今日は花曇りの朝。だが最高気温は19度の予報で日中は気温も高くなりそう。
昨日も暖かい日だった。午後、メーカー主催の年に一度のフルートのクリニックに出かける。前回のフルート定例会で同じ時間に3人の予約を入れている。
楽器店に着くと知人はクリニックの受付をしている。受付を済ませてクリニックの時間まで話をしていると、終わった後の予定を聞かれる。「特別にはない」と話すと、夜、開催されるオペラのチケットをくれるという。
「じゃ、スペイン語の講座を休むメールをする」と告げると、「何も用事がないと言ったじゃない!?」と知人。
昨日はフルートとスペイン語の辞書を持参。そのためバッグは重い。大学と違ってサークル活動のスペイン語は休んでもいい感覚に陥る。オペラを優先してしまった。
オペラの話とともに、1年半前に出かけたスペインで知り合った人に携帯番号を知らせるように言われる。だが、全く名前が浮かばない。話した本人も名前が浮かばない様子で、その人の家の話をして納得させようとする。それを聞いて誰のことかはわかる。だが、相変わらず名前を思い出せない。
以前、スペインで知り合った人たちの携帯番号を教えてもらっていた。だが、昨年末、携帯電話を洗濯機に入れて洗濯してしまい、どの人の番号もわからなくなる。
フルートのクリニックを終えた3人でカフェに入る。尾道の人に奢ってもらってケーキと珈琲でティータイム。ありがとうございました。美味しかった!
知人はオペラまでの間、用事があるらしい。ここで一端別れ、尾道の人と話をする。その後、尾道の人とも分かれて紙屋町から平和公園の桜を眺めながらオペラ会場へ向かう。
その時、ずっと考えていたスペインへ行った人の名前を思い出す。この間、約2時間。固有名詞は強いと思っていた。だが半年以上会っていないとすぐに名前が出てこない。これはよくない。頭を使うようにしなくては・・・。
後から会場に来た知人に思い出した名前を告げる。そして、もらったプログラムに入っていた用紙に携帯番号とメモを書いてその人に渡して貰うように言付ける。
それにしても頭の活性化を図らなければいけない。思い出した人の名前はポピュラーではない。姓は2文字。一文字がわかるまでに1時間半強、それからしばらくして2文字目を思い出す。何と情けない。
さてオペラ。会場入り口から著名人の花束も目立つ。ズラーッと花束の列。その香りだけで華やかさに圧倒される。
席は座席指定席で横は知人の知り合いの中国から帰国した夫婦と聞いていた。知人が来るまでの間、見知らぬ人なのに中国語で話をする。初めましてと言った後、名前を名乗る。そして知人の朋友であると話す。先方はこれを聞いて驚いた様子。無理もない。その夫妻は知人から何も聞かされていないのだから・・・。
オペラは主宰する団体の25周年事業らしく昨夜のタイトルは「シンデレラ」。
昨夜は主宰者が主役でなく、初めて主役を交替したとか。だが、妖精演じる主宰者は華がある。舞台そのものも衣装もきらびやかで華やか。もらったプログラムによると「永遠のファンタジー、マスネの妖精物語」とあり「皆様を夢の世界へと誘います」とある。
このパンフの通り、夢の世界は華やかだ。だが一番かわいかったのは小さい子供たちが演じる鼠たち。その姿は笑いを誘う。
オペラ終了後、知人と平和公園を抜けて紙屋町へ向かう。夜9時も過ぎている。しかし桜も満開の平和公園には花見をしているグループが沢山いる。
楽しいオペラでした。チケットと珈琲もありがとうございました!
頭の活性化のためにもいろんなところへ出かけ、いろんなものを観て楽しもう!昨日は2人のフルート定例会の人にご馳走になる。本当にありがとうございました!
それにしてもこの1週間よく動いた。昨日の携帯の万歩計は11029歩。今日も頭の活性化のためにも一日動いて頑張ろう!
2013年3月31日日曜日
2013年3月30日土曜日
『かわいい自分には旅をさせよ』
今日の最高気温17度、最低気温7度と春らしい陽気になりそう。
昨日は久しぶりにプールへ行く。春休みとあって親子連れも何組かいる。いつものように先ずはビート板を持って泳ぐ。このビート板を使うと如何に足を使わず、手だけで泳いでいたかがすぐにわかる。前に進まない。
片道だけビート板を練習した後はいつものようにクロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。途中、子供が泳いでいるので顔見知りの女の人から「こちらへ泳ぎにおいで!」と声をかけられる。すぐに移動する。
これから暖かくなると次第に泳ぐ人も増えるだろう。増えるのはいいのだが人とぶつかるのが怖い。泳いだ後は相変わらず鼻水と格闘する。
先ほど福岡から旅の情報誌が送られてくる。中を見ていると行きたい国もある。イギリスは英国航空で出掛けた際、立寄っただけ。そのイギリスの湖水地方、他にはベトナムのフエ、カムチャッカ、それに国内の尾瀬。この場所へはいつか行こう!
