2024年11月20日水曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(11)

 昨日から大工さんが替わられた。今回の大工さんは8時半から5時までの勤務で途中、10時と3時に小休憩をとられる。又、お昼は1時間休まれる。休みを取られず、お昼の食事後もすぐに仕事をされていた大工さんもいいが、こちらとしては休んでもらう方が気が休まる。これも人それぞれ考えがあってのことだろう。

 大工さんと言えば以前だったらカンナや槌などが思い当たるが、今回の工事を見ているとそういった道具はどうも死語になりつつあるようだ。親分に聞くと30年くらい前からそういった道具を使わなくなったとか。

 工事の材木は見積書にあるようにきっちりと製材されている。それを大工さんが組み立てるようだ。ハンマーの音はほぼない。ただ釘を打つのもすべてカチ、カチという機械音だけが響く。そういえばのこぎりも死語!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『司馬遼太郎が考えたこと』(11)(司馬遼太郎 新潮社 平成十七年)から気になる箇所をメモした。

★満州語の痕跡といえば、いまの天安門を通って紫禁城に入ると、どの入口の額にも、漢字とならべて満州文字が書いてありますが、それくらいのものです。満州文字というのは、アルファベットですから、縦に書かれたシリア文字みたいなものです。……十七世紀の清朝の成立で、一種の古代的生産の世界だった「満州」が、漢文明の照り映えを受けつつ、世界史の舞台に出てきたわけです。(「遊牧文化と古朝鮮」132p-133p)

★戒名の話をしますと、要するに日本仏教は中国経由の仏教でしたから、漢字表現で入りました。つまりお坊さんは中国人でしたから、当然中国の名前です。日本でお坊さんになるということは中国名前になるということだったのです。……お坊さんは高橋虫麻呂という名前ではなくて、最澄とか、空海とか、それ以前なら玄昉とか、道鏡、要するに中国名前です。……俗人が死ぬと、僧になったということにして、中国名前がつけられました。それを戒名といったわけです。いま、中国名前をお坊さんにつけてもらって、それを戒名にして喜ぶのは、お釈迦さんと関係ないことです。その点が、どうもわれわれは日本仏教からだまされているような……。あまつさえ最近は、お寺が戒名にお金を取ります。……戒名は極楽往生するための呪力ということになってまでなっています。本来の仏教に呪術性はないんですけれども、お坊さんが戒名をつければ極楽往生のための呪術性を帯びるというのか、わざわざ生まれもつかぬ中国名前をつけていただく。(「日本仏教と迷信産業」214p-215p)

★日本は飛鳥・奈良時代に中国の官制を導入しましたが、この「後世への作業」ばかりは、制度としても意識としても導入しませんでした。その点からみればやはり「夷」というべきですね。後世意識が多少みられるのは、徳川慶喜だけかもしれません。徳川慶喜が自ら好んで、官軍と称する薩長軍に対して戦わずにひっくり返ってしまったのは、かれが水戸学の人で、水戸イデオロギーからみれば自らが賊軍になってしまう、との後世意識を持っていたからというべきでしょう。私が、徳川慶喜という才人政治家に感じる傷みとも憐れみともつかぬ思いは、つねにその一点にあります。かれが戊辰戦争のときに本格的に抵抗していれば、日本の近代の出発は戦禍と憎悪と外国勢力の侵入によって、凄惨なものになっていたでしょう。(「中央と地方――いわゆる都鄙意識について」)(248p-249p)

★明治政府はその成立のときから蝦夷地を重視した。維新のとき、武四郎はもう五十をすぎていた。太政官はかれをよびだし、徴士とし、やがて開拓判官という大変な高官に仕立てたが、翌年、武四郎はその栄職をすて、平民にもどり、ふたたび登山の旅をした。みじかい在任中、太政官が蝦夷地の地名を変えたい、というので、かれはアイヌ語でアイヌ仲間のことを「カイノ」というところから、いったん北加伊道とし、ついで加伊を海に変え、北海道とした。たまたまかれの北海道人という雅号と一致している。この点でも、小さな笑いをそそられる。(「武四郎と馬小屋」)(312p)

★日常語は、四、五百の単語があれば済むという。人間の幸福の一つの型は、生涯一つの村落に棲み、先祖以来の幾枚かの田を耕し、気心の知れた人間関係のなかで、日常語のみをつかって生涯を送るということであろう。(「あとがき『菜の花の沖  六』)(390p)

★日本の密教芸術のすぐれた諸作品には、その瞬間がよくとらえられているようにおもえる。聖へ昇華しきれば端正に過ぎる。昇華する寸前の瞬間こそ、たとえば向源寺の≪十一面観音≫であり、観心寺の≪如意輪観音≫であろう。もう一例おもいだすことができる。空海が住した京都高雄の神護寺にしずまっている虚空蔵菩薩である。(「密教の誕生と密教美術」)(451p)

★タンポポ(アンケート回答)土手の叢中に点々と灯をともしたように咲いているタンポポが、どういう花よりも好きです。小庭にわが手で植えた花といえばタンポポだけです。つぎに好きなのは、菜の花で、他については、花よりも青き枝葉が良よし。{「タンポポ(アンケート回答)」)(453p)

★『街道をゆく』を読んでいると現代が神話の世界と重なって見えてくる。このあたりが司馬史観の特色である。近代史学の影響を受けた同時代の時代小説が現代人の眼だけで古代・中世をとらえるのでなく、古代神話、中世伝説をとおして現代の地域をえがく。そこに地霊のようなものが湧きいでてくる。著者とともに旅をして絵をそえる須田剋太がまさに神話から抜けでてきた人のようであったので、その描く土地の絵とあいまって、想像力が増幅された。(「司馬遼太郎の原点」)(496p-497p)

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