2019年7月23日火曜日

大自然のひがし北海道~世界自然遺産の知床と羅臼ホエールウオッチング~の旅3日間


 2019年7月9日(火)から2019年7月11日(木)までの3日間、「大自然のひがし北海道~世界自然遺産の知床と羅臼ホエールウオッチング~の旅3日間」に参加する。この旅に出かけようと思ったのは動画で知った岩尾別旅情の歌による。古い歌だが、知らずにいた。その時、たまたま目にした新聞の旅の募集案内。なんと広島空港✈中標津空港間が往復ともチャーター便利用となっている。旅費は羽田や新千歳経由よりも幾分高めだ。しかし、それ以上に直行便に惹かれた旅となった。
 
 今回の旅での一番の印象は北方四島の領土問題。広島に住んでいると原爆投下と広島が欠かせないように、北海道民と北方領土問題は切実な問題のようだ。羅臼でのホエールウオッチングでガイドも船長も観光に携わるヒトの口からは国後島の話題になる。国後島眺望もある面、観光かもしれない。だが、それだけではないように感じた。また日本最東端の根室市の納沙布岬では『我らの北方領土』という外務省発行の120頁ほどある冊子が置いてあった。そこでは署名活動もしていた。冊子を1冊もらった。これを読めば北方領土問題もわかりそうだ。折を見て読もう。
 
 いろいろと難しい問題を抱えている北海道。それはまたにして、とりあえず楽しかった旅を振り返ってみよう。
 
一日目 2019年7月9日(火)

  広島空港に午前7時50分集合。添乗員から航空券を受けとると、その後は各自、保安検査場を抜けて、出発ゲートに向かう。国内線は飛行離陸1時間前に集合する。小さい空港は利用客も少なく出発まで暇を持て余す。広島空港(8時50分発)✈中標津空港(11時着)まではFDAのチャーター便JH6281便を利用する。FDAは会社ができて10年らしく、途中から揺れ始めた機内で機長は安全を知らせるように飛行案内を話し始める。機内誌を読むと10年の歩みが掲載してあり、会社独自の教育で社員を養成しているのが伝わる。それは客室乗務員の優しさにもある。短い飛行時間にもかかわらず、珈琲、クロワッサン、お茶、ジュース類、飴……と次々と出てくる。2時間余りの飛行は快適そのものだった。

 お昼は搭乗前にもらったむさしのお弁当を機内でいただく。着陸後のバス車内でいただいく人もいた。中標津の気温は21度、晴れと機長から聞く。さすがに北海道。からっとしたいいお天気だ。今回の旅の参加者は2班に分かれ、1班は36名、2班は33名。2班の1人参加は3名でそのうち女性は2名。機内で隣同士になる。その人と話すと何と小学校3年が同じクラスだった。だが、互いに覚えがない。


                           
〇が知床半島

中標津空港到着時、機内から写す
  
野付半島原生花園(トドワラ・国後島眺望)

 バスで40分ほど移動すると野付半島原生花園に到着する。目の前に見えるはオホーツク海。ここで90分間自由散策。入り口には北方領土の碑が建っている。北海道と北方領土問題、今回の旅の間中、考えさせられた。

 トドワラは全長28kmの日本最大の砂州で野付半島にある。海水の浸透で立ち枯れしたトドマツが横たわり、荒涼とした景色が続く。歩いて前に進むが90分間の散策も帰り時間を考慮しなくてはいけない。歩くのが大変な人はトラクターを改良したバスに乗る。バスの終着点辺りまで歩くとトドワラがあった。この時刻は日差しを遮るものがなく暑い。だが、浜風が吹いてカラッとしていた。原生花園入り口近くにはナラの木が立ち枯れしたナラワラもあった。

 トドワラはトドマツ。これとエゾマツとの違いをガイドは話す、「天までトドく」のがトドマツで上を向き、そうでないのがエゾマツだそうだ。

野付半島原生花園から見渡すオホーツク海


野付半島原生花園から見渡すオホーツク海





野付半島原生花園に建つ北方領土の碑

 原生花園とあって様々な種類の花が咲いていた。知床へ行こうと思ったきっかけは岩尾別旅情の歌にある。歌詞の中に「エゾニュウの花」がある。これはどんな花?と思いながらデジカメで花を写す。ウイキペディアを見ると「エゾニュウ(Angelica ursina)はセリ科・シシウド属の植物の一種」とある。 歩を進めるとエゾノシシウドの看板があった。どうもこれと似た花のようだ。
ハマナス

 


