★要塞攻撃は、弱点を見出し、そこに攻撃力を集中するというやり方でなければならない。岩を割る時に条理を見出し、そこに鑿(のみ)を入れてゆくということと同じである。が、乃木軍司令部はこのかんじんの弱点さがしについておよそ疎漏であった。第一線からの情報を総合すればほぼ見当がつきそうなものだが、参謀たちが各前線に身を挺して行くことが絶無だったため、弱点をさがす感覚が鈍感なままだったのであろう。旅順要塞の弱点は二百三高地で、ここを発見するのは攻略の最終段階でやってくる児玉源太郎であったが、じつは攻略の当初から、要塞を海上からみている海軍側が、「二百三高地は、どうやらあまり防御が施されていないだけでなく、ここを占領すれば旅順港を見下ろすことができる。従って二百三高地に大砲をひきあげれば、港内のロシア軍艦をうち沈めることができる」と申し入れてるのに、乃木軍司令部は黙殺してしまった。……これだけのばかばかしい失敗が、戦後、国民の前で検討され解剖されることなく、それをむしろ壮烈悲愴という文学的情景として国民にうけわたされたところにいかにも日本らしい特徴があり、そのことが、張鼓峰、ノモンハン、太平洋戦争という性懲りもない繰りかえしをやってゆくもとになったのである。(「”旅順”と日本近代の愚かさ――『明治』の戦争の未発表写真を見て」149p-150p)
★私は二十前後のころから、中国文明の周辺にいる国家群に関心をもっていた。東洋史上、北アジアや西北アジアにその他の中国辺境にあらわれては消える大食(たいしょく)、大月(だいげつ)、柔然(じゅうぜん)、鮮卑(せんぴ)、烏孫(うそん)、烏桓(うがん)、大宛(だいえん)、西夏(せいか)、匈奴(きょうど)などといった国家、もしくは民族の漢訳名が、なんと妖しい魅力にみちていることであろう。かれらの多くは、中国文明に化せられなかった。儒教化せず、固有の生活形態と倫理をまもっていたために、中国からは蛮族とみられた。モンゴル人もそうであり、モンゴル人にかわって中国の辺境にびっしりと張り付いているロシア人たちもそうであるにちがいない。(あとがき『人間の集団について』159p-160p)
★人間の厄介なことは、人生とは本来無意味なものだということを、うすうす気づいていることである。古来、気づいてきて、いまも気づいている。仏教にしてもそうである。人間は王侯であれ乞食であれ、すべて平等に流転する自然生態のなかの一自然物にすぎない。人生は自然界において特別なものでなく、本来、無意味である、と仏教は見た。これが真理なら、たとえば釈迦なら釈迦がそう言いっ放して去ってゆけばいいのだが、しかし釈迦は人間の仲間の一人としてそれでは淋しすぎると思ったに違いない。このため、釈迦は入念なことに人間どもに対し、自分が自然物にすぎず、人生は本来無意味だということを積極的に、行為として悟れ、と言った。悟るという行為で、人生に唯一の意味を見出した。本来無意味の人生においてこれ以外に意味を見出せないというのが、仏教のように思える。しかし、われわれ現に生きている者としては、その程度のことをわざわざ悟るなどという面倒なことを、ほとんどの者がしたくないと思っている。といって、一面、自分の人生に――
人の人生ではなく――多少でも意味を見出したいと思っている。(「富士と客僧」448p-449p)
★司馬氏には、どうも一個の強烈な美意識があるらしい。……氏はどうも、こういう美意識にかなう人間の、またかなう時期だけを、描いているようだ。……司馬氏の歴史小説の世界は、こういう美意識でつくられた世界であると思う。そしてその美によって、それは読者に訴えやすい。しかしそれが多くのものを捨象してなる世界であることも、また否定できないであろう。もしかりに「あるがままの歴史」とでもいうべきものが存在するとすれば、それは司馬氏の歴史小説の世界よりも、はるかにどろどろしてなまぐさく、重みをもったものなのではあるまいか。(「司馬遼太郎の美学」亀井俊介 497p-498p)
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★司馬氏には、どうも一個の強烈な美意識があるらしい。……氏はどうも、こういう美意識にかなう人間の、またかなう時期だけを、描いているようだ。……司馬氏の歴史小説の世界は、こういう美意識でつくられた世界であると思う。そしてその美によって、それは読者に訴えやすい。しかしそれが多くのものを捨象してなる世界であることも、また否定できないであろう。もしかりに「あるがままの歴史」とでもいうべきものが存在するとすれば、それは司馬氏の歴史小説の世界よりも、はるかにどろどろしてなまぐさく、重みをもったものなのではあるまいか。(「司馬遼太郎の美学」亀井俊介 497p-498p)
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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