『流転の子 最後の皇女・愛新覚羅嫮生』(本岡典子 中央公論新社、2011年)を読んだ。
「満州国」最後の皇帝である愛新覚羅溥儀。その弟の溥傑とその妻、嵯峨浩。浩は「流転の王妃」といわれる。その2人の間に次女として生まれた愛新覚羅嫮生(こせい)。その人こそが「流転の子」。この本は満州国に翻弄された愛新覚羅一家のドキュメンタリーである。
読み進むうち、中国と日本という関係のなかでも「周恩来」の動きが重要な関わりを示していると気づく。周の発言がそのまま「流転の子」の人生を動かしている。それは悪い意味ではなく、周の人間性をあらわしていた。
30年前、中国語を習い始める。その当時、習っているグループで人気があった中国の政治家は周恩来だった。しかし、政治的なことに興味はなかった。それでも初めて中国語を習って中国人留学生を知って以来、中国に関することに関心を抱くようになった。
2人目に知った留学生の龔(きょう、中国読みGong)さんのアパートへ習っている同学の人と遊びに行った。そのとき皆で食事を作る。この部屋で一番驚いたことがある。古いアパートの部屋。その部屋の天井を見上げると真っ白い紙を天井一面に貼っている。「なぜ?」と聞くと部屋が暗いので紙を貼って明るくするのだという。そんな会話の中、TVでは「浩」の訃報を放映していた。今でもはっきりとその光景を覚えている。
この本の年表を見ると1987年6月に北京で亡くなっている。中国語を習い始めて5年後のこと。当時の留学生は中国政府からの国費留学生であり、地元の国立大学でも本当に少なかった。しかし優秀な人たちだった。中国政府からの給付金は月額8万円。そのころ、この金額で生活がよくできると思ったことも覚えている。
当時、家では何もせず独身貴族を謳歌していた。そしてその前年から中国へ4度続けて行っている。一番中国にのぼせていた時代でもある。
この本は吸い込まれるようにして読む。だがなんといっても500頁ほどもある長編作。途中、完全に自分一人の世界に没頭してしまうほどだった。
周恩来とのかかわりは本の3分の1くらいから出てくる。「流転の子」である愛新覚羅嫮生(こせい)は父である溥傑と満州国崩壊後、中国と日本で離れ離れになる。そのとき溥傑には娘が2人いた。長女、慧生は「懸命に勉強した中国語で、中国の最高権力者の一人である周恩来総理に、生死さえわからぬ父との文通許可を願う直訴状を密かに出していた」。(181p)
これがきっかけとなり、周恩来は日本人戦犯起訴で「この日本人は今は戦犯だが、二〇年たったら友人になる。日中友好を考える友人になる。」として戦犯判決について細かい指示を出した。(193p)
この指示後、1年経った1956年日本政府も「もはや戦後ではない」と記して撫順と太源の日本人戦犯帰還者第一陣335名が舞鶴港に入国した。戦後11年が経過していた。(185p)
父との文通のきっかけを作った愛新覚羅慧生はそれがプラスのエネルギーとならず負のエネルギーを背負った。その翌年1957年学習院大学の恋人と天城山山中で心中。それは書簡集『我御身を愛す』になる。(221p)
1959年中華人民共和国10周年の祝賀行事で溥儀は特赦される。しかし弟である溥傑は日本人と結婚している。離婚を迫られるもしないままで・・・。そのとき周恩来は妻である浩を日本から呼び寄せ中国で暮らすようにさせる(229p)。
周恩来は溥傑に書かせた手紙を訪日団に持たせる。受け取った浩は「周総理と中国政府の寛大さとご配慮に感謝いたします。私は中国人です。『鶏に嫁せば鶏に随い、狗に嫁せば狗に随う』と申します。私は必ず中国に帰らなければなりません」。浩は読みながら涙を浮かべていたという。(231p)
こうして溥傑、浩、嫮生の3人は北京で暮らすようになる。しかし、嫮生は姉の慧生ほどの性格ではなくどうしても満州族の血をと考えなかった。そして母、浩と関係ある人からの結婚話で福永健治に嫁ぐ。
「中国で一族の末裔として生きる道ではなく、『普通に平凡に生きる幸せ』を求め、嫮生は日本に戻っていった」。(251p)
このときも周総理は自由往来の証として「国務院総理周恩来」とだけ書かれた名刺を届けた。今でもその名刺を大事にしているという。(250p)
溥傑夫妻は幸せに満ちた生活を送っていた矢先、文化大革命の嵐が襲う。そのとき嫮生は日本を選んだことの幸せを思う。
「文化大革命のとき、周総理の庇護がなければ、叔父や父がどのようになっていたか、と考えますと恐ろしゅうございます」と嫮生はその頃のことを述べている。この叔父とは溥儀、父とは溥傑。(277p)
両親の亡くなった後の「流転の子」嫮生は「父と母とには両親が周総理から託された使命である、日中友好のために各地を回り、これまでお会いした方々との親交を温め、両国の親善に努めること。また、中国で日本の皇室とのつながりを持っておりますのは父だけでございましたから、周総理は、父と母を通して皇室との関係をつないで行くことを強く望んでおられました」と述べている.。(310p)
その周総理も1976年1月逝去。母浩も1987年逝去。その後、1994年溥傑逝去、夫健治も2008年亡くなる。一人残った嫮生は一戸建て住宅を売り払いマンションに移る。そして今、戦争を知らない子供たちとの対話講演を高校や中学で続けている。そしてその講演料などはユニセフなどに全額寄付しているという。そして最後に「嫮生はモノに執着しない生き方を父の言葉を借りて語った」。(413p)
嫮生には現在5人の子供がいる。そのうち1人は現在、東京大学で学びつつ愛新覚羅一族について研究している。
本のブログ投稿は時間がかかる。今朝は嵐のように風が吹き荒れ雨も・・・。その中、この本につけた付箋の箇所のコピーを取る。そして、そのコピーを見ながらブログに投稿。
また今日は1982年に初めて中国語を習ったときの友だちからプレゼントが届く。中国語を習い始めたころのことを書いたばかり。その偶然性に驚くばかり。これについては明日のブログに投稿しよう!
