2024年11月23日土曜日

年賀状の欠礼ハガキが届く

 年賀状欠礼のハガキが届く季節になった。一昨日届いたハガキは某交流会で出かけた海外の旅でいつも相部屋だった人からだ。お母さんを亡くされている。交流会の総会などで会うと両親の介護で忙しそうだった。それにも関わらず、某会のお世話をしてくださる。親を亡くす哀しみはよくわかる。自分自身を振り返ると哀しみは年を経るにつれていつの間にか薄れている。時間が忘れさえてくれるのだろうか。

 年賀状欠礼ハガキとは異なるが今年のお正月の年賀状に新年のあいさつをやめる旨、3枚記されたいた。これは今年の年賀状だけでなく3,4年くらい前からと思う。これも時代の流れ!?個人的にはたとえ1枚の年賀状差出人になっても続けるつもりでいる。

 今朝も8時から工事が始まった。工事が長引きそうなので工程表を見てあと何日?と完成までを指折り数えることはしなくなった。ただ、無事、工事が完成すればいい、と思っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月22日金曜日

工期が延びそうだ

 大工の工事が進むにつれて新たな不具合が生じてくる。どういっても古い家なのでこれも致し方ない。同じ直すならきっちりと、と言われる。それも当然なことなのでお願いする。が、その分、工期が長引く。昨夕、工事の責任者(親分?)が来られて急遽舞い込んだ仕事で大工さんは今日午後、そちらに行かれるとのこと。急用とは脳梗塞で倒れた人の家に手すりをつけるためらしい。ナニゴトもお互い様なのでこれも致し方ない。ただ、その分、工期が延びる。工程表に拠れば来週末で工事は完了する。しかし、昨夕の話だとかなり延びそうだ。

 工事で家に人が出入りするのはだいぶなれた。とはいってもリフォーム前までは人の出入りがない家だったので一日の仕事を終えて帰られたあとはホッとする。そして夕食に白いご飯を食べて温かいお風呂に入る、というたったこれだけのことがなんと幸せなことだろう、と思う。この気持ちは工事をするまでは気付かなかった。ナニゴトもない平凡な日々が一番の幸せと気づけて良かった!

 工事が終わればまた元に戻ってナニゴトもない平凡な一日が始まる。そんなときは平凡な日々の幸せをかみしめる!?

 とは言いながらも自由が利かない工事期間中はやっぱり厳しい。これももう少しの辛抱と思って我慢しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月21日木曜日

購入リスト

 家の工事も後半に入った。3日前から台所の隣の部屋の工事が始まる。この部屋と台所の工事は基礎からやり直している。昨日、工事の途中で大工さんに呼ばれる。今回の工事で自分自身が気になる箇所が3か所あった。その1か所の不都合な部分を見せてもらう。夕方にはその部分が見違えるほどよくなっている。さすがプロの仕事、と感心する。

 工事前に不要品を片付けた。2部屋に置いていた家具などはすべて処分した。日々、きれいになってゆく部屋を見てこれからは家具を買うにも慎重に、と思ってしまう。と同時に、何もない部屋を見て今、買おうとしているものがある。それはキーボード。

 若い頃、エレクトーンを習っていた。しかし、それも10年余り前に市の大型ゴミに出した。習っていた当時はエレクトーンがピアノと同じくらいの価格だった。ピアノは電気器具ではないので調律すれば長く使える。しかしエレクトーンは所詮電気器具。年々、進化し続けてゆく。ということでそれに代わるモノは、と思ったのがキーボード。高価なものでなくてもいいので購入リストに入れた。そしてほかに買うものとして食卓テーブルとイスがある。

 家の工事は終わりつつある。が、これからは基礎部分は工事しない和室2部屋と玄関、廊下の内装が待っている。この工事はいま寝起きしている部屋なのでこれまたある意味大変かもしれない。と思いながらも工事の完成後を日々楽しみにして待っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月20日水曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(11)

 昨日から大工さんが替わられた。今回の大工さんは8時半から5時までの勤務で途中、10時と3時に小休憩をとられる。又、お昼は1時間休まれる。休みを取られず、お昼の食事後もすぐに仕事をされていた大工さんもいいが、こちらとしては休んでもらう方が気が休まる。これも人それぞれ考えがあってのことだろう。

 大工さんと言えば以前だったらカンナや槌などが思い当たるが、今回の工事を見ているとそういった道具はどうも死語になりつつあるようだ。親分に聞くと30年くらい前からそういった道具を使わなくなったとか。

 工事の材木は見積書にあるようにきっちりと製材されている。それを大工さんが組み立てるようだ。ハンマーの音はほぼない。ただ釘を打つのもすべてカチ、カチという機械音だけが響く。そういえばのこぎりも死語!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『司馬遼太郎が考えたこと』(11)(司馬遼太郎 新潮社 平成十七年)から気になる箇所をメモした。