最近読んだ本に『かわいい自分には旅をさせよ』(浅田次郎 文藝春秋、2013年)がある。この本は図書館の新刊検索で本の題名に惹かれて借りたもの。この本のタオトルどおり、かわいい自分には旅をさせてあげたい(旅をしたい)。
以下はいつものように気になる箇所を抜粋したもの。
「『かわいい子には旅をさせよ』という格言は、今や死語であろう。かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日では娯楽の王者となってしまった。・・・旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損なわれたわけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人にとっての好ましい形になったと言える。この復員に甘んじぬ手はないだろう。『かわいい自分には旅をさせよ』である。・・・私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は感動をもたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでもなく、かわいい自分のために旅をするのである。」(27p)
「いつであれ、どこであれ、思い立ったとたん旅に出ても、この国はけっして私たちを裏切らない。日本の旅にはシーズンオフも、ベストシーズンもないのである。四季折々の風物がことごとく季語となるように、私たちの生まれ育ったこの国は、いつもどこも美しい。日本に母国や祖国という言葉がなぜかそぐわぬのは、父母とも祖先とも呼べぬ、あえて言うなら絶世の美女だからであろう。そして私たちは、類まれなるその美貌を、いまだ良くは知らない。」(29p)
「美しいものを美しいままに表現するのが芸術。それを『言葉』でなそうとするものが文学。そして、それを『物語』という形式で表そうとするものこそ、小説です。」(48p)
「自然は美しい。もちろんその自然の中の人間の営みも、僕はそれを小説として表現するにあたり、最も直截的な感情表現である『ユーモア』と『ペーソス』を用います。…僕には夢があります。バチカンで、ルーブルで、フィレンツエで、僕は奇蹟を見ました。ミケランジェロ・ヴォナローティは明らかに、古代の芸術家を超えた。文明の進化とともに衰弱する芸術の宿命の中の、これは奇蹟です。彼が一本の鑿で、一個の大理石の魂にうがち出した奇蹟を、僕もいつか一本の筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を。かけがえのない美を。」(49p)
「元の後を受けた明は純潔の漢族王朝と言えるが、それに続く清はまたしても北方の女真族王朝である。つまりこの先年の間に中国を支配した王朝のうち、漢民族王朝は宋と明だけで、ほかはすべて異民族による征服民族国家であった。トーマス・バートンが言う北京の魅力とはこれであろう。そもそも定住地を持たぬ遊牧民族や狩猟民族が、不毛の砂漠のただなかに築き上げた都ーそれが北京の正体である。」(62-63p)
「順治帝が見えざる何ものかに導かれるように乾清門の九龍壁の前に立つと、ふいに一頭の龍の口から七彩に輝くダイヤモンドが吐き出され、幼い帝の掌に転がり込んだ。天命が下ったのである。『蒼穹の昴』において私は、神の定めた運命に抗わんとする人間の姿を描いた。人間は神すなわち天然の所産のひとつにちがいないけれでも、鳥獣草木と異なるところは、その天然の仕打ちに抗う権利と実力とを有する点にあると信ずるからである。人類の歴史はそうした先人たちの努力の集積であり、その結果としての世界であると思えばこそ、人類の歴史は輝かしい。」(65p)
「私は愛国心もナショナリズムも、さほど必要なものだとは思わない。しかし、主義主張とは関係なく、日本という国、日本人という民族について知らなければなるまい。憲法の条文にはない国民の義務であろうと思う。したがって、国史を学ばずして世界史を学ぶ資格はなく、京都を知らずにパリに行く理由はない。そう考えても、海外旅行に行くべき人物といえば、長く日本人であり、この国のかたちを知る人々でなければならぬ、と私は思うのだが。」(89p)
昨日は久しぶりにプールへ行く。春休みとあって親子連れも何組かいる。いつものように先ずはビート板を持って泳ぐ。このビート板を使うと如何に足を使わず、手だけで泳いでいたかがすぐにわかる。前に進まない。
片道だけビート板を練習した後はいつものようにクロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。途中、子供が泳いでいるので顔見知りの女の人から「こちらへ泳ぎにおいで!」と声をかけられる。すぐに移動する。
これから暖かくなると次第に泳ぐ人も増えるだろう。増えるのはいいのだが人とぶつかるのが怖い。泳いだ後は相変わらず鼻水と格闘する。
先ほど福岡から旅の情報誌が送られてくる。中を見ていると行きたい国もある。イギリスは英国航空で出掛けた際、立寄っただけ。そのイギリスの湖水地方、他にはベトナムのフエ、カムチャッカ、それに国内の尾瀬。この場所へはいつか行こう!