2012年3月31日土曜日
2012年3月30日金曜日
2階の掃除
電波時計をみると部屋の気温、19度8分、湿度50%。暖かいというよりも暑い。というのも、久しぶり2階の部屋の掃除をする。動くたび汗が出る。
10年位前から生活空間は1階で、2階は利用していない。暖かくなった。今日は図書館も休み。毎日外に出歩いているので今日は午前中買い物を済ませると家で大人しくする。そのとき、ふと、2階の部屋の掃除を思いつく。主がいない2階の部屋。掃除も年に数回のみ。きっとほこりが・・・。
と、その前に、2階の箪笥の中を片づける。どれも着ないものばかり。そのとき、もう10年もスカートを穿いてない、と気づく。仕事をやめて1年半後から母の介護が始まった。それ以来、スカートを穿くのを忘れてしまった。
それでもと思って、先ほど1枚ずつスカートを穿いてみる。どれもウエストが合わない。体重は高校時代に戻っても体型は年には勝てず「おばさん」。
片づけるとき、久しぶり何十年前のラジオをつける。それでFMを聞きながら片づける。プレイヤーもラジオデッキもヤマハのスピーカーから聴く。それらは当時にすればピアノが買えるほどの金額だった。それが今ではラジオのみ聴ける。さすがに音はいい。これを捨てるには、かなりの勇気が・・・。捨てられそうにない。
着るものの半分は処分する。残りの半分もきっと着ないとわかっていても処分できない。これではなかなか家は片付かない。
片づける前、九州の「お母さん」に旅行のTELをする。いつも電話をするたび、絵葉書をおくるように言われる。その人だけ絵葉書を書こう!
以前の元気さがだんだんとなくなっている。それがちょっと淋しい。また、「モノ」は要らないと話される。それでもどうしても欲しいものは無理しても買うようにといわれる。その考えはよくわかる。いくら年齢を重ねても要るものは要る。何もかも退けることはしたくない。
今朝の新聞をみると百寿者の性格の特徴を「前向き思考で開放的」としている。後ろ向きで何もかも不要・・・という考えでは長生きできない。その記事の中で「若い友人をつくることで、付き合いが狭くなりません。これも長生きの秘訣かもしれません。」とある。全くその通り。4月から若者と学ぶ。若さをもらおう!
もう一つ、思想的問題で突然退職させられた人の記事がある。その人は「仕事をやめたことで自宅で食料を作れたし、好きなこともできたのでよかった」とある。これもその通り。リストラされたお蔭で今がある。
とりあえず、2階の部屋を片づけた。これと前向き思考は関係ない!?確かに・・・。まあ気分よく過ごせればそれでいい・・・。それくらいの気持でたまには2階の部屋も掃除しよう!
10年位前から生活空間は1階で、2階は利用していない。暖かくなった。今日は図書館も休み。毎日外に出歩いているので今日は午前中買い物を済ませると家で大人しくする。そのとき、ふと、2階の部屋の掃除を思いつく。主がいない2階の部屋。掃除も年に数回のみ。きっとほこりが・・・。
と、その前に、2階の箪笥の中を片づける。どれも着ないものばかり。そのとき、もう10年もスカートを穿いてない、と気づく。仕事をやめて1年半後から母の介護が始まった。それ以来、スカートを穿くのを忘れてしまった。
それでもと思って、先ほど1枚ずつスカートを穿いてみる。どれもウエストが合わない。体重は高校時代に戻っても体型は年には勝てず「おばさん」。
片づけるとき、久しぶり何十年前のラジオをつける。それでFMを聞きながら片づける。プレイヤーもラジオデッキもヤマハのスピーカーから聴く。それらは当時にすればピアノが買えるほどの金額だった。それが今ではラジオのみ聴ける。さすがに音はいい。これを捨てるには、かなりの勇気が・・・。捨てられそうにない。
着るものの半分は処分する。残りの半分もきっと着ないとわかっていても処分できない。これではなかなか家は片付かない。
片づける前、九州の「お母さん」に旅行のTELをする。いつも電話をするたび、絵葉書をおくるように言われる。その人だけ絵葉書を書こう!