★満州語の痕跡といえば、いまの天安門を通って紫禁城に入ると、どの入口の額にも、漢字とならべて満州文字が書いてありますが、それくらいのものです。満州文字というのは、アルファベットですから、縦に書かれたシリア文字みたいなものです。……十七世紀の清朝の成立で、一種の古代的生産の世界だった「満州」が、漢文明の照り映えを受けつつ、世界史の舞台に出てきたわけです。(「遊牧文化と古朝鮮」132p-133p)

★戒名の話をしますと、要するに日本仏教は中国経由の仏教でしたから、漢字表現で入りました。つまりお坊さんは中国人でしたから、当然中国の名前です。日本でお坊さんになるということは中国名前になるということだったのです。……お坊さんは高橋虫麻呂という名前ではなくて、最澄とか、空海とか、それ以前なら玄昉とか、道鏡、要するに中国名前です。……俗人が死ぬと、僧になったということにして、中国名前がつけられました。それを戒名といったわけです。いま、中国名前をお坊さんにつけてもらって、それを戒名にして喜ぶのは、お釈迦さんと関係ないことです。その点が、どうもわれわれは日本仏教からだまされているような……。あまつさえ最近は、お寺が戒名にお金を取ります。……戒名は極楽往生するための呪力ということになってまでなっています。本来の仏教に呪術性はないんですけれども、お坊さんが戒名をつければ極楽往生のための呪術性を帯びるというのか、わざわざ生まれもつかぬ中国名前をつけていただく。(「日本仏教と迷信産業」214p-215p)

★日本は飛鳥・奈良時代に中国の官制を導入しましたが、この「後世への作業」ばかりは、制度としても意識としても導入しませんでした。その点からみればやはり「夷」というべきですね。後世意識が多少みられるのは、徳川慶喜だけかもしれません。徳川慶喜が自ら好んで、官軍と称する薩長軍に対して戦わずにひっくり返ってしまったのは、かれが水戸学の人で、水戸イデオロギーからみれば自らが賊軍になってしまう、との後世意識を持っていたからというべきでしょう。私が、徳川慶喜という才人政治家に感じる傷みとも憐れみともつかぬ思いは、つねにその一点にあります。かれが戊辰戦争のときに本格的に抵抗していれば、日本の近代の出発は戦禍と憎悪と外国勢力の侵入によって、凄惨なものになっていたでしょう。(「中央と地方――いわゆる都鄙意識について」)(248p-249p)

★明治政府はその成立のときから蝦夷地を重視した。維新のとき、武四郎はもう五十をすぎていた。太政官はかれをよびだし、徴士とし、やがて開拓判官という大変な高官に仕立てたが、翌年、武四郎はその栄職をすて、平民にもどり、ふたたび登山の旅をした。みじかい在任中、太政官が蝦夷地の地名を変えたい、というので、かれはアイヌ語でアイヌ仲間のことを「カイノ」というところから、いったん北加伊道とし、ついで加伊を海に変え、北海道とした。たまたまかれの北海道人という雅号と一致している。この点でも、小さな笑いをそそられる。(「武四郎と馬小屋」)(312p)

★日常語は、四、五百の単語があれば済むという。人間の幸福の一つの型は、生涯一つの村落に棲み、先祖以来の幾枚かの田を耕し、気心の知れた人間関係のなかで、日常語のみをつかって生涯を送るということであろう。(「あとがき『菜の花の沖  六』)(390p)

★日本の密教芸術のすぐれた諸作品には、その瞬間がよくとらえられているようにおもえる。聖へ昇華しきれば端正に過ぎる。昇華する寸前の瞬間こそ、たとえば向源寺の≪十一面観音≫であり、観心寺の≪如意輪観音≫であろう。もう一例おもいだすことができる。空海が住した京都高雄の神護寺にしずまっている虚空蔵菩薩である。(「密教の誕生と密教美術」)(451p)

★タンポポ(アンケート回答)土手の叢中に点々と灯をともしたように咲いているタンポポが、どういう花よりも好きです。小庭にわが手で植えた花といえばタンポポだけです。つぎに好きなのは、菜の花で、他については、花よりも青き枝葉が良よし。{「タンポポ(アンケート回答)」)(453p)

★『街道をゆく』を読んでいると現代が神話の世界と重なって見えてくる。このあたりが司馬史観の特色である。近代史学の影響を受けた同時代の時代小説が現代人の眼だけで古代・中世をとらえるのでなく、古代神話、中世伝説をとおして現代の地域をえがく。そこに地霊のようなものが湧きいでてくる。著者とともに旅をして絵をそえる須田剋太がまさに神話から抜けでてきた人のようであったので、その描く土地の絵とあいまって、想像力が増幅された。(「司馬遼太郎の原点」)(496p-497p)

2024年11月19日火曜日

工事も中盤に入った!

