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| 我が家の紫陽花 |
2025年6月9日月曜日
我が家の紫陽花
2025年6月8日日曜日
コンビニでのチケット
2025年6月7日土曜日
一人旅のよさ
半年余り前から歯科通いが続いている。その間、治療はすべてとも言えるほど歯石除去だ。その甲斐あってか、今回の奈良行きで食べられなかったものが食べられるようになった。これは今回の奈良行きで旅の楽しみもそうだが食べる楽しみをも感じた旅となった。
動いていた歯も歯石除去と、いわれた通りの歯磨きで動かなくなったことにもよる。昨年末に歯科を変わる際はためらいがあった。が、今、歯科を変わって本当に良かったとつくづく思う。
外へ遊びに出ようと思えば歯も大事だが足も大事だ。幸い、足は大丈夫。
今回の奈良行きもあちこちでリュックを背負った一人旅の人と出会った。そして話の中で急遽、予定を変更して出かけたくなる箇所もあった。今回は予定ではなかった奈良博の「超国宝展」と聖林寺だ。桜井駅で出会った神戸の人は予定になかった談山神社を聖林寺の前に出かけた。逆に聖林寺は行かず談山神社だけを予定していたがその人の話と宿で知り合った人の話から出かけてよかった。一人旅の良さはこの辺りにもある!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2025年6月6日金曜日
「奈良博」と般若寺、談山神社そして聖林寺の奈良旅その2
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| 特に美味しかった白身魚とエビのカルビオーネ |
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| 夕食のお品書き |
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| 朝食 これ以外にも料理が出て来た |
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| 談峯如意輪観音菩薩坐像 |
参拝前、入館券を購入も、何ら境内のパンフがない。係に案内図を、というとはがき2枚大の白黒のコピーをくれた。これでは境内の参考にならない。足元の悪い雨降り後の境内を歩くが広い境内なので見落としがあった。それは世界唯一の木造十三重塔。又の機会に訪れよ、という知らせかもしれないと気を鎮める。
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| 聖林寺 |
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| 聖林寺の苔むした像 |
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| 聖林寺付近の公園(?)の丸太の椅子に座って休む |
2025年6月5日木曜日
「奈良博」と般若寺、談山神社そして聖林寺の奈良旅その1
2025年6月3日(火)と4日(水)の2日間、奈良へ出かけた。出かける前は1日目は般若寺と元興寺、2日目は談山神社を予定した。ところが今回の旅も「旅は道連れ世は情け」を実感する。広島から新大阪までは新幹線乗車。その後は鶴橋経由を避けて新大阪→久宝寺、ここでおおさか東線に乗り換えて大和路急行で奈良駅まで行った。乗り換えの久宝寺のホームにいると一人旅らしき人に声をかけられる。香川の人で一人旅だという。話していると「奈良博」に行くという。
この日は朝から雨だった。新幹線でふと頭をよぎる。雨の日の観光は大変だ。急遽、「奈良博」へ行こうと。しかし、特別展のチケットを買っていない。奈良駅で観光案内所を尋ねるとチケットはないがコンビニで売っているという。目の前にコンビニがあった。ホームで知り合った人は親切にコンビニまでついて来てくれ、マルチコピー機で奈良博のチケットをすぐに購入できた。結局その人とお昼を一緒に食べて奈良博まで出かけた。
会場に着くと左の列はチケット購入者で長い列ができている。右の列はチケットがある人の会場への道だ。中に入ると狂うほど人がいる。この中を知り合った人と一緒に見るのは酷だと思い、その場で別行動をとる。なお、今回の奈良博は「奈良国立博物館開館130年記念特別展『超 国宝ー祈りのかがやきー』」。
恥ずかしながら国立奈良博物館に入ったのは今回が初めて。眼がよくないのを自覚しているためか特別みたい物がなければ入ろうとはしなかった。ところが今回は雨が降る。雨降りの外での観光は足元も悪く怪我になる恐れがある。
初めての奈良博、それも人でごった返す会場だったが、持参の単眼鏡で仏像などを見て歩く。辺りを見ると大半の人が双眼鏡などで見ていた。これは目が悪い良いに関係ないのかもしれない、と思った瞬間だった。
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| 国立奈良博物館からみる雨降りの庭園 |
単眼鏡で見ても説明書きまでを読んでいると夜が明けそうになる。そこまで読むのはあきらめてただ展示物を見て歩く。とにかく観覧客が多くて自由に歩けない。ミュージアムのグッズも買う人であふれていた。
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| 般若寺の春コスモス |
博物館を出ると自分自身がどこにいるのかわからなくなる。人の動きに連られて雨の中を歩くと近鉄奈良駅に着いた。さて、と考えるうち般若寺へ行こうとなった。観光案内所でバス停を聞くも埒が明かない。2度もバス停を聴きに行った。その時、運よく般若寺の一つ手前バス停まで行く人がいた。その人に教えてもらってバスを待つ。
般若寺のバス停に着いた。しかし辺りに誰もいない。少し歩くと人がいた。またも人に教えてもらって無事に般若寺到着。だが、雨は降り続く。広い駐車場に1人立っている。駐車場の案内をする人だ。その人がチケット売り場まで連れて行ってくれた。境内に入るも誰もいない。足元は雨でぬかるんで滑りそうになる。今回に限ってトレッキングシューズを履いていない。
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| 般若寺境内 |
般若寺はコスモス寺として有名だ。この時季、春コスモスが咲いているとガイド本にあった。春コスモス、と思って出かけたが確かに咲いていた。それほど広くはない境内だが一人でゆっくり見て歩く。あとから1人、観光客が来る。
降り続く雨でまだ4時なのに辺りが暗く奈良駅までのバスの便も少ない。帰りのバス停まで歩こうとするとさっきの駐車場の係がバス停まで案内してくれた。そしてこの日がシルバーで働く初日だという。道理でやたらと親切に接してもらう。
5時前にホテルに着いた。宿泊日を変更していたが大丈夫だった。夕飯を食べようと思ってエレベータに乗る。その時、2人組と出会う。
この続きはまた後日!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2025年6月2日月曜日
某文化交流学会総会出席
某文化交流学会の総会に出席した。皆さんとは久々にお会いしたがお元気そうだ。が、会長は今回、体調不良とかで欠席。開会後、副会長のあいさつの後、決議が採決されて懇親会となる。アルコール類は飲み放題であったがお昼の会合とあってもっぱら話に花が咲く。会合の前に、奈良出身の方から近いうち出かける談山神社関連の書類をいただく。それには大織冠鎌足神社(だいしょくかんかまたりじんじゃ)とある。初めて聞く名前の神社で、あとでゆっくり読もう!いろいろと書類ありがとうございました!