以前の元気さがだんだんとなくなっている。それがちょっと淋しい。また、「モノ」は要らないと話される。それでもどうしても欲しいものは無理しても買うようにといわれる。その考えはよくわかる。いくら年齢を重ねても要るものは要る。何もかも退けることはしたくない。
今朝の新聞をみると百寿者の性格の特徴を「前向き思考で開放的」としている。後ろ向きで何もかも不要・・・という考えでは長生きできない。その記事の中で「若い友人をつくることで、付き合いが狭くなりません。これも長生きの秘訣かもしれません。」とある。全くその通り。4月から若者と学ぶ。若さをもらおう!
もう一つ、思想的問題で突然退職させられた人の記事がある。その人は「仕事をやめたことで自宅で食料を作れたし、好きなこともできたのでよかった」とある。これもその通り。リストラされたお蔭で今がある。
とりあえず、2階の部屋を片づけた。これと前向き思考は関係ない!?確かに・・・。まあ気分よく過ごせればそれでいい・・・。それくらいの気持でたまには2階の部屋も掃除しよう!
2012年3月29日木曜日
旅行催行決定!
昨日から今日にかけて春本番の気候。今朝は久しぶり2度寝をせずに起床する。陽気に誘われ、午前中からプールに出かける。今日も一キロ泳ぐ。
この陽気は人々をプールに誘うのか、泳ぐ人も歩く人も多い。暖かくなればますます人出も多くなるだろう。そうなれば自由に泳げなくなる。それがちょっと嫌だけど、少ないよりはいいかもしれない。
陽気といえば、昨日もそうであった。昨日は幼馴染と区民センターのレストラでランチを食べ、夕方まで遊ぶ。その後、旅行社へ申込金を振り込む。催行決定ではないのに・・・と思いながらも振り込む。
夕飯を食べようとしたとき、旅行社からTELが入る。催行決定の知らせだった。すぐに女朋友にメールで知らせる。嬉しかった!
電話があったとき、受話器を置く前「〇〇さんが勤められている会社ですか」と聞くと、その人はすでに退職されていた。
一緒に旅行する女朋友とはひょんなきっかけで知り合った。今から26、7年前、中国語の検定試験を受けた後、一緒に受験したグループの人たちとカフェに入った。そのとき女朋友は中国の留学生と他の日本人の女性の3人で隣の席にいた。
中国の人がいると思い、検定を受けてきたと告げると話が盛り上がった。その後、その3人と席を同じくする。女朋友のもう一人の日本人女性はそのころ中国留学から帰国したばかりで、そのカフェは中国一色の感じになった。なんといっても今ほど中国語を習う人もいない時代だ。
知り合ったきっかけはそれだけのことなのに今でも親しくしている。これまで何度か外国へも一緒に行った。よく飲み、よく食べ、よく遊んだ。
その後、彼女に誘われ、習っていた講座から移動して県の外郭団体の中国語講座で学ぶ。そのころの中国人留学生講師から今回の行き先の素晴らしさを教えてもらう。しかし、そこへのツアーは最近までなかった。それがいつしかブームを巻き起こす。
教えてくれた陳さん、納さん夫妻に会うのが今回の旅のもう一つの目的。特に奥さんの納さんにはお世話になった。今でも感謝している。
社会人大学生として受験するとき、志望動機書、研究計画書を提出する。10年前のそのころ、恥ずかしながらそういう言葉さえ知らなかった。何をどうすればいいのかさえわからなかった。そんな状態のとき、博士号を取っていた納さんに相談した。するとその書き方の本を教えてもらう。有難かった。その頃、日本人の知り合いでそれを相談できる人がいなかったのである。
外郭団体の中国語講座には県の職員がいた。そのうちの一人は外国との交流窓口である国際交流課に勤務。その関係で旅行社勤務の知り合いもできた。しかし、その人もすでに退職。女朋友と、もしかしてその人が添乗員かも・・・と話したばかりだった。それなのに・・・。
来月から他の人から誘われて再度、中国語を習う。
「誘われる」といえば、これまでを振り返ってみてもひょんな「誘われ方」というか「出会い」で生きている。それは就職から始まって今に至るまでそうである。誰でもそうかもしれない。いつかブログにまとめよう!
昨日、幼馴染にそれを話すと驚く。我ながら人からの誘いに乗って生きているとびっくりする。そのすべては今になっても有難い!
