2013年7月31日水曜日

リュウゼツランを見に行く


瀬野川の傍にある昭和公園に咲くリュウゼツラン
昨日お昼、買い物に行くため自転車で小学校の校門前を通っていると、男児が一人網を持ってセミを捕まえようとしている。立ち止まって話を聞くとすでに1匹籠にいる。買い物から帰るときもまだセミを追っかけている。元気な小2の僕に「偉いね!」と励ましてわかれる。

夕方、庭の植木に水をやっていると小2の男女が通り過ぎる。レモンの木にセミの抜け殻を見つけた。「見て、見て!」というと庭に入ってくる。女児の方がセミを手で捕まえる。思わず「すごい!」と褒めると男児も負けずに「僕も捕まえられるよ」。2人はその後、サッカーの練習に行くという。

朝から小2の子供たち3人と話をする。どの子もかわいい! 小2といえば姪の3人の子供の真ん中は小2の女児。3人なので遊び相手に不自由しないと姪。だが、昨日の子供たちもそれぞれ楽しそうに遊んでいる。子供が外で遊ばなくなった、と巷でよく言われるけどそうでもない。

元気な子供たちに負けまいと夕食前に、先日の地元紙に掲載されたリュウゼツランを見に自転車で出かける。夕方といってもまだ太陽は燦燦と輝いている。ただ、運動不足もあるので見に行くことにする。だが、場所がはっきりしない。

毎年見に行く桜の咲いている瀬野川辺りまで行くと近くのマンションの管理人が外で水を撒いている。その人に場所を聞くと、川沿いをまっすぐ行けば昭和公園に行き着くという。 しばし自転車で行くと公園らしきところに着いた。川沿いを公園にしている。 

桜の木の横で天まで届く高さに伸びた花を見つける。花というよりも木の感じ。「これだ!」、と思い携帯で写真に収める。だが、太陽が逆光ではいる。山側に目をやって写真に収める。どうにか写せた。

それにしてもリュウゼツランは何と背丈が高い花だろう。辞書を見ると7,8メートルの高さらしい。葉はテキーラの材料になるとか。テキーラは飲んだことがない。まるで大きなサボテンの感がする。 いずれにしてもたった1本、誰が植えたのだろうか。桜の木に負けず、大きく育っている。

写真を写していると、親子連れがこれまたセミを追いかけている。その子も小2の男児で母親とその姉と一緒だった。 籠を見るとヤモリとセミを入れている。「僕は大きくなったら生物学者じゃ。長沼毅の弟子になれるよ!」と励ますと僕は何度もその先生の名前を口にする。だがどうしても「沼」がいえない。とうとう手にしていた紙をだして「お母さんが鉛筆を持ってるから、この紙に書いてもらおう!」と母親に駆け寄っていく。

ちょっと外へ飛び出すと昨日のようにいろんな子供たちとも出くわす。楽しい!家に帰るとすぐにシャワーを浴びて夕飯にする。

さあ今日も元気を出して行動開始!頑張ろう!

2013年7月30日火曜日

「クラシックの夕べ」を聴く

昨夜は「クラシックの夕べ」を聞きに行く。このコンサートは音楽を通じて平和のハーモニーが世界平和の架け橋となるよう広島から世界へのコミュニティの輪を広げていくことを目的としている。演奏場所は旧広島郵便貯金会館ホール。7月27日から8月5日まで開催される。5日の「平和の夕べ」コンサートも聴きに行く予定。

昨夜はクラシックと銘打ってあるものの、貰ったプログラムにはロックの“シカゴ”の元メンバーでリード・ボーカルのピーター・セテラの掲載がある。これまでロックはテレビなどでしか見たことがない。ところが、テレビで見るロックの人たちとはまるで異なる。「クラッシクの夕べ」に負けず劣らず何と気品あるグループだろう。ピーター・セテラがソロとなって彼の率いるバンドで登場し、広島交響楽団とロックのリズムを奏でる。背広とドレスのメンバーたち。シカゴ、と言う名前は知っていた。それにしても素晴らしい。

