3つに分類することをすすめる。自分では手放すと保存の2つに分類し、手放すはゴミとして出した。残るは保存分しかない。が、これがまだまだ大量にある。これをさらに宝物と迷うに分けることにしよう。将来的には「宝物」として保存した写真だけを手元に残すことにして……。

 日本画の先生から市の指令を受けてなのか、来月の日本画教室は取りやめとのメールが入る。年末年始、暇になる。再度、写真の整理をするのもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月27日日曜日

「辻井伸行 世界音楽紀行シリーズ~10年の軌跡、そして未来へ~」を見る

 昨夜は「辻井伸行 世界音楽紀行シリーズ~10年の軌跡、そして未来へ~」を見る。これまでの集大成らしく、3時間の長い番組だった。訪れた世界各国の音楽家たちとの共演は涙して見る。ガーシュイン作曲の「サマータイム」は訪れた先の音楽家たちの演奏を聴いて音を理解し、途中から即興でピアノ演奏に加わる。即興で弾く辻井のピアノは哀愁が漂う。ピアノでジャズなどを即興で弾くのが好きらしい。パリで過ごしたショパンの家を訪れる場面、アシュケナージの家から漏れ聞こえるピアノ演奏、ドイツのベートーベンの家ではベートーベン愛用のピアノを特別に触らせてもらっていた。ここで弾いた「月光ソナタ」は心揺さぶられる。

 そしてベトナムの民族音楽家が奏でる「それでも、生きてゆく」の演奏には感動するばかり。ベトナムの人たちの演奏のお礼として辻井がピアノ独奏でこの曲を奏でる。演奏途中からベトナムの人たちも加わって演奏が続く。この場面は特に心打たれた。多分、辻井作曲のこの曲が人々の郷愁を誘うのかもしれない。

 番組を見ながらコロナ禍で遠のいていた旅への気持ちが再燃する。そして、まだまだぼやぼやしておれないと再認識する。テレビを見て感動するとなぜか言われぬ元気が湧いてくる。来年春に切れるパスポート。コロナ禍で海外旅行は無理、との気持ちも薄らぐ。行く、行かないはどうであれ、来春にはパスポートの更新をしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は番組HPからの引用。

★「音楽のチカラは世界を繋ぐ」をテーマに、ピアニスト辻井伸行とこれまで世界各国を旅してきた。……辻井の旅は、2011年のトルコから始まった。「西洋と東洋が出会う国」と呼ばれるトルコの民族音楽に、当時23歳だった辻井からは笑顔がこぼれる。そして、鬼才 ファジル・サイとの交流に大きな刺激を受け、トルコの観衆の前で披露した『トルコ行進曲』。
 あれから9年。新型コロナウイルスによって世界中が大きな困難に直面した2020年に、32歳となった辻井が、トルコ行進曲を改めて演奏する。そのほか、コロナ禍で作曲した新曲『笑顔で会える日のために』や、数々の自作曲を観客のいないコンサートホールから贈る。さらに、これまでの旅で出合った美しい自然やたくさんの人との出会いを振り返り、辻井が即興でオリジナル曲を披露!この番組のためだけに辻井が用意したのは全8曲。“今だからこそ伝えたい想い”を指先に込め音を奏でる。10年の軌跡へ想いを込めた“音色”は、過去ではなく未来へ希望の光を照らす。

2020年12月26日土曜日

図書館の休館延長

  2020年はコロナで始まりコロナで終わる年となった。これも今年で終わればいいのだが、まだまだ終わりそうにない。来年も尾を引きそうだ。昨日、広島県では141人の新規感染者が出た。これは過去最多。このため新年3日までの市立の管理団体休館は17日まで延長した。個人的に一番困るのは図書館の休館。2冊借りている本の『馬上少年過る』を昨日読み終えて残るは『幕末』の1冊となった。これも17日までには読み終えそうだ。

 家の本棚から、これまで買って読んでない本を探す。森本哲郎の『日本民族のふるさとを求めて』がある。タイトル通り、日本民族のふるさとを探して世界各国に旅する本だ。次に手にしたのが竹内好訳、魯迅著の『故事新編』。魯迅の本は楽に読める本ではないが、年末年始の暇つぶしに読むにはちょうどいいかもしれない。

 コロナがこれほどの感染力を強めると家の近場をうろつく程度で、初詣も怪しくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月24日木曜日

「英雄児」<『馬上少年過ぐ』収録>

 久しぶりにシトシトと雨が降る。用事もないのに毎日自転車に乗ってスーパーに出かけている。出かけたからにはと些細なモノでも買って帰る。というか自転車に乗って家から出るのを運動と思ってやっている。ところが今朝は雨。じっと家にいる日となりそうだ。

 こんな日は司馬作品を読むに限る。図書館がコロナ禍で急遽閉館となった。借りて帰った本は司馬遼太郎の『馬上少年過ぐ』と『幕末』。どちらも短編を収録している。これまで何十冊と読んだ司馬作品はいずれも長編小説だった。そのためか短編を読むと何か物足りなさがある。これも図書館が開館となる日までは仕方ないのかもしれない。

 以下は『馬上少年過ぐ』に収められた「英雄児」<『馬上少年過ぐ』(司馬遼太郎 新潮社平成二十四年第78刷)収録>の中から気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★この男(河井継之助)の学問観は、学問とは自分の行動の力になるものでなければならない、というものであった。……「学問とは自分の実践力を拡大するものであるべきだ」といった。詩文や古典の些末な解釈などはなにもならない、というのである。

 天保ノ乱の大塩平八郎とおなじ思想の「陽明学」の行動主義に心酔しているようであった。当時の官学である朱子学は、まず理を窮めてから行動する、というもので、自然、行動よりも知識偏重になっていたが、王陽明の儒教は、知ることと行うこととはおなじであるとしている。行動的なエネルギーをもった知識であらねばならず、その行動の主体である自分を作るのが学問であるとしていた。13-14p

2020年12月23日水曜日

カレンダー

  年々カレンダーの数が減ってきた。長年、届けてくれた業者のカレンダーが今年の暮れは郵便受けに入らない。姉夫婦の紹介で家のメンテをお願いしていた業者だ。姉によるとこの業者は事業をやめられたとか。来年のカレンダーは新聞とともに入る新聞社のカレンダーだけ?と思っていた。昨日、家の近くの電気店のカレンダーが初めて郵便受けに入れてある。

 デジタル化の時代といっても紙のカレンダーは一目見て行事がわかる便利さがある。今年は年初に出かけたミャンマーでお土産に買った畳3分の1の大きいものを利用した。だが、新年は昨日届いた電気店のカレンダーを利用することになる。いずれカレンダーも廃れていくのだろうか。

 カレンダーと言って思い出す。これまた年々、祝日がわからなくなってきた。長年生きていても祝日がさて何の日、と思う日がある。天皇が代わったり、新たな祝日もその年によって変化する。以前だったら成人式、体育の日、と日にちが固定されていた。ところがそれもいつの間にか変化する。また、祝日の呼称もこれは何の日、と思うような呼び方もある。ぼやぼやしていたらカレンダー一つをとっても取り残されそうだ。

 今年もいよいよという感じになった。コロナで始まりコロナで終わりそうなこの一年はパッとしない年である。1月初めに出かけたミャンマーの旅と10月下旬から12月初めにかけてGO TOを利用した7回の旅がせめてもの救いとなる。だが、これも慌ただしい日程でさてどこへ行った?というありさまだ。来年はコロナ禍が収束して、いつもと同じように誰もが安心して生き生きと暮らせる年になるといい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!