これからもそうやって生きていくのだろうか・・・。楽しみなような・・・。
この陽気は人々をプールに誘うのか、泳ぐ人も歩く人も多い。暖かくなればますます人出も多くなるだろう。そうなれば自由に泳げなくなる。それがちょっと嫌だけど、少ないよりはいいかもしれない。
陽気といえば、昨日もそうであった。昨日は幼馴染と区民センターのレストラでランチを食べ、夕方まで遊ぶ。その後、旅行社へ申込金を振り込む。催行決定ではないのに・・・と思いながらも振り込む。
夕飯を食べようとしたとき、旅行社からTELが入る。催行決定の知らせだった。すぐに女朋友にメールで知らせる。嬉しかった!
電話があったとき、受話器を置く前「〇〇さんが勤められている会社ですか」と聞くと、その人はすでに退職されていた。
一緒に旅行する女朋友とはひょんなきっかけで知り合った。今から26、7年前、中国語の検定試験を受けた後、一緒に受験したグループの人たちとカフェに入った。そのとき女朋友は中国の留学生と他の日本人の女性の3人で隣の席にいた。
中国の人がいると思い、検定を受けてきたと告げると話が盛り上がった。その後、その3人と席を同じくする。女朋友のもう一人の日本人女性はそのころ中国留学から帰国したばかりで、そのカフェは中国一色の感じになった。なんといっても今ほど中国語を習う人もいない時代だ。
知り合ったきっかけはそれだけのことなのに今でも親しくしている。これまで何度か外国へも一緒に行った。よく飲み、よく食べ、よく遊んだ。
その後、彼女に誘われ、習っていた講座から移動して県の外郭団体の中国語講座で学ぶ。そのころの中国人留学生講師から今回の行き先の素晴らしさを教えてもらう。しかし、そこへのツアーは最近までなかった。それがいつしかブームを巻き起こす。
教えてくれた陳さん、納さん夫妻に会うのが今回の旅のもう一つの目的。特に奥さんの納さんにはお世話になった。今でも感謝している。
社会人大学生として受験するとき、志望動機書、研究計画書を提出する。10年前のそのころ、恥ずかしながらそういう言葉さえ知らなかった。何をどうすればいいのかさえわからなかった。そんな状態のとき、博士号を取っていた納さんに相談した。するとその書き方の本を教えてもらう。有難かった。その頃、日本人の知り合いでそれを相談できる人がいなかったのである。
外郭団体の中国語講座には県の職員がいた。そのうちの一人は外国との交流窓口である国際交流課に勤務。その関係で旅行社勤務の知り合いもできた。しかし、その人もすでに退職。女朋友と、もしかしてその人が添乗員かも・・・と話したばかりだった。それなのに・・・。
来月から他の人から誘われて再度、中国語を習う。
「誘われる」といえば、これまでを振り返ってみてもひょんな「誘われ方」というか「出会い」で生きている。それは就職から始まって今に至るまでそうである。誰でもそうかもしれない。いつかブログにまとめよう!
昨日、幼馴染にそれを話すと驚く。我ながら人からの誘いに乗って生きているとびっくりする。そのすべては今になっても有難い!
これからもそうやって生きていくのだろうか・・・。楽しみなような・・・。
2012年3月28日水曜日
とんでもない一日
一昨日の天体ショーほどではないにしても、昨夜も月と木星がはっきりと見えた。
昨夜といえば大変な夜になった。夕方フルートのレッスンに出かけるため家を出る。最寄の駅につくと構内アナウンスがけたたましい。何も気にせずホームで列車を待つ。ところが次第に人も増え、いっこうに列車が来る気配はない。おかしい?と思い、近くにいた人に尋ねると隣の駅で踏切事故発生とか。
人身事故ならば検証に2時間かかる。すぐにバスに乗り換える。ところが、ところが・・・。バスに乗ったのはいいが全く動かない。事故のためJRの踏み切りを封鎖し、車の動きがとれないらしい。1時間くらいバスに閉じ込められ、そこから携帯でフルートの先生にその旨連絡する。
昨夜は知人がレッスンを休むと先生から聞く。その時間帯でレッスンをお願いする。
やっとレッスン会場に着く頃はすでにバスに乗って2時間近く経過。バスの中は暑い!草臥れ果てて会場に到着。レッスンは一番最後。時間があるのでしばし練習。それにも飽きてくるころ、レッスンを終えた人がロビーにやってきた。その人とあまり話すことはない。2人して雑談する。
その人は奥さんなのにいろいろと頑張っている。話していてその様子が伺える。だが見かけによらず、先のことが気になるらしい。あまり先を考えないモノが奇異にうつるらしい。他人から見ればそうかもしれない。考えても仕方のないことは考えない。レッスン時間が来たのでその人と別れた。