演奏は3部に分かれ、第1部は佐藤しのぶの「我が母の教え給し歌」ほか1曲を歌う。指揮者の現田茂夫は佐藤の夫だとか。初めて知る。次は天満敦子のヴァイオリン。相変わらず「望郷のバラード」は欠かせない。これまでこれを4度聴く。だが 、楽団とのジョイントは初めて。いつもピアノ伴奏で聴く。ほか1曲も演奏。そして秋川雅史はなんといっても「千の風になって」。さすがに迫力がある。1曲歌うだけで汗びっしょりとか。ほか1曲と佐藤しのぶとのデュエットもある。その曲はエルガーの「威風堂々」。

第2部は先ほどのセテラの希望で27日についで昨夜、広響のクラシックとともにロックバンドを演奏。いずれのジャンルの音楽もいいモノはなんといってもいい!素晴らしかった。

第3部はブーニン登場。やっぱりブーニンはブーニン。他の人とは違ったオーラがある。いつか聞きたいと思っていた人。シューマンを弾く。これでシューマンの集大成になるとか。素晴らしい。オペラグラスで見ていたけど、指先の動きが繊細!?よくわからないけどやっぱり素晴らしい! 途中、ハンカチを出して顔や指まで汗を拭いている。

昨夜の演奏者達はさすがに第一線で活躍している人たち。佐藤しのぶは着ているドレスを見るだけでも一見の価値がある。さすがにオペラ歌手。

長い長い演奏会は終わった。3時間近くあっただろう。終演は午後10時前近く!?最後の演奏が終わると席を立つ。バス停にむかうと、当分バスは来ない。夜もふけてきたので仕方なく広島駅までタクシーに乗る。 それにしてもいい演奏会だった。行きと帰りにバッタリ同じ人と出会う。その人は福山から見に来たとか。家に着く頃は真夜中だろう。そう思えばすこしくらい遅くなってもどういうことはない!?それにしても遅くまで盛り上がったいい演奏会だった。 昨夜の元気の充電で今日も一日楽しく!

そうそう、女子会のNO.4さん。今朝の地元紙に掲載がありました。子供達に原爆で家を失った人々に家を提供したシュモー博士の紙芝居。

こうして未来の子供達に原爆は受け継がれて平和学習となっていく。素晴らしい! 今月末までに女子会ビアガーデン版を予定していた。だが、何といっても暑すぎる。時季を伸ばして女子会をしましょう!

2013年7月29日月曜日

神のヴァイオリン

昨日はメディアによると萩市などで「これまでに経験したことのないような大雨」が降る。線路も家も何もかも雨に寄る濁流で流されていく。TVを通してみていても本当に怖い。

スッキリしない気持ちのまま今朝はTVの「スッキリ!!」を見る。

いつも見ている古澤巌の昨日のブログ。今朝の9時半から11分間テレビ出演とある。それを忘れずに起きる。朝からテレビを見ることはない。だが、今朝は違う。生出演で“涙の流れるままに”を演奏する。それを聞いて心も「すっきり」。

何と古澤の弾くヴァイオリンは神のヴァイオリンとか。

来月末、この人の演奏を岩国まで聞きに行く。チケットは入手済み。その日を楽しみに待つことにしよう。

演奏といえば今夜は天満敦子、ブーニン、佐藤しのぶ、秋川雅史など出演の「クラシックの夕べ」を聞きに行く。この中で、天満敦子はことしでもう4年連続して聞く。佐藤しのぶも以前一度聞いたことがある。残る2人は初めて。

このチケットのSS席は12000円。購入したのは倹約してB席のチケット7000円。2階の後の席なのでオペラグラスを持参して聞きに行こう。

今日もまだ変なお天気。元気を出そう!

2013年7月28日日曜日

間隙を縫って泳ぐ

久しぶり明け方から雨が降る。最高気温も30度を超えない予報で涼しい一日となりそう。タブレットで遊びすぎの首のこりも今朝はよくなる。

昨日午後、首のこりをとるため、急遽泳ぎに出かける。土曜日の午後、小学生の水泳教室が午前と午後、2クラスずつある。その間隙を縫って泳ぎにいく。

1コースを独り占めして泳いでいると泳ぐ人も増えてくる。いつもと同じく背泳ぎとクロールで1キロ泳ぐ。5,6往復したあたりで首も楽になる。やっぱり水泳は体にいい!