最近読んだ本に『かわいい自分には旅をさせよ』(浅田次郎 文藝春秋、2013年)がある。この本は図書館の新刊検索で本の題名に惹かれて借りたもの。この本のタオトルどおり、かわいい自分には旅をさせてあげたい(旅をしたい)。
以下はいつものように気になる箇所を抜粋したもの。
「『かわいい子には旅をさせよ』という格言は、今や死語であろう。かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日では娯楽の王者となってしまった。・・・旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損なわれたわけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人にとっての好ましい形になったと言える。この復員に甘んじぬ手はないだろう。『かわいい自分には旅をさせよ』である。・・・私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は感動をもたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでもなく、かわいい自分のために旅をするのである。」(27p)
「いつであれ、どこであれ、思い立ったとたん旅に出ても、この国はけっして私たちを裏切らない。日本の旅にはシーズンオフも、ベストシーズンもないのである。四季折々の風物がことごとく季語となるように、私たちの生まれ育ったこの国は、いつもどこも美しい。日本に母国や祖国という言葉がなぜかそぐわぬのは、父母とも祖先とも呼べぬ、あえて言うなら絶世の美女だからであろう。そして私たちは、類まれなるその美貌を、いまだ良くは知らない。」(29p)
「美しいものを美しいままに表現するのが芸術。それを『言葉』でなそうとするものが文学。そして、それを『物語』という形式で表そうとするものこそ、小説です。」(48p)
「自然は美しい。もちろんその自然の中の人間の営みも、僕はそれを小説として表現するにあたり、最も直截的な感情表現である『ユーモア』と『ペーソス』を用います。…僕には夢があります。バチカンで、ルーブルで、フィレンツエで、僕は奇蹟を見ました。ミケランジェロ・ヴォナローティは明らかに、古代の芸術家を超えた。文明の進化とともに衰弱する芸術の宿命の中の、これは奇蹟です。彼が一本の鑿で、一個の大理石の魂にうがち出した奇蹟を、僕もいつか一本の筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を。かけがえのない美を。」(49p)
「元の後を受けた明は純潔の漢族王朝と言えるが、それに続く清はまたしても北方の女真族王朝である。つまりこの先年の間に中国を支配した王朝のうち、漢民族王朝は宋と明だけで、ほかはすべて異民族による征服民族国家であった。トーマス・バートンが言う北京の魅力とはこれであろう。そもそも定住地を持たぬ遊牧民族や狩猟民族が、不毛の砂漠のただなかに築き上げた都ーそれが北京の正体である。」(62-63p)
「順治帝が見えざる何ものかに導かれるように乾清門の九龍壁の前に立つと、ふいに一頭の龍の口から七彩に輝くダイヤモンドが吐き出され、幼い帝の掌に転がり込んだ。天命が下ったのである。『蒼穹の昴』において私は、神の定めた運命に抗わんとする人間の姿を描いた。人間は神すなわち天然の所産のひとつにちがいないけれでも、鳥獣草木と異なるところは、その天然の仕打ちに抗う権利と実力とを有する点にあると信ずるからである。人類の歴史はそうした先人たちの努力の集積であり、その結果としての世界であると思えばこそ、人類の歴史は輝かしい。」(65p)
「私は愛国心もナショナリズムも、さほど必要なものだとは思わない。しかし、主義主張とは関係なく、日本という国、日本人という民族について知らなければなるまい。憲法の条文にはない国民の義務であろうと思う。したがって、国史を学ばずして世界史を学ぶ資格はなく、京都を知らずにパリに行く理由はない。そう考えても、海外旅行に行くべき人物といえば、長く日本人であり、この国のかたちを知る人々でなければならぬ、と私は思うのだが。」(89p)
2013年3月29日金曜日
「介護が生きがい」
今日の天気予報によると最高気温18度、最低気温10度。暖かいはずなのに今朝は花曇りで陽射しがない。
昨日は咲き始めた桜を見に行く電話もかかる。短大時代の友だちだった。市内に住んでいる3人で来週はじめに会うことにする。
電話を掛けてきた人の開口一番は「居た、居た!」。何と言う言葉。留守にすることが多いのでそういわれても仕方ない。
今朝の地元紙「くらし シニア」欄の「最期の迎え方」に9年8ヶ月にわたって親を介護した地元のライターの記事がある。それによると「頑張って介護してきたからこそ、前に進むパワーをもらえた。和ちゃんの介護が生きがいだったと今は照れずに言える」とある。そして、元気だった頃の母親(和ちゃん)からもらった「書き続けるんよ」との言葉を胸に介護現場の取材に奔走する様子が掲載されている。
この記事に同感する。特に「頑張って介護してきたからこそ、前に進むパワーをもらえた。」は当てはまる。この人の言うように介護をしていたときはそれが生きがいになっていたのだろう。外国へ行きたいとかお花見をしたいとか全く思わなかった。
とはいってもその時の制約された状況があったからこそ今の動き回ることの反動になっているのかもしれない。
今朝の記事にあるように前に進むパワーのお蔭で「悲しみを越え新たな一歩」を踏み出せた。そう思えば介護経験もあり難い!
今朝の記事は母親を「和ちゃん」と呼称している。先日伺った今年110歳になられるお母さんも「〇〇〇ちゃん」と名前をチャン付けで呼ばれていた。我が家も当時のブログのタイトルを「〇〇ちゃん日記」とした。人は年を経るにしたがって赤ちゃんにかえる。この呼称でいいのかもしれない。
話は変わって昨夜のスペイン語の“Vamos”。この言葉は英語の“Let´s go”。日本語の「行きましょう!」。そのスペイン語から変化して“Vamoos”と言う英語になったとか。先生の余談でそのことを聞く。場所は定かではないけれども、“Rio Grande”(グランデ川)という国境を越えた川から密入国するときこの掛け声(行こうぜ!)をかけながら渡ったらしい。それを聞いたアメリカ人はこの言葉を「ずらかる、トンずらする」と思い込む。それが英語の俗語になる。その俗語が“Vamoos”。スペルの“o”が一つ多い。だがこの言葉はオックスフォードの英英辞典にはなく、ジーニアスには掲載がある。
外国語を習っているとこういうふうに話が横道にそれるのも面白い。英語との併用で話されるのでこれも楽しい。
今日は2,3週間泳がなかったのでこれから泳ぎに行こう。元気でいるためには一歩を踏み出すのみ。今日も元気を出して一日頑張ろう!