 今朝の工事から大工さんが替われられた。朝から4人が来られるが、実際に工事をされるのは大工さんだけ。キッチンが利用できるようになった。が、まだキッチンの内装が終わっていない。それが終わるのは工事の完了と同じだ。それまではキッチンの利用を控えるつもりでいる。今朝、カバーを外してキッチンを見せてもらった。これまでの我が家の台所と比べるとまるで異次元の世界。1階全体を改装している。リフォームで徐々にきれいになってゆくのを見て、工事中は大変だけど完成後を想像するだけで嬉しくなる。もうしばらく辛抱は続くが……。

 工事に関することを親分(?)から聞かれることがある。聞いてもさっぱりわからない。が、いいようにお願いする。そして聞いてもわからないことをスマホで調べると詳しく書いてある。親分が言われたことは当然、間違っていない。そして言われた通りにして安心する。

 今日は最高気温14度、最低気温は8度とこれまでとはだいぶ気温が下がりそうだ。それでもまだ暖房をしなくて済む。工事期間中はお天気も良さそうなのでこれだけでも幸いだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月18日月曜日

嘆く前に調べてやってみる!?

 今日は工事が休みの予定だった。ところが昨日のシステムキッチン設置の際、8時半に配管業者が来られる、という。一日ゆっくり休んで下さいと、言われる。が、これまで一日中、休みの日は工事が始まった翌日だけで後は誰も来られない日はなかった。工事を円滑に進めるにはこれも致し方ない!?

 今朝来られた配管業者はキッチンがつかえるための作業だった。すぐに終わると思ったら2時間くらい費やしていた。その後、歯科へ行く。

 工事の親分(?)は今日からキッチンが利用できると言われた。が、キッチンすべてに段ボールなどで覆ってあり利用できない。今は電気店で借りたIHヒーターで簡単な料理を作っているので急いで使わなくてもいい、と思ったり。

 昨夜、頭をかすめたことがある。それはパソコンの検索やブログ編集の文字をもっと見やすくしたいと。スマホでそのことを調べると見やすくなる設定方法があった。それはパソコンの設定から行えばいい。初めてのことで手探り状態でやっているといい具合になった。ということで、昨日のブログから文字を太字にしなくても見やすくなった。そして検索も楽にみられるようになった。眼が悪いことばかりを想っていたが、設定方法で眼の悪さも何のことはない、と思えた。と同時に何でも困ったときはスマホに問えばわかると、と改めて知る。

 ということでブログの編集も以前ほど眼をパソコンに近づけなくてもよくなった。嘆く前に調べてやってみる!?自分に言い聞かせる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月17日日曜日

システムキッチンの設置

 昨日は抜歯後の痛みが夕方まであった。歯を抜くとその日のお風呂は入れない。年中、お風呂に入らない日がないので今夜のお風呂が楽しみになる。これもささやかな幸せ!?そして歯を失くしたショックを(体のほかの部位は元気!)と気持ちを切り替える。気が小さいのでちょっとしたことに気を病む。(そんなことでどうするん?)とよく母に言われていた。これだけはいくら年をとっても変わらない。もっとおおらかな気持ちで過ごさないといけない。

 今朝は8時半からキッチンの取り付け工事が始まった。3人と工事請負人が来られて作業は今日中には終わるようだ。そして明日、キッチンが利用できるように給排水の業者が接続に来られる。これが終わると明後日からは大工仕事が本格的になるようだ

 工事も明後日から後半になる。あと10日余りで工事が終わる。その日を楽しみにしてもう少し辛抱しよう。工事が完成すればテーブルや椅子など買い替えの物色が楽しみになる!?
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月16日土曜日

歯を抜かれた!

 昨日、お昼ご飯を食べていると下の奥歯が抜けて被せモノだけが残った。それが歯茎に当たると痛い。すぐに歯科へ行けばいいのだが、工事の為、勝手に動けない。困った、と思った。ところが昨夜、工事の人が帰られる時、明日はシステムキッチンを受け取るだけで1時間で終わり、明後日はそれを組み立てる。そして明々後日は工事が休みになると話された。それならばと今朝、4人がキッチン用品を受けとって帰られるとすぐに歯科に行った。

 抜けた隣の歯もいずれは抜かれると思った。案の定、歯科へ行くとだいぶ待たされたあげく抜けた隣の歯を抜かれてしまった。

 今年になって早々から8月くらいまで歯科通いが続いた。もう歯科へは行きたくない、と思っても歯だけは自分の努力で直せない。歯を抜かれる度、老いを感じる。そして今年は家のリフォームと歯科通いで暮れていく、とも思う。 

