2025年6月9日月曜日

我が家の紫陽花

 紫陽花の咲く季節になった。5,6年前、暑さのせいか2種類の紫陽花が枯れてしまった。翌年、隣のいとこにこれまでのとは異なる紫陽花をもらった。それを土地に挿すと根がついて花を咲かせるようになった。今年も見事に咲いている。
我が家の紫陽花
 月3度ほど土曜日に日本画教室に通っている。ところがこのところ他の用事に気を取られたのか日本画教室のブログをアップせずにいた。最近の教室は館内の珈琲の自販機が変わって教室でお湯を沸かしてインスタントの珈琲を入れている。これも楽しみ。描いている絵はうっそうと茂った中に鎮座する室生寺の五重塔を点描写している。なかなか思うようには描けないが気長にコツコツと細い筆先で点点々と描く。この絵も完成までは時間がかかりそうだ。

 絵具や他の道具もほとんど教室に置いたままだ。家で全く描こうという気がない。1枚の絵を完成させるには時間がかかる。やむを得ないことだ。

 今日は梅雨入り前の雨!?プールは晴れの予想の木曜日に変更!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月8日日曜日

コンビニでのチケット

 一昨日から昨日にかけてブログの閲覧数が増える。それは2017年11月に投稿した『私のヴァイオリン』だ。(なぜ?)と訝るうちにわかった。徹子の部屋にこの本の著者である前橋汀子が出演している。それを見た人がこの人について検索し、この本を取り上げたブログの閲覧数が増えたのだろう。

 前橋汀子のヴァイオリンコンサートは2,3度出かけている。先月は福山で開催されたがためらっているうちに終わってしまった。楽器の中で習ったフルートの演奏会は何度も出かけたがそれに次いでヴァイオリンのコンサートに出かけている。それくらいヴァイオリンは好きな楽器だ。そういえばフルートを習い始める際、フルートにするかヴァイオリンにするかかなり迷った。その結果、フルートに決めたがヴァイオリンにしなかった理由がある。それは自分自身の姿勢にある。それはまあ、ここでは省略。ということで今でもヴァイオリンは習いたい楽器だ。

 フルートでもヴァイオリンでもないが近いうちコンビニでピアノコンサートのチケットを購入する予定。先日の奈良行きでコンビニで奈良博のチケットを購入した。コンビニでのチケット購入操作は初めてのことだった。が、これはいい経験になった。

 梅雨入りが近いのか、さっぱりしないお天気だ。しばらくは遠出をしない日々となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月7日土曜日

一人旅のよさ

  半年余り前から歯科通いが続いている。その間、治療はすべてとも言えるほど歯石除去だ。その甲斐あってか、今回の奈良行きで食べられなかったものが食べられるようになった。これは今回の奈良行きで旅の楽しみもそうだが食べる楽しみをも感じた旅となった。

 動いていた歯も歯石除去と、いわれた通りの歯磨きで動かなくなったことにもよる。昨年末に歯科を変わる際はためらいがあった。が、今、歯科を変わって本当に良かったとつくづく思う。

 外へ遊びに出ようと思えば歯も大事だが足も大事だ。幸い、足は大丈夫。

 今回の奈良行きもあちこちでリュックを背負った一人旅の人と出会った。そして話の中で急遽、予定を変更して出かけたくなる箇所もあった。今回は予定ではなかった奈良博の「超国宝展」と聖林寺だ。桜井駅で出会った神戸の人は予定になかった談山神社を聖林寺の前に出かけた。逆に聖林寺は行かず談山神社だけを予定していたがその人の話と宿で知り合った人の話から出かけてよかった。一人旅の良さはこの辺りにもある!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月6日金曜日

「奈良博」と般若寺、談山神社そして聖林寺の奈良旅その2

 「奈良博」と般若寺、談山神社そして聖林寺の奈良旅その1から続く。

 夕飯を食べに行こうとエレベータを待っていると2人連れに出くわす。係に席を案内されて座り、生ビールで一人乾杯。後ろの席にいた2人連れもビールで乾杯している。2年前にも同じホテルに泊まった。その際は夕食は外で食べた。が、朝食が美味しかったことをおぼえていて、今回は夕食付で泊まった。次々と出てくる料理はどれもおいしく、また器もいい。ビールはチェックアウトの際、知ったことだが食事にアルコール類1品がついていた。

