2021年8月31日火曜日

『老いる意味』

 この2年9か月、暑くても寒くても司馬作品にハマっている。それより前、読む本と言えば小説の類はほぼ皆無でエッセイが主体だった。時に、図書館で予約のエッセイなどを確保すると何かに飢えたかのように一気にそれを読む。昨日がまさにその日だった。『老いる意味』(森村誠一 中央公論新社、2021年)、サブタイトルとして「うつ、勇気、夢」を読んだ。

 小説、それも長編小説は時代背景がわからないことにもよるが、文字や文字の意味がわかりずらいことが多々ある。手もとに電子辞書を置いて調べながら読んでいる。そのため、読むのに時間がかかる。その点、エッセイはその必要もなく読みやすい。

 エッセイを読みながら小説とは違って著者から勇気づけられることがある。凡々と暮らす日々に「頑張れ」と言われているような気持になる。以下は、そんな箇所を抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★俳聖・松尾芭蕉の言葉に「不易流行」がある。奥の細道を歩いているなかで辿り着いた境地とされる。普通に考えるなら、流行は最先端であり、最先端は常に変化していく。しかし、芭蕉の考えは違う。……最先端は「現在」という時間であり、そこには常にもっとも新しい自分がいる。不変のものを追い続けている限り、自分もまた不変なのである。……常に人生途上の旅人である覚悟を持ちたい。無限の可能性に満ちた人生にしたいのである。(55-56p)

★老いはつらいことも多いが、ネバー・ギブアップの精神で生きていくこと。生きる意欲を持って日々を楽しむこと。そういう姿勢を持っておくことによって第三期(注:第三期はいわゆる老後)の人生は充実させられる。(59p)

★人生の第三期にもなれば、人の言いなりになっているのではなく「自分はどうしたいのか」ということに忠実に生きていけばいい。(85p)

★老いていくということは、孤独になっていくことである。悲しくはあっても、自然の摂理として受け入れなければならない。(137p)

★現役からの引退は、過去との決別を意味する。いいことも悪いこともすべて過去の出来事として水に流す。それまでにあったことはリセットしてしまい、ゼロから始まると考えてもいい。続編やエピローグのつもりでいるのではなく「新章」にすればいいのである。(197-198p)

★「出会い」というものは、人生の第三期に入っても大切にしたい。人生は出会いの連続であり、出会いというものは三つに分けられる。第一が人との出会い。第二が文化との出会い。本や映画、音楽や絵画、舞台などがそうだ。第三が場所との出会いである。旅などがそうだが、引っ越しにより新しい町に住むことになるならそれも大きい。……それぞれの出会いは、いわば未知との遭遇である。出会いによって未来の可能性は無限に広がる。(198-199p

★人間はいくつになっても新しいことを始められる。常に未来を見つめられていれば、若者と同じ志、若者に負けない志を持つことができる。そうであれば、精神的にも肉体的にも若さを保っていける。……百歳まで元気に生きると自分で決めておき、百歳になったらそこでまた新しいことを始める。自分で「終わり」を決めつけてしまわない限り、人は楽しく生きていける。(232p)

2021年8月30日月曜日

マスク生活

 コロナ、コロナと勢いを増すコロナ情報。1年前と比べると感染状況は改善するどころか増大の一途をたどっている。昨年は秋から年末にかけてGO TOを利用して7,8回国内の旅に出かけた。ところが今年の秋はコロナが収まる気配は全くなく、遊ぶどころの話ではない。

 一昨日の日本画教室に出かけるときに乗ったJR車内。南米人と思われる外国人親子3人はマスク着用なしだった。コロナの感染が出始めて以降、JR車内でマスク着用がない人を見たのはこの日が初めてだ。教室でその旨話すと市内のど真ん中に暮らす人は大型スーパーへ行くとマスクなしの人がいるとのこと。それは外国人に限らず日本人もいるそうだ。これを聞いて街中と郊外の人のマスク生活の違いを垣間見る思いがした。

 近くのスーパーへ歩いて行く道中はマスクをして行かない。が、出かける先の車内やスーパーでの買い物の際は屋内に入るとマスクをつける。が、道中はマスクをつけずに歩いているので不審がられるかもしれない。ラジオを聴いていると「日中の人込みを避けた場所では適宜にマスクを外して熱中症対策をしましょう」みたいなアナウンスがある。今年の夏は大雨が降る日が終わるのを待っていたかのように暑い日が続く。それも残暑、というよりも真夏の暑さだ。この暑さの中、日中に外でマスクをつけて歩くのは無理というもの。

 不便な生活を強いられている。今朝の地元紙を読むと広島県南部の30歳の若者が職場でワクチンを接種した後に死亡している。ワクチンとの因果関係を調べているようだ。が、記事を読んでいると亡くなった息子の親の無念さが伝わってくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月29日日曜日