 そう思いながらも(歯のほかはまだ体は元気じゃ!)と考え直したりする。そしてリフォームで大金を費やすがこれも体が悪いよりは金銭で片づくのでまあいっか、とも思ったり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)工事の人はシステムキッチンの各部を玄関から入れられた。が、一つだけ入らない。仕方なく、玄関よりも大きな窓から入れられた。ところが7月にエアコンの設置でその窓を開けたのに今回なぜか窓が開けられない。どうも鍵の部分が利かないためらしい。が、4人の知恵で何とかして窓は開いた。リフォームついでにというか、あちこちの不備が露出する。今年は厄年?とも思えてくる。早く年を越さないといけない。

2024年11月15日金曜日

今朝も早くから

 昨日は工事が休みだった。午前中、眼科へ行く。眼科を出ると秋晴れの最高の天気の下、すぐに帰らず自転車に乗っていつもとは違うスーパーへ行く。工事が始まってまだ3分の1も経っていない。それなのに工事が一日ないと自由に行動できる。これがいかに幸せなことか、と感じる。

 借りたIHヒーターで簡単な料理を作った。スーパーで買ってきた揚げ物と作った料理に白いご飯で食べる夕食。なんと美味しいことだろう。

 今朝も8時前から工事が始まった。キッチンを優先して工事を進めるとか。月曜日にはキッチンがつかえるかもしれない。

 工事が終わるまで気を引き締めて!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月14日木曜日

急遽、工事が入った

 昨日と今日は作業が休みと知らされていた。 が、昨日のお昼前、午後から分電盤を取り替えに来る旨、電話がある。 その時点で美容院へカットの予約を入れていた。 急な作業のため、分電盤の作業は3時からにしてもらって昨日、無事終わった。  

 新たな分電盤を取り付ける際、工事を依頼した店長が調理に困っている様子をみてIHヒーターを貸してくださった。 店長にIHの使い方を教わって初めて使用した。 まずはお湯を沸かす。 ところがお湯を沸かそうにも鍋をしまい込んですぐには出せない。 スーパーで取り合えず安い鍋を購入してお湯を沸かした。 なぜはやくIHに気づかなかったのか、と店長は恐縮される。 自分自身も一口コンロのIHに気づかなった。 これは優れものである。 店長が帰られて早速ゆで卵を作ってみた。 ほかにも簡単な調理はできそうだ。

 今日も最高の秋晴れ。 工事のないフリーな一日を有意義に過ごそう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月13日水曜日

今日と明日は作業休み

 今日と明日は大工さんの都合で工事が休みになる。昨日も8時前から工事を開始され、お昼休憩もほとんどとらずに夜6時20分まで作業をされた。午後4時半ごろ、監督から今日と明日は休むので午後6時まで作業をする旨、話された。結果、作業終了は6時20分になる。それにしてもよく働かれると感心してしまう。

 昨日は9時過ぎ、ガスを止めに来られる。が、ガス栓やメーターが残っている。ガス栓の撤去を、と告げるとこれは別の工事になるとか。ガス会社に見積もりを取るようにと係はいう。これを聞かれていた大工さんは後で自分でも撤去できる、と言われて昨日の作業終了後、撤去してくださった。

 工事をされることに少し、馴れて来て昨日は午前と午後に2,30分ずつ外の空気を吸いに家から出る。たったこれだけのことでもだいぶ気持ちがほぐれる。その際、夕食に白いご飯が食べたいので弁当は買わずにお刺身など買った。やっぱり白いご飯を食べると美味しい。キッチンが仕えず自由が利かない生活を強いられている。次の月曜日に予定のキッチンの工事が一日早まって日曜日になった。それに合わせるために大工さんの作業はキッチンの内装に絞られている。

 今朝の起床は作業が休みのためか8時前になった。かなり気が緩んでいる。今日、明日の作業休みで急遽、予定を入れた。今日は午後、美容院でカットの予約を入れ、明日は眼科へ行く予定。

 まだこれからの工事期間が長い。今日、明日の2日間を気を引き締めて有意義に過ごそう。それには外に出る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月12日火曜日

今朝も早くから一日が始まる

 今朝も8時前から工事が始まる。昨日と今日の大工さんは同じ人だ。が、今日までの大工さんは明日から新築の工事を担当されるらしく他の人になるようだ。昨日は夕方、用があるらしく1時間早めに帰られるとのこと。お昼を食べるとすぐに仕事をされていた。それにしてもよく働かれると感心してしまう。