夕食の最初に出て来た
特に美味しかった白身魚とエビのカルビオーネ

夕食のお品書き
 夕食を終えると後ろの席の2人連れに座るように言われる。この2人はエレベータで会ったときから感じがよかった。先方もこちらをそう思ってくれたのかいろいろと話が弾む。年は1歳上と4歳上の人だった。やたらと話をしていると「よいしょ」される。2人のうち1人は富士市在住の曹洞宗のお寺の奥さんだった。そう聞いて、以前、スリランカの旅で知り合った曹洞宗のお坊さんの話をするとさらに興味をもたれる。翌朝の朝食の席は3人が同じ席に、と係に言われる。この人たちのお陰で楽しい旅となった。

 人からあまり褒められることがない人生を送ってきた。また、これまで人に流されて生きてきた、と思っていた。ところが長年美容師をされていた人からは自分が決めた人生を生きている、といわれる。そう聞いてそうかもしれないと思った。さらにはお金の使い方をいい方面に使っているとも言われる。それは旅行などの楽しいことに費やしているからかもしれない。翌朝の朝食は3人が同じ席でいただく。「旅は道連れ世は情け」とあるようにこの方たち以外にも今回の奈良行きはいい人たちと出会った。
 
朝食 これ以外にも料理が出て来た
 朝食時にこれから談山神社に行くと話すとその前に聖林寺の国宝十一面観音菩薩像を見るようにとすすめられる。2か所のお寺を見るのは、ましてやバスの便が少ない場所での2か所は考えてしまう。が、部屋に戻って考えるうち、聖林寺へ行こうと思いつく。先の2人連れは京都の博覧会を見に行くと言われた。ところが聖林寺の菩薩は国宝なので「奈良博」に展示されているかもしれない、とも言われる。

 聖林寺は談山神社の手前のバス停で降りる。桜井駅に着くと談山神社のバスが止まっている。バスで知り合った人(神戸の人)と話すと聖林寺(しょうりんじ)の後、安倍文殊院へ行くいう。談山神社へ行くと話すとその人も終点の談山神社バス停で下車した。帰りの時間は1時間後だ。

 数人が下車したが、なぜか談山神社までの道は深い森の中を歩く。苔むした雨上がりの山道を下ると滑りそうになる。滑らないように歩こうと思い、知り合った人に先に行くように話す。こんな山奥の道を皆、参拝するのだろうかと疑問に思いながらも歩を進める。まるで登山だ。一人では怖くて決して歩けそうにない。が、いつの間にか人よりも遅れて一人ゆっくり歩きだす。
談峯如意輪観音菩薩坐像

 談山神社に着いた。緑の青葉はすべてとも言えるほどもみじだ。緑のもみじもきれいだが秋になるとこれがすべて紅葉すると思うとまた来たくなる。談山神社の談峯如意輪観音菩薩坐像は6月1日から2か月間だけ公開されている。これを見られたのは幸いだった。

 参拝前、入館券を購入も、何ら境内のパンフがない。係に案内図を、というとはがき2枚大の白黒のコピーをくれた。これでは境内の参考にならない。足元の悪い雨降り後の境内を歩くが広い境内なので見落としがあった。それは世界唯一の木造十三重塔。又の機会に訪れよ、という知らせかもしれないと気を鎮める。

 山深い境内に人の姿はほぼない。1時間、観光するうちトイレがあり、さらに「出口200m」の標識が見える。ここでの観光を3時間予定していた。それは次のバスの便が1時間後か3時間後のためである。1時間では無理かと思った。ところがその標識を見てこの後、2時間もこの山奥で一人いるのは酷に思えた。が、バスの時間まで10分しかない。素早くトイレを済ませるとバス乗り場へ行こうとなった。

 が、あの山ぶかい道をまた戻るのか、さらには行けるのかが不安になる。とりあえず、お寺の出口までの200m先を目指す。が、バス停はまだこれよりだいぶ先だ。帰りは来た道とは違って歩きやすい道だ。時間は刻々と迫って来る。もうバスの時間に間に合いそうにない、と思いながらもわけのわからぬ道をひたすら歩く。が、バスは見えない。引き返したり往ったりするうちバスが見えた!嬉しかった!運転手さんはトイレに行ったのかその帰りのようだった。ああ、よかった。間に合った!