ブドウあれこれ

 降り続く雨の日が終わった後は連日、蒸し暑さが続く。今朝はすでに熱中症警戒アラートが発令されている。自分自身が歳をとったせいか気象に左右されるようになった。とは言いながらもよく寝るタイプなのでいたって元気。昨日の日本画教室で9時間眠るというと皆に笑われてしまった。寝不足が一番体に堪えると自分自身、わかっている。決して睡眠をおろそかにできない。

 よく寝るといえば日本画教室に出かけた日はいつもよりもさらに眠る。3時間の教室の間、ずっと絵を描いているわけではなく、途中でティータイムがある。昨日は先生からピオーネをいただく。今年初めて食べたピオーネは美味しい。ある人曰く、ブドウの皮をむかずに口に入れていた、と。ソラマメも皮を取らずに食べていたともいう。デラウエアなどの小さいブドウは皮を取らずに口に入れるが、ピオーネは皮つきでは食べられそうにない。

 とはいっても昨年GO TOを利用して出かけた先でシャインマスカットを一房もらって帰った。これは皮ごと食べる品種、とツアーの人に果樹園で教えてもらった。スーパーのくだもの売り場でシャインマスカットを見ると一房当たりの価格が2000円と高価だ。ピオーネも以前は高価だったがこの頃はシャインマスカットほどではなくなった。

 秋が深まるにつれて美味しい果物が売り場に並ぶ。イチジクやネクタリンも並び始めた。イチジクは雨の日の収穫は美味しくない。イチジクは晴れた日に買う方がいいようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月28日土曜日

『余話として』

 『余話として』(司馬遼太郎 文藝春秋、2020年新装版)を読んだ。この本は小説としては書ききれなかったこぼれ話を集めたエッセイ集である。頁数も短く、読んでいてもあの長い小説とは比べ物にならないほど短い文章が並ぶ。著者本人の書いた文章ではなく「解説」として白川浩司が書いた文が気になる。ここに記そう。

★中国を筆頭に、アジアには「専制の系譜」とでも呼ぶべき伝統がある。どんな王朝でも、ひとたび権力を握ると国のものは自分のもの、みんな国を私してしまう。ネポティズムは当然で、帝妃の一族が国費を乱費したり国政を壟断したりするのは、共産党政権になっても変わらない、それがアジア的専制の特徴である。「ところが日本以外のアジアで二人だけ、そうならなかった指導者がいる」と、司馬さんは言われた。「誰ですか」と問うと、台湾の李登輝総統と韓国の朴正煕大統領。この二人だけは、一族を重用もしないし国の財政を私したこともない。それはなぜかといえば、「日本の近代化の影響でもあるんだね」司馬さんが言われたのはそこまでである。(解説「座談の名手・司馬さん」白川浩司 274p)

 先日まで読んでいた『国盗り物語』全4巻を読み終えて今は同じく司馬作品である『戦雲の夢』を読んでいる。これは長曾我部盛親を描いている。出版社は講談社でこれまで読んだ文藝春秋や新潮社とは趣が異なる。同じ文庫でもちょっとだけ文字が大きいようだ。とはいっても相変わらずの長編小説だ。

 コロナは日に日に感染者が増えている。昨年のこの頃、コロナは来年になれば少しは収まると思った。が、それどころか新規感染者は増えるばかり。1年半ほどコロナ禍に悩まされての生活も慣れがあるのか、家に一人でいることが苦痛にならなくなった。これも困ったことで、(コロナが収束すれば遊ぶぞ)という気持ちが薄れてゆく。(まだまだ人生これから)という気持ちでいないといけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月27日金曜日

スマートメーター

  2か月に一度、水道メーターの検針がある。その日は家の裏口の鍵を開けておかないと検針できない。時に、自分が老いぼれて鍵を開けられなくなったら検針者が困る、と気になっていた。そうなったときは鍵を年中、開けていればいいか、とも思ったりした。今朝、地元紙を読むと朗報がある。電気のメーターは屋外にあり、塀は自由に開閉できる。そのためか2年前に電気メーターが何者かによって盗まれた。それを限りとして電気の検針はスマートメーターへに切り替わった。電気のスマートメーターは中国電力によると2015年に始まって以降、今年の6月で7割の普及率だそうだ。ともあれ、我が家のそれは設置された。

 この電力のスマートメーターに相乗りして水道データーを取得する動きがあるという。これは我が家にとっては朗報だ。そういえば都市ガスも以前は鍵を開けて検針していた。ところが何年か前から、家の外からでも電波が飛ぶようになり、塀の外から検針できるようになった。残るは水道メーターだ。電気のスマートメータを設置の際、電力会社の人は、これからメーターが盗まれることがあっても30分おきに本部にデータが知らされてすぐに分かる、と教えてもらった。水道もスマートメーターになれば水漏れなどすぐにキャッチできるそうだ。いいことずくめのスマートメーター。早い設置が望まれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月26日木曜日