 昨日もそうだが今朝も材料がトラックで運ばれてくる。キッチンの方を先にするらしく床などの材木が届く。

 工事に入って夕食はスーパーなどの弁当で済ませている。2日ほどそれを食べて既にうんざりする始末。今日は冷凍にしている白いご飯を食べよう。お昼はこれまた冷凍にしているハヤシライスやカレーライスを食べる!?弁当は見た目は美味しそうだが食べるとそうでもない。

 まだ工事期間は長い。外に自由に出られず、ただ食べることだけが楽しみになっている。それが弁当で奪われそうだ。それにしても11月中旬のこの陽気。これは救われる!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月11日月曜日

朝早くから

 今朝の工事は8時前から始まる。工程表によると今日は大工仕事の軸組造作とある。数日間はこの工事のようだ。工事の人が早くから仕事をされている。それに合わせて早く起きるようにアラームで目を覚ます。といっても6時40分の起床だ。それから素早く行動しないといけない。これも期間限定なので何とかなる!?幸い今年の秋は温かくて過ごしやすい。

 昨日は生協で夕食を買った。たった一度食べただけで家のご飯が食べたくなる。というか店屋物は野菜不足になりそうだ。何とか考えよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)工事が始まったばかりなのに工事が終わる日を指折り数えて待っている。慣れたころには工事が終わる!?

2024年11月10日日曜日

慌ただしく過ぎて

 昨日から家の改装工事が始まった。工程表によると仮設工事の養生、解体工事の解体、電気設備工事の改修、給排水給湯設備工事の仮止め、とある。作業にあたる人はそれぞれ1人ではなく2人がおおい。そして工事を依頼した電気店主と工事監督がおられる。どの人たちも若くて元気がいい。工事は養生から始まった。それから1時間もしないうちに台所には何もなくなり、柱と天井と壁が残る。その後、また1時間もしないうちに別の部屋も見事に何もなくなる。その間、ものすごい音がすると覚悟していた。が、思ったよりも爆音はない。やっぱりプロの仕事だと思った。

 お茶の用意は不要と言われたが、お昼近くになって静かになったころに珈琲のペットボトルを渡す。昨日一番驚いたのは解体業者の若い兄ちゃん2人だ。世の中、闇バイトの情報が溢れて怖さを感じる。が、この若者たちを見ていると優しさしか感じない。

 内装だけで解体はしない2部屋から出る際、土足になる。それ用にスリッパを置いていた。ところが玄関の天井を解体した際、何十年間の埃が落ちてくる。一舜のうちに養生をした廊下は土埃の山だ。部屋から出ようにもスリッパがない。兄ちゃんたちはスリッパが埃をかぶらないようにと他所に置いてくれたという。何という親切。少ないけど珈琲を渡してよかった。

 いつもは電話もかからずメールも来ない平凡な日々を過ごしている。ところが昨日は人が出入りするし、めずらしく電話やメールも入る。それはいずれも忘年会のことだ。

 電話は某会の人から出席の有無などだった。もちろん行く旨、話したが余計なことも話して長話になった。申し訳ない。メールは日本画教室の忘年会の知らせだった。今月は日本画教室を休んでいる。そのためメールで連絡を受けた。ところが忘年会の日が工事の最終日とかさなる。出席できなくて残念!

 どういっても今月いっぱいは自由がない。昨日もお昼の休憩を見計らってスーパーへ行く。外の空気を吸うとホッとする。今日は工事がないので思いっきり外に出よう。ただ、昨夜は大失敗をした。炊事関係のものを工事の間、洗面所に置いている。洗濯を済ませて洗濯機を見ると洗濯ものが団子のようになっている。なぜ、と思った。何かのはずみで洗濯機のそばに置いていたサランラップが洗濯機に落ちて一緒に洗濯されている。そしてその外箱は粉々になって洗濯されていた。この後始末が大変だったが。

 こういう時は自分自身の怪我でなくてよかった、と思うようにしている。サランラップがそれを負ってくれた!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月9日土曜日

工事が始まった!

 日本画作品展に出品した絵画3点が戻ってきた。画材屋さんから受け取る際、3点とも段ボール箱に入っている。1点は作品展が終わって段ボール箱に入れる際、箱が行方不明だった。仕方なく、先生にを梱包材料を借りて簡単に梱包した。画材屋さんに聞くと箱を作ってくださったとのこと。本当にありがたい。額縁を購入するとそれに応じた段ボール箱に入っている。

 絵を移動する際は額縁にあった段ボール箱が欠かせない。画材屋さんの配慮に感動してしまった。そして一緒に持って来られた請求書をもってすぐに郵便局へ行って振り込む。その際、年賀状を購入した。年賀状は1枚85円になったが絵入りは90円。高くなっている。

 今日も秋晴れ。朝早くから家の工事が始まった。朝から気合を入れて早く起きる。しばらくは気の抜けない日々となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月8日金曜日

近づいてきた!