 バスに乗ると来たとき知り合った人が前席にいる。その人は聖林寺に行き、参拝後、歩いて安倍文殊院を目差すという。聖林寺までその人と一緒に行った。このお寺の観音堂には国宝の十一面観音菩薩像がある。幸い「奈良博」に出品されてなくて見ることが出来た。しかし、観音堂は新たに作られたらしく重々しいつくりで秘仏はガラス張りのケースに収まっていた。もちろん撮影はご法度。
聖林寺

聖林寺の苔むした像

聖林寺付近の公園(?)の丸太の椅子に座って休む

 それほど境内も広くなくここで2時間いるのはこれまた酷だ。かといって休む場所もない。仕方なく外に出ると茂った木陰に丸太の椅子が2個あった。ここに座って持参のツナサンドをお昼代わりに食べる。といってもまだバスの時間まで1時間以上もある。周りはのどかな田舎道だ。蝶々なども飛んでいる。少し先からは田植えの機械音が聞こえてくる。いろんな鳥の鳴き声もする。しばしこの丸太に腰かけた。

 バスの時間まで残り3,40分になった。が、帰り道に戸惑う。すぐに道が間違っていると気づいて引き返す。バス停に着いたはいいが日よけになる場所も座る場所もない。仕方なくバス停の標識の下のコンクリに座ってバスを待つ。そのうち人がやってきた。その人たちは安倍文殊院から歩いて聖林寺に行き、参拝したという。東京の人たちだった。
  
 今回の奈良行きはアクシデントこそなかったもののバスの便がよくない個所に出かけたのでその点では大変だった。以下は今回の行程。

 1日目 広島駅 8時56分発 みずほ600号→新大阪 10時21分着 10時41分発→久宝寺 11時13分着 11時21分発→JR奈良駅 11時48分着 「奈良博」チケットをコンビニで購入後、お昼を久宝寺駅ホームで知り合った香川の人と奈良駅で食べる→バスに乗車して「奈良博」へ→徒歩で近鉄奈良駅→バスで般若寺 観光後→バスでJR奈良駅→バスでホテル リガーレ春日野

 2日目 ホテル(佐保小学校)前 8時41分発→バスでJR奈良駅 8時56分着 9時8分 発→JR桜井駅 9時36分着→バスでJR桜井南口 9時45分発→バスで談山神社 10時11分着→談山神社観光 バスで11時17分発→7分乗車後 聖林寺着→聖林寺観光  13時32分発→バスでJR桜井駅 13時44分着 目の前のコンビニに気づき、乗り換え時間を利用して結び2個購入。遅いお昼を兼ねる→近鉄桜井駅 14時8分発→近鉄布施駅 14時43分着→近鉄布施駅  ここで乗り換えは4分しかない。ホームにいた若い人に行先を確認すると調べてくれた。大丈夫だ。列車が着くと手を振って見送ってくれた。優しい!14時47分発→近鉄河内永和 14時49分着→徒歩でJR河内永和へ 15時11分発→新大阪 15時33分着 新大阪駅構内で「月化粧」の抹茶入りをお土産に購入 新大阪駅待合室は溢れんばかりの人でごった返す。万博が終わるまでは関西周辺に行かない方がいいかもしれない→JR新大阪 16時44分発→広島駅 のぞみ39号乗車後18時2分着

 今回は出かける前の勉強不足で談山神社の木造十三重塔を見落とした。これは残念だったがまたの機会に行け!との知らせだと思って気にしないようにする。

 旅は道連れ世は情け、一人旅をするようになって来月で丸3年になる。この間、人の親切に触れることが多々あった。これから元気でいるためにも楽しい旅を続けよう!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月5日木曜日