いつもと違う時間帯でのレッスン。ましてや長いことバスに乗っていた。いつもと様子が違うと思いながらレッスンを受ける。レッスンを終えて広島駅に着くと、事故から4時間半も経過している。それなのに列車ダイヤは乱れていた。
我が家に着いたのはなんと午後9時半。その頃、見る月と木星。金星は見えなかったけどきれいだった。
それにしても・・・。今朝の朝刊を見る。自転車に乗っていた70代の女性が列車に気づき置き去りにして逃げたらしい。おかげでとんでもない一日となった。疲れ果て、昨夜もぐっすり眠る。いつになったら早く起きれるようになるのだろう。せめて4月になるまでには早く起きるようにしなくては・・・。
昨夜といえば大変な夜になった。夕方フルートのレッスンに出かけるため家を出る。最寄の駅につくと構内アナウンスがけたたましい。何も気にせずホームで列車を待つ。ところが次第に人も増え、いっこうに列車が来る気配はない。おかしい?と思い、近くにいた人に尋ねると隣の駅で踏切事故発生とか。
人身事故ならば検証に2時間かかる。すぐにバスに乗り換える。ところが、ところが・・・。バスに乗ったのはいいが全く動かない。事故のためJRの踏み切りを封鎖し、車の動きがとれないらしい。1時間くらいバスに閉じ込められ、そこから携帯でフルートの先生にその旨連絡する。
昨夜は知人がレッスンを休むと先生から聞く。その時間帯でレッスンをお願いする。
やっとレッスン会場に着く頃はすでにバスに乗って2時間近く経過。バスの中は暑い!草臥れ果てて会場に到着。レッスンは一番最後。時間があるのでしばし練習。それにも飽きてくるころ、レッスンを終えた人がロビーにやってきた。その人とあまり話すことはない。2人して雑談する。
その人は奥さんなのにいろいろと頑張っている。話していてその様子が伺える。だが見かけによらず、先のことが気になるらしい。あまり先を考えないモノが奇異にうつるらしい。他人から見ればそうかもしれない。考えても仕方のないことは考えない。レッスン時間が来たのでその人と別れた。
いつもと違う時間帯でのレッスン。ましてや長いことバスに乗っていた。いつもと様子が違うと思いながらレッスンを受ける。レッスンを終えて広島駅に着くと、事故から4時間半も経過している。それなのに列車ダイヤは乱れていた。
我が家に着いたのはなんと午後9時半。その頃、見る月と木星。金星は見えなかったけどきれいだった。
それにしても・・・。今朝の朝刊を見る。自転車に乗っていた70代の女性が列車に気づき置き去りにして逃げたらしい。おかげでとんでもない一日となった。疲れ果て、昨夜もぐっすり眠る。いつになったら早く起きれるようになるのだろう。せめて4月になるまでには早く起きるようにしなくては・・・。
2012年3月27日火曜日
昨夜の天体ショー
日中は春を思わせる。しかし、朝晩はとても寒い。今朝もそうだった。一度目を醒ます。すぐに起きればいいものをまた寝てしまう。宅急便の人がならすチャイムで飛び起きる。送られて来たものを見ると旅行手続き一式が入っている。まだ催行決定ではない・・・。
新聞を読みながら朝食をとる。地元紙をみると「輝き結べば一直線」、「広島など『天体ショー』」、「金星・月・木星」とあり、広島城の上方に輝く金星、月、木星の写真と記事の掲載がある。
昨夜8時過ぎ我が家に帰る。ふと西空を見上げるとくっきりと月と星が並んで見えた。それも異常にはっきりと。
最近、コンタクトをしている。目がよく見えるとこんなに綺麗に星が見えるんだと感激して家に入る。すぐカメラを取り出して写真を撮ろうとする。ところが電線が写真に入る。取らずにそのまま家に入った。それが今朝の新聞で「目」が良く見えるからではないとわかる。写真を撮らなかったのが少々残念!
すぐにネットで検索すると写真入で出ている。それを勝手に掲載させていただこう!
次にこの3つが一直線に並ぶのは2015年6月とか。だがそのときは3つが整列するとは限らないらしい。
新聞を読みながら朝食をとる。地元紙をみると「輝き結べば一直線」、「広島など『天体ショー』」、「金星・月・木星」とあり、広島城の上方に輝く金星、月、木星の写真と記事の掲載がある。
昨夜8時過ぎ我が家に帰る。ふと西空を見上げるとくっきりと月と星が並んで見えた。それも異常にはっきりと。
最近、コンタクトをしている。目がよく見えるとこんなに綺麗に星が見えるんだと感激して家に入る。すぐカメラを取り出して写真を撮ろうとする。ところが電線が写真に入る。取らずにそのまま家に入った。それが今朝の新聞で「目」が良く見えるからではないとわかる。写真を撮らなかったのが少々残念!