途中から3人で1コースを泳ぐ。だが、3人とも泳ぎの程度がどんぐりの背比べだからか自由に泳げる。

泳ぎ終えると自宅最寄駅で近所の人に出会う。この人とは泳いだ後、必ずといっていいほどばったり会う。そう話すと「ストーカー!」だと笑っていう。

話をすると、近所の5人家族の母親が60歳代半ばで不審死し、警察沙汰になったという。5人が住んでいても家族がそれぞれ日中仕事などでいなくなると一人になる。その間の死亡らしい。幸い事件でなく心臓発作とか。

物騒な事件が毎日のようにメディアを賑わす。平穏な毎日が続きますよう祈らずにおれない。

平穏な日といえば、昨日から広島市内でワールド・ピース・コンサートが開幕。これは広島県の国際平和拠点ひろしま構想を音楽の力で進めようと、ピース・アーチ・ひろしま実行委員会の主催で行われる。

このうち明日開催されるコンサートを聞きに行く予定。なかなか地元で聴くことだができない人たちの演奏を聴くことができそう。

昨日は他にも北欧の旅で出合った人から多くの写真を送っていただく。

旅の最後の日、ブログの話をする。頂いた手紙によると旅での私とブログを投稿する私が同一人物とは思えないとか。やはり旅の間は「助けてあげたい」とその人の手紙にも書いてある。いろいろとお世話になりました。

だがこれは可笑しい!

ともあれ楽しい旅でした!ありがとうございました。近日中に写真を送ります。

さあ、元気が出たところで今日も楽しい一日にしよう!

2013年7月27日土曜日

感情の老化etc.

昨日図書館で茂木健一郎の『プレジデント』の記事を目にする。茂木は本の中で「インターネットで勉強する」ことを書いている。本気で学びたい人はネットが宝の山になるという。

その言葉につられ、書いてあるところをタブレットのネットで検索。それも度が過ぎるとよくない、と今朝は知る。

起きると首のあたりが何か変。肩がこるとか、何処が痛いとかまったくといっていいほど感じることがない。だが今朝はちょっと違う。こういうときは泳げばすぐによくなる。だが泳ぎは火曜日に予定。早く治すためにも少しだけ泳いで来ようか、迷っている。

ともあれ、なれないことをすべきでない。当分タブレットも使用頻度を控えよう。

昨日は他にも地元紙を読むと「生き生き感情 防ごう老化」と見出しがあり、「頑固さ抑え 柔軟な心で」、「趣味に熱中/積極交流/体動かし」とある。そのチェック方法として5点あげる。

・今したいことを本気で探していますか?
・自分だけの価値観とらわれてませんか?
・思いっきり泣いたり、笑ったりしていますか?
・難しいことにあえて挑戦していますか?
・古い自分を捨てられますか?

今のところ、何かをすることに億劫になることもない。また人に会うこともいやどころか積極的に外に出るし、泳いだりして体も動かしている。その意味ではまだまだ感情は老化していない!?

一昨日約20年ぶりに出会った人から声をかけられ、変わっていないと言われた。とはいってもその間、間違いなく年は重ねている。

話は変わって一昨日夜のBS「旅のチカラ」。山下洋輔がチュニジアを旅している。チュニジアについてまったく知らない。だが、チャンスがあれば出かけたいと思っている。そのチュニジア。2011年のジャスミン革命で街中には平面的な有刺鉄線でなく立体的なそれが張り巡らされている。

これには驚く。そして何処に移動する時も山下はその国の人からジャスミンの花束をもらって嗅ぎながら歩く。

いつ武力衝突が起きてもおかしくない国。その光景を見ていて怖い気もするし、反面、行くなら今、と思ったりする。ともあれ、いつか行こう!

今朝の地元紙にリュウゼツランの花の記事がある。咲いてる場所は隣町。さきほどからネットで地図を検索するがわからない。自転車で行かれる距離なので見に行きたい。さてどうしよう!

それにしても暑い!エアコンの中にばかりいるので体によくない。やっぱり泳ぎに行く!?