昨日は咲き始めた桜を見に行く電話もかかる。短大時代の友だちだった。市内に住んでいる3人で来週はじめに会うことにする。
電話を掛けてきた人の開口一番は「居た、居た!」。何と言う言葉。留守にすることが多いのでそういわれても仕方ない。
今朝の地元紙「くらし シニア」欄の「最期の迎え方」に9年8ヶ月にわたって親を介護した地元のライターの記事がある。それによると「頑張って介護してきたからこそ、前に進むパワーをもらえた。和ちゃんの介護が生きがいだったと今は照れずに言える」とある。そして、元気だった頃の母親(和ちゃん)からもらった「書き続けるんよ」との言葉を胸に介護現場の取材に奔走する様子が掲載されている。
この記事に同感する。特に「頑張って介護してきたからこそ、前に進むパワーをもらえた。」は当てはまる。この人の言うように介護をしていたときはそれが生きがいになっていたのだろう。外国へ行きたいとかお花見をしたいとか全く思わなかった。
とはいってもその時の制約された状況があったからこそ今の動き回ることの反動になっているのかもしれない。
今朝の記事にあるように前に進むパワーのお蔭で「悲しみを越え新たな一歩」を踏み出せた。そう思えば介護経験もあり難い!
今朝の記事は母親を「和ちゃん」と呼称している。先日伺った今年110歳になられるお母さんも「〇〇〇ちゃん」と名前をチャン付けで呼ばれていた。我が家も当時のブログのタイトルを「〇〇ちゃん日記」とした。人は年を経るにしたがって赤ちゃんにかえる。この呼称でいいのかもしれない。
話は変わって昨夜のスペイン語の“Vamos”。この言葉は英語の“Let´s go”。日本語の「行きましょう!」。そのスペイン語から変化して“Vamoos”と言う英語になったとか。先生の余談でそのことを聞く。場所は定かではないけれども、“Rio Grande”(グランデ川)という国境を越えた川から密入国するときこの掛け声(行こうぜ!)をかけながら渡ったらしい。それを聞いたアメリカ人はこの言葉を「ずらかる、トンずらする」と思い込む。それが英語の俗語になる。その俗語が“Vamoos”。スペルの“o”が一つ多い。だがこの言葉はオックスフォードの英英辞典にはなく、ジーニアスには掲載がある。
外国語を習っているとこういうふうに話が横道にそれるのも面白い。英語との併用で話されるのでこれも楽しい。
今日は2,3週間泳がなかったのでこれから泳ぎに行こう。元気でいるためには一歩を踏み出すのみ。今日も元気を出して一日頑張ろう!
2013年3月28日木曜日
「低栄養高齢者は余命が短い」
春は眠い!今朝は最低気温10度と暖かくさらに眠い!最高気温も20度になるそうでこの調子だと桜も一気に咲くだろう。
昨日は今朝と違って寒い朝だった。それにシトシトと雨も降って一日中家に閉じこもる。しかし、朝、東京の友だちから葉書が届く。その返信手紙を書いてポストに投函。その時だけ外に出る。
周りを見渡すと体の不調を訴える人が多い。年齢的なこともあるだろう。それに反して元気に毎日を過ごしている。じっと家にいる方が退屈する。そのため、つい用事を作って外に出る。これも元気だからかも知れない。
昨日届いた葉書には、東京の慈恵医科大学附属病院に入院しているとか。昨年末から体の不調を訴えているらしい。年齢は2歳若い。その12階の病棟からはスカイツリーも見え、東京へ遊びに来て・・・と書いてある。
その返事には「元気な姿を見たい!」と書いて送った。
「病院へは近づくな!」と言われる。そこは決して綺麗な場所ではなく、近づく場所ではない。どんな立派な病院であってもそこにいる人たちは元気な人たちではない。だから、決していい空気が漂ってはいない。むしろ悪い気が淀んでいる。
母を見送る際、3週間の入院でそう感じた。元気なものまでその場所にいるだけで病気になりそう。
とはいっても近ければすぐお見舞いに行きたい。だがなんといっても遠い!
今朝の地元紙を見ると「低栄養の高齢者」「心血管病に要注意」とある。その記事の内容は東京都健康長寿医療センター研究所の調査報告である。体格指数(BMI)や血中のアルブミン、総コレステロール、ヘモグロビンの各値に着目し、調査開始8年後の生存率との関連を調べている。
この指標のBMIが高いグループは低いグループよりも死亡率が低かったという。またアルブミン、総コレステロール、ヘモグロビンの各値の低いグループはそれぞれ死亡率が高い。同研究所の新開省二研究部長は「低栄養高齢者は余命が短い」と結論付ける。
そして「肥満や糖尿病、肝臓病などで治療中の人を除き・・・」としながらも高齢者は栄養を取ることが大切だとしている。
体の不調を訴える人の中に、コレステロールを下げる薬を飲んでいる人が多い。母もその薬を貰っていた。だが決してそれを飲ませなかった。年をとるといざ入院したとき、たとえ食事が進まなくても、体についた脂肪が燃えてくれる。無理して薬を飲んで体から栄養を出すこともない。
日本の脂質学会でもコレステロール値の見解は分かれている。以前は総コレステロールは240以下だった。それを最近では219に下げている。
むしろコレステロールが低い人やBMIが少ない人ほどガンになるリスクが増える。葉書をよこした人も「ガン」と書いてあった。
すべてはヒトゴトではない。同じ生きていくなら元気でいたい!それにはやはり「栄養」と「動く」ことが大事!?
昨日動かなかった分だけ今日は外へ出よう。今日も元気で!