すぐにネットで検索すると写真入で出ている。それを勝手に掲載させていただこう!
| (上から金星、月、木星の順。http://machikomizaq.jp/users/os-daito01/article/515/より引用) |
時には空を見上げることもいいものだ。まさかそれほどのこととはつゆ知らず・・・。
今日は、もう少しするとフルートのレッスンに出かける。その前に少しは練習しよう。
フルートから帰宅する頃には、さてさてどんな星が見えるのだろう。少々霞がかった日中だが・・・。
2012年3月26日月曜日
フルート定例会
今日はフルート定例会。夕方、市内中心部に集合。メンバーはいつもの3人。なかなか会場が決まらず、尾道の人に昨日やっと報告。
「やっと決まった!」とTELすると、2人で大笑い。すべて決めるのはまるで知人の仕事のようにまかせっきり。2人は何も考えようとしない。今日、会ったとき先ずはそのお詫びをする。
すぐに隣のビルに移動。まだ退社時刻。ビールは昨夜から冷した感じで凍ったよう。そのジョッキでまず乾杯。通常ならば予約もとれないくらい混雑しているとか。ところが今夜はほとんど貸切のよう。それでも帰る頃にはお客も増えてくる。
お店の雰囲気はとてもよい。と言うのも来月もここで・・・と決まるほどのよさ。
最初に注文したのはビール。次の注文はセット物。このセットの名前はブログに書けないというとあれこれアイデアが出る。それがまた可笑しい。もう「おっさん」の世界。だがその注文品はとても美味!メニューを見るとランチと同じもののようだった。
さらに「てんぷらの盛り合わせ」、「ポテトスティック」などを注文。取り皿もそれぞれに出る。ところがポテトの量が半端でなく多い。3人前と思えるほど。だがそれは1人前。それを見てまた大笑い。携帯カメラで写すが、かなり食べた後。
ビールの次は日本酒。先にビールとポテトを注文してたら他のものが食べられない。それを想像しては3人で大笑い。今日はビールの後、猪口で3杯日本酒を飲む。その最後の1杯で酔ってしまった!
JRに乗り換えずバスで帰る。酔っている自分に気づく。日本酒は生きてきた中でほとんど口にしたことがない。「辛い!」というと男性陣は「甘い!」という。日本酒を口にしながらお水を飲む。その辛さは知人にいわせるとポテトの塩味だとか。これ本当?
だいぶ経った頃、尾道の人のバスの出発時刻が近づいた。3人でポテトを食べる。食べても食べてもポテトは器からなくならない。それがもう可笑しい!3人で笑いころげる。
来月もポテトが同じように出るのだろうか、チェックして・・・。これが課題!?
それにしても今日のお店自体はとても上品、料理も美味!そして何といってもポテトが可笑しい!3人ともこのお店が気に入ってしまった!
家に帰ると、昨日の旅の話で女朋友にTELする。旅の予約数は今日現在6名。ということは問い合わせてから昨日まで誰からも予約がなかったことになる。とりあえず、旅行社のいう期限まで待って次を考えよう。
それにしても毎日よく遊ぶ。我ながら感心する。それも元気な証拠。何といっても元気が一番。そう思ってまた明日もフルートのレッスンに出かけよう!
「やっと決まった!」とTELすると、2人で大笑い。すべて決めるのはまるで知人の仕事のようにまかせっきり。2人は何も考えようとしない。今日、会ったとき先ずはそのお詫びをする。
すぐに隣のビルに移動。まだ退社時刻。ビールは昨夜から冷した感じで凍ったよう。そのジョッキでまず乾杯。通常ならば予約もとれないくらい混雑しているとか。ところが今夜はほとんど貸切のよう。それでも帰る頃にはお客も増えてくる。
お店の雰囲気はとてもよい。と言うのも来月もここで・・・と決まるほどのよさ。
最初に注文したのはビール。次の注文はセット物。このセットの名前はブログに書けないというとあれこれアイデアが出る。それがまた可笑しい。もう「おっさん」の世界。だがその注文品はとても美味!メニューを見るとランチと同じもののようだった。
さらに「てんぷらの盛り合わせ」、「ポテトスティック」などを注文。取り皿もそれぞれに出る。ところがポテトの量が半端でなく多い。3人前と思えるほど。だがそれは1人前。それを見てまた大笑い。携帯カメラで写すが、かなり食べた後。
ビールの次は日本酒。先にビールとポテトを注文してたら他のものが食べられない。それを想像しては3人で大笑い。今日はビールの後、猪口で3杯日本酒を飲む。その最後の1杯で酔ってしまった!
JRに乗り換えずバスで帰る。酔っている自分に気づく。日本酒は生きてきた中でほとんど口にしたことがない。「辛い!」というと男性陣は「甘い!」という。日本酒を口にしながらお水を飲む。その辛さは知人にいわせるとポテトの塩味だとか。これ本当?
だいぶ経った頃、尾道の人のバスの出発時刻が近づいた。3人でポテトを食べる。食べても食べてもポテトは器からなくならない。それがもう可笑しい!3人で笑いころげる。
来月もポテトが同じように出るのだろうか、チェックして・・・。これが課題!?
それにしても今日のお店自体はとても上品、料理も美味!そして何といってもポテトが可笑しい!3人ともこのお店が気に入ってしまった!
家に帰ると、昨日の旅の話で女朋友にTELする。旅の予約数は今日現在6名。ということは問い合わせてから昨日まで誰からも予約がなかったことになる。とりあえず、旅行社のいう期限まで待って次を考えよう。
それにしても毎日よく遊ぶ。我ながら感心する。それも元気な証拠。何といっても元気が一番。そう思ってまた明日もフルートのレッスンに出かけよう!
