一昨日、市に大型ゴミの収集をお願いした。収集ゴミは中国の西安博物館の碑林の拓本を日本で表装した下の画像の額である。1987年の年末からお正月にかけて出かけた中国の成都と西安の旅。そこで西安博物館の職員と知り合いになった。帰国後、職員からこの碑文の拓本が郵送されてきた。すぐに市内の額縁店で表装してもらった。今から37年前のことだが当時の表装代金は6万円以上したように思う。
いまの漢字では「難得糊塗」 |
大型ゴミの収集日は今月の20日。ところが昨夜から今朝にかけてこれをゴミとして出すのにためらいが生じる。表装額は長さが1.4mで幅が40㎝近くある。今朝、急にゴミとして出す前に記念に写真に撮ろうと思いつく。写真に撮っていてゴミにして出さなくても家においておけば、とも思い直す。すでにゴミの収集はお願いしているので、同じ額縁でも鏡の額を代わりのゴミとして出すことにしよう。
毎日暑い日が続く。外に出ても暑いだけなので家の片づけをする。昨日は気になっていた押入れの上部にある盆提灯を2セット処分。これからお盆がやってくる。処分する前に仏壇に飾る盆提灯だが、飾りもせずに処分となった。この盆提灯は父が亡くなって買ったもの。父が亡くなって34年になる。その年のお盆に盆提灯を初めて飾った。が、その後のことは覚えていない。というのも務めていた頃はお盆と言えば海外に出かけていたから。
盆提灯は対になっており、それが2セットあった。1セットは覚えがあるが、もう1セットは新品のままだ。それでも今朝の燃えるゴミとして出すために段ボールに入ったままでは出せないので箱から出してばらしてゴミとした。
さて額の意である。「難得糊塗」は「馬鹿になりがたし」から「馬鹿になれ」の意で、これは清時代の画家である鄭板橋の書だとか。下に小さい字で書いてあるのは「聡明になるのは難しい。糊塗になるのも難しい。聡明から転じて糊塗になるのはさらに難しい」と書き添えてある。バカの人生は辛いし、また人に嘲笑されたり、無視されたりすることは耐えがたい。しかし、聡明な人やバカな人よりは、バカなふりをしている本当に聡明な人こそ、一番難しい。ということから「難得糊塗」はバカは得がたしということになる。いつも自然体のままで行動をとるのがいいようだ。
「馬鹿になれ」と言って思い出す。母は私が会社勤めで行き詰まるといつも「馬鹿になって働きんさい」と言って慰めてくれた。お陰で50代半ばまで会社勤めをした。今、その時の年金で暮らしている。すぐに会社を辞めていたならば今の年金生活はなかったかもしれない。そう思うと、余計、この額が捨てがたくなる。壁に飾らなくても床に立てかけておけばいい!?どういっても人生で最初にハマったのが中国語、そして中国の旅。一つくらい中国の記念品があってもいい。
そういえば当時の中国は日本人と知り合えば海外に行ける保証人ができるとの思いがあったようだ(当時の中国は今と違って保証人がいないと海外へ出られなかった。そのため、知らない人から伝手を頼ってなのか保証人の依頼が舞い込んできたことがある。自分のような名誉も地位もないものは到底無理なはずなのに)。その点ではあまりいい印象は持っていない。が、この拓本を送ってくれた人はその後、アメリカへ行くと言っていた。それから後のことは知らない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
0 件のコメント:
コメントを投稿