 家のリフォームが近づいてきた。家に住みながら工事をするのでかなりの覚悟がいる。工事を請け負うトップの人は大きな音がして疲れるから用があれば外に出てもいい旨、話される。また、お茶の用意をしないようにとも言われる。昨夕、解体工事の前に撤去するモノを確認しに4人ほどが来られた。見積書を見て不要なモノに朱でバツ印をつけてゆく。食器棚や和机、食卓テーブル、電話台、ショーケースなどにバツ印がつけられる。工事もいよいよという感じになった。

 普段、過ごしている台所が工事の間は使えない。ちょっと前までは洗面所を台所代わりにして調理しようと思った。が、2部屋は解体する工事になる。解体はしないが内装する他の2部屋にモノを移動しなければいけない。この2部屋で寝起きするのは窮屈この上ない。工事が近づくにつれて洗面所での調理はあきらめた。その代わりに電子レンジで簡単にできるもの、またコンビニやスーパーのお弁当や外食でしばらく過ごすつもりでいる。

 それにしても家の工事は大変だ。母が骨折した際、シャワーキャリーでお風呂に入られるように新たにお風呂を作った。トイレもその際、リフォームした。ほかにも1階部分をバリアフリーにして母のシャワーキャリ―での移動を楽にした。今回はその際、できなかった工事になる。

 母を介護しながらの工事はそれなりに大変だった。しかし、親がいるだけで安心だった。今回はすべて一人でやっている。幸い工事は信頼できる近くの電気店にお世話になる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

追記)今回の工事で見積書の見方がわかるようになった。昨夕来られた工事の監督は見積書を見て確認されていたと思った。後で聞くと設計図だった。手もとに設計図はないが気になるところは見積書を見ると納得できる。事細かに書いてある見積書だが、すこしだけわかってきた。

2024年11月7日木曜日

想い出の旅 ペルー・プーノ 


想い出の旅 ペルー・プーノ 絵はがき

 今回の思い出の旅はまたもペルーから出した絵はがきから。つぎのように書いている。「ペルー・プーノに着いた。一日の気温の変化が激しい。南半球のため?チチカカ湖のウロス島に上がった時、突然、雹が降ってきた。今日が一番、標高が高い。3855m。途中、クスコで高山病になり、一日中ダウン。でも2日目のマチュピチュは観光できた。本当にペルーは遠い。明後日はナスカ地上絵の観光。(コンドルが飛んでいない!)1993.8.13 チチカカ湖にて}

  クスコで高山病でダウンした。そのためクスコの観光中は一人ホテルで休んでいた。それでも調子が戻るとホテル近くのお土産店に一人で出かけてケーナ(笛)を4本買った。ケーナは日本円で1本3000円以上もする。その時、お土産として渡したケーナはフルートの仲間たち。自分自身も1本家に置いている。教則本を買って練習したこともあるが、自己流の練習では上達しない。家が落ち着いたらまた練習を再開しようかな、と思ったり。

 クスコでダウン後、添乗員から「翌日のチチカカ湖へは這ってでも行ってもらいます」と言われた。前夜の夕食は相部屋の人にレストランからおかゆを持って来てもらって食べた。連泊の翌日は普通に食べられた。お陰で元気になってチチカカ湖へも行かれた。とはいってもチチカカ湖はクスコよりも標高がかなり高い。が、体が高度に慣れてきたのか恐る恐るゆっくりと行動してツアーの人と同行できた。

 思い出の旅はこれ以上、絵はがきを出していないのでこのペルーでおしまい。海外の旅は1986年から2002年までと2011年から2020年までがある。2003年から2010年までの空白の9年間は母の介護と自分自身の大学生活とで海外に行くどころではなかった。

 2020年のミャンマーに出かけて以降はコロナ禍もあって海外へは出かけていない。しかし、海外に行かなくなった分、国内の旅に出かけるようになった。それも遅まきながら一人旅が多い。

 今年の終わりはいろいろとあわただしく過ごしている。落ち着いたらまた遊びに出かける!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月6日水曜日

郵便物から

 司馬遼太郎記念館友の会から年会費の払込書が送付されてきた。今年秋から年会費がアップ。1年ごとに払い込んでいたが今回は3年分を振り込む。他にも某会から忘年会の案内が届く。数年前から習いものなどを減らした。またコロナ禍もあって忘年会に出席する機会が減った。忘年会などで気の合う仲間と会うのは楽しい。すぐに出席と丸で囲んで返信した。