懇親会後に3人でゲートパーク広島を歩く。懇親会場を出るとなんと目の前はゲートパーク広島だ。ここは以前の広島市民球場跡地だが町のど真ん中を公園にしている。そこに立ち、ざっと見渡すと緑の木陰が広がる。そこをゆけばどこに?と聞くとエディオンスタジアムに続くそうだ。そのあたりだけを見ると他所の町に来た感じがして旅行気分に浸れる。もう一度出かけたい場所になった。
その後、3人でカフェに入る。いろいろと話しているとうち1人が「ジャーナル」の話を始める。初めて聞くキーワードで興味をもって聞いた。スマホでできるブログらしい。家に帰ってそれを試みるもiPhone仕様のスマホでandroidではできなかった。残念!
それではと「NOTE」 で試みる。以前にも試してみたが今回は画像の取り込みもやってみる。できた!しかし、それもいつの間にかわからなくなる。なぜ?といろいろ触っていると下書きの場所に保存があった。いつの日かパソコンのブログをNOTEに変えようと思っている。そうするまえに練習して上手くアップできるようになる!?
今朝は10時に予約の歯科に行く。今回は痛みなどの不都合を診てもらう。いつもなら1時間の所、今朝は15分余りで終わった。歯は大事、とつくづく実感する。歯科を変わって半年余りになるがこの期間、歯に対するこれまでの不節制を感じたことはない。教えられたとおり歯を磨いているとだいぶ良くなっているようだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2025年6月1日日曜日
『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)
清々しい一日が始まる。近いうち奈良へ行くので気になるのはお天気のことばかり。幸い大雨にはならないようだ。遊びに行くには何よりも天気!?
以下は『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)(司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷)から気になる箇所をメモした。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★万吉はこのところ、なにをするあてもなく裏縁の陽溜まりに端居して、なんのふぜいもないこの梅の木をながめている。きょうもそうだった。「おれの俄もおわったな」と思うことが、しきりだった。人の世は一場の即興芝居(にわか)のようなものだ、と思っている万吉は、思いがついそこに落ちつく。まだ二十代の若さで、終わったなどと諦めをきめこむのはどうかしているかもしれないが、どこからみてもそうとしか思われない。「人間、なにがむずかしいといっても、二つの時代に生きるほどむずかしいことはないと思うのだ。前時代には、存分に生きた。徳川時代には徳川時代なりのおもしろさがあった。諸制度が厳然と整備しているようで、そのくせ大きな隙間がある。たとえばこの人口六十万人の大坂で、行政と司法をつかさどる奉行所の役人は二百人内外である。(博奕もできたわな)と思うのだ。しかしこれらの時勢は、どうもそういうぐあには行けそうにないと万吉は想像するのである。……(博奕屋はやめよう)とも、いまは思っている。否々、やろうにもどうしようにも、賭場というものが新政府の厳命でぴたっと市中でなくなってしまったのである。……万吉はこの道をつづけて行きたい気持ちがおこらない。(312p-313p)
★「けったいなお人やな」といって、その磯野小右衛門が万吉の馬鹿浪費を忠告したことがある。相場はつねに儲かるものではなく一度暴落(がらく)がくればこの世に身を置けぬほどの借財を背負うことがある。そういう場合貯財がなければどうにもならぬ、というと、「首をくくって死んだらええやろ」と、万吉は相手にならなかった。どうせ人間の一生は一場の俄だと思っているこの男は、面白おかしく生きることしかあたまにないらしい。(460p-461p)
★五十を過ぎたこんにち、もう今日が最後やろ、と万吉はいうのである。軽口屋はその翌年に死んだ。「おまえの俄も済んだか、おれもじきに往くでえ」と万吉は軽口屋の危篤の枕頭でいったが、ところがこの男の体が頑健すぎているのか一向に衰えず、明治もおわり、大正のなかばになってやっと人並みに死を迎えた。九十に近かった。むろん、辞世も遺言もない。「ほなら、往てくるでえ」というのが、この男の最後の言葉だった。駅から汽車が出てゆくような、そんな陽気さだった。(492p)