この道をどこまでも進む
 
トラクターを改良したバス

ナラワラ


 

エゾノシシウド

エゾゼンティカ

 


 
トドワラの看板

トドワラ

  まだまだこの先も道は続く。この辺りから高架木道になる。



何処までも続く高架木道


ノハナショウブ

帰り道に来た道を振り返る

ナラワラ

蝶がいた



 14時半、野付半島原生花園を後にしてバスで移動する。途中から辺りが霧でかすみ始める。外気と海の気温差で霧が発生するらしい。途中、道の駅知床・羅臼により、ホエールウオッチングのための時間調整をする。

羅臼ホエールウオッチング(国後島眺望)

 16時50分、羅臼でのホエールウオッチングで船に乗る。カーディガンとウインドブレーカーを着ていても船に乗ると半端でなく寒い。乗船時、各自、救命胴衣と厚手の雨合羽を受け取る。これを着用しようとするが大きくて簡単には着られない。要らない、と一瞬思った。ところが船が動き出すと次第に体が冷たくなる。足元はトレッキングシューズなので冷たくはない。ただ、顔や手は真冬に感じるほどの冷たさだった。しきりに船長はマイクで国後島が濃霧でかすんで見えないことやクジラが顔を出さないのを気にする。船上で見た動物はタスマニアから渡ってくるハシボソミズナギドリ。この鳥の群れは見るものを圧倒させる。

 1時間半のクルージングのうち、その半分は寒さに耐えきれず1階のデッキに移動する。ここは2階デッキのような吹き曝しでないため、少しは寒さも和らぐ。とはいっても寒い!7月の北海道でこの寒さだと冬はどうなる!?船長は冬の流氷クルージングをしきりに勧める。そのときはマイナス何十度の世界だろう。とてもじゃないが行く気にならない。これまでの最低気温体験は冬の北京頤和園でのマイナス19度。園内の湖は凍っていた。

ミズナギドリ
 
イルカ!?
ミズナギドリ



乗船したクルージング船


 ホエールウオッチングの間、海と空の境が見えなくなるほど濃霧になる。だが、下船後は日差しもある。ただ、バスで移動する途中、常に飛び出す動物を見て誰かが叫ぶ。鹿がお目見えだ。広島は鹿に慣れている、とガイド。がっかりでしょ、と言いながらも蝦夷鹿を見つけては大騒動が始まる。他にも熊も現れる。だが、一瞬の出来事で車窓からは写せなかった。
車窓からデジカメをズームにして写した蝦夷鹿

車窓から見る蝦夷鹿
知床峠

 17時、1時間半のクルージングを終えて知床峠に向かう。もらったパンフによると知床の地名はアイヌ語で「大地の突出部分、地の果て」を意味する「シリエトク」に由来するらしい。知床半島にある岩尾別温泉のホテル名が「地の果て」はここから命名したのかもしれない。知床は2005年7月、世界遺産に登録された。「流氷が到達するところとしては北半球の南限であり、流氷の影響を受けた海洋生態系という多様な生態系を育んでいる点が認められた」という。

 知床峠までバスで移動中、空は晴れていても車窓から見る景色は霧でかすむ。峠に着くと霧は晴れる。だが、遮るものがないためか強風と寒さで震え上がるほど冷たい。ここで旅の参加者は下車して一同で記念写真を撮る。一般のツアーでこういったことはあまりない。ただ、4,50年来の仲間だという3人組のおっさんは一同で写真に写るたびにふざけ合っていた。

 

 

 


 


 



 

 18時半、ホテルに到着。知床ウトロ温泉の知床第一ホテルに泊まる。夕食はホテル内のレストラン・マルスコイでのヴァイキング。1人参加同士がまずはアサヒの生ビールで乾杯!美味!ヴァイキングはガイドによると80種類あるという。そして要所要所に料理人がいる。ガイドに教えてもらった飯ずし(いずし)や北海道の海の幸を堪能する。魚類は好きなので何でも美味しい。食事後、大浴場へ出かける。これほど大きなお風呂は初めての体験だ。入口に係りがいる。中を見渡すと目に入るのはシャワーを浴びる人たち。どこに浴槽があるのかわからないくらい広い。露天風呂もあるらしい。訳がわからなくなりそうで適当な浴槽に浸かった。この日の携帯万歩計10237歩。
 
二日目 2019年7月10日(水)
 
 朝食は2階のマルスコイ。夕飯もマルスコイ。同じ名前でも階が異なる。朝食会場を探すが広すぎて簡単にはいけない。美味しいものが並ぶ朝食。8時、ホテルを出発。快晴で気温は13度~15度らしい。
車窓から

車窓から
知床五湖

 8時25分到着。知床五湖の湖まで高架木道をガイドについて歩く。往復1.6kmを1時間ほど歩いた。途中、何度か蝦夷鹿を見る。お天気も良くて知床の山々もよく見えた。

高架木道を歩く

 


 

 

熊避け?