昨日は今朝と違って寒い朝だった。それにシトシトと雨も降って一日中家に閉じこもる。しかし、朝、東京の友だちから葉書が届く。その返信手紙を書いてポストに投函。その時だけ外に出る。
周りを見渡すと体の不調を訴える人が多い。年齢的なこともあるだろう。それに反して元気に毎日を過ごしている。じっと家にいる方が退屈する。そのため、つい用事を作って外に出る。これも元気だからかも知れない。
昨日届いた葉書には、東京の慈恵医科大学附属病院に入院しているとか。昨年末から体の不調を訴えているらしい。年齢は2歳若い。その12階の病棟からはスカイツリーも見え、東京へ遊びに来て・・・と書いてある。
その返事には「元気な姿を見たい!」と書いて送った。
「病院へは近づくな!」と言われる。そこは決して綺麗な場所ではなく、近づく場所ではない。どんな立派な病院であってもそこにいる人たちは元気な人たちではない。だから、決していい空気が漂ってはいない。むしろ悪い気が淀んでいる。
母を見送る際、3週間の入院でそう感じた。元気なものまでその場所にいるだけで病気になりそう。
とはいっても近ければすぐお見舞いに行きたい。だがなんといっても遠い!
今朝の地元紙を見ると「低栄養の高齢者」「心血管病に要注意」とある。その記事の内容は東京都健康長寿医療センター研究所の調査報告である。体格指数(BMI)や血中のアルブミン、総コレステロール、ヘモグロビンの各値に着目し、調査開始8年後の生存率との関連を調べている。
この指標のBMIが高いグループは低いグループよりも死亡率が低かったという。またアルブミン、総コレステロール、ヘモグロビンの各値の低いグループはそれぞれ死亡率が高い。同研究所の新開省二研究部長は「低栄養高齢者は余命が短い」と結論付ける。
そして「肥満や糖尿病、肝臓病などで治療中の人を除き・・・」としながらも高齢者は栄養を取ることが大切だとしている。
体の不調を訴える人の中に、コレステロールを下げる薬を飲んでいる人が多い。母もその薬を貰っていた。だが決してそれを飲ませなかった。年をとるといざ入院したとき、たとえ食事が進まなくても、体についた脂肪が燃えてくれる。無理して薬を飲んで体から栄養を出すこともない。
日本の脂質学会でもコレステロール値の見解は分かれている。以前は総コレステロールは240以下だった。それを最近では219に下げている。
むしろコレステロールが低い人やBMIが少ない人ほどガンになるリスクが増える。葉書をよこした人も「ガン」と書いてあった。
すべてはヒトゴトではない。同じ生きていくなら元気でいたい!それにはやはり「栄養」と「動く」ことが大事!?
昨日動かなかった分だけ今日は外へ出よう。今日も元気で!
2013年3月27日水曜日
錦帯橋の桜を見に行く
今朝は雨。日中の温度も14度と低く、雨は降り続くのだろう。明日の天気予報も半分雨のマーク。
広島の桜は満開に程遠い。だが昨日出かけた岩国の桜はどこを見ても満開。岩国駅の一つ手前にあるJR和木駅で下車して友だちの車に乗り換える。
車に乗ってまもなくするとどこの桜も満開だ。先ずは友だちのご自宅に伺って抹茶をいただく。何年ぶりかで飲む抹茶。綺麗に整えられた和風の庭園前に座って戴く。美味しい!そばからは旦那さんが吹かれる笛の音。なかなか風流だ。
しばし談笑後、再度車に乗って岩国駅付近にある繁華街のレストランに入る。平日のお昼。若い男女で席は一杯。お昼のコースをご馳走になる。これも美味!
美味しいものを戴いた後、再度ご自宅へ伺う。その頃には旦那さんもお出かけとか。友だちと2人、しばしいろいろな話をする。すると、突然「2階にあるパソコンを持って降りられないから・・・」との友だちの声。何を探しているのだろうと思っていると、なんと手にするモノはタブレット端末。「早いじゃない!もう持っている?」と思わずいってしまった。
友だちは、ブログを読んで貰っているようで、時々コメントを書きたいと話される。手元に端末があるので、その説明をする。自分のブログに書き込むコメントとそのやり方は少し違う。だが基本的には同じ。
それにしても驚く。昨年末携帯電話を買い換えた際、しつこくタブレットをすすめられた。便利な道具と思う。だがその必要性は?と考えているうちにその気も失せる。だが昨日、友だちがタブレットを操作する姿を見て「なかなかいいじゃない!?」と気持が揺らぐ。
友だちは昨年の6月ごろ、人が使っているのを見てその日のうちに旦那さんとドコモに出かけ購入したとか。することが早い!パソコンを置いている部屋にいなくてもどこでもすぐ利用できるところが購入の動機らしい。
話を聞いていてタブレットの弱点を一つ指摘される。それはギガ数が7ギガで、映画を見ているとメモリ(?)がなくなるらしい。
一昨日は高速モバイルインターネットのwimaxを知る。人と話しているといろんなことがわかってくる。2日続けて新たなことを知った。
今、スペイン語の電子辞書の購入をためらっている。電子辞書は中国語バージョンを持っている。最近はカードを挿入すれば何語でも安く利用可能。ところが中国語の電子辞書は購入して10年経過していてカード式ではない。仕方なくスペイン語は紙の辞書で済ませている。その代わりをタブレットで、と思ったりする。
長く友だちと話した後は、岩国錦帯橋の桜を見に行く。満開の桜は錦帯橋を流れる川に沿って走る車道に何百メートルも続く。かなり走ったところで車から降ろしてもらい桜並木の写真を収める。少し曇っていたのであでやかなピンクで写っていない。だが見事な桜並木だ。
きっと昨夜から週末にかけて錦帯橋下の川原ではお花見客で賑わうことだろう。
錦帯橋下の川原のお花見を友だちに話していて思いだす。今から10数年前のこと。広島市内でアジアを学ぶ勉強会に8年間通っていた。その最初頃のゼミの人たち10人くらいでその川原でお花見をする。その際、岩国在住の人がいた。その人と奥様は10数人分の料理や茣蓙などすべて手配してくださる。そして楽しいお花見をした。
お花見といえば、いつも錦帯橋のそのお花見を思い出す。それくらい楽しいお花見だった。当時のメンバーは、日ごろ気軽に接する人たちではない。
それだけでもカルチゃーショックだった。地元の放送局の人たち、信金の理事さんなどもおられた。だが、どの人も大酒のみ。昼間なのに酔いつぶれ、足もふらふら。その中に私たち女性も数人いた。その姿を見た若い女性曰く「ただのおっさんじゃ!」。その言葉もうなづける。もう人格はどこへ・・・。
だが楽しい会だった。その年の勉強会のゼミの発表会も個人個人でなく、ゼミ生全員での発表だった。放送局勤務の人はタイムを計って、それぞれ役を決められて・・・。まるで放送するように・・・。その時モンゴルの絵本から『スーホーの白い馬』を朗読する。モンゴルの服を着せられて・・・。
その後、お花見を設定してくれた岩国の人に、皆で広島でお礼をしよう、との話も出ていた。だがそれもそのままに。
昨日、友だちにその世話人の名前を告げる。なんとその人は旦那さんの友だちのようだった。それを聞いてまた吃驚!
