2021年4月30日金曜日

行く当てのない行楽シーズン

  緊急事態が出ている地域の演奏家はキャンセルの連絡が次々と入るようだ。その合間に動画撮影とある。今回は名曲シリーズのようでYOU TUB先生のアップが待たれる。

 今朝はいいお天気、と思ったのもつかの間、辺りが暗くなる。さすがに今日は雨の予報はなく、お天気となるに違いない。

 GWに出かける当てもない。が、先日出かけた旅行社から、日帰り旅の案内が届く。一日ごとに広島のコロナ感染者が増大し続ける。昨日は県内で76人。増えてゆく数字を見るとどこにも行かなくてもいいとの気持ちになる。といいながらGW明け後、絵の教室も2週続けて休みになる。水泳をするにしてもその後の暇はぬぐえない。どういっても今が一番の行楽シーズン。じっと家にいたくない。

 県立美術館で開催中の南薫造展はすでに見た。安浦にある南薫造の生家が記念館になっている。安浦に出かけたことがないので行きたい気もする。呉線に乗れば1時間で行ける。安浦駅から徒歩で15分歩くとか。予定は未定、さてどうしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年4月29日木曜日

降り続く雨

  昨日から今日にかけて降り続く雨。GWに突入の割にはお天気が良くない。カレンダーを見ると明日だけ休めば7連休。もうとっくに現役を引退して毎日がGWの日々を過ごしている。こういう身にはGWも関係ないかもしれないが……。

 今朝はパソコンの調子がよくない。というか、起動を待たずしていろいろとパソコンを触るのがいけないのだろう。やっと今、パソコンは順調に動き出した。もしも孤島に何か一つを持って行っていいと言われればパソコンがいい。それくらいパソコンは自分の一番の友である。ちょっとしたテレビの見逃しもパソコンで見られるし、ニュースもネット記事がある。青空文庫を見れば本も読める、とパソコンで用は足りる。

 降り続く雨。今日は一日中、家でおとなしく本を読む!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年4月28日水曜日

YOU TUBE先生のブログから

 毎日見ている人のブログにフルートのYOU TUBE先生がいる。今朝も見ると次のようなブログのアップがある。以下はその一部から勝手に引用させていただこう。  

<私自身もこのブログというものを2012年からずっと書き続けてきたけど、
この習慣が私の知能の低下を防いでるような気がする。
でもあんまり活字読まなくなったから関係ないかも。😅
読むのと書くのとで使う脳の領域は違うと思う。
そして実際、活字を読むのが面倒くさくなってる。
コレは、将来やばいぞ…>

 ブログは前のブログ開始が2009年6月。今のタイトルに替えたのが2011年2月。もうすぐブログ開始から丸12年になる。この習慣が知能の低下を防ぐ……、と思ってアップし続けたことはない。が、少しは知能の低下を防いでくれているかもしれない。活字は読まなくなったどころか若いころよりもかなり本を読んでいる。年を取ると本が読めなくなるとの声もある。ところが、視力が悪い割にはどんな小さな文字も読みづらさを感じたことがない。お陰で本が読める。

 読む本は大体4か所から選ぶ。1番目は新聞や雑誌などのメディアを通じて紹介される本。2番目は読んでいる本に書いてある引用や参考文献の本。3番目として図書館の新刊図書検索で探した本。4番目として本屋で見つけた本がある。ただ、4番目の本屋は図書館を利用し始めてあまり出かけることがなくなった。母を介護して忙しかった日々には本をネットで注文してセブンへ受け取りに出かけた。今はネット注文はしなくなったが……。

 最近、もうすぐ読み終える本多静六の『私の財産告白』がある。昭和25年に85歳の著者が書いている。この著者は一度も会ったことがない母の父である私の祖父と同時代を生きた人だ。その人の本をなぜ今知ったのか。多分、何かの本に引用されて感動し、読もうと思ったのだろう。金銭の金額は当時のままで今の金額にするといくらになるか見当もつかない。が、読んでいると今の時代に全く違和感なく読める。この本の予約をしてから手もとに届くまで長くかかった。読んだ後も予約する人が絶えない。今、なぜこの人の本がブームなのだろう。財産をただ貯めるだけでなく、貯めた財産を公に、それも匿名で寄付した。この生き方に多くの人が感銘するのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年4月27日火曜日