木道を歩く


 

ズームにして蝦夷鹿を写す

知床五湖


 

 

 
コケモモのジュース
 

車窓からの眺め

 

車窓からの眺め
オシンコシンの滝

 国道沿いにバスを止めて、少し階段を登ってゆくとオシンコシンの滝が見える。観光中、この滝で中国人など外国人観光客を多く目にした。車で訪れるのだろう。
 


オシンコシンの滝

滝から見下ろす


お土産屋の外壁にかけてあった大きな温度計
気温15度だ
小清水原生花園

 オシンコシンの滝から1時間バスで移動すると小清水原生花園に到着する。原生花園は原生花園駅と隣接している。JR北海道釧網本線の駅で毎年5月1日から10月31日までの営業らしい。1時間に1本通る釧網本線。11時半頃に列車が到着すると聞いて、その時刻まで原生花園の海岸側の遊歩道を歩く。しばらくすると列車が到着。カメラ持参の観光客が線路に集結して写真を撮る。車両は1両だった。
説明を追加


釧網本線原生花園駅


原生花園駅駅舎

 6月中旬から7月下旬にかけて可憐な野草が一面に咲き乱れるそうで、7月中旬のこの日も花が咲き乱れていた。
 


 原生花園は網走から斜里方面に20kmほどの涛沸湖周辺にある。湖の海岸側の遊歩道を40分間散策した。
原生花園を涛沸湖の海岸側まで歩く

 

 

 

 

 



傍では酪農も

釧網本線 列車到着

 

涛沸湖

 

 原生花園を後にしてバスは弟子屈にある昼食場所に向かう。車窓から見る風景はジャガイモ畑や小麦畑などが続く。ジャガイモ畑を写そうとするが、動く車中はうまく撮れない。

車窓から




車窓から


車窓から
弟子屈での昼食は鮭のチャンチャン焼き

 お昼は福住弟子屈店で鮭のチャンチャン焼きなどをいただく。ここでやっと1人参加者同士3人が判明。今回の旅での食事は魚類が大半。吸い物も広島でいう揚げはん(魚の練り製品)が具に入っていた。ホタテのお刺身も海老も大きくて美味。ただ食べ物はどれも塩辛い。これは寒い地方だから!?


天ぷら

鮭のチャンチャン焼き

大きなホタテと海老のお刺身


お吸い物
 摩周湖
 
 霧の摩周湖、と歌にある。今回の旅で唯一これまで来たことがある場所が摩周湖だった。もう40年くらい前になるだろう。その時は霧の摩周湖だった。今回ははっきり見える晴れた摩周湖。
摩周湖

 

 


 






 
 
 
 



釧路湿原遊歩道ウオーク

 摩周湖を後にしてバスは釧路湿原へ向かう。

釧路湿原

  北海道の旅でよく目にしたのはフキ。大きな葉っぱは何?と思ったらフキだった。ガイドによると道に生えているフキは誰も食べないそうだ。地元民は山に行って10kgくらい採って家に持って帰るという。保存食にするのかもしれない。ホテルの食事でも柔らかく煮たフキがあった。食べるといい味だ。

大きなフキ




展望台から眺める釧路湿原は広い

 


 釧路湿原遊歩道ウオークは70分間ある。各自自由散策。ここは多少の道の上下や整備されてない山道もある。高架木道は一周約2.5km。違う班の旅行者に集合時刻を問うと私たちより5分遅い。たった5分違いならばこの人たちについて歩けばゴールに間に合う、と思ってどんどん歩を進める。だが、かなりきつい。どういってもこの日は朝からすでにかなり歩いている。吊り橋を渡ると揺れる。それも長い揺れだ。その後は道も木道でなく山道や階段が続く。リタイヤはできない。一人が建物が見えた、と声を出す。集合地点の建物だった。嬉しかった。

 後で一緒に歩いた人と話すと、一周するつもりはなかったそうだ。ただ、私が歩く、と言ったために、その人は連られて歩いたという。そして歩いてよかった、と感謝される。本当に良かった!この日の携帯万歩計は16823歩。よく歩いた。

 

 

 

 

長い吊り橋

 

上りの階段が続く

ゴールの集合場所
夕食は名物炙り焼き

 釧路湿原ウオークの後はバスで2時間くらい移動して釧路市内のホテル到着。移動の車内では草臥れ果てて爆睡していた。今宵の宿は釧路プリンスホテル。

 しばらくして夕飯を食べに、歩いて釧路フィッシャーマンズワーフMOOにあるレストランに向かう。食事後、ある時刻を過ぎると勝手にホテルへ帰ってもOK、とのことで1人参加3名はレストランでゆっくりする。今夜もアサヒ生ビールで乾杯!