10数年前というか20年近く前になる。ひろしまアジア大会直後の話。働きながらよく動いていたなあと感慨に耽る。当然今よりも若かった。そう思えば、今は働いていない分だけ、もっと動いてもいい感じもする。とはいってもそれだけ年齢を重ねた!?
ともあれ、昨日は桜を見て、美味しいものを頂き、さらにお土産まで戴いて本当に楽しい一日でした。ありがとうございました。また、過ぎし日を思い出す懐かしい一日でした。本当にありがとうございました!
友だちにお礼のメールをするとその返信メールには「お互いに体に気をつけて残りの人生を楽しみましょう。さらに生涯学習しましょう。またいらしてください。」とある。優しい!
友だちは英語を頑張っている。
ありがとうございました。私も外国語、頑張ります!
広島の桜は満開に程遠い。だが昨日出かけた岩国の桜はどこを見ても満開。岩国駅の一つ手前にあるJR和木駅で下車して友だちの車に乗り換える。
車に乗ってまもなくするとどこの桜も満開だ。先ずは友だちのご自宅に伺って抹茶をいただく。何年ぶりかで飲む抹茶。綺麗に整えられた和風の庭園前に座って戴く。美味しい!そばからは旦那さんが吹かれる笛の音。なかなか風流だ。
しばし談笑後、再度車に乗って岩国駅付近にある繁華街のレストランに入る。平日のお昼。若い男女で席は一杯。お昼のコースをご馳走になる。これも美味!
美味しいものを戴いた後、再度ご自宅へ伺う。その頃には旦那さんもお出かけとか。友だちと2人、しばしいろいろな話をする。すると、突然「2階にあるパソコンを持って降りられないから・・・」との友だちの声。何を探しているのだろうと思っていると、なんと手にするモノはタブレット端末。「早いじゃない!もう持っている?」と思わずいってしまった。
友だちは、ブログを読んで貰っているようで、時々コメントを書きたいと話される。手元に端末があるので、その説明をする。自分のブログに書き込むコメントとそのやり方は少し違う。だが基本的には同じ。
それにしても驚く。昨年末携帯電話を買い換えた際、しつこくタブレットをすすめられた。便利な道具と思う。だがその必要性は?と考えているうちにその気も失せる。だが昨日、友だちがタブレットを操作する姿を見て「なかなかいいじゃない!?」と気持が揺らぐ。
友だちは昨年の6月ごろ、人が使っているのを見てその日のうちに旦那さんとドコモに出かけ購入したとか。することが早い!パソコンを置いている部屋にいなくてもどこでもすぐ利用できるところが購入の動機らしい。
話を聞いていてタブレットの弱点を一つ指摘される。それはギガ数が7ギガで、映画を見ているとメモリ(?)がなくなるらしい。
一昨日は高速モバイルインターネットのwimaxを知る。人と話しているといろんなことがわかってくる。2日続けて新たなことを知った。
今、スペイン語の電子辞書の購入をためらっている。電子辞書は中国語バージョンを持っている。最近はカードを挿入すれば何語でも安く利用可能。ところが中国語の電子辞書は購入して10年経過していてカード式ではない。仕方なくスペイン語は紙の辞書で済ませている。その代わりをタブレットで、と思ったりする。
長く友だちと話した後は、岩国錦帯橋の桜を見に行く。満開の桜は錦帯橋を流れる川に沿って走る車道に何百メートルも続く。かなり走ったところで車から降ろしてもらい桜並木の写真を収める。少し曇っていたのであでやかなピンクで写っていない。だが見事な桜並木だ。
きっと昨夜から週末にかけて錦帯橋下の川原ではお花見客で賑わうことだろう。
![]() |
| 長く続く錦帯橋そばの桜並木 |
お花見といえば、いつも錦帯橋のそのお花見を思い出す。それくらい楽しいお花見だった。当時のメンバーは、日ごろ気軽に接する人たちではない。
それだけでもカルチゃーショックだった。地元の放送局の人たち、信金の理事さんなどもおられた。だが、どの人も大酒のみ。昼間なのに酔いつぶれ、足もふらふら。その中に私たち女性も数人いた。その姿を見た若い女性曰く「ただのおっさんじゃ!」。その言葉もうなづける。もう人格はどこへ・・・。
だが楽しい会だった。その年の勉強会のゼミの発表会も個人個人でなく、ゼミ生全員での発表だった。放送局勤務の人はタイムを計って、それぞれ役を決められて・・・。まるで放送するように・・・。その時モンゴルの絵本から『スーホーの白い馬』を朗読する。モンゴルの服を着せられて・・・。
その後、お花見を設定してくれた岩国の人に、皆で広島でお礼をしよう、との話も出ていた。だがそれもそのままに。
昨日、友だちにその世話人の名前を告げる。なんとその人は旦那さんの友だちのようだった。それを聞いてまた吃驚!