2か月ぶりに泳ぐ「

 今年になっての初泳ぎは3月2日。その日以来、約2か月ぶりに泳ぎに行く。急に泳ごうと思いつき、プールの開館も確認せずに出かけた。出かけたのはいいのだが、自転車に乗っている間はマスクをポケットに入れたままにしている。プールに着くと開館していた。よかった、と思ったのもつかの間だ。受付に行こうとしてマスクを探すがマスクがない。自転車に乗っている間にマスクを落としたようだ。

 「マスクを落とした」、と受付の列に並ぶ見知らぬおっさんに話すと「大丈夫よ、気にしんさんな」と言われる。この「大丈夫よ」を聞いて気も休まる。受付でその旨、話すと「いいですよ」とロッカーのカギをくれた。プールで泳ぐ際はマスクはつけない。これがもしもコンサートや美術館だったらマスクなしでは入れない。何しろ、思い付きで出かけたプール。マスクの予備をどこへ行くにも持ち歩かねばならないと肝に銘じる。

 プールに入ると顔見知りに声を掛けられる。(どの人も皆、親切じゃ)と思いながら泳いでいるとほかの人からも声を掛けられる。「明日から1週間、プールは休館よ」と教えてもらう。これに応えて「コロナでまたも閉館?」と聞くとどうもこの場所がワクチン接種の会場となるらしい。

 プールが臨時休館となる際は名刺大くらいの印刷物が受付に置いてある。ところが、しばらく泳がないうちに「プールの利用表」というタイトルのA4サイズの印刷物になっている。泳いでいるとき、その印刷物が置いてあると教えてもらった。水泳300m、水中歩行100mでプールを終えると受付に行く。鍵を返すと利用カードを返却してもらう。その際、係から「〇〇さんは久しぶりね」と気やすく言われる。(何と親切)と思った。どうも係は「プールの利用表」を渡そうとしたらしい。さっきプールで教えてもらった旨、話して開館を出た。

 今日から1週間休館とも知らずに出かけたプール。出かけた昨日は運よく開館していてよかった。そして久しぶりのプールだったが、皆さんに親切にしてもらった。やっぱりプールはいい、と改めて感じる。コロナ禍でもう泳ぎに行けないと思ったこともあった。が、まだ元気で泳ぐことができる。少しずつ泳ぐ距離を元に戻そう。ただ、5月のプール利用表を見ると月の3分の1しか開館していない。毎週月曜日は開館しているので月曜日に泳ぐようにしよう。

 プールと自転車は自分自身の元気のバロメーター。どちらかが欠けても元気でなくなるかもしれない。プールまでの道は結構、車が行き交う大通りであり、かなり気をつけて自転車に乗っている。が、その何分の1かは自転車を押して歩いている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年4月26日月曜日

『明治維新の意味』

  『明治維新の意味』(北岡伸一 新潮社、2020)を読んだ。本の裏表紙には次のように書いてある。「明治の国家運営は、何が優れていか?」。

 <かの石橋湛山は明治維新御改革を高く評価した。新政府成立から時を置かず、遷都、廃藩置県、徴兵制、地租改正、義務教育、鉄道・通信の敷設と、矢継ぎ早に実行に移し、西南戦争などの内憂もありながら、憲法制定、議会政治樹立にまで至る。この間のスピード感あふれる政治の実態を、現代の政治学者の眼から生き生きと描き、新たな「明治維新論」を提示する>。

 近代に関心がある。この本を興味深く読んだ。また、いつものように気になる箇所を記そう。

★明治維新は、西洋の脅威に直面した日本が、近代化を遂げなければ独立を維持できないと考えて行った革命であった。筆者もこの立場をとる。そして尊王攘夷という言葉は、次のような意味に解すべきだと考えている。すなわち、尊王とは、大名分国制を廃し、統一した国家としなければ列強と対抗できないという理解が、その根底にあり、また攘夷とは、西洋諸国と並び立つ国になりたいという感情を基礎としていた。尊王攘夷という言葉は、このように中央集権と対外的独立という、ナショナリズムの内外の両側面を直截に示す言葉であったがゆえに、当時の人心に強くアピールしたのであると考えている。(18-19p)