2012年3月25日日曜日
研究会&懇親会
春だというのに毎日寒い日が続く。梅の開花が3週間遅れで、桜の開花と同じ頃になりそうとか。やはり異常気象。今日も寒い!
寒いといえば昨夜もそうだった。昨日は、院生時代の恩師の退職記念行事に参加する。最寄の駅からJRに乗ると、なんと横に先生が・・・。びっくり。すぐに挨拶をする。記念行事は研究会と懇親会とに分かれて催される。研究会の会場は、医学部の講義棟の大会議室。初めて行くところ。不安を抱えて家を出た。それがまさか途中で先生にお会いするとは・・・。
広島駅までの10分くらい立ち話。先生の後任が決まったこと、博士号をとっても就職が決まらなかった人が大学の教師になったこと、一緒に学んだ博士課程後期の人は研究生でいること、1年先輩のゼミ生は今回不参加など、それぞれの人たちの近況を話される。
大学病院行きのバスに乗り換えると、ほとんどの人が退職行事に参加する人たち。何も心配することなく会場に到着。しかし、一人で行くとなると医学部の中はかなり広くて複雑。
研究会の参加者は大勢だった。余り準備する人がいないよう。幹事役の人たちとは顔なじみ。挨拶をして、会場を手伝う。
研究会は始まった。どの人を見ても賢そう。そこにいるのが不似合いに思える。勇気を出して椅子に座る。横の人は埼玉の大学と和歌山の大学の男性。座るや否や、埼玉の大学の人から何の研究をしているかと聞かれる。研究者ではないので修論について話す。他にも数人から同じことを聞かれる。黒ずくめで出かけたので少しは研究者に見えた!?
研究発表は恩師と、その後任者。質疑応答でそれぞれ所属する大学名と名前を名乗る。聞いていると、埼玉、東京、横浜、和歌山、京都、岡山、山口、九州など多県の大学に渡る。どうも恩師の恩師の門下生たちらしい。その末端に一人座って話を聞く。眠くなるかと思ったがそれどころか緊張のしっぱなし。
休憩時間になった。懐かしい人たちと近況を話す。名刺もいただく。以前パソコンで名刺を作っていた。今はない。作ればよかった。先生たちとも気軽に話す。あの緊張はどこへ・・・。
もらった資料によると恩師は相当の人のよう。今の研究会も立ち上げたらしい。素晴らしい人の下で勉強させてもらったことに感謝。
3時間の研究会は終わった。だが、その内容は困難を極めるものだった・・・。
タクシーで懇親会会場まで皆で移動。市立大学の先生と一緒だった。車の中でも専門は何かと聞かれる。ただの遊び人とも言えず、修論についてまた話す。
会場は市内のホテルの中華レストランを貸しきる。料理はふぐのフルコース。ふぐの刺身が出ると4人分?と誰かが言うとひとり分だった。
席はグループごとに決められている。座った場所は修了した院生のグループ。知らない人たちなのに何の違和感もない。席の前には10年前に修了した2人の女性。横浜と山口から来ている。右横はそれよりも前に修了した和歌山と岡山の高校教師の男性たち。一番年齢の多いモノが3年前に修了。話していて自分の年齢を忘れるほど打ち解ける。この感覚はなんなのだろう?他の席の人も集まってきて・・・。
横に来た人、曰く「学ぶということは、これがいいんです」と和気藹々とした雰囲気を指して言う。年齢は関係ないという意味?
席の人と隙を狙って先生に挨拶。奥様もご一緒。「思い出の記」を書いた。それを読んで下さったようだった。テーブルの料理は前菜からそのまま。一升瓶どころか何も手をつけておられない。それなのに一緒に写真をとってもらう。嬉しかった!一枚も思い出になるものがない。3年前修了するとき、もう会えないと思って先生の本にサインをしてもらった。昨夜は写真にも納まってよかった!
楽しいうちに懇親会は終わった。このまま皆と別れるのも淋しい!初めて会った4人で2次会へ行く。内2人はホテルへ連泊するとか。話しているとなんだか一緒に学んだ気がしてくる。
そのうちの一人が旦那さんに迎えを依頼。家まで車で送ってくれるという。最近、人から親切にしてもらうことが多い。皆、優しい!
学部時代の恩師も色々と話しかけてくださる。2次会に行く途中、「先生の送別会に行けるでしょうか」と話すと、「僕ももう52歳になりましたから・・・」。「スペイン語を習いにいきます」といって分かれた。
優しいといえば、今日、女朋友と中国の九寨溝へ行く話をする。会った場所はグランヴィアホテルの中華レストラン。今日は飲茶でなく、本格的な「中国菜」。美味だった!
広島発にしようと決めたけど人数が集まればいいのだが・・・。すべてはそれ次第。駄目なら成田発になる。明日、旅行社にTELしよう。広島発になれば集合が早い。一番のJRで空港に向かうか、前泊になる。ところが一緒に行く人は途中まで来れば車で空港に連れて行ってくれるという。女朋友のその言葉も優しい!