10数年前というか20年近く前になる。ひろしまアジア大会直後の話。働きながらよく動いていたなあと感慨に耽る。当然今よりも若かった。そう思えば、今は働いていない分だけ、もっと動いてもいい感じもする。とはいってもそれだけ年齢を重ねた!?
ともあれ、昨日は桜を見て、美味しいものを頂き、さらにお土産まで戴いて本当に楽しい一日でした。ありがとうございました。また、過ぎし日を思い出す懐かしい一日でした。本当にありがとうございました!
友だちにお礼のメールをするとその返信メールには「お互いに体に気をつけて残りの人生を楽しみましょう。さらに生涯学習しましょう。またいらしてください。」とある。優しい!
友だちは英語を頑張っている。
ありがとうございました。私も外国語、頑張ります!
2013年3月26日火曜日
友だち宅を訪問
今日は最低気温4度で少し肌寒い朝だ。最高気温も12度と余り気温はあがりそうもない。
昨日は今秋110歳になられるお母さんを介護する友だちの家を訪問する。友だちの家があるJR最寄駅で降りると、真っ赤な車が止まっている。深紅の赤でとても目立つ。車の後には車椅子のマークがついている。助手席は本来ならばそのお母さんの席。乗る際に、座席が車の外に飛び出るようになった特別の車。一段と座席は高く、運転手を見下ろす感じ。友だちに重役席だといって笑う。
家に着くとお母さんはベッドで就寝中。とはいっても「〇〇さんが来ちゃったよ」と友だちが話すと名前を忘れられてしまったのか知らぬ顔。少し前までは家で話題になると覚えていてくださったらしい。以前良く電話をしていたからだろう。
それでも、友だちが話しかけるといくら眠そうにしていても応答される。昨日一番驚いたことはベッドから起こしてもらうとひとりでベッドに腰掛けている。そして何でも食べられる。
母は半年前から話が出来なくなった。また食事を取るのも大変だった。だが昨日のお母さんはヘルパーさんに起こしてもらうと介助されながらも何でも食べることが可能。まだまだお元気だ。
とはいっても満109歳。1時間半毎に体位を交換する友だちの様子を見ていると、なかなか大変だなと感心する。
以前同じように親を介護していた。それも2年が過ぎるとすべて忘れたような感じがする。自分の親だからそれも出来たのだろうと改めて思う。昨日もただ見ているだけで何の手助けも出来ない。当然それにはその人流のやり方があることにもよる。
ヘルパーさんがいる間に、友だちはパソコンを見に行こうと車で近くの大型店へ行く。
久しぶりにパソコン売り場に行く。今もっているものとは違ってどれも軽そう。肩に売り場NO.1とたすきを掛けた女性が近づいてくる。手には“wimax”を持って。
これは“wifi”のメーカーが違うだけで同じものだと思っていたら、そうではなくパソコンとネットが出来る簡単なものらしい。
10万円も出せば“8”とプリンターとルーター一式が充分買える。安い。
何か物を購入するときは考えずにすぐに買ってしまう。だが昨日はその気にならなかった。もう少し新たなパソコンも先延ばしになりそう。
友だちは年賀状の写真用に買いたいらしい。毎年写真年賀状をいただく。よりいいモノが欲しいのだろう。というよりも親を大事にされているのでいい写真にとって見てもらいたいのかもしれない。いずれにしても親が健在なことは羨ましい。
今日はこれから岩国へ桜を見に行く。昨夜急遽岩国の友だちから「桜を見においで!」と電話がかかる。昨年はご自宅とは別のところにあるコテージへ芝桜を見に連れて行ってもらった。さて今年の桜は・・・。誘ってもらってあり難い!
今日も楽しく!