レストランから釧路川を見下ろす

 夏なのに牡蠣が食卓に並ぶ。これにはびっくり。広島の牡蠣は大寒の季節にいただく。それなのに北海道は夏に牡蠣を食べる。
牡蠣とホタテ

ホッケ

お吸い物の具は魚の練り製品だった

イクラ丼

ザンギ

 鶏のから揚げを釧路ではザンギというらしい。B級グルメの祭典inくしろ幣舞でくしろザンギがご当地グルメとして人気があるそうだ。そうとは知らず、お腹がいっぱいになってしまってザンギは残してしまった。
レストランを出て夜の釧路川を見に行く

 食事後、夜の釧路川を見に3人で行く。釧路の街中を歩く人がいない。夜道は街中とはいえ暗い。ただ、ホテルが高層ビルなので歩いて帰るにはわかりやすかった。

三日目 2019年7月11日(木)
 
 ホテル17階にある朝食のレストランから見下ろすと車も人も誰もいない。7時半にホテルを出発してバスで日本最東端の岬、納沙布岬に向かう。2時間くらい経過後厚岸展望台で休憩。
 
ホテル17階の朝食のレストランから

車窓から見る道にはフキが生えている 


車窓から
厚岸道立自然公園


 
厚岸展望台
 
 車窓からは北方領土返還やロシア語入りの看板が見える。北方領土問題について車内でガイドに問うた人がいた。ガイドの返答は当然、日本の領土だ、と。



北方領土返還のスローガン


烏口に見えるのが国後島!?
納沙布岬

 11時、納沙布岬到着。日本最東端にある岬で帰りの車内で根室市長押印の日本最東端到達証明書を進呈される。望郷の家に入ると外務省発行の『北方領土』という分厚い資料があった。1冊貰う。これを読めばかなり北方領土問題がわかりそうだ。広島に住んでいるとまるで関係ないかのような北方領土問題。大切なことかもしれない。芳名録に署名する人もいた。望郷の家と隣接して博物館があった。
納沙布岬



 


鐘をついた!

ここに立って北方領土を思う

納沙布岬


望郷の家

 
 
 

 真ん中の四角なのが祈りの火で燃え続けていた

 ここの売店でお吸い物のサービスがある。カニが入って美味だけど相変わらず塩辛かった。

春国岱・風蓮湖眺望

 さらにバスで移動して道の駅スワン44ねむろ到着。ここで春国岱・風蓮湖を眺望する。望遠鏡も数台設置されていた。





道の駅スワン44ねむろから眺める

 

白い花がエゾニュウ?と思ってこの花をよく写した 

標津鮭三代漬け丼(お昼)

  標津で鮭三代漬け丼をいただく。ここの食事も塩辛かった。北海道でも特に寒い地域なので味付けが濃いのだろう。味が濃くても塩辛くても北海道の食事は魚好きには堪らないほど美味だ!



鮭三代漬け丼

お吸い物
  14時半、中標津空港到着。これから16時、広島空港へ向けて離陸までの時間が長い。小さな空港だが、広島空港までチャーター便が飛ぶ。飛行時間2時間半は北海道が近く感じられる。このチャーター便に味を占めてしまいそうだ。来年の夏、利尻・礼文島のチャーター便の旅があれば参加しよう。今年の利尻・礼文島へはなんとこの旅が終わった翌日の出発だった。これは旅の後で知る。
 
 20年近く前、アジア塾生4人は北海道大学へ赴任された新婚の若い先生を訪ねたことがある。その時が2回目の北海道で北海道大学へも案内してもらった。また車を借りていろいろなところへ連れて行ってもらった。ジンギスカンも食べた。3度目が今回の旅。広い北海道。出かける土地、土地で全く雰囲気が異なる。ただ、どこでも食事が美味なのは共通している。今回は道東を巡った。いろんなお花畑も見た。また生まれて初めてオホーツク海も見た。まだまだ行きたい北海道。来年は利尻・礼文島!?さてさて……。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月22日月曜日

梅雨の終わり!?