2013年7月26日金曜日

広島の夏はアートとコンサートで

4,5日前に写真が出てきて思い出に浸ったばかりのひろしまアジア大会。昨日、フルート定例会の待ち合わせ場所で尾道の人と話しているとずっと顔を見る人がいる。その人から「〇〇さんでしょ?」と声をかけられる。何とその人はアジア大会でボランティア通訳をしていた人だった。

なぜこの期に及んでアジア大会にこのように結びつくことになるのだろう。その人はアラビア語のボランティア通訳。中国語のボランティアでプレスセンターに詰めていたとき知り合う。今はもうアラビア語は学んでいないとか。

当時その人の娘さんが音大でフルートを学ばれていると聞く。風の便りでその娘さんはドイツの人と結婚されたとか。昨日その件を尋ねるとやはりそうだった。今では3歳の女の子がいるという。

19年前のアジア大会。当時からフルートは習っていた。そのフルートを習っている3人で昨夜はフルート定例会。その人の娘さんもフルートがご縁でドイツやスイスに滞在。なぜかその人とも不思議なご縁を感じる。携帯番号を交換して別れる。

待ち合わせ場所に行く前、日仏シャンソン協会西日本支部主催の広島パリ祭にシャンソンを聞きに行く。生徒さんたちの発表会?と思いきや、なんとも豪華な演奏会。

会場は市内中心部のホテル5階。会場に入ると宴会場の円卓に7人ずつ席に座る。テーブルを見ると各自デザートが並び、ドリンクも出される。席に着くまで、会場に入れてもらえず並んで開場を待つ。その間の暑いこと、暑いこと。

席に着くと豪華な雰囲気。いかにもパリ祭。誘ってくれた友人もシャンソンを習っていた。その人の知り合いも出演とか。

会の進行をつとめる人を知っている。だがそれは働いていた頃の話。特に挨拶はせず、シャンソンを聴く。その間、進行係兼シャンソン歌手はかいがいしく司会をされる。

真っ暗な会場にきらびやかに着飾ったセミプロの歌手たち。その顔にスポットライトを浴びて哀愁あるシャンソンを歌う。

誘ってくれた友人はシャンソンを習っていた頃、その声が明るすぎてシャンソンに向かなかったと、笑って言う。だが先生は明るさを褒めてくれたらしい。

真昼の午後のシャンソン。暗闇で聴くので時間帯を忘れそう。友人はその後の予定が詰まっている。終演前に2人で会場を去る。友人曰く「スポットライトを浴びて歌うからいい!」。

一度でいいから大げさにお化粧して着飾り、華やかにスポットライトを浴びてみたい!そう思った。どういっても無理!?

友人と分かれ、夢覚めやらぬうちフルート定例会の待ち合わせ場所に行く。だが1人の姿がなかなか見えない。しばらくしてやっと登場。

昨夜は10数年前までフルートのレッスンが終わるとよく4人で出かけていたお店に入る。そこも今では経営者も変わりお店も様変わりしている。

知人から東京スカイツリーのお土産とコンサート・チケットを頂く。ありがとう!

昨夜を除いてお盆までにクラシック・コンサートに5回行く予定。うち2回は知人やフルートの先生も出演。その話題もでる。

フルートの話は相変わらず出ないけど、尾道の人の作ってくださった全体合奏のパート別に録音されたCDを頂く。ありがとうございました!

今年の夏広島はアフィニス夏の音楽祭、ワールド・ピース・コンサートのピース・アーチひろしま、そしてアート・アーチひろしま2013が開催される。広島はさらに暑くなりそう。

楽しい一日は終わった。暑さに負けず、今日も一日元気で!

2013年7月25日木曜日

『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと。』

昨日は真昼なのに、一人で自転車に乗りひまわりを見に行く。自転車に乗ろうとしたとき知人から電話がかかる。今日の定例会の集合時間の変更だった。

定例会前にシャンソンを聞きに行く。時刻変更は慌てなくてすむので丁度よかった。

となりまちのひまわり畑を見に行くのは今年で3年目。テントの中に世話人と思われる人がいる。挨拶をすると返事がない。どうもお昼寝らしい。今年のひまわりはピークを過ぎて数えるほどしか花は見られない。一輪だけ携帯で写す。ひょろっと天まで延びている。ひまわりもこの暑さで元気がなさそう。
咲き残っていたひまわり
午後から携帯電話で写した写真を見る。その後も暇つぶしに携帯の写真を見る。母の元気がいい写真を見つける。すぐに妹に送信する。妹の返信メールには「いい顔!この頃を覚えておこう!!」。

さらに昨日は筆者に『黒い海の記憶』を読んだ感想を暑中見舞いも兼ねて郵送する。

以下はそのメモである。

『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと。』(山形孝夫 岩波書店、2013年)を読んだ。読後感は清清しい、というよりも難しい問題が解けた感じ。