昨日は今秋110歳になられるお母さんを介護する友だちの家を訪問する。友だちの家があるJR最寄駅で降りると、真っ赤な車が止まっている。深紅の赤でとても目立つ。車の後には車椅子のマークがついている。助手席は本来ならばそのお母さんの席。乗る際に、座席が車の外に飛び出るようになった特別の車。一段と座席は高く、運転手を見下ろす感じ。友だちに重役席だといって笑う。
家に着くとお母さんはベッドで就寝中。とはいっても「〇〇さんが来ちゃったよ」と友だちが話すと名前を忘れられてしまったのか知らぬ顔。少し前までは家で話題になると覚えていてくださったらしい。以前良く電話をしていたからだろう。
それでも、友だちが話しかけるといくら眠そうにしていても応答される。昨日一番驚いたことはベッドから起こしてもらうとひとりでベッドに腰掛けている。そして何でも食べられる。
母は半年前から話が出来なくなった。また食事を取るのも大変だった。だが昨日のお母さんはヘルパーさんに起こしてもらうと介助されながらも何でも食べることが可能。まだまだお元気だ。
とはいっても満109歳。1時間半毎に体位を交換する友だちの様子を見ていると、なかなか大変だなと感心する。
以前同じように親を介護していた。それも2年が過ぎるとすべて忘れたような感じがする。自分の親だからそれも出来たのだろうと改めて思う。昨日もただ見ているだけで何の手助けも出来ない。当然それにはその人流のやり方があることにもよる。
ヘルパーさんがいる間に、友だちはパソコンを見に行こうと車で近くの大型店へ行く。
久しぶりにパソコン売り場に行く。今もっているものとは違ってどれも軽そう。肩に売り場NO.1とたすきを掛けた女性が近づいてくる。手には“wimax”を持って。
これは“wifi”のメーカーが違うだけで同じものだと思っていたら、そうではなくパソコンとネットが出来る簡単なものらしい。
10万円も出せば“8”とプリンターとルーター一式が充分買える。安い。
何か物を購入するときは考えずにすぐに買ってしまう。だが昨日はその気にならなかった。もう少し新たなパソコンも先延ばしになりそう。
友だちは年賀状の写真用に買いたいらしい。毎年写真年賀状をいただく。よりいいモノが欲しいのだろう。というよりも親を大事にされているのでいい写真にとって見てもらいたいのかもしれない。いずれにしても親が健在なことは羨ましい。
今日はこれから岩国へ桜を見に行く。昨夜急遽岩国の友だちから「桜を見においで!」と電話がかかる。昨年はご自宅とは別のところにあるコテージへ芝桜を見に連れて行ってもらった。さて今年の桜は・・・。誘ってもらってあり難い!
今日も楽しく!
2013年3月25日月曜日
スイミングならぬウオーキングで
今日の天気予報によると最高気温14度、最低気温8度。気温は余りあがりそうにない。
昨日はカンカン照りの日ではなかった。だが春の陽気に誘われ泳ぎに行く。ところがプールに到着して受付で「プール」と告げるや否や「休みです」。嗚呼何とということ。
折角JRに乗ってやってきた。それなのに・・・。このまま引き下がるのは余りにももったいない。仕方なく、帰りはJRに乗らず、線路横を流れる瀬野川の河川敷を歩いて帰る。幸い歩いて帰るに相応しい恰好だ。一番には靴、そして帽子と飲み物とお菓子持参。水着などはナップサックに入れている。
河川敷は芝生が植えてある。コンクリートの道でなく芝生を歩く。川の線路側には桜並木。まだ開花したばかりでそれほど咲いてはいない。それでも桜の木の下ではお花見をしている人もいる。
犬の散歩、魚釣り、子供と散歩、ジョギングの人々それにウオーキングの人々もいる。その横を自転車が通りぬける。
我が家を出るとき、自転車で出かける。最寄駅そばのスーパーに自転車を置く。自転車を置いているスーパーに到着すると1時間が経過。この間はJRの運賃では180円区間。広島駅まで190円区間だから、かなり歩いたことになる。携帯を持参していれば万歩計もでる。だが、持参していないので分からない。
しかし、いくら歩いてもやはり泳ぐ方がエネルギーが要る。泳いだ後はお腹がすく。だが歩く方はそうでもない。プールの休館は10日間もある。先週出かけていても当然泳げなかった。
昨日は泳げなくて残念。だが、ゆっくりりと川を眺めながら外の景色を見て歩くことも気持いい。
今日はこれから110歳のお母さんを介護している友だちの家を訪問。友だちのお母さんとは一昨年7月以来1年半ぶりに会う。なんといっても母と一回りも違う。100歳を過ぎればもう神様、仏様。恭しくお参りするというほうがいいかもしれない。お元気な姿をブログにアップできないのが残念だけど、この人にあやかって元気を戴いて帰ろう!
さあ今日も元気を出して、頑張れ!
昨日はカンカン照りの日ではなかった。だが春の陽気に誘われ泳ぎに行く。ところがプールに到着して受付で「プール」と告げるや否や「休みです」。嗚呼何とということ。
折角JRに乗ってやってきた。それなのに・・・。このまま引き下がるのは余りにももったいない。仕方なく、帰りはJRに乗らず、線路横を流れる瀬野川の河川敷を歩いて帰る。幸い歩いて帰るに相応しい恰好だ。一番には靴、そして帽子と飲み物とお菓子持参。水着などはナップサックに入れている。
河川敷は芝生が植えてある。コンクリートの道でなく芝生を歩く。川の線路側には桜並木。まだ開花したばかりでそれほど咲いてはいない。それでも桜の木の下ではお花見をしている人もいる。
犬の散歩、魚釣り、子供と散歩、ジョギングの人々それにウオーキングの人々もいる。その横を自転車が通りぬける。
我が家を出るとき、自転車で出かける。最寄駅そばのスーパーに自転車を置く。自転車を置いているスーパーに到着すると1時間が経過。この間はJRの運賃では180円区間。広島駅まで190円区間だから、かなり歩いたことになる。携帯を持参していれば万歩計もでる。だが、持参していないので分からない。
しかし、いくら歩いてもやはり泳ぐ方がエネルギーが要る。泳いだ後はお腹がすく。だが歩く方はそうでもない。プールの休館は10日間もある。先週出かけていても当然泳げなかった。
昨日は泳げなくて残念。だが、ゆっくりりと川を眺めながら外の景色を見て歩くことも気持いい。
今日はこれから110歳のお母さんを介護している友だちの家を訪問。友だちのお母さんとは一昨年7月以来1年半ぶりに会う。なんといっても母と一回りも違う。100歳を過ぎればもう神様、仏様。恭しくお参りするというほうがいいかもしれない。お元気な姿をブログにアップできないのが残念だけど、この人にあやかって元気を戴いて帰ろう!
さあ今日も元気を出して、頑張れ!
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