 今年の梅雨も今日で終わりそうだ。昨日から続く警戒レベル。雨は降っていなくても土砂災害の警戒を呼び掛ける。昨日は参議院選挙の日。一度も棄権したことがなかったが、今回は選挙に行かず仕舞い。警戒レベル4と選挙。選挙に行くようにと呼びかける広報車の何とも小さい音。警戒レベル4を重視して選挙は棄権する。今朝のネットによるとまさか、と思える人が落選している。一票、入れてあげればよかったかも……。というか時代は変わって議員も変化する!?

 昨年の豪雨災害で7月のイメージが変わった。台風は9月に集中していた気がする。ところが今や年間を通して災害が発生する。災害がなければ人による殺傷事件やメディアを賑わすお笑い芸人、といったように穏かな日々は何処へ行った!?爽やかな写真のアップで気を紛らわせよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

小清水原生花園 ハマナス

小清水原生花園

。

2019年7月21日日曜日

ブラタモリを見る

 昨日の日本画教室。緑の木立をA5 大のスケッチブックにデッサンする。色付けは水筆ペンを使用。木立に入る道。この道は初めて描く。何とか色を付けて一応完成。とはいってもこれは水彩画。先日、水彩画展の案内が届く。ふと思った。油絵や日本画はプロの画家がいる。水彩画のプロもいるのだろうか。

 先日、絵の展覧会のチケットが送られてきた。これを受け取った返事は?と先生に聞くと見てほしいから送るので、返事はしなくていいとか。いずれにしても今年の作品展でチケットを送ってくれたグループと展覧会場が同じフロアになる。送ってくれた人と、昨年展覧会場で話した人は共に来月開催される全国展の会場に出品されている。まずはこれを見に行こう。

 明日から秋にかけて講演会や絵の展覧会、そしてコンサートと予定が入る。その合間にフルートの発表会、日本画作品展がある。これからが本格的な夏。だが気持ちは秋に向かっている。

 話は変わって昨夜のブラタモリは釧路湿原。ここは先日の旅で出かけたと思ったら何かが違う。それもそのはず、旅行者は釧路湿原遊歩道を歩いていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
摩周湖は晴れていた!
 


釧路湿原 展望台から眺める



湿原の遊歩道にかかる長い吊り橋
歩くと揺れる

2019年7月20日土曜日

『花神』(下)

 今年の梅雨もあと少しで終わりそうだ。来週半ばからは晴れマークが続く。雨が降れば自転車に乗れない。運動を兼ねて歩いてスーパーへ行くが、買い物帰りは荷物が重い。改めて自転車のありがたみがわかる。

 3年前の旅で知り合った人のブログを見ると自動車免許証を自主返納されている。免許は持っていないので返納後の気持ちが実感としてわからない。ブログの最後に以下のように記されている。

★本当に残念です 今日から車と断絶した生活が始まります 
今日も小牧駅で巡回バスを乗り継いで往復してきました
これからは市内近郷の移動は巡回バスを活用し、タクシーや電車・バスも有効に利用して閉じ籠りにならないよう積極的に社会に出ていくようにして生活していきたいと思います

 
 自転車に乗らない雨の日の徒歩での買い物も重くて困る。ましてや車無しの生活は慣れるまでが大変かもしれない。

 旅の疲れもやっとなくなり、元通りの元気さを取り戻す。今夜のブラタモリは釧路湿原。今回の旅で釧路へも行った。夜はこれを見よう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は以前に読んだ『花神』(下)(司馬遼太郎 新潮社、平成二十五年九十九刷の気になる個所の抜粋から。

★蔵六は石州路を歩き、諸戦場をいちいち点検しつつ、ゆるやかな旅をつづけた。結論としては、
(武士の世は終わった)
と、おもわざるをえない。長州人は士民をあげていわば国民戦争として祖国を守ったために強かったが、諸藩は武士だけが戦った。……防長二州の百姓軍は、父祖の地を守るために四境で戦い、しかも戦うべき原理をもっていた。
(日本国は、人民皆兵から誕生する)
と、かれがその歴史的信念を確立したのは、この四境戦争によってである。9p

★……村田蔵六という、この当時日本唯一の軍事的天才を作戦の最高立案者にしたことで、これが、長州の勝利を決定的にした。大村益次郎という名は、この時期、京や江戸にまで聞こえた。43p