★もっとも成功した革命は、アメリカ独立革命と明治維新であるという見方も提示され、今では多数派となっていると言ってよいだろう。……スターリン体制の実態が知られ、中国の文化大革命に対する失望が広がるとともに、大きな革命がよいことだとする考えは、徐々になくなっていった。(20p)

★武士の身分のまま農業に従事したものや、武士の待遇を受けていた農民もいた。彼らはしばしば郷士(ごうし)といわれた。土佐藩においては、関ヶ原以前に四国を支配していた長宗我部家の旧臣を懐柔するために郷士に取り立てている。土佐では郷士に対する差別が強く、幕府や藩の権威が衰えたとき、郷士から尊王攘夷運動に加わるものが多かった。坂本龍馬、中島信行、武市瑞山などがいる。(30p)

★雄藩を動かすに至った思想やエネルギーは、越前の橋本佐内にせよ、あるいは佐久間象山にせよ、福沢諭吉にせよ、下から噴出したものであった。革命は辺境から起こるものである。(63p)

★江戸開城の直後、薩摩藩洋学校(開成所)の教授、前島密が江戸遷都論なる建白書を大久保に届け、遷都しなくても大坂には衰退の心配がないが、江戸を首都にしなければ衰退する、帝都は国の中央にあるべきだ、大坂は小さく、道路も狭い、江戸は諸侯の藩邸などを使うことができて、官庁を新たに作る必要が少ない、などの理由を挙げていた。大久保はこれに影響され、徳川氏を駿府に移し、江戸を東京にするという案に傾いていく。(89p)

★藩の後ろ盾を持たない天皇制官僚たる木戸、大久保、西郷らのイニシャチブによって、廃藩置県は実行されたのである。……明治四年に断行された廃藩置県こそは、維新革命の性格を決定づけ、またその後の方向を決めるもっとも重要な決定であった。また新政府の本質は攘夷であると信じ、その行方を深い懸念をもって見守っていた福沢諭吉は、廃藩置県を知って、この盛事を見たる上は死すとも悔いずと、狂喜乱舞したという。福沢の『学問のすゝめ』初編は明治二年五月に出ているが、これは、廃藩置県に対する歓迎、興奮から出たもので、この方向を推進したいとして執筆したものであった。(104p)

★一般国民を基礎とする徴兵制度を提唱したのは長州の大村益次郎(一八二五~一八六九)であった。大村は司馬遼太郎の小説『花神(かしん)』で有名になったが、戦前には陸軍建設の祖として知られていた。靖国神社に巨大な像があるのは、そのためである。(111-112p)

★岩倉使節団ほど大規模なものは例を見ない。……興味深いエピソードの一つは、一行が、まだ工事中であった新橋ー横浜間を鉄道に乗ってから出かけたことである。海外で、日本には鉄道があるかと尋ねられるだろう。そのとき、もちろんあると言うために、彼らは乗ったのである。(137p)

★私はこの大久保の衝撃を、安政六年(一八五九年)、開港直後の横浜を訪れたときの福沢諭吉の衝撃と比較したいと思う。死ぬほど勉強してきたオランダ語が通じなかったときの福沢の衝撃は想像にかたくない。しかし福沢は立ち直って。英学に挑んだ結果、僅か半年で咸臨丸に乗るという幸運に恵まれた。大久保は、英仏の文明に巨大な衝撃を受けたが、やはり立ち直って、近代化の課題に全身で取り組むようになるのである。(142p)

★西郷は、つねに、最前線で危機に立ち向かい、兵士とともにあることで、兵士の信頼を得てきた。第一次長州征伐の際の和平交渉など、その例であった。兵士たちの絶対の信頼を得てきた西郷にとって、彼らを裏切ることはできなかった。自分を慕う仲間を裏切ることなく、しかし同志である大久保の国家建設を妨害することもなく、戦士の同胞の思い出の中に死んでいくことが、西郷の希望であったと私は考える。これは、政治的人間である大久保と、非政治的・宗教的人間である西郷の、決定的に違うところであった。(162-163p)

★かつて征韓論に反対した大久保が、今度は台湾に兵を出し、しかも列強の意向に右往左往したと批判する説がある。それは全くの間違いである。軍事行動には戦略的なものと自衛的なもの、そしてその中間的なものがある。台湾出兵は、その中間であるが、沖縄が日本の一部であることを確認するために行われた限定的な軍事行動であって、昭和期における侵略とは全く異なる。(168p)