 忘年会を知らせる往復はがきを見た時、12月某日、とある。その頃は家のことも終わっているはずなのでよかった。

 話は変わって怖い世の中になっている。国外に目を向ければあちこちで紛争が絶えない。国内はといえば何も関係ない人々に対する強盗が絶えない。都会の出来事と思っていたら日本の各地で事件が起きている。どうしてこんな世になったのだろう。誰も信用できない世の中になりつつある!?怖い、怖い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月5日火曜日

想い出の旅 ポルトガル

想い出の旅 ポルトガル・ロカ岬 絵はがき
 今回の想い出の旅はポルトガル。自分宛てに送った絵はがきに次のように記している。「ヨーロッパ大陸最西端のロカ岬を見た。風は強い。今日は一日リスボン市内の観光。あっという間のポルトガル。楽しい旅であった。1999.8.13 リスボンにて」 

 ポルトガルの旅は一人でツアーに参加した。この旅でフリータイム中、愛知県から1人でポルトガルにやってきたというバックパッカーの若い女性と知り合った。日本からポルトガルまでは長い道のりだ。今となっては詳細なスケジュールを忘れたが日本からポルトガルまでの直行便はないはず。飛行機を乗り継いでバックパッカーの旅をしていると聞いたときは本当に羨ましかった。その際、連絡先を交換した。その人は愛知県でフラワーアレンジメントの教室を主宰していた。

 とてもきれいな若い人でこの人のどこに世界を一人で駆け回る力を秘めているのか、不思議だった。というか、自分の理想のなかには一人で何でもできることがあった。そういう女性を目の当たりにして本当に羨ましかった。しばらくは連絡を取っていたが今は消息は分からない。

 ポルトガルの旅では一人参加が何人かいた。ある時のフリータイムで洞窟に行こうとなった。タクシーをチャーターして洞窟に出かけた。が、フリータイム中にホテルに着く時間が少なくなる。この時は知っている英語で”Hurry up”とまくしたてた。どうにか時間までにホテルに着いた。ホテルは古い宮殿ホテル。
 
 古い旅をアップしていると自分自身がその頃の自分に戻る。そしてまだまだどこにでも行かれそうな気持になる。決して年老いた自分ではない。老いぼれるな、元気を出せ、頑張れ、と活を入れる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月4日月曜日

メガネを直しに街中へ

縮景園のススキ
 この秋は家のリフォームを予定してゆっくり外へも行かれない。昨日、早めに三越へ行って外れた眼鏡のレンズを入れてもらう。今回の外れの原因は掃除機の一部がレンズにあたって外れた。それにしてもこの2,3か月の間に同じレンズの片方がはずれている。気をつけよう。

 広島駅からバスに乗車して八丁堀で下車した。ところがこのバスは始発の駅からカードリーダーが故障していた。下車の際、運転手は一人ひとりにカードリーダーが故障のため運賃は要らないと告げている。長く生きてきてこういったことでただで乗車したのは初めてだった。
 
 三越でメガネを直してもらうと地下の食品売り場で夕食とタルトを購入。タルトと言えば一六タルトが有名だ。他にもツアーで松山に出かけた際に知ったハタダのタルトがある。昨日、三越で買ったのは六時屋タルト。この名前は初めて聞いた。日本画の人が一六タルトでもハタダでもないほかのタルトが好きだ、と言っていた。もしかして六時屋タルトかもしれない。
 
 三越で用を済ませるとあまりにもいいお天気なので縮景園に向かう。先日、縮景園のススキの報道があった。秋の風物詩のススキを見る機会はなく、是非とも見たいと思った。縮景園の受付でシニアの証明を見せると昨日は観覧無料の日だった。祝日とも重なってたくさんの人だ。お茶会もあるらしく、それに参加予定の人が列をなしている。そのそばを抜けて園内を見て回る。ススキがあった。が、そよそよとススキが揺れてる様はなく、ただ一塊のススキだった。これは想像とはちがった。というか、狭い縮景園で草原にたなびくようなススキを想像する方がおかしい!?

 縮景園を出ると隣接の美術館で一休みして駅前の福屋まで歩く。ここでお昼を食べようとした。が、どのレストランも行列だ。仕方なくフードコートに入って簡単にお昼を済ませる。

 昨日は久しぶりに街をふらついて1万歩近く歩いた。やっぱり家に閉じこもらず外に出ると元気が湧いてくる。が、今月中は予定があって自由に動けない。これもしばしの辛抱!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月3日日曜日

大雨警報の翌日は?