Xiao Chi小姐、非常感謝! Yu Tian
寒いといえば昨夜もそうだった。昨日は、院生時代の恩師の退職記念行事に参加する。最寄の駅からJRに乗ると、なんと横に先生が・・・。びっくり。すぐに挨拶をする。記念行事は研究会と懇親会とに分かれて催される。研究会の会場は、医学部の講義棟の大会議室。初めて行くところ。不安を抱えて家を出た。それがまさか途中で先生にお会いするとは・・・。
広島駅までの10分くらい立ち話。先生の後任が決まったこと、博士号をとっても就職が決まらなかった人が大学の教師になったこと、一緒に学んだ博士課程後期の人は研究生でいること、1年先輩のゼミ生は今回不参加など、それぞれの人たちの近況を話される。
大学病院行きのバスに乗り換えると、ほとんどの人が退職行事に参加する人たち。何も心配することなく会場に到着。しかし、一人で行くとなると医学部の中はかなり広くて複雑。
研究会の参加者は大勢だった。余り準備する人がいないよう。幹事役の人たちとは顔なじみ。挨拶をして、会場を手伝う。
研究会は始まった。どの人を見ても賢そう。そこにいるのが不似合いに思える。勇気を出して椅子に座る。横の人は埼玉の大学と和歌山の大学の男性。座るや否や、埼玉の大学の人から何の研究をしているかと聞かれる。研究者ではないので修論について話す。他にも数人から同じことを聞かれる。黒ずくめで出かけたので少しは研究者に見えた!?
研究発表は恩師と、その後任者。質疑応答でそれぞれ所属する大学名と名前を名乗る。聞いていると、埼玉、東京、横浜、和歌山、京都、岡山、山口、九州など多県の大学に渡る。どうも恩師の恩師の門下生たちらしい。その末端に一人座って話を聞く。眠くなるかと思ったがそれどころか緊張のしっぱなし。
休憩時間になった。懐かしい人たちと近況を話す。名刺もいただく。以前パソコンで名刺を作っていた。今はない。作ればよかった。先生たちとも気軽に話す。あの緊張はどこへ・・・。
もらった資料によると恩師は相当の人のよう。今の研究会も立ち上げたらしい。素晴らしい人の下で勉強させてもらったことに感謝。
3時間の研究会は終わった。だが、その内容は困難を極めるものだった・・・。
タクシーで懇親会会場まで皆で移動。市立大学の先生と一緒だった。車の中でも専門は何かと聞かれる。ただの遊び人とも言えず、修論についてまた話す。
会場は市内のホテルの中華レストランを貸しきる。料理はふぐのフルコース。ふぐの刺身が出ると4人分?と誰かが言うとひとり分だった。
席はグループごとに決められている。座った場所は修了した院生のグループ。知らない人たちなのに何の違和感もない。席の前には10年前に修了した2人の女性。横浜と山口から来ている。右横はそれよりも前に修了した和歌山と岡山の高校教師の男性たち。一番年齢の多いモノが3年前に修了。話していて自分の年齢を忘れるほど打ち解ける。この感覚はなんなのだろう?他の席の人も集まってきて・・・。
横に来た人、曰く「学ぶということは、これがいいんです」と和気藹々とした雰囲気を指して言う。年齢は関係ないという意味?
席の人と隙を狙って先生に挨拶。奥様もご一緒。「思い出の記」を書いた。それを読んで下さったようだった。テーブルの料理は前菜からそのまま。一升瓶どころか何も手をつけておられない。それなのに一緒に写真をとってもらう。嬉しかった!一枚も思い出になるものがない。3年前修了するとき、もう会えないと思って先生の本にサインをしてもらった。昨夜は写真にも納まってよかった!
楽しいうちに懇親会は終わった。このまま皆と別れるのも淋しい!初めて会った4人で2次会へ行く。内2人はホテルへ連泊するとか。話しているとなんだか一緒に学んだ気がしてくる。
そのうちの一人が旦那さんに迎えを依頼。家まで車で送ってくれるという。最近、人から親切にしてもらうことが多い。皆、優しい!
学部時代の恩師も色々と話しかけてくださる。2次会に行く途中、「先生の送別会に行けるでしょうか」と話すと、「僕ももう52歳になりましたから・・・」。「スペイン語を習いにいきます」といって分かれた。
優しいといえば、今日、女朋友と中国の九寨溝へ行く話をする。会った場所はグランヴィアホテルの中華レストラン。今日は飲茶でなく、本格的な「中国菜」。美味だった!
広島発にしようと決めたけど人数が集まればいいのだが・・・。すべてはそれ次第。駄目なら成田発になる。明日、旅行社にTELしよう。広島発になれば集合が早い。一番のJRで空港に向かうか、前泊になる。ところが一緒に行く人は途中まで来れば車で空港に連れて行ってくれるという。女朋友のその言葉も優しい!
Xiao Chi小姐、非常感謝! Yu Tian
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