★大久保の輿望は政府を圧倒していた。……大久保はまた、努力の人であった。彼の書いた書簡や意見書の数はおびただしい。……大久保は困難に直面した場合の心構えを論じて、「例えば或る目的地に向かって路をゆくに当たり、忽ち行詰りとなったならば、万難を排して踏破するなり、または迂回するなり、臨機に適当な手段を用いなければならぬ。其処で静定の工夫を回(めぐ)らしたならば、必ず何処にか活路が見出されるものである。……行詰まってただ困ったと思うばかりでは、いつ目的地に達し得るやわからぬ。人間は行詰っても、行詰らぬように心がけていなければ大事業は成し遂げられるものではない」と語ったという。(205-208p)

★福沢の「脱亜論」は、あたかもアジアに対する侵略の宣言であるかのように言わることがあるが、そんなことはどこにも書いていない。福沢は「小さな政府論者」であった、版図拡大を議論したことがほとんどない。福沢が最も重視したのは貿易であった。このような「野蛮」な国をテコ入れして近代させるのは無理である、むしろ、こういう国と同類と思われても困る、いわば普通の国として、交際していこうというのが、彼の政策だった。かつて福沢は朝鮮が近代化することを願い、そのために力を傾けた。しかし、その努力が水泡に帰したとき、朝鮮が近いからといって、特別の配慮をすることは必要ない、と言ったのは、極めて自然なことであったように思われる。(253p)

★明治維新以来の政治でもっとも驚くべきことは、日本が直面した最重要課題に政治が取り組み、ベストの人材を起用して、驚くべきスピードで決定と実行を進めていることである。現在の日本は、きわめて閉塞的な状況にある。そのために何をすべきか、簡単な答えはない。ただ、重要な判断基準は、日本にとってもっとも重要な問題に、もっとも優れた人材が、意思と能力のある人の衆知をあつめて、手続き論や世論の支持は二の次にして、取り組んでいるかどうか、ということである。それを明治維新の歴史は教えてくれている。(328-329p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年4月25日日曜日

県北の美術館巡り

  外に出かける日は晴れになる。昨日もそうだった。日本画教室の仲間8人で大型タクシーをチャーターして県北にある2か所の美術館に出かけた。安芸高田市にある八代の丘美術館近くに着くとまだ開館前の時刻だった。開館まで近くにある産直市に立ち寄る。市内のスーパーとは違って今が盛りの筍など地域で採れた野菜や柏餅なども並ぶ。ここの柏餅が美味しいとのことで1パック購入。筍も久しく食べていないので買いたかったが持ち歩くのも大変と思ってあきらめる。

 10時、八千代の丘美術館に到着。今回で2回目の訪問だ。この美術館は事務棟のほかに15棟の建物がある。そのうち12棟に芸術家が1年間、1棟すつ貸与されたスペースに自分の作品を展示する。他に3棟あるがこれは企画展の展示棟となっていた。15棟のうち日本画の作品は習っている先生の棟だけ。先生の棟に入ると展示スペースの奥はプライベート空間となっている。何と2階もある。1年を3期に分けて展示し、1期は院展入選作品の展示がある。だが、このように入選作を同時に見ることはなかった。山へと続く道を描かれた作品が多い。100号はあると思える大きな絵。その中にたたずむとまるで自分が山道を歩いているかのような錯覚に陥る。

 プライベート空間の部屋で市内で用意したむさしのお弁当をいただく。棟にはお風呂はないものの各棟、トイレや炊事の設備は整っている。十分ここで寝起きができ、絵も描けるようになっていた。今はここで寝起きする人はいないようだが、以前はいたらしい。

 先生には絵のお話はもちろんのこと、果物や和菓子、そしてお茶の接待までしていただいた。八千代の丘美術館の他の棟も見て回る。この日は他の展示棟には先生を入れて2人の画家がいらしゃった。先生の絵のほかに田村元の老人を描いた作品や田原馨の樹木の作品が気に入る。

 公共機関で簡単に来られそうにない場所なので連れて行ってもらって本当に良かった。八千代の丘美術館を後にして三次で開催中の田中一村展に向かう。世の中、緊急事態云々と騒々しい中、県北のこの美術館周辺はコロナとは無縁とばかりに大勢の人が来ている。駐車場は満杯状態だ。聞くところによると人の多さは美術館に行く人ばかりでなく高校野球の試合をこの辺りでやっていることにもよるらしい。