「奈良博」と般若寺、談山神社そして聖林寺の奈良旅その1

 2025年6月3日(火)と4日(水)の2日間、奈良へ出かけた。出かける前は1日目は般若寺と元興寺、2日目は談山神社を予定した。ところが今回の旅も「旅は道連れ世は情け」を実感する。広島から新大阪までは新幹線乗車。その後は鶴橋経由を避けて新大阪→久宝寺、ここでおおさか東線に乗り換えて大和路急行で奈良駅まで行った。乗り換えの久宝寺のホームにいると一人旅らしき人に声をかけられる。香川の人で一人旅だという。話していると「奈良博」に行くという。

 この日は朝から雨だった。新幹線でふと頭をよぎる。雨の日の観光は大変だ。急遽、「奈良博」へ行こうと。しかし、特別展のチケットを買っていない。奈良駅で観光案内所を尋ねるとチケットはないがコンビニで売っているという。目の前にコンビニがあった。ホームで知り合った人は親切にコンビニまでついて来てくれ、マルチコピー機で奈良博のチケットをすぐに購入できた。結局その人とお昼を一緒に食べて奈良博まで出かけた。

 会場に着くと左の列はチケット購入者で長い列ができている。右の列はチケットがある人の会場への道だ。中に入ると狂うほど人がいる。この中を知り合った人と一緒に見るのは酷だと思い、その場で別行動をとる。なお、今回の奈良博は「奈良国立博物館開館130年記念特別展『超 国宝ー祈りのかがやきー』」。

 恥ずかしながら国立奈良博物館に入ったのは今回が初めて。眼がよくないのを自覚しているためか特別みたい物がなければ入ろうとはしなかった。ところが今回は雨が降る。雨降りの外での観光は足元も悪く怪我になる恐れがある。

 初めての奈良博、それも人でごった返す会場だったが、持参の単眼鏡で仏像などを見て歩く。辺りを見ると大半の人が双眼鏡などで見ていた。これは目が悪い良いに関係ないのかもしれない、と思った瞬間だった。

国立奈良博物館からみる雨降りの庭園

 単眼鏡で見ても説明書きまでを読んでいると夜が明けそうになる。そこまで読むのはあきらめてただ展示物を見て歩く。とにかく観覧客が多くて自由に歩けない。ミュージアムのグッズも買う人であふれていた。

般若寺の春コスモス

 博物館を出ると自分自身がどこにいるのかわからなくなる。人の動きに連られて雨の中を歩くと近鉄奈良駅に着いた。さて、と考えるうち般若寺へ行こうとなった。観光案内所でバス停を聞くも埒が明かない。2度もバス停を聴きに行った。その時、運よく般若寺の一つ手前バス停まで行く人がいた。その人に教えてもらってバスを待つ。

 般若寺のバス停に着いた。しかし辺りに誰もいない。少し歩くと人がいた。またも人に教えてもらって無事に般若寺到着。だが、雨は降り続く。広い駐車場に1人立っている。駐車場の案内をする人だ。その人がチケット売り場まで連れて行ってくれた。境内に入るも誰もいない。足元は雨でぬかるんで滑りそうになる。今回に限ってトレッキングシューズを履いていない。

般若寺境内

 般若寺はコスモス寺として有名だ。この時季、春コスモスが咲いているとガイド本にあった。春コスモス、と思って出かけたが確かに咲いていた。それほど広くはない境内だが一人でゆっくり見て歩く。あとから1人、観光客が来る。

 降り続く雨でまだ4時なのに辺りが暗く奈良駅までのバスの便も少ない。帰りのバス停まで歩こうとするとさっきの駐車場の係がバス停まで案内してくれた。そしてこの日がシルバーで働く初日だという。道理でやたらと親切に接してもらう。

 5時前にホテルに着いた。宿泊日を変更していたが大丈夫だった。夕飯を食べようと思ってエレベータに乗る。その時、2人組と出会う。

 この続きはまた後日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月2日月曜日

某文化交流学会総会出席

   某文化交流学会の総会に出席した。皆さんとは久々にお会いしたがお元気そうだ。が、会長は今回、体調不良とかで欠席。開会後、副会長のあいさつの後、決議が採決されて懇親会となる。アルコール類は飲み放題であったがお昼の会合とあってもっぱら話に花が咲く。会合の前に、奈良出身の方から近いうち出かける談山神社関連の書類をいただく。それには大織冠鎌足神社(だいしょくかんかまたりじんじゃ)とある。初めて聞く名前の神社で、あとでゆっくり読もう!いろいろと書類ありがとうございました!