そしてその難しい問題を分かりやすく説いてある。特に、パレスチナ問題は目から鱗。本当に理解しているといいのだけれど・・・。

「黒い海」とは、3.11の押し寄せる津波。東日本大震災前の『千の風になって』や震災後の『花は咲く』。この2つの曲を筆者は「近代仏教が封印してきた『死者の語り』であった」とする。そのうえで、それが封印されてきたのは「平穏な社会秩序をおびやかす呪いや亡霊の怨嗟の声とみなされたからである。」という。(はじめに)

『千の風になって』の「死者の語り」が『花は咲く』と歌い継がれる。それは生者が歌い、死者が歌う、という構図から歌うと涙があふれる。そこから見えてくるのは「生きている死者」であり、「死者の語り」である。あふれる涙は悲 しい涙でなく、ひとすじの希望の涙である。(はじめに)

ところが「生きている死者」は戦後の急激な社会変革にともなう核家族の誕生の結果、仏壇ごと消えてしまう。このような中で3.11が起こる。

筆者は小学校3年の時、母の自死に遭遇し、高校2年で洗礼を受ける。

「キリスト教への接近も、宗教人類学のような学問に足を踏み入れ、死者のクニなどという幻想にとりつかれ、こんな遠い国までやって来たのも、私の失われた記憶の中に、<母>が存在し続けていたからである、と自覚した瞬間でした。」とサハラ砂漠の涸れ谷のフィールドワーク中で死者との中にいると感じる。9~11p

そしてそれまで母のことで泣くコトを封印してきた筆者は声をあげて死者に語りかけて泣くことをエジプトの砂漠で経験する。それは「カディナティ」という徳之島の「野辺送り」の歌であり、それをしていたのだと筆者は気付く。すなわち「カディ」とは風、「ナティ」は泣くこと。そこに祈りがある。12,13p

3.11の被災地では、一人ひとりがみんなそのような言葉にはできない悲しい記憶を内に秘めて<今>を生きている。そのような人々がたくさんいる。・・・このような人々に向かって、宗教はいったい何をどのように語るのか。それが「カディナティ」だという。19p

筆者は震災後の魂の傷の恢復がどこから来るのかを問題とする。そのとき筆者はフィールドワークで砂漠の僧院に身を寄せ、そこで修道士たちに接する。その極限の中で、どのように精神と肉体のバランスの崩壊を経験するのかに関心を抱く。31p

そして魂の傷という経験を通して、神の啓示、「神の記憶」を経験する。39p

筆者は1960年代アメリカへ留学。その時、白人の教会が黒人の数が増えるにつれてダウンタウンから郊外に逃げ出していく。それを見た経験からキリスト教は弱者の味方であることを口では標榜しながら、一方において貧富の差の拡大するままに、弱者を切り捨てる宗教に変質してしまっているのではないかとの思いに至る。だとすると白人の神学者が書いた書物だけでキリスト教を学ぶコトへの疑問を抱いていく。52p

そう感じた筆者はフィールドをアメリカから中東に向ける。そこでもう一つのキリスト教、「悲しみ」と向き合い「死者と向き合い」、「悲しむ者とともに悲しむ」キリスト教に出会う。55p

そして「悲しみ」とはすべての宗教の根源にある記憶の「痕跡」の体験と思うようになる。それが「悲しみの知」となり「癒しの知」に通じていく。これが仏教では「慈悲」、キリスト教では「慈愛(アガベー)」。泣く者と泣き、苦しむ者と共に苦しむ。これがすべての宗教を一つにつなぐ源流のようなものと筆者は述べる。58p

このたびの震災後から<絆>と言う言葉が使われる。これはまるで天から降ってきた声のように感じられるとか。絆は日本社会の崩壊をつなぎとめる綱のように。絆は崩壊しつつある共同体、崩壊しつつある家族をつなぎとめる命綱。92p

それはふるさと回帰となる。本来ならば宗教の役目と思われる絆、その絆を宗教に代わってボランティアや音楽でもって担う。それは既存の宗教に代わる<絆>であり、<鎮魂>の感覚だという。大合唱も生者と死者をつなぐ目に見えない<絆>の機能がある。96p

「記憶の森」というコーナーで筆者は母を自死で亡くしたという経験を『一冊の本』という朝日新聞出版の広報誌に書く。「読者の方からお手紙をいただきました。それなりにうれしかったのですけれども、やはり心の中では、こういうことを書くということは、しんどいなあという気がしていました。・・・」とある。もしかしてこれは私が出した手紙のこと?114~115p