 気候は春を通り越して夏の陽気だ。「奄美へとつづく道」と題された一村展。南国の樹木の枇榔や蘇鉄が生き生きと描かれている。栃木県出身の田中一村がなぜ奄美にやってきたのだろう。ままならぬ日々がつづく中、行き着いた先が奄美!?この人の作品集を読みたくなり早速、図書館に予約した。絵を堪能後は近くの産直市とワイナリーに向かう。年に1度も食べないソフトクリームを口にする。そしてワインを試飲。

 三次から高速に乗ると1時間で市内に着いた。人の混み具合は市内よりも県北の方が著しい。そして暑かった。暑さと人混みに疲れてしまい、楽しみにしていたBSの大瀧詠一の番組を15分しか見られず寝てしまった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年4月23日金曜日

展覧会三昧

  展覧会三昧の一日は終わった。JRに乗って広島駅まで行く。広島駅ビルは解体されている。その様子を見ようと駅表口のバス停に向かう。ところが大掛かりな工事現場は母衣がかけられて見ようにも見ることが出来なかった。バスで八丁堀に向かう。今回の展覧会巡りはいつもと逆パターンで見て歩く。まずは某金融機関10階にあるギャラリーに入る。コロナ禍の中、絵を見るにも検温、消毒、記帳と煩わしい。と言っても係はいたって紳士的な応対だ。

 このギャラリーは春と秋の年2回、1か月間、保有する文化勲章受章者などの日本画を無料で展示する。落ち着いた雰囲気の中、絵を見る。このギャラリーの良さは目がよくないものにとっては絵に近づいて見られるのが嬉しい。絵を堪能後、画材屋によって胡粉と膠を購入。お店の主は相変わらず威勢がいい。

 画材屋を出ると県立美術館で開催中の特別展「没後70年 南薫造 日本の印象派」を見る。「座せる女」、「六月の日」、「夏」などが気に入る。展覧会場は展示が始まって3日目とあって見る人も少ない。ゆっくりと見てゆく。絵を見た後は美術館内のカフェに入る。席に座ると何やら騒がしい。周りを気にせずに座ろうとすると横に座る人が誰だかわかっていないと言って笑われる。某会の会長だ。また、幹事さんもいらっしゃる。このお二人はともに某美術館の元館長をされていた。幹事さんはまた特別展を見ておられないらしく、絵を見た後で再度カフェに戻られた。

 カフェでお昼を食べ、コーヒーを飲む。ところが会長の席と座った席はテーブルが別々になる。幹事さんが戻ってこられても、これまたテーブルが別になる。コロナ禍のため蜜を避けけての座席である。狭いカフェ内で3人が別々に座って話をする。ましてやマスク越しの話だ。さらには3人とも若くない。マスク越しでの話す声は聞き取れず話を聞いていても半分もわからない。しまいには笑いが起きる。会長の我流の手話での話が続くがこれがまたおかしい。

 街に出ると偶然とはいえよく人と出会う。昨日のカフェでの出会いにも驚いてしまった。そしてご馳走にまでなった。会長は日展の小品展を見に行かれるという。その前に美術館地下で開催中の油絵の展覧会を見る。絵の主催者は大きな団体らしく地下ギャラリーをすべて貸し切っての展覧会だった。その後、会長について福屋で開催中の日展小品展を見に行く。ここで会長はある画家とばったり会われた。その人は以前、絵を見て気に入った画家だった。元は金融機関に勤めていた人らしい。日展に入選される画家だけあって素晴らしい絵を描かれている。

 絵を習う前までは絵を見て今ほど感動することはなかった。ところが絵を習っていると絵のジャンルは異なっても絵に対する好き嫌いが顕著になる。それだけ絵を真剣に見ているのかもしれない。

 次の美術館巡りは日本画教室の先生や生徒たち8人で八千代の丘美術館と三次の田中一村展へと続く。八千代の丘美術館は以前に出かけた某会の梨狩りの帰りに、昨日出会った二人の元館長さんたちと見に行っている。某会の会長は今、海外に行かれない状況の中、国内で遊ぶ計画をされている。楽しみだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!