★「清朝(中国)は悲惨である。日本はこの害からまぬがれねばならない」
ということを津々浦々の有志は思い、じつのところ明治維新のエネルギーはこの危機意識に源泉をもつといっていい。「清朝の悲惨」というのは、ヨーロッパの帝国主義勢力に中国が蚕食されつつあるということであり、その「蚕食」のなかでも最大衝撃を日本人にあたえたのは、いわゆるアヘン戦争であった。繰り返していうが、明治維新の思想的な合言葉は「尊王攘夷」であるにしても、それはいわば多分に表札のようなものであり、実質上の源泉は、アヘン戦争の情報であった。44p

★——なぜ東アジアの三国のなかで、日本のみ明治維新がかのうであったか。ということである。
日本は鎌倉以来、「武」によって体制ができた。諸大名が六十余州の分国をおさめつつ、その上に武家の棟梁(盟主・将軍家)をいただくという特殊な体制である。
これが完成するのは徳川期になってからだが三百ちかい大名にわかれ、日本列島という小天地中で一種の国際社会を結成した。……「武」というのは、軍事国家というようには翻訳すべきでないであろう。武、というのは本来、機能主義と技術主義が原理である。51-52p

★日本はその点、西洋でのフランス革命やロシア革命の型ではないにせよ、薩摩や長州といった強い合法的勢力が、その武力を研ぎかつ革命勢力化することによって、幕府を倒すことができたのである。55p

★「京都挙兵」
については、慎重家の桂小五郎もすぐに肚をくくり、覚悟のほぞを固めていた。……桂が、政治家として生涯ただ一回だけ大賭博をやったのはこのときだけであった。もしこのとき、桂が賭博にむかって決断しなかったならば、木戸孝允という名は歴史に記録されなかったかもしれない。153-154p

★「京都挙兵はからなずかなう」というふしぎな(ふしぎなというほかいいようのない)結論を出していた。……が、西郷・大久保という、およそ主観や願望の要素をきりすてて情勢判断できるという稀有の計算家は、「勢いに乗れば。――」という、その時の勢いというものを重視した。156-157p

★「日本の国王は将軍でなく天朝である」というこの革命思想が、結局は階級社会が崩壊して四民平等の社会へ転換する強烈な論理を含んでいるのだが、三百諸侯のなかで最大の武力をもち、革命の主動力になった薩摩藩の島津久光は、皮肉にもそれに気づいていなかった。160p

★外征用の軍隊として日本陸軍が作りかえられるのは、明治十年の終わりごろ、ドイツ陸軍の参謀将校ヤコブ・メッケル少佐をよんでドイツ風に軍隊をたてなおしてからである。鎮台にかわって師団の制度ができた。さらに、メッケルが、かれの作った陸軍大学校での教授内容は、すべて侵略戦であった。223p

★幕末の長州の軍事思想には、侵略の構想はなかった。あくまでも革命戦だけであり、この点、ふしぎなほどである。維新成立後、西郷を中心に征韓論がおこるのだが、その集団のなかには長州人は参加していない。224p

★大坂行幸は、三月二十一日京都を出発、二十三日大坂着。その行幸は平安のむかし以来のもので、天皇は葱華輦(そうかれん)に乗り、地下官人が錦旗をささげ、山伏が道をきよめるために、ホラ貝を吹き、百官が衣冠ををただし前後にしたがうといったものだが、ただ護衛部隊だけは筒袖ダンブクロといった一種の洋装であった。その護衛部隊のお膳だてを蔵六がやった。236-237p

★この時期、蔵六は木戸の口をとおしてしか薩摩人の政治的志向法を知らない。このため、薩摩人観については蔵六は木戸とそっくりであり、西郷をすこしも理解せず、「あれは大悪人なのだろう」としか思っていなかった。この蔵六の西郷観が、結局は蔵六の非業の死の最大の原因になるのである。250p

★薩長は軋む、という観測は、多分に希望的モなものが入っていたであろう。……軋しみつつも仲良くするふしぎな機能が両者のあいだにうまれるのは、かれらが元来畳の上の仲ではなく、戊辰戦争における砲煙をくぐりぬけてきた戦友愛のなかからうまれたものであり、そのことを最初にあまく誤解したのは旧幕臣であり、ついでつねに薩長分裂と藩閥崩壊の期待をもちつづけたのは、自由民権運動であった。308p