この本の中でいつも理解できずにいたことがわかりやすく書いてある。「反ユダヤ主義はナチス・ドイツだけではありません。その歴史の実態を探れば、、ロシアはもちろんフランスもイタリアも、オランダもベルギーも、チェコやルーマニアもスペインも、要するに全ヨーロッパのキリスト教との間に多かれ少なかれ植えつけられたユダヤ教徒への敵意であり、憎悪でありました。これがヨーロッパにおける国民国家形成のプロセスにおいて目に見える確かな確信となっていったのではないか、と思われる。とりわけ、福音主義をかざすプロテスタント教会において、それはシオニズム運動として顕著に擡頭したことが指摘されています。」。

「ところが肝心要のイエスの十字架の真相、イエスを十字架に追い詰め、殺害した者は本当は誰だったのか、ユダヤ人なのか、それともローマ帝国であったのか、その歴史的事実は結局は突き止められることはなく、『キリスト殺しのユダヤ人』という言説だけが、福音書無謬説に守られて保持され続けてきたのでした。」。170P

こうした言説がヨーロッパ中のすべてのキリスト教徒を途方もないユダヤ人憎悪に追い込んでいったという事実がある。172P

それは次のコトである。

「イスラエルという人工的な国家の建設には、西欧キリスト教社会が古代・中世を通して引きずってきた反ユダヤ主義に対する『罪の償い』という巨大な罪責間の魂が、あたかも免罪符のように貼り付けられているのです。だが、はっきり言えば、それは本来なら西欧キリスト教諸国が自らの責任において自らの血を流して支払うべき償いです。それをパレスチナ人(イスラーム)に一方的に肩代わりさせるというしかたですませている。ここにパレスチナ問題の歴史的虚構がある。
 なぜ、いかなる理由で、パレスチナ人はイスラエルと戦わねばならないのか。ここにそもそものねじれがある。その理由も根拠もわからない。あるのは、亡国の民、ユダヤ人の祖国帰還というロマンティックなキリスト教シオニズムの幻想。このいわば形を変えたキリスト教的西欧植民地主義の幻想によって、パレスチナ人が一方的に償いを支払わされている。パレスチナのガザ地区を広大な第二のアウシュヴィッツである、と指摘したイギリスの著名な学者がいます(マンチェスター大学教授、現代文化論ノテリーイグルトン)。この比喩は、比喩ではなく道理そのものです。ここに見られる(すり替え)がどこから来るのか。それに対するイスラーム教徒の憤怒が、9.11ではなかったのか。そして小さな9.11はその後、世界の各地で連続的に発生し、西欧諸国に拡散していきました。そのたびに、イスラーム恐怖症が世界中に拡散し、わが国の警視庁公安当局もイスラーム=テロリストという予断のもとに活発に活動している。・・・この巧妙な(すり替え)の中にこそ、今日世界を覆う対テロ戦争の構図がある。」。175-176p

このことは一番知りたかったこと。こういう事実をまったく知らなかった。まさに目から鱗。

さらに、それは続く。

「西欧のキリスト教社会は、反ユダヤ主義に彩られた長い歴史の償いを自らの責任において償うことをしないで、一方的にパレスチナ人に押しつけ、肩代わりをさせている。加えて、アメリカをはじめ西欧諸国は、このような政治体制をひたすら維持するための中東諸国体制の構築に、第二次世界大戦後のすべての政治勢力を結集してきたのです。見えてくるのは、まさにイスラームの犠牲においてイスラエル国家をつくるという巧妙な同士討ちの構図です。これこそが、第二次世界大戦後、西欧列強が設定した植民地主義的中東統治の犠牲のシステムであり、政治的体制でありました。キリスト教徒的に着色された西欧中心主義の思想です。これが今日まで中東におけるアメリカの覇権を支え、方向づけてきた。今日、イスラームを覆うイスラーモフォビアは、ユダヤ人問題の裏返しであることが分かるでしょう。」。180p

筆者は「おわりに」として「『死者を記憶』し、『死者に向き合う』ことがいかにかけがえのない生の絆であり、命綱であるか、ということを、私はこれまで語り続けてきたのでした。それが『生きている死者』であり、『死者の語り』なのです。」と文を締めくくる。