 懇親会後に3人でゲートパーク広島を歩く。懇親会場を出るとなんと目の前はゲートパーク広島だ。ここは以前の広島市民球場跡地だが町のど真ん中を公園にしている。そこに立ち、ざっと見渡すと緑の木陰が広がる。そこをゆけばどこに?と聞くとエディオンスタジアムに続くそうだ。そのあたりだけを見ると他所の町に来た感じがして旅行気分に浸れる。もう一度出かけたい場所になった。

 その後、3人でカフェに入る。いろいろと話しているとうち1人が「ジャーナル」の話を始める。初めて聞くキーワードで興味をもって聞いた。スマホでできるブログらしい。家に帰ってそれを試みるもiPhone仕様のスマホでandroidではできなかった。残念!

 それではと「NOTE」 で試みる。以前にも試してみたが今回は画像の取り込みもやってみる。できた!しかし、それもいつの間にかわからなくなる。なぜ?といろいろ触っていると下書きの場所に保存があった。いつの日かパソコンのブログをNOTEに変えようと思っている。そうするまえに練習して上手くアップできるようになる!?

 今朝は10時に予約の歯科に行く。今回は痛みなどの不都合を診てもらう。いつもなら1時間の所、今朝は15分余りで終わった。歯は大事、とつくづく実感する。歯科を変わって半年余りになるがこの期間、歯に対するこれまでの不節制を感じたことはない。教えられたとおり歯を磨いているとだいぶ良くなっているようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月1日日曜日

『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)

  清々しい一日が始まる。近いうち奈良へ行くので気になるのはお天気のことばかり。幸い大雨にはならないようだ。遊びに行くには何よりも天気!?

 以下は『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)(司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★万吉はこのところ、なにをするあてもなく裏縁の陽溜まりに端居して、なんのふぜいもないこの梅の木をながめている。きょうもそうだった。「おれの俄もおわったな」と思うことが、しきりだった。人の世は一場の即興芝居(にわか)のようなものだ、と思っている万吉は、思いがついそこに落ちつく。まだ二十代の若さで、終わったなどと諦めをきめこむのはどうかしているかもしれないが、どこからみてもそうとしか思われない。「人間、なにがむずかしいといっても、二つの時代に生きるほどむずかしいことはないと思うのだ。前時代には、存分に生きた。徳川時代には徳川時代なりのおもしろさがあった。諸制度が厳然と整備しているようで、そのくせ大きな隙間がある。たとえばこの人口六十万人の大坂で、行政と司法をつかさどる奉行所の役人は二百人内外である。(博奕もできたわな)と思うのだ。しかしこれらの時勢は、どうもそういうぐあには行けそうにないと万吉は想像するのである。……(博奕屋はやめよう)とも、いまは思っている。否々、やろうにもどうしようにも、賭場というものが新政府の厳命でぴたっと市中でなくなってしまったのである。……万吉はこの道をつづけて行きたい気持ちがおこらない。(312p-313p)

★「けったいなお人やな」といって、その磯野小右衛門が万吉の馬鹿浪費を忠告したことがある。相場はつねに儲かるものではなく一度暴落(がらく)がくればこの世に身を置けぬほどの借財を背負うことがある。そういう場合貯財がなければどうにもならぬ、というと、「首をくくって死んだらええやろ」と、万吉は相手にならなかった。どうせ人間の一生は一場の俄だと思っているこの男は、面白おかしく生きることしかあたまにないらしい。(460p-461p)

★五十を過ぎたこんにち、もう今日が最後やろ、と万吉はいうのである。軽口屋はその翌年に死んだ。「おまえの俄も済んだか、おれもじきに往くでえ」と万吉は軽口屋の危篤の枕頭でいったが、ところがこの男の体が頑健すぎているのか一向に衰えず、明治もおわり、大正のなかばになってやっと人並みに死を迎えた。九十に近かった。むろん、辞世も遺言もない。「ほなら、往てくるでえ」というのが、この男の最後の言葉だった。駅から汽車が出てゆくような、そんな陽気さだった。(492p)