★京の天子の祖神は天照大神になっているが、家康の神号はこれと張りあって東照大権現となっている。339p

★大隈という人物は西郷隆盛がまるで空気のようにしか見えなかったというそういう種類の目をもっている。大隈は西郷をはじめてみたときからその最期にいたるまで一個の無能人としてしかみていなかった。大隈の目は、具体的事物としての人間存在しか見えないらしい。そういう点になると、西郷のすべての欠点を手もなくおぎなってしまうこの「大村益次郎」という人物のほうが、「当時の英雄豪傑のなかでの最高」としてかれの目には映ったのである。406-407p

★蔵六の軍事的独裁権を成立させたいまひとつの要素は、西郷であった。西郷というこの革命の象徴的人物でありかつ薩摩閥の巨魁が、「大村サンの節度に遵うべし」と、薩摩の豪傑連中につねづね申しきかせていたため、薩人たちは蔵六の威命を山のごとくに感じ、服従した。469-470p

★この稿のくだりは、歴史の主流のなかでにわかに開花した蔵六というひとりの蘭学者が、花の凋むことも散ることもなく、樹そのものが伐りたおされたことを書く。472p

★長州山田顕義は、蔵六の兵学の門人である。
「市之充」という通称で当時よばれていた。安政五年十五歳で吉田松陰の松下村塾に入門し、ほどなく松陰が萩の野山獄に投獄されたため、ほんの数カ月のあいだの接触だったが、松陰はこの聡明な少年を愛し、とくにかれのために、
「百年ハ一瞬ノミ、君子粗餐スルナカレ」
――年少だからといって人生に時間が多いわけではない。むだにめしを食うな、という句の入った詩を書いて与えている。……「足元を慰労する」と、蔵六は山田を夕食に招いた。……やがて下男が、食事を運んできた。
(女っ気でもあればいいのに)
と、山田は蔵六がついには書生にしかすぎなにのかと厭わしくなる思いがした。
その山田が生涯蔵六を不愉快におもったのは、招待するといっていながら、蔵六がこの凱旋の官軍幹部に対して出した料理というのは豆腐二丁きりであることだった。483-485p

★蔵六は西郷が経た幕末とはほとんど無縁で、維新期に突如出現した。蔵六がなすべきことは、幕末に貯蔵された革命のエネルギーを、軍事的手段でもっと全日本に普及するしごとであり、もし維新というものが正義であるとすれば、(蔵六はそうおもっていた)津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわる役目であった。
 中国では花咲爺のことを花神(かしん)という。蔵六は花神のしごとを背負った。花神の立場からいえば、花神の力をもってさえなお花を咲かせたがらない山のあることが、直感としてわかる。それが薩摩である、とこの男はおもったのである。「薩長」と、ひとくちにいわれるこの革命の主導勢力も、巨細にみればおなじ日本の藩とはおもえないほどに個性がちがっている。490p

★イネの蔵六に対する心の傾けかたは、この一事でも尋常なものでなかったことがわかる。彼女はその後、蔵六の死まで五十余日間、寝食を忘れて看病した。
一方、蔵六の妻の琴は急報に接していながらついに来なかった。危篤ときいて海路やってきたがすでに蔵六はこの世にいなかった。琴にはそういう奇妙なところがあり、そのことも蔵六の生涯が何であったかを象徴している。534p

2019年7月19日金曜日

ジャガイモ効果

 今朝見たダグニーさんのブログのタイトルはポリシー。次のようにアップしている。

★年を取ると、人生は「レールの上に行く」必要があり、不必要に心配したくありません。今日、私は完全に不必要な心配を持っていました。携帯電話を充電しているコードが跡形もなく、携帯電話を買ってから座っていたコンセントから消えたからです。ホームサービスから来た唯一の訪問者だ コードなしで盗難が疑われる私はそれが戻るまで静かな瞬間を持っていません。(日本語翻訳機能による)

 107歳のダグニーさんを悩ませるな、と言ってあげたい。ブログにある「年を取ると、人生は『レールの上に行く』必要があり、不必要に心配したくありません」、これは自分自身に言いたい。

 それにしても世の中、狂っている。昨日の京都の事件、死者33名とは……。敷かれたレールを行く人生は嫌だ、と思って自暴自棄になるのだろうか。所詮自分の人生、自分が思うように歩めばいい。とはいっても思うようにならないからといって人のせいにする。それもままならなくなると殺傷沙汰をおこして世間を騒がせる。これじゃ、何もいいことがない。