 昨日とは打って変わって今朝は清々しい秋晴れである。昨日、午後には雨は止んだ。これで日本画教室に行かれる、と思った。しかし、世間が静かすぎる。これはJRが通ってない証拠?と思ってJRお出かけ情報で検索すると案の定、広島、山口の全線で不通になっている。JRが止まれば雨は止んでも街中に出られない。昨日の日本画教室は何が何でも行きたかった。足の便がなくてはそれもできない。先生に電話して欠席を告げる。結局、JRは一日中、不通で今朝の始発から遅れはあるが動いているようだ。それにしてもJRの計画運休が多すぎる。昨年の日本画作品展の際も開催初日にJRが計画運休になった。

 この秋もホームコンサートの案内が送付されてきた。来月早々の開催でゲストはフルート奏者だ。この人とはフルートを習い始めの頃、代理の先生として2,3度レッスンを受けている。フルート持参で、とあるが当日は忙しい時季で聞きに行かれそうにない。

 ローカルのTV番組を見ていると県北の高野町のリンゴ農家が映し出される。高野のリンゴは県内では有名で農家の人がリンゴコンポートを作っている。コンポート、というキーワードをこの時初めて知る。作り方を見ていると簡単だ。テレビを見終わって家にあるリンゴで作ってみた。リンゴは縦に小さく切って鍋に入れ、適当に砂糖をかける。それを一晩寝かせて水分が無くなるまで煮詰めるとコンポートの出来上がり。一晩寝かせず、4,5時間後に煮つめた。それでも美味しくできた。

 眼鏡のレンズが外れたので昨日、三越に行こうとした。が、JRの不通で行かれない。日曜日に街中に行くよりも平日に、と思った。が、思ったことはすぐにやりたい方だ。眼鏡を直しに三越へ出かける!?

 大雨警報の翌日はいいお天気で家にいるのがもったいない。さあ、出かけよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月2日土曜日

土砂災害警戒情報

 昨日から降り続く雨は止みそうにない。先ほど隣町と住んでいる区からけたたましい音でスマホに警報が入る。外は暗い。今また、土砂災害警報が入る。

 昨夕、ふとしたことで眼鏡のレンズが外れた。外れて床に落ちた時、壊れた、と思った。が、外れただけでよかった。今日は午後から日本画教室。その前に三越に寄って眼鏡を直してもらうつもりでいる。が、雨の降り方によっては眼鏡の修理は後日に、と思ったり。日本画教室もひと月休もうと思った。が、今週は行かれそうなので行く予定でいる。ただ、雨の降り方が気になる。とはいっても天気予報によると夕方には晴れるとか。ブログ作成中、またも緊急メールが入る。隣町の土砂災害緊急避難情報だ。

 この緊急を知らせる情報、体に良くない。スマホ本体が全身を使って「逃げろ!」と叫んでいるように聞こえる。災害も恐ろしいがスマホのこの音も恐ろしすぎる。といいながらもナニゴトも起きず、雨が止むといい。今また、5回目の警報が入った!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月1日金曜日

想い出の旅 ソ連領シルクロード

サマルカンドのレギスタン広場に建つ、
ティリャー・コリーモスク・マドラサ(神学校)絵はがき
 
 今回の旅の思い出は旧ソ連領時代に出かけたウズベキスタン共和国。この時の海外旅行が海外に行き始めて10回目の旅になる。何とその間だけで中国に5回出かけている。如何に中国にハマっていたかがよくわかる。この4年前に初めての海外である中国の旅をした。北京、南京、蘇州、上海などでよくあるコースだ。初めての海外なのに習っていた中国の留学生の妹さんと南京で会っている。また海外旅行最初の夜、タクシーに乗って和平飯店まで出かけ、途中タクシーがエンストした。この時の光景は今でも鮮明に覚えている。とにかく怖くて知っている中国語をまくしたてた。無事、ホテルに遅く帰ったことは覚えている。が、和平飯店に行ったかどうかが今となってははっきりしない。

 自分宛てに送った絵はがきに当時、簡単な中国語で書いている。日本語で記そう。「今日は八月十二日で大変暑い。毎日、楽しく旅をしている。1990.8.12 AM9:40 Samarkand Hotelにて」

 出かけた当時はウズベキスタンはソ連領(ウズベク・ソビエト社会主義共和国)だった。が、その翌年の12月26日にソビエト連邦は崩壊してウズベキスタン共和国になった。当時はシルクロードブーム真っ盛りで海外旅行3回目で中国のシルクロードに出かけ、10回目はソ連領シルクロードに出かけた。

 サマルカンドは暑かったが、ヒワの町はもっと暑く、相部屋の女性は暑さでダウンした。当時の海外旅行は旅行当日の空港で初対面の人と相部屋になる。今では考えられないことだが当時は当たり前だった。

 この10回の旅の間にインドやエジプトなどの辺境の国に出かけている。マイナーな旅はその後も続く。が、今となっては行きたい気持ちがある時に出かけて本当に良かったと思ったりする。とにかく海外に出かけて元気を充電していた!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!