「イゾラド」

 総務省の25日の発表によるとコロナ禍で平日のネット利用時間は168分、テレビの利用は160分とネットがテレビを上回っている。これ、わかる気がする。コロナ禍で自由に遊びに行けなくなった。(じゃ、どうする?)、となった時、テレビを見るよりもパソコンで遊ぶ方が楽しい。この時代、パソコンがあって本当に良かった。パソコンにネット接続をすればテレビの見逃し配信であるNHKプラスや民間放送のTverをいつでも無料で見ることができる。また世界のニュースや映画、ラジオなどあらゆる方面の情報も得られる。青空図書館を利用すれば著作権切れの本も読める、といったように優れものだ。とはいえ、画面越しに本や文字を読むのは疲れる。これに関しては紙の媒体が望ましい。

 そんな矢先、昨日はNHKスペシャル選の「大アマゾン最後の秘境4▽最後のイゾラド 森の果て未知の人々」をNHKプラスで見た。イゾラド、と聞いて前にも聞いたことがある、と我がブログを検索すると2018年末に見ていた。だが、その時のイゾラドと今回のとでは違っていた。番組HPによると以下のようだ。

★アマゾンの奥地に未知の世界を追うNHKスペシャル・シリーズ「大アマゾン・最後の秘境」。最終回はジャングルの果て、ブラジル・ペルー国境の森に生きるという、文明と接触したことのない先住民「イゾラド」を追う。近年、噂や伝説にすぎなかった“素っ裸の人間たち”の目撃例が急増。周辺の村では、弓矢で襲われ命の危険にさらされた者も。取材班は、イゾラドの出現が相次ぐ森の奥へと潜入。カメラはついにその姿をとらえた!

 川べりにイゾラドが現れた、との情報を耳にして取材班は急ぐ。取材班といってもペルーの政府関係者と日本の取材班などである。とくに接触を試みる小舟での乗船は日本の取材班は1人だけ許される。毒の付いた弓矢だけがイゾラドの所持品で敵がくれば襲撃する。何とかイゾラドと接触できた。だが、言葉が通じない。小舟に葉現地の原住民が同船している。彼らが放つ「友よ」という言葉が通じた。2回目の接触でハグや握手をして友好を深める。バナナが好物らしく次に来るときはそれを持参。こうして友好を深めて12回の接触を試みた。が、その後、イゾラドの家族が川辺にあらわれることはなかった。

 「人間をどう思っているのか。なぜ人を殺めたのか。あなたたちは幸せなのか」、を彼らに問うた。その答えは「あなたたちは怖い。あなたたちが先に殺した。幸せはわからない」と言った。その後もペルー政府は3か月間、彼らと接触を続けた。しかし彼らは奥地へ帰ると言ったきり姿を現していない。

 文明と接触したことがない人たちをイゾラドと呼ぶが彼らが自分たちのことをどう呼んでいるのかわからないそうだ。日本人の取材班は彼らと接触するに際して4度ほど免疫注射を打って臨んでいる。文明の免疫に接しないイゾラドはウイルスに接すればすぐに死んでしまうからだ。テレビを見ていてイゾラドの人たちが同じ人間とは思えず、まるで動物の集団に思えた。取材班の衣服や持物を奪おうとする場面は迫力があった。これもすべてはこの世の出来事だ。が、まだまだ理解に苦しむモノ・コト・ヒトは多い。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月25日水曜日

久々に薄日が射す

 今朝早く携帯に電話がなる。昨日からの蒸し暑さは半端でなく、今朝はゆっくりしていた。電話があった時刻は一般的には早くはないのかもしれない。午前8時だった。電話の主は県北に住む友だち。コロナ禍以降、人と会う機会がめっきり減った。(じゃ、電話で)、となりそうだが、それもほとんどなかった。コロナが落ち着けば県北へ遊びに行く予定だったが、収まるどころかコロナ感染者は増加の一途をたどっている。

 今朝の情報によると広島県は緊急事態宣言発令となりそうだ。ますます人と会えなくなる。友だちとの電話は長くなった。(秋になれば遊びに)と言いかけたら、友だちはまだ収まらないという。互いに元気で、と言って電話を切った。

 朝からゆっくりしている。どういっても湿度が高すぎる。薄日がやっと射し込んできた。日中は31度と気温も上がる。明日からは本格的な暑さになるらしく、34,5度の予想だ。

 蒸し暑さに負けず、コロナにも負けず……。

 ともあれ今日も元気に楽しく過ごしましょう!