 こういうニュースは見たくない。夜に見たのはNHK・BSプレミアムの「偉人たちの健康診断」。何とペリーの話題だ。タイトルは「ペリー来航 酒と痛風の日米交渉」。
幕末から明治維新にかけての司馬作品を読んでいる。これまで読んだ4作品ともぺリーが出てくる。昨夜のテレビによるとペリーは日本から帰国後、壊血病で亡くなっている。今では痛風に当てはまる症状らしい。これにはビタミンCが欠かせない。それにはジャガイモがいいそうだ。ジャガイモに含まれるビタミンCは熱を加えても破壊されないらしい。ペリーが日本に来た時のことを記した原本が1冊アメリカにある。それには日本が西洋文化を取り入れたならばアメリカと同じくらいの強国となるだろう、と記していた。

 今、読んでいる司馬作品は吉田松陰と高杉晋作を描いた『世に棲む日日』。昨日からその2を読んでいる。今日も大雨警報が出ている。外をうろつかず本を読もう!

 話は変わって「ジャガイモ」、といえば北海道。今、まさにジャガイモの季節。ジャガイモ畑一面に花が咲いていた。本来ならば、ここでバスを止めてもらってジャガイモ畑に立って見たかった!先日の北海道の旅から。
ジャガイモ畑(左)車窓から


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月18日木曜日

屋上ビヤガーデン

 昨夜は年に一度の七夕(?)ビヤガーデン。フルート仲間3人が集まる。例年の暑さとは違って昨夜はビルの屋上が涼しい。そして数日前の雨の天気予報も外れて晴れとなる。先日、知床で久々に飲んだ生ビール。美味だった。北海道のビール消費量1位はガイドによるとサッポロビールでなくアサヒビールだそうだ。広島といえばキリンビール、と思ったら昨夜はアサヒビールだ。屋上で飲むビールは美味。旅の疲れがどうじゃ、こうじゃというよりもここはビヤガーデン。ビールで乾杯する。並ぶ料理もお皿も昨年よりもバージョンアップされていた。それもそのはず、人からのおごりは美味!?ありがたい!

 ビヤガーデンの隣の列に外国の女性が数人坐る。何を食べている?と興味を持ちながら帰り際、ドイツ語堪能な人が英語で「どこから?」と問うた。フランスだった。彼女らから、フランス語は?、と英語で聞かれたらしいが、誰もフランス語は???

 フランス人と話した人から来月開催のレクイエムの演奏会チケットをいただく。このお返しはいつもながら「私が出世をしたら……」。とはいってももはやこの年では先の出世が望めない。ヒトの親切をありがたく受け止めよう。

 ビヤガーデンの集合まで時間がある。どういっても家を早く出た。デパート内をうろついて涼しさを満喫しよう、との魂胆が良くない。これも徹子の部屋に出ていた吉行和子の影響による。医師から歩くようにと言われた吉行。年中気温が一定しているデパート内をうろつけばいい、と思いつく。毎日2時間ウロウロするとか。だが、欲しい物はない。それを聞いて真似をする。何も買わないのにデパート内をうろつくのは大変。ただ、紀伊国屋書店でファスナー付きの布製のバッグを購入。ファスナー付きを探していた。何もかもよく落とすのでファスナーがついていれば、と思いつく。

 エスカレータで階を移動中、見下ろすと知り合いと目が合う。最寄りの階でエスカレータを降りて待つ。以前所属していた合唱団の人だ。その人は他の仲間とランチを終えて帰宅するという。久しぶりに会ったので話を、というが食事後なので何も食べたくないし、飲みたくないという。仕方なく近くにある椅子に腰かけてしばらく話す。別れ際、この人から人にもらったというプチトマト2袋から1袋をいただく。

 昨日は出会った3人のどの人からも恩恵を受ける日となった。感謝、感謝!

 話は変わって今夜の「こころ旅」はオホーツク、とある。オホーツク、といえば先日の知床でのホエールウオッチングがある。船に乗って1時間半のクルージングでクジラを探す。船主から一人ずつ救命胴衣と雨合羽を借りる。はじめはこんな仰々しい雨合羽を、と思った。ところが船が沖に出ると寒いのなんの、というか経験したこともないほど手が冷えてくる。1時間半の乗船のうち半分は2階のデッキを降りて1階のデッキに移動する。少しは冷えもおさまるがそれでも寒すぎる。空も海もどこがその境かわからない程の黒ずんだ濃霧だ。外気と海の温度差で霧が発生するらしい。目の悪さとは関係なく黒い霧が辺りに立ち込める。こういうことは初めての体験。ところが船から上がると嘘のように晴れている。この続きは後日のブログで!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
オホーツク海の船上のでのホエールウオッチングの様子
群れを成す鳥はタスマニアからやって来たウミナギドリ